期間限定の僕ら
期間限定の僕ら1
今日も面倒くさい校内集会が始まった。
なんというか、本当に集会なんて存在は面倒くさいことこの上ないのだ。本来あるべき授業の時間をひたすらに立って過ごし続け、校歌を歌い、校長の話を右から左へと聞き流す作業。この作業をすることで一体どんなことを学べるのだろうか。我慢することかそれとも人が毎回大事そうに語る話の内容を右から左へと聞き流し、約五十分間をつったったまま熟睡することだろうか。
考えたって何も浮かびやしない。まあ受験シーズンも幕を下ろし、もうすぐ卒業式という状況で今更考える事でもないというのは確かにあるかもしれない。
「――おい、駿」
後ろから僕を呼ぶ微かな声が聞こえる。校長の洗脳ですかとでも言わんばかりの大音量の音声に瞬時にかき消されそうなほど小さな声。
それを僕は見事に聞き取った。やるじゃんとか少し自分の聴覚を褒めてやりたくなった。
「――なんだよ、翔」
後方をチラリと一瞥し、声をかけてきた彼―坂田翔―に同じく小声で返事を返す。彼がある程度反応を示している辺り、校長の大音量の声に言葉をかき消すほどの力はないらしい。つまり僕の耳は偉くも何ともないという事だ。あまり知りたくない事実だったが、まあ耳の一つや二つ優れてなくたってどうでもいいよ実際。
―― 昼 は 屋 上 で
無音のまま口だけを動かしての言葉。読唇術を極めた覚えはまるでないが、三年間毎日のように言われていた言葉だ。流石に口の動きだけで分かる。
僕は正面を向きつつも、彼に右手で了解したという合図を送っておく。以前頷いてみたとき、担任に後頭部を思い切りはたかれた経験があって以来重用されている方法だ。ツーとかトンとか今時の人間は使わないのだとか自慢げに言ったら流石に呆れられてしまったけど……。
彼に合図を送った後、僕はふと隣で直立している女子に視線を向ける。
彼女は僕の視線に気づくと、軽く微笑んだ。僕も彼女に微笑み返しておく。
薄い茶のセミロングに、すらりと伸びた綺麗な足と手。そして程よく出ている胸に整った綺麗という言葉の似合う顔。
どれをとっても一級品なその彼女を見て、思わず胸をときめかせた。多分、校内すべての人間が同じ魔法にかかると保証が出来る。
だって、彼女はこの学校で最も有名な「美少女」なのだから――
―期間限定の僕ら1―
―水曜日―
「本当に、何していても綺麗だよな」
翔は手すりに寄り掛かり菓子パンを頬張りながらぼんやりとそんな言葉を口から吐き出した。
「誰?」
「綾瀬さんでしょう?」
不意に開いた扉から、三つのジュース缶を抱えて息を切らしている男がこちらに寄りながらそう僕らの会話に介入してくる。
「よう駿介、パシりありがとうな」
菅野駿介に投げつけられた缶ジュースを受取り、美味そうにゴクリと喉を鳴らしぷはぁと声を満足そうに声をあげる。
「次は絶対にお前ら二人のどちらかを買いに行かせてやるからな……」
「そう言って毎回大富豪で全敗しているのはどちら様だっけかな?」
う、と呻きながら駿介は身体をのけぞらせ、そして次に顔を俯かせる。彼はトランプをやらせるとすぐに表情に出してしまう(そのことに本人は気づいていないのだが……)ので、多分卒業まで彼がずっとジュースの買い出しをし続けることになるだろう。
翔に視線を向けると、彼も同じことを思っていたようだ。僕等はにぃと笑みで会話を交わす。
「で、話しは戻るけどさ。正直なところ綾瀬さんてどうよ?」
「彼氏の一人や二人くらいいるのは当たり前だろうに。あれでいなかったら国宝もん」
確かに、と菓子パンを食いちぎり缶ジュースで喉を潤している翔に対し、僕は賛同の意を送る。
しかし、あれだけの美少女がもしも恋人となったらきっと周囲の視線も気持ちのいいものなのだろう。羨む視線だったり、恨みの籠った視線だったり、様々な感情の渦巻く中を僕と彼女が意気揚々と通り過ぎて行くのだ。
そんな快感を一度でもいいから味わってみるのもいいのかもしれない。
「もし彼女になったら――とか妄想中ですか? 駿クン?」
不意に煙草一本もない距離に翔の顔が現れる。僕はその突然の出現に驚きの色を見せ、そして同時に心の中が見事に筒抜けになっていることに恥ずかしさを覚える。図星ですか、とでも言いたそうな顔を見ていると、良い気持ちはしないものだ。
どうせならハッキリと言ってしまってくれたほうが本人としてはスカッとする場合もあることを知ってもらいたい。
「まぁ、彼女いない歴が年齢である君には程遠い人だろうね」
本当にスカッと言われて少し悔しくなった。
「できるって、大学できっと……」
翔が僕の首を締め、満面の笑みを浮かべて励ましの言葉をかけてくる。実際こいつはできないんだろうなとかできないにいくらか賭けられてるんだろうなとかそんな疑心暗鬼的な部分がないこともないけれども、まあ、こうやって励まされるのは嬉しいものだ。
「うるさいな、俺だって頑張ればできるって彼女」
「一年の頃から使われてる言葉なんてなんの信用にもなりませんね」
ズビシと僕を真っ二つにするような言葉を駿介は吐き出した。もちろんそれを防ぐ術が僕自身にあるわけもなく、スッキリスッパリと一刀両断にされてしまった。
○
食事を終え、僕らはそれぞれ分散するように別れていく。翔は用事があると、駿介は委員会の会議だと、普段彼ら二人以外と絡まない僕にとって今の状態はとても面倒だ。暇だ。暇すぎてたまらない。
こういう時は図書室で特に読みもしない小説を読んだり、机に突っ伏して眠るのが好きなのだが、今日は何故かする気にもならない。何故なのかはイマイチわからないが、とにかくそんな気分なのだから、仕方ないのだろう。
たった一人、それも暇な状況だと、嫌な思い出しか浮かばないものである。
――ごめん、駿君とはやっぱり友達でいたいな……。
中学校の卒業式の日、最後の最後で勇気を振り絞って告げた言葉は、儚く散ってしまった。
あれ以来告白をした彼女とは一度も話す事ができないまま、また会っても気まずくて僕自身が顔を伏せ、ひたすらに気づかれないようにやり過ごすという習慣が出来上がってしまった。
もしも、その後も友達として接していれば、こんな風に女性が苦手にならなかったのかもしれないと、たまに思う。あの事件以来、女性と友好関係を持つことに恐怖を抱くようになってしまった。
なのにそれに反比例するかのように僕の中で「恋人」という言葉が大きくなり、不思議な擦れ違いが僕の中で構築されてしまった。
「――また、あの時のせいにしてる……」
誰かと接して、またあんな関係になる事を恐れているだけなのは分かっているのだ。けれども、前に進めない。
「こんなんじゃ彼女なんてできるわけ――!?」
不意に誰かとぶつかった衝撃が、僕の思考を途切れさせる。相手方も盛大に転んだようで、スカートを思い切り翻してそこに倒れていた。必要のない報告だとは分かっているが、白だ。
「痛い……」
激突した相手が顔を上げた。
「――え?」
その人物に、僕の全身が凍り付く。
目の前に例の美少女、綾瀬遥が腰を擦りながらこちらを見ている。
「綾瀬、さん?」
彼女はそうだけど、と呟きながら、ゆっくりと立ち上がると、いつまでも尻もちを着いたままの僕に対し手を差し伸べてくる。
「え?」
「ほら、手」
その白くて細い手を僕はゆっくりと、しっかりと握りしめる。その肌の柔らかさが心をぎゅうと絞めつけてくる。
「気付かなくてごめんね」
ははは、と苦笑する彼女に対し、僕は大げさ過ぎる位に思い切り首を横に振る。
「い、いや俺が上の空だっただけだから!」
しまった、と思った時にはもう手遅れだった。
とてつもなく大きな声に、彼女は身体をビクリと動かし、そして呆然とした表情を浮かべている。
「じゃあ、おあいこって事で」
慌てふためく僕を見てクスリと声を漏らした後、彼女はそう僕に告げ、一度にこりと微笑む。
「あ、ああうん……」
「そういえば、上の空だったって何か考え事?」
「いや、大した事じゃないから……」
少し悪戯にこちらを覗きこんでくる彼女に対し僕は防戦一方である。彼女ができないのは何故かなんて考え事をしていましたなんて言って笑い物になるのはごめんだ。ここは適当に嘘をついて――
「――彼女はね、作るものじゃないんだよ。」
僕の思考が停止した。
「聞いてたの?」
綾瀬さんは続ける。
「自然と打ち解けられる相手ができて、そうしていつの間にか二人の間に関係を結ぶ糸が生まれるの」
「……」
「だから彼女は作るんじゃなくて、出来るもんなんだよ」
これ、私の持論ね、と彼女は舌をぺろんと出す。
それができていれば苦労はしないのだと言ってやりたい気持ちはあった。あったのだが、その言葉は喉元で止まったかと思うと、綺麗に消え去ってしまった。理由は、彼女の次の発言があったからだ。
「それでも彼女が欲しいと思うんなら、私と一週間だけ、体験してみる?」
「――へ?」
「七日間の期限付きで、彼女ってのがどんなものか、体験してみない?」
突拍子もない発言。
彼女はただ笑っているだけ。
本当に、本当に突然過ぎた彼女の発言から、僕のヘンテコな七日間は始まってしまった。
卒業間近の水曜日の出来事だった。