地下鉄の階段を登るとそこは――
「あーもう!裾ドロッドロだよ」
「毎年の事ながらうんざりするな…」
流石は雪国であった。
この地域の四月始めは最低気温、一桁台をマーク。
おまけに歩道の上には黒蜜をかけられたシャーベットが残っている。
「けど今日は天気いいからまだマシだろ」
「まーな。来週からチャリ乗れっかな?」
ボヤキにも似た会話を繰り返しながらローカルな悪路を2人で歩みつづける。
「それにしても今度の担任、牧ちゃんでよかったぜ」
「それは言えてるな」
・牧瑞穂(まき みずほ)
・年齢不詳(20代半ば~後半と思われる)
・現国担当
・女子バレー部顧問
・ボケもツッコミもこなせる
・世駒高校では珍しい『生徒に人気のある教師』
プロフィールはこんなところか…
「そういえば誰かが早速怒られていたな」
「言うなっつーの」
クラス委員を決めるRHR開始10分、居眠りを始めた啓太は3分後に運悪く担任に見つかってしまう。
担任牧は啓太の白髪混じりの弱天パを左手でムンズと掴み、首を後屈させこう言った。
「新担任の前でイキナリ居眠りとはいい度胸をしてるね。その勇気に免じて三つの中から選ばせてあげよう。1,このまま頭皮ごと毛髪を引き抜かれる。2,瞼を千切られる。3,私の前で二度と居眠りをしないとここで誓う。遠慮はいらんよ」
無論、啓太に選択の余地はないので1秒と経たずに
「3っス!もう二度としませんお許し下さい!」
と切り返し、事なきを得、こうして無事に帰路に着くことが出来た。
「はぁ、アレはビビったな…けど」
「けど?」
「やっぱおっぱいデカかったわ。牧ちゃん」
やれやれ呆れてしまう…と言いたいところだが、思春期の男子生徒ならば当然の反応である。
何しろ男子生徒からの人気の理由の5割は容姿。
平たく言うと『美人で ないすばでぃ』だから。
もちろん彼女は一人の人間として尊敬する部分は十分ある。
因みに俺も健全な男子生徒の一人であることに変わりはなかった。
「……コレ今朝は無かったよな?」
「ああ、あったら多分気づいてるぞ」
今の状況を簡単に説明するとしよう。
歩道の脇、ダンボール、毛布、そして子猫。
実にシンプルかつ分かりやすい捨て猫たる捨て猫が足元にいた。
よく見るとダンボールの中には紙切れが一枚入っているようだ。
【拾えよ。そして育てれ】
「何コレ?なんで命令口調なワケ?」
「完全に舐めてるな」
白い物体はプー〇ん柄の毛布に包まって、にーにーと消え入りそうな声を出している。
「無責任もいいところだな。こんな時期に捨てるなんて正気の沙汰とは思えない」
いや、そもそも捨てること事態が気に食わない。
飼えなくなった途端に、いきなり取る手段が何故これなのか?
「お怒りのところ悪いんだけど…」
啓太が俺の思考に割って入ってきた。
「結局どうするのコイツ。俺の体が猫ダメなのは知ってるよな?」
「ああ…」
啓太は肌にクるタイプの極度の猫アレルギーだと前に聞いた。
本人曰く、『猫鍋を食うと死ぬ』そうだ。
「お前が飼うの?お前ん家のマンションってペット可だっけ?」
「不可だけど…でもこのままにはしておけない」
「おいおい」
学生バッグを肘に掛けて、少し底の湿ったダンボールを腹と両の手で持ち上げる。
「持ち帰って親に事情話すよ」
「許してくれるのか?」
「ダメだろうな。でも期限付きで里親を見つけるまでの間ならなんとかなると思う」
「期限付きって…見つからなかったら?」
「…」
久々に痛いところを啓太に突かれた。
確かに里親が100%見つかる保障はないのだ。
「それこそ無責任じゃねーか。お前は…偽善者になりてーの?」
容赦なく啓太言葉が攻め立てる。
「でも…何もしないよりいいだろ。見つかる可能性だって無い訳じゃない」
「はぁ、しょうがねーなお前は…じゃ俺も知り合いに聞いてみるから猫の世話ちゃんとしろよ?」
「え?あ、ああ」
「そしたら帰るわ。じゃあな」
「おう…」
突然の言葉に虚を突かれてしまった。
既にアイツの姿は曲がり角の奥に消え、しばらく立ち尽くしていた俺も子猫の鳴き声で我に返り、自分の家に向かうことにした。
―完全にやられた。
きっとアイツは俺が猫を持ち帰ろうとするのは分かっていたんだろう。
そして俺は自分の猪突猛進ぷりを嗜められて子供のように諭されてしまった。
俺が折れないことも見えていただろうにその上で協力すると言われてしまっては、アイツに感謝するより他はない。
全く、俺と啓太は伊達に長く付き合ってはいないというわけだ。
さてと、帰ったら親との交渉か。
分かってくれるとは思うが…