Neetel Inside 文芸新都
表紙

泥辺五郎短編集
「美術館に絵でも見に行こう」

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白い部屋に住んでいたから
いつからか夢を忘れていった
車の音が醜かった
いつからかそれを無くしていった
明日午前十時に美術館に絵でも見に行こう
そこでお気に召したらすぐそれを燃やしてしまおうぜ

その花が好きだと思った
惨めに朽ち果てていたから
その音が好きだと思った
その色が好きだと思った
明日午前十時に美術館に絵でも見に行こう
そこでお気に召したらすぐそれを燃やしてしまおうぜ


(THE MAD CAPSULE MARKETS「DESTRUCTION AT THE DOOR」より)


 俺たちは生まれた時から壊れていたから世の中にうまく入り込むことが出来なかった。自分たちが壊れていると他人が壊れていないことが不思議に思えてきて、人を平気で傷つけた。体を抉り、心を殴った。
 俺たちの心はいつでも虚ろで、何をしても満たされなかった。好きな玩具が出来るとたまらなくなって分解した。俺たちを愛してくれる両親にはどうして俺たちを産んだと悪態をついた。俺たちは狭い部屋の中で何時間でも話をした。何日も同じ話題を繰り返した。お互いにも理解出来ない言語を用いて何事かについて熱く語り合ったりもした。そんな俺たちをいつからか両親や白い服を着た連中は××××扱いし始めた。俺たちは連中を全員ぶち殺してしまわないために自分たちを傷つけた。小指の先を噛み切り、耳たぶを引きちぎった。
 俺たちは同じ女を好きになった。俺たちを取り囲む白い男たちの中の、取り分け偽善者じみた奴の一人娘だった。彼女は若くて馬鹿で純粋過ぎた。きらきら光る眼に生ぬるいフィルターをかけて俺たちを見た。俺たちは本当はよい子だと、俺たちは本当は優しいのだと言い張った。俺たちはその誤解が憎くて、またたまらなく嬉しくて彼女を殺した。
「明日美術館に絵でも見に行きましょう」と言って彼女は俺たちを外の世界に連れ出そうとした。俺たちが歩きたくなかった陽の当たる場所に俺たちを引きずり出そうとした。俺たちは明日の予定について楽しげに語る彼女の首にゆっくりと手をかけて絞め殺した。はじめは笑って俺たちを許そうとしていた彼女も、本格的に絞まり始めてからの眼は笑っていなかった。何もかもが自分の思い違いだと悟った彼女はようやく叫び声をあげようとしたが、俺たちが手に力を込める方が早かった。
 俺たちは死んだ彼女をむさぼり食った。その時俺たちは初めて涙を流した。俺たちは初めて彼女のことが好きだったと気がついた。彼女の顔を触って笑顔に変えようとしたが、硬く張り付いた表情はどういじっても緩まなかった。
 俺たちは白い部屋に閉じこめられて長い時間を過ごした。たびたびやってくる白い服を着た連中は「あなたは二人ではありません」「あなたは××××なので仕方ないのです」「あなたの中のもう一人の人物が全て悪いのです」といったことを何度も俺たちに言い聞かせた。だけど俺たちは以前と変わらず俺たちのままでいたから、俺たちのどちらが本当はいないのかなんてわからなかった。
 それから俺たちは大勢の人間と一緒に閉じこめられた。どいつもこいつも××××だった。よだれを垂らして徘徊する男や全裸で走り回る老婆がいた。その何人かを俺たちは殴り殺し、蹴り殺した。だけど俺たちの行為を止めてくれるものがいなかったのですぐに飽きてしまった。好きでもなんでもない奴らを殺しても何の快楽も得られなかった。
「明日美術館に絵でも見に行きましょう」
 かつて締め殺した最愛の人の言葉を反芻することが多くなった。俺たちは美術館になんて行きたくなかった。俺たちは絵なんて見たくはなかった。俺たちが入り込みたかったのは彼女の中で、俺たちが見続けていたかったのは彼女の自惚れに満ちた間抜けな笑顔だけだった。
 俺たちが閉じこめられた施設の中に、言葉の記された本は少なかったが、画集や写真集だけはいくらでもあった。××××どもに破かれて飛び飛びになったページを俺たちは読み漁った。古い絵ほど好みだった。いくつかの絵には、施設中の××××どもを束にしても叶わないような××を感じさせるものがあった。そこに描かれているのがどれほどのどかな風景画であれ、きらびやかな肖像画であれ、××に落ちた画家の叫びが聞こえてくるようだった。俺たちは今さらながら彼女を殺したことを悔やんだ。食ったことは悔やまなかった。彼女が連れていこうとしてくれていたのは、俺たちの同類がひしめく××の陳列所だったのだ。俺たちは彼女と手を繋ぎながら美術館を巡り、一番好きな絵を見つけてそれを燃やせばよかったのだ。そうしていれば彼女も笑ってくれただろうと思った。俺たちに続いて他の客たちも各々気に入りの絵を燃やしてくれただろうと思った。
 だけど俺たちは彼女を殺して以来随分と長い時間閉じ込められていたから、彼女の笑顔をうまく思い出すことが出来なかった。おぼろげな記憶の中で、醜く歪んだ彼女の最期の表情が頭の中にこびりついているばかりだった。だから俺たちは絵を描いた。彼女の絵ばかりを描き続けた。何ヶ月か何年か何十年かわからないが、俺たちは鉛筆や筆や血液や時には糞尿で彼女の絵を描き続けた。絵の中には、髪の長い彼女がいた。髪のない彼女がいた。裸で走り回る彼女がいた。首だけの彼女がいた。顔も体もない彼女がいた。人の姿からかけ離れた彼女がいた。
 白い服を着た連中には随分と会わなかったが、描いた絵が空き部屋の一つを埋めるくらいに積み重なった頃、俺たちの絵を目当てにやってくる連中が現われた。奴らは俺たちを誉めそやした。俺たちの絵を売ってくれと懇願してきた。俺たちは絵の具やキャンバス、時には奴らの髪の毛や肌の一部と引き替えに絵を売り渡した。そのどれにも彼女の笑顔は描き切れていなかったので未練はなかった。俺たちは豊富になった道具でさらに彼女の絵を描き続けたが、あれほど群がってきていた自称「真の芸術の理解者」たちも、一時の熱情が冷めてしまえばほとんど俺たちのもとを訪れることはなかった。
 俺たちの世話は年月を経るごとにぞんざいになっていった。絶えることなく施設へ送り込まれてくる××××たちを食って俺たちは生き長らえた。
 俺たちは床に彼女の絵を描いた。俺たちは壁に彼女の絵を描いた。俺たちは天井に彼女の絵を描いた。俺たちは俺たちに彼女の絵を描いた。
 ある日壁が尽きていることに気がついた。壁は崩れ、外との境目が曖昧になっていた。外では天井のない空の下で人々が自由に歩き回っており、皆真っ直ぐに歩いていた。叫び声をあげているものも、自分の肌を血が出るまでかきむしっているものもいなかった。俺たちのように腐って濁って死にかけているような奴らはいなかった。俺たちはまともな奴らを見るのがあまりにも久し振りだったので恐ろしくなり、施設の奥へと急いで逃げ込んだ。しかしいつの間にかどの壁もどの天井も破れていて、もうどこも内側ではなくなっていた。崩れた壁にも破れた天井にも俺たちが描いた彼女の絵の欠片が残されていた。ばらばらになった彼女はいまだに俺たちに笑いかけてはくれなかった。俺たちの食糧だった××××たちもみんな外へと飛び出して行ってしまった後だった。
「美術館に絵でも見に行こう」と俺が言った。
「美術館に絵でも見に行こうか」と俺も言った。
 俺たちは美術館がどこにあるのかなんて知らなかったけれどとにかく歩き出した。外は俺たちが知らなかった光に満ちていて、俺たちが使わなかった色で溢れていた。俺たちが彼女の絵で埋め尽くした施設とは違い、外の世界はあまりに広すぎた。醜い音を立てて車が俺たちのすぐ脇を走り抜けていった。
 俺たちは随分と歳を取ってしまっていたので、眩しすぎる日射しの下を歩くのは辛かった。美術館に行き着く前に公園で倒れた。倒れこんだベンチの傍で俺たちは一輪の枯れた花を見つけた。その花が好きだと思った。その色が好きだと思った。惨めに朽ち果てていたから。だからもう動かすのも億劫な手でその花を握り潰した。かしゃかしゃと崩れるその音も好きだと思った。もう彼女の笑顔を思い出すことは諦めて、さっき潰した花の絵を描こう、と俺は思った。いや、彼女の絵をまだこの外の世界で描き続けるよ、と俺は思った。とにかく俺たちは疲れ切っていたので眠ることにした。次に目が覚めた時に描く絵を夢の中で決めようと思った。でも俺たちは起きている時でも眠っているような、施設での生活に慣れすぎたせいで夢を見ることを忘れてしまっていた。俺は目が覚めたらすぐに美術館に行こうと思った。俺は目が覚めたら施設に帰って彼女と花の絵を描き続けようと思った。
 目が覚めた俺はぼんやりとする頭を自分の手で小突きながら歩き始めた。後ろ姿に彼女の面影がある女を選んでは「美術館はどこですか」と声をかけたが、まともな返答は帰ってこなかった。少しずつではあるが長く歩き続けると、元来た道がわからなくなってしまった。もう戻る必要もないと俺は思った。もう戻る場所はないのだから。美術館に入ってお気に入りの絵を見つけた時に、火をつけて燃やすためのライターかマッチを手に入れなければいけないと思った。その絵に描かれているのはきっと彼女に似た女に違いないという気がしてきた。


(了)

       

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