8月23日 3時 北海道 釧路駐屯地 第三中隊隊舎4F-屋上
最後の踊り場に、二人はたどり着いた。
立川は小銃をだらりと首から提げるのみで、まったく緊張感のない様子であったが、秋原はしっかりとグリップ、ハンドガードに手をあてていたし、構えもCQBに則っていた。
踊り場には、屋上へと続くドアがあったが、それは今は開け放たれていた。先客がいたのだ。
「あれ・・・?」
秋原が、警戒態勢を解く。
「こういうことよ、つまりは」
立川はしたり顔である。
「武器庫、弾薬庫と先客がいたことは確かで、途中それとすれ違わなかったってことは、どうやって出る?」
「あ、ラペリング」
「ご名答」
「それにこの隊舎の裏には車庫もあるしな。まんまと退避できちゃうわけだ。今行けばまだ例の『先客』に追いつけるかもしれない」
二人は会話を終えると、屋上に出た。
それと時を同じくして、車両のエンジン音がうっすらと聞こえてきた。それは幾重にも重なっていたことから、一台でないことは確かであった。
二人は手すりに駆けた。
眺めると、軽装甲機動車二両を先頭に、96式装輪装甲車が二両、82式指揮通信車が一両といった車列であった。
車列はあっという間に駐屯地を出、市街とは逆方向に行ってしまった。
二人は暫時それを眺めていたが、見えなくなると手すりから離れた。
「俺たちもさっさと行こうぜ」
立川は言うなり、屋上に先客が使ったであろうラペリング用のロープを探し出した。
屋上の最北の角に、それはあった。
「おい、ラペリングはできるよな?」
立川が尋ねると、秋原ははっきりとした返事はしない。
「俺が先に行ってもいいが、射撃に自信のない奴に後ろを頼みたくはないんだ」
図星であるがために、言い返すことができずに秋原はふくれっつらをして抗議をするしかなかった。
「まぁそんな顔するなって。時間がかかってもいい、先にあんたが降りろ。ここから敵がくれば俺が撃ち殺してやる。下についたら今度はあんたが俺を援護する番だ」
「射撃も降下も自信がない」
秋原は本当に自信がないのだろう、顔に不安がこれ見よがしに出ている。
「上方から下方にかけての射撃は弾道の計算が平坦な場所に比べてかなり面倒だ。射撃の苦手があんたがそんなことをやったら、俺はホントに死んじまうよ。苦手でもなんでも、あんたが先に降りる方が両方の生存率増加のためだ」
こう言われてしまっては、秋原には承諾以外の選択肢は残されていない。
立川は、秋原がラペリング用のスリングを体に取り付けるのを見届けると、上体のみを手すりから乗り出し、下方を警戒し始めた。
その頃秋原は手すりをまたぎ、下降を開始した。
さすがに会計科の秋原には荷が重すぎたようだ。通常なら数分で完了する降下も、その倍以上の時間をかけてしまっていた。
幸いにも、この間感染者の襲撃はなかった。
次は立川の番であった。
普通科でも成績優秀者の立川には、降下などはそれこそ朝飯前であった。そそくさとスリングを取り付け、壁にそって降下を開始した。
地上では秋原が小銃を構え、不安そうにしている。
今二人がいる建物は隊舎で、そのすぐ裏手に車庫がある。つまりここはその間の通路で、一種の路地のようなかたちになっている。通りが狭い分、見つかりにくく、仮に見つかったとしても一対一で対処できることから、非常に効率がいい反面、通路が限られるため、脱出の経路を間違えると、挟撃に合う危険も兼ね備えていた。
ちょうど立川が降下を終え、スリングなどを全てはずしたころ、真逆の方向に数名の感染者が現れた。奴らは、とうとう二人を発見した。
喉に粘着質の液体を絡ませ、例の乾いた絶叫をしながら二人めがけて、感染者は走り出した。
それを見て、動転したのはやはり秋原であった。
銃床を肩にあて、小銃を構えると、いっきにトリガーを振り絞る。
連続した銃声が狭い路地に響き渡り、隊舎と車庫に音がぶつかり、反響した。薬莢が飛び出し、カランカランと心地のよい音を立てる。
暫時ののち、銃声はやんだ。
すでに感染者は全員、地面に伏していた。
それを見るなり、立川は秋原の胸倉を掴み、怒鳴る。
「バカ野郎!連発で撃つ奴があるか!セレクターは常に『タ』にしておけ!弾はこれっきりなんだぞ!」
「す、すまない」
謝罪を聞きたかったわけではないが、窮地で、かつ普通科隊員でない秋原には仕方のないことであったと、立川は一人合点し、手を離した。
「車庫に行こう。もしかしたらまだ余りがあるかもしれない」
二人は路地をあとにした。