Neetel Inside 文芸新都
表紙

午睡旅人
十一話目「藍蓮迷走」

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 クラマさんと話した後は、また町を彷徨った。無目的だったので脚が疲れただけで、収穫はなかった。夕食は宿の近くの食堂で、豆のスープと野菜炒め、固ゆで卵を食べた。帝都から来たという商人の一団がいたので話を聞く。おおむねカスガさんに聞いた印象に違わぬ、機械仕掛けの要塞であるとの評判だ。どうやら帝都の東の端を〈アイレン〉と呼ぶらしかった。月の話を聞いたけれど、彼らはアイレンを素通りして来たらしく、詳しくは知らなかった。しかし、魔術がかけられた忌まわしい満月の噂だけは聞いたことがあるという。その正体を知るには、実際に行ってみるのが一番だろう。

 日が落ちるとどうも、すぐに眠くなってきた。
 宿に戻ってベッドに横たわる。しばらくしてから、ぼくはミアに声をかけてみた。
「ミア。まだ起きている?」
 返事はなかった。もう寝ているのだろうか。
「そのまま聞いて。ぼくは記憶を取り戻そうかと思う」
 彼女は動かない。
「君がもし何かを憂慮していたとしても……やっぱりぼくは、自分の記憶というものに、どこかで執着しているのかも知れない。失ったとはいえ、自分の一部だったものだからね。だけど記憶を取り戻した後も、君とはまだ旅をしていたいよ……君はぼくの、旅の相棒だから……ああ、何だかうまく言えないな……寝ようか。……おやすみ」
 ミアの返事はないまま、ぼくは目をつぶった。
 眠気とともに、妙な感覚が到来した――懐かしさ、と言うべきだろうか。僅かばかりの切なさをともなう感情だ――その奇妙でどこか心地良い感情とともに、ぼくは眠りに就いた。

 ぼくは赤い月の下を歩いていた。竜の魂が空に宿り、月を通してぼくらを見下ろしている。おびただしい数の魂が月へ昇って行く――蒼白いその光はとても美しかった。
 いずれはぼくもその一つとなるのだろうか。
 道の先にあの女性が立っていた。冷たい笑顔だ――まるで体温なんてないような。
 ……君はこれから旅に出るんだ……東の地へ…………とともに。まるで午睡の中を彷徨うように歩くが良い……わたしはここで待っているよ……君のことを……
 彼女がぼくに近づいてくる……どうやら抱擁するつもりらしい。ぼくは身動き一つできずそれを待っていた。彼女の腕は冷たくぼくを包んだ……

 目覚めてからしばらくぼくは動けなかった。夢の中で見たあの女性の腕の感触が、残っている気がしたから。帝都に近づくにつれて、夢の中身がはっきりし始めた気がする……彼女はぼくを「待っている」と言った。旅の起点は帝都だったのだろうか。いずれにしても、彼女に会えばはっきりする……やはり、最初はどうでも良いと思っていた自分の記憶を、取り戻したいと思い始めている。なぜだろう。ぼくは、あの女性に会いたがっているのだろうか。

 アイレンへ行くバスの中、ぼくはクラマさんの忠告を思い出していた。
 ――満月の夜は音を出してはいけない。
 やはり気になった。満月までは日がある。それまで滞在してみようか、とぼくはミアに言った。彼女は黙って、こくりと頷いた。
 早朝に出発したバスは昼過ぎまでひたすら、錆色の大地を走った。
 荒野を西へ抜けると、今までと少しばかり様子が異なってきた。ぼくらがこれまで見てきた町はどれも、草原の真ん中に浮かぶ島のような存在だった。しかし、このアイレンはそうではなかった。町が原野を飲み込んでいる――それが率直な感想だった。遥か彼方から建物が並んでいるのが見えた。それは町と言うより、海だった。平原を東に向かって侵食する灰色の海。ブリキと鉄と石と、硝子でできた海……
 アイレンは東へ東へと動き続けるのか。かつてアイレンであった場所はいつの日か、帝都の内部と化していくのだろうか。
 バスが町へ入るとぼくはまたしても妙な懐かしさを覚えた――ここにかつて来たことがある。
 それが収まると今度は、恐るべき都市の複雑さに眩暈がした。アイレンの道は広く、車や路面電車が行きかっている。そして大通りから一本入れば、リザ並みの迷い道が広がっているようだった。この町にも案内人はいるのだろうか――いてくれないとまずい……。
 しかし話に聞いていた、鉄の要塞のような帝都とは様相が異なった。大都会ではあるけれど、それほど無骨な印象はなく生活臭が感じられる。帝都の中心へ行くに従って、さらに町は姿を変えていくのだろうか。

 アイレン東駅のバス停へ到着して、まずは人の多さに驚いた。リュウズの祭りと同じくらいの混雑だ。しかもどうやら、今日は何か催しがあるというわけでもなさそうだった。日々これだけの人が押しかけているのだろうか。ここで戸惑っては田舎者丸出しだから、なんとか平静を装った。
 交差点を渡ろうとすれば、信号が青になったとたん人の波が道に押し寄せる。ぼくはミアの手をしっかり握ってその中へ身を投じた。
 道を渡るだけで困憊してしまった。我ながらなんて体たらくだろう。かつてここにいたときも、こんな有様だったのだろうか、ぼくは。
「いやどう考えても、人が多すぎると思うのだけれど」誰に言うでもなくそう呟いた。
 そのままふらふらと歩き、宿を探した。駅前にあるのは高級そうな旅館のみだ。屋根があり眠れれば良い。安宿を探しぼくらは駅からどんどん離れていった。
 もう、半ば駅に戻る希望を捨てて歩く。時には路面電車に轢かれそうになり。時には気づかずに同じ場所をぐるぐると三周ほどしたり。
 空に端が欠けた蒼い月が昇るころ、ぼくは今までの旅で一番疲れ、またミアにたびたび支えられて歩くという有様だった。
 道の角を曲がると、突然開けた場所に出た。住宅街の中に森があった。門と、その向こうに見える鬱蒼とした木々。そのどちらもが見上げるほどに巨大だ。森林は夕闇に沈み、オレンジ色の灯りがそれを照らしている。
 森の上からは巨大な何かが突き出ていた――リュウズの町でも見た、竜の頭。
 あれはもしかすると、この地にかつて存在していたという〈竜〉――その亡骸なのか。ここはあの竜をまつっている場所というわけか。
 門の中へは何人もの参拝客らしき人々が入り、また出て来る。ぼくらもひとつ、見に行こうか。そう思い、森の中に続く広い道を歩き出した。
 真っ直ぐ〈竜〉に向かう道を行くと、やがてそれが見えてきた。森の中心に立つ巨木――〈竜〉の体に木が巻きつき。枝を伸ばし葉をつけている。竜の亡骸から木が生えたのか。それは荘厳な眺めだった。ぼくはしばしの間疲れを忘れ、死してなお倒れることのない竜を見つめていた。石と化し木が根を下ろすその体は、千年後もきっとこのままだろう。

 宿を探すのを諦め、近くの公園で野宿することにした。住宅街の只中、静かで人通りも少ない場所だ。東屋の椅子にぼくらは座り、ぼんやりとこれまでのことを考えていた。
 そう長い道のりではなかったと思う――クラマさんのような、本当の〈旅人〉に比べれば。それでもぼくにとっては、偉大な旅だったと思う。
 蒼い月の表面に浮かぶ、飛び跳ねる兎のような模様を見ているうちに、ぼくは眠りに落ちていった。

 ……その日見た夢は覚えていない……どこか暗くて広大な場所にぼくはいた気がする……そこで何かを見たはずだ……しかしそれが何なのかは、すっぽりと抜け落ちたように分からない……

 翌朝、朝霧の中ぼくは目を覚ました。
 どこからか放送が聞こえてくる……
〈二日後ハ満月ノ日デス……ドナタ様モ夜間ノ外出ヲオ控エ願イマスヨウ……〉
 わざわざ明後日の満月を警告しているとは。これは、満月の日に出歩き大きな音を出したのなら、本当に何かが起こるらしい――危険な何かが。ぼくは興味を覚えずにいられなかった。
 ミアはまだ寝ている。靄の向こうには、竜の頭がぼんやり見える。ずいぶんと濃い朝霧だ。
 そのとき、誰かの足音が聞こえた。霧で姿は見えないけれど、こちらに歩いてくるようだ。
「こんな朝から人に会うとは。これも何かの縁だな」
 若い男の声がした。色眼鏡をかけた白髪の人物が、霧の向こうから姿を見せる。見覚えのある顔だった。
「どうだい、仕入れたばかりのこの紅蓮晶蝶を一匹……おや。おたくら、リュウズで会ったな」
 彼――蝶売りの魔術師、イツは笑って言った。
「やっぱり縁があるねえ」


       

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