Neetel Inside 文芸新都
表紙

そして俺はカレーを望んだ
第七話『ブラック・アウトッ!』

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「お世話になりました。もう二度と来ないです」
「お大事にねー」
 気の抜けた言い方をする看護師さんに背を向けて、俺は病院から出た。自動扉をくぐり、ちょっとどころかとても寒い外気に身を震わせ、口からホワイトブレスを吐く。すげえ寒い。なんだこりゃあ。ぜってえ明日には雪が降るぜ、雪。やべえよ雪とか長距離の移動手段が自転車な俺にとって地獄だぜ。北陸やべえ。死ねる。寒ブリうめえ。
 もこもこしたコートを深く着込んで、俺は駐車場を見渡しながらお目当ての車を捜す。が、見つからない。さっき電話した時にゃ、すっ飛んできそうな勢いだったんだけどなあ。このまま寒空の下で待つってのは中々につらい。けど、お別れの挨拶をした病院に戻るってのも癪だ。背後に看護師さんの気配を感じるし。なんというジレンマ。すごくどうでもいい葛藤だ。
 と、そろそろ指の先が赤くなりそうな時、どっかから車のクラクションが聞こえた。きょろきょろと左右を見て、見つけた。母さんの車だ。しかし病院の敷地内でクラクションを鳴らすってのはどうなんだ。そんなことで鳴らしちゃダメだろう。普通の道路でも鳴らしちゃダメなんだぜ。ちゃんと指定されたとこでしかダメなんだぜ。ダメダメだぜ。
 俺はやれやれと肩をすくませて、車の助手席に乗る。中ではやけに嬉しそうな表情を浮かべた母さんが待っていた。
「光史ったら外で待ってなくてもいいのに。ま、そんなことよりもおかえり。ささ、帰りましょ」
「ああ、うん。ただいま。帰る」
 ドアを閉めて、シートベルトを締める。外とは違って、車の中はとても暖かかった。やっと一息つけた感じがする。そもそも入院とか落ちつかねえよ。自分の部屋じゃないし自分の服じゃないし。辛うじてカレーは食堂にあったものの、もし無かったら死んでたね。それくらい入院はつらかった。一ヶ月耐えた俺を褒めるべき。
「もう腕は大丈夫そう?」
 てっきり褒められるかと思ったが、車を運転しながら母さんがそんなどうってことない事を聞いてくる。俺は返事をする前に腕を曲げたり伸ばしたりしてみるが、別に痛みはないことを確認し、遅れて母さんに答える。
「治った治った」
「よかったわねー。利き腕じゃないにしても、片腕は不便だったでしょう?」
「不便なんてもんじゃなかったよ。少なくともトイレ関係での羞恥プレイは極めたね」
 あやうく尿瓶相手に性欲を発散させるとこだったわ。
 そんなことを話しながら自宅へ向かう。その内会話が無くなって、俺は窓の外を眺めていた。見慣れた景色がどんどん過ぎ去って、また見知った景色が現れて。……ここら辺なら何でも知ってるつもりだったんだけど、その実、世の中には俺の理解が及ばないものがたくさんあるんだよな。この数日で色々と知ってしまった気がするわ。主に知らなくてもいい部分を。あんまり俺の知ってる人には知って欲しくないね。命に関わるしね。命がいくつあっても足りないわ。
 一ヶ月前。楠木ビルで気絶した後、誰がどうやって運んだのか知らないけど、俺は自分の部屋で目が覚めた。母さんに会えば、数日間音信不通だったにもかかわらず“自分の部屋にいたんだー”なんて言ってたし。なんつうか変人だわ。息子が行方不明でその反応は無いわ。と、それでも俺のボロボロっぷりを見た時、目を丸くしてたのは覚えてる。俺としては全然行く気はなかったんだけど、一ヶ月も入院する羽目になったのは母さんがうるさかったからなわけで。なんか見るところが違うと言うかなんと言うか。
 信号待ちで細かく振動するシートに体を預けて、考える。メテなんちゃらと呼ばれてる奴らは、実際、何をしているんだろう、と。俺を殺そうとしたり、拉致しようとしたり、今度は仲間にしようとしたり。で、挙句の果てに何故か家に帰されて。何がしたいのか、まったくわからない。なんとなく悪い奴等って感じはするけど、その悪い奴等の応急処置が的確だったおかげで、入院期間が一ヶ月で済んだんだよなあ。とは言っても、その原因となる怪我を負わせたのは、まあ、“そっち”関係なわけだが。主に銀髪女の所為だけど。
 いろいろわかんねえなあ。
 窓に向かって溜め息を一つ。白く曇る窓の向こう側を見つめて、さらに溜め息。……元気が出ないんだよ。バカな俺には何もわからないからな。かと言って、こんな突拍子もないことを話せる知り合いはいない。いたとしても巻き込んじゃいそうだし、結局言えないだろう。俺一人で考えるには話が複雑すぎるんだよ。考えることが多すぎて死ねる。知恵熱がボルケノってるわ。
「ついたわよ」
「ほい」
 冷えた窓に額を当てて熱を冷ましていると、横から母さんが一言。どうやら家に着いたらしい。俺はちょっと脂っこくなってしまった窓を指で拭いてさらに悪化させると、ドアを開けて外の空気目一杯吸い込む。
「ほああああ」
 体の中がすこぶる冷えた。というか寒い。バカか俺は。ああ、そういえばバカだった。はいはいバカバカ。
 バカをやってる傍で母さんの急かす言葉が聞こえ、俺は駆け足で家に入った。


第七話『ブラック・アウトッ!』


 キンコンキンコンと当たり障りのない普通のチャイムが鳴って、午前最後の授業が終わる。あ、ちょっと待って、自分で思っといてなんだけど、当たり障りがあるチャイムの音ってどんな音なのかすげえ気になった。やっぱどうでもいいわ。
 それよりも、一ヶ月ぶりの授業ってのはなんでこんなに難しいんだろうね。普段から難しかったのに、これじゃあベリーハードってやつだよ。ノーマル難易度で満足しちゃうぬるいゲーマーな俺にとって、人生の高難易度っぷりはついていけないものがあるね。……無情な現実に頭を悩ませながら、俺と同じように死にそうな目で教科書を仕舞っている隣の山田を見て、ちょっと安心する。世の中にはバカがいっぱいいるんだよな。たまには下を見て生きるのも一興。
 俺はクラスに遅れて教科書とノートを仕舞う。……そう、ノート。今回の授業はノートを使わないんだけど、一ヶ月も遅れてたせいで、クラスメイトCから借りた世界史のノートの中身を写すだなんて真面目すぎることをやらざるを得なかったわけだ。まあこれがまたひどいもんで、クラスメイトCが俺に貸してくれたノートはとてもじゃないが人に見せるために書かれたものじゃなかった。余白があれば絵付きで何々型UFOの説明が長々と書いてあったり、ページの隅にはわけのわからん動物が書いてあって、よくよく見れば首長竜のような生き物が泳ぐパラパラ漫画だったり。さらには明らかにきちんと板書してないっぽい物――実際に飛べる飛行機はライト兄弟ではなく、古代のコスタリカにて既に確立されていた! ――が書いてあったり。なんで俺はアイツに借りたんだろうな。よく考えれば間違ってるということに気付けたはずだ。
「相羽、昼飯買いに行こうぜ」
 まるで俺と行くことが当然と言わんばかりに、山田が目の前に立っていた。いや、当然だよな。いつも一緒に食ってるし。
 俺は急かす山田の言葉を受け流しながら、勉強道具を鞄にしまった。



「でさ、一昨日隣のクラスに転校生が来たわけよ。ハインちゃんに続いてまたも美少女が来たのかと期待して覗きに行ってみれば、なんか自分の存在を見失いそうなくらい美少年過ぎる奴だったわけだ」
「へー。誰だよハインちゃんって外人くせえ」
「お前の後ろの席でいつも殺気を撒き散らしてるかわいこちゃんだよ」
「そういやそんな名前でしたねえ。もう遠い記憶ですわー」
 外はもう寒い。食堂は混んでる。というわけで、結局自分の教室で昼食を摂る俺は、山田のとんでもなくどうでもいい話を聞き流しながらカレーコロッケパンをもそもそと食べていた。さすが大量生産されてる惣菜パン、いくら俺がカレー好きでも、さすがにおいしいとは言えない。おいしいの中にもランクはあるわけでな。やっぱり購買のパンよりも多少の混雑を我慢して食堂のカレーライスにしたほうがよかったかねえ。食が進まねえわ。
「おい聞いてんのかよおい」
「そりゃすげえなー」
「……しくしく」
 ふと雨が降りそうなどんより曇り空から山田に視線を移すと、こっちもどんよりしてた。ますます食が進まねえなおい。
「もぐふぁもがぐ」
「別に無理して話さなくてもいいし! 食いながら喋らなくてもいいし!」
 もぐもぐしながら喋ったら怒られた。まあこれは俺が悪い。もぐもぐしながら謝った。山田は泣いた。
 食べることは好きなんだけど、どちらかと言えば小食な俺は、カレーコロッケパン一個で十分に満足してしまった。中身の無い包装紙を丸めて、後ろにあるゴミ箱に狙いを定めて投げる。入った。窓際で一番後ろという席は、こういうどうでもいいことで重宝するぜ。
 自販機で買った天然水を飲みながら、まだ目の前で食い続ける山田を見つめる。なんでわざわざ俺の目の前で食うんだ。隣に自分の席があるだろ。とは言わない。確かにまだ知り合って間もない頃はそうも思ったけど、結構長く付き合った今となってはすごくどうでもいいことだ。そう、それはどうでもいいとして。暇になったので、俺はさっき山田が言ってたことを尋ねる。
「なあ、さっき言ってた転校生のこと聞かせてくれよ」
「ふぁもふぁもぐもぐ」
「おいちゃんと喋れよおい」
 山田はもぐもぐしながら何かを言ってるが、全く聞き取れない。なんだよあてつけかよ。
 しばらくして口の中身を牛乳で強引に流し込んだ山田は、ふうと息を吐いてそのまま喋り始める。牛乳くせえ。
「さっき話したくらいのことしか知らねえけどよ、とにかく美少年だったぜ。教室の女子大半を机の周りにはべらせてたわ。あんなの漫画でしか見たことねえ」
「すごいな。……もしかして、あんな感じの奴か?」
 俺は教壇側にある教室の出入り口付近でこっちを見ている、線が細い明らかな美少年がいることに気付いて、山田に顎で指し示す。山田は振り返って数秒、無言で首を戻すと、溜め息を一つ。
「あいつだ……」
「ほー。確かに美少年だ。なんでこっちを見てるのかは謎だけど。確かに美少年だ。確かに美少年だな」
 大事な事過ぎて何度も言ってしまった。やべえ、あれは確かに、うん。なんか自分が酷く醜いものに見えてくるくらい美少年だわ。ショタっこってやつだな。すげえ劣等感。もし神様がいるのなら、なんでここまでの造形の差をお作りになったのだろう。
 美少年は俺が見ていることに気付いたのか、それとも興味が失せたのか。無駄にさらっとした長髪をなびかせながら姿を消してしまった。なんだったんだ。
「なんでも、話によれば転校初日に三人から告られたらしいぜ。しかも全部お断り。さすが美少年様は違ったわけだ」
「いや、冷静に考えようよ山田君。転校して来た初日に告るほうがおかしいってことに。どんだけ自分に自信があるんだよそいつらは」
 もしあの美少年と並の容姿の女の子を並べてしまったら、ついうっかり美少年を選んでしまいそうだ。そんな彼と容姿的に釣り合う女子ってのは、中々想像できない。……ついつい頭の中で銀髪女を隣に置いてみるが、意外と釣り合うことにちょっとでっかい劣等感。俺が知り得る女子の少なさには泣けるものがあるね。
「はあー。俺も告られてえなあ。でもそんな付き合いの深い女子なんていねえしなあ」
「いるじゃんか。部長とか部長とか部長がさ」
「ええっ!?」
 目の前で食いかけのサンドイッチを机に置きながら沈む山田に、俺は元気付けるように事実を突きつける。……そう、山田は全国の男子が羨むだろう“幼馴染”がいるのだ。毎朝起こしてくれて弁当なんかも作ってもらえちゃってもちろん小さい頃は同じ風呂に入った仲という、あの幼馴染が。まあ、それが部長じゃなかったら俺も羨んでただろうね。部長はちょっと困るわ。部長。俺の中での部長と言えば、天文部の部長に他ならない。
 俺の言葉を聞いて明らかに嫌そうな表情を浮かべる山田は、慌てて回らない舌で喋り始める。
「い、いやっ、ねっ。確かに三央は幼馴染っつーかむしろ義理の姉ちゃんに近いくらいだったよっ!? でもさすがに、いや、ねえわ!」
「ごめん、俺が悪かった。悪かったから落ち着こうか。クラスの視線が痛い」
 取り乱す山田をクラス中が見ていた。まあ、山田なので、みんな納得した様子ですぐに各々のやっていたことに戻る。さすが山田だな、ちょっとくらい教室で騒いだくらいじゃどうってことないぜ。
 ――曰く、昔はとても優しくて面倒見のいいお姉ちゃんだった。曰く、数年前までかなり本気で好きでした。曰く、なんでかはわからないけど、まるで別人になったかのように態度が激変した。と、何度か山田から聞いたことがある。なんでも高校に入るちょっと前くらいに変わってしまったと。高校に入ってから部長という人を知った俺としては、非常に信じがたい話ではある。というか信じれないわ。山田の話す通りの人だったら、俺だって惚れる。そんな幼馴染がいたら山田と友達になんかならないね。言い過ぎた。
 ちなみに三央ってのは部長のことだな。フルネームは知らん。山田の話で初めて名前を知ったくらい、俺の中じゃ部長で定着していたからな。
「三央姉ちゃんは俺の汚点なんだよ……やめてくれ……」
「わかった。そんなことより部長の名前が出て思い出したけど、そういや天文部に行かなきゃいけないんだよなあ。やだなあ」
「心中お察しする。病院に逆戻りしないよう祈ってるぜ」
 俺の呻きに、立ち直りの早さに定評のある山田がそんな台詞と共に合掌する。前回行った時は無事だったんだけどね、今回が無事とは限らないしね。病院に逆戻りとか考えただけで死ねる。
 会話が途切れて、山田は思い出したように残ったサンドイッチを一口で平らげると、包装紙を丸めて俺の後ろにあるゴミ箱に狙いを定める。ほっ、という掛け声と共に投げられた包装紙は、見事にゴミ箱への軌道を逸れて、床に軟着陸した。



 重い扉を開けて、屋上へ出る。さすがに寒い。ブレザーだけじゃそろそろ無理があるか。なんて、屋上へやってきた俺は体を震わせる。なんでこんな寒い中、わざわざ屋上くんだりまで来て部活動をしなきゃならんのか。と、思うも、一ヶ月以上経ってるとはいえ活動するって言っちゃった事実を自分に言い聞かせる。口約束でも守らなきゃいかんよね。めんどくせえ。
 プレハブまで進みながら考える。本当は全く来る気がなかったんだけど、部長には聞きたいことがある。部長が書いたと言うノートには、隕石と不可解な事件の関係を臭わせるようなことが書いてあった。俺が楠木ビルに行って初めてわかったことも、ノートには既に書かれていたというわけだ。……つまり、部長は“あっち”系の危ない奴等との関わりが少なからずあるんだと思う。
「ぐ、ぬううううう」
 ここまで考えておいて、俺はプレハブの扉を開けることに躊躇していた。だって部長とかマジ怖いし。俺なんかがなめた口利いたら病院送りじゃすまないっすから。ぱねぇっすから。けど、知りたいという気持ちも強い。なんというジレンマだ。間違いなくどっちを選んでも俺は苦しむ。
「ああああどおしよおおおおおお」
「――うるさいったらありゃしないわね! 誰なのよ!」
「げぇっ! 部長!」
 俺が悩みながら奇声を上げていると、プレハブの扉が開いて、部長が怒鳴りながら出てきやがった。さすがの俺も心臓いわゆるハートがきゅんきゅんしてしまう。つまりビックリした。ついつい“げぇっ”とか言っちゃった。
 部長は俺の姿を見ると、あからさまに嫌なものを見る目で見つめてきた。俺も負けじとあからさまに嫌な表情を浮かべる。
「……なんだ、誰かと思えば幽霊部員君じゃない。何しに来たのよファッキン」
「ファッキンて。ファッキンて。人がわざわざ約束を守りに来たのにファッキンて」
「約束ぅ?」
「ええ、幽霊部員という汚名を返上するべく、きちんと活動するというアレっすよ」
「いや、それ言ってから一ヶ月以上来なかった奴が何を今更のこのこと」
「それはまあそれなんすよ。なんで一ヶ月も来れなかったか、多分、その理由を聞けば部長も納得するどころか興味がバリバリ沸いてくると思うぜよ」
「ほー」
「そんなわけで、まずは部室の中に入らせてください。寒くて死にます」
「……まあいいか。とりあえず入りなさいな」
 半分呆れたように、部長が部室へ戻る。俺は心の中でガッツポーズを決めながら、部長に続いた。と、鍵を閉めろと言われたので、閉める。閉める必要性がわからんわ。
 いい具合に暖房が効いてる部室に入ると、まず、以前見た時と同じように何かの本を読み耽っている女の子が目に入った。確か、そう、確かね、確かともちゃんとか言ってた気がする。俺にフルネームを覚えろと言うほうが悪い。
 部長は作業の途中だったんだろう、机の上に新聞が乱雑に置かれてる席に座ると、ハサミを手に記事を切り抜き始めた。立ち尽くす俺。何度も思うけど、ここは俺の場所じゃない気がする。なんかすげえ場違い感。普通に空いてる椅子に座ればいいだけの話なんだけど、なんかこう、な! ……座るか。
 右に部長、向かい側にともちゃん。そんな場所に座ると、俺は呆けるしかなかった。いや、来れなかった理由を話せばいいんだけど、それを条件に入れてくれた部長から話を切り出してもらわないと、すげえ喋りづらい。だって部長ったら俺に構わずなんか作業してるし。ともちゃんはともちゃんで俺のほうを一度も見ることなく本の世界にダイブしてるし。すげえ気まずい。
 まるでピクルスを抜いたと思ったハンバーガーにもう一枚ピクルスが入ってたような気持ちに駆られて、ついつい奇声を上げたくなるも、なんとか自制。とりあえず仕切りなおすつもりで、俺は部長に話しかける。
「ぶちょー、話があるんですけどいいっすか」
「百文字以上話されても頭からこぼれるわ」
「聞く気が無いんですね」
「そうとも言うかもしれなくもないさね」
 手強い。
「じゃあ勝手に独り言を話しまくるけど別にいいですよね」
「……」
「いいですよ独り言ですよもういいですよ喋りますう! それというのもですね、俺が一ヶ月も学校に来れなかったのは」
「ちょっと静かにして欲しい、です」
「だよねー、ともちゃんはわかってるわねー、ちょっとこの子うるさいよねー、ちょっとどころじゃないよねー、幽霊部員のくせに自己主張激しいよねー」
 俺が仕切りなおそうと色々なものを振り絞って喋ったにもかかわらず、ともちゃんが単刀直入に気まずくなる一言を俺に放つ。もちろんこっちは見てない。部長が面白がって何か言ってきてる。もちろんこっちは見てない。もうやだこの部屋。
 そんなこんなで数十分。興味がバリバリ沸いたはずの部長は話を聞く気がないようで、結果、ここにいる意味が全く無い俺はダンボールを漁りながら隕石の資料を読むことしか出来ないのであった。まる。



「さて、と」
 本棚にあった『大図解・宇宙のふしぎ』というタイトルの分厚い本を読みふけっている俺。意外と面白い。しかしながら、おざなりに設けられた窓の向こうは既に暗くなろうとしている。そう、意外と面白い本なんかを読んでいる場合じゃないんだわ。
 ちらっと部長の方を見れば、首をバキバキ鳴らしながら一仕事終えました的な表情を浮かべている。話すなら今しかない。
「部長! そろそろお話を聞いてもらってもよろしいでしょうか!」
「却下。と、言いたいところだけど、暇になってしまったからには聞かなきゃいけないわよね」
 やれやれ、と。部長は明らかに面倒くさそうに机の上に散らばっている新聞紙を片付けながら言った。とんでもなく嫌そうだけど、そもそも部長が俺の話を聞くために部室へ入れたようなもんだよね。それを忘れたらいけないよね。部長は忘れてるわ。
「じゃあ話しますけど、その、“あれ”に書いてあるようなことをともちゃんの前で喋ってもいいんですか? 結構ディープでスプラッタな話ですよ」
「あー、まあ、なんとなく私も幽霊部員君が何を話そうとしてるかわかるわ。ともちゃんは“それ”系の子なんで、心配せずに話しなさいな」
「……」
 “それ”系と言われた当のともちゃんは、相も変わらず図鑑を読みふけっている。何がそんなに楽しいのかわからんが、なによりもわからないのは俺の話すこと、つまり能力やら隕石やらの話に関係しているという点。なんだかきな臭くなってまいりました。
「それじゃあ話しますけど、一ヶ月前、楠木ビルに拉致られたんですよ、俺」
「ほー。ということは、幽霊部員君も何らかの形で隕石に関係してるってことか」
「幽霊部員は認めますけど、俺は相羽光史です。相羽光史です。というか部長ってば色々知りすぎてて怖いんですけど」
「まあねえ。話の腰を折って申し訳ないけど、私も相羽君と同じく拉致られたことあるし」
 まじかよ。
 いかにもそれが普通だと言わんばかりに、部長はあっけらかんとそんなことを言う。やっぱ俺の周りって変人しかいないわ。
「あの、その、はい。じゃあ全部話さなくてもわかりますよね」
「んー。でも相羽君が一ヶ月も入院していた理由はわかんないわね。私が楠木ビルに行った時は隕石に触っただけだし」
「隕石に触った? いや、まあ、その前に俺の入院してた理由ですよね。それというのも俺の場合は検査とかいうものをされそうになってたんですけど、途中で実験体とかいうのが暴走してらしくて、そのまま成り行き上ボッコボコにされましたというだけの話です」
「検査、か。どう思う、ともちゃん」
 ボッコボコの部分をあえて無視したのかはともかく、部長がともちゃんに意見を求める。ここまでの無口っ娘がそう簡単に喋るかね、なんて思っていた時、ともちゃんが図鑑から目を離して俺のほうを見てきた。なんか照れるので微妙に視線を逸らしとく。
「幽霊部員先輩は、ファースト。私たちはセカンド。……です?」
「え、聞かれても困る。それと俺は相羽光史です。相羽光史ですから」
「君に聞いてんじゃないのよ。と、確かにその線が濃厚っぽいわね。とりあえず、これ以上深い話をする前に、相羽君の意見というかこの先どうするか、という話を聞いてみますかね」
 そう言った部長が、おもむろに机の上に置かれていたコーヒーの缶を手にする。
「相羽君の話を聞く限り、中々に深い辺りまで巻き込まれてると思うんだわ。でも、思うにこれ以上は自分から頭を突っ込まない限り、巻き込まれることは無いと思う」
「はあ」
 それとコーヒーの缶がどう関係してるんだよ、と、言いそうになるも堪える。
 部長が言っているのはつまり、これ以上知るとどうなるかわかりませんよ、ということだと思う。実際に言われてみれば、確かに俺はどうしたいのか、なんて考えてもいなかった。とりあえず気になるから調べるか、程度。そもそも知ってどうなるかなんてわかんねえし。
 俺の気の抜けた返事を聞いて、部長がコーヒーの缶を目の前に掲げる。そして、そのまま缶を“縦に”潰してしまった。そう、いわゆるスチール缶。やけに硬いんだけど、それを親指と人差し指で難なくぺったんこ。ぺきっ、なんてしょうもない音一つで、それをやってのけた。さすがの俺も目を丸くするというか、これこそが部長のあまりよろしくない噂の元だったのかあ、なんて悠長に考えてしまう。
 曰く、片手一本でこの高校に蔓延る不良共を病院送りにしただとか。曰く、うちの高校にある鉄棒が不自然なくらいに曲がっているのは彼女の所為だ、とか。……どれもとんでもない怪力があってこその話なんだけど、目の前でこうも見せ付けられてしまうと、どれも本当の話なんだなあ、と思えてしまう不思議。
「まあ、拉致された結果がこれ。女としちゃあ助かる部分もあるけど、困る部分も多いわけで。それなりに楠木コーポーレーションは許せないわけよ」
「そ、そうでしょうねー」
 ちょっとどころかとってもビックリしてしまった俺は、思わずどもりながら答える。やっぱ部長こわい。傍で見ていたはずのともちゃんを見れば、これまた見慣れているのか、平然としている。なんともかんとも。
「深くは聞かないけど、楠木コーポーレーションに“何か”されたのなら、私と同じ目的かもしれない。で、相羽君はどうしたいのか、って話」
「好奇心で知りたいとは思うけど、その、どうしたいかってのはなあ。結果的に怪我はしたけど、直接なにかされたってわけじゃないし。拉致はされたけど」
 自分で言っておいてなんだけど、拉致程度ならどうでもいいという考えにちょっと変人臭。ああ、ちょっとどころじゃねえわ。けどなあ、間違ったことは言ってないよなあ。
 そんな変人臭のする俺の言葉を聞いても、部長は特に顔色を変えるわけでもなく、潰した缶をゴミ箱へ投げる。ホールインワン。思わず俺は無言で拍手。
「ありがとう、ありがとう。とまあ、そんなわけで相羽君、黙って私達の仲間になりなさいな。悪いようにはしないよ」
「え、どんなわけでそうなるんだよ」
「流れ的に」
 もう丁寧語とかどうでもいいと思えるくらいに、部長が突拍子もないことを言う。こっちとしては目的なんかありません、知りたいだけです、楠木コーポーレーションと敵対するつもりなら勝手にやってください、的な意味を含めて言ったつもりなんだけど、返ってきたのはそんな言葉。正直に言わせてもらえば、あんなでかい会社に対して、ただの学生風情が敵対とか失笑ものだわ。平気で人を拉致るんだぜ。明らかに頭がいっちゃってますわ。でも目の前でとんでもない怪力っぷりを見せ付けられた身としては、そんなこと、口が裂けても言えるわけないよね。卑怯だ!
 というか仲間ってなんだよ仲間って組織かよ学生風情のくせにおっかねえ。
 悶々としながら黙っていると、部長が口を開く。
「なんつーのかな、最近になってやけに楠木側の動きが活発になったというのか、“ここ”にまで手が及んでるのよ。ストーカーとまでは言わないけど、何度かつけられてるしねー」
「え、それってなんだか危ない匂いがぷんすこするんだけど」
「だよねー。なもんだから、事情を知っている人はどんどん仲間に引き入れたいなあ、と。そゆこと」
「謹んでお断り致しますです」
「手強いわね」
 なんてことを言いながら、部長は溜め息を一つ。期待を裏切って申し訳ないけど、さすがの俺も怖いことを見せられたり聞かされたりした後で“それ”と敵対するような立場になるのは無理だわ。さすがにね。さすがに怖いよね。無理だよね。
 少しの沈黙。お互い喋ることは喋ったというか、これ以上は平行線になりそうというか。だからと言って警戒しているわけでもなく、普通の沈黙。なんとなくともちゃんを見れば、俺がここに来た時から全く変わらず、黙々と図鑑を読んでいる。ほんとに好きなんだな。まあ俺のカレー愛のほうが凄いけどね。負ける気がしないわ。
 と、くだらないことを考えていた時だった。不意にノックの音が、狭いプレハブ小屋の中に響いた。図鑑を読んでいたともちゃんを含め、部室の中にいた俺たち全員が扉を見つめる。そこで気付いたけど、外はもう暗くなっていた。もう冬だしね、放課後にゃ夕暮れ、帰る間際になれば夜も同然だわな。で、そんな時間にお客さんとはこれ如何に。不穏なことをさっきまで話していたのも相まって、なにやら怪しい感じがするでござる。
「こんな時間に客とは、怪しいでござる」
「面倒だから口調には突っ込まないけど、とりあえず相羽君、応対してちょうだいな」
「ええ! 俺ですか! とっても怪しいでござるのにですか!」
「いいから出てきなさいよ! 腐っても部員でしょうが。早くしないと君を縦に潰してゴミ箱に捨てるわよ」
 お腹と背中がくっ付くどころじゃねえ……。
 仕方ねえなちくしょう。俺は部長に非難の視線を向けながら立ち上がると、扉まで向かう。というか、やってきた奴は分厚い扉じゃねえんだから用件を言えばいいものを。黙ってられると怖いわ。
 俺は扉の鍵を開け、嫌々ながらも扉を開けながら口を開く。
「はいはいどうもこちら天文部で……すぅうええ」
 扉を開けて、冷える外気を受けながら、やる気のない応対文句の語尾を頼りなく延ばして、俺はその場に立ち竦む。
 それというのもそれだ。月の光に照らされた寒空の下、扉の前に居たのは、見間違えるわけがない、てっかてかの銀髪を携えた銀髪女だったからだ。もちろん手には銃が握られている。もちろんと思えるくらいコイツとはろくな会い方をしてないからな。つまり、今回もろくなことにはならないだろう。とんでもハップンだよ。学校に来てないと思ったのに。今の今まであえて思い出さなかったのに。のにのに。
「ちょっとー、相羽君、誰なのさ」
 後ろから間の抜けた部長の声が聞こえてきた。が、返事をする勇気がない。こんな至近距離に銃を持った奴がいるんだぞ。一ヶ月前は余裕で撃たれたんだぞ。痛いんだぞ。怖くて動けねえよファック。
「――また、会ったわね。まさかあんたが“ここ”にいるとは思わなかったけど、手間が省けたってことか」
「と、とりあえず落ち着こうぜ。俺に敵意は無いわけですから、まずはその手に持った銃をしまうんだファッキンビッチ。話はそれからだ」
「話なんて無いわ。それと微妙に隠してない敵意は突っ込んだほうがよさそうねシット。……いえ、そんなことを話に来たんじゃないのよ!」
 ノリノリじゃねえか。
「……楠木ビルに行って無事に帰ってきたってことは、あんたも“変わって”いるのでしょう? じゃあ」
 ガキッ、と。一つの音が聞こえた。いつも通り下らない事を喋っていたら何とかなるだろうと思っていた矢先の出来事。油断しまくっていた俺に向かって、銀髪女が銃の引き金を引きやがったわ。もう無理。死んじゃう。死んだわ。
「ところがどっきんこ、死んでないぜ! なんで! ふしぎ!」
「……~~~! な、なんでジャムってんのよ、ありえない! ちょっとあんた、そこで立ってなさい。すぐに直すから」
「さすがの俺でもそれは出来ない話だわ」
 かちゃかちゃと銃を弄くっている銀髪女に背を向けて、俺は部室に逃げ込む。で、気付いた。よくよく考えなくてもわかる、逃げれてねえ。むしろ袋のネズミってやつだ。出入り口に立ってるんだもんあの女! 無理無理、女を押し倒していくとか無理無理! 女怖い!
 と、尋常ではない勢いでバックステップを決めながら悩む俺を部長が見ていた。不審者を見る目だね、あれは。
「待ってくださいよ部長その目やめてくださいよ。それよりも、とにかくここはめっちゃデンジャーなゾーンになったんで逃げるべきです」
「いきなり挙動不審なことをして何を言うかと思えば、そりゃまたなんでさね」
「いや、見てくださいよ出入り口。オートマチックな銃を持ってる俺よりも不審っぽい不審者がいるじゃないですか」
「あー。ほんとだわ。とんでもない客人を入れたようだわね」
 部長と一緒になって銀髪女を見れば、まだ銃と格闘しているようだ。隙だらけ過ぎる。これは逃げざるを得ない。
 思い立ったがなんちゃらだ、俺は傍でこんな状況になっても図鑑の世界へダイブしているともちゃんの手を握る。
「……? なんです、か? 今、ちょうど北斗七星の説明がいい感じ、なんですが」
「死兆星がバリバリ光ってることに気付けよ。逃げるんだよ。撃たれるぞ。痛いぞ」
 てーれってー、なんて脳内に鳴り響く音を振り払いつつ、ともちゃんが立ち上がるのを待ちながら俺は銀髪女が立つ場所以外の出口を捜す。一瞬で見渡せるほどの狭い部屋だ、もちろん一瞬で出口が一つしかないことを把握した。おわっとる。
「――くそっ、このポンコツめ! いいわ、別に銃が無くとも!」
「え、反則くせえ」
 そう言って銀髪女はスカートで隠れていた太ももから、一本のどデカいナイフを取り出した。どうみても刃渡り二十センチはかたいな。銃刀法違反っていうレベルじゃねーぞ。
 銀髪女を警戒しながらともちゃんが立ち上がったことを確認した俺は、すぐさま自分の後ろにいるよう促す。手に持っていた図鑑は優しく机の上に置いておくよう言い聞かせました。
「しかし神出鬼没すぎるだろ、どんだけストーカーなんだよお前」
「言っとくけど、私はここの生徒なのよ。別に不自然なことはしていないと思うけど」
「手にナイフ持った女が不自然じゃないとか、失笑もの過ぎて目からカレー出そうになったんだけど。いいからそこどけよ、もう帰るから」
「嫌よ、だって私は――って、なんで普通に会話させてんのよ! 死ね!」
 テンションたけえ。さすがの俺もこれにはついていけない。
 どうやら俺の類稀なる説得術は効かなかったようで、それどころかもっと怒らせてしまったようだ。銀髪女のいかりのボルテージがあがっていく。やべえ。
 どうしようもない。こっちは女の子一人庇う状態で、武器もなし。対して向こうはナイフだよナイフ。時代が時代なら職質受けて速攻取り調べられちゃうぜ。時代って今さッ!
「これまた、相羽君ったらえらい奴に狙われてたもんね」
 と、俺が色々考えてるけど結局何も思い付かなかった時、後ろから部長の声が聞こえてきた。そういえば部長のことをすっかり忘れていた。だってたくましそうだし。どこでも生きていける感じがするしな。
 そうやって失礼なことを考えていると、俺の前に部長が身を乗り出してきた。え、なにしてんの。刺されちゃうぞ。
「長谷川三央、か。うんこ男がいたのは予想外だけど、やはり貴女はここにいたのね」
「あらら、私のこと知ってるの。個人情報駄々漏れだわ。まあお互い様だけど。……察するに、ともちゃんと私を殺しに来たっぽいわね」
「え、マジで? 俺じゃないの?」
 俺がうんこかどうかは置いとくとして、部長の察するスキルの高さに俺は驚く。マジすげえ。てっきり俺を狙ってきたかと思ってたのに。
「さて、殺す」
「脈絡もくそもないわね」
 ぽけーっと二人を見ていたら、いつの間にか取っ組み合っていた。銀髪女が部長に突進、部長は華麗に横へ避け、身を翻した銀髪女がさらにナイフを突き出し、部長が銀髪女の手首を掴み取る。一連の動作が、ほぼ一瞬で終わってしまっていた。
 ここで閃く。出入り口側にはさっきまでとは違い、部長が立っている。つまり、逃げ出すチャンスがついに到来したということだ。だけど、問題はこのプレハブ小屋の狭さ。ちょっと振り回すだけで、銀髪女が持つナイフは届く。つまり、これはタイミング勝負というわけだな! むり!
 俺はさっきよりも近い距離にいる銀髪女から離れようと、後退する。と、背中に何かがぶつかる。振り向けば、ともちゃんが机に置いといたはずの図鑑を両手に抱きしめながら呆けていた。ちんまいわ。可愛いわ。でも見た目ロリは無理。
「おいおいお、逃げるぞ。ここは何となく部長が何となくなんとかしてくれるぞ」
「……そうなんですか?」
「そうなんです」
 問答無用でともちゃんの手を握ると、俺は机を回り込むようにして部室から出る。どうやら部長が上手く銀髪女のことを抑えてくれたようだ。助かった。
 月明かりの下で冷たい空気を一気に吸い込み、吐く。落ち着いたぞ。冷静になったところで、振り返る。
 扉が開けっ放しの部室の中、こう、警察を犯罪者を押さえつけるように、部長は銀髪女の背後に回りナイフを持った腕を捻っていた。うめえ。
「残念だけど、相手が悪かったわ。こう見えても私、合気道をちょこっとかじってるのよ。加えて怪力だしね。素直に降参したほうがいいと思うわけ」
「く、ぬ、ぬ」
「この怪力、まだ慣れてなくてさ、あんまり暴れられるとポッキリやっちゃいそうでこわいわ」
「……ぐ、調子に、乗るなぁっ!」
「うええ」
 銀髪女は叫ぶと同時に床を力強く蹴り上げ、捻られている方向とは逆に宙返りをかました。さすがの部長も目の前で大道芸人みたいなことをされては目を丸くするしかなく、一瞬の隙に立場を逆転させた銀髪女の顔に笑みが走る。
 さっきまでとの構図とは逆……いや、むしろ喉元にナイフを突きつけられているという状況から見て、手ひどいカウンターを食らったような。つまりは命に危険性のある状況なわけで。もちろん俺は何も出来ないわけで。まずい、まずいぞ。
「や、ちょっと落ち着こうじゃないのさ。あんたの腕をしゃっきりぽんとか言っちゃった私が悪かったわけだし、ほら、ここは謝るから穏便に話し合いでジャッジメント的な何かを」
「今すぐ黙らないと喉を縦に切り裂くわよ」
「むきゅう」
 部室の外まで聞こえていた詰り合いも、銀髪女の一言で途切れる。まずい、端から見なくてもこれはどっちかが死んでしまうような気がする状況だぞ。どうにかしないといけないな。けど、どうするんだ。どうすりゃいいんだ。何度も何度も思ったことだけど、こういう状況で俺は何も出来ないわけで。いや、しようと思えばあの状況に突進してもっと悪化させるくらいのことは出来ると思うけどな。悪化させちゃダメだよね。というかこうまで思っといてなんだけど、俺だって自分の命は惜しいわけで。俺が突っ込んだら真っ先に殺されちゃいますよ。デスですよ。
 終わらない思考に悩まされている中、不意に制服の袖を引っ張る感触。つられて見れば、無表情のともちゃんが袖を引っ張っていた。なにすんだよ。
「なにすんだよ」
「……助けないんですか?」
「いや、無理だわ。むしろともちゃんこそ秘められたパワー的なアレでこの状況をなんとかしてくれよ」
「私のは無理、です」
「私のはってなんだよ私のはって。あるのかよなんかあるのかよおっかねえ」
「……無理?」
「無理!」
 俺が一言簡潔に言い放つと、ともちゃんはひどく残念そうな表情を浮かべて、俺の服から手を離した。なんだよ、無理って言ったら無理なんだよ。後味悪いわ。
 なので、俺は走っていた。悪化させるとか下手な想像して何もしないよりは、未知なる可能性に賭けてみるのもアリかな、ってね。へへっ。俺めっちゃかっこいい。今輝いてる。何も考えないで走ってるけど、正直何も考えてない。何も考えてないけど、まあ、なんとかなりそうな気がしなくもない気がしたんだよ。
 走ってくる俺に気がついたんだろう、銀髪女が部長から目を離し、俺を見据えた。うわこええ。殺す気むんむんの目ですよあれは。と、銀髪女は俺から目を離した。なんで? そのまま空いた手で部長の胸元を掴み寄せ、いや、それはまずいんでないの。部長がキルユーされちまうぞ。……と、走りながら悠長に思う。
「やっぱり殺すわけ、殺すわけね。わかります。はい」
「いいえ、“今は”殺さないわ。その代わり、動かないでくれるかしら。私の目を見て」
「え、私そっちの気は無いんだけど。でもナイフを突きつけられては拒否できない悲しい現状」
 もうすぐ、もうすぐで届く。届く、が、目の前ではなんとも百合百合した光景が広がっている。ここはどうすればいいんだろうか。黙って鑑賞しておくべきだろうか。二人とも黙っていれば美人の部類に入るわけで、端から見ればそれはもう秘密の花園的な、はい、今考えることじゃないよね。でも目の保養にはなるわ。
 部長と銀髪女の顔があと数センチでくっ付きますよ!! と、そんな危ないやら嬉しいやらの瀬戸際、銀髪女が口を開く。
「――ブラック・アウト!」
 一言。俺の耳に入ってきたのは、そんな一言だけだった。全く意味がわからない。ドイツ語で“殺すぜ!”という意味なんだろうか。どう考えても英語です。問題は、なんでそんなことを言ったのか、という点だよね!
 ずざあっ、と部室の扉まで辿り着いた俺は、部長を見据えつつ銀髪女との距離を測りながら口を開く。
「おい、とりあえず話し合いといこうぜ。もう俺がうんこなのは認めるからさ。とりあえずカレーを語ろうじゃないか。お前に宇宙を見せてやれるぞ」
「……それもいいわね」
「そうかやっぱり俺を殺すか。って、なんでやねんっ!」
 ふう、あまりに銀髪女らしくない返事だったもんで、慣れない一人ノリツッコミをしちまったぜ。自分でなんだけどすげえ寒くなった。もうノリツッコミとか絶対しない。人生初めてのノリツッコミがこの場でよかったぜ。
 と、そんなことを考える余裕があるほど、銀髪女は何かをする気配がなかった。まあいい、銀髪女は置いておこう。それよりも、銀髪女に胸元を捕まれたままの部長が動かないことに注目してみよう。そうだ、先ずはそこを考えるべきだったな。うん。
「おーい、部長。生きてるならちょっと一人ノリツッコミしてみてよ」
「……うぇー。ここは天国地獄かそれともって喋ってる時点で死んでないやんけ! わはは!」
「すげえ」
 とりあえず部長は生きていた。やっぱ死ぬ気がしねえわこの人。
「銀髪女さん、部長も生きてることだし、ここは人質なんて汚いものを捨ててからお話しませんか」
「いいわよ。どうせ、しばらくは動けないでしょうから」
 と、なにやら不穏なことを言いながら部長のことをこちらに投げるようにして放す銀髪女。よしよし、なんだかわからんが人死には無いようだな。よしよし。
 地面に転がってしまった部長に肩を貸して、俺はじりじりと銀髪女から離れるように後退する。
「あー、幽霊部員君、やばいわー」
「記憶の混濁が見られますね。俺は相羽光史です。相羽光史です」
「……ああ、相羽君ね。いや、知ってるから。それよりも目が見えないんだけどどうすればいいと思う?」
「え? マジで? どうすんの? 色々不便になりますね」
「ええ!? 一生このまま!? 不便っていうレベルじゃないわよ!」
 部長と漫才じみたやり取りを交わしながら、目を見てみる。瞼は開いてるんだけど、なんか白目がない。真っ黒。すんごくエイリアン。端的に表せばきめえ。
「大丈夫よ、数時間も経てば治るわ。それよりも、私と“お話”するんでしょう? どうしたの? このまま殺されたいわけ?」
「え、あ、ちょっと待って! 部長捨てるからちょっと待って!」
「捨てるの!?」
 ひどい! と部長が腕を振り回す。やべえその怪力で腕を振り回されたら俺の頭蓋骨でも木っ端微塵になる自信があるわ。というわけで、冗談だったけど若干本気で部長を捨てて、俺は銀髪女に向き直る。鈍い音と共に“ひぎぃ”とか声が聞こえたけど気にしない。
 見れば銀髪女は、部室の中、さっきまで部長が座っていた椅子に腰掛けていた。くつろぎまくってんじゃん。
 怖すぎて足がガクガク震えてるけど、隠そうともせずに俺は部室へ入り、ついさっきまで暇を持て余していた時に座っていた自分の席に座った。
 どうしよう。お話するとか自分で言っちゃったけど、なんも考えてねえわ。というか話すこと無いわ。逃げたい。無性に逃げたい。
「で、話って?」
「いやちょっと待って今ちょっと待って。ちょっと待って」
「さすがの私も良心というものがあるわけで、これから殺す相手が話す最後の言葉くらいは聞いてあげようと思ったんだけど、これ以上待たせるのなら、すぐ殺すわ」
「そうやって宣言とかしちゃってるから毎回失敗するんだと思う。王道的に考えて」
「……ま、まあ、そういう考え方もあるわね」
 怒るかと思ったら、割と本気で動揺する銀髪女。いや、別に動揺させたってなんもなんねえよ。問題はここからどうやって逃げるか、そこが重要だってのに。でもなあ、どうしようもないよなあ。ここからどうやって銀髪女を無力化させればいいんだ。
 俺は男だ。相手は女だ。常識的に考えて俺が勝つ。でも、銀髪女の手には今も大道芸人みたいにクルクルと回してるナイフがあるんだよね。あれが問題だ。……だめ、無理、なにも思いつかない。死ぬわ。これは死ぬわ。
「だ、だろー! 実は前々から気になってたんだよ! もう少しその詰めの甘さをなんとかすれば、もう今日からキルゼモーゥってやつだよな!」
「やっぱりそう思う? ほんと、大事な時に限って詰めが甘いというか、不運に見舞われるのよねー、最近」
「で、ですよねー」
 わはは。とりあえず話を続かせて、二人で笑いあう。
「――アンタに会うまでは、こんなことはなかったんだけどね」
 ぴたりと、一瞬でも和気藹々としていた空気が凍りついた。……銀髪女は笑っていたが、目は笑っていなかった。そう、まるで肉体が凌辱されようとも心は死んでいないような、そんな輝きがあった。我ながら卑猥な例えだ。えっちなのはよくないね。
 気を取り直して、俺は銀髪女の目を見つめる。多分――いや、かなりの確率で銀髪女は俺を今すぐ殺せるはずだ。けど、それをしない。今言っていた“アンタに会うまでは”、という一言。それは少なからず俺のことを危険視しているのではないのか、という結論に辿り着く。俺が危険視されるほどの戦闘力を持っているとはとてもじゃないが思えないけど、銀髪女が勝手に勘違いをしてくれているのなら好都合、俺は話を続けるだけだ。
「それはどういうことだね」
「なんで偉そうなのよ」
「いや、それを言ったらお前は最初に会った時から偉そうだったぞ」
「子供じゃないんだから、“ああ言えばこう言う”なんてこと、しないでくれるかしら。アンタの方が偉そうだわ」
「舌の根も乾かぬ内にってのはこういうことだったんですね!」
「なによ」
「そっちこそなんだよ。帰れよ。もう帰れよ」
 無言で睨みあう。こうして見れば、銀髪女だって女の子。多少九割くらいに目を瞑れば、可愛いと思える容姿をしているわけなんだよね。ちょっと貧乳だけど。胸の辺りをちら見しながら、俺は心の中で合掌する。
 してる場合じゃねえ。今すげえどうでもいい事考えてた。こんな漫才じみたことをやっている暇があったら、無駄だとわかってても銀髪女と交渉すべきだわ。だわ。
「で、こうして睨み合ってても何も解決しないので、そろそろお話をしたいと思う」
「今のがそうじゃなかったわけね。危うく殺し始めるところだったわよ」
「言っておくが、俺は別に最後とか意識してないからな。死ぬ気は全く無いからな。……というわけで、ひとまずともちゃんと部長を逃がしてもいいですか」
「アンタが今すぐ死ぬんなら考えてもいいわね」
「会話のキャッチボールしようぜ。今のがどうなったら俺が死ぬことになるんだよ。頭おかしいんじゃねえの。お前が死ねよビッチ」
「今の暴言は聞き逃したことにしてあげるから、もう一度言うわ。私は、アンタと、この部屋の外で縮こまっている二人の女を殺すために来たわけ。わかる? どっちにしろ、全員殺すのよ。選択権は私にあるわ」
「その殺す理由がわからねえってんだよ。せめてなんで殺すか教えろ」
「じゃあ冥土の土産に教えてあげるけど、メテオ・チルドレンを殺すことが私の生きる目的なの。それ以上でも以下でもない、アンタ達が“変わっている”時点で、唯一変わらない事実なのよ」
 いつになく饒舌な銀髪女の話を聞きながら、俺は現実と戦っていた。俺は銀髪女を――いや、正確には銀髪女の背後を凝視する。そこには宇宙やら隕石やらの神秘が詰まったダンボールが棚に置いてあるわけなんだけど、そのダンボールの一つが“浮いていた”。必要以上に瞬きしたり、激しく貧乏ゆすりをかましたりするも、目の前の現実は変わらない。文字通り、現に、ダンボールは銀髪女の頭のすぐ後ろで宙に浮いていた。
 別に浮いていること自体にはあまり驚かない。そりゃあ開道寺や実験体とかいう物騒なもの、部長の怪力なんかを見ていれば、ダンボールが浮くくらい大したことはない。けれども、それがなんで今、ここで、こんなタイミングで浮いているのか。それがわからない。
 とりあえず、銀髪女にとっては黙っている俺が自分のことを凝視しているように見えるので、口を開く。
「冥土の土産とか言っちゃってるけどさ、それって完璧に悪役がやられる前フリだよな」
「それがどうかしたのかしら」
「いや、今からなにが起こるのか俺もいまいちわからないんだけど、お前にとっては良くないことが起こるんだろうなあ、と」
「なにを――っ!?」
 不意に、ダンボールが移動した。行き先は、同じ高さにあった銀髪女の頭。上手くいけば銀髪女の頭にクリーンヒット、俺は棚から牡丹餅的な逃走機会を得られていたんだろう。しかしながら現実はこうも不条理で、ダンボールが当たる寸前で何かを察知した銀髪女がダンボールをナイフで切り落とし、もんのすげー怒った顔で俺を睨みつけていた。今ここ。
「アンタが、やったの?」
「いや、俺も何が起こってるのか全く把握出来ないのに色々と進んでて理解しようと頑張ってるとこ」
「人をどこまで馬鹿にすれば!」
 さすがにもう俺と馬鹿話する気はないらしい。おどけた口調で返事をする俺に、銀髪女はナイフを振り下ろす。そのまま俺の頭とかどっか急所的なところにぶっ刺されるかとも思ったんだけど、これまた現実は不条理だった。どこからともなく飛んできた潰れたスチール缶が銀髪女のナイフを持つ手に直撃、そのままナイフは部室のどっかに落とされてしまった。今ここ。
 どうしよう。俺は頭を抱える。いや、目の前の銀髪女はもう脅威じゃないからな。これで思う存分悩めるわけなんだが、うん。……どうしよう! 何が起こってるのかわかんない!
「――困るんだよね、ガーラック。相羽光史は僕達にとって必要な存在だ。勝手に殺されちゃ、あの人も黙っちゃいないよ」
 どこからともなく聞こえた声に、俺は頭を上げて顔を向ける。開かれた部室の扉、その向こう。とっぷり陽が暮れ月が出てる夜空の下に、ちょっとショタっぽいイケメンが立っていた。
 あ、今日感じたばかりの劣等感。




次回:第八話『自慢じゃないが、俺は何の能力も無いぞ』




       

表紙

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Neetsha