ハユマの時と比べて、頭痛も無ければ眩暈も無かった。空気に若干重量を感じたものの、
大掛かりなカスカの後の弊害をこの程度に抑えられる辺りが、流石はポポロカと言うべきなのだろうか?
しかし、仮にそうだとしても、ポポロカを褒められるだけの心の余裕など、ありはしない。
オイ。
託されたぞ。
何を?
行く末を?
つまり。
……どういうことだ?
「言葉の通りなの」
茫然自失と立ち尽くす僕に向かって、ポポロカが回答をくれた。だから、その言葉通りに受け取った上で解らないのだが。
「世界の行く末を、ミヤコに託す」
「待って、待ってよ」
あまりにと言えばあまりに、しかし当然と言えば当然のように、僕は狼狽した。
もはや、疑うまい。
あのようなものを見せ付けられた後だ。流石にトリックだとか大掛かりな演劇だとか、そのような説は持ち出すつもりは無い。今となっては、どちらかと言うとそちらの説の方が「馬鹿なことを」とせせら笑われることだろう。もしもこれで大掛かりな演劇の類だったのならば、今すぐにブロードウェイにでも進出するべきだ。スタンディングオベーション間違い無しだろう、血判を押したっていい。
パラレルワールドも、〈ンル=シド〉も、世界間移動も、本当に現実として起こっていることなのだろう。ああ、信じてやるさ。
その上で、堂々と公言させていただく。
何言ってんだ、アンタ達は?
「何が、どうなって、そういう流れになるのかが解らない。解らないし、えっと……困る」
「勝手なことを言っているのは、解ってるのね」
解っているだけじゃ駄目だろう。理解しているなら理解しているなりの対応策を練るべきだ。解った上で僕にどうこうしろと言っているのなら、それを指示しているのはとんだ頓馬だと想定出来る。
「だからポポロカ達は、どんな結果になっても受け入れる。ミヤコがどう動いて、何を感じて、何を成し遂げても、一切の文句は言わないの」
……。
「押し付けないでくれ」
明確な、拒否だった。後先も何も考えない、全力の拒否。
今、梔子高がここに居たとしたら、こんな僕を見て何と言うだろう? なだめるのだろうか? それとも、このような冷たい仕打ちをした事を嗜めるのだろうか?
「この際、はっきり言うよ。全然信じてなかった。カスカだとか、違う世界だとか、一切合切、全然信じてなかった。タチの悪い手品の類だと思ってたし、ポポロカやハユマに関しては、承諾無しで見物人を巻き込む辻劇団だとすら思ってたよ。たった今、ポポロカにあんなのを見せ付けられる前まではさ」
……そんなのは知ったことではない。動き出した口は、もう止まらない。
「この意味が解るかい? 何一つ、肝心なことは解ってないってことなんだぜ? 僕だって馬鹿じゃない、流石にあそこまでされて尚、演技だの手品だのなんて言うつもりは無いさ。こうなることが事前に予測出来てたら、もう少ししっかりポポロカや梔子高の説明を聞いておくべきだったって思った」
一息。
おおよそ、年下の少年に振るっていい態度ではない。ただ、言うべきことはすべて言った。
……いや、違う。
言うべきことではない。それはただの、言いたいことだった。意識とは関係無く口から飛び出した、自分ですら本心なのかどうかの判断に困るような、
罵詈雑言。
ああ、そうか。
イライラしているのか、僕は。
理由は、考えるまでもない。
だって、振り回されてばかりじゃないか。
思い返してみれば、帰宅路でハユマの下敷きになった日から今まで、僕は振り回されっぱなしではなかっただろうか?
ハユマには脳みそに妙な細工をされたし、ポポロカや梔子高には小難しい事情説明に翻弄された。そして梔子高単体ですら、ここ数日の動向は目に余るものがある。
そして今、ポポロカ含む案件の関与者達は。
押し付けようとしている。
僕が振り回されっぱなしであるのを良いことに、ここぞとばかりに責任を押し付けようとしているのだ。そうに決まっている。
そろそろ、振り回されて、で済む範疇ではない。
もう一息。
吸った空気で頭を冷やし、今度こそ、言うべきことを言った。
「無理だよ、僕には。僕には、出来ない」
「出来る」
しかしポポロカは、そんな僕の言葉を真っ向否定する。肯定の言葉を使って、否定する。
「理解して欲しいの。ミヤコの意思はどうあれ、これは決まったことなのよ。もしかしたら、おじじ様が決断を下すよりもずっと前から、既にそれは決められていたこと……確定事項だったのかもしれないのね」
「……出来ないよ」
「出来る、出来ないの話じゃないの。ミヤコは、それをするのよ」
「っ!」
いい加減にしろ!
そう怒鳴ろうとしたのだ。だから、息を吸った。それだけで反復横跳びを三十秒間は継続出来るのではないかというような酸素を、そのたった一言の為に吸った。
そして、吸った息を、飲んだ。
ポポロカが、僕の目を見ていた。
それは、覚悟の目。決意の目。
「何があっても。誰が、どうなっても」
さぞかし、格好がつかないことだろう。傍から見れば、自分の身の丈半分にも満たない園児とも見紛う少年に気圧された高校生としか映らない筈だ。
そう、身の丈半分にも満たない、男の子だ。
なのに。
……何で、そんな目が出来るんだ?
「ミヤコ。決して貴方を責めることはしない」
そう宣言され、僕はもう、何も言えなくなった。
だって。
本気で、言っている。
こんなに決意に満ちた目で、嘘などつけない筈だ。
例え、これから僕が世界の行く末を左右するような事件に身を投じて、その結果、これ以上無いくらいの悲惨な結末を迎える事になったとしても、何一つ文句も言わず、その結果を受け入れる。
ポポロカは、本気でそう言っている。
そんな、決意に満ちた目でメンチを切られてしまっては、だ。
自他共に認める「ヘタレ」の僕は、要求を飲むしかないではないか。
「理由を、聞かせて欲しい」
顔面の目から上を掌で覆って、僕は嘯くようにポポロカに問い掛けた。
僕ではいけない理由なら、幾らでも用意出来る。ワゴンでセールを催してもいいくらいに山ほど、だ。もしかしたら大食漢が前提条件なのかもしれないし、視力が良過ぎるといけない理由も無いとは言えないことだし。
「期待に添えられないようで申し訳無いんだけど、僕はポポロカのようなカスカも使えないし、梔子高みたいな切れ者というわけでもない。一房幾らのただの学生だよ?」
それどころか、通常平均を下回っている恐れもある。何故、こんな僕を選ぶ必要があるのだろうか?
なんてことを考えてはみたものの、実のところ、予想は出来ている。
ポポロカがここに、僕だけを連れてきた理由。
お祖父さんの、ハユマではなく僕がここに居る、という発言。
異空間同位体が、同じ世界に同時に存在しているというイレギュラー。
それらの情報を統括して考えれば、幾ら僕でもおおよその予想は付くものだ。
「ミヤコが、ハユマ様の異空間同位体だから」
肩をすくませ、鼻で溜息をついた。
そんなことだろうとは思ってたけどさ。まさかそのまんまだとは、ね。
「説は元々出ていたの。〈ンル=シド〉の対を成す〈エティエンナ〉が、一般的な存在と同程度のものである筈は無い。〈ンル=シド〉同様、〈エティエンナ〉にも何かしらの能力が付与されているに違いない、という説が。実際、異空間同位体の同世界滞在可能説が最も有力な説であったことも事実。ただ、確証は無かったの。それを証明するには、リスクが大き過ぎたから。それが今回、〈ンル=シド〉の能力暴走により証明された」
良く出来た皮肉だと思う。対抗勢力の暴走が、明確な証明の材料となったわけだ。
「でも、それなりのペナルティもあったみたいなのね。今朝、ハユマ様が仮死状態で発見されたのは、それに起因するの」
「説明を、お願いしてもいいかな?」
聞いたところでこれっぽっちも理解出来ない自信があるが、聞かないでいるよりは聞いておいた方が良いだろう。何せ、他人事ながら私事に他ならないのだ。
ポポロカが帽子の位置を整えて、人差し指を伸ばした。
「つまり、存在は『二』であっても、情報は『一』なの。ミヤコとハユマ様は、同じ空間に同時に滞在することは可能ではある。でもその代わり、本来『一』として計算されていた存在するための情報を、二分割する必要があったのよ。この場合の情報と言う単語は、そのまま『生命力』って単語に置き換えても通用するのね。目分量だけど、元々この世界の存在だったミヤコに〇・七、元々違う世界の存在だったハユマ様に〇・三ってとこだと思うの。後は単純に、連日の行動そのものに対する疲労も相俟って、生命維持が困難になってしまった」
「それで仮死、か」
「仮定の範疇だけど、きっと間違ってはいないと思うのよ」
ポポロカがそう言うのなら、きっとそうなのだろう。ここ数日、爽快な目覚ましとはご無沙汰な僕自身も、それの証明となっている。
「〈エティエンナ〉の力が異空間同位体の同世界滞在である以上、ミヤコがこの世界に留まっている事には、きっと意味がある。それが、ミヤコに託す理由なの。それに、ハユマ様があんな事になってしまった以上、希望を託すことが出来るのは、ハユマ様の異空間同位体であるミヤコだけなのね」
そうは言われても、ちっとも光栄ではない。何とならば、何が起こっているのか解らなければ、何をすればいいのかも解らないのだ。気分は前任の汚職の責任を擦り付けられた中間管理職員である。
「どうすれば、いいのさ? 僕は、何をすればいい?」
過去に世界を救った経験があるのならば、その経験を元に臨機応変に動けるのだろうが、当然の如く僕は世界など救った例など無い。未経験だ。今すぐ書店に行って「猿でも解る世界の救い方」なる本を探した方がいいのか?
「今まで通りでいいのね。特に、何かをしなければいけないってことは無い筈なのよ」
「筈、って……」
ポポロカが考察もせずにあっけらかんとそう宣言し、僕は狼狽する。
「そもそも、ポポロカやおじじ様がこれまで行ってきた行動や考察は、そのすべてが、ポポロカ達の望む結果を得る為のものに過ぎなかったの。世界や空間のバランスを崩すことなく、これまで存在していたものを、これまでと同じように流通させるという結果の為の。代償として、〈ンル=シド〉となった存在の抹消、或いは無力化という犠牲は出てしまうけれど、それは必要犠牲として処理せざるを得なかったのね。それが、ポポロカ達の限界」
早計な気もするが、おそらくは様々な考察が成されたのだろう。そしてリスクや犠牲等々、様々な議論を経て、今の結論に落ち着いたのだ、きっと。
「でも、新しい可能性が生まれた。それが〈エティエンナ〉であるハユマ様の異空間同位体であるミヤコ、貴方なのね。〈エティエンナ〉は確かに単一の存在ではあるけれど、〈エティエンナ〉であるハユマ様の異空間同位体との連携、及び協力の要請が可能であるならば、現行の手段よりも良い手段が見つかるかもしれない」
「協力と言われても、僕に何が出来るのやら……」
何というかこう、町一番の力持ちであったり、村一番のキレ者であったりとかならまだしも、残念ながら僕はごく普通の純日本人だ。多分、「ここは天照町です」という台詞を延々吐き続けるルーティーンを組み込まれた村人がお似合いだと思う。
「ミヤコは、ミヤコの思う通りに行動してくれればいいの。きっと、キッカケはある筈なのよ。そのキッカケがあった時に、ミヤコが正しいと思った行動を取ってくれればいいのね」
簡単に言ってくれる。僕のような青二才が正しいと思った行動なんて、大体の場合は間違っているものだ。のみならず、この世に生きる沢山の人達でさえ、本当に正しいこととは何なのかを考えあぐねているのではないのか?
「……極論を言うけれど」
頭を掻きながら、ポポロカに問う。
「僕が、世界なんかごちゃごちゃになっちゃえば良いと思ってたらどうするのさ? こんな世界は壊れてしまえば良いとか、もっと僕にとって都合の良い世界になれば良いとか、そういうことを考えていたら、どうするの?」
「そうなるように行動すればいいのね」
……。
即答、だった。
何の迷いも無い。まるで予め用意していた答えを言うように、ポポロカはそう答えたのだ。
「いいわけないじゃないか。そんなの、みんなが困るだろう?」
「でも、ミヤコにとっては望んだ結果」
僕が咽喉に言葉を詰まらせると、ポポロカは悪戯がバレた時のような無邪気な笑顔になった。
「ミヤコは意地悪なのね。ミヤコが世界を乱すような行動を取る筈が無いの。ダカチホがいる、この世界を」
「何でそこで梔子高が出てくるんだよ」
全部お見通しだと言わんばかりに語るポポロカに、少しだけムッとした。
「でも、実際にその通りなのよ。今までポポロカ達が行動していたことのその原理は、それもまた、ポポロカ達が望む結果に辿り着く為の行動に過ぎないの。おそらくは大多数の存在が賛成の手を挙げてくれるだろうけれど、決して全会一致というわけではないのね。だからミヤコはミヤコで、自分の望むように行動して、自分の望むような結果に辿り着いてくれればいいの」
随分なシナリオである。目的と結果が逆になっているわけだ。魔王を討伐するも、世界の半分を条件に加担するも、好きにしろと言われているようなものか。
「きっと、今はまだピンと来ないと思うの、無理も無いのね。さっきも言ったけど、キッカケは必ずある。だからそのキッカケの時までは、特に何もする必要は無いのよ」
溜息をついた。……それってつまり、全部僕に丸投げってことじゃないか。
「責任は取れない」
もう一度、掌で額を覆いながら、呟くようにポポロカに言った。
「善処はする。本当の意味で、僕に出来ることを全力でやるよ。けど、それで事態が何一つ変わらなくても……もしかしたら、今よりもずっと悪くなっても、僕は責任は取れない。それでもいいんだね?」
「構わない」
暗に拒否を示したつもりだったのだが、こうもあっさりと頷かれてしまっては、もう僕に拒否権は無いのだろう。
「お手伝いはするの。ただむしろ、この時点ではポポロカ達がミヤコの邪魔をしないようにしないといけないのね」
邪魔も何も、何も解らない今の段階では、何が邪魔で何が支援なのかも解りやしない。
……とりあえず、今出来ることと言えば、だ。
「ポポロカ、何が食べたい?」
「食べる?」
「朝ご飯。こんな時間だし、今朝も忙しかったみたいだし、何も食べてないんじゃない? 僕はお腹が空いてるし、とりあえず朝ご飯を食べたい」
腹が減っては何とやら、である。これまで通りで構わないというのなら、これまで通りに過ごしてやろうではないか。美味しいものでも食べて、お腹も気分も落ち着かせれば、何かこう……思いつくこともあるだろう。
「梔子高みたいに盛大な、とは言えないけれどね。ポポロカの食べたい物なら何を食べてもいいよ」
ポポロカは目を丸くしたが、構うものか。これまで散々ポポロカ達の事情に引きずりまわされたのだ。僕の主張がある時くらいは、押し通してやるのだ。
「ミートボール」
まん丸になっていた目が下向きの三日月になり、ポポロカはそうリクエストした。
「ダカチホが作ってくれたみたいなミートボールが食べたいの。もうお腹がペコペコなのね、今なら何個でも食べられるのよ」
「ミートボール、ね」
どうせ欠席届けは出ているのだ、今日という日は自主休校を満喫してやろうと思う。小さな町ではあるが、レストランの一つくらいはあるだろう。それにポポロカの勘違いも修正してやらねばならない。
ポポロカが食べたがっているのは、ミートボールではなくハンバーグだよ、と。