Neetel Inside 文芸新都
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レンドルミンと退屈な日々
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「で、何でそんな突飛なことを思うの?」

 糊原はそう言うと、通気孔の無いマイルドセブンの火を消した。

 確かに早とちりをするのは、私の悪癖である。生まれてこの方というもの、知り合った者に対する印象とその現実が一致したことは無い。相手が特に意味もなく無言で離れると、先ほどの世間話でお気を悪くしたのだろうかと心痛になり、また相手が微笑を浮かべて肯定的な返答を得れば、これは一種の儀礼であり内心では苛立っていると気を揉む――私は概ね、かような思考回路で生きている。

 これらの想いは支離滅裂では無い。どれもこれも、表になって現れた根拠がある。私の言動然り、相手の言動然り、もちろんその場の状況も含まれる。しかし後になって伺うと、んなーこたないと愛嬌のある声で返されたり、違いますとその笑い皺を1ミリたりとも動かさずに仰るのである。これでもなお私の勝手な想いが考えであり続けるのなら、それはザルツブルク勧告の電磁波基準値に一喜一憂する擬似科学信奉者と同じである。

「やっぱりいつものトランス状態か。」

 この私のとち狂い方を、糊原はトランス状態と名付けて愛用している。シンプルで卒が無い。実に的確な表現である。私が糊原の立場であるのなら、話を聞く度に的確な表現を試みた末に、語数は増え、句読点までもが現れ、時が1分少々進んでしまうであろう。

「まあ飲めよ。飲んだら忘れる。」

 全くこの男は、仕様がなくなると酒である。手にはカルーアミルクが注がれたグラスを持っている。このバーの内装は決してみずぼらしくは無いが、不自然な程に安い。中国産の牛乳を使っているのでは無いかと疑ってしまう。しかし味は価格相応にまずくは無い。これが如何わしさに拍車をかけている。しかしショバ代を求める商売とは、概してこのようなものだろう。内装を良くして、舌で感じる味を無理やり良くして、安定した利益を求める。この場において選択と集中は働かない。既にバーとして事業が選択され、資本が集中しているからである。いづれはこれら諸論に対してより深い考察が与えられることであろう。きっと。

「眠たいか?もう出ようぜ。」

 気づけばもう日を越えようとしている。一体全体何のことやら忘れてしまった。窓の外の人通りは少ない。痺れた脚をよいしょと伸ばすと、場の湿気が若干少なくなったような気がした。

 結局の所、私の疑念は酒で解決したようであった。やはり糊原は的確な男である。

   [廃品回収業者のチラシの裏より]



     

 熟睡した。酔いも八割方醒めたようだ。この1Kの賃貸は東向きである。曙の様は摺りガラスで見えないが、とにかく朝日で目が眩む。かつてのロムスカも心配のし過ぎではないかという戯れ言を訊き、周囲が見えなくなったのであろうか。

 朝食は、やはり一膳一汁一菜である。地域環境と共に育まれた料理は、科学的にも健康によいと裏付けが取れているのであろう。何しろ作りやすい。穀類は原料に水を入れて熱するだけ。スープは素と具と水を入れて熱するだけ。野菜は塩の味付けにして数日放置するだけ。もしあなたに欧米の友人がいるのなら、彼ら彼女らが今まで生地を捏ねてそれぞれ何枚パンを焼いたかを胸に手を当てて考えてみるべきである。

 昼はイタリアンでランチでは無い。公園でコンビニおにぎりである。デザートはヨーグルト。ヨーグルトはブルガリア。残念なことにいいえ、ケフィアとは言いようが無い。大量のドバトがウザい。お人好しもといお鳥好しの住民が与えるパンの耳により、体内は50%のモッツァレラチーズと28%のトマトソース、11%のオリーブオイルと7%のアンチョビ、そして4%のバジルでできていると見受けられる。正直こうはなりたく無い。それでもなお、今にも米粒と野菜生活を求めて寄って集って来そうである。羊水が腐る年齢のあたりから、女はドバトと野良犬という二種類のジャンルに分かれるらしい。これはあるある大辞典で得た豆知識である。

 三時はのど飴。加湿器など無く、乾燥したオフィスではこれ以外選択肢が無いと自負している。同僚はお徳用パックからキットカットを出したり、白い恋人のようなプチを食べたりしている。衝動買いしたマイクロダイエットパウダーが大量に余って、後悔しながら経口処理する者もいる。飴はビタミンC入り。天童よしみの例のあれではない。安い類似品だ。正直この時を逃すと、一体全体どこで肌を何とか維持するだけのビタミンやミネラルを摂取しているのか謎である。

 夜は取り立てて言うべきことは何もない。敢えて言うなら残りである。巷では日本ハムのシャウエッセンが夕食の定番であるらしいが、私にとっては全くの都市伝説である。動物性タンパクを摂る機会は殆ど無い。牛乳も嫌いである。確かに栄養は偏っているだろうが、特に今のところは問題無い。肉を買ったら負けかなと思ってる。そもそも無駄に油を喉という皮膚に塗り込めたくない。前科持ちになってリストラされ、縁起が悪そうである。私は草野球チームにすら入っていないので。

 部屋にある低い棚の上には、達磨を二個置いている。唯一の調度品。糊原と北関東の中山道宿場町へ行ったときのお土産である。確か東国の大名がなんたらかんたらという薀蓄を聞いた。レンドルミンを一錠飲むと、達磨が私を見つめて何かを訴えているような気がする。しかし頭がよく回らないので、私はゆっくり布団を敷いて、床へ就くことにしている。

 以上が、私の一般的な日常である。

   [レジ袋がいるスーパーのチラシの裏より]



     

 先日とある娘(こ)に、以前書いたチラシの裏2枚を見られた。

 その娘は小さな唇を精一杯斜め上へと伸ばしてニヤつき、私に子供じみた悪戯をすると言う。チラシを皆に見せると意気込んでいる。別にと言おうとするや否や、糊原にもみせると甲高い、しかし掠れることのない声で叫ぶ。確かにそれは困る。概して24時間のうち半分を共に過ごす者にわざわざ言う必要が無い、あるいは言いそびれて、これ以上伝える機会が無いからこそ書き付けておくのである。今のところまだ大した内容は無いが、いつ機密を守る必要が生じるかは分からない。今、この瞬間より見せられないことかもしれない。私にも人並みの羞恥心位はある。あの雛壇クイズ番組も少し位は見たことがある。

 そんなことを平易に伝えると、ただ一言、ドジとその娘は言う。これを否定するには、サイレントマジョリティを考慮するしか他に無い。理不尽に叱るしか打つ手は無いのかという考えが頭をよぎったその時、私のこともちゃんと書けば誰にも見せないのにと、明らかに拗ねた声でぐずった。仕方が無い。

 ――まなみちゃん――

 この娘について私が何か発話することは場の緊張を解くよいフラグとなる。子供嫌いの者さえいなければ。幼女特有のあどけなさ、無邪気さ、おぼこさ。これらが渾然一体となって、聞きし者の脳細胞の調子は確かに整えられるのである。フェロモン入り香水の処方を検討している者は、身の回りのクソガキ言行録でも一度話してみると良いだろう。

 しかし友人知人らが抱くこれらの感情——それらは所詮百聞して得た他人事に過ぎない。一見するだけではなお分からない可能性すらある。身内になれば初めて分かる。如何にして、この娘が、己の神経の働きを緩め、不愉快にしか感じられない存在であるかが。尤も友人知人らにしても神経の働きが緩んだ結果の和みであり、温もりでいっぱいなどと仰る御仁すら出現する要因となっているのではあるが。とりあえず今のところは、この娘はちゃん付けして呼ばないとすぐに泣き出す輩である、これだけは記しておきたい。

   [自己啓発書籍のチラシの裏より]



       

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