そうして。
外側から姿を現した住宅街は、先ほどまでの赴きとは随分異なっていた。
日はすっかり沈み、夜闇が黄色い口で大いに僕を笑っている。街灯がすべて灯り、その街灯の下には、明日には焼却処分される自分の運命にやさぐれたゴミ袋達が屯していた。
そして、変わっているのは赴きだけに留まらず、そこに居た人物模様も大いに改変されていた。
僕は、尻餅をついていた。心臓は取立て屋のノックのように強く早く鼓動し、足腰は怠惰の限りを尽くしている。宛らフルマラソンを完走した後のようだ。斯くてあればしばらくは使い物になりそうにもない。
そしてハユマに関しては、存在そのものが消え失せていた。
血塗れの状態で僕を下敷きにし、妙な暗示(カスカ、と言ったろうか)をかけるだけかけて、その副作用として頭痛と眩暈にさい悩まされる僕の背中をしきりに撫でていた彼女の存在は、まるで始めからそこにいなかったかのように、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。
夢でも、見ていたのだろうか?
今度ばかりは、そうは思わなかった。生まれてこの方、白昼夢に陥るなどという経験が無いのも勿論であるし、あの痛みが、あの鉄分臭さが、ほんのり残る頭痛が、背中に名残がある優しい手つきが、夢であったとは信じ難い。夢よりも夢らしい出来事ではあったが、きっとあれは夢ではない。
頬がかさついた。指先で擦ると、ぽろぽろと何かが剥がれ落ちた。
「う、わっ!」
剥がれ落ちた塗料の欠片に似ており、しかしやや粘度を残すそれは、紛れも無く乾燥した血液だった。おそらく甲冑に付着していたものが、衝突の際僕の頬に擦り付けられたのだろう。夢ではなかった、何よりの証拠である。
先ほどのように冷静にはなれなかった。あの時冷静でいられたのは、おそらくそれこそが、彼女がカスカと読んだものの効能の一つであり、そしてこんな風に心身共に平静でいられないのは、そのカスカとやらの効能が切れたからなのだろう。
冷静でいられた状態で最後に気付いた事を思い出す。
甲冑の外面についているのだから、それが彼女の血である可能性は低い。
じゃあ。
……誰の血なんだよ、あれは?
「~~っ!」
一頻り考え事をするには十分な時間を持ってしても尚、更なる休息を求める足腰を手で物理的に鞭打って、僕は一目散にその場を離れた。
──もう二度と会う事も無いだろう。
その彼女の言葉を、希望的観測の範疇を出る事はないものの、一重に信じたかった。