Neetel Inside 文芸新都
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あきらめろ
シフト表

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「あれ?あいつ、今日はシフト入ってませんでしたっけ?」
「何か急用ができたって、千原さんと代わったぞ」
「へー、そうなんですか?」

俺は事務所で店長とそんな話をしつつ、あいつも色々と忙しいんだなと呟きながらエプロンに身を包み、
そそくさと事務所からキッチンへと足を踏み入れた。


あいつと言うのは、俺の彼女、晴美のことだ。
晴美との出会いはこの居酒屋のバイトでだった。
俺は、キッチン担当。晴美はホール担当。
晴美は俺より後にこの居酒屋にバイトとして入ってきた。
晴海にとっては、初めてのアルバイト経験だったらしく、
身近で働く男子を見ることも初めてだったという。
そして、そんなバイト先で、阿修羅のごとくテキパキとキッチンで働く俺の姿に、
妙に感銘を受けて、その憧れの念がやがて恋心へと変化したらしい。よくある話だ。
そんな、彼女に去年の今頃、告白されて、俺たちは付き合うようになった。


「はい!じゃこ豆腐サラダです!」
俺は、ものの1分足らずで丁寧に皿に盛り付けたサラダを
カウンター越しにホール担当の千原さんに手渡した。
「サンキューです!」
千原さんはサラダの四方に盛られた豆腐を崩さないように、慎重にかつ足早に客席へと持って行った。
「やっぱり、晴美ちゃんだよなぁ」
同じ、キッチン担当の弥助がポツリと言った。
「うるせー。さっさと皿洗ってこい!」
「何だよ!お前の彼女のこと誉めてんのによ~」
「黙れ!」
俺は、弥助がいる皿洗い専用の洗い場のシンクに向かって、油でギトギトに汚れたトングを
投げてやった。小気味よく、ポチャンとトングは洗剤ですっかりと泡立った水が張られたシンクに
飛び込んだ。
「ヘイヘイ…ったく!」


少々、ふてくされた弥助を横目に、一応は弥助の「やっぱり、晴美」という意見に相槌を打っておいた。
千原さんには悪いが、確かに晴美がホールにいる方がいいと俺も思う。
現に仕事だって、一年近く、ここでバイトをしている晴海の方が
千原さんよりは手際がいいのは事実だし、店全体の雰囲気も彼女がいるだけで、まるで違う。
千原さんは少し控え目な性格なので、ちょっと酔っ払いに絡まれば、愛想笑いを浮かべながらも、
すっかり、怯えてしまう。たちが悪いのは、一度絡まれたら、
忙しくて猫の手も借りたいほどなのに、絡まれた客の接客は一切しなくなる。頼まれても、絶対にだ。
千原さんは見た目はその控えめな性格に似つかわしく、大和撫子的な美しさを持ち合わせているのだが、
やはり、快活さが求められる居酒屋のホールという仕事場では、その評価は低い。
さらに、なぜか、仕事ができないというその印象のせいか、異性としての我々男性陣の評価も低い。


さて、肝心な晴美と言えば、今までに述べた千原さんのイメージをすっかり逆にしてもらえれば、
説明がしやすい。晴美はまず、性格は太陽の様に明るく積極的だ。
もともと、人と話をすることが大好きな女の子なのだ。オーダーを客からとりつつ、
店長から指示されてもいないのに、勝手にオススメのメニューを紹介したりする。
それ自体は店側としては構わない事だし、店長もその点は大いに評価している。
だが、業務とは別の話までしてしまうのが、晴美のネックだ。
酔っ払いの中には誰彼構わず話をしたがる輩も存在するわけだが。
なんと、晴美はその酔っ払いの話にわざわざ真摯に耳を傾ける。
聞き流すのではなく、ご丁寧に客の前で正座なんかしたりしてじっと話を聴く。
話に同情して泣き出したりすることもある。


これは、ある意味この居酒屋の悩みのタネのひとつだ。
しかし、その晴美の聞き上手な接客態度は客に非常にウケがよく、ちょっとした話題にもなっていて、
晴美に話を聞いてもらうのを目当てにわざわざ、店に足を運ぶ客も少なくない。
客足は増えたわけだから、店長は万々歳。
悩みのタネだよと店長は言いつつ、晴美の所業は、もはやウチの居酒屋では、暗黙の了解となっている。
晴美の様子はバイト仲間の間でも評判で、居酒屋の仕事の中にあってせわしく働く彼らや彼女らの
ある種の癒やしの役割を果たしている。もちろん、俺もその癒しには随分と助けられたものだ。
話を聴いてもらう客、それを端から見て楽しむ客と従業員。
酒を飲む客は気持ちがいいだろうし、なぜか、従業員も仕事に精が出る。
晴美がいるだけで、店はそんな雰囲気になるのだ。


そんなわけで、晴美がいない今日の店内の雰囲気は、どこか寂しかった。
閑古鳥が鳴くとまではいかないが、癒し成分がいつもの賑やかな酒の場に足りないということが、
キッチンにいる俺にすら伝わった。
「はぁ…」
忙しくはないのに、俺はため息をついていた。理由は明白だ。
「どわっ!」
ガラガラ!ガシャシャーン!
キッチンに丸皿が割れる不協和音がした。弥助の奴がやらかしたようだ。
どうやら、晴美の存在はキッチン担当のコンディションまでも左右するらしい。
やはり、晴海と一緒にシフトに入っていると、俄然、仕事に力がはいる。
晴美と付き合っているという、そんな事実は抜きにして。


俺と晴美はいつも同じ日同じ時間帯にシフトに入っている。
それは、別に付き合っているからとかそういう意味ではなかった。
そりゃ、付き合ってからは、バイト後にそのまま俺と晴美は俺の古ぼけたアパートにしけこむ事が
多いわけだから、バイト後、確実に2人の時間を持つためには、その方が都合がよい。
だが、それ以前に二人のシフトが被る日は多かった。
最初はそれは偶然だった。
しかし、次第に晴美の職場での雰囲気は仕事をやる上で、自らの仕事のモチベーションを上げることに
最適だと感じた俺は恋愛感情的な意味は抜きにして、わざと晴美と同じ日同じ時間帯にシフトを
合わせるようになっていた。期せずして、その事が、晴美の俺に対する恋愛感情を助長させたわけだ。
俺がわざと晴美とシフトをかぶらせていたにも関わらず、なぜか、ある日、あまりにも晴美が俺
とシフトをかぶらせるので晴美は俺に気があるのではないかという噂が立った。
なんだか、晴美にあらぬ疑惑をかけてしまったようだった。
しかし、実際に晴美も俺とシフトをわざとかぶらせているのではないかと思われる節があった。
悪戯半分で俺はある月に毎週、洩れることなくシフトに入るように、晴美より先に
店長にシフト申告した。すると、どうだろう晴海のやつは、
俺とそっくりそのままのシフト申告をしてきたらしいのだ。


一度なら、これは、偶然だろうと思う。
調子に乗った俺は今度は逆に次の月は1日もシフトに入らないようにシフト申告をした。
もちろん、店長に深々と頭を下げて許しをもらって。すると、どうだ。
なんと、晴美も頭を下げて、店長に俺と同じシフト申告をしたらしいのだ。
もちろん、二人も続けて、同じシフト申告を、しかも、ひと月もシフトに入らないという事だから、
今度は、店長も黙ってはいなかった。その理由を晴美に問い詰めたという。
その時の晴美の言い分が、「俺がシフトに1日も入っていなかったから」だ。
それを聞いた後、開口一番、店長が
「もしかして、アイツの事好きなの?」
とストレートに聞くのは馬鹿らしい浅はかな発言だと思うが、
それに対する、晴美の返事が
「はい!そうですよ!」
と馬鹿正直にしかも大声だったから、また、滑稽だ。


その二人の事務所でのやり取りは、隣接するキッチンには筒抜けだったらしく、
キッチンで料理をしていた数名の男性従業員の耳に入ることになった。
そして、その話は、当然ホールにいた、いかにも恋愛話が好きそうな女の子従業員にも伝わり、
なぜか、あれよあれよという間に、晴美をご贔屓にしている酔っ払い連中にも波及したそうだ。
そして、晴美の俺に対する愛の告白紛いの発言は、酔っ払い連中の格好の酒の肴に成り下がり、
その夜、店は大いに盛り上がったという。俺にとって、大変だったのは、その日の営業終了後だった。

その日、早めにあがっていた俺は、当然店にはいないわけで、自分の家で爆睡していた。
もちろん、晴美の告白はおろか、異様なまでの店の盛り上がりも知るはずがなかった。
女の子ってすごいよな。自分の事ではないのに、勝手に本人を置いてけぼりにして、
突然の恋のロマンスに興奮でもしたのか、閉店後、午前3時くらいに晴美と仲が良い女の子が
勝手に俺に電話をしてきたのだ。眠気眼の俺を叩き起こし、早朝の公園に呼び出して、わざわざ、
告白の舞台をセッティングした。驚くべき事に当の本人、晴美もかなり乗り気で、
眠気眼の俺に向かって、改めて愛の告白を、また躊躇することなく、やってのけたのだ。
女の子たちにとっては、日が登り始める前の雰囲気たっぷりの
シチュエーションだったに違いないだろうが、俺にとっては半分、文字通り夢現だったので
ロマンチックのかけらも糞もあったもんじゃなかった。
まぁ、そんな感じで、俺と晴美は付き合うようになったわけで。

思えば、俺が悪戯な気持ちでシフトを調整したのが、二人をくっつけたわけだから、
人生何があるかわかったものじゃない。ロマンチックと言えばそう言えなくもないが、どうせなら、
しっかりと自分の言葉で好きな女の子には愛の告白をしたかったもんだ。
そうだ、明日も確か俺はシフトに入っていた。もちろん、それは、晴美がシフトに入っている
ということでもある。どれ、明日はバイトが終わったら、晴美に改めて好きだとでも言ってやろうかな。シフト表で曖昧に想いを紡ぐのではなく、単純明快な俺の言葉で。そんな、妄想を膨らまして
いると、やがて、俺が入っているシフトの時間は終わってから、さらに5分程過ぎ去っていた。


オーダーも立て込んでいなかったので、俺は、自分の妄想が思わず、口から出てしまわないように
少し控えめに
「お疲れさん…」
と小声で、キッチンそしてホールに顔を出して挨拶した。
「お疲れ……って、おまえ、千原さんの真似かよ~」
弥助の嘲笑が俺の背中をくすぐる。
「あたしの真似ってどういう意味ですか~?弥助さ~ん…」
酔っ払いに絡まれたわけでもないのに千原さんの力無い声を出している。

そんな、二人のやり取りを背に俺は三角巾を片手に事務所へと戻った。
勤務後の一服。事務所では、店長がレシート片手に事務作業に励んでいた。
ふと、壁に貼られた、シフト表に目をやった。あれ?
俺はある違和感に気が付いた。明日のシフト表にはもちろん俺の名前が記されている。
しかしそこには、あるべきはずの晴美の名前はなかった。来週分のシフト表も確認してみた。
しかし、そこには晴美の名前はまたなかった。えっ?これって……
吸っていた煙草がいつの間にか不安定な灰になって今にも床に崩れ落ちそうだった。
「おい!煙草の灰!」
はっ!店長の一言で俺はやっと、自分がくわえている煙草の状態に気が付いた。
そして、その煙草を灰皿で押し消すと、店長に尋ねた。
「あの、店長。来月分のシフト表できてます?」
「あん?出来てるよ。ほら!」
店長は来月分のシフト表の束を何故かニヤニヤとしながら、俺に突き出した。
それに目を通した俺は驚くべき光景をそのシフト表で目の当たりにした。
そこには、俺の名前の傍らに必ずあった晴美の名前がなかった。代わりに、そこには……
「まっ!気を落とさずに……なっ!それにしても、お前も、つくづくモテる男だなぁ。
今度のアイツはえらいベッピンさんじゃないかぁ。」
俺は、シフト表を凝視していたので、店長がどんな表情をしているのか、わかるわけがない。
しかし、容易にその表情は品のない、ヤニで汚れた歯を剥き出しにした小憎たらしい笑顔に
違いないだろうと思った。そんな下品な店長の笑顔がはっきりと頭に浮かぼうとした、その瞬間。
ガチャン!と突拍子もなく事務所のドアが開いた。
そこには、千原さんが立っていた。
「お疲れ様で……キャッ!まだ…いたんですか……」


俺は見逃さなかった。千原さんの頬が徐々に紅潮していく様を。

       

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Neetsha