Neetel Inside 文芸新都
表紙

灰の魔王
2・魔術師が二人

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 かすかな湿気の中、僕は眼を覚ました。頭痛がする。なぜだろう。風邪をひいたのだろうか。左足も少し捻ったようだ。わずかだが違和感と痛みを感じる。

 ・・・・・・あれ? 僕はどこに居るんだ。ここはベッドの中ではない。
 脳裏にどこまでも落ちていく心地悪い無重力感がよみがえった。
「ヒィッ」
 我に返る。バネの様に跳ね起き、幾分か遅い悲鳴を上げる。情けないことに声が裏返っていた。
 そうだ。僕は家の一階に潜んでいた強盗、いや、あれは、母か父の客人だったのだろうか。それか、ただの、精神病患者か。とにかく、妙な女にあって、落とし穴の様なものに落ちて、それから、ええと、どうして、一階に降りようと思ったんだ。たしか、昼寝をしようとしたのだけれど、変に静かで、それで、様子を見に降りて、結果、変な女と会って。

 だめだ。混乱している。
 僕は息を切らしながら辺りを見回す。シンプルで無機質な灰色の壁により作られた部屋が僕の目に映った。広さは良く分からない。とりあえず、僕の部屋より少し広い、といったくらいだろうか。僕のようなただの学生に何平方メートル、などという答えの出し方はできそうにない。この部屋には中心にボロボロの木製の机がぽつんと置いてある以外は何もないようだ。
右手には、一つだけ開いた小さな窓から日差しが差し込んでいた。だが、それでも部屋は薄暗い。
どうやらここは自宅の地下室などではないようだ。無論、僕の知る範囲での我が家は、ごく一般的な一軒家であり、地下室などあるわけないのだが。
 その時、僕は何かこの部屋に違和感を感じた。この部屋を昔どこかで、それも何度も見たことがあるような気がするのだ。デジャブだろうか。良い気分はしない。

上を見上げる。天井は思いのほか高い。五メートルはあるだろうか。
僕は、どうしたのだろう。あの女は僕を気絶させた後、ここに連れてきたのだろうか。何の目的で。
 ため息をついて、目の前にある机に目を向ける。メモ用紙が一枚置かれていた。何が書いてあるのだろうか。手にとる。用紙にはただ、簡潔な文字でこう書かれていた。

『初めまして、マルコ。そう。あなたはマルコ。魔王を倒すのがあなたの使命』

 マルコ。僕が? 僕にとってのマルコとは『魔術師と灰』の主人公しか、イメージできない。彼と僕とは正反対なキャラクターだ。僕がマルコな筈がない。
 僕は取りあえず、メモを上着の胸ポケットに入れ、この部屋唯一の扉に向かった。あの女が何かしらの目的で、僕の誘拐、監禁をしているのだろうから、鍵は当然かかっているだろう。だが、もしかしたら、という思いも少しあった。
 ひんやりと冷えたノブを掴み、思い切り力を込めて開けてみようとした。
ガタリ
扉はあっさりと開いた。
扉の向こうには左右に広がる灰色の廊下。そして、すぐ前の壁に僕が触れている扉と同じ形をした扉が目に入った。
この扉の先も僕のいた部屋の様になっているのだろう。開けるべきか否か。
僕が悩んでいると、部屋の中から甲高い叫び声が聞こえてきた。

「誰か、いないのかよ。お腹がすいた。このままじゃあ、死んじゃうよ。本当に死ぬぞ。もうすぐ死ぬぞ。良いの? 私が死んだら、身代金がパーでしょう」
 僕と女の他にも人がいたのか。少し、緊張しながら声のする正面の扉を開ける。ここも鍵はかかっていなかった。
 中には一人の少女が床に座り込んでいた。見た感じ、僕と同じくらいの年齢だろう。艶やかな黒髪を後ろで束ねている。気の強そうな目を見た瞬間、さっきの叫びはこの少女によるものだということを理解した。
その体は僕と同様に、自由を奪われている様子はない。自分の叫びに反応があったのに、驚いたのか、キョトンとした顔をしている。
「あのう」
 僕が恐る恐る声をかけると、少女は力の抜けた表情を引き締めた。
「あんた、いい加減にしなさいよ。ここはどこ。私をさらって何が目的なの。あの女の共犯? 何か言いなさいよ」
「あの、すいません。僕はあなたをここに連れてきた犯人じゃあないんです」
 まくし立てる彼女。よく分からないが謝ってしまう。
「じゃあ、あんた誰」
「えっと、多分、あなたと同じ、誘拐されたんだと」
「本当? ならなんで脱出できたのよ」
 少女は少し落ち着きを取り戻してきたようだ。
「いや、ドア。開いていましたよ。最初から」
「マジ。鍵がかかってると思いこんでた。いつでも出れるのに叫んでたなんて、うわ、恥ずかしい」
 少女は少し顔を赤くしてうつむく。その動作は少し女性的で、可愛いと思わなくも無かった。
「犯人は初めから、僕らをここに閉じ込めたいわけじゃあないみたいですね」
「鍵かけるの忘れたんじゃないの。あの女、見るからに頭おかしそうだったじゃない」
 少女はしかめっ面をしながら、自分のこめかみを人差し指でつついた。
 僕は女の焦点の合っていない不気味な黄色い目を思い出す。
「とりあえず、外に出ない? 逃げるなら今のうちよ。いつ女か、その仲間が来るか分からないわ」
 少女はそういって、服についたのほこりを払いながら立ち上がる。
 そういえば、この少女の名前は何と言うのだろう。呼び方が分からなければ何かと不便だ。

「あの、あなたの名前は」
 僕は扉の前で聞く。こういうことは早い方がよい。
「ん? 私。私の名前は」
 少女はそこで言葉を切る。何か考えるように深刻そうな顔をしている。
「その前にさ、あんたの名前、何ていうの?」
 彼女は深刻そうな顔を保ちながら、心底嫌そうに僕に尋ねた。人に名を尋ねるときはまず自分から。ということだろうか。
「僕ですか、僕は」

 ・・・・・・・・・・・・。
 不気味な沈黙。
 氷の塊を飲み込んだように体中が冷えた。
 あれ? 僕は、名前は何と言っただろう。何年も付き添った自分の名前を言う事が出来ない。苗字、名前ともに、イニシャルも思い出せない。何だ? 僕の名前は何だ?
「思い出せない? 私も分からない」
 僕も少女と同じように深刻な顔をしていたのだろう。少女は無理やり笑顔を作りながら言った。

「思い出せない物は仕方ないよ。私の事は、そうねえ」
 何なんだ。なぜ、思い出せ。きっと急激な状況の変化に戸惑って一時的に忘れているだけなんだ。早く思い出せよ。
「キャロライン。って呼んでよ」
 少女の高い声が僕の耳に入ってきた。
「え、キャロライン? なんで、そんな」
「ううん。良く分からないんだけどね、そこにメモあるでしょう」
 少女は部屋の中心を指差した。そこには僕のいた部屋と同じように机とメモ帳があった。少女は小走りで机まで走り、メモを持って戻ってきた。僕にメモを見せる。

『初めまして、キャロライン。そう、あなたは魔術師キャロライン。魔術師マルコを探して。打ち倒しましょう。魔王を』

「キャロライン」
 僕の呟きに少女は言葉を返す。
「私は魔術師キャロラインってわけよ。私のアンタ以外に最低、マルコってメモの奴がいるはずなんだけどね。まず、そいつを探しましょう。助けないと」
「その必要はないです」
「何で」
 少女。仮のキャロラインの声には若干の戸惑いが含まれていた。
 僕は胸ポケットからメモを取り出して、キャロラインの前にかざす。

「何これ、あんたがマルコってわけなの」
「うん」
 キャロルからくぐもったうめき声が聞こえてきた。何かを我慢しているように。口を必死で閉じている。
「プッ、アハハハハ。もうだめ。アンタがマルコ? アハハ。鏡を見たことある? アンタは知らないだろうけど、マルコっていうのは、精悍な顔つきの、勇敢で誠実な魔術師よ。なんで、あんたが、アハハ」
 キャロルの軽快な笑い声が、狭い部屋の中を駆け巡る。
 彼女に指さされながら思い切り笑われてしまったのだが、意外と傷つきはしなかった。自分の容姿は自分が一番分かっている。客観的に考えて、僕の顔は精悍でもないし、態度も、とても、勇敢に見えるものではないだろう。さらに誠実というよりも臆病のほうが似合っている性格をしている。彼女の反応は大げさだとは思うが、根っこのところでは間違ってはいないのだ。
「知っているよ。『魔術師と灰』でしょう」
「あれ、知っているんだ。あんな、クソマイナーなファンタジー小説を」
 笑いの衝動がおさまったキャロラインが意外そうに言う。
「たぶん、あの女も知っていると思います。でないと、あんなメモを置くことが出来ない」
「でも、あんたがねえ。私のが全然適任だよ。うん」
 彼女は一人でぼやいている。
「偶然ではないですか。キャロルさんと僕の役はお互い、どの役になっても良かった。そもそも、この役分けに何の意味があるのかが、分からないわけですけど」
「ただの、遊びなんじゃあないの。考えるだけ無駄だわ」
 キャロライン、小説の中のマルコにはキャロルの愛称で呼ばれている彼女はメモをヒラヒラと弄びながら、あっけらかんと言い放った。しかし、この段階ではそれが正解かも知れない。
「じゃ、マルコそろそろここを出るわよ。ここは、何だか薄暗くて、イヤ」



       

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