病院のベッド。頬の痩けた蒼白い顔をした男が眠っている。病室の引き戸が開いた。静かに。中の男を気遣ってのことだろう。
女の手には花の挿された花瓶が。微かに甘い香りが部屋の中に広がった。女はそれを棚の上におくと、ベッド脇の丸椅子に座った。
眠っている男の顔を見つめる。少し不安そうな表情で。男に顔を近づける。口からもれる吐息と胸の上下を確認すると優しい顔で笑う。
夫婦か、恋人か、友人か、それとも他人なのかもしれない。どうだとしても特別な仲なのだと思う。
しばらくの間、女は男を見つめていた。そのうちに男の目がゆっくりと開く。
「起こしちゃった……かな」
彼女は目を覚ました彼に微笑みかける。男は首を横に振ってそれを否定した。
「いつから?」
「つい今、ね」
男の問い掛けに女はそう答えた。深い意味はなかったようで彼は小さく頷いた。
他愛もない話をする。その時間が幸福で、そのことが逆に女を不安にさせた。
話をしていれば男の瞳がどうしても目に映る。爛々としているのに力がなくて、最後を思わせる。
「どうかした?」
彼の声に女は少し肩をふるわせた。
「疲れてるんじゃない? 大丈夫?」
自分を心配してくれる男。女はうつむいて、か細い声で謝った。男は優しい笑顔を彼女に向けるだけだった。
「さっき夢を見たんだ」
男は話し始めた。
「女の人が、綺麗な女の人が目の前にいるんだ」
女は男の方に顔を向け直した。
「それで訊くんだよ。生きる代わりにこれまでの記憶を失うか、死んでも生きていた時の記憶を失わないか。好きなほうを選べって。そういう権利があるんだって」
「それでどう答えたの?」
女にとって嫌な質問だった。どちらをとったとしても男は遠いところにいってしまう。
「逆に訊くけど、どうする?」
男は彼女の質問に答える前に、問い返した。
彼女は頭をひねる。長かったのか、短かったのかわからないだけの時間をかけて。つむっていた目を開いて、女が口を開きかけた時に、男の手がそれを制止した。
女は不思議そうな顔を向けた。
「やっぱりいいや。聞かない。だから答えないよ」
「何それ?」
子供みたいな理屈をこねる彼に思わず笑ってしまう。
「もうちょっと考えてよ。その時がくるまで さ」
男は遠くを見て言う。
「僕ももう少し考えるからさ」