小説を書きたかった猿
8.これは小説とはいえない
8 これは小説とはいえない
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胸が張り裂けた。
心臓と肺とを取り出して眺めていると、食べてみたくなった。
だから食べた。
噛み砕いてしまわないように飲み込むと、裂けた胸からこぼれ出た。
ので、腹が立った。
立った腹は僕より背が高かった。
僕は「まあ『腹が据わる』っていう言い回しがあるんだから座れよ」と腹に言った。
でも漢字が違っていたせいか、腹は座ってくれなかった。
僕の胸は寂しさと痛ましさで張り裂けそうになった。
でももう張り裂けていたのだった。
それから僕は「好きです」と彼女に言った。
彼女なんてどこにもいなかったけれど。
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小説投稿サイトというものがある。
たくさんある。
小説を書きたい人はいくらでもいて、発表したい人は場を求めていて、読まれたがっている。批評されたがっている。
だが読者の数はそれほど多くはない。
文字が印刷された紙に比べると、モニタに映る長文は読み辛い。漫画は絵が下手であってもあまり読むのに支障がないが、小説の場合読むのに時間がかかるため、誤字脱字やおかしな文章表現に出会うと、途端に読む努力を放棄したくなってしまうのだ。
僕も一時期、ある小説投稿サイトに登録していたことがある。あまり時間をかけずに勢いに任せて書いた短編、というより断片を発表していた。それがいいものなのか悪いものなのか、自分でも判断出来ないままに。
案の定評判はよくなかった。
というより、評判なんてなかった。
スルーされて、無視されて、次々と投稿されていく新作の波に飲み込まれていった。同じように反応ゼロの作品がほとんどだということに慰めを見出していた。
そんなある日、初めて自作にコメントがついた。
「これは小説とはいえない」というものだった。
コメントの主は、その投稿サイトに新しく参加し始めたばかりの人で、新作のほぼ全てに感想をを書いて回る、いわば万人に手を差し伸べる慈悲深い仏様だった。ほとんどのコメントは一言だが、それでも作品の内容に触れられているものが多かった。僕のように、「まともに批評する必要はない」といった意味のことが書かれているのは僅かだった。
彼は、全コメ運動を始めて数日でそのサイトを去った。その後も新作は相変わらずの勢いで投稿され続けたが、彼が来る前よりも全体の感想の数は減ってしまった。
「これは小説とはいえない」
このコメントを見た時、僕の内に湧き上がったのは、激昂、絶望、憤怒、といった感情ではなく、単純な疑問だった。
「どうして僕の書いたこれは小説ではないのだろう?」
ドラマがない、オチてない、夢や希望がない、そういうことだけではないのだろう。
「小説を読みにきたのに小説ではないものを読まされた」という意味も込められていたのかもしれない。
僕の書くものは小説ではないらしい。
小説って何だろう。
僕が小説だと思って書いたものが小説ではなかったのなら、一体どういうものを書けば小説と認められるのだろう。
それはとても難しい問題に思えた。
だからまた、小説に取り組むことから遠ざかる理由になってしまった。