賭博異聞録シマウマ
第三十三話 ラストアタック
チュンチャン牌だらけの河でリーチ。
大物手の臭いが倉田の判断を致命的に誤らせてしまった。
ビクビクしながら牌山からひとつ摘んで持ってくる。
(や、やったッ!)
ツモ牌が安全牌だったがゆえ、ツモ切り。
ハッと気づいた時はもう遅い。
雨宮へのサシコミをしなかったのだ。
当たり牌は手の中に唸っていたというのに。
倉田は奇声を上げて頭をかきむしった。
雨宮は気狂いを一瞥もせずに卓を見ながら、ごくりと生唾を飲み込む。
親の追っかけリーチ。マンガン以上を振ってしまったら……
重しを乗せられたように鈍い動きでヤマから牌を引く。
(ツモアガリでもいい。次の八木が差し込んでくれてもいい。
とにかく、この一牌、こいつが天馬に当たらなければ……!)
引いた牌を指の腹で拭うように見た。
今夜の勝負を決するその牌は北。
四枚目の北――。
(……もし天馬が国士無双なら、この北以外に待ちはありえない。
カンして逃げようにも、国士は暗カンでチャンカンがついてしまう。
別の牌を切ることはできない。俺はリーチをしている。
つまり……
逃げ場なし……)
天馬が国士でなければ何の問題もない。
切ってしまえば、あっさり通るかもしれない。
麻雀なんて、所詮そんなものだ。
しかし、どうしてもそれができない。
火の手に怯え、八木と倉田が焦った顔を向けてくるが、雨宮はどうしても奮えなかった。
勝つための勇気を。
(うう……)
ありうる。国士のテンパイ。
あの天馬のクズ運からすると逆に引き寄せてしまったのかも。
(打てっ……打てっ……国士なんて……国士なんてっ……!!)
それでも消えない、麻雀打ちなら誰もが見る幻想。
嘲笑と共に倒される十三枚のイメージが脳裏に深く濃く焼きついて――。
雨宮はおもむろにツモった牌を裏返しのまま卓に叩きつけた。立ててあった手牌を伏せる。
ちょうどツモアガリの時の動作を逆さにした格好だ。
そうしてサッと席を当然のように立ったのだ。
おヒキの二人が唖然として雨宮を見上げる。
『席を立ってはいけない』
そのルールを雨宮自らが破った事態を理解できず顔を見合わせる。
「いくぞ……」
「えっ……?」
雨宮は強引に二人を立たせてスタスタと歩き始めた。
天馬の横を通り過ぎざまに、かすかな声で呟く。
「死んでしまえ……」
天馬はなにも答えず、じっと伏せた自分の手牌に目を落としていた。
牌の背に炎の影が揺らめいていた。
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雨宮、倉田、八木、そしてカガミは書斎を出た。
全員の視線が雨宮に集中する。
その途端、雨宮は俊敏な動きで壁際に設置してあった棚をひっくり返した。
派手な音を立てて中に飾ってあった盾や人形が床に散らばった。
かんしゃくを起こしたのか、と倉田と八木は肩をすぼめたが、違った。
雨宮はそれを引きずって動かし、書斎の扉と壁の間にはめ込んだ。
扉のドアノブを何度も引いて、開かないことを確認する。
それを見て二人は雨宮の行動の全容を悟ったようだった。
雨宮は覆いかぶさるようにカガミの両肩に手を置いて、搾り出すように言った。
ガラス玉に似たカガミの目を食い入るように雨宮は見つめた。
まるでその中に答えがあるかのように。
「シマは勝負を放棄した……俺は確かにルール違反を犯したが……
天馬が死ねば俺の勝ちだ……!!」
カガミは何も言わない。ただ血走った雨宮の両眼を見つめ返しているだけ。
「カガミ、よく考えてみてくれ。
俺はよく闘った。
あの状況からこの展開を考え出したんだ。
我ながら卑怯だが……それでも諦めなかった。
それこそ本当の強さだと思わないか。
GGSは真の強者を求めてるんだろ?
だったらこの結果を見てくれ。
俺はやつを業火の中に封じ込めた。
これが負けか? 違うだろ?
なあ、なんとか言ってくれよ。頼むよ。
天馬が死んだら、俺の勝ちだと……
認めてくれよ……!」
そして雨宮は見たのだった。
カガミがゆっくりとその細い顎を引いたのを。
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壊れた腕時計のベルトをきつく締め直しながら、少女の囁きのような火炎に天馬は耳を傾けていた。
もうすぐそれは断末魔の叫びと共に天馬のいる場所を襲い尽くすだろう。
何気なく手元の手牌を立てる。汗で牌がすっかりべとついていた。
今夜、みんなが流した血のような汗がすべての牌の表面をぬらめかせていた。
(…………)
最後の秘策は河の状況と雨宮のリーチだった。
振りかねない牌を持ってきたら、ヤツは逃げ出し、自分を閉じ込めるだろう。
そこまで見当をつけ、そしてその通りになった。
だが、ここまでだ。
それから先のことはなにも考えていない。
扉の外でなにか重いものが動かされる気配があった。
見なくてもわかる、おそらく廊下に置いてあった棚でこの書斎を閉鎖したのだろう。
この書斎に窓はない。出入口はひとつだけだ。
蒸気のように熱を持った息を吐き出すと、獣になったような心持がした。
恐怖とスリルが天馬の脳髄をビリビリと刺激する。
同時に自分の中の、形状しがたい、言うならば魂が熱くなるのを感じた。
生きている。その喜びが、死を前にして胸の中で竜巻となって荒れ狂っていた。
必ず道を探し出し、生きてここを出る。
天馬は席を離れて、燃え盛る炎が見える位置に立った。
策も理も才もない。
それでもオレはオレを信じる。
オレの信じたいものを信じ続ける。
そう……
いつだって不幸の森の奥深く……
逆転への切り札は眠っているのだ。