泥辺五郎短編集
「古い話(短い話三編)」
『鬼』
目を覚ますと柱時計の針は三時を差していたが妙に外が明るい。さては昼過ぎまで寝すごしてしまったのかと慌てて起き出したが、隣では妻が寝息を立てている。子供らが騒ぐ様子もない。夜半であることに間違いはないらしい。
ならばおかしいのは外の明かりだ、と目を窓の外に向けると、庭先で大男が火を焚いていた。
「君、何をしている」
驚き怯えるより先に声が出た。不思議と大男からは、強盗の気配が感ぜられなかった。仮に物盗りであれば火など焚かぬ、もしも人殺しなら既に自分は死んでいる、寝起きで麻痺した心にも助けられた。
「起こしたか。すまぬな人間よ。もうすぐ終わる」
こちらを向いた大男の頭には二本の角が生えており、彼が鬼だと頓悟した。
「星が落ちた。我らは連中を回収せねばならんのだが、こうしてしつこく燃えるものもいる。しばし待てば燃え尽きる。家を焼く心配はない」
頑丈そうな顎で星を指し示す彼の顔は火で焼けただれたように赤い。このような仕事を続けていれば肌も焼けるのだろう。角も生えるのだろう。
「花火のようですね」
線香花火の先だけ肥大したような星はぱちぱちと燃え盛ってはいるが、こちらに熱さは伝わってこない。あちらの炎はあちらのものを焦がすのだろう。彼らが見えていること自体が何かの間違いなのだ。
「つらいですか」
火が尽きるとともに次第に星はただの黒い塊に変わってゆく。鬼は風呂敷を出して星を包む準備を始めていた。
「慣れるもんで」
聞かない方がよかったらしい。星の最後の瞬きに照らされた鬼の顔は強張っていた。
「では」
星を包み終えた鬼はそう言うと正真正銘夜半三時の闇の中に溶けていった。
再び入った寝床の中で、いつか自分が死ぬ日に、またあの鬼に会えるだろうという確信めいたことを感じていた。
翌朝目覚めると下の息子が高熱を出して苦しんでいたが、二日後には治り、以後は元気に育っている。
(了)
『猫』
長く生きると猫は化けるというが、若くても化けるものは化ける。先代の飼っていた猫は皆化けた。葬儀の折には人に化けて参列していたが、皆一様に長い髭を持っており、尻尾を隠すことすらしていなかった。先代の納められた棺をしきりに連中は舐めていた。
「そろそろこのあたりで」と喪主の当代が彼らを宥めるまであまりに舐め続けていたので、棺に穴が空くのではないかと心配するものもいた。
先代に一等可愛がられていたと見られる若い化け猫が、声をかけてきた当代の着物を爪で裂き、葬儀場は一時騒然となった。歳を取った長老らしい化け猫が彼を押し止め、当代に頭を下げてその場は収まったもののの、それがきっかけとなり、親族の中で連中を好ましく思わないものが増えてしまった。それでも優しい当代は、先代の墓近くに掘っ立て小屋を立ててやり、彼らを住まわせ飯の世話をした。しかし彼らはまだ若くして化けたツケが回ったのか、長老猫以外は人の姿に戻れなくなり、長老の死後は彼らの狼藉に歯止めがきかなくなった。
ある年、当代が大変目をかけていた女中の一人が子を孕んだが、産まれたのは猫の子であった。当代は旅の者に頼み、産まれた子ともども女中を斬らせ、化け猫も同様にした。
以来、町に野良猫が大層増えたと聞く。
(了)
『人』
人を拾う日が続いた。生きているものは寺に預け、死んでいるものは寺に捨てた。次第に坊主に疎まれるようになったので拾わないよう努めた。しかし人は絶えず落ちていた。
「穴掘んねえ」
死人と見ていた男が口を開いて訴えてきた。渋々穴を掘ってやると男は飛び込む。浅い穴なので腰までしか埋まっておらぬのに「埋めねえ」とこちらを促す。仕方なく、埋めるというよりぶっかけてやる要領で土を被せてやった。全身埋まる前に男はぐらぐらと震えることをやめた。
落ちている人の中に子の姿が増えてきた。哀れな子らはいまだ自分の死を理解せず、遊ぶ姿のままふらふらと揺れていた。突くと倒れ、もう見えてはいないはずの目をこちらに向けた。
「おころりよ、おころりよ」
うろ覚えの子守歌をかけてみても子の眼は閉じない。埋めるのも忍びなく、結局寺へと運んだ。子は時折駄々をこねるようにばたばたと動いた。
寺の坊主どもも動かなくなった頃、落ちている人を見ることはなくなった。
(了)