死んでも逃げろ
第1部
とてもよく晴れた日だったと、その日のことを思い返して、彼は想う。
事の起こりはこうだ。
Ⅰ キョウジ
1
遅刻なんざ誰だってやる。俺もやる。今さら遅刻の一度や二度で――実際は数え切れない
ほどだったとしても――怒鳴りつけるなんてどうかしてる。午後4時。何限目だっけ? 俺
はくだらねー半分腐りかけてる教師の説教を聞かされてる。禿げた頭の光沢が年々眩しくな
ってく、50半ばの爺。PTA受けは上々。女生徒からの不人気ぶり教師陣の中で圧倒的。
目つきがセクハラ、禿げ頭がセクハラ、加齢臭がセクハラ、と女生徒たちは言ってるが、そ
れでも内申のために尻尾振ってるのが現実。世間ずれした連中たちばかりだ。もちろん、俺
も。「すいません」を10回ほど言ってやってようやく解放。頭を下げる回数が増えるのは
歳をとった証拠、と言ったのは誰だったろう? 多分俺だ。
高校に入れば薔薇色、と言ったのは昨年簡単に首を吊っちまったヒロ先輩。先輩の思い描
く薔薇色ってなんすか、と聞くこともできなかった。急逝。まぁ、なんだかんだで先輩が死
んだのを聞かされたとき笑っちまったんだけれど。
ただ生きるだけで楽しいわけがない、と言ったのは俺の同級生のケンジ。日課となってる
部室でのオナニーを何度止めろと言った事か。イカ臭いんだよ。じゃあどうやって生きりゃ
いいんだ? と口に出しちまう奴は中二病。今頃そんなの流行んねーんだよな。実際。先が
見えてんだ。自分がどうなっていくか、簡単に予想できちゃうんだ。どうせどうでもいいよ
うな大学に入って、就職して――もちろんロクでもねー会社だ――平凡な嫁をもらって、ガ
キをこさえて、孫が出来て、ハイサヨウナラ。命をまっとうするなんて楽勝だよ。
2
教室に戻ると、もうホームルーム。アホ面が並んでる。そいつらが俺を指差し笑う。また
遅刻かよ、ってな具合に。俺もお調子ものだから愛想よく受けてしまう。手を振って、敬礼
して、自分の席に座る。禿げ爺が少し遅れて教室に入ってくる。最近クラスの雰囲気がよろ
しくない、たるんでる、って説教を始める。俺のせいじゃない。俺だけじゃない。どいつも
こいつも遅刻が好きなんだ。
放課後。部活に行くでもなく、ぼんやりと外を眺める。2年の校舎が見える。2年の校舎
の先には1年の校舎がある。その先にはグラウンドがある。今日も球入れか、なんて感慨に
耽る。中学からやってるバスケもいまでは飽きてしまってて、別段、やる気はおきない。
「なにやってんだよ、部室行こうぜ」
ケンジの声で視線を外から、暑苦しい面に向ける。坊主頭、性欲丸出し、しかも小学から
の腐れ縁ときたら、正直、へこむ。もっとマシな友人を俺の傍に置いてくれ神様、と真剣に
祈る。それでも目の前の男は消えない。漫画に出てくるようなさわやか好青年――少女マン
ガでよくいるあの手のタイプ。モテモテで性格が良すぎるあの――にはなってない。いつも
の18禁顔だ。
「つか、お前の遅刻癖のせいで禿げの説教だよ。クラスメイトの身にもなれよ。俺は真面目
に朝から来てるんだぜ」
「俺だけじゃねえだろ」
「確かにカミカワやシンジもよくやるけど、お前が年間ランキングトップなのは揺るがない
だろう。遅刻件数の3分の1はお前だ」
「知らねえよ」
俺は欠伸を一つする。そして欠伸の後に、悲鳴と爆発音がする。気のせい、だと俺は思っ
た。もちろん、気のせいが「気のせい」だったのだが。
3
と、いうわけで、10人のクラスメイトと仲良く教室に監禁されてる、俺。ケンジ、カミ
カワ、シンジ、サクラ、サヨリ、アミ、イトウ、ハタノ、サノ、俺。物騒なもんを提げてる
兵士――マジで自衛隊みてーな奴――が入り口に張ってる。俺たちは窓際に並んで座らされ
てる。
「いやいや、何の冗談だよ」とカミカワ。馬鹿でお調子もの。軽いところが女受けするよう
なタイプ。
「状況が飲み込めないね」ハタノは委員長。俺はこいつが大嫌い。偽善者面には反吐が出る。
兵士がこっちを睨む。無駄口を叩くなって合図。そしていつでも撃ち殺せるぞ、という脅
し。いや、脅しじゃなくて本気。教室入口のドアの隙間から赤い液体が入り込んでる。兵士
の足元に届きそうな水溜り。誰かが廊下で死んでることは明白。誰だろう、考える。死んで
てほしい奴を想像する。禿げだったらいいな、と俺は不謹慎なことを思う。でも、実際そう
だったらいいな、なんて。
少しだけ過去にさかのぼる。
爆発音のすぐ後に兵士はやってきた。教室にいた俺たちは咄嗟の事態に反応できずに半笑
いでそれを見てた。兵士はすぐにドアを閉めて、俺たちに銃口を向けて窓際に並べた。廊下
から銃声――聞いて初めてそれが銃声と呼ばれるものなのだと知った――悲鳴、大勢の人間
の走る音。足音が減るたびに、事の重大さに気づく。ああ、死ぬのかな、俺。
静寂。
そして間抜けな今に繋がる。
4
「妄想の中みたいだ」とイトウが言う。「寝る前とかにさ、妄想するだろ。こういう状況、
テロリストに占拠された学校を救う俺、みたいなさ」
みんなうんざりした顔でイトウの馬鹿話を聞いてる。イトウはチン毛も生えてなさそうな
童顔。もちろん童貞――だと思う。そうじゃなきゃ、首を吊りたくなる――精神年齢は小学
生並、いつも馬鹿騒ぎしても授業を妨害する。一部真面目な生徒たちの間では、知恵遅れで
はないか、と囁かれるほどのどうしようもないヤツ。
「なあ、みんな。みんなで学校を解放しようや。なんとかなるって。今教室にはあいつだけ
じゃん」
イトウは小声で話す。けれどそんな意見には誰一人耳を貸さない。現実ってやつだ。俺だ
って、みんなだって、まだ、死にたくない。
「弱虫だな」
イトウは悪態をついて、口をとがらせる。
「あんた、黙ってなさいよ。兵士に聞かれたら死んじゃうわよ」
アミがイトウを睨む。そうだそうだ、もっと言ってやれ、と俺は思う。こいつを黙らせく
れ、と。
「漫画みたいなこと、おこらないよ」
サヨリが俯き加減で、独り言のようにつぶやく。そのとおりだ、と俺は肯く。そして苦笑。
サヨリの台詞がまるで、悲劇のヒロインみたいに聞こえたから。こいつも、ヒロ先輩
みたいに自殺するタイプかな。どう思いますか、地獄に堕されたヒロ先輩。
みんな黙っちゃう。イトウはむくれ面。黒板の上に設置されたスピーカーからノイズ。ス
ピーカーは校内放送用のもの。しばらくして声が聞こえる。言語は不明。日本語でないのは
確か。まるでロボットが話してるみたいに、一定の調子で話してる。兵士はスピーカーを見
上げて聞き入ってる。なんだかおかしいな、あの兵士は日本人に見えるのに。日系かな。
放送が終わる。兵士は俺たちを睨んで、目の前の机を蹴飛ばす。俺たちはその音に飛び上
がるほど驚かされる。そして兵士は出て行く。正直、ちょっと小便を漏らした。お気に入り
のボクサーパンツにパチンコ玉くらいのシミをつくるくらいは。
「さあ、どうしようか」と俺は言ってみる。何か返答をもらいたかったわけじゃない。パン
ツの湿り気が気になったからだ。
「逃げよう」
いつになく真剣な顔のケンジ。こいつのこんな顔見たことねーや。
「どうやって?」はいはい不安そうな顔も美人ですよ。校内でも有名な美女のサクラが声を
震わせてる。今、抱きしめてやったら俺と付き合ってくれるだろうか。
「わからん」
その答えはいつものケンジの阿呆らしさを思い出させてくれる。だが、ここで、俺に神の
言葉がもたらされる。『お前はここで死んではいけない。逃げ出すのだ』そして俺は真剣に
逃げる方法を考え始める。
5
「運が良けりゃ逃げられる」
俺に視線が集まる。どうしてだろう、注目されると興奮する。意外と目立ちたがり屋なの
かもしれないな、俺って。
「どうやって」話しかけんじゃねーよ、ハタノ。
「僕は考え付かない」秀才は黙ってろ、サノ。
「まぁまぁ、落ち着け。ちょっとノートと書くもの用意してくんない」
ケンジが近くの机の中をまさぐって、ノートを引っ張り出す。サクラが胸ポケットにささ
っていたボールペンをよこす――ああ、ボールペンになりたい!――
「見てみな」
俺はノートを開き、何も書いていないページに三つの長方形を書く。大きめに。ある程度
間隔をあけて。
「ここが3年の校舎」
一番手前に書かれた長方形に3と書き込む。続いて真ん中に2、最後の長方形に1。そし
て、校舎に見立てた長方形をさらに大きな四角で囲む。「そんでこれが敷地内な。ここがグ
ラウンド」1年の校舎の先にGと書く。
「大まかな地図ね。そんでこれが正門、そんで裏口」俺から向って、囲いの右側に正門、左
側に裏門と書き込む。裏門の左手には駐車場、右手には体育館、正門の前には職員棟と呼ば
れる建物。そこには靴箱、職員室、実習室がある。2年校舎と3年校舎の間、職員棟よりに
食堂がある。それらをさらに書き込んでいく。
「こんなもんで学校の地図が完成かな」
「部室棟は?」カミカワの発言。たしかにその通り。失念してた。グラウンドの正門よりの
あたりに部室棟を書き込む。
「はいこれで完成。そんで、運が良けりゃって話しに戻る。運が良けりゃってのは俺の妄想
が当たってたらってのと神様が俺を長生きさせたいと本当に思ってたらてことの二つ。それ
が運。妄想を働かせる。想像する。敵はどれくらいの規模でここを占拠しているのか、配置
どうなってるのか、そして福神は、いや日本はどういう状況なのか、まずここら辺からいっ
てみようか」
俺は騙すのが得意。辻褄のあってない理論を駆使する。とりあえず騙せば勝ち、と俺は思
ってる。みんなその気になって俺の話を聞いてる。まずは情報、と俺は思う。こんな子供騙
しの地図ですら相手を信じ込ませるには格好のツールになる。情報の不足が恐怖、不安の要
因。続いてそれを利用するには演技すること。断定を多用すること。確固たる方向性を示す
ことが重要。
「兵士の数だけど、およそ40人程度と予想します。軍でいうと小隊規模なんだろうかな?
と、いうのも、この学校の生徒数がたしか600人強。教師なんかを合わせても700人弱。
今ここにはそのうち10人の生徒がいる。そして今は放課後。帰宅した連中を差し引くと多
分この学校にいるのは300人程度。そしてさっきまでここに1人の兵士がいた。おっと、
校内の生徒分布も考えないとな。まず一番人が集まっていそうなのがグラウンド、次に体育
館。グラウンドには部活中の生徒、サッカー部野球部陸上部テニス部あとなんだっけ? ま
あいいや。とにかくどこも大所帯。半数近くはグラウンドにいると思われる。次に体育館も
同じ理由で多くの生徒が集まってる。と、いうわけで、ここには兵士の数は少ないと思われ
る」
「どうして?」うん、うん可愛いよサクラ。泣き出しそうな瞳にちゅーしたいくらいだ。
「うん、簡単なことだよ。大人数を一つところに押し込めて数人の兵士で囲めばもう身動き
はとれない。もちろん火器を持った、ね。だってみんな死にたくないだろう? それにこん
な状況に慣れてるヤツもいないだろうから、監視する方からすればこれ以上に効率のよい方
法もないだろう」
サクラは首を振る。長い黒髪が揺れる。良い匂いがしそう。
「と、いうわけで。おそらくそれぞれ5人くらいずつが配置されてると想像できる。これで
10人。そして校舎。職員棟含め4つある。おそらく教師含め100人弱。この4棟におそ
らく20人程度配置されてる。そして多分、動き回ってる。グラウンドや体育館と違って隠
れるところ多いからね」
「ねえ、じゃあどうして生徒を一箇所に集めないんだ? たとえば体育館に押し込めるとか
お前の話だと論理的にそうなるだろ?」
お前の言うとおりだよ、サノ。
「サノの言うとおり。そこはまた後で説明する。話しの続きだ。残りの10人のうち5人く
らいはおそらく学校周りの警戒。そんで残り5人は司令室みたいなところ、多分職員棟の校
長室かな、そこにいるよ。さっきの放送聞いたろ? スピーカー使えるのは校長室横の事務
員室と放送室。放送室は3年校舎の3階にある。狭い上に設備も放送ができるってだけ。校
長室なら事務員室と職員室に挟まれてるから設備も充実してる。給湯室、外部への連絡。校
内への電力供給の電源部。まあどう考えても校長室だろう。配置はこんな感じかな。そんで
福神はどうなってるのか? これは簡単に想像がつく。おそらく、どこもこの学校みたいな
状況だと思う。だって考えてもみろよ。こんだけ派手に騒がれたのにサイレンの音一つしな
い。普通なら学校の周りは野次馬マスコミ、警察関係者でおお賑わいだ。それなのに、そん
な感じは一切伝わってこない。ってことは、相当な規模の軍隊が一斉にこの福神県に侵攻し
てきたってこと。それでこのざま。日本全体がどうなってるのかはわからないけれど、もし
かしたら、この地方一帯は占領されてるのかも」
みんな黙って俯く。考え込む。いい感じ。みんな騙されてる。俺の騙りはもしかしたら商
売になるレベルかもしれない。詐欺師。
そして俺はさらに話しを――脅しを――続ける。
「それでサノが気にしてたこと。どうして奴らは生徒や教師を一箇所に集めないのか? さ
っき俺は校内に300人程度は人間がいるって言ったよね。でもそれは誰も殺されてなかっ
たら、って前提があってのことなんだな、これが。ほら、見ろよ」俺は入口ドアの方を指差
す。「もっと下」俺は赤黒い水溜りをみんなに見せる。
「俺たちはきっと運が良かったんだよ。きっと前提を除けば三分の一程度が生存。いやもっ
と悪いかも。殺したら監視はいらないからね」
サクラが泣き出す。なだめるサヨリ。アミはじっと血の池を見つめている。男連中は俯い
ている。
「三分の二が殺されてることを前提にするとしたら、グラウンド、体育館は全滅と考えるの
が妥当。校舎内のみに人を残した。理由はわからないけれど。と、すると、兵士たちの配置
も少し変わる。グラウンド、体育館の兵士たちが全員校内をウロウロしてることになる。そ
うなると、校舎内から逃げることは難しい」
「なあ、俺たちは人質なのか」
いちいち賢いな、サノ。黙ってろ。
「良い点に気づいたな、サノ。もし俺たちが人質なら、三分の二殺したことも説明がつく。
脅しに相応しいからだ。いつでも殺せますよ、ってな。でも、俺は違うと思う」
「じゃあ、なんなのよ」
サクラは怒っているように見える。少し脅かしすぎたか。
「わかんね。でも人質ではないのはわかる。規模が大きすぎる。福神全体を人質にとるなん
て効率が悪い。人質は限定的だからこそ意味がある。もちろんお互いの規模によるんだけれ
どね。国対国ならある意味国民までが人質の範疇になる。核ミサイル撃ちますよ、ってのは
脅しだ。国民全員が人質なんだな。だとすれば、今回の相手は国ほどの規模じゃない。現在
の国際情勢を考えれば、核を保有するだけで、相手国民を人質にできるからね。充分取引可
能なわけだ。しかし現状は侵攻されている。仮に相手が国だったとしても、大国ではない。
かといって、お隣北朝鮮なんてもんでもない。自殺行為だ。日米同盟、国連。どう考えても
得はない。むろん、それほど将軍様が狂ってるんなら別だけど。国じゃないとしたら国際的
テロ組織の類、もしくは宗教国家の類。後者は近隣諸国にそんなものはないし、無宗教の日
本相手では効果は薄いから消去。ってことはテロ組織? 可能性は高い。ただ情報がないか
らあくまで可能性があるってだけ」
情報戦。サノの質問には答えていないことは、冷静に考えればわかるのだが、この状況で
は冷静になることは難しい。おかげで俺は、サノの質問を利用して自分の言葉に説得力を生
み出した格好になる。消去法とは便利だ。対象を特定しないまでも絞ることができるからだ、
想像の中で。情報が少ない状況でどれだけ対象を限定していっても、分母の大きさを特定で
きない以上、その分母は無限に限りなく近づき、消去法自体が意味をなさないことなど、こ
こにいる連中には思いつかない。俺に騙されてるからだ。
「それで、やっと逃げる手段の説明に移るんだけど。地下からなら逃げられると思う」
「地下ぁ?」今まで黙ってたイトウが声をあげる。黙ってろ中二病。
「そう、地下。いやぁー食堂が近くてよかった。おかげで校内に数少ないマンホールが目と
鼻の先だ。きっと神様は俺を長生きさせたいんだな。なあ、みんな、俺たちはツイてる。殺
されてない三分の一に入った。マンホールはすぐそこ。俺は神様に生きろと言われてる。さ
あ、ここで質問。俺の計画にのるか、のらないか。どうだ?」
「のる」即答したのはサヨリ。他のみんなもつられて肯く。そこに意思なんてない。自分で
決められないだけ。そして、サヨリを少し見直す。ただの悲劇のヒロインごっこの女じゃな
い。
「それじゃあ、夜を待とうか。大丈夫。助けはないし、解放もされない、もちろん解決もさ
れないから」
俺は笑顔。みんなは神妙な顔。夜を待つ。時刻は6時前。腹が減ったな、と俺は思う。
続く
Ⅱ キョウジ-2
1
「キョウジくんはさ、怖くないの?」
教室は真っ暗。明かりをつけようと言い出すヤツはいない。そりゃそうだ。明るくなると
不安になる。見つかりたくない、忘れていて欲しい、という希望。そんなもんなんの意味も
ないんだが……俺たちは窓際にもたれかかって、廊下側の壁を眺めてる。
「怖いよ。もちろん」
俺はサヨリに、そう答える。
「でも、怖がってるようには見えないな。強いんだね」
「どうかな」
サヨリが笑う。暗くてよくわからないけれど。
「運がいいんでしょ? 大丈夫よね」
それは誰に言ってんだ? とは聞き返さない。
「でもさ、あの放送なんだったのかしら。どうして兵士は出て行ったまま帰ってこないのか
しら」
サヨリの言葉にみんなが注目してるのがわかる。それまでipodで音楽を聴いてたカミカワ
もイヤホンを外し、俺とサヨリの方を見る。
「これは推測だけど。状況が変わったんだろう。当初の作戦とは違う展開になったんだ」
「俺たちを見張る意味がなくなったってこと?」
ケンジが身を乗り出してくる。
「そいつはどうかな? 連中からしたら張り付いてなくてどうせ逃げられないって考えかも
しれない。自信があるんだろ。町全体、地方全体をまるごと監獄みたいにしちまったら、そ
れも考えられるだろ。万一外に出られても、学校と大差ない状況だったらさ」
落胆。みんなが甘い言葉を欲しているのが手に取るようにわかる。
「奴らにとって俺たちは危険な対象ではないのさ。そう思われてる。だから運がいいんだ。
大して警戒されたないなら、とりあえずここからは逃げられる」
これで少しはやる気が起きるだろ、と俺考は考えるが、サノの野郎が水をさす。
「ここで助けを待つってのも一つの方法だと思うけれど。殺される心配はなくなったみたい
だしさ。助けがくる可能性だってあるだろう?」
それじゃつまんないんだよ、と俺は思う。そこへイトウが割り込む。
「逃げなきゃ駄目だ。もし助けがくるなら、とっくにそれらしい動きがあるはず。それなの
にこの静かさ。おかしいよ」
「わたしもそう思う。わたし、自分の身は自分で守りたい。生き延びたい。逃げ出したい。
わたしにはまだやりたいことがある」
そこで、最高のタイミングで、俺が発言する。
「さあ、時間だ。行こう。運の良い俺たちの脱出劇の始まりだ」
「うん」
そのサヨリの一言でみんなが肯く。首尾は上々。
2
「作戦をもう一度確認するな。窓から配水パイプを伝って中庭へ。そんでマンホールへ直行
。中庭に行く方法は窓から降りるのが一番近いからね。一階へ降りて食堂側からまわるのは
危険だ。職員棟に近づくのは良くないからね。まったく、1,2,3年の校舎がつながって
るのも問題だな。こういう場合。設計者を殴りたいところだが、まあそれはいいとして、問
題は敵兵に見つからないようにってことなんだが。まずは偵察。イトウ、廊下を見てきてく
れ」
イトウは俺の言葉に従い、入口のドアを開け、顔を出す。すぐに顔を引っ込める。
「誰もいない。静かだ」
「そうか。それじゃ次、外の様子だ。見たところ兵の姿はない。2年の校舎、食堂、体育館。
この三方向から中庭は丸見え。どこに兵がいるかわからない。2年の校舎にちらほら明かり
が見えるのが怖いな。多分敵。次に食堂。明かりは完全に落ちてる。無人だと思いたい、け
れど校内で食料があるのはあそこだけだから、油断はできない。次に体育館。この教室から
じゃ、完全に死角。さて、どうする?」
「キョウジくんの話しじゃ、体育館には見張りはいない可能性があるんでしょ? みんな殺
されてて。じゃあ気にすることないんじゃない?」
アミがそう言うとサノが否定する。
「あくまで可能性なんだよ、アミさん。いるかもしれない。見つかるかもしれない。慎重に
動いたほうがいい。逃げるにしろ、とどまるにしろね」
いちいちアピールすんじゃねえよ、サノ。と、ここでさらなる閃き。さらなる餌をみんな
に振舞うチャンス。
「わかった。俺が体育館を見てくる。ついでに2年校舎の状況も。そこまでわかったら、逃
げるのが容易になるだろ」
そう言うと俺はみんなの意見も聞かずに、廊下に出て行く。背中の先に呆気にとられてい
るみんなの顔がある、ことがわかる。断定的な意見と危険を顧みない行動。この二つでみん
なを逆らえないようにする。
さて、とそうは言ったものの少し気合をいれなければいけない。死ぬ可能性は多分にある。
「俺も行くよ」
振り返るとケンジの姿。こういうときに頼りになる男。ただのマスカキ馬鹿ではない。
「助かる。さあ行こう」
俺たちは上履きを脱ぎ、音を立てないように一階に降りる。曲がり角があるたびに、俺た
ちは兵士に出会わないように祈る。見通しの悪い暗がりがあるごとに、銃弾が飛んでこない
ことを祈る。
1階の端には1,2,3年の校舎を貫いている長い廊下がある。その長い廊下の手前で俺
たちは止まり、窓から外へ出る。本来ならば外へ出る扉があるのだが、長い廊下に身をさら
すことは、危険だと判断し、窓から出ること選んだ。
体育館はもぬけの殻。見回りの兵士すらいない。そして凄惨な光景。予想が当たっていた
ことがこれほどに気分が悪いのは初めてだ。地の池地獄とはこのこと。首が落ちているもの、
手足が体が離れているもの。おそらく犯されたであろう女生徒。生徒をかばって蜂の巣にさ
れた教師が3人の生徒の死体の上に覆い重なるように倒れている。むせ返るような血の臭い。
人の死んだ臭い。俺とケンジは吐き気をこらえてその場を立ち去る。
「ひでえや」
「ああ」
それ以上言葉が出てこない。それ以上の言葉を、俺たちは知らない。
2年の校舎に近づくと、それまでの長い静寂を破る、銃声。間断なく響く、それ。今しが
た体育館で見てきた光景を思い浮かべる。銃声の発生源はおそらく1年の校舎。俺とケンジ
は顔を見合わせる。
「どういうことだ?」
ケンジが俺に尋ねる。俺は少し考える。考え自体はまとまっているが、その考え、予想が
最悪なものであることが、考え物だ、と俺は思う。
「急ぐぞ。偵察は終わり。帰ろう。時間がない」
来た道をひたすら早足で帰る。嫌な予感がする。銃声は響き続けている。
3
教室へ戻ると、みんなは銃声に怯えていた。誰一人として、その場から動こうとしない。
「早く行こう。まだ、1年の校舎だ。すぐに2年の校舎に銃声が移る。そうなる前に脱出だ
。そうしないと、俺たちは・・・・・・」
俺の嫌な予感、推測を説明しなくても、奴らはわかってる。連中が端から殺し始めたのだ、
ということが。逃げたい気持ちと恐怖がせめぎあいみんなの動きを止めてる。早くしろよ!
俺は死にたくないんだ!
「キョウジの言うとおりにしよう。どうせ死ぬなら、逃げる努力をしてから死のう」
いつになく格好いい、イトウ。俺の台詞をとるなっつーの。
「イトウの言うとおりだ。さあ、出口はすぐそこなんだ。俺たちはついてる。3年校舎の端
から始まったんじゃなくて、幸運だった。さあ、行こう」
俺は窓を開ける。夜風に混じる血の臭い。俺は一足先に排水パイプにつかまる。そして教
室の中で縮こまってる役立たずどもを鼓舞する。
「ここで死んでいいわけないだろう。さあ、急げ」
俺に続く、イトウ。ヤツは笑ってる。この状況が楽しくてしかたないといった様子。早死
にするタイプだ、と俺は思う。少し遅れてケンジ、サヨリ、アミ、サノ、カミカワ、ハタノ
サクラ、最後にシンジ。シンジはサクラに気を遣ってやっている。声を掛け、優しく指示を
している。サクラは恐怖で泣き笑い。化粧が落ちてるぞ、と軽口を叩いてやろうか、と俺は
思う。それにしても、シンジのヤツ、いつもは物静かなクセにやるときはやるな。俺はシン
ジを見直す。サヨリにしろシンジにしろ普段地味なヤツが、実は一番肝が据わってるんだな。
カミカワなんてびびりまくってずっと黙ってやがる。ダセえ。
中庭に降りた俺たちはマンホールめがけて走る。銃声が近づく。2年の校舎から聞こえる。
マンホールをこじ開け、中に入るように指示する。女たちが先、それから男ども。
「イトウ、早く入れ。銃声が近づいている」
俺は中に入ろうとせず2年の校舎を凝視しているイトウを蹴っ飛ばして穴に落とす。
「これで全員だな」
穴の中は暗く、臭い。汚水の反吐が出そうな臭い。マンホールを閉めると、銃声が止んだ、
ような気がする。今でも外では虐殺が行われているはず……
「行こう。とにかく校内からは離れられる」
俺たちは歩き始める。みんな少しホッとしてる。
4
別に何もかもがうまくいくなんて思っちゃいなかった。そうさ、今までのはすべて甘い予
測に基づくもの。完璧にいくなんて出来すぎてる。そう思ってたさ、俺も。なぁ神様。そう
だろ?
俺たちは外への出口まで後一歩というところで、壁に向って手をついて、並ばされてる。
銃を構えた兵士は1人。ここまで手が回っていたことは驚くべきことでもなんでもない。当
然だ。
敵さんの抜け目のなさに賞賛を送りつつ、これで死ぬのか、と思う。兵士は何やらトラン
シーバーに向って話してる。大方、俺たちの処分をどうするか、指示を仰いでるんだろう。
右隣に立たされてるサクラががちがち震えてるのがわかる。びびってやがる。小便を漏らし
そうなほど。独り言みたいに、どうしよう、どうしよう、って言ってるのが聞こえる。
「お前たち高校生だな?」
兵士が日本語を話したことよりも、間抜けな質問がきたことの方が驚き。この格好みたら
わかるだろ。それとも何か? 変装したスパイにでも見えるか? と言ってやりたい。もち
ろん言わない。
「どうなんだ?」
「ぼくたちただの高校生です」
びびった声でハタノが答える。さすがいいんちょ、と野次を飛ばしてやりたいくらいだ。
「そうか。残念だ」
何が残念なんすか、と俺は思う。残念なのはこっちっすよ。だってこのまま殺されるんで
しょ?
兵士が近づくのが背中越しにわかる。銃口が俺の背中につくまでもう少しだろうってとこ
ろでサクラが叫び始めた。
「いやあ、いやあ、死にたくない。ごめんなさい、殺さないで。なんでもします。なんでも
するからぁ。ねえお願い」
兵士にすがりつくサクラ。呆気にとられる兵士と俺たち8人。1人だけ、英雄気取りの馬
鹿だけは違った。この瞬間を待ってたんだろう。イトウが兵士に飛び掛る。咄嗟のことに反
応できない兵士。仕方ねえか、と俺も加勢する。ケンジも続く。
汚水にまみれたうえ――ちょっと飲んじまった――兵士に殴られたりなんかで体のどこか
しこが痛い。が、形勢は逆転。銃口を背中に突きつけられてるのは兵士の方。
「お前らなにもんだ?」
勢い込んだイトウ。おいおい、まるで捕虜を拷問する悪徳兵士みたいだぞ。
「答えろ」
イトウはなおも怒鳴る。
「見たらわかるだろ。自衛隊だ」
おうおう、そうだった。どっかでみた制服だと思ったんだ。
「けどなんで自衛隊がこんなことするんだよ」
俺は銃口で背中を押すと男は笑う。
「少しは呆けた頭使えよガキども」
俺はその言葉にカチンとくる。いや、冷静に冷静に。
「大方、クーデタってとこかな。それも一部のね。そうじゃなきゃこんな地方にはこないだ
ろ。首都を狙えないあたり、この地方を交渉の道具に使いたいってとこかな。ある程度人減
らしをして、だろうけど」
「半分は正解だな。自衛隊の一部のものがこの戦いには参加してる。でもクーデタじゃない。
これはれっきとした戦争だ」
「戦争?」
サヨリが呟く。戦争? 俺だって呟きたい。どういう意味の「戦争」なんだ?
「お前らは平和ボケしてんだ。真実を知らないだけだ。ここから逃げたって同じさ。殺され
とけばいいんだ」
そう言って男は笑う。
「ここはどこだよ?」
「どういう意味だ?」
「いいから俺の質問に答えろよ、ガキ。ここはどこだって聞いてんだよ」
「福神だ」
「そんなことじゃねえよ」
「日本ってことか?」
「そうだ、その前提だよ。その、勘違いのさ。ここは世界なんだよ。ここも世界なんだ。中
東のテロも、南米の経済危機も、福神高校の文化祭も、世界で起きてることなんだよ。この
戦争は世界で起きてる。いいか? 世界の出来事なんだ」
何言ってるのかさっぱりわからねえ。抽象的過ぎる。
「なあ、こいつほっといていこうぜ」
カワカミの意見が正しい。トランシーバーで話しをしていたことを考えると、いつ応援が
きてもおかしくない。早々に立ち去るべきなんだろう。
「イトウ、こいつのベルトでこいつ自身の足を縛れ。そのあと、上着を脱がせて、両手を縛
るんだ」
イトウが近寄り、ベルトを外そうとする、瞬間。男は下腹部に隠しておいた短銃でイトウ
の頭を撃った。目の前で血が飛ぶ。肉片が頬に張り付く。頭の一部がなくなる。俺は引き金
を引く。
5
イトウの死体と兵士の死体を汚水に流す。見てられないからだ。俺は血まみれになった顔
をシャツでぬぐう。イトウの血と兵士の血。
イトウごと兵士を撃った俺を、ハタノは罵った。
「イトウごと撃つってどういうことだよ!」
「でも死んでたろ」
「わかんねぇだろ、そんなの。友達を撃ったんだ。そもそもこの計画が甘かったんだ。ここ
に兵士がいることぐらい予想できたろ」
みんながハタノをなだめその場は収まった。カワカミが寄ってきて耳打ちする。
「俺はお前のが正しいと思う。イトウぐらい死んだってどうってこたぁないよ」
このへらへら顔をぶちのめしてやろうか、と真剣に思った。そして、すまない、イトウ、
と俺は思う。お前は英雄だった、と思う。
だが、死んだら負けだ。
俺たちは出口へと向う。無言で梯子を登り、外を目指す。マンホールの先には光を失いつ
つある、欠けた月が見えた。夜明けが近い。
続く
Ⅲ シンジ―1
1
コンビニの中は暗くて嫌な感じ。みんな暗い表情。疲れてるし、まいってる。きっとイト
ウが死んだからだ。
マンホールから這い出た場所は、福神の繁華街だった。すぐにでも遠くへ逃げてしまいた
かったんだけれど、キョウジくんの提案で、状況がはっきりするまで僕らはコンビニに隠れ
ることにした。コンビ二は最高の倉庫だ、とキョウジくんは言う。僕らもそう思った。食料
は豊富。文房具なんかも置いてるし、懐中電灯、地図、一通りのものは揃う。有事だ有事だ、
とカミカワくんは騒いでいて、敬礼をしながら手当たり次第に商品を荒らしてた。僕にはそ
んな真似、ちょっとできない。何より下品だし、僕の信念に反する。だから僕は財布に入っ
ていた有り金を全部レジにいれた。誰にも見つからないように。きっと僕が提案したって、
笑われるだけだ。そんなこと誰も気にしない、って。5千円とちょっとしかなかったけれど、
コンビニに人が戻って店を再開するとき、何らかの足しになるだろう、と思いたい。
現在、時刻は朝の10時。コンビニに着いたのは6時だった。それから交代で仮眠をとり、
各々食事を終えた。それから夜を待って行動しようってことになって――もちろんキョウジ
くんの意見――それまで時間をつぶすことになった。
女の子たちは――マンホールを出るまで泣き喚いていたサクラさんが一番はしゃいでいる
――化粧品、その他もろもろの品定めに熱が入っていて、ぎゃーぎゃー騒いでいる。それで
もなぜか、無理をしているみたいに見える。カミカワくんはスポーツ新聞を読んでる。ハタ
ノ委員長とサノくんはサンドウィッチやおにぎりの並んでいる前で、何やらひそひそ話。ケ
ンジくんはトイレに籠もったまま出てこない。そういえば雑誌を持って入ったようだけれど
……下世話な憶測はやめよう。そしてキョウジくん。キョウジくんは飲み物が並べられてい
る冷蔵庫を背もたれに座り込んで、床に敷いた地図を眺めている。時折ボールペンで何か書
き込んでいるみたい。それに、銃を肩にかけたまま放そうとしない。まるで大事な宝物のよ
うに抱えている。僕はお菓子コーナーとカップ麺コーナーの間の通路に寝そべって音楽を聞
いている。時代遅れのMDに録音されているのは僕のヒーローたちの音楽。古臭い洋楽。ヴ
ェルベット・アンダーグラウンドやローリング・ストーンズ。セックス・ピストルズやストラ
ングラーズ。ツェッペリン、スミス、R.E.M、ドアーズ、ジミヘン……節操なく選ばれ
た曲は、どれもお気に入り。いつかバンドを組んで音楽をやりたいと思っているのは、誰に
も話していない。今はまだ、自室で親父のお古のアコギを適当に弾いているだけだ。
繁華街に人の気配がないことが、キョウジくんを惑わせているみたい。マンホールを出た
後、びくびくしながら、手近なコンビニ入ったんだけれど、住民はもちろん、兵士も道を通
らない。とても静か。この町には僕たちしか存在していないんじゃないかと思えるくらい。
キョウジくんの予想では、僕らの脱出と兵士の死亡を敵は把握しているはずだから、学校周
りの警戒が強まるはずなのに。僕だってそう思う。だって兵士を殺しちゃったんだから。銃
が盗られてることもわかるはずなのに。それとも、こんなこと瑣末なことなんだろうか?い
や、いや人が1人死んでるのにそんなことはないか。
ケンジくんがトイレから出てくる。きっとあのお腹の膨らみは雑誌を隠しているから。女
の子たちもそれに気づいて顔をしかめてる。
「ここってトイレ、男女で分かれてないよね」
アミさんがそう言って、サクラさんとサヨリさんがため息をつく。
2
昼食はみんなでカップ麺。暗い表情に明るさが戻る。遠足みたいな気分だ。カミカワくん
とアミさんがはしゃいでる。みんなもそれを見て笑ってる。でも、キョウジくんだけは麺を
すすりながら地図とにらめっこ。脱出ルートを考えてるみたいだ。食事のあと、キョウジく
んにどこまで逃げるのか、聞いてみた。キョウジくんはボールペンで頭をかきながら答える。
「状況がわからないんだ。兵士の言葉を信じればこの件に関しては自衛隊が分裂してるって
こと。そうなると、身近な自衛隊基地に逃げ込むことが正しいとも思えない。何とかして他
の連中が、殺されてない連中が、どこへ避難してるかわかりさえすれば、方針もたてやすい
んだけど」
「ラジオを聴いてみるのはどうかな? こういうときさ、ほら、防災のための放送なんかを
やってるんじゃないの?」
僕の言葉を聞いて、キョウジくんは少し不機嫌そうな顔になる。
「それもそうだな」
僕は居心地が悪くなる。別に君の邪魔をしたいんじゃないんだ、ただ僕も、生き延びたい
から知恵を、足しになるかどうかわからない、知恵を貸したいんだよ。そんな気持ちはきっ
とキョウジくんには届かない。きっと彼はストーンズよりもビートルズよりも、キンクスだ
けを聴くタイプ。それが一番だと信じて……もちろん僕はキンクスも聴く。
携帯ラジオを触るなんて、普段そんなにないから、チューニングに苦労した。とりあえず、
AMでニュースをやってるところに合わせた。たぶんNHKだと思う。
『冷静に行動してください。自衛隊の指示に従って避難場所へ向ってください』
そんな内容の放送が流れている。福神の住民たちはどこへ避難したんだろう? 見知らぬ
地方の名前、基地、集合場所が淡々と読み上げられる。
『根拠のない噂には気をつけてください。政府の発表を待ってください』
そしてまた地方の名前、基地、集合場所のリピート。福神の名前はない。
3
午後3時。ケンジくんとカミカワくんは大の字になって寝てる。僕もちょっとうとうとし
てる。ルー・リードの声ですら眠くなる。女の子たちはファッション雑誌を回し読みしてる、
きっともう何度も読んでるんだろう。飽きてる感じ。ハタノくんとサノくんが近寄ってきた。
「なあ、シンジくん。君の意見が聞きたい」
ハタノくんは周りに聞こえないように声のトーンを落とす。きっとキョウジくんに聞かれ
ないようにするためだ。
「君はどうするつもりだ?」
ハタノくんが言いたいのこういうことだ。現状がわからない以上、動くのは危険。コンビ
ニなら食料もあるし、1ヶ月程度なら平気で持ちそう。それにさっきのラジオ放送を聞くか
ぎり――あれからずっとラジオは垂れ流し。内容は先ほどのリピート――福神に避難場所が
ない。こうなると絶望的。逃げるのは不可能。ここでおとなしく解決を待つことこそ、最善
だろうと思われる。
僕は何て答えていいかわからない。キョウジくんの意見も聞こう、と僕が言うと二人は首
を振る。あいつは人殺しだ。あいつについていったら全滅だ。
「そうは思わない」
僕はキョウジくんのところへ行く。二人も渋々ついてくる。キョウジくんはまだ地図を眺
めてる。ボールペンの書き込みが目立つ。
「キョウジくん。これからどうしよう? サノくんとハタノくんはここに残る方が良いと言
ってるけど」
キョウジくんが地図から目を上げてこっちを見る。どんよりと曇った瞳。疲れてるんだ、
と僕は思う。きっとキョウジくんが一番疲れてる。体力的にも精神的にも。
「キョウジくん。これは簡単なことだよ。ここは安全なんだ。助かる可能性もある。周りに
はなんだってあるんだ。コンビニはここだけじゃない。繁華街のもの全て利用して生き延び
るんだ。助けがくるまで」
サノくんの言葉をキョウジくんは笑う。
「そうだな、きっとサノの言うとおりなんだろう。でも俺は嫌だ。俺は生き延びたいんだ。
お前ら考えはただ生きてるだけだ。いいか、運ってやつはな、自分で引き寄せるもんなんだ。
お前らのやり方は運がくるのを待つだけのやり方。それじゃ、死ぬ。必ず死を呼び寄せる」
二人は黙る。
「とにかく、僕ら二人はここに残るからね。行くなら好きにするがいいさ」
ハタノくんはやっとそれだけ言って、キョウジくんから離れていく。キョウジくんは苦笑
い。僕はキョウジくんの前に座る。僕はキョウジくんの方が正しい、となんとなく思う。
「シンジはどうすんだ?」
キョウジくんはボールペンで地図に丸をつけながら、言う。
「僕はキョウジくんと一緒に行くよ」
「あいつらの言うとおり死ぬかもしれないよ。逃げられないで」
「うん。でも行くんだ。きっとサノくんやハタノくんの言うことも正しいんだと思う。でも
、なんて言うのかな、僕はキョウジの方がもっと正しいと思う。必死に生きてる気がする。
あ、積極的に生きてる気がする、って言うほうが近いかもしれない。二人のは消極的だよ。
なんか、変な感じがする」
キョウジくんは笑う。
「お前、頭良いな」
「そうかな」
僕も笑う。
4
夜が来た。
僕らはキョウジくんの周りに集まって、今後の計画を聞いている。
「いいか、あのラジオの放送で呼ばれてる地方とこの地図を照らし合わせる。そうするとわ
かることがある。どこまでがあいつらの領域かってことだ」
キョウジくんは福神を中心に楕円形を描く。ラジオはいまだに同じ情報を流し続けている。
「およそこれくらいの幅。上下100キロ、左右150キロってとこか。誤差はある程度あ
ると思うけれど一番近い避難場所まで200キロ程度だとすると、これくらいの予測になる。
それで俺の提案。一番近い避難場所、まあ自衛隊基地だな、そこではなくて三番目に近いこ
の北にある方へ逃げる。地形はその他もろもろ考えた末の結論だ。一番近い基地は国道を南
進すればあっという間に着きそうに見えるけれど、ちょっと危ない。ひらけた地形だし、何
より相手が陣取ってそうなところが多すぎる。福神の自衛隊基地や野球場、そんなところを
通っていくのは危険。それよりは、北のルートの方が安全。まず町を出たら住宅が密集して
るベッドタウン。その先は山。そんで町がいくつか。そしてまた山。途中トンネルとかある
けど、そこは通らない。山道を選択する。身は隠しておきたいからね。距離だけみたら30
0キロないくらいだけど、実際の移動距離は相当なものになると思う。それでもこっちが安
全だ」
「その安全ってのは誰が保証してくれるの?」
たまりかねたサノくんの意見。賛同したくない気持ちが前面に出ている。
「誰もしてくれないよ。でも一番現実的な計画だと俺は思ってる」
「それは現実的じゃないよ。一番現実的なのはここで助けを待つことだろ?そうだろ?僕ら
は漫画の登場人物じゃないんだ!どこかで兵士に見つかって、今度こそ殺される」
「いや、今度は殺す側にまわる。もちろん時と場合は選ぶつもり。でも、殺す手段はここに
ある」
キョウジくんが銃を人差し指ではじく。
「プロでもないのに無理だよ」
「でも、もう1人殺した」
みんな黙った。僕は、どうしてか、痛快な気分だった。
「わたしはキョウジくんについていく」
サヨリさんが言う。サヨリさんは強い、と僕は思う。自分の意見をしっかりと持ってる。
それに僕と同じで、まだやりたいことがある、と言っていた。少し、気になる存在。
「ちょっと、サヨリ。それでいいの?」
サクラさんがサヨリさんを突く。サヨリさんは大きく肯く。もうテコでも動かないって感
じ。
「でもイトウみたいに死ぬかもよ」
サノくんは馬鹿にするような、それでもすがるような表情。きっと追い詰められてるんだ
ろう。気持ちはよくわかる。
「わたしは死んでない」
サヨリさんが言うと、サノくんは目を背けた。負けたんだ。
「これ以上は責任を持てない。選んでくれ。残るか、俺と一緒に行くか」
キョウジくんが言う。ここぞ、という時、キョウジくんの言葉は重いと思う。タイミング
がいいんだ。ちょっとだけ、ずるいと思う。
そしてサノくんとハタノくんは残ることを選んだ。二人とも複雑そうな顔をしている。
5
出発の準備をしながら、カミカワくんに聞いてみた、どうしてこっちを選んだのって。
「あいつらなんか運弱そうじゃん。キョウジのが強運ぽい」
ケンジくんはこう答えた。「俺が行かなきゃあいつが困るから」と。
「お前はなんでこっちにしたんだよ」
そうケンジくんが聞く。ケンジくんは店の奥で見つけたナップザックに雑誌を入れている。
その後にロウソクやらマッチやら箸、皿、保存食やらを詰め込んでる。
「僕は積極的に生きたいんだよ。DIYだ。ロットンみたいにやりたいんだ。ほらキョウジ
くんてなんかパンクっぽいじゃない。僕はどちらかと言えばベタベタのロックが好きなんだ
けどさ。それでもパンクの衝動にかけてみたい時もある」
ケンジくんは苦笑い。
「お前そんなに喋るヤツだったんだな。しかも変なヤツだ。おもしろい」
「そうかな」
僕も笑う。
コンビニを出発するとき、キョウジくんがサノくんとハタノくんに何か言っていた。二人
はそれを聞いて肩を落としていた。何を言ったんだろう?出発してすぐにキョウジくんに聞
いてみた。
「助けを待ってる間オナニーでもしてな、って言ったんだ」
僕はそれを聞いてちょっと大きな声で笑ってしまった。すぐに口を塞いだんだけれど、そ
れは夜のアーケード街に、思いのほか大きく響いた。
続く
Ⅳ キョウジ―3
1
福神の繁華街から県道を車で5分も走れば、別世界。閑静な住宅街。人々はこの場所から
福神のビジネス街やその先の福南の方まで仕事にでかける。平和そうな連中が住んでる町。
それも今ではゴーストタウン。どこからか犬の鳴き声。飼い主のことを想像すると、鳴き声
が泣き声に聞こえてこないこともない。お前のご主人様はきっとどっかに逃げてるさ、と声
をかけてやりたいところだが、犬がどこにいるかは定かではない。近いのか遠いのか。家々
が密集しているおかげで、遠くの音が近くに聞こえたり、近くの音が遠くに聞こえたりする。
山を造成しながら家を建て続けたため、いびつな配置になってる。俺が子供の頃にテレビで
この町のCMをやってた。多分、そのCMに犬がでてた。そいつがこの声の主だったらいい
な、と俺は思う。
何だか、俺は、疲れてる。マンホールを出てからこっち、頭が冴えない。思考にノイズが
混じる。イトウの吹っ飛んだ頭だったり、兵士の血だったりが、脳みその中でフラッシュバ
ックする。後悔してんのか、びびってんのかはわからない。けど、そいつらが頭に現れるた
びに引き金を引く。もちろん頭ん中で。シューティングゲームみたいに、消してく。それが
疲れの原因かもしれない。脳内シューティングが。その上、厄介事は増える一方。定期的に
ラジオを聴いてるんだが、ついさっき、読み上げられるべき避難場所が一個、放送の中から
消えた。福神に一番近い基地。何回聴いても、そいつは出てこなくなった。アミなんかは何
かの間違いなんじゃないのって言ってたけど、ほんとはみんなわかってんだ。その場所は安
全じゃあなくなったってこと。サヨリなんかは避難場所を別に移したんだよきっと、なんて
言ってたけど、そんな楽観できる状況じゃないことはサヨリもよく知ってる。きっと口をつ
いて出ちゃったんだろう。それに、きっとサヨリが言ってなくても、誰かが言ってただろう。
「北を選択して正解だったな」
こんなこと言っても気休めにしかならない。シンジだけが、そうだね、と笑ってた。変な
奴だ。
状況がわからない。ベッドタウンに来るまでに県道を通らなきゃならなかったんだけど、
俺はそこが一番危ないって思ってた。隠れる場所が少ないから。けれど無人。監視もいない。
普通なら、こっちの道は確実に警戒するべきところ。仮に俺の予想が正しいとして南に陣を
構えてたら、一番敵に突かれたくないところがこの道。繁華街への進入が容易であり、県道
、ベッドタウンの先には隣の県へ続くトンネルがある。自衛隊が攻めてくるならこのルート
が一番可能性が高い。だから、俺としては自衛隊がすでに動いていてこのルートを制圧して
ることを祈ってたんだが、それもなさそう。かといって最悪のパターンである敵にきっちり
固められてたってことでもない。敵も味方もいない。もしかしたら、俺は根本から何かを見
誤っているのかもしれない。痒いところがどこかわからない感じ。気持ちが悪い。
2
朝飯を食おうって話しになって、どうしようか迷った挙句、有事有事って馬鹿の一つ覚え
みたいに言ってるカミカワの意見にみんな賛成した。せっかくだから一番金持ちそうな家で
飯を食おうぜって意見。シンジは嫌がってたけど、みんなの意見におされて、結局不法侵入
の仲間入り。
ブランコが置いてあるばかでかい庭に遠慮なく踏み込み、ガラスを割って中に入る。俺と
しては目立たないところで済ませたかったんだけど、なんとなく、勢いに負けた。ちょっと
ワクワクしてた。俺は『ユウジ』ってことで法の重荷から解放された気になってた。実際そ
うなんだ。一体誰が俺たちを咎めるっていうんだ。
「幼稚園生くらいの子供がいたのかしらね。そうなると若いお父さんとお母さんかな? で
もこんな家建てるくらいだから、晩婚で歳のいった夫婦かしら」
サクラが部屋の中にあった絵本を手に取りながら言う。
「わかんないね。知りたくないな」
とサヨリ。
「どうして?」
とサクラ。絵本を棚になおし、真っ赤な革張りのソファに座る。足を組む瞬間を室内の男
どもが盗み見する。もちろん俺も。
「知ったら、なんか、いろいろ想像するじゃない」
「……そうね」
サクラがため息をつく。そりゃそうだ、と俺は思う。もう死んでるかもしれねえからな。
子供も両親も。子供だけが生き残ってりゃまだ救いがある……のかな?とにかく家族全員生
きてりゃいいな、って思うだけ。
一通り台所をあさったけど、大したもんはでてこなかった。冷蔵庫の中にあった食材も電
気がとまってて腐りかけてるしレトルト食品もありゃしない。そうなってくるとここの奥さ
んは毎日手作りの料理をこさえてたんだな、って考えちゃうけど、考えないようにする。結
局コンビニから持ってきた食いもので簡単な朝飯。食パンにイチゴジャム。水。
コンビニの時はみんな暗かったけど、ちょっと持ち直してきた。学校を出て以来、兵士の
姿を見てないってことが大きいのかもしれない。それに「慣れ」が加わってのこと。危険は
下水道の時だけ。まだ1日くらいしか経ってないのにこの始末。ノーテンキなのかたくまし
いのか……いよいよみんなでアウトドアしてる程度の気分、いやせめて無人島でのサバイバ
ル生活ってところか……ずっとこのままであってほしいってか?もちろんそんなことはあり
えない!
3
「敵出てこないね」
まるでゲームみたいに、アミが言う。朝飯を終えて、リビングにみんなで車座になってた。
カミカワなんか寝そべって携帯いじりながら、電波ねーなー、って言ってる。各々リラック
スした表情。
「そうだな。すんなりここまで来ちまったな。キョウジの予想通りってとこか。さっすが」
ケンジが茶化す。俺は苦笑いするだけ。何にも言いはしない。俺が一番驚いてんだよ、と
言ってやりたいけど。
「なんかさー。マジ怖いんだけど、ちょっと楽しいよね。この感じなんだろう、文化祭って
感じかな。ほら文化祭当日じゃなくて、準備してる間みたいなの
「おーおーそんな感じわかる、俺」
カミカワは携帯を放り出して体を起こす。
「ちょっと、不謹慎じゃない」
サヨリは困ってる。
「そうだよなー、人が死んでるしな。でも文化祭の準備って感じもわかるんだよなー」
ケンジはえへへと頭を掻く。
てめえら全員イトウのケツにキスしやがれ!
と俺は思う。危機感の欠如、それに伴う浮揚感。銃を持ってる俺には、ガキの妄言としか
思えない。きゃーきゃー騒いでる馬鹿どもを尻目に、俺はラジオをつける。
『繰り返します……』
途端にみんなは囀るのをやめる。
ラジオはいつものように避難場所を案内してる。心なしか以前より数が減った気がする。
俺たちの知らないところで、状況は悪くなっていってる。以前誰かが、恐怖とは情報の少な
さからやってくる、と言ってた。そうであるならば、不安は情報の変化によりもたらされる
のかもしれない。場の雰囲気が沈む。
「そろそろ行こうか」
俺はラジオを切って立ち上がる。みんなもそれに従う。
4
ベッドタウンを抜けて山へ。トンネルは通らない。大丈夫かもって少しでも思ってしまっ
た俺も、他のみんなと同じで腑抜けてんのかもしれない。
道なき道、と言いたいところだが、頂上に電波塔があることおかげで、それなりの道があ
る。用心には用心を重ねて、ってことで道からちょっと離れたところを歩いてるけど、険し
い感じじゃない。勾配も緩やか。ほかのみんなはちょっとした登山気分。
「毎年の登山実習を思い出すー」
とかなんとかサクラが言う。だよなーってなもんで思い出話に花が咲く。周りに人の気配
がないせいか、みんな声がでかい。ケンジなんて叫んでるみたいに話してる。俺なんて山を
登ってる最中にウンコしたくなって、道端で一発かまして葉っぱで隠したよ……なんて馬鹿
話いつまでやってるつもりなんだ? 突然兵士が現れたら、お前ら全員ウンコもらすくせに。
どうしてこうなんだ、と俺も思う。どうして俺の日常は昔から、こうなんだ。楽天家に囲ま
れてる。こんなにも世界は恐ろしいのに。ずる賢くやんなきゃ、取り殺されちまうのに。あ
あ神様、俺は臆病なんでしょうか? ヒロ先輩、俺たちの生きてきた世界ってこんなんじゃ
なかったですよね。誰も助けてくれなくて、残酷で……
瞬間、フラッシュバック。イトウの死に顔。俺は冷静に引き金を引く。カチリ。
5
なんかホッとした。
頂上付近の茂みに身を隠してる俺たち。電波塔の周囲には銃を提げた兵士たち。確認でき
るのは5人。それぞれ違った制服。私服っぽい奴もいる。
「敵、味方?」
アミが言う。敵、と俺は思う。予感はたぶん、正しい。格好がばらばらってのが気になる。
殺した兵士が、自衛隊の一部が参加してる、って言ってたことを思い出す。自衛隊の一部。
全体の一部が自衛隊ってことだと、俺は解釈する。そうなると、格好がばらばらなのも肯け
る。
「どうする?」
大きく迂回することを考える。だが、兵士たちが電波塔の付近だけにいるという保証はな
い。これまで運良く兵士に遭遇しなかっただけという可能性は否定できない。思考が悪い方
へ傾いていく――穴だらけになった兵士の死体。引き金。カチリ――考えがまとまらない。
一歩でも動けば、枯れ枝を踏んだ音だけで、連中に発見される恐怖に、身がすくんでる。
「じっとしてればよくね?」
カミカワが言う。ぬけぬけと言いやがる!
「だって、ここ、けっこう離れてるし、茂みに隠れときゃ見つかんねーって。暗くなるまで
待てばいいよ。つってもまだ正午だけど。それに用事が終わったらどっか行くって絶対。用
がなきゃこんなとここないだろ、あいつらも。なにやってんのかわかんねーけど」
一理ある、と思うが、なかなか認められない。こんな野郎の意見がまともだなんて、むか
つく。サヨリやシンジならともかく、よりにもよってカミカワ!だけど……
そうっすよね、ヒロ先輩。大人になんなきゃ駄目っすよね。あんたは死ぬまで子供だった
けど。
「カミカワの言うとおりだな。じっとしてよう。距離はある。茂みはでかい。なんとかなる
さ。なんともならなかったら、こいつで殺す」
そうやって銃身を手の甲で叩く。もちろん、殺すってのはただの虚勢。素人の扱う銃一丁
でどうなるもんでもないってことくらいはわかる。それなのに言ってしまった。まだまだ大
人にはなれないな、俺。
みんなの意見はまとまった。みんな肯く。けどシンジだけは不思議そうな面してこっちを
見てる。
「そうなんだ」
シンジの呟きは、どうしてか、癇にさわった。
続く
Ⅴ カミカワ―1
1
5人連続、あんたみたいな軽い男は嫌いって理由で振られたのにはさすがの俺の堪えたけ
れど、なんだかんだで適当に流してたら、やっぱり女とは付き合えるし、その先のセックス
までいけちまうんだなって思うんだけど、これってやっぱり人生を舐めてるってやつのなの
かな?いやいやそうは言ってもなんとか生きてこれてるし、不満もありゃしないし、毎日が
ハッピーなんだなってことでフラフラとやってるとだいたいハタノとかサノみたいな連中に
とっては別の星の人間みたいに見られるし、女連中には近づいたら妊娠しちゃうって思われ
てるのも、なんだかな、心外だっつーの。
楽しいことが好きだし、楽をするのも好きだし、それよりなにより、わざと面倒なとこへ
首をつっこんで、苦労を買うってことに至上の快楽を見出してる俺はやっぱりマゾなんじゃ
ねーかって思う。苦労はどこだどこだ、と探し回った挙句にむこうの方からよってくるって
なると、数年に一度あるかないかの奇跡ってやつだな、だって大抵苦労ってのはそうそう見
つからない……こうやって言うと何だか強運の持ち主みたいに思われるんだけど、他の連中
が苦労だと思ってることなんて、実は大したことないし、甘えてんじゃねーの?とか思って
しまう。
監禁されたり、人が死んだりってことになると洒落にならないくらいやばい事態だって思
っちゃうけれど、心の底では、むこうからやってきた最大級の苦労を歓迎してる……一生に
一度しかないって思うんだけれど、やっぱり、びびってる。そんで興奮してる。イトウが死
んだ時だって、もし俺が殺されてたらって思うと小便ちびるほどびびったけれど、スリルを
感じた。
2
じっとしてるのは得意だってことは誰も知らないんじゃないかな?どっちかっていうと騒
がしいほどだし、よく授業抜け出したり始終歩き回ってるような俺だから、みんなからした
らじっとするのが苦手って思われてるんだろうけれど、俺はじっとしてるのは得意。
シンジはipodで音楽を聴いてる。洋楽が好きって言ってた。俺もipod聴いてるんだけれど
それはただのフリであって、実はイヤホンからは何も流れてないって知ったら、みんなどん
な顔をするんだろうか。実際はいじってる携帯がメイン。ipodを聴いてるフリしてんのは、
話しかけられないようにするためだけ。もうみんな携帯から享受できる娯楽が頭打ちだって
知ってるから、暇つぶしだと思ってんだろうけれど、俺はメールを待ってるんだ。誰から?
ってな色気のない質問はよしてくれ。女からのメールを待ってる。まだそいつとは付き合い
初めて間もないんだけど、性に合う女だ。相手もきっとそう思ってる。まだセックスはして
ないんだけれど、大事にしてやりたい、なんて思ってる。こんなことに巻き込まれて以来、
メール機能も電話も使えなくなってるから、連絡はとれないんだけれど、なんかの拍子で、
センターにたまってたメールが送られてくるんじゃねえかと、待ちわびてる俺は、いわゆる
「女にハマッテル」状態なんだな。それでもいいさ。
最後に届いたメールを何度も見返すんだ。
『今、友達からもらってマジで可愛い写メあるんだけど、見たい?』
俺はもちろん、見たいって返信した。そんで爆発があって兵士がやってきて、監禁されて
イトウが死んで、コンビニにハタノとサノを置き捨てて、山を登ってる、今になる。どんな
写メを送ってくれるんだろうって、俺は気になって仕方ない。
3
兵士たちが山を降りてったのは、思ったより早かった。最悪夜の闇に紛れてって考えてた
んだけれど、連中は夕方前に帰っていった。何やってたんだろう、ってキョウジがえらく気
にしてたけれど、俺は気にしちゃいない。どうせしょうもないことだろうし、理由を考えら
れるほど、情報がないって言ったのは結局、キョウジ本人だ。それだった、逃げることだけ
を考えればいい。
茂みから這い出て、電波塔まで、俺たちはこそこそと近づく。足元に兵士が吸ってたタバ
コの吸殻が落ちてた。セブンスターだ。吸い口に血がついてる。唇が乾燥してるヤツがいた
んだろう。リップをぬれ、リップを!って言ってやりたいもんだな。だって女とチューする
時困るだろう。
キョウジが電波塔を調べようって言い出して、それにみんなが賛同するもんだから、俺も
一緒になって柵の中に入った。何かわかればいいんだけれど、とサヨリちゃんが言ってる。
結局何もない。無駄骨。鍵がかかってる事務所みたいなとこへ入ろうと、キョウジが銃の
シリでドアノブを壊した。中には男の死体。みんな口を押さえる。腐臭がしてたから。きっ
と死んで数日はたってる。小バエがうるさい。
中を探索しようって誰も言い出さない。パッと見、何もないからだ。死体以外。
「さっさと山を越えようよ」
アミが言う。みんなも賛同。
「ちょっと待って」
シンジが何かを見つけたみたいで、死体に近づき、銃で撃たれたであろう、わき腹の下に
手を突っ込む。床に垂れてた血は乾いてて、黒光りしてる。シンジがわき腹から引っこ抜い
たのは短銃だった。ドラマでよく見る、警察が持ってるようなやつ。シンジの手に微かに血
がついてる。よくそんなとこ手を入れられるな、気持ちわりい。
「死体の状況からして、死後数日ってところか。そんで銃を持ってた。電波塔の管理人にし
ては用意がいいな。この事件に俺たちが巻き込まれてか約三日。それよりは前に、死んでそ
うだから、もしかしたらずっと前から計画は始まってたのかな?」
キョウジがそんなことを言うもんだから、みんなの嫌な気分になる。絶望を感じる。俺は
別にそんなこと思いやしないけれど。
「ちょっと待って、この人が敵か見方かまずわからないじゃない。もしかしたら敵かも」
サヨリはいつも、ちょっと別の角度から物事を見る。頭が良いヤツって感じ。
「それはあり得るな。状況は相変わらずよくわからない。ただし、連中は電波塔で何かをし
てたってことだけわかった。そして電波塔までやってくるってことは住宅街はおろか、この
山まで奴らのテリトリーになってる可能性が高い。この先の山間部にある村もどうなってる
かあやしいな。とにかく用心して進もう」
ようやく俺たちは死体臭い建物を出て、進み始める。
4
電波塔からあとは下るだけ。登ってきた時と同様、俺たちは道から離れたところを歩いて
る。誰もお喋りをしようとしないから、やたら、空気が重い。ここで俺の無駄話でも聞かせ
てやろうか、とも思うけれど、何だか、つまらないので止める。
「カミカワくんもさ、やっぱりエロ本とか読むの?」
すぐ傍を歩いてたアミが小声で話しかけてくる。こんな時に何言ってやがんだ、と思った
けれど、こんな状況でそんな阿呆な話しを振ってくるなんて面白いヤツだ、と思い直した。
「ああ。ネットでエロ動画も見るよ」
「男の人って、そうなんだ」
「そうだよ。なんだ彼氏の部屋でエロ本でも見つけたか?」
「違うわよ。弟よ。まだ中学一年生なんだけど、部屋で漫画絵のエッチなのを見つけたのよ」
「もう中学一年、の間違いだろ。小学校高学年くらいからエロ本なんて読み始めるもんだよ」
「でも漫画の絵よ?」
「そこが気になってるのかよ」
「そうよ。写真とかならまだしも……何だかオタクっぽくない?」
「趣味は人それぞれだからいいんじゃね?」
「そうなのかな」
「どうせオナニーするってことには変わらないんだから。アミだってするだろ、オナニー」
「馬鹿!」
アミの声でみんながこっちを見る。キョウジはマジで怒ってるって顔。兵士にみつかった
らどうすんだ、って具合に。はいはいごめんなさいね。
「お前声でかいよ」
「あんたのせいでしょ」
「で、するのしないの?」
「死ね」
アミは俺から離れて、サクラのとこへ行く。俺だって知りたいんだよ、女のこと。だって
あの子がオナニーしてるかどうかって気になるだろ?
5
夜が来る前に山村にたどり着く。まずは偵察ってことで、キョウジとケンジを残して、俺
たちは山裾の竹林の中で待機。お留守番ってところ。
「さっきなんでアミさんは怒ったの?」
シンジは小声で話しかける。女連中は三人固まって何やら話し合ってる。きっと俺の悪口
でも言ってんだろう。シンジに事の次第を話してやった。
「そうなんだ。アミさんオナニーしてるよ。ずっと前放課後の教室でごそごそやってるの見
たもん、僕」
「嘘、マジかよ!いつだよ」
「1ヶ月くらい前かな?教科書とりに教室戻ったらアミさんが1人でいて、やってた」
「見間違いじゃねえの?」
「でも、変な声出してて、スカートがめくれあがってたりしたから、間違いないと思うけど」
「へえ、ちょっとあいつのこと見直したわ。真面目なだけじゃなくて、教室でオナニーする
度胸があるやつなんだな。ところでお前はオナニーするよな?」
「僕はしないよ。エッチなものはもちろん見るけど。なんか勃起した性器って、興ざめしな
い?」
「目を閉じればいいじゃん」
「やだよ」
「変なヤツだ」
「カミカワのが変だよ。なんで音のしないipod聴いてんのさ」
俺は死ぬほどびびった。びびってびびって、いっそ死にたいって思うほど、顔から血液が
飛び散ってしまうほど、恥ずかしかった。なんでこいつ知ってんだ?って思いよりも先にみ
んなに知られてるのかってことが気になった。
「誰かにそのこと言ったか?」
「言ってない」
「誰にも言うなよ」
「わかった。でもなんで音楽聴かないのさ?」
「……音楽聴いてるように見えると、みんな放っとくだろ?話しかけられたくないんだよ。
それに、俺を放っといてる連中が何を話してるのかよく聞こえる。無音イヤホンつけるとな
んでか、聴力が増す気がするんだ。聞き耳たてながら携帯いじってんだよ、俺は」
「ふーん。確かに音の出てないイヤホンはめると、よく聞こえる気がする」
「だろ?」
「カミカワくんて、なんか、大人だよね」
「どうして?」
「いや、たぶん、この中で一番大人な気がする」
「それは良い意味でか?」
「良い悪い半々かな」
「なんだよそりゃ」
そこへキョウジとケンジが帰ってくる。お疲れさん、と声をかける。なんか変だなと思う。
どうしてキョウジはケンジに肩を貸してるんだろう。そして、ケンジがその場でぶっ倒れる。
見ると、太股から出血してる。何があった?って聞くよりも早く、俺たちはケンジの周りに
集まり、声をかける。
「大丈夫?」
大丈夫じゃねえよ、って俺は思う。ケンジは微かにうめき声を上げてる。俺はキョウジの
方を見る。奴はゾッとするほど怖い――人を殺してしまいそうな――顔をしてた。
続く
Ⅵ キョウジ―4
1
傷を負ったケンジを近くの納屋へ移した。埃臭いのが気に障るが、目立たないことが先決
だ、と俺は思う。みんなは話を聞こうとしない。ケンジの容態だけを気にかけて、何があっ
たのか知らんぷりしてる。たぶんサクラなんか、悪い予想が頭の中をぐるぐるまわってて今
にも叫びだしたいんじゃないかな?
外は夕闇。夜はすぐそこ。俺は肩にかかったいまだ熱を持つの銃を見る。そして話し始め
る。誰かに向けて。
…………
警戒してたつもりでも、けっこう気が緩んでた。俺もケンジも、どうせ敵なんていやしな
いだろうってタカをくくってた。村はけっこう広くて、端から端まで見てまわるのは無理だ
から、適当に大きな通りを見回るくらいでいいだろうって話をしてた。大丈夫、敵がいる感
じなんて少しもない。もしでかい隊が陣取ってんなら、とっくにその姿を見つけてもいいは
ずだし、小さな隊くらいだったとしても、人の気配が少しはするはずだ。仮に俺たちみたい
な連中が迷い込んでくるのを物陰で息を潜めて待ち伏せしてるやつがいたとしたら、アウト
だが、そんな物好きはいないだろう。
この村はトンネルのおかげで廃村になるのを免れたって聞いたことがある。福神と新城を
繋ぐトンネル。通過点とはいえ、車なんかが通るってことはガソリンスタンドやコンビニな
んかが儲かったりする。そのおかげでなんとか生き延びてるらしい。だけど、俺の第一印象
は、老いぼれ、ってもんだった。老いぼれてる。なんか今にも死んじまいそう。
コンビニを覗いて、そんでじゃああそこにあるガソスタ覗いたら帰るかって話しになった。
俺とケンジは何も考えずに200メートルくらい先のスタンドへむかって歩き始めた。いつ
もなら、もっと警戒するはずなのに……建物自体ガソリンスタンドに珍しいタイプで、車が
入れるのは道沿いに面した部分だけで、あとの三方向は壁で覆われてる。中がどうなってる
のかわからない。それでも天井からぶら下がってる給油パイプが見えて、なんか安心してた。
そして、俺たちはばったり、敵に出会ってしまう。連中はちょうど給油してた。助手席に
一人、給油しているヤツが一人。ジープ自体二人乗りで、あとは荷物を載せるためのコンテ
ナがついてた。それほど大きくはない。
俺たちは給油中のヤツを目が合った。そんで、何も言わずに回れ右。まるでコント。猛ダ
ッシュで逃げる俺とケンジ。
「待て!」
後ろからは野太い声。
「ケンジ、こっちだ」
俺はケンジの腕を取り、細い道に入る。民家に上がり込んだり、わけのわからん商店の店
内をこそこそと這い回ったりし……とにかくい必死で逃げた。位置感覚も失い、もう逃げ切
っただろってとこで、青い目をした兵士に遭遇。クリーニング屋の店先で。なんとも格好悪
く俺たちは銃を向けられた。兵士は俺の持ってる銃を指差してなんか言ってる。言ってるけ
ど言葉がわからない。英語じゃないのはわかった。
相手も油断してたんだと思う。俺たちは子供だったし、なんか怯えてたから、簡単にねじ
伏せられるって思ったんだろう。向けてた銃を下ろして、近づいてきた……ところへ俺は銃
をぶっ放した。びっくりして、なんかぶつぶつ言って、目を剥いて兵士は倒れた。胸と腹に
数ヶ所穴があいて、そこから血が流れてた。俺は混乱してた。どうして撃ったのかわからな
かった。本能が引き金を引かせたのか、臆病風が理性をとっぱらったのかはわからない。た
だ、殺してよい相手だった、というのが本音。じゃなきゃ、こっちが死んでる。たぶん。
ケンジはそれに関して何も言わなかった。いや実際言いたいことはあったんだろうけど、
言えやしないってのが本当のところだろう。
しばらく死体の前でボーっとして、そんで、車のエンジン音で我にかえった。仲間がきた
んだ。俺とケンジは顔を見合わせて逃げ始めた。一発の銃声。そんでケンジは倒れた。追っ
てこなかったのは仲間の遺体を見つけたからだろうか?とにかく、ツイてた。
2
「まだ敵がいるってことよね」
サクラが唇を震わせてる。びびってるところばっかり見てると、美人も駄馬に見えてくる
から残念。
「いるっていうか、たぶん、俺たちのことを探してると思うよ。それか応援呼んでるか。ど
っちにしろ最悪の状況だね」
ケンジを見ると、痛みは落ち着いたみたいで、天井を見上げてる。痛いか?って聞くと、
まあまあ、って答える。何か考え事をしてるみたいだ。
傷は深くなかった。銃弾は太股をかすっただけで、血こそ派手にでたものの、どうにかな
るってほどでもない。サヨリが患部を冷やし、血を拭い、そこらの民家で見つけてきたタオ
ルを巻きつけた。将来は看護師になりたいの、とサヨリは言った。立派だなって思う。目標
があるから、生きる気力も湧くってもんだ。
「これからどうするの?」
アミが言う。
「もう一人の兵士を殺す。応援呼ばれてるかどうかはわからないけれど、早めに手を打った
方が良さそうだ。シンジ、お前が拾った銃も使うぞ」
「わかった。僕も行く」
シンジは短銃を出してにっこりと笑う。
「ああ、行こう。ただ、もっと暗くなってからな。あと30分ってとこだろう。夜がくるの
は」
カミカワや、女連中は心配そうにこっちを見てる。
「大丈夫だよ。キョウジくんならやってくれる」
シンジが言う。そうなんだ、大丈夫、なんだ。なあヒロ先輩。俺、また、人を殺しにいき
ますね。たぶん、大丈夫だと思います。人は殺すけど、俺は死にません。
3
夜を持つあいだ、俺は納屋の外で座ってた。虫の声がする。月がきれい。風は弱い。涼し
い。納屋の近くには畑。今の季節、何を作ってたんだろうって思って掘り返してみても何も
ない。たぶん、畑を休ませる時期なんだろう。
納屋からサヨリが出てきて、俺の隣に座った。月明かりの下で女と二りっきりになるって
のはそんなに悪くないって俺は思った。
「ケンジは大丈夫?」
「うん、落ち着いたと思う。まだ動かせないけどね。銃弾がかするとあんな風になるのね、
肉を引きちぎってる」
「ありがとな。手当てしてもらって。そんな特技があるなんて知らなかったよ」
「母がね、看護士なの。それで色々知ってるだけ」
「お母さんが目標なんだ」
「別にそんなんじゃないけど。尊敬はしてる」
「偉いね。親をそんな風に言えるのって」
「キョウジくんの親はなにしてる人?」
「俺の親?知らない。いないからさ。なんかずっと前に死んじゃったかいなくなったかした
みたいよ。俺はばあちゃんに育てられた」
「ごめん」
「いいよ。そのばあちゃんも中学三年の時にコロッ逝っちまって、今じゃ一人だ。気楽なも
んだよ」
この話しをすると大抵の奴はかわいそう、と言う。知ったことじゃない。親がいなくても
生きていけることを知らない奴が多すぎるんだ。家族とか愛情とか、そんなもの自分で手に
いれられる。サヨリは下を向いて唇をとがらせてる。
「ケンジくんのこと置いて逃げること考えた?」
話しが唐突に飛んだな、と俺は思う。そうさ、考えたよ。もちろん。一人のためにみんな
が死ぬのは、駄目だってね。でもさ、そうやって切り捨てられた奴からしたら、なんていう
かフェアじゃねえよな。
「考えたよ。けど、できないよ。あいつは良い奴だからさ、きっと俺を置いて先に行け、な
んて格好良いこと言うと思うんだ。それはやっぱり許せないよな。格好つけるのはさ。あん
なオナニー野郎にさ。見苦しく、みっともなく、俺たちと逃げ続けてもらわなくちゃ」
サヨリは、あはっ、と口元を押さえて笑った。鈴がなるみたいに。
「そうだね。でもしばらくはここにいることになりそうね。大丈夫かしら、敵の応援がやっ
てきやしないかしら?」
「わからない。でも、俺は運がいいから大丈夫だよ」
「そうね」
またサヨリは笑う。こうやって、心地良い会話を続けるのは簡単だ。けど、笑うサヨリを
見てると、ちょっと、いらないことまで言いたくなる。真っ正直で一所懸命で……俺はひね
くれてる。
「でも、そのために兵士を殺さないといけない。どうやってでも。そんなの許されるんだろ
うか?俺たちは逃げるために生きるために、もう二人も殺してる。看護士の卵としては、ど
う考える?」
「どんな理由があっても人を殺すのはいけない、ってよく言うけど、それはたぶん正しいこ
となんだろうけど、でも、わたしは生きたい。こんな状況になって気づくけど、わたしって
けっこう自分本位みたい。だって生きるためなら人を殺しても良いって思ってるもん。とっ
ても怖い考えだけど、でも、相手が殺す気でいる以上、生き残るためには、相手を殺すしか
ないって思う。死にたくないから殺すっていう単純な理由。逃げることを選らんだんだもの。
こうなったら、もう逃げることから「逃げられない」よね。どこまでも行くしかないと思う」
びっくりだ。強い女だ。さっきから、俺は頭の中でフラッシュバックしてる死人の映像に
引き金を引いてるってのに。こいつこそ銃を持つべきだ。覚悟を持った奴こそが……そうだ
な、俺だってまじで死にたくないから、引き金を引いてきた。だから、いいんだ、逃げるた
めだから、引き金を引くんだ。そのかわり、責任はとる。どういった形かはわからないけど、
俺は俺なりに責任を引き受けて逃げ続けよう。人殺しは駄目、絶対!でも殺されるのはもっ
と駄目なんだ。
4
納屋から出てきたシンジから短銃を預かり、サヨリに渡す。シンジは俺とサヨリの顔を見
て、わかった、と言った。短銃を持たされたサヨリは、行こう、と言って俺を見る。俺は肯
く。
例のクリーニング屋まで、こそこそと行く。付近にまだ敵がいるんじゃないかと警戒しな
がら、銃を構え近づく。兵士の死体はなく、血痕だけが残ってる。サヨリは口元押さえ、目
を見開き、その血だまりを凝視してる。目をそらさずに、現実って奴を見据えてる。
「もしかしたら、もう村を出てったかもしれないな。とにかく探してみよう」
そこかしこを歩き回る。汗が出てくるし、体中に力が入ってるせいで、肩がこってくる。
そしてガソリンスタンドまでやってきて、あのジープを見つける。
今度は用心して、道の反対側の民家からスタンドを覗いてる。ちょうど二階の部屋からス
タンドが見える。ジープはあるけど、敵の姿はない。灯りもついてない。スタンドの内部は
向かって左手にジープが背を向けて止まってて、真ん中くらいに給油機、そんで右側に大き
目の柱が二本縦列になってる。その背後には事務所みたいな建物。それにしてもジープって
目立つもんがあって、人がいないと不安になる。それにこうやって見張ってると、逆にどっ
かから見張られてるんじゃないかって思って、背後がやたら気になる。
「どうしようか?」
サヨリが耳元で囁く。
「探しにいくより、ここで張ってよう。必ず敵はここに戻ってくるはず」
「でも、納屋を見つけられたら……」
「大丈夫」
サヨリの言葉を遮る。あとは俺の運を信じてもらうしかない。ああ、神様。俺にさらなる
運をくれ!
どれくらい経ったんだろか、俺もサヨリも汗でぐっしょり。シャワー浴びてぇとか着替え
てぇとかって考えてると、兵士の姿が視界に入る。きょろきょろ辺りを見回して、ジープに
近づく。俺は音が立たないように窓を開ける。カーテンが外からの風で揺れる。兵士はジー
プを一周して、車の後ろに立ち、コンテナを開けようとする。そこで俺は引き金を引く。つ
られてサヨリも引き金を引く。弾は当たらず、俺のはコンテナの上部へ、サヨリのは地面へ。
兵士がこちらを向く。
「撃つのをやめるな、撃つんだサヨリ」
俺は続いて引き金を引く。兵士はたまらず車から離れ、柱の裏へ隠れる。俺とサヨリは銃
を構えたまま相手の出方をみる。瞬間、兵士が姿を見せ、こちらに銃弾を浴びせ、また隠れ
る。俺たちは床に伏せる。カーテンが破れ、部屋の電灯に銃弾が当たり破裂音がする。こっ
ちも応戦。柱のあたりに数発見舞う。膠着状態。俺にはすでに計画があったが、それを口に
出すのが怖い。俺はサヨリのことをすごい奴だと思ってるけど、実際人を殺せるのかってこ
とにはまだ不安がある。
「どうしよう?」
とサヨリ。いや、きっとこの女は人を殺せるんだ、と自分に言い聞かせる。
「いいか、サヨリ。俺はこのままこの部屋で威嚇を続ける。お前はその間に、相手の死角に
回って、あいつを殺すんだ。いいか、勝手口から出て、裏を回って、ジープを盾にして左手
側からスタンドに近づくんだ。あいつは今、こちらを気にしてる、ジープ側から近づけば、
気づかれはしない。いいか、ジープに隠れて、あいつが銃を撃つ音がしたら、事務所側から
出て行って、殺すんだ。できるな?」
「うん!」
サヨリは勢い良く部屋を出て行く。人を殺しに行くとは思えないほど、元気だ。
「さてと」
俺は柱へ向かって威嚇射撃をする。そして身をかがめる。少しして真上にかかってる、カ
ーテンが銃撃によってさらにズタボロになる。サヨリ、任せたぞ。そして一呼吸置いて、ま
た俺は威嚇射撃をする。
5
ヘッドショットされた兵士が、柱に寄りかかるようにして、死んでる。サヨリは銃を構え
たまま、動かない。俺は彼女の腕を下ろさせ、肩を叩く。
「助かったよ」
サヨリは無言。体は震えてる。俺はカリオストロの城のルパンさながら、サヨリを抱きし
めようとして、止める。これはあんまり、卑怯だ、と思う。でも、ここで何かしてやるのも、
男の役目だ、なんて時代錯誤なことを考える。
「死んだの?」
「ヘッドショットだからな、即死だろう。狙ったのか?」
「うん。苦しまないようにって」
「そうか。とにかく、ちょっとジープやらなんやらを調べて通信機器がないかを調べよう」
「うん」
サヨリは死体を見ている。どんな気分だい?自分の殺した死体を見るのは……なんて言う
のはさすがに悪趣味か。
ジープやら、事務所やら兵士の死体を調べても通信機器らしきものは見つからなかった。
なんか拍子抜け。てかそもそもこいつらなんでこんなとこで給油してたんだ?避難場所の基
地に近いっていうのに……そして嫌な予感。いや、待てもっとゆっくり考えてみるんだ。ま
だ、考える時間はあるはず……
ジープのコンテナを開けると、クリーニング屋で殺した兵士の死体と物資が入ってた。食
料やら何やら。パッと見ただけでよく探しはしなかったけれど。サヨリも俺もひどく疲れて
た。それに死体を見るのは嫌だった。自分がやったことを見せ付けられると、俺は最低な人
間だと、思わされる。いや、すでに堕ちるとこまで堕ちてんだろうけれど。
「帰ろうか。2,3日はここに留まることになるんだ。コンテナの調査はまた今度でもいい
だろ」
俺がそう言うと、サヨリは、そうだね、と言った。
帰り道、サヨリは俺のより一歩右後ろを歩いていた。手を振るとサヨリの左手に右手が触
れる。
「あ、ごめん」
と俺は言う。そしてまた手が触れる。そして、悪い、と俺が言う。それを何度か繰り返す
と、サヨリの手が俺の手を掴もうとしてきた、気がした。それでも俺は、ああ、悪い、と言
って右手をポケットに突っ込んだ。
あーあ、と俺は思う。びびってんのは俺だな。
続く
Ⅶ アミ―1
1
「どうしてシンジが戻ってくるの?」
「サヨリさんが行っちゃった」
シンジが納屋から出て行ってすぐに帰ってきたから、なんかそんな気はしてたけど、あー
あって感じ。カミカワは知らんフリで携帯いじってるし、サクラは爪の手入れをしてる。シ
ンジはipodか。しょうがないから、ケンジに話しかける。ケンジはどこからかとってきたシ
ーツの上に横になってる。
「ねえ、大丈夫?」
「ああ」
ケンジは額の上で腕を組んでる。何か考え事をしてるみたい。留守番は暇。誰かに話しか
けてないと、つまらない。
「敵ってどんな奴らだったの?」
「一人はガイジンで、一人は日本人かな。ガイジンの方はキョウジが殺した」
「そう。怖かった?」
「ああ」
「ねえ、何考えてるの?」
「ああ?」
「さっきからそればっかじゃん。暇なんだから話してよ」
「他の連中と喋っとけよ」
「みんな、なんか、駄目じゃん」
サクラは相変わらず爪の手入れ、カミカワは地面に横になり、携帯を胸の上において、ip
odを聴いてる。シンジもさっきと同じようにipodを聴いてる。
「ほらね」
ケンジが手を額の上から下ろして、上半身を起こした。
「いてて」
「あんまり動くと傷口開くよ」
「もう大丈夫だろ。キョウジとサヨリが行ったのか」
「うん」
「なんかキョウジばっかりがしんどいな」
「そうかな。なんか率先してやってるように見えるけど。ほら頼りになる感じじゃん。印象
変わったな、キョウジくん。もっと適当な人だと思ってたけど。やっぱり男ってこういう時
にやる人ってのがいいよね。ちょっと格好いいじゃん、最近」
「でもやっぱりしんどいよ。だって、人を、殺してるんだぜ」
あーあ、って感じ。やっぱりそんなとこなのかな。そりゃそうだよね。わたしらのために
人殺しさせてんだよね。
「仕方ないじゃん。わたしら人なんて殺せないもん。銃もないし」
「じゃあ、銃があれば殺せるのか?」
「そりゃ……まあ……わからないけど」
「ふん」
何よ!あんただって寝てるだけじゃん……なーんてね、ケンジの言いたいこともわかる。
でも、実際どうなんだろ、わたし、銃を持ったら人を殺しちゃうのかな。ぎりぎりになった
ら、もしかしたら……
「なあ、ちょっとさ、俺が今何したいか当ててみて」
「何よ、急に」
「いいからさ」
「うーん……お風呂入りたい」
「それ、お前がしたいことだろ」
「だってもう三日も入ってないのよ!信じられない。で、あんたがやりたいことって何よ?」
「オナニー」
「まじで、死ね。どうしてカミカワといいあんたといい、そんな最低なことしかでてこない
の?あーあ、ウチの弟もこのレベルなんだと思うと泣けてくる」
「ちょっと言ってみただけだって。そんなに怒るなよ」
「まじで、馬鹿」
そうやってケンジと馬鹿なこと言い合ってると、納屋の戸が開いた。キョウジとサヨリだ。
携帯を見たら、思ったよりもずっと時間は経ってた。二人が生きて帰ってきたってことは、
たぶん、兵士は死んだんだろう。別になんとも思わないわたしは、随分面の皮が厚い女みた
いだけど、みんなだって、同じ。もう生き延びるっきゃないって感じ。
2
サヨリは思ったより平気そうだった。すごーい、とわたしは思う。人を殺しちゃったら、
サヨリみたいに平然といられない。たぶん、頭がおかしくなっちゃう。キョウジくんが、ケ
ンジが歩けるようになるまで、ちょっとここに留まろうって提案した。別に全部キョウジく
んに任せてるから反対なんてしない。それよりお風呂入りたい、この村ならお湯沸かして、
体を洗うことができそう。サクラやサヨリにそのことを言ったら俄然、やる気。女の子を舐
めんじゃないわよって意気込み。どこでだって、どんな状況だって、身奇麗でいなくちゃ。
その夜は適当に家を見繕って、お泊り。大きな家だから、きっと、村の有力者のものなん
じゃないかなってみんな言ってた。まあ、とにかく、田舎は布団が多いっていうし、一安心。
風呂は狭い。しかもお湯はでない。ガスが止まってるから?いやいや、具合良く、ここは薪
で湯を沸かすタイプ。古いってことも、案外悪いことじゃない。文句垂れてるカミカワやシ
ンジにお願いして、湯を沸かしてもらった。まず女の子からね、って案には誰も反対しなか
った。当たり前じゃない。男の子たちが入った後なんて汚れやなんかで入れたもんじゃない。
風呂は気持ちいい。手足を伸ばせるほど広くはないけど、優しいお風呂。きっと薪だから
ね。鼻歌なんて歌ってると外から声がかかる。
「湯加減どうだ?」
ケンジの声。
「あんたその体で何やってんのよ~」
「いや~、せめてこんなことぐらいはしないとさ、動かなきゃいいんだし。薪つっこんで、
ふーふー吹くだけだからさ」
「そんなこと言って覗き目的なんじゃないの?」
「違うよ。こんなことでもやってねーと、俺がキョウジと一緒に行動してる意味ねーんだよ。
俺はあいつの支えになりにきたのに」
「え~なに、そんな関係だったの?きもーい」
「茶化すなよ」
「わかってるわよ」
わかってる。帰ってきてから、キョウジくんは様子がおかしい。いや、違う。きっとずっ
と前から、マンホールを抜けてから、先、キョウジくんは変だ。時折ぼんやりとしてたり、
顔色は良くないし……きっと、何かを考え続けてるんだろう。
お湯は少し熱くなってきた。
「ちょっと、熱くなってきたわよ」
「うるせー、加減が難しいんだ」
「馬鹿」
わたしもしっかりしなきゃ。ハタノじゃないけど、わたしだってクラス委員だったんだ。
ってもうそんなこと言ったって仕方ないけどね。でも、なんだか、責任がある気がするんだ。
わたしなりに。
3
風呂は俺たちがやったんだから、飯はお前らだ、ってカミカワが言うもんだから、サヨリ
とサクラとわたしはご飯の準備をすることになった。さすが田舎の家。米やら野菜やらがわ
んさと出てくる。本当なら広い縁側で夕涼みと決め込みたかったんだけど……
男どもがお風呂に入ってるあいだ、わたしたちはきゃーきゃー騒ぎながら、お料理。慣れ
ない釜での米炊き。水の分量もよくわかんないし、火加減も適当。たしか、なんか米を炊く
時の歌があった気がするけど、忘れちゃった。面倒な料理はできないから、昆布と味噌、そ
れにそこらにあった大根やら人参やらを一つ鍋で煮る。味噌鍋もといでかい味噌汁の出来上
がり。食えりゃいいのよ、とサヨリは言う。なんか、サヨリ、たくましくなった?
これまで、何度かみんなで食卓を囲んだけど、今日が一番にぎやか。あのキョウジくんも
軽口を叩いてるくらいだから、不思議なもんだ。こういうのがいい。暗いのはいや。
「明日はジープの探索にいくからさ、カミカワとシンジ、それにサヨリは付き合ってくれ」
キョウジくんが言うとカミカワは嫌そうに肯いてた、シンジとサヨリは、うん、と一言。
「すっかり戦力だな、サヨリちゃん」
隣で味噌汁すすってたケンジが小声で言う。わたしは怪我した方の太股を箸で刺す。
「悪かったわね、戦力外で」
「そういう意味でいったんじゃねえよ」
ケンジは足をさすりながら唇をとがらせた。
本当、悪かったわね。
4
男は一階、女は二階で就寝。ひさしぶりの布団!ゆっくりと寝よう。真ん中にわたし。左
にサクラ、右にサヨリ。サクラなんてすぐに寝ちゃった。しかも鼾たててる。こんなとこ、
男たちには見せられないわね。
なんだか寝付けなくて、しばらく暗闇を見てる。寝てたサヨリが体を起こす。そして大き
くため息をついて、また寝る。どうしたんだろう?それから何度もそれを繰り返すサヨリ。
さすがにほっとけない。
「どうしたの?」
別にサクラに気をつかったわけじゃないけど、小声で話しかける。どちらかといえばサヨ
リを気遣ってのこと。
「いや、今になって、ちょっと胸ドキドキしてる。ああ、わたしは人殺しになったんだなっ
て」
「うん」
わたしは何も言えない。
「手、握ろうか」
わたしはそれだけしか言えない。布団から手を出し、サヨリの布団に入れる。ひんやりと
冷たくて、でも柔らかくて、つるつるとした肌、小さい爪、可愛らしい、女の子の手。わた
しはその手を握る。
「ありがとう」
サヨリは照れてる。サヨリが手を握り返してくる。本当に冷たい手。微かに震えてる。
「ごめんね」
とサヨリは言う。そんなサヨリはとても可愛いと、わたしは思う。こんなにもサヨリは可
愛らしい、と。でも、そんなサヨリは、今日、人を殺した。
5
朝はゆっくり。誰も早起きしなかったおかげで、目を覚ましたのは10時過ぎだった。昨
夜の夕飯の残りをみんなで食べて、すぐさま、キョウジくんたちは出発。サクラとわたしは
布団を片付けたり、食器を洗ったり。ケンジは怪我をした足を縁側に垂らして、庭を眺めて
た。
「寂しいんでしょ」
わたしが布団を畳みながら――男の子たちは縁側のすぐ傍で寝たみたいだ――声をかける。
「オナニーしたいんだよ」
とケンジが言う。
「わたしの裸で妄想したんじゃないの?」
「見てねえよ」
「今度見せてあげようか」
ケンジがこちらを見る。
「こっちも見せてやろうか」
「何を?」
「ナニを」
わたしは枕をケンジの顔面に投げつける。ケンジはそのまま仰向けになって倒れる。
「ありがとう」
とケンジが言う。
「うん」
とわたしは言う。ケンジの気持ちはよくわかるよ、と言ってやりたい衝動に駆られる。で
も言わない。わたしにはまだ、そんなことは、言えない。
続く
Ⅷ ケンジ―1
1
俺はもう大丈夫だって言ってんのに、最低でも二日ってキョウジは言う。いっそ置いてい
ってくれたらカッコくらいはつくのに、って思うが、キョウジとはガキの頃から一緒だから、
もう縁も腐れてて、一周まわって、はいこんにちはってくらいなもんだ。
2
今の俺のチンコのベクトルは完全にアミに向いてる。なんだか、俺の苦手なタイプなのに
――俺はおしとやかなタイプが好きだ――不思議なもんだ。今アミは俺の脚の包帯の交換を
してくれてる。実際、暴れん坊の息子を諫めるのに必死……ちけーんだよ、手が!
3
キョウジ、シンジ、そんでサヨリは出かけてる。ジープの探索だそうだ。通信機なんてみ
つからねーでほしい。応援が来たら俺たちは死ぬ。
死ぬ。
死ぬって言葉がずいぶん重くなった気がする、俺の中で。前は些細なことで、死ねや、な
なんて言ってたけど、マジで死んでくやつらを見ると、なんだかなぁ、って思う。マジで人
って死ぬんですね、知ってたけど。
4
カミカワは縁側でごろ寝。携帯だけは話さず、時折いじってるのを見る。電波なんかねー
よ。つーか、電波あってもこの山奥じゃ無理だっつーの。圏外だ馬鹿野郎。
5
サクラは近くの家々を回って使えるもんがないか見てくるって。さすがのサクラもなんか
してねーと、みんなに悪いって思ってるみたいだ。あんな我儘娘がこうも変わるなんて!
実際みんな変わったよな。キョウジはシリアスなまんまで通してるし――もっと柔らかい
奴なんだ、ホントは!――シンジなんてえらい楽しそうに、行動してる。サヨリちゃんはタ
フになった。アミは可愛くなった――俺のチンコのベクトルはしばらく向きを変えそうにな
い――カミカワは……相変わらず軟弱だ……いや、ちょっと元気ないかな。
6
包帯換えられて、大人しくしとけって言われた。アミは昼飯の準備をするって言ってた。
なんか俺だけなんもしてねーって気がする。文化祭の準備に乗り遅れたマヌケって気がする。
実際、クラスのアウトロー連中は文化祭の手伝いなんてやらねーけど、ちょっと羨ましそう
に見てたりする。意地はらねーで一緒にやろうぜ!って言ってやるほどさわやかな奴はこの
世にはいない。
つっても、文化祭なんてこれまでまともに参加したことはない。俺はキョウジと二人アウ
トローだったからさ。
7
サクラが腕いっぱいに野菜抱えてきたのを見て吹き出した。大根の葉っぱなんかがびっち
り化粧した顔なんかかかってて、泥が頬についてたりしてて、笑えた。ごろ寝してたカミカ
ワがたたき起こされて、救援に向かう。尻にひかれてるカミカワ。笑える。
8
昼の二時を過ぎて、キョウジたちが帰ってきた。首尾は?
「通信機は見当たらなかった。兵士の死体に短い範囲にだけ通じるトランシーバーがあった
だけだ」
「よかったじゃないか。応援呼ばれてなくて」
「いや、最悪だ」
サヨリは昼飯作りの手伝いに、台所へ。シンジは居間で大の字になり、ipod聴いてる。キ
ョウジは俺の横に座り肩にかけてた二挺の銃を畳の上におろした。
「一挺はお前のだ」
俺はなんだか、もう、嬉しかった。
9
遅い昼飯。昨夜とメニューが変わってないのは、単純に女どもの腕のせいだろうって俺は
睨んでる。だけど、食えりゃ一緒か、なんて口にも出せない。馬鹿話に花が咲く。昼休みの
教室みたいだ。飯を食い終わっても話しは続いてる。カミカワの恋愛観について鋭い意見が
飛び交う。当のカミカワはへらへら笑って受け流してる。女どもは攻撃に必死。シンジは笑
ってる。キョウジは静観。
10
飯の片づけが終わって、キョウジの話しが始まる。最悪だと言った言葉の意味を、俺たち
は知ることになる。
11
「これはあくまで予測だから。本当かどうかは確かめようがない。つーかちょっと前くらい
から気になってたんだ。どうして、俺たちの行く道には大して敵がいないんだろうってさ。
だっておかしいだろう?福神付近に敵は陣取ってる「はず」なんだ。だからさ、外からの侵
入をもっと警戒するってのが普通だ。それなのに、検問すら、ナシ。出会った兵士たちは少
人数で動いてるし、通信機すらない。それなのにこんな人里離れた山村で給油してる。なん
かおかしい。たぶん、前提がおかしい。福神一帯を占拠してるって前提が。ラジオで読み上
げられた避難場所を考えても、かなり広範囲ってことはわかってたけど、それでも地方レベ
ルだ。九州、そんで中国地方西辺り。避難場所はここらの場所を呼んでた。だから俺たちは
ここら一帯だけの話しで、遠くは安心だろうって考えてた。でももしかしたら違うんじゃね
えかって俺は思う。ほら、避難場所がさ、消えてったろ。放送のさ。もしかして呼ばれなか
った地方。中国地方より東は全部、安全じゃなくなってたんじゃないかな」
「そんな!」
アミが叫ぶ。俺だって信じられない。
「だから、これはあくまで予測だって。予測なんて外れるもんなんだから。そんで話しはも
うちょい続く。ラジオを信じるとして、避難場所はいくつかあった。あーそうだ、最近ラジ
オ聴いてなかったな。ちょっと聴いてみよう。
その言葉に反応して、シンジがラジオを車座になってるみんなの中心に置く。
放送は前と同じ。でも、読み上げられる数が格段に減ってる。半分、いやもっと少ない。
俺たちが向かって基地があったのが幸い。それでも、不安になる。
「減ってるな。うん、だからさ、俺が言いたいのは、やつら、警戒する地域を絞ってんだ。
この読み上げられた場所以外は全て、敵の手に落ちてるってことなんだよ。だから、警戒す
る必要がないんだ。避難場所の周りだけを囲んでりゃいいわけだからね。もちろん俺たちみ
たいなイレギュラーがいないわけじゃないと思う。けど、俺たちは運が良かっただけで、本
当ならサノやハタノが選んだみたいに、どっか安全なところに引っ込んでるわけだ。奴らか
らしたらそんな連中相手にしなくてもいい。優先順位は低い。綺麗に掃除をすんのは、もっ
と後でもかまわないってわけ。そうなると、ここからが問題。これまで俺たちは福神から離
れれば離れるほど安全だと思ってた。でも、もし、俺の予測が正しかったら、これから向か
う基地は敵に包囲されるなりなんなりされてんじゃねえかな?もちろん避難放送が出ている
以上、基地内には入れる可能性はあるし、安全だって言えるかもしれない。でも、ラジオで
呼ばれる避難場所は確実に減っていってる。それだけが、今、俺たちが得られるもっとも確
かな情報なんだ……」
キョウジが話すを止める。みんな俯いてる。俺も、だいぶ、テンションが下がってる。こ
こまで来たのに八方塞がりってのが面白くない。所詮ここまでなのか?
「ねえ、どうするの?」
サクラが言う。
「うん。情報が足りないんだ。ぜんぜん。だから、やっぱり、当初の目的だった基地へ向か
う。もちろん最大限に用心して。夜以外は基本、行動しないことにする。そんで基地へ逃げ
込めたら御の字。無理だったら別の方法を探る。とにかく、基地の近くまで行けば、情報は
手に入ると思うんだ」
キョウジの言葉にサクラが反論。
「ここにずっといればいいじゃない。少なくとも安全なんでしょ?」
キョウジは、ふぅ、と息を吐く。そして、言う。
「兵士を二人殺してんだ。コンテナの中は物資だった。物資が届かないってことは何かあっ
たってことだ」
みんな黙る。そうなんだ、俺たちは、もう、敵を殺してる。
12
「トランシーバー持ってきたんだ」
俺の横でシンジが兵士の死体からとってきたって言うトランシーバーをいじってた。キョ
ウジの話しのあと、それぞれが暗い顔で、風呂にいったり、飯の片づけをしたりしてた。俺
は安静を言い渡されてるから、縁側で外を見てた。シンジは俺の横に寝そべってる。
「うん。相手の話聴けるかなって思って。でも無理みたいだ。もっと近づかないと」
「そんじゃ近づいたら役に立つじゃないか」
「それほど近づくことになったら、どうんだろうね」
「う~ん」
シンジはイヤホンをはめて目を閉じた。こいつ、何をいつも聴いてんだろう?
13
傷はまだ痛むけど、歩けないってほどじゃない。無理して歩くと治りが遅くなるよ、って
サヨリに言われた。みんな心配しすぎだ。そんなに重い怪我じゃない。
傍らに、キョウジに渡された銃が置いてある。これ以外にもう一挺持ってきたみたいだ。
そいつはサヨリが持ってる。サヨリが持ってた短銃はシンジが持つことになったみたいだ。
銃身をさすってみる。おもちゃみてーだなって思う。
14
夕方になって、どこから持ってきたか知らないが、花火が始まった。庭が広いのが幸い。
さながら田舎の祖父母の家に泊まりに来た大所帯の親族連中といった光景。カミカワが両手
持って振り回してる。女たちから、危ないでしょ、って文句言われてる。
キョウジが俺の隣に座る。
「縁側って涼しいよな。なんだかさ。日本の家ってこういうとこが良いよな。まあ、田舎限
定だけど」
手には線香花火。
「やるか?」
「おう」
俺とキョウジは何本も何本も火をつけては、火の種が地面に落ちるのを見てる。
「お前、どうしたい?」
そう言ってキョウジは種の落ちた線香花火を庭へ放る。
「お前に任せる」
「それでいいのか?」
「いい」
「どうして?」
「腐れ縁だから」
「そんなことで命懸けられんのかよ」
キョウジの声には怒気がこもってる。
「懸けられる」
「どうしてだよ?」
俺は最後の線香花火に火をつける。さっさと落ちてしまえって思う。辛気臭いんだよ、馬
鹿ヤロー。
「腐れ縁以外にすがるもんがねー」
……
「あと、オナニー」
キョウジは俺の頭を殴る。優しい殴打。
「アホか」
キョウジは庭に降りて、馬鹿騒ぎしてる輪へ近づいていく。
15
またアミの風呂当番。そ知らぬ顔をして竹のふいごで薪を燃してる。
「良い湯加減よ」
ちゃぷん、と湯のはねる音がする。腕が湯につかったのか、それとも出たのか。体を動か
した拍子か?それとも熱いからって足を外に投げ出した感じか?妄想は膨らむ。
「なあ、昨日の話だけど」
「なあに?」
「裸見せてくれるってやつ」
「ああ」
また、ちゃぽん、っていう。
「どうなの?」
「阿呆」
「うん、知ってる」
俺は息を吹き込むのに力を入れる。ゴウゴウと薪が赤くなる。もっと燃えろ。もっとだ。
そんでもっと熱くなって、あいつのケツを火傷させちまえ。
風呂から上がったアミから、あんた湯加減調整すんの下手だね、と言われた。シャンプー
の良い匂いと、濡れた髪の毛……俺は勃起した……あ~あ。
続く
Ⅸ カミカワ―2
1
だらだらやんのは俺のもっとも得意とするところで、この村で、しかもこんなでかい家で
何をするでもなく、ごろごろしてんのは最高だって思うんだけど、昨夜のキョウジの話のお
かげで、どいつもこいつも暗い顔ぶらさげで、どこかしこ忙しいフリして歩き回ってる。ご
ろごろすんのをうまくこなしてんのは俺とシンジだけ。シンジのやつはずっと同じ体勢で音
楽を聴いてる。ごろごろ仲間っておもいたいとこだけど、俺はこいつが苦手。みんなキョウ
ジが一番切れてるって思ってるみたいだけど、俺はこいつが一番危ないって思う。なんだか
うまく言えないんだけど、得体の知れないところがあって、みんなを見透かしてるっていう
か、見下してるって言うか、素直、純真を装って、全てを牛耳ってるような、なんつーか純
粋な悪って感じがする。
ま、今んとこは猫被ってるけどな。
別にどうだっていいんだ。俺に被害がなけりゃ。
ケンジがのそのそやってきた。怪我して大して動けないもんだから、つまんなそうにして
る。俺の隣に座って話しかけてくる。俺がイヤホンつけてんの気づいてるくせに!邪魔すん
な。
「なー、死んだ二人の兵士に墓を作ってやったってさ。昨日埋めたんだそうだ。さっきキョ
ウジから聞いたわ。なんかそういうとこ、俺たち律儀だよな。日本人つーの?死んだやつは
もう敵じゃないっていうかさ。そういうのって、こういう状況じゃ大切なことだよな」
知らねーよ。そんなことで話しかけてくんじゃねー。どっちだっていいんだ。そいつらが
死のうが、この村に墓を作ろうが、俺には関係ねーし。
「なー、聞いてんのかよ、カミカワ。そんでさ、俺思ったんだけど、これから先、もし俺が
殺しをやったらそいつに墓を作ってやんなきゃなんねーなって思うんだ。礼儀っつーのかな。
俺たちが生きるために殺したんだからさ。なーお前はどうする?お前だってこの先人を殺す
かもしんねーだろ?」
俺は雑音にたまりかねて、イヤホンを外す。
「殺さねーかな。ケツまくって逃げんのが一番だろ」
「でも、俺たち、これからも敵に会うぜ」
「会ったら逃げればいいんだ」
「そうもいかねー時が来んだよ」
「俺には来ない」
「あ、そ」
ケンジはのろのろと立ち上がってどっかへ行っちまった。
殺す?俺が?ふざけんな。そういうのは、お前らに任すよ。
2
ケンジの怪我の治りがいいってんで、今夜出発することになった。俺からしたら、ずっと
ここにいてもいいんだが、そういうわけにもいかないってことは俺にだってわかる。ちょっ
と危ない状況ってことだ。いつぞろぞろと敵が列つくってやってくるかもしれない。出発が
早まったおかげで、いろいろと準備が必要になった。コンビニからもってきた缶詰類もちょ
っと減ってたし――そのほとんどをケンジのやつが隠れて食ったってことはみんな知ってた
――せっかく村っていう最高の倉庫があるんだから、持てるもんは持っていこうってことに
なった。そんで適当に家捜し。あるわあるわで、みんな本当に適当に物を持ってくるもんだ
から持ちきれないくらいになっちゃって、それを置いていくかで小一時間悩むはめになっち
ゃって、そうこうやってるうちに日が暮れて出発の時間。騒がしく、村を出て行く。後は山
を一つ越えたら、目的の場所へあと100キロってとこ。一つ目の山と違って、今度の山は
ガチ。道だってないだろうし、キョウジが相当用心してるみたいで、一番きつい、誰も通る
と思わないような道を選んでた。
村を抜けるとすぐに山。俺は携帯を見る。圏外って文字が出てる。彼女からのメールは届
かない。
3
無言で歩いているといろんなことを考えるもんだ。いろんなつってもほとんどは彼女のこ
と。いまだ、抱いていない、可愛らしいあの子。こんな苦労を乗り越えて、彼女を抱くって
考えると、脳から変な分泌液が出始めて、頭ん中で光がばんばん爆発して、天上からの壮麗
な音楽が鳴り始めて――最高級の交響曲――意識がどっかいっちまいそうになるんだけど、
まあ、お楽しみはとっておこうって気持ちが歯止めになって、俺はにやにやしながらも、何
とか生き延びようって気になる。
二時間も歩いても、まだ同じようなとこを歩いてるみたいに、景色が変わらない。黒塗り
の林。足が疲れてきてて、ちょっと休憩って言いたいくらい。ようやくなだらかなとこがあ
って、キョウジが休憩をとろうって言った。みんな大きく息を吐いて、その場に座り込む。
夜の山道は相当きつい。足元に気をつけないと石ころやら雑草、枯れ木なんかに足をとられ
てこけそうになるし、かといって前をみてないと、垂れ下がったいじわるな枝におでこを引
っかかれたりする。
携帯をいじってると、電池がもうないって具合に、画面の左上電池マークが点滅してる。
どうしよう、って普段ならびびるとこだけど、ぬかりはない。コンビニを荒らした時に、簡
易充電器をくすねてきた。もちろんそれ用の電池もどっさり。我ながら準備がいいって思う。
さっそく充電を始める。ピロリロンって音が闇に響く。間抜けな音だ。ちっ、って舌打ちが
どっかから聞こえる。誰かはわからない。闇が濃い。あーあ、俺って浮いてんな、と思う。
いつだって俺はちょっと浮いてんだ。軽いから。誰よりも身軽だから。縛られないから。
俺と付き合ってきた女たちは俺を束縛しようとした。でも無理だ。俺は軽いから。浮いてる
から。それで振られるってわけ。知ってる。良く知ってる。俺がこのメンバーの中で浮いて
てちょっとうざがられてるってこと。それでもいいさ。俺はお前らより5センチだけ、浮い
てる。宙にふらふらと浮いてて、揺れてる。
「充電器つけた時の音って間抜だよねぇ」
誰も喋らないのに、こいつ、シンジはそんなことを言う。やっぱりこいつは怖い。狙って
やってる。
4
またぞろ歩き始める。先は見えない。一列で登ってるから、前の奴の背中しか見えない。
俺の前を、サクラが歩いてる。美人で馬鹿って典型的な女。俺の後ろはアミ。しっかり者の
仕切り屋タイプ。俺の苦手なタイプ。でも、弟の性癖を気にしてる可愛いとこもある奴。ち
ょっと思い出し笑い。
「何笑ってんのよ」
アミが後ろから俺の背中を突く。
「お前のこと考えてた」
「え?なんで?」
「色々考えたんだけど、お前の弟、ありゃ良い趣味してるわ」
「どういう意味?」
「変態ってことだよ」
「うるさい!」
アミは俺の背中を叩く。うるせーのはてめーだ。ところでオナニーはしてんのかよ?俺に
教えてくれよ。
ようやく山の頂上っぽいとこへ到着。つってもすぐに下り坂になってるから、頂上の余韻
に浸ってる暇はない。休憩するにしても手狭だし、さっさと降り始める俺たち。
気のせいかもしれないけど、林の先に光が見える気がする。月じゃないのはわかる。そい
つは俺たちの真上。星かなって思っただけど違った。林の切れ間で、それが目的の街から発
せられてるってのがわかった。どうしてだろうな、こんなわかりやすい光を見ると、疑いた
くなる。誘蛾灯に群がる蛾みてーに騙されてんじゃねーのかって思う。みんなそう思ったら
しくて、歩みが止まった。
「とにかくわかりやすい目標があってよかった」
キョウジが言う。わかりやすい目標……ね。
「蟻地獄かも」
シンジの言葉に、誰も、反論できない。
5
くだるくだる。どこまでもくだる。地獄の底のその先まで降りてってる感じ。そういや、
授業で習ったっけ。大昔の阿呆が、地獄に下りてく話。男は始めに門をくぐるんだ。『この
門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』って銘うたれてる門を。なんか、嫌なイメージだ。た
だ、こうやって、生き抜こう生き抜こうって考えてると、一切の絶望を捨てて希望にすがる
ことだけを考えるようになる。絶望と希望の差ってなんだっけ?絶望は俺のお気に入りの快
楽のスパイスだし、希望は女の子の股の先にあるし……じゃあなにが一番かっていうと、絶
望の先にある、あの子の股の先にあるものが一番尊いってこと!
くだる道は終わらない。光は、林にのまれて、消えた。
続く
Ⅹ キョウジ―5
1
山をくだりきったのは夜明け過ぎ。みんな消耗してて口もきけないくらい。俺だって疲れ
てて――実は山をくだるあいだ頭ん中では引き金を引きっぱなしだった――へとへとになっ
てた。とにもかくにも、どっかで休もうってことになった。このまま陽が昇ってけば、この
人数じゃ目立っちゃうし、夜以外は行動しないって決めたんだから、隠れることを優先しよ
うって。
山裾から手近な民家までだいぶある。長い県道の沿いには馬鹿みたいに畑が広がってる。
実際、こんなに広い畑を耕してる物好きがいるんだと思うと眩暈がする。身を隠すとこなん
て一つもない。とにかく俺たちは急いだ。持てる力を振りしぼった。いつ敵が現れて俺たち
に銃を向けるかわからないってことが、俺たちに最後の力を出させてた。
長い県道を抜けて、民家がまばらに建ってるあたりに近づいた。どこでもいいだろって俺
が言うと、みんな文句も言わずに――いつもならカミカワあたりがでかい家って言うとこだ
けど、だんまり――ついてきた。
くそおんぼろな家に飛び込んで一息つく。みんな狭い居間に集まって――今はまじで汚く
て、タバコの焦げた後がたくさんついてる布団とかカップラーメンのラップとか丸めたティ
ッシュとか、とにかく男やもめを彷彿とさせるカオス――それぞれ横になる。眠たいし、体
を動かしたくないって感じ。
「一眠りしよう」
俺の提案も聞かずに眠りだす連中。俺一人、地図とにらめっこ。なんか変な臭いがするっ
て思ったら、部屋の隅でねずみが死んでた。地図を見る。ここから基地まで後100キロな
いくらい。基地は今いる場所の反対側。こっから数十キロいくと町の中心――門屋って町。
海に近く、ここらの交通、流通の要所――そんでさらに数十キロでゴール。しんどいって俺
は思う。さすがに良い案が浮かばない。海が近いこともあって町は海を中心に半円形になっ
てる。基地だって海のすぐ傍。どこかしこも見通しが良すぎる。町の中心に建物が密集して
て隠れやすいって思うけど、それは直径1キロほどしかない。そこ以外はでかい道路に、ひ
らけた大地。絶望。ここまでなんとかかんとかやってきたけど、そろそろ俺の虚勢も限界。
頭ん中は薬莢でいっぱいになってるし、体中が筋肉痛。あーああの村に戻りてーなんて、カ
ミカワみてーなこと言っちゃいそうになる。
実際、俺のはったりでここまでやってきて、みんなが生き延びるために俺に従ってる。従
順な駒、とまでは言わないけど、あのお嬢様気質のサクラでさえ文句言わず動いてるところ
を見ると、俺のはったりは相当効果をあげてるみたい。俺の論理言動は妄想を根拠にできて
る。もちろんそれなりの説得力を持たすために情報は利用するけど、所詮、はったりだ。思
うに作戦とか計画ってのは、全部、一人の大嘘つきの妄想なんじゃねえかな?
さて、と俺は地図を投げる。寝るか。俺も限界。引き金を引く。カチリ。カチリ。カチリ
……
2
目を覚ますと都合よく夕暮れ。シンジだけまだ寝てた。ほかの連中は申し合わせてたみた
いに同時に上半身を起こした。
「あー化粧落とすの忘れてた」
サクラの素っ頓狂な言葉に、みんな苦笑。シンジはみんなの笑い声で目を覚ました。
さーどーする?ノルカソルカ。
「最後の賭けってところだな。これ以上は本当に、運の問題。地図を見てくれ。どうだ、こ
の隠れるところもなんもない地形。距離。状況。こっから先は、神様が俺をどこまで生かし
てくれるかってことが問題。運だよ……でも、ここまで俺は生き延びた……行くか?」
「行こうよ」
シンジの声は大きい。そんなに大声出して恥ずかしい、って俺は思う。そして、気恥ずか
しい文句を臆面もなく吐き出した、俺はもっとみっともない。
みんな覚悟した顔になってる。ここまできたら、って顔。その割にはこそこそゴキブリみ
たいに、俺たちは進む。身を屈めて、地面を舐めるみたいに。生き延びれるなら、ゴキブリ
でもいいやって俺は思った。やばい、聞き逃して神様、生まれ変わってゴキブリってのは嫌
だから。
茂みなんか盾にしながら、俺たちは進む。あたりはとても静か。兵士なんかいないんじゃ
ないのって思っちまう。みんなの息遣いだけが聞こえてくる。
畑のど真ん中でちょっと休憩。土の柔らかさに身をゆだねる。こうやって寝そべれば、遠
めからじゃちょっとわからない。空には一筋の光線。誘蛾灯。目的地への標。
「足、大丈夫か?」
俺がケンジに尋ねると、奴は右腕を上げて、親指を突き立てる。きっととても痛いんだろ
う。傷口がちょっと開いたりして、血が出てるのかもしれない。傷がよくなったなんて、嘘
だ。俺を、俺たちを安心させるための。きっとみんな気づいてた。でも無理しないでもうち
ょっと休もうよ、なんて誰も言わない。ケンジへの気遣いなんかじゃない。あの村に留まる
ことが怖かったからだ。嘘でも、自分を信じさせようって思ってたんだ。自分の身が可愛か
ったんだ!俺も。ケンジは良い奴だ。俺や俺たちは悪い奴だ……なんてね。みんな精一杯。
誰もが誰も攻められない。追い詰められてる間隔。逃げ続けると、一つところに留まること
を恐れるようになる、それ。
ケンジ、すまん。
3
またゴキブリ移動。まだ10キロも進んでない。時刻は午前0時。少しずつ町に近づいて
る気がする。景色が変わってきた。俺はゴキブリ移動を止める。みんな足を止める。
「大丈夫だ。俺たちは運がいい。走ろう。突っ走ろう。俺たちはツイテルんだ」
半ばやけっぱちの疾走。もうどうにでもなれって気分。思わず笑い出しそうなのを堪えて
る。たぶんみんな同じだろう。走っては地面に大の字になる。起き上がってまた走る。いつ
の間にか俺たちは、あの、広い県道を走ってる。
モノが増えてきた。家や店。ちょっと止まって、俺たちはコンビニ入る。もうガラスなん
てガンガン割る。音なんてお構いなし。目に余る暴挙も、やけっぱちになってたら、気にも
ならない。
「敵なんていねーじゃねーの?」
とカミカワ。味方もいねーよって俺は思う。静か過ぎる。やけっぱちに引き金を引いてた
頭の中も、無茶な徒競走のおかげで、少し落ち着いてきた。
「もしかしたら、基地周りを囲んでるんじゃねえの?それ以外は気にしてないとか」
ケンジの言葉。本当にそうなのだろうか?ただ一つ確実なのは、味方がこの町の主導権を
握ってる可能性はゼロってこと。
「夜が明けるね」
サヨリが割れたガラスの破片を拾い上げる。サヨリの白い指先に鈍色のガラスは映える。
「夜が明けてもいいさ。進もう。こっからは運の勝負なんだ。昼夜問わずだよ」
シンジが興奮気味に言う。俺は考え込む。さて、どうするか。引き金、カチリ。逃げる姿
勢。それだけは、譲れない。行く。行くか。ここまで来たんだ……
『みなさん落ち着いてください……』
シンジがラジオをつけたみたいだ。そして、冷や水をぶっかけられたみたいに、俺は、身
震いをする。思考が明晰さを取り戻す。そしてため息をつき、自分たちは、もう、蟻地獄に
いるってことに気づく。
4
前提が間違ってるってことまで気がついてたのに、簡単なことを見落としてた。なんて馬
鹿な俺。仮に、日本のほとんどが奴らに征服されてたなら、それほど大規模な作戦なら、一
番につぶすのはどこだ?携帯が使えなくなってどれくらいたつ?テレビがつかないのはどう
してだ?そうなんだ。奴らはメディアからつぶした。当然だ、俺でもそうする。それなのに
どうして俺たちは、ラジオを聴いてるんだ?ラジオの情報をあてにする理由は?そもそも、
どうしてラジオが流れてる?
無性に腹立たしい。今すぐに銃を乱射して、馬鹿な俺を撃ち殺してやりたい。
ラジオで偽の情報を流す。なんてベタなやり方にはめられたんだ!くそったれ。山の電波
塔、ありゃラジオ塔だったんじゃねえのか?そんなことより、国が完全に乗っ取られてるか
もしれないってのに、政府が防災放送なんて、流してるわけねえだろう。馬鹿か、俺は。
いろんな可能性を話し合ってる、みんなに、俺が被った冷や水をぶっかける。笑みなんて
一発で消える。サクラなんてちょっと涙ぐんでる。
しばらく無言。
「でもさ、まだ、逃げられるじゃない。わたしたち」
サヨリ。お前は、最高の女だ。その通りだ。意気消沈してる暇があったら、ケツまくって
逃げちまえばいい。だがどこへ?
「キョウジ、どうする?」
ケンジが俺に意見を求める。みんなが俺に意見を求めてる。シンジが口の端を上げて、静
かに笑ってる。見透かしてる。求めてる。俺がカリスマであり続けること。知ってる。シン
ジは俺が大嘘つきだってことを。
そこへ、車のエンジン音。みんな、目を見開く。終わりを見てるみたいに。
「誰かいるのか?」
俺は銃を手に取る。必ず、俺は生き延びる。殺す。殺す。殺されない。
5
絶対にボクサーパンツにシミが増えたなって俺は思う。ジープの荷台は揺れる。横並びに
なってるみんなの顔は、泣き笑い。自衛隊の男がみんなにアンパンをくばる。
「運が良かったって言うべきだな。奴らが君たちや私たちみたいなしぶとい連中を見くびっ
てたんだ。餌に群がる獲物だけに気をとられすぎた。ジープで移動したって、敵一人出てき
やしない。私たちも驚いたよ。と、同時に、絶望した。この国は終わったんだなって」
男はタバコに火をつける。たぶん30代中ごろ。二等陸尉って言ってたけど、どのくらい
の階級なのかわからない。運転席にいる奴はもっと若かった。たぶん20代。
「聞きたいことはたくさんあるだろうけど、ちょっと待ってくれ。進みながら、ゆっくりと
話そう」
「どこへ向かうんですか?」
俺が尋ねると、男はタバコの煙を天井に吹きつけた。
「最後の可能性さ。たぶん、この国最後の逃げ場所」
男の言葉には、諦念が感じられた。
あぁ、と俺は思う。俺たちはまだ逃げられるんだ……
それは、純粋に、喜び。
続く