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賭博異聞録シマウマ
デブシマ8話『ペナルティ』

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 シマは額に手を当てて俯いていた。ぐったりしていて全身から疲労の色が立ち込めている。
 敗北すれば生きながら喰われてしまう勝負で、相手が一回戦をストレート勝ち。
 嫌になって当然だ、と黒瀬は思った。
 こんな状況を平然と受け止めていたら、人間じゃない。
 シマだってどんなに強がっていても、その正体はただの女の子。
 どうか自暴自棄にならないでいて欲しい。
 どんなに涙で潤んだ眼を向けられたって、黒瀬はジャッジの立場を離れられない。
 職務もなにもかも忘れてデブチィをボコしてこの場を去りたい気持ちを必死に抑える。
 そしてこれ以上の暴虐をやめるよう心の中で神に祈った。
 それが無駄だと感じながらも。


 本来、GGS-NETは対戦者同士の実力に決定的な差がある場合、有利な側にハンデを加える。勝負を公平なものにするためだ。
 だがデブチィは自分の異能のことを誰にも言わずに生きてきた。実の母親だろうと血肉となった娘だろうと知りはしない。
 秘密は神の掌の上を転がっていて、下界からは見えないのだ。
(俺はこの記憶力を頼りにしていくつもの賭場を生き延びてきた。
 ブラックジャックも、麻雀も、神経衰弱も、確かに見たという『現実』を誰よりも色濃く手にしていたから勝利できてきたんだ。
 シマ……。
 おまえなんぞ、俺にとっちゃただの雑草に過ぎない――)
「それでは……第二回戦を始めたいと思います。よろしいですか、シマさま」
 シマは虚ろな目で黒瀬を見上げ、まるで初めて彼がそこにいることに気づいたような顔をした。
 タバコをもう一本取り出し、のろのろした動きで火を点ける。
「シマさま?」
「いいよ……次のゲーム、始めて」
 黒瀬はギクシャクと頷いた。
 本当に今度こそ、ダメなのだろうか。
(シマ……!)
「デブヒィ」
 タバコを咥えたままだったので発音が舌足らずになった。
 デブチィは顔も上げなかった。分厚い胸の内ではもうすでにシマの調理方法に思いを馳せている。
 それでも画面からは視線を離さない。
 黒瀬がカードオープンを宣言し、場の空気が一気に破裂しかけ、
「これでも喰らえ」
 じゅ。


「あづっ!!!」
 大げさだった。それでも不意を突かれたデブチィにとっては驚くべき衝撃だった。
 椅子から転げ落ちて口を押しつぶすように覆っている。その目尻には涙さえ浮かんでいた。人を喰おうが博打をしようが熱いものは熱い。
 彼の巨体の体重を受け止め切った偉大なる床に、まだ先端の赤いタバコが転がっていた。
「なァんだ」
 頬杖を突いたシマが目を糸よりも細くして嘲笑う。
「意外と根性なしじゃん」
 卓上に戻ってきたデブチィの顔は眉が吊り上がり鬼のようになっていた。
 目は限界ギリギリまで見開かれ、コメカミには破裂の心配をしたくなる青筋が浮かんでいる。
「貴様ァ……!」
 カードオープンの瞬間、シマはタバコを吹き出したのだ。
 画面に集中していたデブチィは払い落とすことができず、唇にモロに根性焼きを頂いてしまった。
(それだけじゃない!)
 今なお熱を持っているぷにぷにした肉をさすりながら拳を握り締める。
(それでも、倒れ掛かる時にカードの画面を見る余裕はあった!
 なのにこいつが……)
 倒れ掛かるデブチィを、シマは微笑みながら眺めていた。
 その手元ではすべてのカードが、命運を握る札が明示されていたというのに。
 理外の行動だった。
 もしデブチィがカードを見ていたら一発勝ちが発生するのだから、先攻のシマは少しでも勝率を上げるためにもカードを見ておくべきだったのだ。
 それが普通の人間の取る間違いのない選択。
 正解と言ってよい行動。
 シマはそれをしなかった。
 その理解不能っぷりがデブチィの思考を止め、妖しく光る眼がデブチィの視線を釘付けにした。
 ほんの一瞬の出来事だった。


「ジャッジさんよ……俺ァ頭に来たぜ。勝負中の暴力行為だろ、こりゃあ」
「…………」
 黒瀬は黙りこんでしまう。どうすればいいのかわからない。
 ジャッジの立場としては、今のはどう見たってシマに非がある。
 なんらかの制裁を求められるだろう。
 黒瀬の胃袋が「マスターおれマジもう限界っす無理っす今月一杯でやめさせてください」とばかりにキリキリと痛み始めた。
 どうすればいい。
「澄ました顔しやがって、このクソアマが!」
 唾を飛ばして怒鳴り散らすデブチィに対してシマの返信は簡潔だった。
「うすのろ」
 その日、黒瀬は初めて『怒髪天を突く』人間を見た。
 総毛立ったデブチィはおどおどし始めたジャッジをギロリを睨み、小生意気な対戦相手を顎でしゃくった。
「殴れ」
「は?」
「女と思うな。殴れ。殺す心配があるなら、平手にしてもいいぞ」
「殴る?」
(俺がシマを?)
 なにか言葉を発さなければ、と思えば思うほど黒瀬の思考はもつれて進まない。
 シマの真っ白ですべすべしたほっぺが照明灯の柔らかい光を反射して、饅頭に見える。
「さっさとやれ! 俺が受けた痛みを返してやるんだ! それがおまえの仕事だろう!」
 その通りだった。自分はこの場を取り仕切るジャッジであり、揉め事を起こしたのはシマであり、勝負を円滑にするためには制裁を行わなければならない。
 饅頭をぶたなきゃならない。
(やだ)
 頭の中で黒瀬の心の声が反響するのと、シマが言うのが同時だった。
「やりなよ」
 ああ、シマの目が言っている。
 エコヒイキなどするな。
 自分を誰だと思っている。
 嶋あやめだぞ。
 パンチひとつで泣き言など漏らすもんか。
 心配しなくていい。
 この鬼は、これから倒す。
 絶対に。
 黒瀬は思いきり殴った。
 シマを信じているから、殴ったのだ。

       

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