彼女はまだ名探偵
2・警察役
「本当なんですか。嘘じゃあなくて、殺人事件」
なんて物騒な単語だ。顔が引きつってくるのが自分でもはっきりと分かる。
「その通りですよ。身も凍るような凄惨な殺人事件です」
そんな僕の顔とは対照的に秋さんの顔はすっきりとしている。
「それをなぜ、秋さんが?」
ここで出てくるのは探偵ではなくて、警察だろう。ましてや探偵業すら営んでいない、どこにでもいる一般市民である僕らがでる幕などどこにもない。こんなものは常識だ。
「それはね、春。私が優秀だからです」
とても良い笑顔。太陽のようだ。
さっきまで眉間にしわを寄せて見るからに不機嫌だったくせに。酷い豹変振りだ。昔から良くも悪くもまともな人ではないとは思っていたが。
「どれほど優秀な人材でも、秋さんは警察ではないでしょう」
「その警察から手伝って欲しいといわれているのです。残念ながら善良なる市民としては協力せざるを得ないのですよ」
まったく残念そうな顔をしていない。むしろとても嬉しそうだ。
「でも、協力を依頼したって言うその刑事さんもばれたら結構な問題じゃあありませんか? 外部に警察の情報を漏らすわけでしょう?」
「ばれたら。です。だから秘密裏なんですよ。それに、今日は警察の方、大神さんというのですがね。彼も警察としてではなく、手伝いだという事ですよ」
つまり、警察としての調査ではなく、向こうにいる警察の方の一友人として彼の相談に乗る。あくまでも相談であって、捜査内容がもれる事はないが、もしかしたらついうっかり漏れ出てしまうかもしれない。ということだろうか。
警察にその言い訳が通用するとは思えないのだが。
「まあ、ばれても罪に問われるのは大神さんですし、ね」
ニヤリと笑う。知名度はないが、女優なだけあって、さすがというべきか様になっていた。
「それで、僕も行くんですか?」
「はい。暇でしょう?」
「暇じゃあありません」
「いいえ。あなたは暇です」
間髪を入れずに彼女は言い放った。それも自信たっぷりにだ。彼女のことではなく、僕自身のことなのに、当人の僕の知らないところで勝手に完結している。確かにこの休日は彼女の言うとおり暇であり、結果的には彼女は正しいことを言っているわけなのだが、どうにも恐ろしいものを感じずに入られなかった。
夕焼けの中、カラスが鳴いている。真っ赤に染まる駅には誰もいない。ただ、先には一本の棒が立っていた。
「どうも、大神さん」
秋さんが棒に頭を下げ、右手を差し出した。
「やあ、アカイ。元気そうで」
棒が左右に揺れた。棒から枝が伸び、秋さんの腕に絡みついた・
棒ではない。人だ。慌てて僕も頭を下げる。
長身痩躯のそれこそ棒のような男だった。
「こっちの男は?」
「助手です」
「助手? 君は女優じゃなかったのか。学者か何かに転職したのか?」
「いいえ。私はまだ女優です」
「助手なんだな?」
男は疑問と混乱の目でこちらを見てくる。どう説明したものか。無理やり連れてこられたとはどうにも言いづらい。
「助手です」
「君は女優なんだな?」
「私は女優です」
「そこの彼は」
「助手です」
「助手とは何だ?」
「私の手伝いです」
「それが助手?」
「はい。探偵には助手が必要です」
「君は女優なんだな?」
「何度も聞かないでください。私は女優です」
「では、その助手が必要な探偵とは誰のことだ?」
「私です」
赤く染まる駅のホームに、たっぷりと混乱の時間が流れた。
「・・・・・・そうか」
諦めたようだ。
「電車来ましたよ」
複雑な顔をしている大神さんを尻目に、秋さんは一足早く電車に乗り込んでいった。
「初めまして。大神だ」
見ると大神さんが右手を差し出している。僕はその手を握り返す。
「どうも、木利春一郎です」
壮年の男だった。角張った顔にはしわが幾重にも刻まれている。
これは僕にとって少し意外なことだった。
事件を外部に任せることから、もっと若く、こういっては何だが、軽薄でまともな倫理観を持っていない、頭の悪そうな若者だと思っていたのだが、目の前の男は四十前後だろうか。しっかりと年を取っており、中々知性的に見える。なぜ、この様な人が秋さんを求めたのだろうか。
「助手だということだが」
大神さんは白髪の混じった髪を撫で、苦笑いをした。
「何でしょうね。助手って」
「やっぱり、無理やり引っ張られてきたのか」
彼は慣れた表情で言う。
「会ったばかりで、突然なんだがな、あー」
彼は困ったように言いよどむ。目線は僕の斜め上を泳いでいる。
「その、彼女とは、どんな関係なんだ」
一瞬の間のあと、たずねられた。彼が何を言ったのかのを理解するのに数秒の時間を要した。会ってまだ十分も立っていないのに。彼女とは秋さんのことだろう? 関係ってなぜ、本当に突然だ。
この人がそんなことを聞く? まさか。
「そんな顔をするな。君が想像しているようなもんじゃない」
「す、すみません」
「友人か?」
眉間にしわを寄せ、やけに深刻な表情だ。鬼気迫るといってもよい。何だろう。彼が何を考えているのか分からない。
「まあ、そうですね。大学のときの先輩で」
そう答えた瞬間、彼の顔から力が抜けた。同時に僕の体からも力が抜ける。
「そうか」
ふと、どこか遠い場所を見るような目。不安が一つ落ちたような安心した顔。
あなたと秋さんの関係は?
「電車出ますよ」
その質問は秋さんの呼び声に邪魔され、出てくることはなかった。僕らは急いで彼女の元へ、走りよる。