Neetel Inside 文芸新都
表紙

( ^ω^)ブーンは陸軍士官のようです
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煉瓦造りの立派な建物を後にする為、ブーンは少し大股気味に歩いている。
革靴は綺麗に磨かれているが、古びた感じを拭い去ることはできなかった。
この濃い茶色の高級革靴は、20歳になったときに、父親が特注で購入し、ブーンに半ば強制的に押しつけたものだ。
革靴の事を気にしているほど悠長に勉学に励んでいたわけでもなかったが、たしかに体は大きくなって相対的に靴は若干小さくなっていたので、結論としてはそこそこありがたかったとブーンは認めた。
革靴とは対称的に、軍服と軍帽は昨日今日買ったような汚れが少しもないものである。
つい最近まで普段着同様だった士官学校の制服は、実家のクローゼットに預けておいた。
履き慣れた靴はなかなか変えたくないのでそのままにしておいたが、鏡の前に経ってみると、それほど立派ではない体格と少し古びた革靴が、立派な軍服と不釣り合いである。
せめての思いで威厳のある表情をつくろうと試行錯誤していたら顔の筋肉が引きつったのでやめた。
ブーンは今日の朝に引きつった右の頬をさすりながら歩いていると、隣にいた中年の好青年が声をかけてきた。
中年の好青年というとなんだかおかしいが、文字通りに中年であるのにまるで好青年のようなのがモララー大佐の特徴なのである。
「ホライゾン君、虫歯かね?」
ブーンは苦笑しつつ、
「いえ、そういうわけではありませんお。少し顔をつってしまったようですお」
「そうかね。体調管理には気をつけるようにな」
モララー大佐は、なにをどうしたら顔をつってしまうのかと少々疑問に思ったが、部下になめられるような思いはしたくないので、なるべくやんわりとした会話は避けて威厳のあること以外は言わないようにしている。
早足で歩く二人は、先程師団長と参謀に挨拶を済ませた帰りで、次にブーンが管轄することになる第1大隊の面々に会うこととなっている。彼らは駐屯地内部のだだっ広い土地に整列して待っている。
師団総司令部の建物から出ると、ここを丘のてっぺんとしてなだらかな傾斜に平野が悠然と構える。
師団全員が並べるほど広い土地なので、一個大隊だけが並んでいるとぽつんと空しい印象をブーンは受けた。
ブーンが彼らの視界に入ると誰か知らない図太い男の声で大きく「整列!」と雄叫びが聞こえた。
すると、ものの見事に全員がいっせいに気をつけをして敬礼をする。
ブーンはつい最近までは敬礼する方だった。今となっては敬礼される方であるからして少なからず優越感といったものを感じていた。
ブーンは横列の前に立った。横には胸をのけぞらせたモララー大佐がいる。
「諸君も知っているように、今年度より第1大隊大隊長は私の横にいるホライゾン少佐となった。諸君は大隊長の元で一致団結し戦闘を行い、国家と国民の為に精一杯精進したまえ。では、ホライゾン少佐、何か一言で構わないから軽く挨拶したまえ」
ブーンは先程の師団長への挨拶でも大佐に同様のことを言われた。その時はブーンは長い紙に挨拶文を書きつづってあったものを読み上げ始めたのだが、緊張のあまり舌がまわらず悲惨な結果となったので、ここに来る前に大佐は挨拶は一言でよいと忠告しておいたのである。
ブーンは皆の顔を見渡した。とは言っても全員は見渡しきれないので前列の士官や上級の兵士ぐらいしか見えない。それぞれが興味深そうに自分の顔を眺めているのをブーンは確認し、鼻で大きく息を吸ってからゆっくりと喋り始めた。
「今日から皆の世話になる、ブーン・ホライゾン少佐だお。まぁ、なにかと迷惑をかけるかもしれないけど、よろしくおねがいするお」
「サー、イエッサー!!」
この上官に対する畏怖の思いが感じる「イエッサー」は、自分が来る前にあらかじめ決められていた社交辞令であることはブーンは十二分に承知していた。何故なら、彼らの大きな声とは裏腹に皆が皆、困ったような顔をしている。なにしろ、大隊とは戦争においての戦術を決定する単位である。つまり、連隊長より川を渡る命令が来たので、ここから川を渡ってこういうふうに攻めるとか、第1中隊は右翼から攻撃、第2中隊は突撃、第3中隊は後衛、といったことを命令するのが大隊長である。自分の命を預けることとなる大隊長であるからして、妙にやさしい語りかけで話し掛けられても対応に困る。むしろ鬼上官がこれ以上増えないで安堵するような気持ちがある兵士もいるのだが、常識とは違うことをされると人間は困ってしまうのである。
モララーも自分の教育方針と若干違うことをされてしまって困ってしまったが、そう簡単にしかりとばすことも出来ず、しかたなくありきたりなく喋って、ありきたりなく敬礼して、それに大隊の皆もありきたりなく敬礼をして、大佐はありきたりなく帰っていった。

モララーが去ると横列の前列にいた者達が我先にと新任大隊長の元に集まってきた。
最初に話し掛けてきたのは、体格はそれほど大きいわけではないが、勇気と希望で体の大半が構成されたような、愛と勇気だけが友達さと言わんばかりの正義漢溢れる尉官であった。
「オルファンソー中尉であります。第1大隊副大隊長であります!」
ブーンは差し出された右手に握手をした。彼にぎゅっと握られたのは嫌味ではないのであろうが少々痛かった。
「君の役職は僕の右腕となって働いてくれる人だお。まだまだ至らないところあるかも知れないけど僕も頑張るから君も精一杯頑張って欲しいお」
ブーンは一人一人に交わす言葉はなるべく短めにしておこうと考えていた。彼らには失礼に当たると推測しているが、いかんせん長ったらしくやっていたら日が暮れても終わらないだろう。
「国王と国家の為にこの身をかけて粉骨砕身努力する所存であります」
どうやら愛と勇気だけが友達説はよりいっそう高まったとブーンは感じた。別に愛と勇気とは限らないが、ともかくその系統の性格の人物であることはよくわかった。
「うむ。よろしくだお」
「最初に挨拶させて頂いたことを光栄に思う所存であります」
「(お前が早足で出しゃばったわけじゃん)」
この心の中のつぶやきはブーンのものでなければ愛と勇気が友達の彼のものでもない。ましては今日の晩ご飯は何かなと模索しているモララー大佐のものでもない。
彼の名はイヨゥである。
愛と勇気の人は数歩下がって人混みの中に紛れ込んだ。
さて、しめたしめたと言わんばかりにイヨゥが一歩二歩と歩いていくが自分より前にどこからともなく屈強な男が出てきた。イヨゥはその暑苦しいほど気をまとった後ろ姿に覚えがあり、思わず舌打ちをしそうになった。
イヨゥは、こいつと言いオルファンソーと言い、どうもこういう系統の人間は嫌いである。

     

暑苦しい男はブーンに少し間合いを空けて立つと、大きく振りかぶって立派な敬礼をした。
ブーンはそこに太陽を見るときと同じものを感じた。
男は敬礼を済ますと、一歩前に出てがっしりとブーンの目を見据える。
ブーンはここで先日のバルチェラ社主催の発表会で今回の目玉として登場した、大砲「バルチェラβ」最新型の試射を見学したことを思い出した。
「ギコ・ツーゲット特認軍曹であります! どうぞよろしくお願いしますっ!」
「うん、よろしくだお」
ブーンは自分の周りだけ直射日光が100倍になっているような気持ちになった。
直射日光を強烈に浴びて、なんだか妙な孤独感に襲われながらも、彼が恐る恐る手を差し出すとギコはコンマもない勢いでがっちりと、「がっちり」が一回では足りなさそうなので、がっちりとがっちりとがっちりと握手をした。
「(力が強いお)」
ギコはひとときの間握手すると気が済んだようで、ブーンが力を抜いて握手が終わったことを示してみるとあっさりと手をひいた。
「いやぁ~、聞くところによりますと少佐殿はナイトー家の傍系出身だとか」
「え!? ま、まぁ遠い親戚だけどそうなってるお」
「七貴族の親戚とは、素晴らしい血筋でありますな」
「そ、そうかお?」
子供の頃からさんざん言われたことだが、聞かれるたんびにやっぱり若干照れくさいブーンであった。
ギコは続けさまに語りかける。後ろでイヨゥが肩を振るわせているのには気づかない。また、気づいた某下士官は同僚とアイコンタクトを取ったのちに、二人で少し彼から離れておいた。
「いやはや、そのうえ祖父はホライゾン卿であらせられるとのことで」
これは小泉孝太郎に「お前の父さんは首相だな」と言うのと同じで、たしかに言われて嬉しいのだが、特別なありがたみとか照れとかをブーンは感じることは出来なかった。
「ま、まぁねだお」
とブーンは感謝の意の前置きをしておいてから、続けさまに喋った。
「血筋は軍務に関係ないお。……と言いたいところだけど、この血筋のおかげで士官学校を卒業したらすぐに少佐になれたわけだし悩むお」
普通は卒業すると少尉であるからして、半端ない裁量の人事である。別にこういう件がブーンに限ったことだけではないが。
イヨゥは我慢の限界が来る前に行動を起こした。つま先をブーンに向けてゆっくりと歩き出す。
我慢の限界が来たから歩き出したのではないかということもあるかもしれないが、そんなことはどうでもいいのである。

イヨゥはブーンから二時の方向より肩で割って入ろうとしたが、偶然なのかギコが喋りながら立ち位置を変えた。別にこれはおかしくはない。しかし、これのおかげでイヨゥの肩はギコの屈強な体に阻まれて跳ね返されてしまった。なんとも無様な自分の姿にイヨゥのストレスはちょっとやばいところまできた。しかし、それでもイヨゥはプライドという自制心が自己を保った。
ブーン(ついでにギコ)の注目を浴びたイヨゥはたちまち平常を取り戻し、話を始めた。
「ちょっとよろしいかな」
ギコは突然の来客に驚いた。ただ単純に、驚いただけである。
「イヨゥ大尉ですか。何も割って入らずとも……」
特別に腹がたつことをいわれたわけではないが、口内炎ができたところはまた発症しやすいように、イライラが溜まった後はそれがひいた後も溜まりやすいのである。
イヨゥはこめかみに青筋を立てながら指をさした。
「下士官に毛が生えたような野郎に文句を言われる筋合いはない! なんてたって私は十五公爵家の次期当主であるからな! 貴様のような一般人は黙っとれ!」
場の空気に「またイヨウ大尉が怒るのか……」と言う空気が流る。
そんな空気を知ってか知らずか、イヨゥは咳払いを三回してから喋った。
「いいかね軍曹」
「特認軍曹であります」
「どっちでも一緒だ!」
虫歯ができた場所が再び虫歯になりやすいように、イライラが溜まった後はそれがひいた後も溜まりやすいのである。
イヨゥはもう一度咳払いをした。
「風邪でありますか?」
「違う!!」
また怒ってしまったので、慌てて深呼吸をしてから意識的に落ち着くように努力しながら言った。
「いいかね軍曹、君のような一般市民の出なら所詮それまで、結局はそれだけなのだよ。しかし僕は七貴族の次に偉い十五公爵家の次期当主なんだからな。この僕はたかだが一般市民と違って将来性に富む素晴らしい人物だ。だからおのずと一般市民は僕に道を開けなきゃいけないのだよ。わかったかね」
「はっ、了解しました」
結局は怒っているときと同じことを言っているのだが、さらに結局のところ、いつもと同じ事を言っているだけなので、ギコもいつも通りの生返事を返した。

ようやくイヨゥはブーンとの会話にありつけた。
「閑話休題、紅葉の紋章のナイトー家のブーン少佐、私はイヨウ大尉であります。どうぞよろしくお願い申し上げます」
「あ、こちらこそよろしくだお」
「僕は第1中隊中隊長をやらせて貰っていますので、戦時にはどうぞ気ままに使ってください」
「わかったお」
ブーンは、報告書で「イヨゥは師団規模訓練戦闘において気弱で命令違反を計124回犯している」との報告を受けている。
イヨウは敬礼をして駐屯地内部へ帰った。終わってみればあっけない。

     

そのころ、モララー大佐は足早に連隊長室に戻った。普段にあれほど威厳を保とうとしているわりにはなんとも情けない歩き方である。乱暴に連隊長室のドアを開けるど音を立てて自席に座り、これまた乱暴にベルを鳴らして従兵を呼んだ。
「ちょっと来てくれ」
「呼ばなくとも大佐が部屋に入ってきたときからずっと目の前にいました。危うく扉に鼻の骨を折られるところでしたよ」
「そんなことはどうでもいいんだ。ソックラス、そこの本をすぐに取ってくれたまえ」
ソックラスと呼ばれた男は、モララーが顎でしゃくった先にある本棚から丁寧に本を取りだした。表題は「シスペレンの英雄」。港湾都市シスペレンを舞台に繰り広げられるコメディ小説である。笑いを中心としているものの、ときに感動、悲しみ、空しさ、非情な現実に直面する主人公達が、結局はすべてが解決できないものの、八割方解決しそこに満足を見つけるという、理想と現実の織り交ぜがブルジョワから知識人、貧困層と国中で読まれているナウな国民にバカうけの本である。つい最近に、軍より大隊長以上の将校全員に配給された。
「大佐は、配給されたから仕方なしに本棚に置いておく、とか言っていたくせに、最近は夢中ですね」
「あれから私も考えが変わったのだ。最初は軍務大臣の鶴の一声と聞いて、軍にこんなもの送りつけるなんてとうとうこの国もおかしくなったものだと悲観したものだが、やはりお偉いさんがやることにはなにかしら理由があるということを理解した。百聞は一見に如かずという言葉の通り、読んでみるとこれはおもしろい。なおかつこの愛国心に溢れる内容! 是非とも師団長に進言して師団の予算で伍長まで一人一冊、全員に読ませたいものだよ」
ソックラスは、聖書を手に取る熱心な聖職者もこんな顔するのかなぁと思いながら、感想を述べた。
「師団が破産します」
「そうマジメに考えられても困るね。あくまでもたとえ話だ。別に全員に配給しなくとも、そうだね、およそ大隊ひとつあたりに5冊購入すればいいだろう。どうだね」
「では進言書の原稿を書いておきましょう」
「それは困る」
モララーは体の向きをソックラスに向けた。ソックラスも立ち方を正す。
ソックラスはじっとモララーの目を見た。モララーは少し目線をずらす。
「どうしてです?」
「私の立場上、なかなか言えなくてね」
モララーはもっと目線をずらす。猫のようになにもない部屋の隅っこを見つめていた。
「そう強がる必要もないと思いますが」
「そういわれても、この格好をずっと続けてきたのだから、今さら変えるということはできん」
「いつも私に見せてくれるような、普通の感じでいいと私は思いますが」
「それはここがプライベートだからだ。いいかい、君が我が家の召使いで、君と私が仲が良かったからこそ私は君を従兵に推薦したのだ。だからここは私が自室でくつろいでいるのと同じなんだよ。仕事とプライベートは一緒にすべきでないっていうのは公理だろ」
「そうですかね」
ソックラスは、公理といわれてもいまいちピンとこなかったが、少し考えて数学あたりでやったことを思い出した。しょせん、モララーの父親が暇だったときに教えてくれた数学なので、付け焼き刃である。
モララーは若干不利になったのを感じて、水を一杯飲んでから話題をそらそうと試みた。
「それはそうと薄高く積まれたこの書類の山はなんだね。私の記憶では昨日の許可証認で今後1週間は仕事がなかった筈だが」
「つい30分前に届きました。およそ1ヶ月分の普段の仕事量に相当する書類です。準戦時体制に入りましたから、法律によって師団の仕事がこちらにまわってきたわけです」
「……勘弁してくれ」
モララーは筆記用具を用意し事務を始めた。なにか忘れているような気がしたが、目の前の仕事の量を無視することは出来なかった。


ブーン達は挨拶を終えて談笑へと入っていった。
ごくごく自然な形で談笑に入れたのはブーンの努力の賜物である。
「ところでギコ特認軍曹、君はたしか第1中隊第2小隊小隊長だったおね?」
「そうであります」
「つまりだね」
ブーンは三拍おいた。
「直属の上司はイヨウ大尉だおね?」
「そうであります」
ギコは半拍ほど、およそいつもどおりである。
たいしてブーンはもう一度三拍おいた。
「あの…その…なんというか、まだ会ったばかりだからあれこれいうのもなんだけれども…ともかく、頑張ってくれお」
「はっ」
ブーンの意志を読みとったかどうかはギコ自身以外誰にもわからなかったが、ギコはいつもどおりにそのまっすぐな眼でじっとブーンの目を見て敬礼した。
ギコは何か思い立ったようで、ふと腕時計を見た。
「おっと、もうこんな時間か」
「どうしたお?」
「本日は訓練学校の教鞭を執るのでこれにて失礼させていただきます」
「構わないお。頑張ってくれお」
ブーンはにっこりと笑って――とは言ってもいつもニヤケづらだが――言った。
ギコは敬礼をびっしときめ、つられて他の者も敬礼してしまった中を背筋をまっすぐに伸ばしてずんずんと歩いていった。

続いてひょっこりと出てきたのが少し体格は細めの男である。
「よろしいでしょうか」
「ん? 君はまだ会っていなかったおね」
「あ……はい。なかなか声をかけられずにいて」
「別に萎縮することないお。僕は逆にギコ特認軍曹に対して萎縮してしまったくらいだから大丈夫だお」
場の空気に「ああ、それはわかりますとも少佐殿」と言う雰囲気が出た。皆の顔が同情の苦笑であるのがそれを表している。春のうららかな空気はここだけに届かない。
細めの男は少し笑って、どうやら気が軽くなったようにブーンには見えた。
「名前は何だったお?」
「アレシュタイス中尉であります」
「よろしくだお」
「第3中隊中隊長であります。お役に立てるよう精一杯頑張ります!」
「頑張ってお」
ブーンはふっと真顔になった。別に怒っているわけでもなく、明後日の方向に目線をやって記憶の糸をたぐり寄せているためだ。
「アレシュタイス…そういえば君と前に会ったことあるような気がするお」
アレシュタイス中尉は嬉々とした表情になり、ブーンの語尾に続けさまに喋った。
「覚えていらっしゃってたんですか? ありがたい限りです。五年前になりますね」
「ああ、思い出したお」
ブーンは子供部屋のゲーム機器周辺のケーブルの山のような、こんがらがった記憶をほぐすことに成功した。

       

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Neetsha