Neetel Inside 文芸新都
表紙

誰がクマさんを殺した!?
誰がクマさんを殺した!?

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 今日も良い一日だったわい。
クマさんは、照明を落とした部屋で一人ソファーに腰かけながら、そう思った。
グラスに自分で作った蜂蜜酒を注ぎ、少し振った後、一気にあおる。
「ぷはぁあ。わしの作った蜂蜜酒は今宵も格別に炸裂しとるわい!」
クマさんの言葉が、薄暗いワンルームの部屋に響き渡る。
クマさんは顔を天井に向け、自分の体にアルコールが沁み渡っていく感覚を楽しんだ。
今夜は妻のツキノワグマである、ヴィクトリアもいない。
彼女は、仲の良いメスグマ達で作ったサークル、「蜂蜜狩猟の会」の狩猟旅行に二日前から行っている。
だから、今彼は一人、自分だけの時間を楽しんでいた。
いつもならば、自分の寝る前の習慣である蜂蜜酒も、ヴィクトリアに注意されていたが、今夜はいないのだ。
たまにはこういう風に、一人でゆっくり晩酌できる日も、悪くない。
上機嫌になりながら、クマさんは目の前のテーブルに置いてある、書類を手に取った。
本日の営業売上が書かれたその紙を見ながら、さらに酒を啜る。
今日も、蜂蜜の売り上げは上々だった。お客の反応もすこぶるいい。
クマさんは、顔に愉悦の色を浮かべた。
書類を無造作にテーブルの上に放ると、さらに深く腰掛けた。
さらにもう一杯酒をあおる。
「さて…今日も日課のマーキングタイムでもしますか」
 言って、クマさんは右手を下腹部に向かって伸ばした。
「うん…?」
不意に、視界がぼやけた。
クマさんは大きな手で、目をこすると、少し上体を起こした。
体が、ふらふらするのを彼は感じた。
酔いが回ってきたのだろうか。
クマさんはぼんやりと思った。
だが、だんだんと体が熱くなってきているし、何か、呼吸も荒い。
その時、クマさんの体が震え始めてきた。
「はふ…!?はふはふ…!!?」
体がさっきよりも熱く、呼吸もかなりつらい、なにより口がうまくまわらない。
視界も異常にブレはじめ、もはや自分の体が今、まともな姿勢でいられるかもわからない。
「…っひゅっ!ひゅう!」
体の周りを、何かが這っているかのように、痺れが全身を駆け巡っていく。
「か…体が…!!っだっ…誰か…!!」
立ち上がろうとしたが体がうまく制御できないせいで、そのまま前に倒れこんでしまった。

――なんだこれは、どういうことだ!?

混乱の極致にある頭のなかで、彼はひたすら思った。
ただの酔いではないことは明白だが、彼にはどうすることもできなかった。
「はふっ…はふっ…!!」
手足を天井に向かって、助けを求めるようにバタつかせることしかできず、もはや彼の意識も消えかかろうとしていた。


薄れゆく意識の中で、妻、ヴィクトリアの姿を浮かべ、そして、クマさんの意識は途切れた。

     



「た、大変だよっ!!大変だよぉーー!!!たいへんなんすよぉっ!!」
 静かだった小屋に、ジャンキーの大声が響き渡った。
扉を「バン」っと勢いよく開け放ち、コートを着たウェルシュ・コーギーが充血した目を浮かび上がらせ、涎をまき散らしながら、飛び込んできた。
「どうしたんだよ、ジャンキー? 大変なことなんて、この世には43個ぐらいしかないんだよ?」
 げっ歯類のカピバラが、うんざりしたような顔つきで、ソファーに腰掛けながら、声をかけた。
「そのうちの一つだよ!カピバラさん!大ニュースだよ、大惨事だよ!」
 涎を床にぼとぼとと垂らしながら、ジャンキーは顔を上げ、手に持っていた新聞紙をカピバラに突きつけた。
「何これ?」
 カピバラが怪訝な顔を浮かべた。
「読めばわかるよ」
「いや、いいよ。俺今違う新聞読んでるし」
 カピバラは、言って目線を自分の目の前で広げている新聞に戻した。
「また読○新聞?」
 ジャンキーは入口から、奥のソファーに座っているカピバラに近づきながら尋ねた。
「ああ、どうやら王監督が、引退するらしい」
「マジで!?」
 ジャンキーは大声をあげると、手に持っていた新聞紙を投げ捨て、カピバラに擦り寄った。
「ちょっ、近いぞ。離れろ、っつうかお前薬品くせぇぞ」
「ああ、ごめん。昨日遅くまで、薬を打ってたからさ」
 ぼとぼとと、涎をカピバラの肩に垂らしながら、答える。
「確かに、これは大ニュースだね。僕ビックリだよショックだよ!」
 カピバラが顔を上げた。
「だろう? それで、お前の言ってた大ニュースってなんだったの?」
 ジャンキーが、ハッとしたように眼を開いた。
「あっ!そうだよ、それだよ!忘れてたよ!!」
 ジャンキーは投げ捨てられ、床に放置された新聞を指さした。
「いやね、王監督に比べれば、どうでもいい話なんだけどさ。昨日、クマさんが死んじゃったらしいんだ」
「クマさんが?」
 カピバラは、立ちあがると、床に捨てられた新聞を拾い上げ、広げた。
「あぁ、ほんとだ。見出しに書いてあるな。確かにどうでもいい話だな」
「でしょ?」
「クマさんか…確かハチミツ屋だったよな? そうか、あのおっさん死んだのか。はっは、マジウケル」
 無感動な様子で、カピバラはぼんやりと呟いた。
「で、何で死んだんだ? 寿命か? 病気か? それとも人間に殺されたのか?」
 ジャンキーは読〇新聞を読みながら、ちらりとカピバラを見た。
「新聞に書いてあるけど」
 カピバラは持っていた新聞を放り捨てた。
「読むのがめんどくさくなったんだよ」
「なんかね。毒で死んだんだって」
「毒?」
 カピバラは眉を顰めた。
「うーん。昨日の朝、部屋の真ん中で、仰向けになって泡吹いてたんだって。なんか、蜂蜜酒を注いだ飲みかけのグラスに、毒が入ってたらしいよ」
 ジャンキーは机に読〇新聞を広げ、読みながら答える。涎が垂れているせいで、ほとんどが溶けかかっていた。
「自殺か?」
「わかんない。なんかアニマル警察は、自殺と毒殺の両方で、進めるって書いてあるけど。ほぼ毒殺だと思ってるらしいよ」
「なんで?」
「現場には、遺書もなかったらしいし、自殺するようなクマでも無かった。なによりも、不審な点があったんだって。ねぇ、この読〇新聞なんか文字がぼやけて読みにくいよ?」
 カピバラは溜め息をついた。
「てめぇの涎で溶けてんだよ。この腐れジャンキーが。で、不審な点てのは?」
 ジャンキーは怒ったように、顔を向けた。
「失敬な。涎なんか垂らしてないよ! あぁ、なんかね、窓が開いてたんだって。あと、蜂蜜酒に入っていた毒ってのがさ、致死性の猛毒の「マジシネール」の成分と酷似していてさ、これってすっげぇ苦しくなる薬なんだよね。普通、自殺には使わないよ。だから今、警察はくまさんが家を空けている間に誰かが侵入し、毒を蜂蜜酒の中に混入したんじゃないかってみてる」
 カピバラが、鼻をひくひくさせながら、手を顎に当てた。
「お前、よく知ってんだな。それもこの新聞に書いてあるのか?」
 ジャンキーは緩やかに首を横に振った。
「違うよ。新聞にはくまさんが死んだことしか書かれてないよ」
「じゃあ、なんで知ってんだよ?」
「ポリスメンからちょっと…ね」
 誇らしげに、ジャンキーが胸をはった。依然、涎は垂れ流されているが。
「そうかい。まぁ、どうでもいいや。俺には関係ないし。早く読〇の続きを見たいから返せ」
 カピバラが右手を突き出して、新聞をひったくろうとしたが、ジャンキーがそれを防いだ。
「まぁまぁ、こっからが面白いんだから、最後まで聞いてよ」
「なんだ?」
「いやね、もうアニマル警察はだいたい容疑者を絞ってるんだよね。とりあえず、ワン公どもは、奥さんのヴィクトリアと、親戚で、その家のオーナーのアライグマさん、そして、家政婦の町田さんの三人に事情聴取をとったんだって」
 カピバラは顎に手をあて、「ふむ」と頷いた。
「なんでその三人なんだ?」
「ヴィクトリアは妻クマだし、たいていこういうのは奥さんが犯人だって思ってるんじゃない? 保険金目当て、とか言ってさ。ほら、彼らバカだし」
 ジャンキーが、馬鹿にしたようにニヤける。
「あとの二人は第一発見者なんだよ。いつも朝食を作っている町田さんが昨日の朝に訪れたら、何の反応もなかったんだって。インターホンを押しても、呼びかけても何も起きないから不審に思って、合鍵を持ってるオーナーのアライグマさんを呼んで、中に入ったら、仰向けにぶっ倒れてるくまさんと、ごたーいめーん」
 ジャンキーは涎をまき散らしながら両手を大げさに広げた。
「外部の犯行の可能性をあいつらは思わないのか?」
「思わないんでしょ。バカだから」
「それで?」
「いつもクマさんは、蜂蜜の仕入れに夕方から夜まで家を空けてるらしくてね、その時間帯に誰かが入ったんだろうって。んで、アニマル警察は三人のアリバイを確認したんだよ。奥さんのヴィクトリアは、四日前から主婦サークルの、確か…ええと、なんだっけ? あぁ…そうだ、「蜂蜜狩猟の会」の旅行に参加してたらしくてさ、鳥取のほうに行ってたんだって。今日の昼に帰ってきたそうだよ」
 カピバラは時計を見た。時計の針は午後三時を示していた。
 ということは夫の死を新聞で知ったのか。
「クマさんの死亡推定時刻が一昨日の深夜12時過ぎ。アライグマさんはその日は夜の6時からずっと他のアライグマ仲間と、川で何かを洗ってたんだって。一応その二人は証人もいるし、ちゃんとアリバイはあるのさ」
「じゃあ残りの町田さんは?」
「そう。町田さん。彼女アリバイが無いんだよね。ずっと昨日は家にいたって言ってたんだけどさ。でも証人もいないし、なにより…」
 ジャンキーが「くくっ」と笑った。
「目撃されてるんだよね。近所の人に」
 カピバラが「はん」と声を上げる。
「なるほどね」
「クマさんが帰ってきたと思われるのが、午後9時頃。その一時間前に、クマさん宅の近くで何かしていた町田さんを見たっていう近所の人がいてさ」
「アリバイ速効で崩れてんじゃねぇかよ」
「そうなんすよ」
「じゃあもう犯人町田さんでいいじゃん。警察の皆さんハッピー☆バースデェ♪」
 カピバラが両手を上にあげて、やる気なく喝采をあげた。
 ジャンキーもそれに倣って、両手を上にあげた。
「警察のワン公たちもさ、それで町田さんを問い詰めて、アリバイを崩して、「もうこいつ犯人で良くね?」っていう雰囲気出しまくりでさ、容疑者として町田さんを任意同行で引っ張っちゃったんだよね」
 ジャンキーが見えないロープをひっぱるようなジェスチャーをした。
「町田さんは、容疑を全面否認してるんだけど、ワン公たちが今、吐かそう吐かそうと躍起になって取り調べの真っ最中なんだってさ。チャンチャン♪」
 クルッと回るとジャンキーは涎を垂れ流し、ポーズをとった。
 カピバラは満足したように軽く息を吐くと、ゆっくりとソファーに腰掛ける。
 机の上にあった読〇新聞に手を伸ばす。
「なるほどね。どうでもいい話にしては、なかなかに面白かったよ」
 拾い上げた読〇新聞が既にドロドロに溶けているのを確認すると、投げ捨てた。
「殺されたくまさんには少しばかしの冥福と、町田さんにはさらに少しの憐憫を」
 両の手を、祈るように組むと、カピバラは前を瞑った。
「っていうのが今回の仕事の概要なんだけどさ」
 カピバラがゆっくりと、目を開けた。
「うん…?」
「だから、今回の依頼っすよ」
 笑顔を浮かべて近づいてくる中毒者を、両手を前に突き出すことで制止させたカピバラは、困惑した様子で首をかしげた。
「ちょっと待て。誰からのだ?」
 ジャンキーが自分の顔を指差した。
「町田さんから」
「誰への?」
 今度はカピバラを指差した。
「カピバラさんへの」
 ジャンキーが指を交互に動かした。
「依頼です」
 カピバラは組んでた手を放し、頭をかくと、盛大に溜息をついた。
「なぁ…腐れ中毒者」
「なんですか?」
 尻尾をパタパタと振りながら、笑顔でジャンキーは答える。

「そういうのはさ、マジ早く言ってくんないかな」








     


 ダッフルコートに身を包んだカピバラは、無機質な、全面白で統一された廊下をペタペタと歩いていた。
 その後ろをだらしなく口を開け、涎を垂らしながらコートを羽織ったジャンキーがついてくる。
 やはり地下だからか、廊下の温度はとても低く、カピバラはダッフルコートの前をしめる。
 二人は今、アニマル警察の地下にある留置場の廊下を歩いている。
 カピバラたちはすぐに仕事の依頼主である町田に会うために、アニマル警察署を訪れていた。
 しばらく前へ進んでいると、看守らしきガタイのいい犬が机に何かを書きながら座っていた。
 カピバラたちが近づいてくるのに気づくと、すぐに立ち上がった。
「何か御用ですかワン?」
 カピバラは、一瞬考え、すぐに答えた。
「今、勾留されている町田さんに会いたいんだが」
「町田さんに、何のご用件ですかワン?」
「話したいことがあってね」
「誰かの面会許可は取ってありますかワン?」
「捜査一課のゲスー警部から許可をもらってる。ほら、あの厳ついブルドッグの」
「そんなこと言ったら警部が怒りますワン」
 看守が笑いながら、「ちょっと待ってください」と言うと、書類に何かを書き始めた。
 カピバラは目線を後ろに向けた。
 ジャンキーがにへらと笑う。
「それでは、こちらへどうぞだワン」
 看守はペンを置くと、立ち上がった。
 カピバラたちもそれにならってついていく。
 アニマル警察の地下留置場は、ほとんど使う機会がないのか、かなり清潔に保たれており、壁はおろか床までもが白く光っていた。
 廊下の両脇に並んでいる簡易型の檻には誰もおらず、無人の証として中のベッドや机のものがすべて綺麗なままであった。
 看守が一番奥の簡易型の檻の前に立つと、中の向かって声をかけた。
「町田さん、面会ですワン。え~と、誰でしたっけワン?」
「カピバラです」
「カピバラさんですワン」
 どうやらあちらの方でも反応があったらしく、看守はうなずくと、踵を返した。
「それでは、何かありましたら、お声かけくださいませワン」
 それだけ言うと、自分の机まで、戻って行った。
「さて」
 カピバラは誰に言うでもなく呟くと、先ほどまで看守がいた位置に進んだ。
さっきは看守がいたせいで、中が見えなかったので、カピバラはそこに立つと、檻の中を覗き込んだ。
「町田さんですか?」
 その言葉に応えるように、ベッドに弱弱しく腰掛けていた女性が顔を上げた。
「はい、そうです」
 茶色く染めたロングの髪を無造作にたらし、ぼんやりとしたような眼でこちらを見るが、声にははっきりとした力があった。
 年の頃は30過ぎほどで、可愛さというよりも、ややキツイ印象が残る美人だった。
「ご注文の通り、カピバラさんを連れてきましたよ~」
 カピバラの後ろでジャンキーが、ニコニコと笑みを浮かべた。
 町田がこちらを不安げな様子で見つめる。
「あなたが、カピバラさんですか? お金次第で何でもやってくれる探偵さんって」
「少し語弊がありますが、まぁ概ね合ってます」
「じゃあ、あなたにお願いします。私を助けてください!私は無実なの!」
 訴えかけるように言葉を出しながら、町田が立ち上がった。
「なんで、こんな事になったのか私もほんとに分からないんです!アニマル警察だって、私の言い分なんかまったく聞いてくれないし。だから、私はこのままじゃ、ほんとにくまさんを殺した犯人にされてしまいます!だから助けて!!」
 胸に手をあて、懸命に訴える町田を無表情に見つめていたカピバラは、フッと溜息をついた。
「なるほど。それで、私に真犯人を探し出せと?」
「理想を言うならそうだけど、最悪、私が毒を入れた犯人じゃないと証明してくれるだけでも…」
 ふーむ、と唸ってカピバラは手を顎にあてた。
「お金なら…払いますから」
 腹の底から出したような町田の言葉に、目線だけをカピバラは向ける。
「あぁ、それは当然ですよ。うーん…そうですね。わかりました、やりましょう」
 途端に、町田の顔が綻んだ。
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「でも、その前に前置きをおかせてもらいます」
「はい?」
 疑問符を顔にありありと浮かべ、町田は首を傾げた。
 カピバラはその場でしゃがむと、鉄格子の向こうにいる町田と目線を合わせ、息を吸った。
「この度は、お困りの解決に私、カピバラを指名して頂き誠に有難迷惑です。はっきり言って今回まったくやる気が起きないのですが、お金をくださるとのことなので、不本意ながらも、ここへ馳せ参じた次第です。なお、やる気がないので、ぞんざいな調査とぞんざいな結果になると思いますので、どうぞご了承くださいませこの野郎」
 呆気にとられたように、町田が数秒、固まった。
「いいですね?」
 カピバラが語気を強め、町田を見据える。
「お、お願いします」
「わかりました」
 カピバラはすっくと立ち上がると、コートから手帳を取り出した。
「それでは、参考のため、事件の時のあなたの状況を教えてもらえますか?」
「あ、はい」
 ぎこちなく、町田が答える。
「あの日、クマさんが死んでしまった日の前日に、私は朝食を作りに行きました。いつもクマさんと奥さまの朝食は私が作る役目なんです、基本的に、炊事、掃除などの生活管理をするのが仕事で、私は雇われていましたから。その日でいう、二日前から奥様は旅行に行かれてましたので、朝食はくまさんのだけを作っていたんです。そして、掃除などの、基本的な仕事をこなして、帰宅しました」
「それは何時頃ですか?」
「午前中ですね。仕事が終わったのが11時半ごろで、実際に帰ったのが、正午でした」
「その時まだ、クマさんはピンピンしてたんですよね?」
「はい。いつも通り、家の裏とつながっている蜂蜜屋で、蜂蜜を売っていました。あの人はいつも、朝の10時から夕方の5時まで蜂蜜営業をしているんです。その間に私が家の管理を。それで終わったら、くまさんは夕方の6時ごろから蜂蜜の仕入れに行くんです」
「正午に帰宅して、町田さんはその後何を?」
「私は、そのあと友達と買い物に。あっ、それは友達が証人です。警察の方もすでに確認をとってますから」
 カピバラはペンを走らせた。
「それで?」
「帰ってきたのが6時頃です。あとは家でずっとゴロゴロしてて…それで…」
 言いよどむ町田を見て、カピバラは「あぁ」と呟き、微笑を浮かべた。
「クマさんの家に向かったんですね?」
「……はい」
 町田は不安げにこちらを窺う。
「それはどういった目的で?」
「戸締まりの確認です。奥さまに、旅行に行く前に、「クマさんはよく戸締まりを忘れるから、彼が仕入れに行ったあと、それとなく確認をしてくれ」って言われていたので、ちょうどすることもなかったし、確認しに行ったんです」
「その時は、閉まってたんですか?」
「はい。ドアのカギはちゃんと閉まってましたし、入るところなんて一つも」
「本当に、確認をしただけなんですね?」
 確かめるように、視線を向けたカピバラに、町田が身を乗り出すように、答える。
「本当です!信じてください!」
「じゃあ、警察にクマさんが出かけている間のアリバイを聞かれたとき、なぜ嘘をついたんです?」
 町田は顔を下に俯けると、唇を噛んだ。
「警察に…クマさんが毒で死んだって聞かされた時、ここでもし私がクマさんの家に行ったなんて言ったら、絶対に疑われると思ったから、です」
 「ふん」と、カピバラは鼻で笑った。
「少し機転を利かせたつもりが、逆にその嘘で追いつめられるなんて、傑作ですね」
「ちょっと、カピバラさん!」
 ジャンキーが後ろで、怒ったような声をあげた。
 しかし反対に町田は、意に介した様子もなく、頷いた。
「そのことは警察には?」
「言いました。だけどもう覆されたものの印象は変わりないようで、まったく信じてもくれません」
「確かに。目撃者がいたのは不幸でしたね。確認したのは何時頃ですか?」
「8時ごろだったと思います。その後は家に帰って、またゴロゴロしてて。気がつけば眠ってしまってたようで、朝食を作る時間ギリギリに目を覚ましたんです」
「なるほど」
「急いで家を出て、クマさん宅に行ったんですが、インターホンを何度押しても返事がなく、鍵もかかっていたんです。私すごい不安になったから、オーナーのアライグマさんに連絡を取って来てもらったんです。そしてアライグマさんの合鍵で、家の中に入ったら…」
 カピバラがメモ帳から視線を上げる。
「死んでいたと」
 町田が鎮痛そうな面持ちで頷く。
「はい。私たちはすぐさま駆け寄ったんですが、いくら揺すっても動かないので、すぐに救急車と警察を呼んだんです」
「それが、今回の事件のあなたの状況ですね?」
「はい」
 カピバラはメモ帳をコートの中に入れると、町田を真っ直ぐにみつめた。
「大体わかりました。オーケーです。とりあえず、今から調査を始めてみるんで、まぁ、期待せずに待っててください」
 カピバラはそれだけ言うと、すぐに踵を返し、出口へと進みだした。
 ジャンキーも慌ててそれについていく。
 立ち去る二人の背後から弱弱しく「お願いします」と声が響いた。
「面会は終りですかワン?」
 受付に戻ってきた二人を見て、看守が立ち上がった。
「ああ。もう終わった。ありがとさん」
 カピバラはコートから手を出し、上下に振った。
「ゲスー警部によろしくね」
「わかりましたワン」
 敬礼する看守を置いて、二人はそのまま地下の階段を上がる。
「で、これからどうするんですか?」
 コツンコツンと音を響かせながら、ジャンキーが尋ねた。
「とりあえず、現場に行ってみるしかねぇだろ。あの女の情報だけじゃまだ足りんしな」
 メモ帳を覗きながら、カピバラは呟いた。
 そして二人はそのまま警察署を後にした。



 




     

 
 カピバラたちは今度は実際に事件のあったクマさんの家へと向かった。
 この色んな動物たちが暮らす不思議な森では、動物たちが思い思いに家を建てているため、家々が狭いようで、広い間隔で区切られている。
 実際にこの森の全体像を把握しているものはおらず、どんな種類の動物がすんでいるのかも、知られていない。
 そんな森の東に進んだ区画の中に、クマさんの家はあった。
 
 アニマル警察からは歩いて5分ほどの距離だったため、彼らはその足でそのまま向かった。
 彼らがクマさん宅へ着くと、そこには「立ち入り禁止」と書かれた看板がいたるところに立てかけられていた。
 周りには野次馬を追い払うためか、何人かの警察官が後ろに手を組んで立っていた。
 カピバラは周りを見て、比較的暇そうな警官に声をかけた。
「あの、ちょっといいですか?」
 警官は不審そうな眼でカピバラを見た。
「なんですかワン?」
「事件現場の確認をしたいんですけど、宜しいでしょうか?」
「関係者以外が立ち入ることは禁じられてますワン」
 カピバラは意外そうな顔を浮かべた。
「あれ? 連絡がいってないですか? ゲスー警部にも許可取りましたよ」
 「ほら」と言ってカピバラはコートから紙を取り出し、警官に渡した。
 警官はそれを怪訝そうに受け取りながらも、視線を渡された紙に移すと、体を後ろにずらした。
「どうやら本当のようですね。わかりましたワン。こちらへどうぞだワン」
 そのまま二人は警官の後ろについていき、家の裏にある蜂蜜屋の前まで案内された。
「カピバラさん、今の紙ってなんですか?」
 耳元で小さくジャンキーが聞いてきた。
 顔は前を向いたまま、カピバラは小さく答える。
「ああ。家を出る前に、必要だと思ったから適当に書いて偽造したやつだよ」
「ええ!? まさか手書きですか?」
「ああ、そうだが」
 ジャンキーは心底びっくりしたように眼を大きく見開いた。
「よく騙されましたね。彼らも」
「まぁな」
 全く興味がないように、カピバラは吐き捨てた。
 その言葉と同時に、クマさんの家の玄関に彼らは到着した。
 近くで見ると、意外と家がでかいことに気付かされた。
 お洒落に構築された、木造建築の家だった。
 裏手には蜂蜜屋があったのを、先ほど確認してあり、今は反対側の住宅部分の前にいる。
「どうぞだワン」
 警官がドアを開け、二人を中に引き入れる。
 二人は警官の後に続くように中に入って行った。
「これがクマさん事件の犯行現場ですか」
 わざとらしく、カピバラが呟いた。
 クマさんの家の中は巨大なワンルームで、全体が入口からでも見渡せた。
 まず、中央に、巨大なテーブルが位置し、その隣に、向かい合ったソファがおいてある。
 左奥の角には台所があり、冷蔵庫、そして、お酒を入れるためのようなケースがあった。
 右奥には二つの巨大なベッドが並び、その横に箪笥がある。
クマさんが死亡していたのがどうやらテーブルの横の黒いソファの前のようで、そこに大の字になったクマの形の白線が引かれていた。
 カピバラはテーブルに近づくと、いろいろと物色し始めた。
その後ろで、警官とジャンキーが並んで立っている。
「あの…あとはこっちで勝手に調べるので、どうぞお仕事に戻ってください」
 カピバラが丁寧に警官に言うと、警官は顔をゆっくりと左右に振った。
「いえいえ、警部からの紙には、捜査協力を惜しむなと書かれていましたので、できる限り協力させていただくワン」
 これは予想外だった。少しばかしリアリティを盛り込んだのが仇となった。
「それはありがとうございます」
 カピバラは努めて明るく言うと、聞こえないように舌打ちをした。
「それで、ここでクマさんは死んでいたんですよね?」
 カピバラが白線を指差した。
「そうですワン。それと、今はきれいに片づけられてますけど、ちょうどソファの真ん前の位置のテーブルに毒が入っていた酒入りのグラスと、蜂蜜酒が入った瓶がありましたワン」
「他には何かありましたか?」
「何もなかったですワン。少なくともテーブルの上には」
「テーブルの上には?他にはあるってことですか?」
「どうやら窓が少し空いていたようなんですワン」
「どこの窓ですか?」
 警官は部屋の奥を指差した。
 そこには小さな窓があり、鉄格子のようなものがその窓を覆っていた。
 侵入するのは無理そうだな、とカピバラは思った。
 カピバラはメモを取り出すと、ペンで書き込み始めた。
「死因はその毒薬による中毒死でいいんですね?」
「そうですワン。一応今は司法解剖に回しているんですが、まだ詳しい結果は出てないようですワン」
「ふむ。その日のクマさんの行動ってわかりますか?」
 警官は手帳を取り出すと、ペラペラとめくり、視線を動かした。
「その日は、朝に町田さんと朝食をとり、家を町田さんに任せ、10時から夕方の5時まで蜂蜜屋で営業をしていたようですワン。その後、5時半ごろにオーナーのアライグマさんとその仲間が家を訪ねたそうで、その時は一緒に蜂蜜について語り合っていたそうですワン。6時から蜂蜜の仕入れに森まで出かけ、帰ってきたのが午後9時。それは近所の人の目撃で確認済みですワン。そして、午後11時ごろに、毒が含まれていたお酒を飲み、死亡。と見ておりますワン」
「アライグマさん?」
 ぴた、とペンを止めた。その情報は町田から聞いていない。まったくの初耳だった。
 しかしすぐに思い直す。町田はその場には居ないのだ、アライグマの来訪を知らなくても不思議じゃない。
 また一人、確認する人が増えたな、と内心でカピバラは溜め息をついた。
「質問なんですが、なぜお酒に毒が混入された時間が、クマさんがその日に仕入れに行っていた間に行われたと警察は思ったんですか? 侵入して混ぜるだけなら他の日や時間でもできるでしょうに」
「どうやらクマさんは3日に一回は、自分で新しい蜂蜜酒を作って飲んでいるらしく。ちょうどその日の夕方に新しいお酒を作って、夜に飲み始めたらしいんですワン」
「なるほど。できたばかりのお酒に毒を混入できたのはその時間帯だけ、と。容疑者が最初にその三人だったのは?」
「クマさんがお酒を夜に飲んでいる事を知っているのがその三人だけなんですワン」
「そして、今は町田さんを、最有力な容疑者として、取り調べ中…と」
「そうですワン。アリバイの嘘や他の二人のアリバイが完璧なこと、状況的におのずと彼女になりますワン」
 カピバラは頭を掻きながら「うーん」と呟いた。
「やっぱ町田さん犯人でよくね?」
 後ろに立っていたジャンキーに向かって振り向くと、彼は苦笑いを浮かべた。
「もうちょっと真面目にやりましょうよ、カピバラさん」
「勝手に依頼をとってきたのはお前だろうがよ」
 ふと、視界の端に見慣れぬものが映った。
 その方向を注視すると、上部が湾曲した太い棒が立たされており、そこには蜂の巣がぶら下がっていた。
「あれはなんですか?」
 警官に向きなおり、棒の方を指差した。
「ああ、あれはお酒をつくるための蜂の巣だそうですワン。いつもクマさんは気に入った蜂の巣を選ぶと、あそこにぶら下げて直接蜂蜜を採取するんですワン」
 相槌を打ちながら、蜂の巣がかけられた棒に近づく。
 いろいろと触ってみるが、どこも変わった様子がない。
「おや?」
 下に視線を移したとき、床の上に何かが転がっていた。
 つまんで、拾い上げると、それは小さな蜂の死骸だった。
 ジャンキーと警官に手まねきをすると、二人が寄ってきた。
「なんで蜂の死骸がここに?」
 ジャンキーがキョロキョロと顔を動かしながら呟いた。
「カピバラさん、それ、なんかこの部屋のいたるところに落ちてますよ」
「マジか?」
 カピバラも倣って下を注意深く観察すると、確かに何匹かの死骸がちらほらと落ちている。
「それはお酒のために採取された蜂の巣から出てきた蜂たちですワン」
 警官が得意げに胸をそらした。
「いろんな種類の死骸がありますよね? 何回も蜂の巣を入れ替えてたらこうなってったらしいですワン」
「刺されんのが怖くなかったのか? 彼らは」
「まぁ、もともとクマは蜂と闘ってなんぼですからね。いちいち気にしないんでワン?」
「そうですかねぇ」
 言いながら、何種類かの蜂の死骸をポケットに素早く押し込んだ。
 とりあえず、ここには真犯人を見つけることはおろか、町田さんの無実を証明するような物もなかった。
 もっと具体的な物を見たかったが、警察にほとんど持っていかれているだろう。
「ところで、今奥さんとアライグマさんはどちらに? お話を伺いたいんですが」
「奥さんは今、アライグマさんの家にいるらしいですワン。さすがに夫が死んでしまった場所では暮らせないでしょうしね。ワンワン」
 それは好都合な話であった。今日中に二人に会うつもりだったカピバラは、二人の居場所探しに時間を割く覚悟をしていた。
「もしよろしければ、アライグマさんの住所を教えてもらっても宜しいでしょうか?」
「わかりましたワン、これですワン」
 警官はポケットからメモ帳の切れ端を差し出した。
「ありがとうございます」
 カピバラとジャンキーは、不謹慎な笑みを浮かべながら恭しくそれを受け取った。



 アライグマの家は、森の中でもかなりの裕福な者しか住めない高級住宅地にあった。
 クマさんの家からは、さすがに歩いて行ける距離ではなかったので、仕方なく二人は一度事務所に戻り、車を調達してきた。
 車を走らせること、30分。先ほどまでは生い茂る木々が背景を占めていたが、だんだんと、舗装された道の横が、巨大な木造建築群で埋まっていく。
「しっかし、いいとこ住んでますねぇ」
 助手席で、ジャンキーが涎を風にそって流しながら、呟いた。
「確かにな。羨ましい限りだよ」
「っていうかこのボロイ車、いい加減買い換えません?」
 ジャンキーが窓から手を出し、車の側面をバシバシと叩いた。
「おい、やめろ。これでも気に入ってるんだ」
「でもぉ」
 それでも縋るような目で見てくる相棒を、カピバラは睨みつけて黙らせた。
 カピバラの所有している車は「ドングリギーニ」と呼ばれる古い車種で、巨大などんぐりをぎりぎりまでくり抜いて、横の窓と、前方と後方に穴をあけただけのものだった。
 タイヤも、とってつけたようにお粗末にされており、エンジンも後部座席にそのまま置かれているといった様相で、もちろん乗り心地は最悪だった。
 その乗り心地の悪さ故に、この車種はすぐに廃版となったのだが、偶然カピバラが、即売会で100円で売っていたのを見かけて購入したのだった。
 だからなのか、愛着をもっているカピバラにとってこの車に乗ることはちっとも苦痛ではなかった。
「カピバラさんよく乗れますねぇ。俺何回も乗ってますけど、今だに慣れませんよぉ。ちょっと失礼…ゲボゴボゲボボ」
「おい、中に吐くな。吐くなら外にぶちまけろ」
 ジャンキーは言われたとおり、勢いよく外に胃の中の物を吐き散らした。
 高速で走っているため、吐しゃ物が風に流されていく。
 途中、何人か横を歩いていた動物たちにかかった気がしたが、ジャンキーはそのままかまわず吐き続けた。
「も、もうすぐ着くっぽいですよ。次の信号を右です」
 涙を浮かべながらジャンキーが紙の切れ端を見る。
 カピバラは大きくハンドルを右に回した。
 そのまままっすぐ行くと、すぐにアライグマの家が見えてきた。
「そこですね」
 家の目の前で、ハザードをつけて止めると、二人はアライグマの家を眺めた。
 先ほど訪れたクマさん宅よりも、幾分か小さいが、綺麗にまとまったお洒落な家だった。
 周りの家は装飾よりもむしろ大きさばかりが目立つような設計だったが、このアライグマの家だけがスッキリとしている分、この高級住宅地の中では目立っているように思えた。
 カピバラは少し車の位置を後ろにさげて、向かいの家の前に駐車した。
 降りて、表札を確認すると、確かに「アライグマ」と書いてある。
「さて」
 そう小さく呟くと、ドアをコンコン、と軽くノックした。
「はい?」
 すぐにドアの内側から返事が返ってきた。かなり高い声だ。
 カピバラはできるだけ警戒されないような、明るい声をだした。
「突然失礼します。先ほど連絡させていただいた、カピバラです」
「あぁ、先ほどの。少しお待ちください」
 声はドアから遠ざかって行った。そして、待つこと一分。
「散らかっていますが、どうぞ」
 ドアを開けて向かい入れてくれたのは、クマさんの妻であるヴィクトリアだった。
 ヴィクトリアが巨大な体を窮屈そうに屈めながら、カピバラたちは応接間へと通された。
「アライグマさん、お客さんたちが来ましたよ」
 応接間で待っていたのはソファにゆったりと座っているアライグマだった。
「どうも、突然のご訪問をさせて頂き、ありがとうございます」
 慇懃な態度で、カピバラは頭を下げた。
「いえいえ、まぁ、かけてください」
 勧められるままに、二人はアライグマと向かい合うようにソファに腰かけた。
 ヴィクトリアも、アライグマの横にすわる。
「あの、ヴィクトリアさんは今こちらに住まわれていらっしゃるとか?」
「ええ、アライグマさんのご厚意で、こちらで居候させてもらっています」
 ヴィクトリアは、心底感謝をしているような表情を浮かべ、横にいるアライグマを見る。
「彼女も今は精神的につらいでしょうし。さすがにあんな事があった後じゃ、今まで通りに住めないでしょう? だから心が休まるまでは、うちに来ないかって誘ったんですよ」
「なるほど。そうですよね。心中お察しします」
 頭をさげ、二人を交互に見やる。
「それで、先ほどもご連絡させてもらったんですが、事件の事で少しお二人に聞きたいことがありまして」
 アライグマは怪訝な顔をした。
「別にそれはいいんですが…。もうすでに容疑者は捕まっているんじゃないんですか? 家政婦の町田さん…彼女がまさかあんなことをするなんてねぇ」
 途端に、ヴィクトリアが両手で顔を覆った。
「アライグマさん。今はその名前は出さないでください!」
 大きな体を震わせながら、ヴィクトリアが俯いた。
「ああ!ごめんよ。ヴィクトリア。泣かないでおくれ」
 アライグマが大げさに叫ぶと、そのままヴィクトリアを抱きしめ、頭を撫でた。
 ヴィクトリアもそれに身を委ねるように、体を傾ける。
 しかしながら、二人の体格差があまりにも大きいため、なんだか不釣り合いな情景だった。
 なんだろうか。先ほどからやけにイライラしている自分に、カピバラは気づく。
 こういう仲睦まじいものは、彼にとっては吐き気を催すもの以外の何物でもなかった。
 うんざりしながらも、しばらくヴィクトリアが落ち着くまで待つことにした。
 カピバラはコートから手帳をだし、続けた。
「こちらが聞きたいことはすぐ済みますから、少々お付き合い願います。事件当日、お二人はどこで何をしていたんでしょうか?」
「つまり、アリバイですか?」
「ええ、そうなります」
「そういったお話はすでに警察の方に話したんですがね。そちらで確認された方が早いのでは?」
 静かに頷くと、カピバラは微笑を浮かべた。
「ええ、そうなんですが。実際に当人から聞かないと、気が済まない性質でして」
 横でジャンキーが激しく頷く。
 少し、アライグマは思案したように眼をつぶると、やがて話し始めた。
「そうですね。わかりました。私は、あの日アライグマ仲間と、川でずっと朝から何かを洗っていました。たぶん、朝の9時から午後3時くらいまでですね。その後、5時半頃に、クマさん宅を訪ねました。ほら、彼もヴィクトリアが旅行に出かけてるもんだから、寂しがってんじゃないだろうかと思いましてね」
「そこで何か変わったことは?」
「いえ、特に何も」
「どれくらい家にいたんですか?」
「20分くらいですかね。彼は6時になったら仕入れに行くんで」
「なるほど。それからは?」
「その後は、また川に仲間と戻ってひたすら夜遅くまで何かを洗ってましたよ。それで、朝になって、町田さんから連絡が来たんですよね。「いくら声をかけても部屋の中から何の反応もない。不安だから、合鍵を持って来てくれ」って」
「そこで、合鍵を持っていき、町田さんと一緒に中に入ってみたら、クマさんが死んでいたと?」
「そうです…いやぁ、あれにはビックリしました」
 悲しそうに、アライグマは顔を歪めた。
「その時、町田さんに何か変わった動きとかはありましたか?」
「さあ? どうでしたかねぇ。ただひたすらクマさんに声をかけていた事くらいしか…」
 ペンをカリカリと走らせると、手帳を閉じた。
「では、ヴィクトリアさんはその時、どうされていましたか?」
「私は…事件が起こる三日前から、「蜂蜜狩猟の会」の旅行で、鳥取まで出かけていました。夫の事は、帰ってきた日に聞かされました」
「旅行先から帰宅されたのは、事件が発覚した日ですよね」
「はい。帰って来たら、家の周りを警察の方や野次馬が囲んでて。警察の方に聞いて、わかったんです」
「そうですか…。ちなみに、その旅行ではいったい何を?」
「文字通り、蜂蜜狩猟です。この地方には無い、珍しい種類の蜂の巣を、私達で襲撃して蜂蜜を採るんです」
 少しだけ、ヴィクトリアが顔を綻ばせた。
 さぞかし楽しい旅行だったのだろうな、とカピバラは思った。
「わかりました…。あぁ、あと奥さんにお聞きしたいのですが、これはご存知ですか?」
 ゴソゴソと、ポケットから取り出したのは、先ほどクマさん宅で、回収していた蜂の死骸だった。
 一瞬、二人の顔が強張ったように見えたが、すぐに元に戻った。
「ああ、それですか? 主人がよく家の中で蜂蜜酒を作るために、採取をしていたものですから、いつも抵抗する蜂たちを殺してはそのままにしていたんですよ。あの人」
「この種類の蜂に見覚えは?」
「おそらくは、私が旅行中に採取してきた種類の蜂だと思います。あの人は3日に一度は新しいお酒を作りますから」
「そうですか。わかりました。お二人とも、わざわざお時間を割いていただき、ありがとうございました」
 蜂をポケットにしまいこみ、横を見ると、ジャンキーが口をだらしなく開け、涎をダラダラと垂れ流していた。
 フローリングの床の上にはすでに涎が大量に流れている。
 これは早く退散しないとな、とカピバラは思うと、立ちあがった。
「では、これで失礼します。ご協力ありがとうございました」
 ぺこり、と一礼すると、ゆったりとした足取りでカピバラは応接間から出ていく。
 ジャンキーもそれに倣って立ち上がり、ついていく。
 

 玄関のドアをゆっくりと閉め、二人は無言のまま車へと歩いた。
 家から少し距離がある所まで来て、カピバラは呟いた。
「ジャンキー。さっきの二人、どう思った?」
「あからさまに怪しいですね。なんか妙に仲が良すぎる気がするんですよね」
 それはカピバラも会った時から感じていたことだった。
 自分の夫が死んだにしては、玄関で向かい合った時の表情がやけに明るかった。
「実際に会ってみて感じた印象は、俺もそうだな。あの二人はかなり怪しい。警察の奴らは取り調べた時、何も思わなかったのか?」
「どうでしょうね? あいつらアホですから」
 ジャンキーはやれやれといった風に、両手を顔の横に広げた。
 お前も人のこと言える立場じゃないだろ、とカピバラは思ったがそのまま黙ることにした。
「ともあれ、これでだいたい警察のワン公どもと同じくらいは情報が集まったと思うんだが…。町田さんを救うとなると、どうにも糸口が見つからんな」
 車のドアを開け、乗りこみながら頭を掻いた。
「二人のアリバイも一応は完璧ですよねぇ。やっぱり無茶な仕事だったんじゃないですか? カピバラさん」
「お前が持ってきた依頼だろうがよ」
「結局受けたのはカピバラさんですよ?」
 へらへらと助手席で笑うジャンキーに対して、殺意が湧いたのをカピバラはかろうじて抑え込んだ。
 まぁいい、この話は事件が終わった後だ。
 と、不意に車のガラスがコンコンと叩かれた。
 二人は、窓のほうに顔を向けた。
 見ると、別種のアライグマらしき動物が、こちらを覗きこんでいた。
 アライグマと非常によく似ていたので、一瞬、アライグマさんだと二人は勘違いしてしまった。
「どうしました?」
 ガラスをスライドさせながら、カピバラが顔を出す。
「ちょっと!困りますよ!人ん家の前に無断で駐車なんかしないで下さいよ」
 少し怒った様子で、別種のアライグマが捲し立てた。
「申し訳ありませんでした。すぐに、移動しますので――」
 言いながら、ふと、直感めいたものが頭をよぎった。
「あの、失礼ですが、あなたは向かいに住んでいらっしゃるアライグマさんのお友達でしょうか?」
 突然、質問されたことに別種のアライグマは面食らったが、カピバラの態度に怪しさが感じられなかったので、頷いた。
「ええ。そうですが。あなたがたは?」
 カピバラは窓越しに頭を下げた。
「申し遅れました。アニマル警察の者です。それで、2、3お聞きしたいことがあるのですが」
「なんでしょうか?」
「クマさんが亡くなられる日の夕方に、アライグマさんは仲間とクマさん宅を訪ねたと言ってたのですが」
 アライグマの友人は頷いた。
「ええ。そうですよ。私も一緒に行きました」
「その時、何か変わったようなことはありましたか?」
 アライグマの友人は少し思案すると、首を横に振った。
「いやぁ、特に変わったとこはなかったと思うんですがねぇ」
「その時、アライグマさんとクマさんは何かしていましたか?」
「普通に蜂蜜について話し合ってましたよ。クマさんが、私たちに、蜂蜜ジュースを振舞ってくださって。あぁ、そうですねぇしきりに、アライグマさんが、クマさんの飾っていた蜂の巣を褒めていましたねぇ。「これはいいものだ」って触りながら。私なんかは怖くて触れませんでしたけどね」
 苦笑したアライグマの友人に合わせるように、カピバラも笑うと、手帳をしまいこんだ。
「ありがとうございました。すぐに、車をどかしますので」
 ぺこりと一礼し、カピバラは車を発進させた。



 舗装された道をドングリギーニは高速で駆け抜けていく。
「さっきはどうしたんですか? いきなり話しかけちゃって」
 風にバタバタと舌をなびかせながら、ジャンキーがこちらを向いた。
「ちょっとな」
「ひょっとして、何か閃いたんですか?」
 少しジャンキーは身を乗り出した。
「まぁな、つってもまだ6割程だけどな」
「マジっすか!? 教えてくださいよ!!」
 飛びかかるように、顔をジャンキーが近付けてきた。
「ちょっ、おい、危ないだろ!おまっ、涎、マジくせェんだよ!」
 右手でハンドルを支え、左手で思いっきりジャンキーの右頬をぶん殴った。
 ジャンキーは涎を車内にまき散らしながら、ぶっ倒れた。
「ひどいじゃないですかぁ。いきなり殴るなんてぇ」
「死ね。クソが。福山雅治もガリレオで言ってただろうが、まだ仮説の段階だから言えないってよ。少しは我慢しろ」
 カピバラは吐き捨てるように言うと、運転に集中しだした。
「それで、どうするんですか? この後は」
 少しの間、沈黙が流れたが、ややあってカピバラが答える。
「まだ俺の考えも、確証が無いしなぁ。仕方がない、あまり気乗りはしないが」
 ハンドルを右にきると、ドングリギーニの速度を速めた。
「どこに向かってるんですか?」
 不安げに尋ねるジャンキーをちらりと見て、すぐに目線を戻した。
「行けばわかる。しいて言うなら…『神様』のとこだ」



     


 車を走らせて、もう一時間が過ぎようとしていた。
 周りの景色は巨大な森林に囲まれていて、更には夜も更けてきたために、ほとんど暗闇に近かった。
 先ほどはアライグマに会うために高級住宅地へと向かったので、景色が段々と都会になっていくことには何も思わなかったが、今は逆に段々と動物の気配すら感じられないほどに奥へと入っていくことに、ジャンキーは少なからず不安と恐怖を覚えていた。
(マジで、どこにむかってるんだよ…)
 内心、そんな事を考えながらジャンキーは横目でカピバラを見た。
 相変わらず、彼は黙々と暗闇の中を運転していた。
 さっきからずっと目的地を問いただしているのに一向に返事が返ってこない。
「あの…今、ここどこですか?」
 五回目の同じ質問になる。
 またしばし沈黙が流れたが、今度はカピバラも反応した。
「少しは黙って乗ってろよ。着けばわかる」
 鬱陶しそうな眼でジャンキーを見ると、運転にまた集中しだした。
 しばらく車内には沈黙が訪れ、車のエンジン音だけが響いた。
 やがて、ドングリギーニの速度がゆっくりと落ちていく。
「着いたぞ」
 そう呟いて、カピバラは緩やかに車を止めた。
 依然、辺りは暗闇で覆われている。
「ここってどこの森なんすか?」
 きょろきょろとジャンキーは顔を動かすと、尋ねた。
 カピバラは車の座席の下をごそごそと弄ると、何かのスイッチを入れた。
 すると、ドングリギーニのライトが点灯し、前方を明るく照らした。
「ちょ、これって…!?」
 思わずジャンキーは目を見開いた。
 巨大な洞窟の入口がそこにはあり、巨大な木々たちがそれを避けるように生えている。
「降りろ、出るぞ」
 カピバラはそのままドアを素早く開け、外にでると、入口の前に立ち止まった。
「ここって『神隠しの祠』じゃないっすか!? え? え? 何で!?」
 慌てたようにジャンキーは呟くと、ドアを開けた。
 彼は辺りを注意深く見まわし、近くに立てかけてある看板に目をやった。
 でかでかと「立ち入り禁止」の文字がなぐり書きされてある看板は、すでにボロボロになっており、より洞窟を恐怖のものとして演出していた。
「マズいですって!マズイデスッテ!!」
 ジャンキーが取り乱すのも無理もなかった。
 この洞窟は、あらゆる動物たちが住む不思議な森のなかでも立ち入ることが禁止されている場所なのだった。
 何年も前から、この洞窟に近づいたり、中に足を踏み入れた者が一人とて帰ってきておらず、まるで「神隠し」のようだと言われ始め、いつしかここは危険区域の一部となっていたのだった。
「行くぞ」
 カピバラがコートを羽織ると、洞窟の内部に進み始めた。
 すると、ジャンキーは思わず彼の手を掴んでいた。
「なんだよ?」
「ど、どこ行く気ですか?」
「この中だ。ここに用があるんだよ」
 ジャンキーはブンブンと首を振った。
「ヤバいですって。看板見てないんですか? ここは立ち入り禁止だし、前からすごい危ないって噂のデンジャースポットですよ!?」
「そんなの関係ないだろ。大丈夫だ」
「いやです。ほんとマジで勘弁です。カピバラさ~ん、仕事が捗らないからって、こんな所に来なくてもぉ」
 カピバラは鬱陶しそうに手を剥がすと、溜息をつき、いきなりジャンキーの鼻を掴んだ。
「なぁ、おい。今ここで鼻を握り潰されるか、一緒に来るか、選べや」
 鼻を持ち上げられて、手足をバタバタとさせながら、カピバラを見る。
「ふぁ、ふぁふぁりましふぁ! ふいてきます!」
 カピバラは一瞬、凶悪な笑みを浮かべたが、すぐにいつもの無表情に戻った。
「ならいいんだ。よし、じゃあ行くぞ」
 言って、カピバラは鼻を掴んだままジャンキーを引きづっていった。


 洞窟は歩くにつれてどんどん狭くなっていった。
 入った時は、入口のように天井が途方もなく高かったのだが、今では自分の頭より少し上程度の高さしかない。
 別れ道や危険な動物や化け物の類でも出るのかと、内心ジャンキーはびくびくしていたが、何も起こらず、ただ平坦な一本道だったので少し拍子抜けしていた。
 未だに鼻を掴まれたまま引っ張られており、不自然な体勢で歩かされているため、実際どれくらい歩いたのか把握できていなかった。
 しばらく歩いていると、急に、視界が開けた。
 と同時に鼻からカピバラの手が離れ、彼は立ち止った。
 ジャンキーは視界をまっすぐに戻すと、辺りを見回した。
 洞窟の入り口程では無いが、かなり広大な空間だということが暗闇に慣れた目のおかげでわかった。
 不意に、前方の少し岩が盛り上がっている部分の上で、何かが動いた。
「うわっ」
 甲高い声を思わずあげ、後に飛び退った。
「タヌさん。俺だ」
 後ろでカピバラが抑揚のない声で、何かに近づく。
 すると、岩の上にいるタヌさんと呼ばれたものも動いた。
「久しぶりだぁ。カピバラ」
 目をジャンキーはさらに凝らすと、ようやく影の輪郭が見えてきた。
 そこには寝っ転がったタヌキがいた。
「そこの子は初めましてだねぇ。俺の名前はタヌ。タヌさんって呼んでくれ」
 急にこちらを見つめられて、ジャンキーはどぎまぎした。
 こちらを見ているタヌの目が、まるで死んでいる動物のように無機質だったからだ。
 ジャンキーはカピバラの隣に近づくと耳元で小さく尋ねた。
「この人、一体何者なんです?」
「情報屋だよ。恐らくこの森で一番の」
「信用できるんですか?」
「その点は心配ないだろ。自称『全知のタヌ』って言ってるくらいだしな」
 カピバラはそう言って、顔をタヌの方に向きなおした。
「聞きたいことがある。今回のクマさん殺害事件のことで」
 タヌは少し首を傾げ、「ああ」と頷いた。
「あれか。最近森で話題になってる。知ってるぞ」
「ちょっとこの件に絡んでいてな。情報が足りないんで幾つか教えてくれ」
 タヌは「ククッ」と笑った。
「何を教えてほしい? 真犯人か?」
 ジャンキーは驚愕した。当たり前のようにこの男は真犯人と口にしたのだ。
 他の動物たちは真犯人がいることはおろか、町田さんが容疑者として勾留されていることすら知らないのに。
「や、やったじゃないですか!真犯人の名前を教えてくれるそうですよ!これで万事解決です!」
 ジャンキーが喜んで、カピバラの手を掴んだが、反対にカピバラはなんのリアクションもとらなかった。
「いや、それだと興醒めだ。それだったら初っ端からここへ来ている。真犯人の目星は大体ついている。あとはそれを裏付ける情報が欲しいだけだ」
「やっぱりなぁ。さすがはカピバラだ」
 タヌは寝返りをうつと、「いいだろう」と呟いた。
「まず聞きたいのは、奥さんとオーナーのアリバイは完璧なんだよな?」
「ああ、そうだ。奥さんは旅行、オーナーは川で何かを洗っていた」
「奥さんは旅行中、途中で抜けたり長時間姿を消したりもしてないと?」
「どうやらそのようだ。ただ、不思議なことに、奥さんは初日だというのにその日の夜にお土産を自宅の方に送っていたらしい」
 カピバラはコートからメモ帳を取り出し、続きを促した。
「お土産? 中身はわかるか?」
「その日採れた蜂蜜やら蜂の巣やらを送ったようだな」
 メモ帳に書き込むと、カピバラは顎に手を当てた。
「なるほど…」
「他に何か聞きたいことは?」
「クマさんの詳しい検死結果が知りたいんだが」
 タヌはどこかから紙を取り出した。
「粗方調べたらしいが、検出された毒の詳しい報告はまだ出ていない。ただ、毒で死んだことは確かなようだ。とりあえず分かり次第連絡する」
「ひょっとして、検死解剖する時って、クマさんの毛を全部剃るのか?」
「ああ、そうだが。なんでだ?」
「いや、ただの興味だ。毛を全部剃られたクマってどんなものか見てみたかった」
 カピバラはメモ帳をしまった。
「もう一つ、クマさんは蜂蜜屋を営んでいて、自分で仕入れて蜂蜜を作ってるんだよな。ってことは蜂に刺されるなんてのは日常茶飯事なわけだ」
 タヌは頷いた。
「ああ。検死結果にも死体には沢山の刺された跡があったと報告されている」
 カピバラは「十分だ」と言って微笑を浮かべた。
「最後に、これについて調べてほしい」
 タヌの方に近づき、ポケットから小さな包みを出して、タヌに渡した。
「お前にとってはわかりきった事なんだろうが、俺にとってはまだ確定されてないことなんでね。面倒だろうが、頼む」
 そう言って、カピバラは後ろに下がった。
 タヌは受け取った包みを背中にしまうと、無機質な眼でカピバラを見つめた。
「それじゃあ、情報の代金をいただこうか」
「え!? 情報料ってあるんですか!?」
 ジャンキーが驚き、飛び跳ねた。
「当り前だろう。誰が好き好んで、貴重な情報を無償で提供するんだ?」
 タヌが嘲るように、口の端を釣り上げた。
「ちなみに、代金っていくらぐらいなんですか?」
 遠慮がちに尋ねられた質問に、タヌは紙にペンで書き込み、ジャンキーに投げて返した。
「こんなに!?」
 拾った紙を広げてジャンキーは目を見開き、大声をあげた。
「それが無理なら、もう一つ支払う方法があるよ」
 ジャンキーにタヌは優しく声をかける。
「え? なんですか?」
 タヌは手を尻のあたりに持っていき、ごそごそと弄ると、前に手を差し出した。
「俺の糞を食べることだな」
 見ると、タヌの手の上には大きな糞が乗っていた。
 だが、不思議とその糞は臭いも全くせず、形もきれいな饅頭のような形をしていたため、糞と言われなければ、わからないほどだった。
「カピバラさん、えっと、ど、どうするんですか?」
 ジャンキーが後ろを向くと、カピバラは無表情で立っていた。
「なんか、糞食べたほうがいいんじゃないですか? こんな額、僕らじゃ払えませんよね?」
 恐る恐るジャンキーが、手の上に乗った糞に手を伸ばした。
「落ち着け、ジャンキー。誰が払えないと言ったんだ? 勝手に盛り上がるな」
 カピバラはつかつかと前に進み出て、タヌの手に乗った糞を叩き落した。
「代金はいつもの口座から引き落としておいてくれ」
「わかった。しかし、残念だぁ」
 タヌは心底残念そうに、笑みを浮かべた。
 カピバラは踵を返した。
「お前、あれを食っていたら死んでいたぞ」
 ジャンキーは呆けたように「え?」と間抜けに声を出した。
「あのタヌキの糞は特別でな。食った奴は99%の確率で死に至る」
「ほぼ死ぬじゃないですか!なんて危ないもん食わす気ですか!」
 ジャンキーがタヌの方に目をやると、彼は笑いを堪えるように顔を下に向けていた。
「タダで情報は得られないってことだよ。さもなくば、死ねってことだ」
 さも興味が無いかのように言うと、そのままカピバラはもと来た道へと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
 ぺこり、と寝っ転がったタヌキに一礼すると、ジャンキーも足早に出口へと歩き去った。



「で、結局どうなんですか?」
 車のドアを開けながら、運転席に座っているカピバラにジャンキーは明るく尋ねた。
 カピバラはジャンキーが座るのを確認すると、車のエンジンをかけ、発進させた。
「まだ微妙だな。あとはタヌさんの裏付けがとれ次第だ。まぁ、明日にはわかるだろ」
 ドングリギーニが速度を上げる。
 ジャンキーは頬杖をついて、ガラスの外を眺めた。
 真っ黒に染まった巨大な樹木が、溶けるように流れていく。
 それをぼんやりと見ていて、ふとジャンキーは気になったことを聞いてみた。
「カピバラさん、今まで仕事の時たまにどっかに消えてたのって、ひょってしてここに来てたんですか?」
「ああ、そうだ。情報が足りない時は大抵はタヌさんの所に行っている」
「カピバラさん、よくあんな額の情報料払えますねぇ。びっくりしましたよ。俺だったら絶対糞を食べてましたね」
 ジャンキーは外を見ながら苦笑した。
「そうだろうな。初めてあそこを訪れた奴らはほとんどが糞を食べて、死んでいる」
「え!?」
 ジャンキーが驚いて、カピバラの方に振り向いた。
「さっきも言ったろう? 情報屋の噂を聞きつけた何も知らない奴らが、タヌさんに会って情報を聞いたあと、法外な額を要求される。当然そんな金なんか持って無いそいつらは
、別の逃げ道である糞を食べる道を選ぶのさ。そうして、あの洞窟に入って帰ってきた者がいない、『神隠しの祠』っていう都市伝説が生まれたのさ」
「彼らはバッくれるって手段を選ばなかったんですか?」
「当然そんな奴らもいただろうが、帰ってきたものはいないって言われてるんだ。わかるだろ?」
 カピバラがいやらしく唇の端をつりあげる。
 ジャンキーは激しく頷きながらも、あのタヌキにはたして逃げようとする奴らをどうこうするなんてできるのだろうか、と疑問に思った。
「じゃあ、あの洞窟のことを知っているのは…」
「数えるぐらいしかいないだろうな」
 淡々と、カピバラが答えた。
 しばらくの間、沈黙が車内に訪れた。
 気がつくと、さっきより道が開けて、普通の山道に戻っていた。
「とりあえず、事件は2、3日中に解決するさ」
 カピバラは前方の暗闇を見つめながら、溜息をついた。
 ジャンキーは小さく頷くと、また頬杖をついて窓ガラスの向こうに視線を向けた。
 遠くにちらほらと見える家々の明かりが、やけに綺麗に見えた。


 





 

     



 
 カピバラが、今回の事件に関わる動物たちを集めたのは、それから二日後だった。
「ああ、うん…そうか。わかった。ありがとうタヌさん」
 電話を切ると、カピバラはダッフルコートの中にしまった。
 そして、自分の目の前にいる二匹の動物に顔を向ける。
 一匹は当然助手である、ジャンキーであった。
 もう一匹は、
「おい。一体どういうことなんだよ?」
 大きな体を黒のダブルスーツに身を包み、厳つい顔を浮かび上がらせているブルドッグだった。
 三匹は今、犯行現場であるクマさん宅の前にいた。
「いきなり呼び出しやがって。きっちり説明しろよ?」
「まぁまぁ。そんなに怒らないでくださいよ。ゲスー警部」
 カピバラが宥めるように両手を肩に置くと、ゲスーはそれを払いのけた。
「お前、俺になんか言うことあるんじゃねぇのか?」
「なんでしたっけ?」
 悪戯っぽくカピバラが微笑を浮かべると、ゲスーは詰め寄った。
「しらばっくれんな!お前が容疑者の町田に頼まれて今回の事件に絡んでいるのはわかってるんだよ!お前、俺の名前を勝手に出して事件の関係者に会って調査してただろう!」
 チッと舌打ちをすると、カピバラは視線を逸らした。
「なんだよ。ばれてんのかよ」
「当り前だろうが!毎度毎度人の名前使ってよ!マジでぶち込むぞ!?」
 ゲスーが勢いよく、右手でカピバラのコートの胸倉を掴んだ。
 カピバラは全く動じず、冷静にゲスーを見据えた。
「まぁ、落ち着けおっさん。あんたの名前を使ったかいがあって、真犯人がわかったんだから」
「本当か!?」
 ゲスーが目を見開いた。
「だから、わざわざあんたに事件の関係者をこの家に呼んでもらったんだろうが」
 ゆっくりと、ゲスーは右手を放し、腕を組んだ。
「だったら、見せてもらおうか。その推理とやらを」
「いや、別に推理とかじゃなくて、単なる調査結果を述べるだけだって」
 嫌味たらしく笑うゲスーを横目に、ジャンキーがカピバラの背後にまわった。
「大丈夫なんですか? あんなこと言って」
「ああ、大丈夫だ……たぶんな」
 そう言うと、カピバラはクマさん宅の入口のドアをゆっくりと開けた。


 
 カピバラたちが入ると、中にいる者たちから一斉に視線が投げられた。
 容疑者である町田さん。殺害されたクマさんの妻、ヴィクトリア。そして夫婦と仲の良いこの家のオーナーである、アライグマさん。
 それと何人かの犬の警察官。
 それぞれが、家の中で集まってこちらを見ていた。
 壁にもたれている町田が、緊張した面持ちでカピバラを凝視しているのが、ジャンキーからは見えた。
 カピバラは一同を見まわすと、一回小さく頷き、手を叩いた。
「皆さん、今日は忙しい中ご足労頂き誠にありがとうございます。本日は、私が皆さんに用がありましてね」
「あの…その用事ってのは何なんでしょうか?」
 アライグマが手を挙げると、一歩進みでた。
「今日は、捜査の協力って言われて呼び出されたけど、犯人はもう決まっているんじゃないんですか?」
「ええ。そうなんです。ですから、私のお仕事に協力してもらいます」
 ニコニコと笑顔を浮かべながら、コートからカピバラはメモ帳を取り出した。
「皆さんに集まってもらったのは他でもありません。今から、今回起きたクマさん殺害事件の真相をお聞かせするためです」
 一気に中にいた動物たちがざわついた。
 カピバラの後ろでゲスー警部が「ふん」と鼻息を漏らした。
「あのぅ」
 ヴィクトリアが不安気な面持ちで手を上げた。
「真相ってことは、私の夫を殺したのはそこにいる町田さんじゃないってことですか?」
 壁に凭れかかっていた町田は顔を強張らせた。
 カピバラはゆっくりと頷いた。
「ええ。そうです。町田さんは犯人じゃありません」
「じゃあ誰が、誰が私の主人を殺したんですか!?」
 大きく声をあげたヴィクトリアの肩を、アライグマが優しく掴んだ。
 カピバラは、手を顎に当てると「くくくっ」と小さく笑った。
「じゃあ本題にいきましょう。私としてもちんたら前置きをつけるのは好きではありません。では…」
 そのままスーっと右手を前にあげて、前方を指差した。

「犯人は、お前だ!!!」
 
 突如、目をカッと見開き、カピバラが大声をあげた。
 一瞬、室内が静寂に包まれる。

「そこで白々しくイチャついてるカップル!!!!」

 アライグマと、ヴィクトリア両人が、体を硬直させた。
「おいおい。ちょっと待てよ」
 声が飛んできたのは後ろからだった。
 ゲスーは呆れたような顔を浮かべ、カピバラに近づいた。
「お二人さんとも、ちゃんとアリバイがあるんですけどねぇ。カピバラさんよぉ、適当言っちゃいけねぇぜぇ」
「確かに。二人のアリバイは完璧だ。しかし、私は犯人とは言ったけど、手を下したのが彼らとは言ってませんよ?」
「どういうことだ?」
 ゲスーが、怪訝そうにカピバラを見た。
「だから、彼らはその場に居らずして、クマさんを殺害したんです」
「そりゃそうだろうが。毒を混入して、あとはクマさんが飲んで死ぬのを待てばいい。しかし彼ら二人は毒を混入したであろう時間帯にはアリバイがあっただろうが。二人が犯人なわけがない」
 カピバラは指を弾いた。
「そこですよ。まず毒を混入して殺したっていう前提があるからいけない。なんで毒を飲んで死んだって言えるんです?」
「なぜって、死体が発見されたとき、クマさんはお酒を飲んでいる状態だった。そしてそのグラスの中に残った蜂蜜酒の中から毒薬の「マジシネール」が検出されている。解剖してでた検死結果からも、体内から「マジシネール」とほとんど同じ成分の毒が確認されている」
「同じ成分の毒だからといって、それが必ずしも同じものとは限らないんですよ。それが、犯人の罠だったんです」
「わけがわからん」
 溜息をつくと、カピバラはポケットから何かを取り出し、机の上に置いた。
「こいつです」
 皆が机に近づき、一斉に見た。
 机の上に乗っていたのは、黄色とオレンジが混ざった色をした、蜂だった。
「ハチィ~?」
 次に声を出したのはジャンキーだった。
「ちょっと待ってくださいよカピバラさん。じゃあ、クマさんは蜂に殺されたんですか?」
「ああ、そうだ」
 ジャンキーは首を傾げた。
「え? だったら、この二人は犯人ではないんじゃないっすか?」
「それはちょっと違うな。直接手を下したのがこの蜂で、犯人は奥さんたちだ」
「それってどういう―」
 ジャンキーが言い終わる前に、カピバラが部屋の奥を指差した。
「あれだよ」
 そこには、箪笥の横で、床に刺さったように立っている湾曲した棒があった。
 その先端には、蜂の巣がぶら下がっている。
「あそこにこの机の上の蜂が住んでいた巣があったのさ」
「待ってくださいよ。あそこに掛っている巣はクマさんがお酒を作るために自分で採ってきたものですよね? じゃあクマさんが採ってきた巣の蜂に勝手に刺されて死んだんじゃないんですか?」
 捲し立てるジャンキーを手で制し、カピバラは続けた。
「違う。だからすり替えたんだよ」
 ゲスーが代わって聞いてきた。
「何をだ?」
「蜂の巣をです」
「誰が、何のために?」
 アライグマを指差した。
「彼が、クマさんを殺害するために」
 ゲスーが頭を振った。
「意図が見えんぞ。なぜ蜂の巣を交換する必要があった? すり替えなくても、蜂に刺されれば結果は変わらないんじゃないか?」
「変わりますよ。いいですか? クマさんは蜂蜜屋を営んでいて、自分で蜂蜜をこの森で採って作っているんです。当然あらゆる種類の蜂の巣を採ってきているんだから、蜂には少なからず、刺されているはずです。だからクマさんはこの森に生息する蜂の毒には耐性ができていて、大抵の毒は効かなくなっているんです」
「だったら尚更、蜂の巣を変える必要などないだろう。この森のあらゆる種類の蜂の毒に耐性があるんだか――」
 ハッと何かに気づいたように、ゲスーが口を開けた。
「まさか」
「そう。そのまさかですよ」
 カピバラは机の上においてある蜂の死骸を指差した。
「この蜂は私たちの森には存在しない種類の蜂なんですよ」
「じゃあこの蜂はどこから…?」
 カピバラはニヤリと笑みを浮かべると、ヴィクトリアに視線を向けた。
「だから、旅行に行ったんですよね? ヴィクトリアさん?」
 カピバラの視線から逃れるように、ヴィクトリアが真っ青な顔で、俯いた。
「そうか!『蜂蜜狩猟の会』!!」
 ジャンキーが思わず大声をあげた。
 カピバラは頷いた。
「そう。今回あなたが旅行に出ている間に、クマさんが亡くなったのは偶然じゃない。むしろ旅行に行くという行為が、クマさんを殺害する上で、必要な条件だった」
 机の上に置いてある蜂を拾い上げ、カピバラは続ける。
「あなたはこの蜂を手に入れるために、旅行に行ったんですよね? この蜂は『ブッコロバチ』と言われる非常に危険な蜂で、致死性の猛毒を持っており、そしてその毒は、毒薬である「マジシネール」と成分が酷似している」
 いつの間にか、部屋にいるすべての動物が、カピバラの言葉に聞き入っていた。
「『ブッコロバチ』はある地域にしか生息しない珍しい種類の蜂です。そして今回あなたが行った旅行先が、」
「その地域だったと?」
 ゲスーが神妙な面持ちでカピバラを見た。
「ええ。しかも、『蜂蜜狩猟の会』は、レアな蜂の巣をゲットする目的の旅行ですから、『ブッコロバチ』を手に入れる上ではおあつらえむきだったんですよ。怪しまれることもないですしね」
「それをいつ持ち帰ったんだ?」
「持ち帰ったんじゃありません。彼女は、送ったんですよ。お土産として、その日に採った蜂の巣を、クマさんの元へね」
「いや待て。送ったと言ったが、クマさんの家にはそんな物は無かったぞ?」
 ゲスーの質問に、カピバラは気にした風もなく、答える。
「そう、あるはずが無いんですよ。なぜなら、違う所にそのお土産は届いたんだから」
「違うところだと?」
「アライグマさんの家ですよ。ヴィクトリアさん、あなたは旅行の初日に不思議な森にお土産を送ったそうじゃないですか。その時あなたは、周りの友人たちにクマさん宛てに送ったと言っていたと聞きました。しかし実際送り先の住所はアライグマさんの家だったんですよね? 普通、他人の家の住所なんか覚えている者はいません。だから万が一見られても、住所が不思議な森なら大抵の動物が騙されます」
 カピバラは、言葉を切ると、つかつかとヴィクトリアとアライグマの前に立ち、両手を広げた。
「つまり、事の顛末はこういうことです。クマさんが殺害される二日前、つまり14日に奥さんは『蜂蜜狩猟の会』に出かけた。そしてその日の夜に、午後に採ったブッコロバチをアライグマさんにお土産として送った。次の日である15日にアライグマさんはそれを受け取り保管する。
問題の16日、クマさんが午後5時に仕事を終えて、仕入れに行くまでの間、5時半ごろにアライグマさんは友人とクマさん宅を訪れました。ブッコロバチの巣を隠し持ってね。恐らく何かで包んでいたのでしょう。
彼は友人と何かを川で洗っていたそうですから、何かを持ち歩いていても不思議がられない。彼はその時に、お酒に毒を混入したのではなく、さりげなく棒にかかっていた巣と自分の持ってきたブッコロバチの巣をすり替えたんです。あとは何食わぬ顔で友人とともに帰ればいい。
クマさんはその時気がつかなかった。お酒を作った蜂の巣と、自分の命を奪う蜂の巣がすり替えられていたことに。
その後、町田さんが、9時前に戸締まり確認のためにクマさん宅を訪れたが、そこを近所の人に不審な行為だと目撃されてしまったというわけです」
 カピバラは、町田の方へ顔を向けた。
「町田さん。あなたはヴィクトリアさんが旅行に行く時、クマさんが仕入れに行ってる間に、戸締まりの確認をしてくれって言われたんですよね?」
「はい。そうですけど…」
「それも彼らの計画の内だったんですよ。律儀なあなたは、絶対に確認しに行ってくれると踏んでいたヴィクトリアさんは、確認を頼んだ。警察の疑いがあなたにもいくようにね。あなたが確認をしに行ったことを警察に言えば、疑われるのは当然。さらに目撃者がいれば尚良い。
 まぁ、あなたは機転を利かせて嘘をついてしまったが、逆に目撃されていたことにより嘘がばれて、窮地に陥った。
彼ら二人からしてみれば、目論見以上の結果になったわけです」
 町田は両手で顔を押さえた。
「そんな…」
「その後、帰ってきたクマさんは、何も知らずに普通に過ごし、午前0時ごろ、寝る前の蜂蜜酒を飲んでいる時、巣から出てきたブッコロバチに刺されて、死亡したのです」
「ちょっと待ってくれよ」
 アライグマが、顔を赤くしながらカピバラを睨みつけた。
「ブッコロバチがクマさんを刺したって言うけど、そんな狙ったように、その時間帯にクマさんだけに刺させるなんてできるのか? 本当にそういう手段を使ったのなら、僕だって保管している時に刺されているんじゃないのか?」
「いや、できますよ」
「どうやってだい?」
 嘲るように、アライグマが笑った。
「あなたが一日待った、というのが鍵です」
 アライグマの笑みが、かき消えた。
「確かに、蜂の巣を殺害の手段に使うのは不確実だし、危険です。ですが、今回は『蜂蜜狩猟の会』の狩猟方法を彼らは利用したんです」
「狩猟方法だと?」
 ゲスーが前に歩みでた。
「そう。『蜂蜜狩猟の会』は蜂蜜を狩猟する際、催眠ガスを使うそうです。これによって巣の中から蜂たちが出てくる前に、眠らせることで安全に狩猟ができるわけです。今回も、ヴィクトリアさんが、その方法で狩りをしてブッコロバチの巣を手に入れたと、確認を取りました。
 催眠ガスの効果は約60時間、大体2日半くらいです。本来ならその間に蜂蜜を採取するんですがね。
 ブッコロバチを狩猟したのが午後1時、そこから時間を推測すると、誤差も考えて、二日後の夜11時頃~午前1時ごろにブッコロバチが起きる計算になります。
 ブッコロバチは非常に攻撃的な蜂です。起きた時に、クマさんしかいない状況なら、高確率で刺すはずです。しかもクマさんは酔っていて蜂には気づけない。違いますか? アライグマさん」
 カピバラが視線を向けると、アライグマは押し黙った。
「しかし、カピバラ。それで殺害したのはいいとして、目覚めた蜂はどうしたんだ? 朝クマさんが発見されたとき、そいつらがいたんじゃ入れもしなかったのでは?」
「おそらく、深夜にアライグマさんがやってきて換気扇から殺虫ガスを流し込んで殺したんでしょう。殺虫ガスはしばらくすれば、外に出て行ってしまいますしね。窓が少し空いていたのが、そのいい証拠ですよ」
「なるほど」
 ゲスーとジャンキーが頷いた。
「そして、朝になり、家を訪れた町田さんが家の不審に気づき、合鍵を持っているオーナーである自分に連絡が来るのを待ち、素知らぬ顔で、町田さんと中に入る。驚いた町田さんがクマさんに駆け寄っている間に、隠し持っていた「マジシネール」をグラスに混入し、救急車と、警察を呼び、そのどさくさに紛れて蜂の巣をすり替えた、と。
 これが、今回の事件の真相なわけです」
 カピバラが話し終わると、室内は、静寂に包まれた。
「……証拠は…」
 ややあって、小さな声が響いた。
「証拠はどこにあるんだ!?俺達がそんな事をしたっていう証拠は!?」
 アライグマが、机を「ドン」と叩き、激昂した。
「蜂を使って殺す!?まったくもって馬鹿げているよ!」
 顔を真っ赤にさせて、アライグマは声をあらん限りに叫んだ。
 その後ろではヴィクトリアがおろおろしながら、アライグマの動向を見つめていた。
「証拠? あるじゃないですか」
 カピバラが、抑揚のない声で、呟いた。
 顔には、相手を皮肉ったような笑みを浮かべて。
「あなたの家に、まだあるんでしょう? 犯行に使った、ブッコロバチの巣が」
「なっ…!?」
 アライグマが先ほどの勢いを失ったように、固まった。
「アリバイを証明した時点で容疑者でなくなったあなた方二人は完璧に自分たちが疑われないと安心しきっていた。だから、目先の証拠になるような物は、全部アライグマさんが未だに保管しているはずですよ」
「そんな、でたらめをっ!!」
「でたらめかどうかは、これから警察の人にあなたの家を家宅捜索させてもらったらわかりますよ」
「っっ!そんなの認めるか!!ヴィクトリア!!帰ろう!こんな茶番なんかに付き合ってられるか!」
「それは困ります。あなた方にはここに居てもらわないと。証拠隠滅の恐れがありますし」
「ふざけるな!!」
「もういいのよ!!アライグマさん!!!」
 アライグマがピタリと動きを止め、後を振り返った。
 ヴィクトリアが目に涙を溜めて、首をゆっくりと振った。
「もう、いいのよ…。ここまできたら、言い逃れなんてできないわ」
 カピバラを見据えると、ヴィクトリアは溜め息をつき、微笑を浮かべた。
「カピバラさん。全部あなたの言うとおり、私たちが、クマさんを殺しました。証拠も、あなたの推測通り、アライグマさんの家にあるわ」
 アライグマがヴィクトリアの肩を掴んだ。
「どうしてだヴィクトリア!どうして、どうしてだ!?」
 もう一度首を振ると、ヴィクトリアは俯いた。
「もう疲れたのよ…」
 室内にいた警官たちが、ヴィクトリアからアライグマを引き離した。
 ゲスーが、ヴィクトリアをソファーに座らせた。
「どうして、こんな事をしたんですか?」
「主人は、いつも仕事ばかりで、私のことなんか全然構ってくれなくって…。私はただの同居人のような扱いばっかり。でも、それだけなら、まだ我慢できたんです。それだけなら…」
 顔を勢いよくあげ、ヴィクトリアは壁に凭れかかっている町田をキッと睨みつけた。
「でも!あろうことか、主人はあの女と浮気したんです!!ただの家政婦であるあんな女と!!!」
 射殺すかのように、憎悪を顔にありありと浮かべ、ヴィクトリアは町田を見据える。
「どうしても許せなかった…。私でなく、あの女と浮気した主人が。だから、アライグマさんに頼んで、協力してもらったんです」
 ヴィクトリアは、両手で顔を抑えて、涙を流し始めた。
「でも…今じゃなんであんな事したんだろうって、後悔してるんです。主人を失って、初めて馬鹿なこと、を、ヒグ、ゥぐ、ううううう…」
 嗚咽を堪えるようにすすり泣くヴィクトリアに、ゲスー警部はスーツの上着を脱ぎ、肩にかけてあげた。
 彼女の鳴き声が、静かになった家の中で、響き続けた。







     


 その後、警察がアライグマの家を家宅捜索すると、カピバラの予想通り、犯行に使った証拠のいくつかが出てきて、改めて妻のヴィクトリアとアライグマは、クマさん殺害容疑で逮捕されることとなった。
 容疑者として取り調べを受けていた町田は、無事釈放となり、自由の身となった。。
 あらぬ疑いをかけていたアニマル警察は、彼女に謝罪を述べた。
 かくして、クマさん殺害事件は、真犯人の逮捕という結末を迎え、その幕を閉じた。


 そして今日、ジャンキーとカピバラは、とある喫茶店の中にいた。
 テーブルの上には大量のケーキが並べられ、所狭しといった状態だった。
 その隙間を縫うように、三人分のジュースを入れたグラスがそれぞれ置かれていた。
「この度は、本当にありがとうございました」
 町田が深々と頭を下げた。
「いえいえ、そんな畏まらなくても!」
 ジャンキーが笑顔を浮かべながら、目の前で手を振った。
 ちらり、と横に目をやると、カピバラは町田には一切目もくれず、目の前にあるケーキを食すことに夢中のように見えた。
 まったくこの人は、と半ば呆れながらジャンキーは苦笑した。
 自分の力で事件を解決しておきながら、まったく誇るようなこともせず、むしろ興味がないといった様子である。
 町田が、鞄から封筒を取り出し、ジャンキーの前に差し出した。
「これ、今回のお礼です。どうぞ、受け取ってください」
 封筒を受け取ると、ジャンキーは懐にしまった。心なしか、量が多い気がした。
「少し、色をつけさせてもらいました。感謝の意味も込めて」
 考えを読んだかのように、町田が微笑を浮かべた。
 拘留されていた時よりも、ずっと表情が活き活きしていて、とても魅力的だった。
 本来はこんな風に活発な人なんだろうな、とジャンキーは思った。
 ジャンキーは半分に減ったジュースを持ち上げ、ストローを銜えた。
「あの、クマさんとの浮気って本当のところ、どうだったんですか?」
「ああ、そのことですか?」
 町田は苦笑しながら、ストローで、グラスの中をかき混ぜた。
「実際、そんなような関係もあったんですけど、少しの間だけで、奥様が嫉妬するほどのものでもなかったんです。実際はね」
「まぁ、どう捉えるかは人それぞれですからねぇ」
 頬杖をついて、ジャンキーは溜め息をついた。
「そうですね」
 町田はストローを見つめた。流れる氷がストローに当たって、「カラン」と音をたてた。
「これから、どうするんです?」
「一応、実家に帰って、何か仕事を見つけようと思います。今回の事で、両親に迷惑をかけちゃったし」
 娘が事件の容疑者になったと聞いたら、確かに両親も気が気でなかっただろう。
 ジャンキーは無言で頷いた。
 町田は隣りのカピバラに顔を向け、もう一度頭を下げた。
「カピバラさん、本当にありがとうございました」
 カピバラはピタリ、と動きを止め、ケーキを置いた。
「こちらも仕事ですから、そこまで感謝されても困りますよ」
 相変わらずの冷めた目つきで、町田を見つめた。
「とは言え、今回は容疑が晴れて良かったですね。あんな形での逮捕はあなたも不本意でしょう?」
 町田は一瞬面喰ったが、すぐに曖昧な笑みを浮かべる。
「はい。まったくその通りです」
 フフッと笑うと、鞄を肩にかけ、立ちあがった。
「それでは、私はこれで失礼します。何度も言うようですけど、本当にありがとうございました」
 テーブルの上に、三人分の料金を置くと、町田はそのまま喫茶店から出て行った。



「まったく、もっと他に言い方とかあるでしょうに。相手への配慮とかないんですか?」
 モグモグとケーキを咀嚼しながらカピバラは「無いな」と答えた。
 さらに非難を浴びせようと、ジャンキーが口を開けた瞬間、ピリリリと携帯が鳴った。
 カピバラが、片手で器用にケーキを食べながら、コートから携帯をだし、耳にあてた。
「はい。ああ、タヌさん。…ああ、うん、うん、やっぱりな…」
 その光景を、しばらくジャンキーはぼんやりと、眺めていた。
 タヌさんからの電話。事件が終わった後に、一体何の電話だろうか?
 別に事件とは関わりのないただの電話かもしれないな、と考え、ジャンキーはジュースを啜った。
「ありがとう。じゃあ」
 3分ほど経ってから、カピバラは電話を切った。
「なんだったんですか?」
 口にフォークをくわえながら、「うん?」とカピバラが向いた。
「ああ、あれだよ。頼んでおいたクマさんの詳しい検死結果が出たんだとよ。分かり次第連絡するって言ってただろ?」
 ああ、そんなことか、とジャンキーは落胆した気持ちになった。
 もう少し、なにか意外な話が出てくるものだと思っていたが、やはり期待はずれだった。
「でももう事件は解決していますよね? タヌさんも律儀ですね」
「まぁな。なにやら面白い話だったんでね」
「面白い話?」
「ああ、解剖の結果、クマさんの体内から検出された毒はやっぱりブッコロバチのものだったんだが…」
 カピバラが「ククッ」と声をだした。
「マジシネールも検出されたらしい」
「え!?」
 ジャンキーはジュースを飲むのを中断した。
「それって…どういうことなんですか? 死因はブッコロバチの毒によるものじゃなかったんですか?」
「ああ、俺もおかしいとは思っていたんだ。ブッコロバチは確かに致死性の毒をもっている蜂だが、今までの被害の報告は、人間か、小動物がほとんどだ。あれほどの体積の、しかもある程度毒に対して耐性をもっているクマさんが果たしてすぐに死ぬのだろうか?ってね」
 ジャンキーは混乱していた。それでは今までの、この前の事件の解決はなんだったのだろうか。
「俺の予想だと刺された場合おそらくは気絶、もしくはショック症状を起こすくらいだと思うんだよねぇ。死ぬまでには至らなかったと思うんだ。検死結果によると、本当の死亡推定時刻は朝だったらしいんだよな」
 ケーキを刺したフォークを、ぱくっと口の中に放り込む。
「つまり、クマさんはあの時、刺されたが死んでいなかったと?」
 次のケーキを取りながら、「ああ」とカピバラは頷いた。
「でも、実際は朝死んでいたんじゃないんですか?」
「まぁな。当たらずとも遠からずだな」
「マジシネールも検出されたってのは、つまり…」
「誰かが死にかけのクマさんに、マジシネールを直接打ったってことだろ?」
 他人事のように、カピバラが言い放った。
「一体誰が…!?」
 言いながら、しかしジャンキーの頭の中では一つの仮説が浮かんでいた。
 だが、しかし、それは彼自身認めたくないものだった。
「とか言って、お前もわかってるんだろ?」
 見透かしたかのように、皮肉めいた笑みをこちらに投げてくる。
「あの時、クマさんを見て慌てたどさくさに紛れて何かをしていたのは、アライグマさんだけじゃなかったってことさ」
 カピバラは至福の笑みを浮かべ、最後のケーキを口に含んだ。
「なんでですか…!?」
 ジャンキーの足らない言葉を、理解したようにカピバラは目を細める。
「そっから先は仕事外だろ。俺の仕事は彼女を無実にすることだけだったんだから。そもそもこの仕事は、お前が持ってきたものだ」
 ジャンキーはぐっと押し黙った。
「世の中には、色々あるってことさ。すいませーん!ケーキお代わりー」
 ウェイトレスに、はしゃぐように手を挙げるカピバラを見て、ジャンキーは少し安心したような気持ちになった。
 そうだ。この人の言った通りなのかもしれない。
 自分たちの仕事はそこまで。それ以上でもそれ以下でもない。
 釈然としない気持ちは未だあるが、ジャンキーは自分を納得させた。
 フフッと笑うと、ケーキを貪る可愛らしいげっ歯類を、彼はしばらくぼんやりと眺めた。






       

表紙

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Neetsha