Neetel Inside 文芸新都
表紙

期間限定の僕ら
期間限定の僕ら2

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 二人の男女がとある出来事を通して出会ったとする。
始めは友人として過ごしていただけの二人だったが、いつの間にか互いを意識するようになり、自らに「恋愛感情」が芽生えている事に気づく。そして二人はある程度のすれ違い等を経てやがて、互いの恋愛感情を確かめ合う事ができ、見事に結ばれる。
 と、こういうのが恋愛小説や漫画の物語の基本形じゃないだろうか。けれども現実はそんなうまくいくわけはないし、想いが伝えられないままその物語が幕を下ろしてしまうことだってある。
 だがどうだ、僕の物語の場合、何故だかその全てをすっ飛ばしていきなり「関係を持つ」いうページまで進んでしまっているのだ。慣れ染めなんてそんなもの「え、なにそれ美味しいの?」という具合だ。
「おはよう」
 ああ、来た。僕は背筋をぴんと伸ばし、凍りついた関節を無理やり捻じ曲げ、背後にいる声の主を見る。
「お、おはよう……」
 緊張に震える僕の顔を見て、彼女は首を傾けながら笑みを浮かべていた。

   ―期間限定の僕ら2―
   ―木曜日―

「もうすぐ卒業なのにまだ学校あるなんて、なんだか変だよね」
「あ、うん。まあ、その……」
 彼女の何気ない言葉に対し僕は適当な言葉しか返す事が出来ない。いつもならば適度に回る筈の口が全く動かない。僕は一体どうやって人と会話をしていただろうか。自由気ままな口調で僕は話していただろうか。ぐるりぐるりと脳をひたすら和え続けてみるのだが、答えが出る気配は全くもってない。
「ねえ、大丈夫?」
 その声に思わず僕は背筋を伸ばし硬直する。
「そんなに緊張する事ないのに」
 笑みを浮かべながら僕の肩を一度叩く彼女。その手の柔らかな感触が気持ちいい等とは思うのだが、いかんせん状況が状況である為にその感触を楽しむ余裕さえない自分に嫌気が指す。
「いや、やっぱり期限付きとはいえ、綾瀬さんとこういう関係になるなんて……」
 もごもごと独り言のように口に出してみるが、彼女はその言葉に対して無言のままこちらを微笑むだけであるわけで、なんだかよく分からない感覚だ。
「……ねえ」
 突然穏やかな口調となった綾瀬。僕はその変化を即座に感じ取りつつも口には出さず、彼女の次の言葉をじっと待つ。
「……恋人がいる事がどんなものなのか、ちゃんと学んでいってね」
 七日間の期限付きでの恋愛物語の始まりを奏でた一言が、静かに放たれた。
 その言葉を口にした彼女はどこかとても切なそうで、苦しそうに見えた気がするが、同時に、今彼女に触れてしまえばこの完璧な存在が崩れてしまいそうな、そんな気がした。
 だから僕は、その言葉に対し、たった二文字を口にするだけにしようと思った。
「うん」
 春前の冷えた風が、何故だか僕の心を冷たく冷やしていた。

   ○

 肌寒い風の吹く中を僕と綾瀬は横に並んで歩く。あれ以降何故だか彼女は全く声をかけて来なくなってしまった。これ以上黙ったまま歩き続けていたら、精神的にやられてしまいそうな気がする。ただでさえ興奮と緊張で一杯一杯であるのに、そこにこの沈黙なんて詰め込まれてしまったら今度こそ僕は爆散してしまうかもしれない。
「……」
「……」
 ちらりと彼女を一瞥する。適度なバランスで仕上がった女子がそこにいるわけで……。
 これはやはり思い切って手でも繋いで見るべきなのだろうか。いやそんな事をして登校なんてしてみろ、周囲に噂が(といっても事実なのだが)蔓延する事になる。特に目立たずに三年間を過ごしてきた僕と彼女が関係を持っているなどと知れれば黙っちゃいない人間だっている筈だ。
 しかし、今僕は彼女の「恋人」という位置にいるのだ。彼氏が付き合っている彼女の手を握るなんて普通だろう。というかむしろそっちの方が自然だろう。何を迷っているのだ。ここは思い切って手を取ってみせろ、やってやるべきだ。
「あ、綾瀬さん!」
「え?」
 気持は整った。生唾も飲み込んだ。緊張感は確かにあるけれど、今は僕の願望が勝っている。
「手を――」
「す、駿!?」
 決意を込めて吐き出そうとした言葉は外部から乱入してきた存在によって見事に打ち消され、風に飛ばされていった。
「駿……介……?」
 まるで未確認生命体と出会ったかのような驚愕の表情を浮かべ、ポカンと口を開いたまま硬直している駿介がそこにはいた。

   ○

「また後でね」
「うん、また後で……」
 綾瀬は僕に向けて手を振ると、駆けて行ってしまった。目の先に女子の集団があることからして、彼女はそちらの方へと行ったのだろう。まあこの重苦しい空気の漂う空間にいるよりもそちらの方が居心地がいいだろうし。
そして場には、後姿に向けて苦笑を浮かべながら手を振り続ける僕と、目を白黒させてちらりちらりと僕を様々な方向から眺め続けている駿介だけが残された。
「――で、とりあえず聞かせてもらおうか」
「何をさ?」
 へぇ、と呟くと駿介はじっと僕を見つめ、そして無言で何かを訴え続けてくる。
「……」
「……」
 無言のキャッチボールが、僕と駿介の間でひたすらに繰り返される。どちらかがギブアップするまでの真剣勝負。
「……」
「……」
 互いに一言も発さずに、更に息までも潜めさせての無言の争いへと状況は発展していく。
 目の前に校舎が見えているが、多分門を過ぎても彼は無言の訴えを投げかけ続けてくるだろう。それはそれで面倒臭い。
「……」
「……分かったよ、話すよ」
 思案の末僕は、あえて敗北を選ぶ事でこの争いに終止符を打った。

   ○

 ざわつく教室の隅で僕と駿介は声をひそめて会話を続けている。
「七日間だけって……」
 ある程度の説明を聞いた駿介は言葉を飲み込む。誰だって聞けば驚くのは当り前だ。それだけ異質なものだというのは自分でも自覚しているのだから。
「それにしても、何故七日間で、しかもお前を選んだろうな」
「さあ、でも付き合うことになった時に、こう言われたんだ」
 なんてさ、と駿介は尋ねられ、僕は一瞬口に出そうとしたのだが、ここまで言っていいものなのだろうかと踏み留まる。
――恋人がいる事がどんなものなのか、ちゃんと学んでいってね
「ごめん、なんでもない」
「なんだよ、この際だから言えるところまで言ってしまえ」
 珍しく話題に食いついてくる駿介に多少引きながら、というか恋愛事なのだから興味津津になるのは当り前か。とにかくこの彼の鬱陶しさを誰かどうにかしてはくれないだろうか。
「よう、何してんのさ?」
「おお、翔」
「よっす」
 翔が肩にかけていたスクールバッグをどかんと机の上に置きながら陽気に現れる。このタイミングで翔が現れたのは丁度良かった。いつも中心となっている彼がやってこないとこの無駄なせめぎ合いは終わらないだろうし、ここは彼に何かしらの話題を振って……。
「そういや翔、こいつが七日間限定の彼女作ったんだけどさ」
「……嘘だろう!?」
 翔は表情をパッと明るくさせ、机をガタガタと揺らす。一人の男に彼女ができただけでここまで元気になるものなのか、と本日二回目の光景を目にしながら僕はため息を吐き出す。
「それで、相手は!? というか七日間ってどういうことさ!?」
「聞いて驚くなよ……」
 駿介が不敵な笑みを浮かべてその発言をしようとした刹那、僕はその二人の間に手を入れて会話を中断させる。
「なんだよ」
「頼むからさ、とりあえず俺たち三人だけで話をしないか?」
 不満の籠った視線を投げかけてくる二人を順々に見てから僕はゆっくりと二人の後方に指を指す。
彼等は振り返り、そして全てを悟る。
「俺が彼女作ったなんて話、そんなに興味沸くもん?」
 呆れ口調での問いかけに、周囲に集まったクラスメイトの男子群はゆっくりと頷いた。

   ○

 屋上は驚くほど寒かった。けれども僕等は気にせずに屋上の真ん中を陣取ると、座談会を開き始める。
 幾つかの説明を受け、その一つ一つに対して翔は頷いていく。
「なるほどね……」
 翔は珍しく落ち着いた様子で今現在の状況についてしっかりと咀嚼し飲みこんだようだった。普段ならば茶化したりしてくるものだと思うのだが、いやまあ良いだろう。
「なんだかおかしな話ではあるけどな」
「綾瀬さんが突然……ねぇ」
 遂には腕を組みながら思考を巡らし始める翔。その姿を見て僕と駿介は多少の違和感を覚えた。
「何か変な事でも?」
「いや、七日限定の彼氏彼女関係ってこと自体が変なんだけどさ……」
 俺もそう思ってる、と僕は一度頷く。翔は続ける。
「この七日間で一体綾瀬さんはお前と何がしたいんだろうなってさ」
「何がっていうと、何が?」
「だから、ほら……あれだよ」
 ぽかんと口を開けている僕に対し、翔は曖昧な言葉を投げかけてくる。唖然としたままでいると駿介はため息を吐いてから僕に耳打ちをする。
 途端、体中が火照り、心臓が高鳴る感覚を覚える。興奮状態に達した僕は勢いよく立ちあがり、二人の顔を交互に見つめて、そして顔を覆う。
「いや、そりゃ男としてはあれだけどさ、なんていうか、その……」
「まぁ、それはお前ら二人が考える事だからな……」
 そう言うと翔は僕の肩に左腕を回し、朗らかな表情を浮かべながら余った右腕で軽く腹を打つ。
「すっげぇ人と付き合えるんだ。ついでにその女性苦手体質も直していこうぜ」
「そ、それは……」
「お前の事だからまだ触れてすらいないだろ」
 駿介はそう言うと、僕の目の前に右手を差し出す。これは、と問いかけると、翔は鈍感だなとため息と一緒に吐き出し、そして言った。
「ちゃんと掴んできてみろよ。その手でさ」
 やっと、その言葉の意味が分かった気がした。
「小さな手のひらだけどさ、包みこんでやることぐらいはできるだろ?」
 その言葉に、僕はゆっくりと頷き、自らの手を見てからぎゅうと歯を食いしばった。

   ○

 駿のいなくなった屋上で、翔と駿介は二人とも手すりに身体をもたれて、外のグラウンドを見ていた。そういえば今は三時限目だったっけと翔は駿介に問いかけるが、駿介は何も言わずにただ外を見つめている。
「まぁ、まさかここにきてあいつが彼女を作っちまうなんて予想もしてなかったわ」
 駿介は笑い、首を縦に振る。
「同意」
「でも、お前にとっちゃ少し悔しいできごとだよな」
 翔はグラウンドを見つめる駿介から視線を逸らす。
「お前、一年の頃からずっと綾瀬さんの事好きだったもんな……」
駿介は答えない。
肌寒い風が二人の髪を揺らす。
もうすぐ春だというのに、風は相変わらず冬のままであった。

   ○

 この時がやってきた。授業が終わると同時に僕は荷物を鞄に詰め、気合いと共に背負う。そうしてから自らの両の手を見つめ、まず最初にすべき“こと”を脳内で反芻させ、そしてよしと呟いてから席を立つ。
 不意に、僕と視線の合った翔が小さく頷き、左右の頬を引き上げてにかっと笑った。僕はそれに小さな頷きで返す。
 教室を出てから僕は思い切り床を蹴り、階段を飛び降り、勢いにまかせてただひたすらに玄関口へと向かう。
――高校生活最後の花なんだから、しっかりやってこいよ。
 たった七日間という期限付きの交際を全うするのだ。その心意気を胸に、綾瀬の下へと赴こう。

 玄関を出るとそこには既に帰り支度を済ませ、一人空を見上げ立ち望んでいる綾瀬がいた。その姿に僕は一瞬どきりとしたが、手を見つめ、そしてその手を握り締める事で緊張も握り潰す。
「やあ」
「早いね」
 綾瀬は微笑むと髪を書き上げる仕草をする。どこからか良い香りが漂い、それが僕の心を擽る。
「待たせちゃ悪いと思ってさ」
「別にそんなに待ってないけどね」
 彼女はそんな風に言っているが、実際のところはどうなのだろうか。僕は授業の終了と共に出てきたわけだから多分誰よりも早く玄関へと向かった筈なのだ。待つつもりでさえいたのに、彼女は僕より早くここにやってきて僕のことを待っていた。
「それにしても、特に待ち合わせの話もしてないのに、良く待っていたね」
 僕の言葉に彼女はえへへ、と舌を出しながら笑う。
「早いでしょ」
 こういう場合は褒めるべきなのだろうか、僕は少し視線を逸らし頭を掻きつつ。
「俺も急いだつもりだったんだけどね、まさか俺よりも早いなんて」
「私はずっとここにいたんだもん」
 その言葉に、僕はどきりとする。彼女の身体を良く見てみると、頬が朱色に染まり、唇は紫に、手は雪のように真っ白く染まっている。
「ずっとって……いつから?」
 彼女は右手でピースを作る。
「四時限目の半分くらいで早退したの」
「いや、なんで……」
 彼女のこの奇行は一体なんなのだろうかと一瞬呆れと疑問に脳が満ち溢れる。だが彼女は相変わらず笑顔を絶やさない。
「だって、キミを待ってたかったから」
 そんな事の為に寒い思いまでして待ち続けるなんて。僕は彼女のその思考に思わず笑みを漏らす。こんな綺麗な子がたった七日間だけの彼氏の為にここまでするなんて馬鹿としか思えない。
 けれども、この馬鹿さが、なんだか僕の心にじいんと沁みているのは何故なのだろうか。
「……手、出して」
「え?」
 疑問で返してきた彼女にもう一度強く言う。
「手」
 綾瀬は恐る恐る手を伸ばしてくる。僕はその手を両手で包みこみ、そしてぎゅっと握りしめる。まるで氷を握っているかのような感触が、彼女がどれだけの時間待ち続けていたのかを物語っていた。
「暖かい」
 綾瀬の緊張していた身体がほぐれていく。これだけの温もりで人はここまでじんわりとできるのかと、何か感慨深いものを見れた気がした。
「これ以上寒そうな姿、見たくないからさ……」
 やってしまったという気持ち半分、安堵感に微笑む彼女を見て和む自分が半分。全く真逆の感情が二つ僕の中で鬩ぎ合っている。
 同時にゆっくりと僕の頬と心臓が温まるのを感じる。ああ、これは完全に照れだと自己判断し、そしてその感情を隠すかのように僕は彼女の手を引き、校門を抜けて行った。
 手のひらの柔らかさが、その感触が、じわりと僕の心に温もりを与えていた。

   ○

 陽も暮れ出し、僕と綾瀬は二人手を繋いだまま無言で帰路についていた。今朝のような沈黙ではなくて、何かとても充実感の感じる静寂が、ひどくここに沁みていた。こんな静寂もあったのかと、新しい発見に僕は心躍る。
「ねえ、一つだけ、質問してもいいかな?」
「なに?」
 ふと思い出した疑問を僕は投げ掛けてみることにする。今なら、それさえも応えてくれる気がしたから。
 目の前の遮断機が下りて、警報機がカンカンと騒音をまき散らし始める中、僕は言った。
「どうして、俺と七日間、過ごしてみようと思ったの?」
 その問いかけに、彼女は少し目を逸らし、暫く黙りこくった後、ゆっくりと口を開いた。

「―――――」

 刹那、僕等の目の前を、滑るように電車が通過していく。彼女が吐き出したその言葉は、その電車の騒々しい音に綺麗にかき消される。もしも僕に読唇術なんてものがあれば、彼女が何を言っているのかすぐに分かるのかもしてなかったのにと過ぎ去っていった電車を見つめながら思う。
「もう一度」
 振り返り、綾瀬へと視線を戻してから僕はそう彼女にお願いする。
「……」
 綾瀬は暫くじいとその夕暮れの光を反射して輝いている瞳でこちらを見つめながら、暫くの間口を噤む。
「……なんでってそれは……」
 一呼吸置いて再び口を開いた。
「キミのその異性に対する苦手意識をなくしてもらいたいから」
「本当に、それだけ?」
 綾瀬はそのセミロングを揺らしながら頷く。
「それだけ。ああ、あとは前にも言った通りだよ」
 前にも、あああの言葉か。僕はそれをすぐさまに思い出し、うなづく。
「そっか……」
「じゃあ、私こっちだから」
 そう言って彼女は僕が向かう方向と逆の方向を指さす。
「じゃあまた明日」
「あと六日間、よろしくね」
 こちらこそ。そう言うと共に僕は綾瀬の手を離した。彼女はその手を一度見つめてから、後ろで組むと首を傾けながら微笑み、そして僕に背を向けて歩いて行く。
 僕はその背を見て、そうしてから自身の掌を見つめる。
 騒音のせいで聴けなかった言葉。誤魔化したつもりかもしれないけれども、あれはさっき聞いた言葉とは全く違っていたような気がするのだ。
 彼女が何を言おうとしていたのか、僕はその未練を心に秘めながら、彼女に背を向け、帰路についたのだった。

 柔らかな光を漏らす夕暮れ空と、肌寒い風の吹く木曜日の出来事だった。

       

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Neetsha