Neetel Inside 文芸新都
表紙

泥辺五郎短編集
「フルチンマリオ」(一枚絵文章化企画参加作品)

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 ルイージが死んで三年になる。

 俺を頼りにする奴はもういない。
 俺を倒しに来る奴ももういない。
 俺はピーチではない女と一度結婚し、別れ、今は安アパートの一室で一人過ごしている。日々の仕事に追われ、酒に逃げる夜が多くなった。時折「あの人は今?」といったゲスな企画の取材を受けることもあるが、「今の私はただのマリオ、しがない一配管工に過ぎません」と答えるだけにしている。もうスーパーの名は戴けない。

 古き良き時代、俺とクッパとピーチはうまくやっていた。クッパがピーチを攫い、俺が助けに駆けつける。何度も何度も繰り返した。国をあげてのイベントだった。愛する姫を助けるために、魔王クッパに命を賭けて挑む俺の姿に、キノコやカメどもは熱狂したものだ。

 でもな、人の気持ちは移り変わる。
 いつの間にやら俺と過ごした時間より、クッパと共にいる時間の方が長くなってしまったピーチが、クッパに桃色の愛情を傾け始めるのは、当然の成り行きだった。俺だってクッパの男らしさや器の大きさを知っているしな。嫌いじゃないんだ。結局一発もヤれなかったピーチなんかよりも、クッパの方がずっと好きだったのかもな。
 だから何度目かの救出劇のクライマックスで、俺がクッパにとどめを刺す瞬間、ピーチが立ちはだかったのだって、意外なこととも思えなかった。ああ、長年続いた俺たちのゲームもこれで終わりだな、そう思っただけだった。ピンクのドレスに隠されたピーチの腹が少し膨らんでいることだって気付いていた。俺の心に湧いていたのは憎しみなんかじゃなく、むしろ二人を祝福する気持ちだったんだ。

 クッパ城を後にした俺は、誰を倒すでも踏むでもない日常に戻っていた。平凡な暮らしの中で、ピーチのように華はないが、優しくて尻の大きな女と付き合い始めたりもした。当時まだ明らかになっていなかった、クッパとピーチの関係を知らないマスコミどもは勝手なことを書き立てたが、俺は「もう体力の限界なんだ」と言って彼らを追い払った。

 真相を知っているのはルイージ一人だった。そりゃそうだよな、例のピーチがクッパを庇った際、俺の後ろに控えて事態を眺めていたものな。出番も台詞もなかった。俺が戦いを放棄しない限りは出番の回ってこない、生涯ベンチ要員。俺でさえあいつと会話を交わすことは半年に一度あるかないかで、普段は存在すら忘れている男だった。

 引退した俺の代わりにあいつは単身クッパを倒しに、キノコやらカメやらに立ち向かっていった。けれどあいつはどうしようもなく凡人で、俺のような特異体質でもなかった。ジャンプ力はあるが滑りやすかった。
 キノコを取っては一生懸命背伸びして自分を大きく見せていた。
 フラワーを取ってはガスとライターを駆使して火の玉を飛ばしているように見せかけていた。
 スターを取っては歯を食いしばって痛みを我慢して敵にぶつかっていった。
 そんなあいつが長く生きられるはずもなかったんだ。
 二匹のハンマーブロスに返り討ちに遭い、全身ぼこぼこにされたあいつが発見された時、既に息はなかった。必死でかき集めたのであろう、五十枚ほどのコインが死体の傍らに散らばっていたそうだ。

 公判でハンマーブロス達はこう述べた。
「だって悪いのはあっちですよ。イベント用の準備もしておらず、安全面の配慮も出来ていない状態で、あいつは連絡もなしにやってきて、何の罪もないクリボーやノコノコたちを殺しやがった。てっきりマリオさんの真似をしている頭のおかしな奴だとみんな思いましたよ。殺人については正当防衛を主張します。血走った目でわけのわからないことを喚きながら、包丁や金属バットを振り回す○○○○を相手に、こっちだって平常心ではいられませんでした」
「彼がルイージだってことも知りませんでした。何しろ初対面でしたから。私たちは臨時雇いのハンマーブロスでしたから。本職の方々はマリオさんの引退以降、城の方で中間管理職をなさっておられます。私たちはハンマーの扱いにも慣れておりません。加減を出来たら良かったんですが」

 彼らは暴行罪の前科持ちであったことも判明し、上司であるクッパの責任問題も問われたが、錯乱したルイージの目撃者も多数いたため、罰金刑で済まされた。

 ルイージの通夜、クッパがピーチを連れてお忍びでやってきた。ピーチの腕の中には、愛らしい寝顔の、カメと人間のハーフの赤ん坊がいた。
「すまなかった」
 クッパの言葉は、ルイージの死についてなのか、ピーチを奪ったことについてなのかは分からなかった。彼は遺影に向かって固く手を合わせると、俺とピーチと赤ん坊を残して立ち去った。一瞬子供に向けた彼の顔は、今まで見たことのないくらい柔らかなものだった。
「これからどうするの」ピーチはルイージを悼む気持ちなどさらさらないようだった。
「私を助けるためじゃなく、緑の敵討ちをお題目にして、また夫と戦ってくれない?」
 彼女は妻や母や女である前に、やはり女王だった。俺たちの繰り広げた熱狂の日々が終わってからというもの、国には活気がなくなり、失業率は上がり、凶悪犯罪が激増していた。
「君を救うという目的があったから戦えたんだ。もう君はクッパのもので、俺に戦う理由はない」
「仕事として頼むのよ。報酬は……」
 そう言うとピーチはドレスを脱いだ。通夜の席にも関わらず、相変わらず派手なピンクのドレスだった。その下に現われたのは、子供を産んでも張りを失っていない、王族らしく美しく整った、色の白い裸体だった。
「夫は会社経営が忙しいし、国政についての勉強もさせているから、最近構ってくれないの。愛情は全部娘の方へ向かっているわ」
 彼女はその豊かな乳房を俺のでかっ鼻に押しつけてきた。遺影の中のルイージがすすり泣きする声が聞こえたような気がした。ピーチは俺の喪服を強引に脱がせていった。

 結局、俺はピーチを抱かなかった。
 抱けなかった。
 俺の股間のキノコは巨大化してくれなかった。
 目を覚ました赤ん坊がそんな俺の情けない姿をつぶらな瞳で見つめており、一層俺の気持ちを萎えさせた。

 それから三年が経った今、世間はルイージのことなど覚えてはいない。首相となったクッパは積極的な外交政策を行ない、海外企業誘致に力を入れ、雇用問題を解決しつつある。煉瓦造りの城の横に高層ビルが次々と建築され、この国から青い空が奪われていく。王族の権限は縮小され、ピーチは今や良き母親の顔をしてクッパの横に付き添っている。

 今年ピーチから来た年賀状には、いつものように娘の写真ではなく、フルチンの俺の絵が描かれてあり、「娘が描いたあなたです」と記されていた。赤ん坊の心に焼き付いたあの日の俺の姿だろうか。そこには背丈もチンコも小さい、情けない一人の男がいた。

 呼び鈴が鳴らされたのでアパートのドアを開けると、二匹のハンマーブロスの姿があった。ルイージの命日になると彼らは律儀に訪ねてきてくれる。位牌に向かって手を合わせた後、彼らの差し出した封筒は、昨年よりも厚みを増していた。
「景気いいみたいだね」
「これからどんどん忙しくなります、この国は変わりますよ」
「マリオさんも政治家を志されては? ボディガード引き受けますよ」
「俺は今の仕事が性にあってるんだ」
 三年目ともなるとルイージの話もしなくなる。元々話すネタの多い奴でもなかった。

 二匹を見送った後、手に入ったあぶく銭でいつもより高い酒を買い込み、一人ちびちびと飲んだ。ピーチからの年賀状を見ながらニヤニヤしている俺の顔は端から見ると気持ちのいいものではなかっただろう。だが今の俺の傍にいてくれる人間はいない。ルイージがいたらどうだろうか。
「何で兄さんだけで俺の絵はないんだい」そう愚痴って拗ねるだろうか。
「だってお前、ちんこの方は全然地味じゃなかったから、とても絵には出来ねえじゃねか」
「使い道はないんだけどね」
 そんなやりとりを思い浮かべながら、俺は深酒に浸蝕されるようにして眠った。

 夢の中、まだ幼さの残るくらいに若々しい俺とクッパは、子犬たちがじゃれつくように、あまり痛みを感じない殴り合いを演じていた。傍で見ているピーチは表面的には俺を応援してくれているが、熱い視線をクッパの方に注いでいる。俺たちを取り囲んでいるのは草原や海原やおどろおどろしい城壁なんかではなく、現在あちこちに建ちつつある、工事中のコンクリートビルディングだった。その屋上から、死んでからもなお死にたそうな目をしたルイージが、俺たちを覗き込んでいるのが見えた。


(了)

       

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