Neetel Inside ニートノベル
表紙

突然ですが、世界を救って下さい。
その血、誰の血、気になる血-01

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 つまり、こういうことだ。
 僕らの世界は、不思議に満ち満ちている。
 おそらくは各国共通で存在する、朝から夜までの太陽の動き。
 自分とは異なる存在が、自分とは異なる意思を持って、自分とは異なる日々を生きている事実。
 空を飛べない人類の何百、何千倍の重量を持ちながら、人類の何百、何千倍の速度、人類の何百、何千倍の移動距離を誇る、空飛ぶ鉛塊飛行機。
 毒持ちの魚類が、毒を抜くだけで高級食材に早変わりするという事実。
 それらはすべて、不思議なのではないだろうか?
 否。
 不思議だった、のだ。
 二千ペケペケ年現在、こうして平々凡々と某高等学校某二年生を満喫している某僕には理解出来ない領域ではあるが、今から遡ること数百年ほど前までなら、それは不思議に他ならなかったのだろう。当時に僕が存在したならば、僕はそれらを、魔法だの手品だの何だのと囃し立てる民衆の塊を構成する一粒であった自信がある。
 それならば何故、今こうして、頭上高くを滑空するエアバスA340を見送っているにも関わらず、「何だあれは!?」ではなく「ああ、飛行機雲は綺麗だな」などという、興味があるのか無いのかすら不明瞭な感銘のみに落ち着いているか?
 知っているからだ。
 僕は、知っている。あれは飛行機だ。胴体についている翼で揚力を得て、動力によって推力を発生させて空を飛ぶものだ。あの中には今、何百人もの人が、里帰りか或いは観光旅行に心を躍らせている最中なのだ。或いは帰郷先で待つ母親の美味しい手料理。或いは観光先での郷土料理、伝統工芸、独特の趣。
 いるのだろう、不思議だと思う人も。
 この鉄の塊は、こんなに大きいクセに何で空を飛んでいるのかしら? こんなに重いクセに何でこんなに速いのだろう? こんなに広いクセに何で搭乗前から席を決め付けられなければいけないのだ?
 それら、僕達一般人にはブラックボックスとなっている部分に興味を持ち、ああでもないこうでもないと脳内で試行錯誤する人も、もしかしたらいるのかもしれない。
 だがしかし、知っている。
 飛行機というものが、どういう原理で、どういう回路を持ち、どういう働きをしているのかは知らないが、僕らは飛行機が「飛ぶものである」と知っている。
 飛行機というものに、慣れてしまっているのだ。
 いつの間にか飛行機は、僕の視力では及ばぬほど遥か彼方に飛び去り、幼児が戯れで描いた線路のような飛行機雲が、空に描かれている。

「どう思う?」
 パンに焼きそばを挟んだだけというやっつけ料理にも関わらず、その人気は一、二を争うほどに高位置に該当するという、原価率の低さに定評のある食物を口に放り込み、僕は昼食を共にする友人に問いかけた。
 つーかー、というわけにもいかず、約五弱のブランクが入った後、
《定義がはっきりしないものに対して『どう思う?』と問われてもね。些か戸惑いを覚える事しか出来ないな》
 死亡記事を報道するアナウンサーだってもう少し起伏に富んでいると思うような、テキスト読み上げツール独特の無呼吸発声が、僕の鼓膜を揺らした。
 注釈する必要があるだろう。決して僕は機械と話しているわけではない。人種差別の趣味は無いが、飽くまで僕は、多くもないし少なくもない程度の数の友人を持つ、極々一般的な高校二年生である。機械しかお話相手がいないほど寂しいわけではない。
 僕が話しているのは、その読み上げツールが読み上げた文章を「書いた」人間である。
「不思議とは、何だろう?」
《原因や理由がはっきりしない事柄や、思いにもかけないような事柄の事だろう? 辞書を引いてみるといいさ、おそらくはそれに類似する説明文を目の当たりに出来る筈だからね》
「そういう、言葉の意味とか形骸的なものの事を聞いてるんじゃないよ」
 詰まった排水溝のような音を立てて低脂肪粉乳吸い上げながら僕が嘯くと、テキストの書き主が、腿に乗せたパソコンのディスプレイから目を離し、ようやく僕と目を合わせた。
 彼女という人物を紹介するには、まず何を置いても最初に「コンピュータ」が来る。
 今は腿に、常日頃はその手に肌身離さずその十七型ノートパソコンを持ち歩き、何かを問う時も、何かに答える時も、そのどちらでもない時も、決してその生まれ持った口腔に頼ることはせず、コンピュータにインストールされているTTSを通して自分の意思を伝達するのだ。
 そういったスタイルがスタンダードになっているが故に誕生した「無口」というキャラと、その生まれ持った端正な顔立ちと理的な印象を与える眼鏡のそれらが相俟って、実に取っ付き難い存在となってしまった彼女──梔子高千穂(くちなしたかちほ)は、やはりカタカタと何かしらの文章をキーボードで打ち込み始める。
《君が焼きそばパンを咀嚼しながら何を考えていたかは知らないけれどもね。私は『不思議とは何だ?』と聞かれた際にする返答としてはベストのものを選んだつもりだよ》
「そうじゃなくてさぁ」
 喉元に詰まった煙を吐き出した煙突のような音を立てて牛乳パックを膨らませながら、僕は吠えた。
「もっとこう……あるだろう? 裏山のど真ん中にミステリーサークルが現れるとか、ある日突然超能力に目覚めるとか、海の底に謎の超文明大陸が眠っているとか、そういうの」
《『あるだろう?』じゃないだろう? そんなものは存在しない》
「そこを否定されると、話が続かない」
 お前の都合など知ったことかとばかりにいつも通りに鼓膜を劈く機械語に神経を逆撫でされれば、僕とて反論の一つもしたくなる。健やかなる時も病める時も、如何なる時も淡々と機械語で喋るのが梔子高千穂だ。だがしかし、どんなに虫の居所が悪い時でもそれをすんなりと許容出来るほど僕が精神的に成長しているかと言えば、それは否だ。僕の精神年齢は肉体年齢と同様に十代中盤なのである。
「初めて稲を発見した猿人はさ、きっと凄く楽しかったんだぜ。だって、草だ。植物だよ? それを煮るなり焼くなりしたらさ、吃驚仰天美味しい事に気付いたんだ。きっと大騒ぎだったに違いないぞ。羨ましい。僕もその時代に生まれて、みんなでお米の美味しさに初めて気が付いて、ウホウホ騒ぎたかった」
《私は遠慮したい次第だね。この性別のこの年で、あまり『ウホウホ』なんて言葉は口走りたくはないな》
 口走るも何も、そもそも己の口で喋る事すらせんではないか、という粗捜しも今は億劫だ。
 何が言いたいのか?
 足りないのだ、僕らには。
 何が?
 決まっている、「不思議」がだ。
 誰かが言った。「『絶対』なんて有り得ない」と。誰が言ったかは……知らん。忘れた。
 それはそれとして、だ。
 である以上。
 ある日突然プレコグニションに目覚めたり、異世界の宇宙人とのサイキックバトルが発生したり、孤高の島で殺人事件に巻き込まれたり、etcetc……。
 それらはすべて、「絶対に無い」とは言えない筈なのだ。
 ……問題は。
《言わんとする事は解るけれどね。君が判例として並べたそれら「不思議」のサンプルなんだけれども、それらは私達がどうにかこうにかして実現する範疇を越えていると思うよ。殺人事件なら努力次第で何とかなるかもしれないけれど、よもや犯人としてその脚本に参加したいわけではないんだろう?》
 そうなのだ。
 身の丈五尺七寸。
 重量二十貫。
 視力両目共に一.五。
 好きな食べ物は梅茶漬け。嫌いな食べ物は酢豚。
 以上、誰が聞いても「どっちも視力良いって凄いね」或いは「パイナップルのせいじゃないの?」程度の感想しか押戴けない自己紹介を常々行っている事から解るように、
 僕は、普通だ。
 ライト兄弟の身の丈が何尺何寸だったかなど知った事もないし、ガガーリンが酢豚を三週間連続で出されても平気な人間だったのかも右に同じ。
 だがしかし、きっとどこかが普通ではなかったのだ。どこかが普通ではなかったから、普通ではない事をしでかしたし、普通ではない事をやり遂げたのだ。
 ご覧頂きたい。
 体の大きさにそぐわず、焼きそばパン一個と脂肪を抑えた牛乳で満腹になれるという、燃費の良さに定評のある僕ではあるけれども。
 僕は、普通だ。
《不思議不思議と君は言うけれども、私にとってはそれこそが常々不思議に思っている事なのだよ。何故君は、たったそれだけの昼食で午後の苛烈な時間を乗り切れるんだろう? 私の横でそんな風にこじんまりと食事をされると、女として私の立つ瀬が無いんだけれどね》
「知らないよ。僕の親父と母さんに聞いてくれ、そういうのは製作者に聞くのが一番だ」
 梔子高の横に放られている、成長期の野球少年が鞄に入れていそうなサイズの弁当箱にバッタを見る視線を向けながら、僕は嘯いた。梔子高の事だ、どうせ帰宅路の途中にある定食屋のチャレンジ定食を完食したところで、肉付きなどそうそう良くはなるまい。そういう体質の持ち主だ、この娘は。
《見えない努力をしているのさ。早朝のランニングはいいよ。空気の味を確かめる良い機会だと私は考えているね、存外美味しいものだよ、空気って》
 見えない努力は見えない事に美徳があるのであって、それを本人直々に暴露してしまえば、その魅力はがた落ちである。ついでに言えば、おそらく梔子高は早朝ランニングなんかしていない。嘘をあたかも本当のように言うのが、この娘の常套手段である。梔子高との交流が浅い人間ならすんなり騙されてくれるのだろうが、こと僕に関してはその限りではない。

 本気で言っているわけではなかった。

 当然だ。何とならば、僕は現在高校二年生と名乗るに相応の年であり、将来の夢を問われる事があるならば、飛行機のパイロットよりも公務員に魅力を感じる年であり、未来予知能力が備われば、世界の危機の察知よりも期末テストの答案の先読みに能力を活用する年であり、腹が減っていれば、不思議な味のする魔法の飴玉よりもあっさりとした味わい深い梅風味に美味を覚える年であり、道路の白線以外の部分は毒の沼地であるというルールよりもただひたすらに近道を探す事に熱心な年であり、心にも無い事をさも本気の様に訴える事をその学校生活の中で身につける年である。
 本当を材料にして、嘘をつく年である。嘘の中ですら、嘘をつけない年である。
 だから、本気で言ったわけではない。食事時の他愛も無い会話を織り成す一つのエッセンスとしてそれを織り込んだだけの話であり、それに対して不平不満を漏らすつもりも無ければ、不平不満を漏らしたところで、それも結局は本気で言うつもりは微塵も無い自信があった。
 そして何より。
 荷が重いのだ、僕では。
 実際、そう言った不思議の数々が現れた時、僕がそこに立って勇姿を見せられる確率など、ガリバーが裁縫針に糸を通す事が出来る可能性よりも低い自信がある。
 日常を、享受しようではないか。
 それが無難であり、最善である。

       

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Neetsha