Neetel Inside 文芸新都
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ダブルラリアット
その1

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ダブルラリアット




 心地の良い店だなと思った。

 僕たちの通う高校から自転車で十分程の場所に位置するファミリーレストラン。前々から店の存在を知ってはいたが、入った事はなかった。もっとも、ファミリーレストランなんてものはどこにも存在する物なのだから、わざわざ家と反対方向にある店に、わざわざ下校時に寄り道して行く事なんてないのだけれど。だけど今日、こうして真山に誘われてこの店に来て正解だったと僕は思った。

 立地条件はそんなに良い方ではない。道路から少し入った住宅地の中にポツンと構えているその店は、いくら毎年黒字経営をしている企業が経営しているチェーン店といえども、作戦ミスであろう。それは数年前、そしてさらに数年前に同じ場所に経営されていた別の店が栄える事もなく滅びるように潰れた事を見ても明らかだし、現に今店にいるのは外回りを終え一休みついている三十代のサラリーマン風の男の二人組と、二十代のカップルらしき男女、そして僕達の三組だけだった。

 そして僕にとって客の少ないは好都合で―――もちろん、店にとっては死活問題に関わる程不都合だが―――前に立っていた店が大きすぎたせいでテーブルとテーブルの間隔が他のファミリーレストランに比べて広いのとあいまって、たくさんの静寂と、他人の何を言っているのかを聞きとれないノイズと読んでもいい程の会話音を醸し出し、前途した通り、心地の良い空間を醸し出していた。

「中学の時、格好良くて、運動も出来て、すごく勉強のできる奴がいたんだよ」

 と、四人用のテーブル席で僕の向かい側に座っていた森田が言いだした。少し面長な所はあるが、僕の目に狂いが無ければ彼はクラスでも中々格好いい側の人間だと思う。

 そして僕の記憶に間違いが無ければ、背が高く明るい彼は男女問わず人気がある。

 彼も僕と同じで、真山に誘われてこのファミレスについてきた。暇だという理由で。特に意味はないのだ。「なら、何か食べに行かないか?」という真山の一言に同意した僕達はついてきただけ。

「そいつは明るくて空気も読めてっと、こう言ったら完璧人間のように聞こえるんだけど、本当に完璧人間みたいなやつだったんだ」

「へえ」と、森田の隣に座る真山が相槌を打った。縮毛強制だとわかる前髪が目にかかっている。中性的というよりは女性的な容姿や小柄で華奢な体つきで、男のくせに可愛いという形容詞が似会う。

「んで、中三の時そいつと俺、同じクラスになってな。仲も良かったから、修学旅行の班も一緒になったんだ。それで、修学旅行ってホテルに泊まるだろう?四人部屋だったんだけど、ほらそういう時って夜さ、好きな子の話したりするじゃん。するよな?」

「するする」

 僕は同意して、森田に続きを話すように促した。

「それで、一人づつ好きな子の名前とか、その時付き合ってる子とののろけ話とかを順番にしていったんだよ。俺も好きな子の話をしたんだけどな。まあ今思い出すとすごい恥ずかしい事な。まあそれはいいとして、そいつ以外の三人が話し終わって、いよいよそいつの番が来たわけだ」

 と何かを含ませるように言った。

 森田は思いだすように喋りを続ける。

「そしたらそいつ、『実は僕、男が好きなんだ』って言いだしたんだよ」

 その瞬間、真山が吹き出した。

 そんな真山を見て、森田が指さした。

「そうなるよな。そんな事言われたら、普通笑っちまうよな。俺は初めそいつが俺達を笑わせる為にわざわざそんな馬鹿な事を言ってるのかと思ったんだ。他の奴もそう思ったんだろうな。『おい、そんな事言ってはぐらかそうとしても駄目だぞ。お前、誰が好きなんだよ』って。でも、そいつはいたって真面目な顔をして、『だから俺は男が好きなんだよ、ホモなんだよ』って答えたんだ。それからそいつは真顔で、男とどういう事をしたくて、どういう風になりたいかを饒舌に語りだしたんだ。真顔でだぞ、真顔。どうも嘘をついたって様子はない」

「それで?」と僕は聞いた。「どうなったんだ?」

「どうもしねえよ」

 と森田は言った。その時の事を懐古しているのだろう、苦いものを口に含んだまま話し続けているかのように見えた。

「ただ俺達はその夜から修学旅行が終わるまで、尻に気をつけながら過ごしたって話だよ」

「おい」

 と僕は言った。

「まさか、未開ケツ事件だなんて言うつもりじゃないだろうな?」

 どっと僕ら三人の中で笑いが起こる「お後が宜しいようで」と森田は付け加えた。

 それに対して僕が、宜しくねえよ。と言おうとした時だった。

 ばん。と机をたたく大きな音がした。僕達は一斉に音の方向を見た。初め僕は、僕達の笑い声が大きくて怒られたのだと思ったからだ。だけど、それはどうも違うようだった。

「いい加減にしてよ」

 カップルらしき男女の女の方が声を荒げて立ちあがっていた。男の方の表情はこちらからは見えなかったが、女の方は、もの凄い形相で男を睨みつけている。机を叩いた衝撃で、グラスに注がれた水が揺れていた。

「そうやっていつもいつもいつもいつも自分勝手な事ばかりしてさ、少しは私の気持ち考えてくれた事ある?」

「考えてるさ」

「考えてない」

 女は空気を掻き切るように右手を振り、男の言葉を一蹴した。

「ちっとも考えてない」

 ここが公衆の面前―――といっても、店には数える程の人数しかいない訳なのだけど―――だという事もおかまいなしに女はわめきちらす。

「ちっとも考えてないよだいだたいこの間だってそうあれはそもそもあなたが言いだした事よねそりゃあ理由があったのかもしれないけどそうは言っても連絡の一つくらいしてくれてもいいんじゃない三時間よ三時間あなた三時間何の連絡もなしに待たされる私の気持ち考えた事ある事故でもあったのかなとかすごく心配になるし携帯に電話してもメールしても反応なし本当に信じられない行けないのなら行けないって一言メールでもなんでもくれればそれで終わりなのに私あの日新しい服着てきたんだよって言ってもあなたは気づきもしないでしょうけどねなによその態度はちゃんと聞いてるの?」

 よくもまあ言葉が出てくる物だと僕は感心した。女はそれだけを店中に聞こえるような声で言いきると、水を一気に飲み干して男を見下す形で見つめた。

「俺は」

 と男が口を切った。女のヒステリックめいた口調に慣れているのか、落ち着き払った口調だった。

「きちんと君の事を考えているつもりだよ。あの日はいけなくて本当に悪かったと思っている」

 男の方はそれからもっともらしい理屈を並べて女に弁解を始めた。今まで話していた僕達も、おそらく営業中のサラリーマン二人組も、店の店員も皆音を立てられず男の話す内容はつつ抜けだった。

「で?」

 男が一通り話し終えるとすぐさま女は聞き返した。それは疑問符こそつくがまともに聞いているようには聞こえなかった。

 男はゆっくりと女の方に顔をあげて、それからゆるしてほしいと言った。

「何それ?」

 瞬間の出来事だった。女は男側のグラスを手に取り、男に向かってその中に入った水を振りかけた。水の大部分は男の顔にあたり、髪にあたり、瞬く間に水浸しになり残った水が周囲に飛び散った。女の行動は、あたかも端からそうすると決めていたかのように早かった。

「まったく反省してるように思えないんだけど?」

 と女はそう言ってバックを片手に店から出ていく。何かを成し遂げたかのように威風堂々とした態度で周囲を気にしていない。

 女が店から出て言った後、厨房からウェイトレスがあまり汚れていない雑巾を持って出てきた。床を拭こうとするのであろう。だが、拭こうとするウェイトレスの手を遮って、男は雑巾だけ受け取り床を拭き始めた。その時僕は初めて男の顔を見た。

 綺麗な顔の男だった。おそらく、十人いれば八人は美系だと称賛するであろうという顔。男は雑巾を持ち、特に不快感を表す事なく床を拭き、テーブルを拭き、拭き終わると何事も無かったかのように雑巾をウェイトレスに返す。男の表情は別段こまった風ではなかった。むしろ慣れているので今に始まった事ではないと言っているようにも見えた。

「女って怖えな」

 真山がぼそりと呟いた。同感だ。

 それから真山は彼の友人とその彼女の話で、彼女が酷いらしい事を具体例をあげて説明し始めた。なるほど世間一般の女という物は酷く恐ろしいらしい。とはいえ僕にだって好きな子の一人や二人くらいはいるのだが。

 気まずい雰囲気の中、ウェイトレスが僕達の席にフライドポテトを持ってきた。ひどくまずいフライドポテトを食べながら真山の話をバックグラウンドミュージックに僕は思った。前言撤回だと。

 この店の居心地は最低だ。







   ◆







 真山達と別れた後、僕は家の近くのスーパーへと向かった。卵が無いのだ。

「やあ、お兄さん今一人?暇ならご一緒してもよろしいかしら?」

 野菜コーナーで人参を選んでいた時、背後から見知った声をかけられた。妙に科白っぽい口調でわざとらしさが浮かんでいる。僕は後ろを振り返らずに言い返した。別に話したくない訳ではない。顔を見なくて誰だかわかっている自身はあったし、何よりまず僕は洋人参を選んでいたからだ。

「一人。だけど今買い物をしてるから忙しいかもしれない」

「知ってる?忙しい忙しいって言ってる人程暇なんだって。暇で暇で仕方がないのに、暇すぎるのを人に知られたくないから、忙しいって嘘をつくらしいの」

「なら」と洋人参を買い物カゴに突っ込み、それから振り返って彼女を見た。やはり杏里だった。僕の隣の家に住んでいる一之瀬さんちの杏里ちゃん。小柄で中学生集団の中に入っても違和感がないが、これでもれっきとした僕と同い年で高二。

 そして生まれてから十七年間一緒にいる幼馴染でもある。但し、一部の偏った知識の凝り固まったエンターテイメントが好きな―――と、有体に言えばオタクなのだが―――人間が思っているような―――例えば、朝起こしにきてくれるとか―――そういう事はないがな。そういう事は漫画の中の世界にある羨ましすぎる特権に過ぎない。

「とても暇だ。世界が破滅しそうな程に暇だ」

「暇なら一緒に買い物しませんか?」

 と彼女はアーモンドの様に大きくくりくりとした目を細めて口角をあげて笑った。

「む」と僕は唸った。彼女の理論だと、どちらに転んでも人間は暇なわけだ。とはいえ、別段杏里と買い物をする事に困った事もないので、僕は「いいけど」とだけ言った。強いて問題があるとすれば、荷物をすべて持たされる事と、それからそれを見ていた奴に僕達は付き合っていると勘違いをされる事だ。

「今日は何を買いに来たの?またお菓子?」

 と杏里が聞いた。また、というのは一時期僕が夕食を作るのが煩わしくなった時―――というのも、難攻不落のダンジョンに魔法使いとして挑んでいたからなのだけれど(決して現実の話ではない。まあ、僕はまだ魔法使いになる権利を持ち合わせているけれども)―――夕食をすべてポテチやら何やかやで済ませていたからだ。お陰で僕の体重は一カ月で五キロ痩せ、杏里や杏里の母にこっ酷く説教を受け、しばらくは杏里の家で食事を一緒にさせてもらっていた程だ。

「いや、お菓子は一応自重してるよ。今日は卵買いにきた感じかな?」

「卵?家に言ってくれれば卵くらい分けてあげるのに。どうせ一人じゃ賞味期限切れるでしょ?あれ、消費期限だっけ?」

「消費期限だよ。確か」

 僕は言った。

「でも、悪いよ。それに、俺は小さいパックの方を買うつもりなんだしさ」

「効率が悪い」

 杏里は僕の額に向けて人差し指を向け、笑って僕の言葉を一蹴した。

「知ってる?この店の卵ってどれも同じくらいの値段なんだよ。何個入っていようが」

「知ってる」

「なら、卵を買うのはやめなさい。そして、私の家の卵を貰いにくるの」

「いいのか?」

 そう言われれば無理に意地を張る必要なんてどこにもない。といっても、たかが百云十円の話なのだけれど。

 杏里はもちろんと頷いて、「その代わりに、荷物を持ってくれない?」と提案を持ちかけてきた。勿論僕はそれを承諾する。それくらい朝飯前だというか、どうせ卵云々の下りが無くとも持ってくれと言われたのだろう。そして僕に拒否権はない。無い、と言っては嘘になるが、拒否すれば、杏里は拗ねるにきまっている。杏里の拗ねかたには特徴があってとても面白いのだが、ここで特筆すべき事でもないだろう。

「ついでに、家で晩御飯食べていくってのはどう?どうせ四人分も五人分も変わらないんだし」

 確かにいい提案だった。僕は飯を作る手間が省けるし、杏里の家に夕食を貰うのは今に始まった事でもなく―――というか、一昨日も御馳走になった―――特に気兼ねする必要もない。しかし、僕はその提案を断った。

「いや、それは遠慮しておくよ」

「どうして?」

「昨日の残り物が少し残っているんだ。それを消化したいからね」

「そっか。残念、あ、私もこれ買う」

 と僕がカイワレ大根を取ったのに続いて、杏里もそれをカゴに入れる。僕が一つなのに対して、杏里の方は四つ。いくらなんでも多いんじゃないかと尋ねると、今日はカイワレ祭りなのだという。どんな催しだ。

「でも、自分で作ったものは全部自分で責任持たなきゃいけないなんて、一人暮らしも大変だ。料理失敗した時とか、他の人に食べてもらう事出来ないんだからさ」

 杏里がぼそりと言った。

「いや、たとえ四人暮らしだとしても、自分で作ったものには責任持てよ」







       

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