鉄と血と魂と
決起の章
鉄と血と魂と 決起の章
001
それはとても遠い時代、遠い場所の話。
その場所は見渡す限り、黒い泥と沼で、始終水浸しになるその土地ではユカイモと少しの根菜や野草の他は育てられない。
そこにある小さな村落の人々は乏しい作物と、ナマズやヘビの類いを獲って生活していた。
貧困を絵に書いたようなその土地には他の土地に比べて勝るものなどなにひとつなく、数十年に一度は流行り病で人死にが出る。
村人といっても先祖代々その土地にすむものはさほど多くなく、身寄りのなくなった寡婦や奴隷の身分を逃れた異邦人が素性を隠して流れ着いている事も少なくない。
元来、愛着をもつような土地でもなければ、多くの人間を養えるような豊かさもない。
しかし、村にはかすかな連帯感のようなものがあり、それがちぐはぐな村人たちを繋ぎとめているようだった。
何も持たない彼らの宝といえば、お互いに分け隔てせずに助け合うことと、この土地に古くから伝わる伝説だった。
それは「魂狩り」と呼ばれる伝説。
遠い昔、まだ空と海の端が交わっていた時代。
神々が地上を去り、このイホの地で乾期と雨季が100回入れ替わった頃。
愛馬の「ヒ」に跨り、手にした斧で1000人の敵を屠った。
それが「魂狩り」で、このイホの地を最初に治めたといわれている英雄だ。
彼らはこの伝説を代々伝え、この痩せた湿地に特別な愛着に似たものを感じて生きていた。
そして、それはやはり愛着と呼ぶにふさわしい感情だろう。
カエルやミミズの類いをついばみに舞い降りるくちばしの長い鳥たちや、その鳥やカエルを淀んだ泥の中から鼻を突き出して日がな一日待ちつづけるワニ、そして、そのワニを絞め殺すべく槍と縄を持って歩き回る痩身の狩人たちが織り成す日々の景色もまた、泥だらけのこの土地に似つかわしく、ふさわしく、ともすれば貨幣などとは無縁でありがちなこの地方の営みを良くあらわしていた。
ワニ狩りは大人たちの仕事で、子供たちはナマズを狩る。
時には自分で縒(よ)った粗末な糸で釣り、時にはナマズのエラを素手で鷲掴みにして泥から引きずり出す。
その土地で育った子供たちは、常に乾いた泥が体のそこかしこにこびりついている。
しかし、十年以上前にこの村を襲った流行り病はこの地の幼い命を嘗め尽くすように奪っていった。
大人ですらその刈り取る兇刃からは逃れられず、子供ほどではないまでも多くの人間がこのイホの村で命を落とした。
イホの村ばかりではない、イホの村ほどではないにせよ、近隣の町や隣国にまでそれは拡がり、この湿地の周辺では十代の子供は全くといって良いほど見かけない。
しかし、イホの地にその大きな禍を生き延びた一人の子供がいた。
メテオという。
姓はない。
そして、流行り病が去ったある日、この地に流れ着いた一人の少年がいた。
ハルという。
やはり、姓はない。
両親はない。
子供という子供を失ったイホの民は、奇妙な抱擁力で、この痩せて薄汚れた二人の少年を育てた。
湿地をでれば世は戦乱の渦中にあった。
2つの国、ボンス朝クロガネ国と血判通商連合は砂漠の中に発見された金鉱脈の所有権を巡って長い長い戦争を続けていた。
そのちょうど境目で血判国の端にあるイホの村は、本来は前線のはずなのだが、満足に進軍できない湿地という土地に守られていた為、いたって平和だった。
この物語は持つ者と持たない者の物語。
そして世界は貪欲に血と鉄と魂を欲していた。
血と鉄と魂と。
二人はその意味を知る。
002
「メテオ、そっちへ行くとワニがいるってみんな言ってたよ。」
メテオと呼ばれた少年は泥がこびりついた痩せこけた頬に、鷹のような三白眼をギラつかせて泥をはねながら沼とも地面ともつかない所を走っていた。
「ワニならいつでもかかって来い!!俺がぶっ倒してやる!!」
湿地にくるぶしまで埋まって木の棒を振り回すメテオ、それを遠くで恐ろしそうに見る気弱なハル。
そして、泥の中で何かが動くのを二人の少年は見逃さなかった。
「でたあ!!」
「でやーー!!」
驚いて飛び退るハルとは対照的にメテオは泥を飛び散らせながら、その蠢いた泥中に突進する。
どこで拾ったのか、右手にしっかりと握られたひん曲がった棒きれは、貧弱でも棍棒のようであった。
中程で一度曲がり、先へ行く前にもう一度反対向きに曲がっている。
その気の利いた曲がりなおしのおかげか、どうにか腕白盛りの少年の獲物として機能しているようだ。
メテオの唯一の固有財産といっても良いその棍棒が、泥中を滅多打ちにする。
殴られて飛び出したのはワニではなく大きなナマズであった。
ナマズは何がおきたのかもわからずどす黒い泥を飛び出して逃げようとする。
「待てぇ!!」
「ダメだって!!そっちいっちゃ!!」
ハルがメテオを制止したのは、彼の経験上、ナマズが逃げたその先は、ちょうどワニが潜むのに適したぬかるみだったからだ。
案の定、大柄なワニが口をあけ、のたくりながらナマズを一呑みにする。
「でたぁぁぁぁ!!!!」
驚いてハルが大声をだしたが、メテオは深いぬかるみの中でワニとやりあうのは危険だと諦めたらしく、その様子を興が冷めたようにみていた。
ハルは逆にその様子を食い入るようにみている。
ワニが生き物を食べるときの動きを観察しているのだ。
ハルはメテオの友人で「お守り」であると同時に、湿地の生き物を熟知した知恵者でもあった。
ワニはそんな二人の顔色など気にもとめずにナマズを飲み下すと、回れ右してぬかるみの奥へいこうとする。
そのとき、長い強靭な尾が、結構な量の泥をメテオの顔に跳ね飛ばした。
「・・・」
「・・・メ・・・メテオ?」
「・・・・・」
「メテオ?・・・帰ろうか?」
「・・・・・・・・」
「ねえ、食事の邪魔した僕たちをワニが見逃してくれたんだから帰ろうよ?」
メテオは怒りだした。
「許さーーーーん!!!!!!!」
「やっぱりぃぃぃぃ!!!」
ぬかるみの奥へ棍棒を振り回しながら入っていくメテオを張るが羽交い絞めにして引き止める。
二人はずっとこうしてこの地で泥まみれになって育ってきたのだった。
003
ぬかるみとそうではないところの見分けがつかないこの土地でも、確実に沈まない場所がある。
泥の中から突き出した岩場がまれにあって、ハルとメテオが登ったのはそうした場所の1つだった。
彼らにとって休憩するとすればこうした岩場なのだ。
「メテオ・・・メテオは何になりたいの?」
ハルが不意にそう尋ねた。
メテオは顔について渇いた泥を指で削り落としながら言った。
「お前からいえよ・・・」
ハルは本当は自分がそう言われたくて質問したようだ。
強い羨望の眼差しを空の低いところに向けながら答えた。
「僕は・・・本が読んでみたい。字をもっと読めるようになって、本を読んでみたいんだ。」
「本ってなんだ?」
メテオはさらに尋ねる。
「本って誰かが書いたものさ。」
「フーン」
メテオは「書く」の意味がいまいち分からなかったが、適当に相槌を打った。
「メテオは?」
「俺は兵士になる」
ハルはなぜか優しそうな声で
「戦争するの?」
と言った。
「俺の父ちゃんは兵士だったって、この鉢巻も父ちゃんのだったって。」
メテオは不恰好に大きな鉢巻を頭から外して見つめた。
鉄の鉢がねがついている。
「そういえば、そう村長さんが言ってたね。」
そうハルがメテオは鉢巻を見つめたまま言った。
「だから俺も父ちゃんみたく兵士になる。兵士になったら、いつかこの鉢巻見た父ちゃんが逢いに来てくれっかもしれない。」
ハルも身よりはない。
たった一人の友人のメテオの気持ちは分かるつもりだ。
「逢ったらどうするの?」
「母ちゃんがどんな奴だったのか聞く。」
そう言うとメテオは汚れきった鉢巻を締めなおした。
001
それはとても遠い時代、遠い場所の話。
その場所は見渡す限り、黒い泥と沼で、始終水浸しになるその土地ではユカイモと少しの根菜や野草の他は育てられない。
そこにある小さな村落の人々は乏しい作物と、ナマズやヘビの類いを獲って生活していた。
貧困を絵に書いたようなその土地には他の土地に比べて勝るものなどなにひとつなく、数十年に一度は流行り病で人死にが出る。
村人といっても先祖代々その土地にすむものはさほど多くなく、身寄りのなくなった寡婦や奴隷の身分を逃れた異邦人が素性を隠して流れ着いている事も少なくない。
元来、愛着をもつような土地でもなければ、多くの人間を養えるような豊かさもない。
しかし、村にはかすかな連帯感のようなものがあり、それがちぐはぐな村人たちを繋ぎとめているようだった。
何も持たない彼らの宝といえば、お互いに分け隔てせずに助け合うことと、この土地に古くから伝わる伝説だった。
それは「魂狩り」と呼ばれる伝説。
遠い昔、まだ空と海の端が交わっていた時代。
神々が地上を去り、このイホの地で乾期と雨季が100回入れ替わった頃。
愛馬の「ヒ」に跨り、手にした斧で1000人の敵を屠った。
それが「魂狩り」で、このイホの地を最初に治めたといわれている英雄だ。
彼らはこの伝説を代々伝え、この痩せた湿地に特別な愛着に似たものを感じて生きていた。
そして、それはやはり愛着と呼ぶにふさわしい感情だろう。
カエルやミミズの類いをついばみに舞い降りるくちばしの長い鳥たちや、その鳥やカエルを淀んだ泥の中から鼻を突き出して日がな一日待ちつづけるワニ、そして、そのワニを絞め殺すべく槍と縄を持って歩き回る痩身の狩人たちが織り成す日々の景色もまた、泥だらけのこの土地に似つかわしく、ふさわしく、ともすれば貨幣などとは無縁でありがちなこの地方の営みを良くあらわしていた。
ワニ狩りは大人たちの仕事で、子供たちはナマズを狩る。
時には自分で縒(よ)った粗末な糸で釣り、時にはナマズのエラを素手で鷲掴みにして泥から引きずり出す。
その土地で育った子供たちは、常に乾いた泥が体のそこかしこにこびりついている。
しかし、十年以上前にこの村を襲った流行り病はこの地の幼い命を嘗め尽くすように奪っていった。
大人ですらその刈り取る兇刃からは逃れられず、子供ほどではないまでも多くの人間がこのイホの村で命を落とした。
イホの村ばかりではない、イホの村ほどではないにせよ、近隣の町や隣国にまでそれは拡がり、この湿地の周辺では十代の子供は全くといって良いほど見かけない。
しかし、イホの地にその大きな禍を生き延びた一人の子供がいた。
メテオという。
姓はない。
そして、流行り病が去ったある日、この地に流れ着いた一人の少年がいた。
ハルという。
やはり、姓はない。
両親はない。
子供という子供を失ったイホの民は、奇妙な抱擁力で、この痩せて薄汚れた二人の少年を育てた。
湿地をでれば世は戦乱の渦中にあった。
2つの国、ボンス朝クロガネ国と血判通商連合は砂漠の中に発見された金鉱脈の所有権を巡って長い長い戦争を続けていた。
そのちょうど境目で血判国の端にあるイホの村は、本来は前線のはずなのだが、満足に進軍できない湿地という土地に守られていた為、いたって平和だった。
この物語は持つ者と持たない者の物語。
そして世界は貪欲に血と鉄と魂を欲していた。
血と鉄と魂と。
二人はその意味を知る。
002
「メテオ、そっちへ行くとワニがいるってみんな言ってたよ。」
メテオと呼ばれた少年は泥がこびりついた痩せこけた頬に、鷹のような三白眼をギラつかせて泥をはねながら沼とも地面ともつかない所を走っていた。
「ワニならいつでもかかって来い!!俺がぶっ倒してやる!!」
湿地にくるぶしまで埋まって木の棒を振り回すメテオ、それを遠くで恐ろしそうに見る気弱なハル。
そして、泥の中で何かが動くのを二人の少年は見逃さなかった。
「でたあ!!」
「でやーー!!」
驚いて飛び退るハルとは対照的にメテオは泥を飛び散らせながら、その蠢いた泥中に突進する。
どこで拾ったのか、右手にしっかりと握られたひん曲がった棒きれは、貧弱でも棍棒のようであった。
中程で一度曲がり、先へ行く前にもう一度反対向きに曲がっている。
その気の利いた曲がりなおしのおかげか、どうにか腕白盛りの少年の獲物として機能しているようだ。
メテオの唯一の固有財産といっても良いその棍棒が、泥中を滅多打ちにする。
殴られて飛び出したのはワニではなく大きなナマズであった。
ナマズは何がおきたのかもわからずどす黒い泥を飛び出して逃げようとする。
「待てぇ!!」
「ダメだって!!そっちいっちゃ!!」
ハルがメテオを制止したのは、彼の経験上、ナマズが逃げたその先は、ちょうどワニが潜むのに適したぬかるみだったからだ。
案の定、大柄なワニが口をあけ、のたくりながらナマズを一呑みにする。
「でたぁぁぁぁ!!!!」
驚いてハルが大声をだしたが、メテオは深いぬかるみの中でワニとやりあうのは危険だと諦めたらしく、その様子を興が冷めたようにみていた。
ハルは逆にその様子を食い入るようにみている。
ワニが生き物を食べるときの動きを観察しているのだ。
ハルはメテオの友人で「お守り」であると同時に、湿地の生き物を熟知した知恵者でもあった。
ワニはそんな二人の顔色など気にもとめずにナマズを飲み下すと、回れ右してぬかるみの奥へいこうとする。
そのとき、長い強靭な尾が、結構な量の泥をメテオの顔に跳ね飛ばした。
「・・・」
「・・・メ・・・メテオ?」
「・・・・・」
「メテオ?・・・帰ろうか?」
「・・・・・・・・」
「ねえ、食事の邪魔した僕たちをワニが見逃してくれたんだから帰ろうよ?」
メテオは怒りだした。
「許さーーーーん!!!!!!!」
「やっぱりぃぃぃぃ!!!」
ぬかるみの奥へ棍棒を振り回しながら入っていくメテオを張るが羽交い絞めにして引き止める。
二人はずっとこうしてこの地で泥まみれになって育ってきたのだった。
003
ぬかるみとそうではないところの見分けがつかないこの土地でも、確実に沈まない場所がある。
泥の中から突き出した岩場がまれにあって、ハルとメテオが登ったのはそうした場所の1つだった。
彼らにとって休憩するとすればこうした岩場なのだ。
「メテオ・・・メテオは何になりたいの?」
ハルが不意にそう尋ねた。
メテオは顔について渇いた泥を指で削り落としながら言った。
「お前からいえよ・・・」
ハルは本当は自分がそう言われたくて質問したようだ。
強い羨望の眼差しを空の低いところに向けながら答えた。
「僕は・・・本が読んでみたい。字をもっと読めるようになって、本を読んでみたいんだ。」
「本ってなんだ?」
メテオはさらに尋ねる。
「本って誰かが書いたものさ。」
「フーン」
メテオは「書く」の意味がいまいち分からなかったが、適当に相槌を打った。
「メテオは?」
「俺は兵士になる」
ハルはなぜか優しそうな声で
「戦争するの?」
と言った。
「俺の父ちゃんは兵士だったって、この鉢巻も父ちゃんのだったって。」
メテオは不恰好に大きな鉢巻を頭から外して見つめた。
鉄の鉢がねがついている。
「そういえば、そう村長さんが言ってたね。」
そうハルがメテオは鉢巻を見つめたまま言った。
「だから俺も父ちゃんみたく兵士になる。兵士になったら、いつかこの鉢巻見た父ちゃんが逢いに来てくれっかもしれない。」
ハルも身よりはない。
たった一人の友人のメテオの気持ちは分かるつもりだ。
「逢ったらどうするの?」
「母ちゃんがどんな奴だったのか聞く。」
そう言うとメテオは汚れきった鉢巻を締めなおした。
004
「遠いところをいつもありがとうございます。」
「ここいらのヘビは質が良いので、都へもっていけば薬として高く売れるんですよ。」
イホの中心部(・・・とはいってもタダの広場だが)に行商人が来ている。
イホの村の主要な輸出品はユカイモと何種類かの薬草、ワニの皮や副産物、そして、干したヘビやナマズの類いだ。
余程必要なものがない限り金銭は使わない。
行商人もそこは分かっていて、物々交換をする。
イホの村の人々が欲しがるのは、少々の衣料と薬、そして特に塩と香辛料だ。
「いいコショウがありますよ。いい天気が続いた時に乾かした奴だから。」
「じゃあ、これだけと交換でどうですか?」
そう商談をしていると、村人の一角で歓声が上がった。
「これはデカイな!!」
「酒持ってこよう・・・まだあるだろ!?」
ワニが獲れたのだ。
商談をしていた行商人と村人の間へ村長が割って入る。
「大きなワニが獲れたようじゃ、アンタら、その辺にして分け前を貰いに行ったらどうじゃ?」
行商人と村人は急いで商談を取り交わすと、塩と胡椒をつかんで走り出した。
ワニは串焼きにするのだ。
太陽が頭上を過ぎる頃、村は肉を焼くにおいと白い煙に包まれた。
何から作ったか分からない濁った酒を、泥をこねて焼いて造った杯で呑みながら、村人達は上機嫌だった。
「遠いところはるばる来て頂いた、ちょうどのところで思わぬご馳走でしたな。」
白髪頭の小太りな村長が行商人に話し掛ける。
「ありがたいことです。ワニはこっちまでこないと食べられませんからね。」
行商人は首まで真っ赤にしながら酒と肉を交互に食べていた。
ワニ解体のドサクサで持ってきた上等のコショウと塩の一部は消えうせてしまったが、その分を取り戻すべくがっついている。
来訪者である行商人も含めて村は一様に上機嫌だった。
「ここまでの道のりはおつらいでしょうに。」
村長がそう言うと行商人は、口から何か飛ばしながら豪快に笑った。
「いつもはそうなんですがね、今回はそうでもないんですよ。近くまで血判国軍と一緒に来たんで、旅は安全でした。」
ちょうどそこへメテオとハルが帰ってきた。
「何だよ!ワニを焼いてるなら呼んでくれてもいいじゃねぇか!!」
メテオがそう叫びながら遠くから走ってくる。
「待って!メテオ!!」
ハルは遅れて息を切らせる。
「今日のはでかいぞ!まだまだなくなりゃしねぇよ!!」
村人の一人が焼けた肉の串を差し出すとメテオは引っつかんでかじりついた。
ハルも肉を受け取ったが、なにか普段と村の様子が違うことに気付いたようだ。
「・・・あ、今日は行商人のおじさんもきてるのか!メテオ、なにか面白い話、聞きにいこうよ!!」
顔を輝かせたハルは、右手に肉の串、左手にメテオを引きずって村長と行商人の所へ駆けていく。
村長と行商人は戦争の話をしていた。
「・・・戦況は悪いですか。」
「前に比べればよくないってぐらいですね。ただ、ちょうど前線が周りに何もない荒れ地の真っ只中らしくて、補給が容易ではないとは聞きますね。それで、新しい補給路を捜す為にとうとうこの湿地の端まで行軍してきたということです。だから、割と近くで血判国軍が野営してますよ。私も今夜までにそこへ戻ろうかなと考えています。」
メテオは人の話を聞くのは苦手だったが、その言葉に敏感に反応した。
「・・・なんだって!?血判国軍が野営してるって!?」
ハルの頭を押さえつけて、身を乗り出す。
「そうさ、北の方に青草が生えてるところあるだろ。あのあたりさ。」
メテオはそれだけ聞くと無言で走り出した。
ハルは嫌な予感がしながらもそれを追う。
「ねえ、メテオ待って・・・足速いんだもん・・・」
兵士になりたいメテオにとっては千載一遇のチャンスだった。
005
血判国軍の大規模な補給部隊が湿地に野営していた。
ぬかるむ地面の固そうなところを選んで天幕(テントのこと)を張り、野営の準備に終われている。
ほとんどの兵士たちにとって、未知の風土である湿地は、できれば避けて通りたいところだった。
それは敵国クロガネも全く同じで、湿地で何かをしたいとはさらさら考えていない。
しかし、軍の上層部はそこに付け入る隙があると考えて、湿地を貫く補給路を完成したいと考えていた。
「何でまたこんな湿っぽいところを野営に選ぶかな。」
兵士の一人が、これまでに何度も漏らしたであろう不平を口にした。
「近道らしいが、閣下も今回ので少し懲りたんじゃないか?避けて通るには理由があるんだろ。」
そこに居合わせたもう一人の兵士がそう言った。
閣下が誰の事かは分からないが、残念ながらその「閣下」は行軍には参加していないので、懲りる事はないだろう。
その事情を知ってか知らずか、のっぽと小太りの二人の兵士はため息をついた。
そこへ、不意に泥だらけのちんちくりんが現れた。
メテオだ。
「おい!おっさん!?」
「・・・うわ!!びっくりした!!・・・ガキか・・・」
兵士は泥の中から話に聞くワニとか言う生き物が出てきたかと、跳び上がったがどうやらそれは泥だらけなだけで人間らしい。
「ガキが脅かすなよ・・・なんでこんな所にいるんだ!?」
「そういえば一緒にいた行商がこの辺に村があるって言ってたな。」
二人の兵士は顔を見合わせて「あー」と納得した。
メテオは自分を無視して話が進むのが不愉快らしく、もともと大きな声を一層張り上げた。
「俺、血判国の男だ!軍に入れてくれ!!」
二人の兵士はきょとんとしている。
はるはその頃になってやっと追いつき、岩陰に隠れてその様子をのぞき始めた。
「・・・い・・・『入れてくれ』ったって・・・お前まだガキじゃねぇか・・・」
「今年15になった!!」
小太りがメテオをまじまじと見た。
「15・・・にはみえねぇな。」
のっぽが眉をひそめて言う。
「15になったって・・・お前、このあたりのその歳のガキはみんな伝染病で死んじまったんだよ。外国人か?それとも、さては・・・自分の歳がわからねぇんだな?」
メテオはその伝染病の唯一といっていい生き残りだった。
子供という子供が村はずれに埋められていく光景をかすかに覚えている。
母も失った。
「・・・ち!!違う!!俺・・・」
他の子供が生きていたら、もっと大きく、歳相応に成長していたのだろうか?
喜んで兵士として迎えられたのだろうか?
「何を騒いでいる。」
騒ぎを聞きつけてもう一人兵士がやってきた。
全体的に装備が上等なところを見ると偉い人のようだ。
少なくともメテオにはそう見えた。
「あ、小隊長。このガキがいきなりやってきて兵士にしろってデカイ声で・・・」
「が・・・ガキじゃねぇよ!15になったんだ!!」
隊長と呼ばれた男は歳は30程であろうか。
半眼で、どこか世の中をなめたような目つきをしている。
その目で値踏みするようにメテオを見ると
「15にしてはずいぶん小さいな。」
と言った。
「戦えるんだ!兵士にしてくれ!!」
小隊長は「ふうん」というと天幕の横に立てかけてあった二本のまっすぐな木の棒をメテオに差し出した。
「選べ。」
「えっ?」
メテオは何をされているのか分からずに口をあけていた。
「どちらか一本を選べ。分からんか?血判国の兵士にふさわしいかどうかテストしてやろうと言うのだ。」
メテオは事情が飲み込めると一本をひったくって飛びのき、間合いを離した。
かまえ方も分からずバットを振りかぶるように顔の横で構えると、どのタイミングでどうすれば良いのか分からず当惑した。
「・・・いいぞ、いつでも。もうテストは始まっている。」
メテオは雄たけびを上げながらがむしゃらに突進した。
あまりの思い切りのよさに隊長は少し愉快になったが、顔には出さない。
小隊長が半歩横にそれて、棒で足元を払うとメテオの世界はひっくり返った。
泥が乾いて粉っぽくなった地面に顔から突っ込む。
「特に言う事はないな。もう少し、大きくなってから出直して来い。」
そう言って小隊長はメテオの手から木の棒を取り返すと、二本をまとめて片手に持ち、ブラブラさせながら歩き去ってしまった。
小太りの兵士が地面に顔を埋めたままのメテオに駆け寄る。
「・・・これ食って大きくなれ。お前の目、嫌いじゃないべ!!」
小太りが茹でて干したイモを差し出すと、のっぽも懐から干し肉をとりだした。
「お前、いい度胸してたよ!『小さい』って言って悪かったな・・・」
メテオは俯いたまま立ち上がると、二人から食糧を分捕るようにして取り、小さく頭だけ下げると、背を向けて走り出し、野営から飛び出した。
「あ、ちょっと・・・メテオ!!」
思わず岩陰から飛び出したハルは二人の兵士と目があったので、腰を曲げ深々とお辞儀すると、またメテオを追いかけて走り出した。
006
きっと父親譲りなのだろう。
優しかった母親とは似ても似つかない猛禽類のような三白眼に涙を一杯に溜めて、メテオは走った。
いつしか日はすっかり暮れ、湿地を月が照らしている。
危険な湿地の夜だったが、メテオにとっては庭も同然だった。
しかし、その湿地と湿地の暮らしから抜け出すことが容易ではないとメテオは思った。
「くっそ・・・くっそ・・・チクショウ!!」
泥だらけの顔で干し芋を齧り、泥だか鼻水だか涙だか芋だか分からない物を飲み下す。
「なんでもっと、俺を大きく産んでくれなかったんだよ・・・母ちゃん!!」
メテオが3歳のときだった。
ひどい熱が続いていた母の体温がやっと下がった。
「母ちゃん!お熱さがったよ!!母ちゃん!!おっきして!!母ちゃん!!」
しかし、メテオが再び母の温もりを取り戻す事はなかった。
今はあれが母の死だった事が分かる。
しかし、当時のメテオにはそんなことはわからなかった。
そして、冷たくなっていく母にすがり付いていた記憶が、唯一はっきりとした母に関する記憶だった。
「うおーーーーーーーー!」
メテオは根だかなんだか分からない物に足をとられて派手に転んだ。
そして、吼えた。
「メテオ!やっと見つけた!!」
ハルの声が聞こえた。
メテオは絞り出すような声で
「一人にしてくれないか!!」
と叫んだ。
ハルにはすまないなと思っていた。
何かは分からないけどすまないなと思った。
007
メテオを残して村に帰ったハルが寝て起きると、村には血判国の兵士が何人も来ていた。
若木の枝で歯を磨いているところを村長に呼ばれて、柱に干草の屋根を葺いただけの村長の家に言ってみると、そこにはハルが見たこともないような美青年が座っていた。
顔立ちも端正だが、身なりも美しい。
兵士である以上、具足を身につけているわけだが、それらも磨き上げられ、布でできたところには刺繍が、革でできたところには細工が、金物には細かな紋様が施されている。
「こちらの方は軍の中隊を指揮しておられる。タルガルガガン様だ。」
ハルはすごい名前だなと思いつつも頭を下げた。
「中隊を指揮とはいっても、行きがかり上そうなっただけだ。君がハル君か。村長から話を聞かせてもらった。この辺りに詳しいんだって?」
ハルが恐縮して何も言えないでいると、その様子をみてタルガルガガンも村長も笑った。
「ハルや。タルガルガガン様にこの辺を案内して差し上げろ。」
「はっ、はい!」
タルガルガガンは、それでも動けないハルの肩をぽんと叩いて「頼むよ」と言って微笑んだ。
008
タルガルガガンは元は軍籍ではない。
貴族の家に生まれ、都の学院を卒業したエリートで、主に地理学の研究をしていた。
今回の湿地踏破ルートを拓くにあたり、専門家として呼ばれたのだ。
しかし、貴族の出身である為に適当な役職が必要になった。
大隊長には将軍の甥が着任している為、その下の中隊長という任状を貰ったが、実際には数人の護衛の兵士と助手を連れて歩き回ってるだけに過ぎない。
元々、社交的でかつ破天荒でもある彼は、自分が貴族である事など気にもとめず、汚らしい田舎の少年であるハルと交流する事にためらいがないばかりか、聡明で才知に溢れたハルと供にいることを楽しいとさえ感じていた。
「ワニは獲物を襲うときこそ俊敏ですが、あまり普段から活発な動物ではありません。時には泥の中から鼻だけ出して、獲物がくるのを待っています。」
打ち解けて饒舌になったハルをまぶしそうに見る。
タルガルガガンは賢い人間は誰でも好きだった。
「君は素晴らしいなハル。どこでそんな事を学んだんだね?」
ハルは照れ笑いしながら答えた。
「村の大人の人たちや、自分で歩いて知ったことや・・・あと本を読んで・・・」
タルガルガガンは嬉しそうに目を細めた。
「この村に『本』があるのか?」
ハルは誇らしそうな申しわけなさそうな、なんとも割り切れない顔をして答えた。
「村長の家に一冊だけ。」
タルガルガガンは満足そうに頷いた。
「ハル。君はもっと多くの本を読みたくはないか?勉強するんだよ。」
ハルは自分の夢が遠い距離を一息に飛び越えて、目の前にやってきたことを悟った。
009
メテオは翌朝、野営に舞い戻っていた。
ハルも隠れていた例の岩陰にいた。
ハルとメテオの違いはハルはきちんと隠れられるのだが、体が小さいはずのメテオは隠れているようで全く隠れていないところだ。
本人は隠れている気でいる。
のっぽと小太りに話を聞いた兵士たちは、メテオと小隊長の昨日の出来事を一通り知っていた。
訓練中にメテオが視界に入るのが、おかしくて仕方がない。
小隊長も笑いをこらえるのに必死で、本来真面目にやらなければいけない訓練だが、兵士たちを注意すらしない。
注意しようとするとタガが外れて自分も吹きだしてしまうと思ったからだ。
また、三白眼の鋭さがそれに輪をかけている。
目の前の訓練に集中しているつもりでも、ぎらつく眼光が嫌でも気になる。
その度に吹きだしそうになる。
メテオは岩陰でいてもたってもいられなくなったらしく、持っていた棍棒で兵士の動きを真似し始めた。
その動きがどうにもまた滑稽で辛抱できない兵士の何人かは笑いを堪え過ぎて、涙をこぼしている。
兵士たちは槍の訓練をしているのだが、メテオのもっている棍棒は短くて、槍の訓練に長さが満たない。
小隊長は笑いをこらえて口をへの字にしながらも、兵士の一人を呼びつけて、何かを耳打ちした。
その兵士は隊列に戻ると、今度はこっそり列を抜けて、メテオの隠れている岩陰のあたりに小走りにかけていく。
岩に槍に見立てた木の棒を立てかけると、やにわズボンをずらして小用をはじめた。
用便を済ませると、木の棒を置き去りにして隊列に戻っていく。
そして、列に戻ると木の棒をなくしたふりをしながら、新しい棒をもって訓練に復帰した。
メテオはこれ幸いと物干し竿に満たないほどの木の棒を掴む。
樫でできた頑丈な棒はメテオには、ともすれば重過ぎる代物だったが、負けん気を発揮し、みようみまねでそれを振り始めた。
兵士の一人が小隊長に小声で声をかける。
「いいんですかい?あんなモノもたせたらその気になって、また隊に入れてくれって言い出しますぜ。」
小隊長は
「ああいうのは放っておいてもいつか兵士になるんだ。それが早いか遅いかだけのちがいだろ?」
と小声で言い返す。
兵士たちは「違いない」と納得して、力をこめて訓練を続けた。
あんなに滑稽だったメテオの眼差しを笑うものはいなくなっていた。
010
「ハルは『ごめん』と言っておったよ。」
メテオが村に帰ったときにはハルはもういなかった。
メテオはあれから朝一番で野営に戻り、兵士たちの訓練を盗み見して一日を過ごしたのだ。
そのどこかできっとすれ違ったのだろう。
「今からであれば、野営に行けばハルとまた会えると思うが・・・」
「いいさ。ハルはどこに行ったってハルさ。」
メテオは何の感情も湧かない自分を不思議に感じていた。
例え、メテオが兵士になったとしても別れる日はやってくる。
それが違う形になっただけだ。
「それに、野営は今日の夕方頃畳み始めてたよ。」
「・・・そうじゃったか。」
メテオと村長はしばらく黙り込んでいた。
そして、メテオが何か言おうと口を開こうとしたら、村長が先に口を開いた。
「『村を出る』・・・と、言うつもりじゃろうな。」
メテオは自分の思いが見透かされて驚いたが、またすぐに俯いて自分と村長が座っている黄色い毛皮の敷物を見た。
「止めるか?」
「止めんのう・・・何になるつもりじゃ?兵士になると言って、断られたのじゃろう?」
メテオは憮然として言った。
「なら、誰か兵士にしてくれるやつが見つかるまで捜すさ。」
「『傭兵』ということか・・・」
「なんだそれ?」
村長はボリボリと背中を掻きながら答えた。
「どこかの国の軍隊に入るのではなく、自分で雇い主を捜す兵士のことじゃ」
「・・・だったら、俺はそれになる」
村長は目を細める。
「いらん知恵を吹き込んだかの?もう、行くか?」
「む・・・いいのか!?」
「15歳になったお前が自分で決めたことをワシャとめやせんよ・・・ただ、お前がこの村で生まれて育ったことは忘れんでほしい」
「忘れねぇよ、忘れたくても、忘れねぇよ」
それを聞くと村長は嬉しそうにメテオを見た。
「まあ、今夜一晩ぐらいはゆっくりしてもいいじゃろう・・・まあ座れ、お前もこの村の人間だったと分かるように、『魂狩り』様の話をしてやる。」
「知ってるよ。村の奴はみんな知ってる。」
メテオがそう言うと村長はにんまり笑った。
「全部きいた事があるやつはあまりおらん。ワシが面倒くさがってはなしてないだけじゃ。反省せんといかんな。」
「短くな」
メテオは長話は好きではないので釘を刺した。
「長いわい、がまんせい」
村長は釘を防いだ。
011
「神々が地上を去って、このイホの地に雨季と乾期が100度訪れた時代の話じゃ。この地に北からやってきた巨人がいた。巨人はイホの地で子を産むとその内の一人は小さかった。小さい子は父に言った。『父上、私は他の兄弟と違うので、今のままではこの地で生きてはいけませぬ。』とな・・・」
焚き火の火が揺れている。
メテオは黙って聞いた。
「そう言って、イホの地を出て旅を始めたという。小さい子は朝日を右手に六日歩くと一日休み、それを3回つづけた。茂みの中で木の精が歌うのをきいた。『ライオンは百獣の王、その爪と牙は何物をも引き裂く』小さい子は木の精に問い掛けた。『ならばそのライオンが世界で最も強いのか。』木の精は答えた。『しかし、ライオンも銀の蔓で縛ればその牙を折られます。』」
村長はそこまで話すと一息ついた。
乾いた唇をなめて潤すと、また話を続けた。
「小さい子は銀の蔓を切り取って袋に入れた。小さい子は再び朝日を右手に六日歩くと一日休み、それを3回つづけた。そしてもう六日歩いてまた休もうと池のほとりで腰をおろすと、1頭の馬がライオンに襲われているのを見つけた。」
そこまで黙って聞いていためメテオがたまらず口を開いた。
「結局ライオンってなんだ!?」
「ワシらが座っている敷物がライオンの毛皮じゃ。オスはこれにタテガミがある。」
「そうか・・・」
「話にもどるぞい」
村長はメテオを軽く睨みつけると話を再開した。
どうやら村長はこのはなしを一定のリズムでしているようで、それが崩れると話しにくくなるようだ。
「・・・小さい子は馬に言った。『お前を私が助けたら、お前は私を主と認めるか?』馬は答えた『認めます。』小さい子は盾と槍でライオンと戦ったが、槍はライオンに噛み折られてしまった。小さい子は、袋から銀の蔓を出すと、ライオンに巻きつけた。ライオンは屈服し池に転げて落ちて死んだ。小さい子はその馬を「ヒ」と名付け、その地からユカイモを持ってイホの地にもたらした。」
メテオは目を丸くした。
「初めてきいたぞ。小さい子が『魂狩り』だったのか。」
「魂狩り様と呼べ。続きを話すぞ。」
メテオは村長の顔を食い入るように見つめていた。
「イホの地に、ユカイモを奪う為、北の地から攻めてきた者がいた。小さい子は、ヒの背に乗って斧を持って戦った。これは槍がライオンに折られたためである。そして、敵の只中で斧を振るい1000人を殺した。敵の王はその様子を見て言った。『災いかな、我が兵の魂、これ以上狩られてなるものか。』兵士たちはその日から『魂狩り』を見ると、剣を置いて逃げるようになった。小さい子の民は、小さい子が強いのを見て、巨人であるのをやめ、小さい民となった。」
村長は大きく深呼吸をした。
「・・・これがワシの伝え聞いた全てじゃ。」
メテオはライオンの毛皮の敷物を握って何かを考えていた。
「・・・魂狩りは小さかったんだな?」
「そうじゃな。ただ、巨人に比べてと言う事じゃろうがな。・・・まあ正直、この村でお前にあげられるものと言ったら、こんな話かイモぐらいしかない。干し芋いるか?」
メテオは干し芋の束をつかんで村長の家を飛び出した。
012
メテオは村長の話をなぞってヒなる乗馬を手に入れることに決めた。
魂狩りの伝説と自分を自然に重ね合わせていた。
しかし、最初にメテオに立ちふさがったのは見知らぬ森の精でもライオンでもなく、見知ったワニだった。
「くっそー!!」
ワニは余り長く獲物を追うことに向いていない・・・と勝手にそう思って、ワニに見つかるたびにひたすら走って逃げる。
一日中走り回ったわりにはイホの村から大して遠ざかってもいない。
日が暮れかける頃、このまま村に戻って一日散策していた事にしようかとも思ったがやめた。
なんだか悔しかったからだ。
干し芋をかじり、木の汁を啜って倒れるように眠った。
013
一週間たっても湿地からは抜け出せなかった。
食糧は尽きた。
その辺に生えているであろうユカイモを掘って食べられたら一番それがいいのだが、残念ながらユカイモは掘ってそのまま食べられない。
今、メテオは一大決心をしていた。
目の前にはメテオに気付いていないワニが一頭いる。
大人達がやっているように後ろから羽交い絞めにしてやれば、メテオにもワニが狩れるにちがいない。
本当ならばナマズを手づかみでも良いのだが、腹が減ってくると見境がなくなってくる。
「俺もイホの村の男だ・・・ワニなんて怖くもなんともな」
その瞬間、ワニが大きな口をあけて振り向いた。
メテオは驚いて飛びのこうとしたが、足元は泥でぬかるんでいてすべって転んだ。
のしかかるように迫ってくるワニと、滑る足元と、跳ね返る泥にもみくちゃにされながら、無我夢中でワニの上顎と下顎を開かないように抱きかかえた。
「縄!!縄!!」
メテオはワニの口を縛る縄を持っていなかった。
咄嗟に履いているズボンの腰紐を抜いて縛り上げた。
縛られながらも逃げ回るワニに、縛りつつもしがみつくメテオ。
いつしかズボンは脱げて下半身はドジョウ避けの縄だけになっていたが、メテオは喰らいついた。
しばらくワニと格闘していたが、メテオは上着を脱ぎ去って、ワニの鼻頭に押し付けた。
泥をはねながらびゅうびゅうと出入りする鼻息をまじかで感じて、これで窒息させようと思いついたのだ。
「とっととくたばれぇ!!」
30分後、メテオはワニに勝利した。
ズボンはすぐに見つかった。
014
湿地の果ても見える頃、メテオは1対1ならばワニを確実にしとめられるようになっていた。
どこを殴れば絶命するかも分かった。
湿地の果ては丈の短い青草が生えていた。
背負い袋に一杯、ワニの干し肉を入れて、メテオは緑の大地に足を踏み出した。
「これで12日歩いたぜ・・・」
緑の大地の端はすぐそこに見えていた。
その先は金色の大地であった。
「いつか聞いたことがある・・・水のない世界・・・砂漠か・・・。」
メテオは緑の土地で一日休み、水を得て、砂漠にどうやって立ち向かうか考える事にした。
015
砂漠は昼は恐ろしく照りつけ、夜は涼しかった。
メテオは動き回るなら涼しい夜がいいと考えた。
緑地の水場で無い知恵を振り絞った。
砂漠が死の世界なのは、メテオの足りない頭でも簡単に理解できた。
夜が明ける前に水場を発見できなかったら、この水場まで引き返すと決めた。
ある日暮れにメテオは意を決して歩き出した。
「朝日を右手に歩くなら夕陽は左手だ。」
血判国軍の野営で入手した樫の棒を杖代わりにひたすら歩く。
夜がふければ体を動かしていないと耐えられないほどの寒さだ。
重い砂に足をとられる。
「生き物がいない・・・」
メテオは不安になりながらも歩いた。
しかし、無情にも朝日が昇ってくる。
メテオは意を決して朝日を左手に、元来た方へ引き返した。
寝ずの強行軍だ。
太陽が照り付けると冷え切った砂の世界は灼熱の地獄と化した。
照りつける太陽が肌を焼く。
(・・・これは、本当にやばいぞ。)
メテオはそう考えながらも、緑地の水場を目指してひたすらに歩いた。
砂の丘をよじ登っている時、ふと日陰に入った。
「・・・多少、涼しい。」
メテオは決断の時だと思った。
まだ日は昇りきっていない。
日が昇りきればどれほど熱くなるか分からない。
水場につくのは遅くなるかもしれないが、ここは日陰で休んだ方が得策かもしれない。
ちょうど一睡もしていない。
今ならばこの程度の暑さならば眠れる自身がある。
「よし・・・眠ろう!」
メテオは日がてっぺんに来た時でも日陰になりそうな場所を探して、そこにうずくまった。
出発前に腹いっぱい水を飲んできたので、渇きはさほどではないが、目を閉じるとそのまま覚めずに干からびて死ぬのではないかと恐ろしい考えが沸いてくる。
「・・・母ちゃん、俺を守ってくれ!!」
思わずそう呟くと気力が湧いてきた。
ここしばらく誰ともあっていないせいか、独り言が多くなっている。
メテオ自身もそれは気付いていた。
勇気を出して目を閉じる。
やがてメテオは眠り始めた。
016
メテオは跳ね起きた。
世界は夕焼けで真っ赤に燃えている。
頭の奥のほうがズキンと痛い。
むしろ全身痛い。
しかし、メテオは雄たけびを上げた。
「生き延びたぞ!!俺はまだ生きてるんだ!!」
そして、杖にすがりついて水場を目指す。
満天の星空だった。
何もかもが輝いて見える。
来るときには気付かなかったが、夜の砂漠には小さな動物が一杯いた。
ヘビやトカゲ、昆虫などだ。
昼間には見なかった生命が輝いている。
「やっぱり、昼間に動いちゃダメなんだ。」
メテオは確信した。
そして、緑地に戻ったら何が必要なのかを頭の中で整理し始めた。
「・・・まず、水を運べる物が何でもいいから必要だ。他にはマントと帽子に泥が必要だ。」
メテオの足や腕は強すぎる日差しに真っ赤になっていた。
湿地では日差しが強い時、泥を塗って肌を守る習慣がある。
思った以上に緑地に帰り着いた。
夜行性の獣たちを押しのけて水場に飛び込む。
決して綺麗な水ではないがメテオは強靭だった。
適当な木を見つけて、その上に登り再び眠りだす。
メテオに今もっとも必要なのは充分な休息だった。
017
目覚めるとメテオは緑地を歩き回って必要な物品を整え始めた。
「ヒョウタンがある!!ついてるぜ!!」
ヒョウタンを見つけ水を運ぶ方法は解決した。
あとは日よけの類いだが、大きな葉を日傘代わりにするのは簡単そうだが、簡単に干からびて使い物にならなくなるのは想像に難くない。
面倒だが草の蔓を編んで日よけの帽子を作った。
しかし、マントの材料はどうやっても見つかりそうも無い。
ふと思いついて自分がワニをバラしたところへ戻ると、分厚い皮が放り出してあった。
縫い合わせる道具も技術も無い。
日中はこいつを日よけにしようと決め、良く洗い、砂漠の砂の中に埋めておいた。
「これでダメなら・・・死ぬしかない!」
メテオは熟考するともう数日休息する事にした。
そして、木の実を集め、暑い砂の中でからからに乾いたワニ皮を手に入れ、考えられる全てのことを終えて砂漠に沈む夕陽を待った。
018
メテオは夕陽をみながら無言で歩き出した。
体力を使ってはいけない。
背中に背負ったいくつものヒョウタンが頼もしい。
草の蔓の帽子と、ほぼ丸一匹のワニ皮を背負って、メテオはひたすらに歩いた。
ただ南を目指して歩く。
もはやここまでくると執念以外の何物でもない。
「魂狩り様は・・・何を目指して歩いたんだろう・・・」
果て無き大地を歩きながらメテオは考えた。
魂狩りが実在したとして、何か勝算があったのだろうか。
もし、あの世で母が自分をみていたら、馬鹿だと思うだろうか、立派だと思っているだろうか。
そう考えているうちに日が昇り始めた。
真っ赤に燃える朝日を睨みつける。
大地が焼け付く前に日陰になるところを探さなくてはいけない。
「・・・この砂漠が・・・世界の果てまで続いていたとしたら・・・俺は世界の果てまで行ってやる!!」
もう一度、朝日を睨みつけると、メテオは日陰を作りそうな大きな丘へ、早足で向かい始めた。
019
「いよっしゃあああああ!!伝説は本当かも知れねえぞ!!」
イホの村を出て25日ほどたった明け方、メテオは砂漠の中に緑の点を見つけた。
メテオは砂漠と緑地の境で数日を過ごしている。
移動した日数を考えると、木の精がいたのはこのあたりだろう。
木の精にはそんなに期待はしていないが、水が湧き、木が生えている。
メテオは浴びるように水を飲み、ヒョウタンの水筒に水を詰めた。
「これは・・・一日、ここで休むべきだ。」
メテオはそう決めると、体を洗い、痛んだ装備を整えた。
その日の夕方、白い服を身に纏った一団がやってきた。
見たことも無い獣に乗っている。
メテオにとってはじめてのラクダだった。
「お、先客がいるじゃねぇか。なんだラクダははじめてみるか?驚かせてすまなかったな。」
メテオにとっては恐ろしく久しぶりの人間だった。
一様に黒いひげを見慣れない形に整えている。
クロガネの人間だろうか。
メテオが警戒していると、彼らは害意がない事を示し、メテオに甘い茶を勧めた。
「俺たちは商売の為に砂漠を行き来するのさ。ボウズはなんでこんな所にいるんだ?」
そう言って、メテオがなぜここに着たのかや、なぜ一人なのかを聞いた。
「旅の理由はいえねぇが・・・」
メテオはまさか「魂狩りの伝説を追って」などとは言えず、適当に誤魔化しながら話をすると、隊商の男たちは大層驚いた。
「たった一人で!北から着ただって!?」
メテオは更に南に行くと告げると、小隊の連中はまたも心底驚いた様子だった。
「その帽子と、ワニの皮の日よけで・・・お前、名はなんという!?」
「メテオだ。」
隊商の男たちは「ボウズ」と読んだ事を詫びた。
「おまえは勇者だよ。」
メテオは期せずして、そんな風に言われて照れくさく、俯いた。
「・・・しかし、ここから先、その装備ではもたねぇよ・・・お前の身ぐるみ俺たちによこしな。」
メテオはあっという間に男たちに持ち物を取られると呆然としていた。
「このワニ皮は高値で買い取らせてもらうぜ・・・樫の棒はこの先も必要だろう・・・この鉢巻は?」
「親父の形見だ!」
品定めしていた男はにやりと笑う。
「そいつは一時でも高価なものを借りちまったな。借り賃を払って返すとしよう。」
いつしかメテオのボロ布のようになった衣類は、真っ白な男たちが着ているものと同じ服に取り替えられ、あれだけ無くて困っていたマントも背中にかけられた。
ゴミ袋と変わらない背負い袋は丈夫な皮製のものに変わり、ヒョウタンは大きなものを一つ残して全て上等な栓のついた皮袋に変わった。
その横では男の一人がメテオがワニをバラしてぼろぼろになった小刀を研いでいる。
鉢巻の鉢がねは気付くと綺麗に磨かれていた。
「これが過酷な砂漠を越える為に必要な装備だ。」
メテオはすでにその快適さを実感していた。
しかも彼らはメテオが触れたことも無い金貨を1枚メテオに渡した。
「残念だがラクダはやれねぇんだ・・・しかし、こいつをいつか役に立ててくれ。」
メテオは人の優しさに触れて涙をこらえるのが精一杯だった。
ここで泣いたら勇者だと言ってくれた男たちに申し訳がないと、歯を食いしばった。
翌日、男たちは東へとオアシスを旅立った。
メテオは夕陽を待って南へと歩き始めた。
020
メテオは改めて衣服の重要さをかみしめていた。
白い服は太陽の光を弾き、熱風を通さない。
夜は暖かい。
以前、夜進み、昼留まる方針を貫いたが、時には昼前まで歩きつづけることもあった。
実際、隊商の男たちは朝出発したのだ。
この服には昼の砂漠を踏破する能力がある。
寂しいときは金貨を眺めていると、男たちの優しさを思って気が安らぐ。
蔓の帽子はバラして樫の棒に巻き付け、持ち易く細工した。
その後3日ほどで小さなオアシスに辿り着き、そこで再び水を補給すると、再び不毛の大地に挑んだ。
砂だらけだった土地は、徐々に岩石が混じり始め、砂の中に岩場が点在する奇妙な景色になった。
日陰が探しやすい反面、貧相な犬のような姿をした獣と出くわすようになった。
メテオは獣が夜しか動き回らない事を知ると、一層、昼間しか眠らなくなった。
021
10日間以上、オアシスが発見できなかった。
とうとう、水が尽きた。
「み・・・水・・・」
メテオは完全にグロッキーだった。
日が昇り始めた頃、大きな砂丘を越えてその向こう側に倒れるようにして転がり込んだ。
辛うじて日陰になっているようだが、もし、ここで眠ったとしても次に目覚める補償は無い。
序盤で調子に乗って水を飲みすぎたのが禍している。
最後に見たオアシスまで戻っても10日。
戻る力は無かった。
「俺・・・終わりか・・・」
いつもならここで眠って夕刻起きるのだが、メテオはこれが最期のつもりで目を閉じた。
目を閉じるといろいろな思い出が瞼の裏に浮かんでは消えていく。
湿地での生活、みんなで食べたワニの串焼き、母を無くしたあの日、緑の草原。
「・・・緑の草原!!」
メテオは飛び起きた。
緑の草原なんて物は湿地の端に見た緑地ぐらいなもので、そう遠い昔の話ではない。
ではなぜそんなものが瞼の裏に浮かんだかと言うと・・・
「なんだ・・・草のにおい!?」
メテオはあたりを見回すと、この丘を下ったところから緑の平原が広がっている。
「・・・砂漠を抜けたんだ!!うおおおおおおお!!」
メテオは転がるように砂丘を駆け下りると、樫の棒を放り出して手近な草をむしっては口にほおばった。
青臭い草の汁が口の中に広がる。
微々たる量だが、一度は倒れたメテオを奮い立たせるには充分だった。
「きっと水もある!!」
そう言って走り出すと、さかんに鳥が降りている場所が見える。
ここからではよく見えないが、そう言う場所はたいてい水場だと決まっているものだ。
水がなくとも鳥にはありつける。
樫の棒を拾い上げると、そこを目掛けて走り出した。
近付くとやはり大きな池のようだった。
そして、なにやら馬鹿でかい生き物がいる。
「・・・な・・・なんだこれ!?」
四足で歩き回り、水中を器用に泳ぐ。
不恰好なほどでかい顔と、小屋ほどもある巨体。
濡れて黒光りするその獣は、なんとなく背中に乗れそうな気配もある。
「・・・ま・・・まさか、お前が『ヒ』か!?」
獣は「ぶもー」と大きな声で吼えた。
そして、メテオに背を向けて水の中へ入って行く。
その生き物は一体や二体ではなく群れをなしているようだった。
小さな一匹が遅れて水の中へ入ろうとする。
その様子はなにやら逃げているようにも見える。
そこで、メテオははたと気がついた。
この獣が慌しく池に入ったのは敵が現れたからではなかろうか・・・と想像したのだ。
「で・・・伝説によるとライオンが・・・」
振り返ると風格たっぷりのライオンが遠くからメテオをみていた。
毛皮で予習していた甲斐あって、一発でライオンだと分かった。
ライオンは、すぐにメテオから目をそむけると、逃げ遅れた水辺の獣の子に狙いを定めた。
メテオは「ここでライオンを倒さなければ」と考えたが、足がすくんで動かない。
実は疲労と脱水で動かないのだが、メテオは気が高ぶっていてそんなことにすら気がつかない。
「うわああああああああああああ!!」
雄たけびを上げて樫の棒を振りかざしライオンに突っ込む。
そして、足がもつれてライオンの手前で前のめりにこけた。
「ぶがふ!!」
メテオは今度こそ死んだと思った。
最後に口にしたものは「草」だった。
ライオンは地の底から響くような声でゴロゴロと唸っている。
恐る恐る顔を上げると、ライオンの口でも、牙でも、顔でもなく尻が見えた。
「なに!?」
そのまま、ライオンの尾で顔面を叩かれる。
「・・・バカにしやがって!」
いきりたって立ち上がると、ライオンが樫の棒から草の蔓を引き剥がそうと懸命に牙を立てている。
その間じゅう、ライオンはくねくねと体を動かしている。
「・・・お前は一体なんなんだ!!」
そうメテオが言うと、なぜかライオンは照れたような顔をした。
(なぜ、照れる!?)
メテオがげんなりしながら樫の棒の反対側を掴み引っ張ると、巻き付けていた草の蔓がはがれて落ちた。
いつしかライオンはタテガミが無い仲間と見られる動物まで引き連れてその蔓に夢中になっている。
メテオは自分が偶然にも銀の蔓を持ってきたと気付いたが、ライオンのあまりのだらしなさに切なさまで感じていた。
そのとき、メテオは急に背中を押された。
振り向くと、水辺の巨獣がメテオの背後にいた。
メテオはこのようにして騎獣と出会った。
022
いつしか、日は暮れ始めていた。
池の獣は散らしたようにいなくなり、ヒとメテオだけが残った。
池の中心の水面には見慣れない老人が立っている。
「沼地の小さき者よ、よくぞここまで辿り着いた。見事ライオンを追い払った。」
メテオは幻をみているような気分でその光景をみていた。
ちなみにライオンは討ったのではなく、勝手にいなくなったのだとも思った。
「この池を統べる河馬の群れの中でも、もっとも勇猛なそやつに名前を付けて連れて行け。」
メテオは河馬と呼ばれた獣を見ると、真っ直ぐ二つの目でメテオを見ている。
「お前の名前は『ヒ』だ!イホの地にユカイモをもたらした魂狩り様にあやかって『ヒ』と名付けるぜ!!」
ヒは「ぶもう」と答えると前足を折って、メテオを背中に乗せようとかがんだ。
背の低いメテオがそこに上がるためにはかなり苦労したが、ここまできて「登れませんでした」は格好悪すぎるので必死で這い上がった。
老人はその様子を見ると、ほのかに笑った。
「おい!ジジイ!!今、ちょっとだけ俺をみて笑っただろう!!」
老人は勤めて無表情を貫こうと努力したが、メテオの足が短かったのがあまりにも滑稽で、笑いをこらえようとすると眉がピクピク動く。
とうとうこらえきれずに、ゆっくりと水中に没した。
水中で激しく笑っているのか、大きな泡に混じって「ぶくぶく・・・ぼがあ」と言う音が聞こえる。
しばらくすると、すました顔ででてきた。
メテオは老人を鋭い目で睨みつける。
「お前がヒと名付けたそやつは水が無いところでは生きていけぬ。なので、古来からの慣わしの通り、水の精の加護を授けよう。」
老人の足元の水面から虹色のヘビが這い出してきた。
そのまま、メテオが乗るヒの背中の上に登り、そこでかき消すようにいなくなった。
「これで、こやつは渇く事が無い。」
メテオはたまらず聞いた。
「オレはどうすれば良いんだ!?」
老人は何も言わずに微笑むと水中に没した。
老人が消えると、また水鳥達が戻ってきて、騒がしい水場に戻った。
その景色をヒの背中から見下ろしている。
「オレ・・・もしかしてなれるかも知れない・・・」
メテオは「魂狩りに」と言おうとして口をつぐんだ。
畏れ多い気がしたのが半分、なにか別のものになる必要は無いと思ったのが半分。
メテオはヒを北に向けると跨った足でヒの胴を蹴った。
ヒは「ぶもーーー!!」と大きく吼えると、メテオを振り落として北へ突進した。
「ダメだ・・・鞍がいる・・・」
その後、メテオがわめき散らしながら水場に20個ほどの石を投げ込んだところで、根負けしたなぞの老人が壊れかけた鞍を持って現れた。
023
ハルが合流した血判国補給大隊は見事に前線に物資を届ける事に成功した。
「中隊長様、どうされました?」
ハルが中隊長の表情が硬いのをみて言った。
今は補給作戦の復路で、タルガルガガン中隊長は往路で見事に湿地を抜けて前線に至る地図を書き上げていた。
タルガルガガンは元が軍人ではない為、少ない護衛と供に4頭立ての馬車に乗っている。
「このルートの中でもっとも危険なのがこの場所だ。緩やかではあるが丘に挟まれて谷のようになっている。丘の上には林があり、敵が伏兵を置くにはもってこいだ。往路で地図を各作業に気をとられていて気がつかなかったが、ここはまだ湿地ではない為、敵も攻撃を仕掛けやすい。もし、敵がそれに気付いていたら・・・」
タルガルガガンがいい終わる前に戦いのラッパが響いた。
「敵襲!!」
今言っていたまさにその林から敵兵が飛び出してきた。
タルガルガガンは忌々しそうにその方角を睨みつけると、馬を止めさせる。
「中隊長様!」
「ハル、少し黙れ。」
タルガルガガンは額に神経質そうな縦皺を寄せて考えている。
そして、何かを思いつくと、御者に何か指示をした。
「私とハルを残して全員降りろ!」
御者は荷が軽くなったことを確認すると、馬にムチをいれて全速力で馬車を走らせた。
「中隊長・・・補給大隊は勝てますか?」
タルガルガガンは冷静に答えた。
「敵の奇襲が完全に成功している。難しいだろうな。」
ハルは怯えた目でタルガルガガンを見た。
「では私達は全滅ですか?」
タルガルガガンは首を横に振った。
「それはちがう、我々二人だけでも生き残るんだ。」
そう言って懐から地図と書簡を取り出した。
「我々はこれを守るため、戦場を離脱する。まさか敵も大隊を素通りして我々を追ってくる事はできん。」
ハルは愕然とした。
それが意味するところが分かったのだ。
「では・・・大隊は見殺しですか!?」
タルガルガガンは再び首を振って否定する。
「それは違う。我々にはこれを我々の都へ持ち帰る責任がある。そのためならば命も賭ける。大隊の連中もそうだ。我々にはそれぞれ役割と言うものがある。それを誰かが果たせなければ、他の同朋の死が無駄になる。」
ハルは馬車に座り込んだ。
タルガルガガンの言っている事は正しい。
書簡には敵の前線の様子や、どうやら隣国に潜入するスパイのもたらした情報も含まれている。
そして、ハルは唯一人の友であるメテオを思った。
なんだか、無性にメテオを思った。
024
「なんだか、すごいことになってんな・・・」
血判国の兵士とクロガネ国の奇襲部隊が戦っている谷間を、クロガネ国の本陣とは別の方角からみている者がいた。
当然だがメテオである。
樫の棒を構えて重さ数tのヒに跨り、威風堂々としたいでたちで戦乱を眺めている。
いつの間にやらワニ皮で補強された頑丈そうな鞍に跨り、軽装に砂漠で隊商に貰った白いマントを羽織っている。
そして、頭には鉄の鉢がねが打ち込まれた鉢巻をしめ、その下で鷹のような三白眼が鋭く光っている。
鞍の後ろには旅の荷物がくくり付けられていて、もう何年も長い旅を続けているようにも見える。
小柄な体躯には底知れぬ力が秘められ、何事にも怖じない気迫を充満させて、それは禍々しさすら感じさせる。
「行くぞ・・・ヒ。」
そうメテオが呟くや否や巨獣は地獄の釜の蓋を開けたかのような凄まじい咆哮をあげた。
・・・ぶもおおおおおおおお・・・
それは既に結構な距離を馬車で逃げているハルとタルガルガガンの耳にも届くほどの轟音だった。
「なんでしょう・・・今の?」
「分からん・・・」
遠く離れたタルガルガガンとハルが薄ら寒さを覚える吼え声に、目の前の丘の下の兵士たちが平静でいられるはずも無い。
一瞬戦場が静まり返るほどの衝撃だった。
眼前の敵を忘れて、思わず音の出所を見た。
いつかメテオを叩き伏せた小隊長もその内の一人だった。
小隊長の位置からは角度が悪く何が起きているのか見る事はできない。
なぜならば、もっとも戦の激しいところで、小隊長は兜を落とし、槍が折れ、使えそうな武器を物色しながら刃こぼれした剣で必死に切り結んでいたからだ。
敵味方が多すぎて、外の様子など分からないのだ。
敗色は濃厚だった。
容易に死を予想できた。
しかし、その声を聞いて小隊長はなぜか、メテオを思いだした。
メテオが棒を持って突進してきた、あの時の声を思い出したのだ。
小隊長は失血で震える自らのひざを殴りつけながらも、なぜか愉快になって口をゆがめて笑い始めた。
「こいよ小僧!!ここまできてみろ!!」
小隊長は自分では、死を悟った自分が最後にすがりついた幻想が、かの少年だったのだと思った。
それほどまでにあの一度だけ切り結んだ少年は勇ましく、鋭い魂をしていたのだ。
小柄で、武技は稚拙だったが、その魂は軍神とも呼べる代物だった。
きっと、真の武人が死ぬ時はああいうのが天国から迎えにくるのだろう。
願わくば、もし死ぬならばそんな武人として死にたいものだ・・・とそう考えていた矢先、これまでとは全く異質の悲鳴が聞こえてきた。
「ぐぎゃああああああ!!」
ゴス、メキ、グシャと何かをすりつぶす音と悲鳴が入り混じっている。
その方角から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「なにしてんだ、オッサン。情けねぇな。」
小隊長は霞む視界にメテオの姿を捉えた。
一瞬「迎えにきたのか?」と言いそうになったが、まだ自分が生きていることを思い出して死後の世界や夢の類いではないと気付いた。
「血判国の兵士には見えないな。」
「オレはどっちの国の兵士でもねぇよ。傭兵って奴になったんだ。今回は血判国に味方してやるぜ。」
小隊長は馬鹿げた生き物に跨った少年が、馬鹿げた話をしているのを目の当たりにして、得がたい幸せだと思った。
そして、もう少し生き延びたいと思った。
「そんな木の棒で傭兵を気取るつもりか?」
ふらつきながらもその辺の死体が握っていた獲物をもぎ取る。
すでにヒに跨ったメテオに進んで近づくものはいなくなっていた。
ヒが走ればそこにいる敵も味方も関係なくひき潰す。
しかも、ドデかい図体にもかかわらず、そこらの軍馬より圧倒的に速い。
死にたくなければ近付かない方が懸命なのは誰の目にも明らかだ。
弓矢を射掛ければいいのだろうが、そもそも彼らの目には魔獣に跨った呪術師か悪魔が戦場にやってきたように見えているのだ。
端的に呪われそうなのだ。
小隊長はもぎ取った獲物がハルバードなのを見て少々重いかもしれないと重いながらも、小さな体でこの新米の悪魔がハルバードをもって暴れまわるところが見たいとも思った。
「ハルバードだ。重い武器だが威力は中々だぞ。」
メテオは難なくそれを右手一本で構えた。
生きる為にワニを絞め殺しつづけたメテオの腕力は馬鹿にできない。
反対の左の手で鞍をしっかりつかんでハルバードを肩に担ぐと、新手の死神のようにも見える。
「分かっているとは思うが、黒い面をつけているのがクロガネ国の兵士だ。」
メテオはそれを聞くとヒを駆り、その黒い面の一団の中に飛び込んだ。
手近なところで試し切りをしたのだ。
敵兵の腕だか足だか分からない物が切り離されて飛んでいく。
「なるほど・・・これはいい。」
メテオは逃げ惑う敵と味方の中でハルバードをまじまじと見た。
そして、その切っ先から目を離すと小隊長に尋ねる。
「オレ、手柄って奴が欲しいんだけど、どいつをぶったおせばいいんだ?」
小隊長が指差したのは小高い丘の上で、敵の大将がそこから戦局を眺めている。
ちょうど目印になるように旗まで立ててある。
「ありがとな!」
メテオとヒは、まるで雑草でも踏むように敵兵を踏み潰しながら本陣へ真っ直ぐ向かっていった。
敵本陣は大慌てだった。
魔獣が現れて兵士を踏み潰したかと思うと、今度は本陣目掛けて走ってきたのだ。
敵の大将は混乱してわけのわからない事を口走っている。
「塹壕を掘れ!!」
「間に合うわけないでしょう!!」
側近も雲のこを散らすように逃げ出しているが、何せ人口密度が高くて思うように逃げられない。
将棋倒しになったところへメテオとヒが飛び乗る。
メテオはハルバードを大きく振りかぶっている。
敵大将はそこでやっと冷静になった。
「ねぇ・・・その距離から突っ込むのってナシじゃろう!!」
「じゃあ、今日からアリだぁ!!!」
豪快に横一閃、メテオがハルバードを振りぬくと敵大将の首が胴から離れてかっとぶ。
「それ拾わないと手柄無いから!!」
死屍累々、メテオの通った跡を追いかけてきた小隊長が大声で叫んだ。
メテオは「え゛ーーーーーー!」と答えると、何とか探し物を免除してもらえる方法を考え始めた。
探し物が大の苦手だったのだ。