Neetel Inside ニートノベル
表紙

この世の果てまで
第六部

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  1 この世の終わり


 1

 夜明けの戦場は静寂に包まれた。CG兵も新生教徒も、それを見上げ、怖れ、世界の終
わりがきたことを悟った。
 
 グロテスクな胎児は空に浮かんだまま戦場を見下ろす。そして興味深いおもちゃを見つ
けたような顔で無邪気に笑い、手を伸ばす。
 双方敵味方関係なく胎児へ向けて反射的に銃を撃つ。おもちゃに反撃された胎児は拒絶
されたことに憤慨。胎児の体が膨れ上がり、脇腹の辺りがその限界を迎え、弾ける。弾け
た辺りから何本もの手が地上へ伸び、そこにいたCG兵、新生教徒を捉える。胎児は泣き
叫びながら、獲物を体内に取り込む。喰らう。それを見たCG兵、新生教徒は逃げ惑う。
武器を放り出し、命惜しさに走り出す。その光景を見て、胎児は笑顔を取り戻す。そこか
らはただの食事。いや、捕食。胎児は戦場にいる兵たちを喰らい尽くし、きゃっきゃっと
笑う。
 村からその光景を見ていた新生教徒たちは両膝を大地につけ、頭を垂れ、祈る。〈大き
な音の神〉のご加護がありますように、と。
 帰る場所を失くし地面にへたりこんだCG兵たちは思考を停止し、終わりを待っている。

「どうするよ、キョウジ」
 とカミカワ。
「突っ切る。この際シミズさんは無視だ」
 とキョウジ。
「今なら他のものに気をとられてるしね」
 とシンジ。
「お前って案外クールだな」
 キョウジが言うとシンジが苦笑い。後ろめたいけどね、と頭を掻く。

 2

 胎児の視界に入らないように、キョウジたちは草原を全力疾走。胎児はおもちゃ相手に
ご満悦。落ち合う場所までは10分もかからない。だが、10分間を全力で走る体力など
、普通は、持ち合わせていない。ハツが最初に脱落。それを見てみなが足を止める。サヨ
リをのぞいて、みな息が上がっている。
「さすが、サヨリ。息も切れてない」
 カミカワの突っ込みに、サヨリが不満げに口を尖らせる。
「わたしのせいじゃないもん」
「とにかく進もう」
 キョウジの言葉で、駆け足で走り始める6人。

 ――アリサワサン、アリサワサン、どこ?

 胎児は動き始める。巨体を鈍く動かしながら、辺りを見回している。胎児の目に、これ
までとは毛色の違う集団が走っていくのが見える。記憶も経験も溶けているはずなのに、
胎児にはわかる。

 ――サヨリ。サヨリ。サヨーーーーーリーーーーー

 胎児は目を剥いて、その集団を追い始める。

 3

 アリサワたちは集合場所から動いていなかった。すぐにシベリア鉄道へ向けて出発する
ことも考えたが、胎児の出現により、その考えはなくなった。状況がわからないまま、戦
場上空を眺めるアリサワたち。風にのって化け物の声が聞こえる。

 ――アリサワサン、アリサワサン、どこ?

 アリサワは瞬間、理解する。その化け物がシミズであることを。
「アリサワさん、あれって……」
 ユウが尋ねると、アリサワは力なく答える。
「俺の、後輩……の成れの果てだ」

 悲しくもない、後悔もない、ただ、寂しいもんだな……

 アリサワはそう思う。そしてタバコに火をつける。そして、遥か先に見える――米粒く
らいの――集団を見つける。
「出発した方がいいかもね」
 キリコがそう言うと、アリサワは首を横に振る。
「いや、見ろよ」
 アリサワが指差す。その先には、見覚えのある連中。遠目では確認できないが、カミカ
ワ、シンジもいるよう。
「迎えに行くぞ。乗れ」
 アリサワが車に飛び乗る。キリコたちもジープに乗り込む。

 ――サヨリ。サヨリ。サヨーーーーーリーーーーー

 その声が合図。ジープが跳ねるように走り出す。

 4

「やばいね、やばいよ」
 さっきまでのろのろ走っていたカミカワが先頭を切って加速する。
「サヨリだけは、って奴か。恨まれたもんだな、サヨリ」
 キョウジも負けじと加速。
「知らない」
 サヨリは涼しい顔で先頭のカミカワ、キョウジの横に並ぶ。
「ねえ、追いつかれたらやっぱり喰われるのかな」
 シンジが叫ぶ。
「それぐらいで済めばいいけどな」
 カミカワが叫ぶ。
「それより、前!」
 ハツが後方から叫ぶ。

「アリサワさん、飛ばしすぎ!」
 ユキが後部座席で転がりながら言う。
「もう少し我慢しろ」
 アリサワは半ばヤケクソ。タバコのフィルターを噛みながら言う。
「あの胎児こっち向かってるよ!」
 ヨウジがユウの肩に額をぶつける。
「大丈夫なのかよ!」
 ヨウジの頭を押しのけながらユウが叫ぶ。
「知るか!」
 アリサワは胎児を見ながら言う。
「前見て!」
 キリコが叫ぶ。

 ジープは急ブレーキ。車体は斜めに滑る。キョウジたちに危うく正面衝突しそうになる。
「お前ら、乗れ!」
 アリサワは窓を開けて叫ぶ。
「アリサワさん!」
 キョウジたちは声を合わせて叫ぶ。

 5

 車の中はぎゅうぎゅう詰め。車パンクするんじゃねえの、と言ったカミカワの顔はから
かい半分。
 車は草原を疾走する。後方上空に胎児がのろのろとついてくる。

 ――アリサワサン、アリサワサン、サヨリ、サヨリ

 車と胎児の距離は次第に開き始める。車は森に入る。
「なんだ、あいつ。てんでノロマでやんの」
 ヨウジは後部ガラスをどんどんと手の平で叩いて喜ぶ。みなの緊張が解ける。それぞれ
に一息つく。
「そろそろ福神を抜けるぞ」
 アリサワはそう言ってタバコを窓の外へ吐き捨てる。
 車が福神の境界を越える。
「シベリア鉄道でいいんだな、キョウジ」
「アリサワさん、駄目です。シベリア鉄道にはイヴァンがいるんだ。教祖。このまま行った
ら、敵地に突っ込むことになる」
 助手席のキョウジが言う。
「じゃあ、どこに行けって言うの?」
 キリコがヨウジとユウを踏んづけながら叫ぶ。
「それは、わからない」
「……キョウジくん、行こうよ。シベリア鉄道」
 サヨリがそう言うと、車内が静かになる。
「でも、サヨリ……」
「結局行かなくちゃいけないんだかさ」
 サヨリが言うとキョウジは黙った。
「シベリア鉄道……で、いいんだな」
 アリサワが言うと、キョウジは肯いた。
 境界の先は相変わらずの荒野。胎児の姿がだんだん小さくなっていく。

 …………

 車がひっくり返るかと思うほどの地震。アリサワはブレーキを踏む。車内は急ブレーキと
地震で蜂の巣をつついたような騒ぎ。みなが横に縦に絡まっている。
「いきなりなんだよ」
 一番下に敷かれているヨウジが叫ぶ。
「外だ」
 アリサワが外へ飛び出す。絡み合った体をほどき、外に出る面々に待っていたのは、収ま
らない微小な震動と、無数の流星。
「星が降ってる……」
 ハツがぽつりと呟く。
「大気圏で燃え尽きてるんだよ」
 アリサワが言う。
「どうなってんだ?」
 ヨウジがそう言ってユウの顔を見る。ユウは、わからん、と肩をすくめる。
「世界が縮んでいるのよ」
 キリコの言葉にみなが注目。
「どういうこと?」
 カミカワが尋ねる。
「たぶんだけど、福神らへんを中心にして、世界が縮んでいってるのよ。覚えてる?ちょっ
と前に宇宙が止まってるってニュースあったよね。それが今では縮み始めている。それも急
速に。宇宙ごと縮むから、この星の引力に引かれて流れ星が大量発生してるってわけ」
 真剣な顔で講釈するキリコ。みなは開いた口が閉じない。
「それで、これからどうなるんですか?」
 ユウが尋ねると、キリコはにやっと笑う。
「この世の終わりよ」







 続く




     


  2 縮む世界/それぞれの道


 1

「おかしい」
 とアリサワは呟く。フロントガラスの先にそそり立つ舟。シベリア鉄道の終点。アクセ
ルを踏み抜かんばかりにベタ踏みで飛ばしてきたのは事実。だが、とアリサワは思う。そ
れにしても到着が早すぎる……
「これも世界が縮んでるせいってことか?」
 アリサワが尋ねるとキリコは肯く。
「時間も距離もすべてが……縮んでるのよ。空を見て」
 一堂窓から空を見上げる。先ほど夜が明けたばかりなのに、すでに太陽は真上にある。
「なるほど、縮んでる……ね。どうりで、胎児が見えるわけだ」
 ユウが苦笑いしながら言う。一堂の目は空から後方へ。うっすらと見える福神の森。そ
して、ふらふらと近づいてくる胎児の姿。
「この地震は縮みによるものか」
 キョウジは窓を開ける。大地が身を縮めてこすれあっている音が車内に入ってくる。
「それにしても……きつすぎる!狭すぎる。頭おかしくなりそう!」
 ヨウジがキリコの尻の下で叫ぶ。
「もう少し我慢しなさいよ」
 ユキがぺちんとヨウジの額を叩く。
「そうだ。もう少しだ。目的地は目の前だからな」
 アリサワは近づきつつある舟を見つめながら言う。

 2

 地面の上に大の字に転がって背伸びをするヨウジ。みな、それぞれ固まった体をほぐす。
気にしないようにしているが、自然と視線は舟へ向かう。卵を立てたような形。銀色の舟。
空では相変わらず星が降っている。卵形の舟と流星。どことなくファンタジックな画。ま
るで絵本の中のよう。
 キョウジとサヨリは体育座りをして、肩を寄せ合い、ハツから渡された携帯の画面を見
つめている。2人の顔は穏やか。寂しげ。

 カミカワとシンジは舟と胎児を交互を見ている。
「ねえ、カミカワくん」
「なんだよ」
「あれ、倒せると思う?」
「やらないといけないってところかな」
「答えになってないな」
「方法はあるのか?」
「ある。1つだけ」
 シンジの口から淡々と倒す方法が語れる。カミカワはそれを聞き、そして肯く。
「付き合ってやるよ」
「ありがとう」
 シンジはそう言って、照れ笑い。

 アリサワはタバコを吸いながら舟を眺めている。横には火のついてないタバコをくわえ
たキリコがいる。
「あんた、いつまで禁煙すんの?」
「もう少しかな」
 キリコはタバコをぶらぶらさせて答える。
「波の音は……」
「波がどうした?」
「あんなつまんない音に騙されてたなんてね」
「わけわかんねえな」
 アリサワが煙を吐く。
「それでも、信じてたほうが楽だったんだけどね」
「まぁ、そうかな」
「知るということは残酷ね」
「どうかな」

 3

 アリアは教室でのイヴァンとのやり取りを思い返しながら、暗澹とした気持ちになる。
彼女の目には空の流星がイヴァンの涙に見える。私は愛する男を救えるのだろうか、と不
安になる。
 自分がやっていることは正しいのか?……
 神というシステムに魅入られた男……
「アリア……ちゃん、これ」
 ユキから差し出されたのは『神話篇』の完全版。
「ノアちゃん、じゃないのよね……不思議な感じ。キリコさんが読めってさ。「ユダ記」
のとこを」
 ユキは照れくさそうに笑う。
「ありがとう、ユキ。ノアでもアリアでも、変わらないよ」
 アリアの笑顔に、ユキは笑顔を返す。
 アリアは「ユダ記」を読み始める。

 4

 (「ユダ記」より抜粋)

 ……俺は何者でもないモノとしてこの世に産み落とされた。イエスの実験材料として、
箱舟の素材として、神への道のために。実験で造られた生命はまとめてゴミ捨て場に捨て
られる。普通ならカプセルから出されると10分ともたず絶命するものだが、どうしてか
俺は生き延びた。生き物の姿をとどめていない同輩たちの臓物を餌に、俺はゴミ捨て場で
過ごした。スラムの端。ならず者、荒くれ者ですら近づかない腐臭漂う場所。
 体の形がしっかりとしたものになって、俺は歩き始めた。こんな醜い姿の俺でも、スラ
ムは受け入れてくれた。神とヒトに見捨てられたモノたちのるつぼ。俺はそこで世界を学
んだ。生き延びるコツ。世界の成り立ち……学び始めてすぐに、自分にはヒトを超えるほ
どの知能があることがわかった。まったくの皮肉。おかげで俺はスラムからイヴァンに引
き上げられた。初めて見るスラムの外。そしてアリアとの出会い。彼女は俺の太陽。世界
にはこれほど美しいものがあるのかと絶望した。俺は醜い。

 ……

 アリアとイヴァンの仲睦まじさを見せつけられるたびに、俺は憎んだ。この世界を作っ
た〈大きな声の神〉を。神は不公平だ。どうして俺を救ってくれない?どうして沈黙して
いる?どうして俺はヒトではない?
 
 俺は研究を続けた。世界の理を超えるために。イヴァンの持つ神への不信感を利用して。

 ……

 アリアが死んだ日、俺は気づいた。ヒトになろうと、ヒトを作り出そうと求めて、修羅
に堕ち、結果として、俺はヒトから遠ざかった。アリアを殺したのは俺だ。おそらくこの
世界で2番目に――アリアの次に――俺は愛を知ってしまった。しかし、それゆえに間違
ってしまった。ヒトを羨み、神を憎み、世界を妬んだ憐れな男に相応しい末路。

 ……

 アリアが復活する時、世界が大きく変わるとき。針は大きくふれる。破壊か再生か……
俺は償わなければならない。ヒトに、世界に。フクロウよ、観察者よ、伝えてくれ。俺の
知恵を、この物語を初めて読んだヒトに与えよう、と。そして自分の命を――ゴミ捨て場
で生まれた命――もって、物語を進めるとしよう。

 ……

 アリア、本当にごめん。どうしてだろう、どうして俺はもっと早く気付かなかったんだ
ろう。本当にごめんね。今俺はお前を撃ちぬいた銃を自分のこめかみに当ててるんだ。引
き金を引けば、俺は死ぬだろう。でも、後悔はしてない。俺は罪深い。いいんだ。俺は君
に会えたから。だからこそ、間違ってはいけなかったと思う。さようなら。

 5

 携帯を閉じて、キョウジとサヨリは手を繋ぐ。

 ユウ、ヨウジ、ユキ、ハツは自分達の成すべきことを、自分達で決める。
 
 カミカワとシンジは胎児に向かって中指を立てている。

 キリコはタバコをくわえて舟を睨んでいる。

 アリサワは懐のベレッタを抜く。

 アリアは読み終えた「ユダ記」の最後のページに涙を落とす。

 そして、それぞれ、歩き始める。







 続く




     


  3 舟


 1

 ハツは舟を間近で見て、嘆息を漏らす。
 ああ、完成してたんだ。
 ハツだけが唯一、イヴァンに事前に知らされていたとっておき。それがこの舟。あの時
地下で見た舟より光沢があり、美しい、とハツは思う。ぼんやりと眺めているハツの脇を
キョウジが早足で通り抜ける。
「急ごう」
 ハツは目を下ろし、先へ行くキョウジの背中を見つめる。サヨリと手を繋いでいるのが
視界の端に入る。
 特別な存在……か。馬鹿馬鹿しいわね、ホント。そんなこと考えてたなんて……

 舟は駅のホームの上に置かれていた。ホームからその内部へ入ることができるようにな
っている。まるで神輿のように担ぎ上げられている。
「お待ちしていました」
 6人の男がどこからか出てくる。新生教徒の格好――ローブ――をしているが、容姿が
みな同じ。どこかで見た顔。白髪。アリサワ――イエス――と瓜二つ。それを見たアリサ
ワがため息をつく。
「ったく、悪趣味だこと……イエスの野郎のそっくりさんだらけか。いや、イエスだらけ
か……」
 アリサワの呟きをよそに、1人のイエスが口を開く。
「キョウジ様とサヨリ様だけと、〈大きな音の神〉はお会いになります。お2人はどうぞ
舟の中へ」
 キョウジとサヨリは顔を見合わせて肯く。
「みんなはここで待っててくれ。すぐにすむから」
 何か言いたげなノアを手で制するキョウジ。そしてみなを一瞥してから、2人は舟への
梯子を登っていく。

 2

「みんな、舟が動き出す素振りを見せたら、速攻で中へ突っ込むぞ」
 キョウジとサヨリが梯子を登りきったのを確認して、アリサワが言う。その真意をみな
がはかりかねている。ふぅ、とアリサワが一息ついて、説明を始める。
「方法はわかんないが、あいつらは自分達だけですべてを終わらせようとしてる。馬鹿み
たいな自己犠牲さ。おそらく、ね。学校に残ったのも自分達を囮に俺たちを逃がそうって
腹だったはず。たぶん、あいつは、キョウジは最後の切り札を持ってるはず。これからそ
れを使おうってわけだ」
「だろうな。アリサワさんの言うとおりだ。たぶん、そんなとこだろう」
 カミカワはそう言って、シンジに合図して、駅から出て行こうとする。
「どこへ行く?」
 アリサワが尋ねるとカミカワは振り返って笑う。
「まぁ、あいつらのことはみんなに任せた。俺とこいつはやることをやる。あの気味悪い
ベイビーをやっつけてくるよ」
「あんな化け物どうやって……」
 ユキが言うとシンジは、とにかく任せて、と小さな声で答えた。
「これは俺とシンジにしかできないんだ」
「あんたらも自己犠牲かよ。似合わないな」
 ユウがそう言うと、カミカワもシンジも笑った。ユウは不機嫌な顔。
「違うね。これは大いなる脱出だ。このクソみてーな物語からの」
 カミカワはそう言って、ばいばい、と手を振って駅を出て行った。

 3

「シンジ、体大丈夫か?」
「うん。もう少し待ってくれる。ただ、体中が焼けるように熱いや」
 2人は迫り来る胎児を睨みつつ腕組み、仁王立ち。
「チャンスは1度だな」
「やれるの?」
「やってやれないことはないだろう?俺はハコブネのハーフだ。そっちこそ、大丈夫なの
かよ?」
「もういつでもお迎えが来ていい頃合だからね。これが最後の干渉さ」

 胎児は新しいおもちゃの前に、見覚えのある2人が立っているのを見つけ、嗤う。

 ……

 舟の内部は森だった。サヨリには見覚えがある。それは300年前に見た、箱舟の機関
部にあったもの。サヨリがイヴァンと出会ったところ。
「変な舟」
 サヨリが呟く。
 2人は森の中の小道を進んでいく。そしてひらけたところへ出る。椅子が一脚。豪勢な
つくり。まるで玉座。そして、そこにみすぼらしい老人が腰掛けている。
「やあ、2人とも。我が〈大きな音の神〉だ」

 4

 駅のホームでぶらぶらと時間をつぶす居残り組み。アリサワは舟から視線を離さず仁王
立ち。ノアもその隣りで舟を見上げている。キリコはホームのベンチに座り目を閉じてい
る。寝てはいない様子。絶えずぶつぶつと何かを呟いている。ユウ、ヨウジ、ユキ、ハツ
の4人は地べたに車座になっている。
「ユウ、いつまで不機嫌な面してんだよ」
 ヨウジが、ふくれっ面のユウの肩を叩く。
「別に」
「カミカワたちが気に入らないのかよ」
「そんなんじゃないって」
 ユウはヨウジの肩を叩き返す。
 ユウはカミカワたちに役目を奪われてた気がしていた。

 あいつを代わりに戦うって決めたのに、守るって決めたのに……それじゃ俺は何のため
にここにいるんだよ!

 ユウを縛る遥か過去の約束。

 俺は何かを成すためにここにいるんじゃねえのかよ!

 ユウは苛立っている。

 今すぐにでも舟に突っ込んでいってやろうか……

 舟の方を見ると、入口の梯子の周りをアリサワのそっくりさんが取り囲んで守っている。
ユウはそれを見て舌打ち。
 その時、世界が大きく揺れた。まるで星ごとシェイクしているかのように。

 5

 キョウジとサヨリは玉座に座る老人と向き合っている。良く見ると、老人は体中に管を
つけており、その管は玉座から伸びている。
「体が、な。限界にきているんだ。今ではこうやって生命維持装置をつけながらでないと
生きていけない。ユダの科学は神を超えられなかったんだよ。魂だけではヒトは現実に干
渉できないというわけだ。元の体を保存しつけないといけないとは……くっくっくっ、と
んだ永遠の命だ。そうは思わないか?」
 老人はそう言って咳き込む。
「それでも、得るものはあった。常人ではたどり着けぬ境地、能力。それを手に入れても
なお遠い神の座。ただし、それも今日で終わる。君たちの力があれば、神を超えることが
できる。さあ、ともに神を駆逐しようではないか」
 老人が枯れ木のような手を伸ばす。
「イヴァン。あんたに協力すれば世界は生まれ変わるんだな?」
「約束しよう」
「方法はあるんだな」
「ある。容易いことだ」
「わかった。その方法を教えてくれ」
「駄目だ」
「なぜ?」
「保険だよ……意味はわかるだろう?我は君たちを完全に信用したわけじゃない」
 キョウジは平静を装ったまま、心の中で舌打ちをする。

 流石にそこまで甘くはないか……

「わかった。急ごう。シミズさんがこっちに向かってる」
 キョウジがそう言うとイヴァンは肯く。
「準備はできている」
 その時、舟が大きく揺れた。







 続く




     


  4 最後の力


 1

 迫り来る胎児の数多の腕を掻い潜りながら、カミカワとシンジは機会を待っている。用
意していた銃の弾倉はすでに空。
「近づけそう?」
 上から伸びてくる腕を横っ飛びかわすシンジ。
「無理。隙がねえ」
 横なぎに迫る腕をジャンプでかわすカミカワ。
「ピンチだね」
「おう」

 2人は駅を背に胎児と戦っていた。胎児からすればじゃれていた、と言う方が相応しい
のかもしれない。銃を乱射するカミカワとシンジ。だが、弾は体に当たると、吸い込まれ
ていってまるでダメージはない様子。万事手詰まり。それでも2人は諦めてはいない。キ
ョウジたちを背に立ち戦っているという、照れ臭い気概。2人はそれを感じている。

「みっともねえな」
「たしかに」

 2人が望む機会がやってきたとき、シンジの体は限界に達し、無が存在を飲み込み始め
ていた。

 2

 星を揺らすほどの地震。突然のことに呆然とする胎児。その瞬間を、カミカワは逃さな
かった。胎児の真下に潜り込み、腹に飛びつく。
「このままいってやる!」

 あいつが箱舟そのものなら、俺が体内に入ることができるはず。どの程度コントロール
できるかはわからないが、動きを乱すぐらいはできるだろ……

 カミカワは腹の中にずぶずぶと潜っていく。肉に挟まれながら、シンジの方を見ると、
影が体中にまとわりついているのが見えた。
「シンジー!」

 頼んだぞ!

 その言葉が空気に触れることはなく、カミカワは胎児の中へ消えていった。

 ……

 シンジの体に衝撃が走る。それに呼応するかのように世界が大きく揺れる。シンジは大
地に膝をつく首筋に寒気。舐めるような冷気が体を蝕み始める。

 時間がきちゃった……

 見るとカミカワは胎児の体に張り付いている。作戦通り。

 僕が、僕がやらなきゃ……

 それでもシンジの四肢は言うことを聞かない。力が抜け、今にも消えてしまいそう。

「シンジー!」

 カミカワの声がシンジに届く。
 
 わかってる!

 シンジは心の中でそう呟き、目を閉じる。

 3

 大きな揺れの中、舟に火がはいる。固定装置が外れ、静かに浮かび上がっていく。アリ
サワたちは舟に近づこうとするが、揺れのためまともに立つことができない。
「キョウジーー!サヨリーー!」
 アリサワは力の限り叫ぶ。
 舟は底面から細長く青い炎を吐きながら静かに浮く。
 
 おまえら、そんなくだらないことするなよ!
 
 アリサワは地面を叩きながら心の中で叫び続ける。揺れの中、巨大な影がアリサワたち
を包む。見上げるとそこには胎児――シミズ――がいた。空へ上がろうとする舟にしがみ
つこうと手を伸ばしている。だが動きがちぐはぐ。胎児は苦痛に顔を歪め、奇声を上げな
がら、体を揺らしながら舟へ近づく。

 ……

 揺れ始めてすぐにイヴァンは舟を発進させた。
「大地も身をよじらせている。神が与えた苦痛。世界の終わり」
 イヴァンは立ち上がり手を振り上げ上を指差す。
「待っているがいい、傲慢な神よ!」
 舟が地から離れると、玉座の背後に外の風景が映し出される。キョウジとサヨリの目に
離れゆくシベリア鉄道が見える。キョウジはサヨリの手を握り、サヨリはその手を握り返
す。
「行くんだね」
 サヨリは悲しそうに笑う。
「うん」
 キョウジは鼻をすする。
 イヴァンが背後の映像に目を向けた時、得体の知れない巨体が迫ってくるのが見えた。
巨大な胎児。苦痛に顔を歪めながら、その手を伸ばしている。

 4

 気持ち悪ぃ。思った以上にひでーな、この中。箱舟ん頃とは大違いだ。全部がシミズの
意識で塗りつぶされてる。やれるかな?
 俺は体をコントロールしようと色々やってみるが、今ひとつ効果ない。だけど踏ん張ら
なきゃいけないな。シンジだって頑張ってるはずだ。俺がやんなきゃ。
 くそったれ、くそったれ、このこの、シミズめ!
 俺は無茶苦茶に意識を掻きまわす。反応があった。苦しんでるのが手に取るようにわか
る。それと同時に、抗体――やっぱりばれたか――みてーなのが俺の意識と体を絡めとろ
うとしてるのがわかる。ぐちゃぐちゃに溶かして養分にしてやろうってことだろう。
 だけど、やるっきゃないね。最終的に、スジは通さきゃな。あの子ももういないし……
俺はがむしゃらに抵抗する。舟に近づこうとする体を逸らそうともがく。
 仕方ないとか、これが人生だとか……身軽な俺には関係ないね。自由にやるだけだ。ほ
ら見てみろ、いつも数センチ浮いてる感じなんだ。なぁ、そうだろう?――意識が遠のい
ていく。胎児は舟にへばりついてしまった。胎児は俺の抵抗に苦戦しながらも、舟を壊そ
うと腕を伸ばしてる。俺は最後の力を振り絞る――キョウジよぅ、サヨリよぅ、なぁ、そ
うだろう、シンジ……はい、さいなら、だ。

 ……

 地べたが冷たいんだ。体が重い。無が飲み込んでる。あ~あ、こんなもんだね。最後ま
で物語を見たいがためにこの体になったっていうのに……なんだかなぁ。人間、完全に利
己的にはなれないってことだね。キョウジくん、サヨリさん……カミカワくんも頑張って
る……行こう。

 ……

 玉座の背後に映る映像はまるでホラー。巨大な胎児が舟にへばりつき、その手で舟を壊
そうとしている。キョウジとサヨリは予想外の事態に目を離せない。イヴァンは巨大な胎
児を見て唖然としている。
「〈原初の悪意〉め。我に害をなすか。ヒトが生み出した災厄めが」
 胎児は腕を振り上げ、渾身の一撃を放とうとする、が、そこで硬直。動きを完全に止め
る。内部の3人は何が起こったのか理解できない。そして次の瞬間、ものすごい勢いで飛
んできた1羽のフクロウが胎児の額の上に止まる。フクロウはチラッとキョウジたちの方
を見る。映像に気付いていないはずのフクロウが。

 5

 僕は姿を変えて、無に体を蝕まれながら、飛ぶ。最後の力を振り絞って胎児を目指す。
これが最後なんだと思うと、少し笑えるけど……胎児は舟に張り付いてる。振り上げられ
た手を見て、万事手遅れかと思ったけど、そこはカミカワくん、なんとかしてしまった。
硬直した胎児の額に僕は降りる。無はすでに体中に回っている。これが最後のチャンス。
さぁ、無よ。僕とこいつ、そしてカミカワくんを飲み込むがいい。
 誰かに見られてる感覚。観察者であった僕。その方を見ると、たぶんだけど、キョウジ
くんとサヨリさんが見えた。僕は笑う。そして嘴を胎児の額に打ち込み、けして離れない
ようにする。無が繋がった胎児の体を飲み込みきるまで……
 そうだな、最後はあの曲かな……え~と、そう「how to disappear completely」だな。
そんな感じ……色々思うことはあるけど、僕はやれるだけやったって気がする。胸を張っ
て自慢したいぐらい。ねえ、そうだよね、僕たちやったよね、カミカワくん……

 ……

 フクロウの体が闇に包まれ、それが嘴を伝わり、胎児の体をも侵食し始める。硬直した
体を動かすこともできず、胎児は恐怖する。泣き声を上げる。死にたくないともがく。体
のほぼすべてを無が絡めとる。胎児は最後の力を振り絞り、振り上げた腕を舟に落とす。
船体に穴が開く。内部が露出する。胎児の目にはサヨリとキョウジの姿が映る。

――サヨリーサヨリー、アリサワサンアリサワサン。オマエヲコロセバ、アリサワサント
イッショニイラレル。イツマデモ。キョウジ。コロス。アリサワサン。タスケテタスケテ。
タスケテヨ。ネエ。アリサワサン。アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ……

 無が胎児を飲み込み、消失する。傷ついた舟は上昇を止め、下降を始める。

 キョウジとサヨリにはわかっている。それがカミカワとシンジの成し遂げたことなのだ、
と。そしてキョウジは呟く。ここまでして、みんな死んで、それまでに俺は……
 最後の言葉を、キョウジは、言わない。








 続く




     


  5 絶望


 1

 こんな形でキョウジとサヨリを止められることができたなんて……シミズに感謝しない
といけないな……
 アリサワは空からゆっくりと落ちてくる舟を見上げている。地震は収まっていた。ただ、
世界の縮みは収まっていないよう。あれほど遠かった福神が、駅から見える距離まできて
いる。
 舟は静かに地面に着地。アリサワたちは舟に駆け寄る。

 ……

 俺はなんだか、無気力になってた。もうあの時の仲間は俺とサヨリしかいない。犠牲…
…そう言っていいんだろうか。
 舟が落ちたことで宇宙にはいけそうにもなくなった。もう八方塞り。どうにもなんねえ。
自分が〈旅人〉って存在だろうが、なんだろうが、もうどうでもよくなってきた。このま
ま世界が終わっても別にいい。もとより世界を救う気なんてなかった。ただ、俺は……俺
はサヨリと遠くへ行きたかっただけなんだ。

 ……

 キョウジくんは明らかにへこんでる。こんな時うまい言葉をかけてあげられればいいん
だけど、こういう時に限って、言葉は出てこない。
 舟は地面に戻ってきた。イヴァンの狼狽振りはもはや醜い。みんな、行き詰ってる。世
界はこのまま縮み続けて、はじめの地点に収縮して、それで終わり。消えてなくなる……
そんなんで言い訳がない。
 わたしはキョウジくんの手を握る。そして言う。
「ケンジくんとアミの舟がまだ残ってるんじゃない?」
 それを聞いてたイヴァンが笑い出す。
「そんなもの我が爆破してやった」
 もはや投げやり。どうにでもなれって感じのイヴァン。
「でも、アミは絶対に壊れないって言ってた」
 わたしがそう言うと、キョウジくんは力なく笑った。
「そうだな、あいつらにかけてみるか」
 キョウジくんはそう言って立ち上がった。
「いこう、サヨリ」

 2

 サヨリとキョウジが舟から出てきた。俺たちは歓迎するでも軽率な行為を罵倒するでも
なく、そんかわり、何となく気まずい感じ。アリサワはちょっと怒ってるみたい。
 キョウジとサヨリからカミカワとシンジが死んだって話を聞かされた。やっぱり自己犠
牲じゃねえかって俺は思う。でも、やっぱり、こうやって嫉妬してる俺は格好悪い。まる
で死にたがってるみたいだ。サヨリの代わりに死にたいって思ってるわけじゃない。ただ
……約束を守りたいだけ。
 サヨリが言うには、村の地下にもう一機舟があるらしい。でもそれを聞いたハツが、イ
ヴァンが爆破した、ってみんなに言った。なんだかバツが悪そうに。
「大丈夫。アミが大丈夫って言ったから」
 サヨリは強い。キョウジはやれやれって感じで聞いてる。なんだかキョウジは投げやり
になってるみたいだ。
「イヴァンは?」
 アリアが気にしてる。
「中にいるよ」
 キョウジが舟を指差す。
「そう」
「だいぶへこんでた」
「そう」
 アリアは悲しそう。
「どうするんだ?」
 キョウジがそう尋ねると、アリアは少しだけ微笑む。
「あの人は私が連れて行く。そうじゃないと、あの人は救われないから」
 アリアは1人歩いて舟へ向かう。
「アリア!」
 ユキが声をかける。立ち止まるアリア。振り向いた顔は笑顔。
「……頑張って!」
 アリアはそれを聞いて、うん、と肯き、また歩き出す。
 ユキの精一杯のエールってやつだろう。ユキは今にも泣き出しそうに、震えてる。

 3

 アリアが船の中に入っていくのを見届けてから、私たちは出発。すでに福神は歩いてい
けるほど近づいてる……いや、私たちが近づいているのか。
 キリコさんに元気がない。顔色も悪いし、脂汗をかいてるみたいで、額がてかってる。

 アリアはたぶん、あれで幸せなんだろう、と思うことにした。そして、たぶん、それが
真実。愛とか恋とか、わたしにはわからないけれど、アリアを見てたら少しわかった気が
する。ほんの少しだけど。でも、もうこれから恋愛をする機会なんてないんだなって思う
と少し寂しい。
 この世界は終わるんだ。

 福神に入ると、戦場だった場所は今や立ち尽くした人の博物館みたいになってた。みん
な人形みたいにかちこちになって、空のどこか一点を見つめてる。キリコさんが弱々しい
声で説明するには、創造主であるシミズが消えたからだろう、ってことみた。でもそれな
ら私たちはどうしてそうならないの?
「特別なのよ」
 キリコさんは吐き捨てるように言った。

 村にやってきた私たちは地下へ直行する。場所はハツが知ってた。
 地下の研究室は爆発の影響で瓦礫の山。よく落盤しなかったなって思うくらいぐちゃぐ
ちゃ。
 私たちは奥の部屋で舟……のようなものを見つける。

 4

 アミ、ありがとう。わたしは心の底からそう思う。あなたの作った舟は今、その姿を取
り戻そうとしている。復元の最中。まるでさなぎのよう。これから蝶になるのね。
 舟の状態はまだ7割というところ。少し時間がかかりそう。わたしたちは待つことにす
る。アミとケンジの舟を。

 強い揺れ。地下室が大きく揺れる。時間つぶしに外にいたユウたちが戻ってくる。
「空の色がおかしい」
 ユウたちに連れられて外に出て目に入ってきたのは、赤紫の空。夕焼け……とも違う。
たぶん、終わりの合図。急速に世界は縮み始めている。ああ、なんて大きな月!

 キリコさんは地下の研究室の壊れかけた椅子にもたれたままうなだれている。ユウたち
が心配して声をかけても、返事はない。ユキやハツは今にも泣き出しそう。
「キリコさんどうしたんすか?具合でも悪いんすか?まさかシミズが死んだ影響?」
 ヨウジの大声が地下室で反響する。
「……いや、そうじゃない」
 キリコさんは顔を上げる。
「寿命ってやつよ、たぶん」
 それを聞いたユウたちは絶句する。
「でも、まだ……」
 ヨウジがそう言うとキリコさんは困ったような顔をする。
「前々から兆候はあったんだ。ああ、そろそろかなって。まだ30過ぎたばかりなのにね。
まったく、嫌になるな。ちょっと生き急ぎすぎたか」

 5

 アリサワは1人、地上で見張りをしている。下ではキリコの件で大騒ぎ。それでもアリ
サワは見張りを続けている。
 嫌な予感。それがアリサワにはあった。

 いや、気のせいならそれでいいんだが……

 だが、それはアリサワの目に奇異な行列が映った時点で、気のせいではなくなった。
 それはまるで死者の列に見えた。単色の行列。どこかで見た容姿。
 シミズの行列。
 見ると、草原で固まっていた人々が姿を変えて動き出している。

 どこまでも俺を殺したいか、シミズ……

 アリサワは懐のベレッタを抜き、地下へ戻る。人々の列のことを告げると、青白い顔を
したキリコが言った。
「たぶん、シミズそのものじゃない。その残滓。ハコブネの要素を持っているからこそそ
うなる。あれらは〈原初の悪意〉が内にあったから」
 みな黙る。その中でユウがサヨリの元へ行き、肩にかかっていたハチキューを手に取る。
「俺に任せろ。お前とキョウジはパラノイド・アンドロイドでも聴きながら、舟を待って
ろ」
 ユウは覚悟を決めていた。これからが自分の出番だと知っていた。







 続く




     


  6 防衛


 1

 状況としては最悪。だが、新生教徒がベースとしていたことだけは不幸中の幸い。村を
囲むバリケードをそのまま利用することができる。
 アリサワは考える。殲滅が目的ではない、と。
「いいか、この場合、時間を稼げたら勝ちだ。舟が再生するまでの時間を稼げばいい。も
ちろん、キョウジとサヨリはいつでも出発できるように舟の傍で待機。防衛に出るのは俺、
キョウジ、ヨウジ、ハツ、ユキの5人。キリコは……」
 アリサワが椅子でぐったりしているキリコを見る。キリコは何も言わず首を振る。

 限界……か。

「バリケードを利用して守る。入口は1箇所だけだ。そこを重点的に守備する。入口には
俺とユキとハツ。ユウとヨウジは村全体をカバーしてくれ。他にも弱いところがあるかも
しれない。時間がない。いくぞ」
 武器は村中にあったので困ることはない。問題は1つだけ。時間。敵の数は膨大。数で
圧倒されたらひとたまりもない。
 それに、とアリサワは思う。素人ばかりだしな……
 
 地下を飛び出し、アリサワはハツとユキを連れて正面入口へ向かう。ユウとヨウジはそ
れぞれバリケードに沿って村を駆ける。
 正面入口を硬く閉ざし銃を構えるアリサワ。銃口の先には数え切れないほどのシミズ。
まるでシュールなコメディ映画のよう。
「さて、ハツ、ユキ。無理はするな。死ぬと思ったら逃げろ」
 そう言ってアリサワは笑った。前にも同じようなことを言ったな……
 そしてアリサワは引き金を引く。

 2

 俺だってやる。やってやるさ。サヨリからハチキューもらったんだ。俺はあいつの代わ
りに戦うんだ。見てみろ、バリケードの外は敵だらけだ。バリケード壊そうと馬鹿みてー
に頑張ってやがる。みんな同じ顔しやがって!
 1人、2人、3人……俺は正確に狙いをつけて、引き金を引く。倒れて動かなくなるシ
ミズたち。楽勝だ。
 俺は大声で叫ぶ。アドレナリンががんがん出てる。興奮してる。ハイになってく。もう
何も考えられない。

 ……

 シミズの顔は俺にとっちゃトラウマみてーなもんだけど、今はそんなこと言ってられな
い。少しでも時間を稼いで、そんであいつらが宇宙に出て、それで……それで?
 俺は銃を撃ちながらわからなくなる。
 
 それでどうなるんだ?キリコさんの命は救われるのか?

 あいつら〈旅人〉ってヤツなのはわかる。世界を救えるのかもしれない。でも、キリコ
さんは救われるのか?
 そんなことを考えながら、俺はバリケードを壊そうとするシミズたちを片っ端から撃ち
殺していく。世界が救われても、キリコさんがいなかったら……

 3

 舟がうにうにと直ってく。これをケンジとアミが造ったなんて信じられない。あいつら
確か馬鹿だった気がする。ケンジが特に。まぁアミは少しはまともってところか。
 サヨリと2人体育座りして舟の直り具合を見てる。地下は静かだ。たぶん地上ではアリ
サワさんたちが戦ってるんだろう。みんなが戦ってるっていうのに、こんなところで待ち
ぼうけだなんてなんだか馬鹿みたいだ。
 舟は現在8割強ってくらいの再生度。もう少し時間がかかりそうだ。

 ぼんやりし過ぎてうとうとしてたら、後ろでドアの開く音がした。音の方を見ると、今
にも死にそうな顔したキリコさんがいた。
「お邪魔かしら」
「いえいえ」
 俺は立ち上がる。俺に寄りかかってサヨリがバランスを崩す。
 キリコさんは俺たちの前に来て胡坐をかく。
「座ってよ」
 キリコさんの顔は白い。死相ってやつだろう。目の下の隈は寝不足のためじゃない。俺
は言われたとおりに座る。
「〈大きな声の神〉に会いに行くのね」
「ええ。そうなるでしょうね」
「たぶんだけど、あたしはもうすぐ死ぬ」
 俺とサヨリは黙って聞いてる。何て言えばいいかわからない。
「あたしはさ、学者になりたかったんだけど、まぁ色んな事情で駄目になって、教師をや
ってた。それでも研究は続けててね……今回の件のおかげで世界一の学者になれたわ。ま
ぁあたしに以外に生きてる学者がもういないんだけどね……教師になって今では良かった
と思ってる。あの子たちに会えたしね……でも学者であるのよね。だから最後に1つだけ
教えて欲しい。あなたたちはこれからどうするの?神にでもなるの?それとも……」
 キリコさんは俺とサヨリをじっと見つめてる。その眼光は鋭い。たぶん、マジになって
んだろう。
「……本当はイヴァンのヤツとその神様ってヤツと心中でもしてやろうかって思ってたん
だけど、今じゃそんなこと考えてない。実際はもうどうなるかわかんないんだけど……」
 俺の言葉にキリコさんはしかめ面。横で聞いてたサヨリが言う。
「そんなんじゃ駄目だよ!キョウジくん!しゃきっとして!わたしたちが進むのを諦めた
らここまで来た意味がないじゃないのよ!なんとかするのよ!この世界ごと!退屈な終わ
りから逃げるのよ。逃げ切るの!いい?逃げるんだからね」
 サヨリはちょっと怒ってるみたい。たぶん俺が腑抜けてるからだろう。
 あ~ぁ。やんなっちゃうな。惚れた女に励まされるなんて……だせえことこの上ないな。
わかってる。わかってんだよ。あいつらがもう死んじまってるから……だからこそやるん
だよな……

「誰に言ってんだ、サヨリ。逃げ切るに決まってんじゃねえか!」

 4 

 そろそろ入口も限界。シミズたちが押し合いへし合い入口を打ち破ろうとしてる。殺し
ても殺しても湧いてくる。キリがない。これまで押せ押せムードで銃を撃ってたハツやユ
キにも疲れが見える。
 ここらが限界かもしれないな。
 入口が破られたら今の位置は圧倒的に不利な状況になる。一斉にかかってこられたら対
処のしようがない。
 地下室の方を見る。舟が出て行くような感じはない。

 さて、と。民家辺りまで引いて篭城ってとこかな。地下室は家の真裏だし。いざとなれ
ば肉壁になって、地下室の入口に張り付きゃいい……俺だけでもな。

 メキメキと音がして入口が決壊する。その裂け目に無理矢理体を押し込んでシミズたち
が侵入してくる。
「ハツ、ユキ、引くぞ」
 俺は一心不乱に引き金を引いてるハツとユキと引っ張って後退を開始する。

 ……

 あそこも、そこも、バリケードが破られつつある。見ると入口がすでに決壊。アリサワ
さんたちが後退してくのが見える。俺は物陰で、弾がなくなったマガジンを放り捨て新し
い弾倉を装着し、連中の前に出て弾をばら撒く。殺しても殺しても敵の数は減らない。

 こりゃ、あれだ。ゲーセンにあるゾンビを倒すシューティングみてーなもんだな。

 俺はじりじりと下がる。アリサワさんを見習って引くべきってことはわかってる。たぶ
ん民家くらいまで下がって守るつもりだろう。この状況じゃそれが妥当。その内にバリケ
ードは破られてあいつらが押し寄せてくる。
 俺は撃つのを止めて、回れ右をして、民家へ走る。追い詰められてるってのに、口が勝
手に歌を歌い出す。昔聴いた映画の歌。そう、『雨に唄えば』。馬鹿みてーに陽気な歌だ。

 5

「それを聞いて安心したわ。たぶん、それが1番いいんでしょうね」
 キリコさんは俺の言葉を聞いて安堵の表情。白い顔に赤みがさす。でもそれも一瞬。ま
た青白い顔に元通り。
「舟も、もうすぐ直りそうね」
 キリコさんが言うので舟を見てみると9割方直ってる。もう10分もあれば再生が終わ
るってくらいだ。
「素晴らしい舟ね。あなたの友達が造ったんでしょ?」
「はい。ケンジって馬鹿なやつとアミって子です」
 キリコさんはにこりと笑う。
「そうね。彼らの血肉がかよってる。比喩的な意味じゃなくてね」

 ――絶対に壊れないように造ったから!ある意味箱舟と同じ原理で造ったのよ!

 アミの言葉が思い出される。サヨリもそれに気付いたみたい。サヨリの目からはポロポ
ロと涙が出てくる。
 キリコさんは、それじゃ、頑張って、と部屋を出て行く。俺はどうしようかちょっと迷
ってからサヨリの手を握る。握った手の甲にサヨリの涙が落ちる。







 続く




     


  7 最後の時間


 1

 もはやガラクタと化した舟の中。絶望に全身を侵されたイヴァンは脚の折れた玉座に座
っている。イヴァンの目に映るものは壊れゆく世界。神なき世界。
 その前に立ち、死に至る病に打ちのめされている男を、アリアは見下ろしている。
「世界は相変わらずだ。悲劇に満ちている。あの頃から何も変わっていない」
「そうね」
 2人の間に涼しげな風が吹く。何千年、何万年と隔たっていた距離を埋めるような風。
2人は何も喋らず、色々なことを思い出している。初めて出会った時のことや、初めて結
ばれた夜や……
「君はどうして我を裏切った?」
「私はあなたを裏切ったことなど1度もないわ」
「そうか」
 イヴァンは大声をあげて泣く。憎しみと寂しさを込めて。
 アリアはそれを見守っている。母のように。
「我は〈大きな音の神〉なのだ。新しい神なのだ!」
 イヴァンの叫びは虚しく響く。
「あなたはイヴァンよ。ただのイヴァンよ」
 イヴァンは涙を流しながらアリアを見つめる。風貌に似つかわしくない若々しい眼光。
「俺はどこで間違ったんだ?」
「あなたは間違えてないわ。ただ少し、急ぎすぎただけ」
 アリアはイヴァンを抱きしめ、頭を撫で、頬を撫で、顎を撫で、そして喉仏を撫でる。
ナイフをゆっくりと喉仏に差し込む。赤黒い血がとろりと垂れる。
「彼らは行くんだな」
「ええ」
「そこに幸せがあるようにと願うのはあまりにも身勝手だろうか?」
「いいえ、それがあなただもの」
 イヴァンの肉体が塩の柱になり、そこから輝く魂が現れる。アリアはその光を胸に抱き
しめ、口付けをする。
「行きましょう。ゆっくりと物語を見届けましょう」
 アリアの肉体から魂が抜け出る。2つの魂は二重螺旋を描きながら、空へ登っていく。

 ……愛してるわ、イヴァン。

 その言葉は光の飛沫に混じり、荒野に降った。

 2

 後退するにしてもここが限界だな。この民家が最終防衛線ってとこか。縁側に座って銃
を乱射してるなんて、なんだか間抜けみたいだな。
 ヨウジが、敷居はまたがせない、なんて馬鹿みたいなこと叫んでる。ハツとユキは黙々
と引き金を引いてる。
「ユウ、前に出すぎるなよ」
 アリサワさんの指示。指揮官ってやつがいると多少なりとも頼もしいのはなんでだろう
な。的確な指示はありがたいもんだ。

 シミズの大群。目的は舟が出るまでの時間稼ぎ。それだけに戦ってるから別にいいんだ
ろうけど、たぶん、俺たちは死ぬだろう。どう考えても逃げ切れる状況じゃない。みんな
は気づいてるんだろうか?……気付いてるだろうな。気付いてて、知らん振りしてんだろ
うな。きっとそうだ。それぞれに結末が見えてるんだろう。

 悪くない。うん、悪くないな。全然悪くない。

 3

 俺はと言うと、少し焦ってる。みんなはがんがん銃を撃って、それぞれに覚悟があるみ
たいだけど……気になってる。背中の先。地下。死にかけてるキリコさん。

 最後の時間を誰と過ごしたい?と聞かれたら俺は即答するだろう。

 キリコさん、と。

 引き金を引きながら、どうして俺はこんなことをしてんだろう、なんて思うことがある。
理由はよくわからない。キョウジとサヨリのため、って感じなんだろうけど……でもやっ
ぱりおれにはキリコさんの方が大事。そんなのわかってる。でもこの戦いに義理を感じて
るってのも事実。なんでだろう?でも、だからこそ、俺は俺の為に選びたいって思う。死
に場所くらい自分で決めたい。
「いって良いわよ」
 隣りで腹ばいになって銃を撃ってるユキが言う。
「何だって?」
「キリコさんのとこ」
「ユキ、お前」
「ああ、そうだ、行ってこいよ。ここはなんとかしとくから」
 ユウが大声を出す。銃声の間に響く。
「そうね、ヨウジ。行ってきなさいよ。最後なんだし」
 ハツは髪をかき上げながら言う。アリサワさんの方を見ると、笑ってる。  
 俺は生まれて初めて、こいつらに感謝する。俺は銃を撃つのを止めて、こう言う。
「またな」
 俺は走る。

 4

 舟の再生が終わろうとしている。わたしとキョウジくんはすぐに出発できるように、舟
に乗り込んでる。操縦席はシンプルなもの。座席が2つとスクリーン。操縦桿は水晶球み
たいなヤツ。手で触れると思ったように動かせるみたい。
 キョウジくんはいつでも出発できるように水晶球に手を置いてる。スクリーンには再生
度を示すパーセントが出ている。現在97パーセントと少し。
「もうすぐだな」
「そだね」
「緊張してる?」
「ん?いや、してないよ。キョウジくんは?」
「俺はちょっとしてるかな」
「そうなんだ」
 わたしは笑う。キョウジくんは照れてる。

 たぶん、こうやって呑気に話すのもこれが最後なんだろうなってわたしは思う。たぶん
最後。

「ねえ、キョウジくん。不思議ねえ。あの頃はただコウコウセーやってれば良かったのに、
今ではこんなんなっちゃってる。ずいぶん遠くへきたね」
「そうだなぁ。あの頃は……楽だったよなぁ」
「そうだねぇ。たぶん、これからもっと遠くへ行くんだろうね」
「だな。どこまでも行くさ」
「2人でね」
「ああ、2人で」
「……寂しい?」
「……たぶん」
 スクリーンの数字が100になり、舟に火がはいる。地下室内に轟音が響き渡り、天井
が開く。

 わたしはどうしてだか、ユウの言葉を思い出す。

 ――俺に任せろ。お前とキョウジはパラノイド・アンドロイドでも聴きながら、舟を待
   ってろ

 どうして知ってるんだろう?

 わたしの頭の中に古い記憶がよみがえってくる。あともう少しで何かを思い出せそうっ
て時になって、舟が出発する。

 5

 でかい音だ。終わりの合図。俺は背後を見る。舟が出て行くの見える。どうやら俺たち
の勝ち。時間稼ぎも終わり。あとは弾が尽きるまで撃つ続けるだけ。
 ハツ、ユキ、ユウも安堵の表情。

 どこまでも行けよ、サヨリ、と俺は思う。せいぜい、キョウジと幸せにやるんだな。

 さて、と。こいつらを何とかしないとな。これが俺の最後の仕事だ。

「おい、3人ともよく聞け。地下室へ後退するんだ。ここはもう駄目だ」
 俺は3人の尻を叩いて地下室へ押し込む。扉を閉める。
「アリサワさん、早くこっちへ」
 ユキの声がドア越しに聞こえる。
「いいから地下へ行け。階段ごとぶっ壊して地下を隔離する。キョウジたちが世界を何と
かするまでそこでしのげ」
「そんな!ふざけんな!」
 ユウがドアを蹴ってる。
「外からしかできないんだよ。内側からじゃ、地下室へ通じる階段通路は壊せない。だか
ら俺がやるんだ」
「アリサワさん!」
「早く行け。こっからは俺の仕事だ。お前らの仕事は、これが全部終わってから、だ」
 ドア越しにもじもじしてる3人の気配が伝わってくる。俺はタバコをくわえて火をつけ
る。
「死んでも逃げろよ」
 3人の気配が消える。さて、爆薬もない、RPGもない、となると……
 
 俺は停めてあったトラックに乗り込む。シミズたちがトラックにしがみついてくる。俺
はベレッタを撃ちまくりながら、トラックを地下室へ突っ込む。
 トラックは俺の思ったとおりに地下室の入口に嵌る。ぶつけた衝撃で体中がちぎれるよ
うに痛い。俺は運転席から這い出る。近寄ってくるシミズたちへ向けてベレッタを撃ちな
がらくわえてたタバコをプッ、と吐き捨てる。
「シミズ。あの世でも俺が面倒見てやるから、勘弁しろよ。じゃあな、サヨリ、キョウジ。
物語はあの世でゆっくり見せてもらうとするよ」
 ガソリンタンクから漏れていたガソリンの水溜りにタバコが落ちる。
 
 1人はいやだなぁ。でも1人だからこそ死んでいけるってのも、あるよなぁ。だよなぁ、
キョウジ、サヨリ……

 そしてトラックは周囲に群がっていたシミズたちを巻き込んで爆発。俺もようやく、こ
の世からのお暇。








 続く




     


  8 むかしむかし


 1

 むかしむかしで始まる物語は――とあたしは思う。めでたしめでたしで終わらなければ
ならない――

 ……

 終わりとはかくも静かなものなのだろうか。体から力が抜けていくのがわかる。
 
 ああ、あたしは死ぬんだ。

 本当に長い……想像もできないほど遠い昔からずっと……この物語は終焉へ向けて紡が
れてきた。人の想いが絡まりあい、間違い、嘆き、喜び、執着し、そして終わる。

 人生40年であるはずなのに、あたしは30過ぎで人生が終わる。稀にいると言われる
短命な人間。それがあたし。18の時に医者に宣告された。あなたは人より早く死にます
よ、と。さらに医者は付け加えた。最近そういった方が増えてきている、と。考えればあ
の頃から世界は終わりに向かっていたんだと思う。
 別に生き急いだわけじゃない。焦ってもいなかった。ただ、後悔をしたくなかっただけ。

 おかげであたしは多くのことを知ることができた。

 2

 誰も到達できなかった知識の極地。『神話篇』の全貌。そしてそこから導き出されるあ
る仮説。もはや確かめる術はない。この静かな地下室であたしは死ぬ。知識欲も減退し、
今では仮説を確かめることができなかったとしても、悔しくない。
 あたしは『神話篇』のページをめくる。ほかの章はすべて埋められているが「終末記」
だけは空白。これは意図的に空白になっている。これを書いたシンジは、「終末記」の内
容を知らなかった。というか知りようがなかった。なぜなら、今この時代が「終末記」の
舞台だからだ。
 あたしはその空白にペンをおとす。誰にも読まれることはないと知りながら、断片的に
これまでのことを記し、そしてあたしが考えた仮説を書いていく。
 途中ペンを止める。
 誰にも読まれない書物なんてなんだか虚しいわね。
 そう考えて、1人笑って、またペンを動かす。

 3

 「神話学」を学ぶ人間にとって、数ある絵本の中でも、『旅人と4賢者』は特別。たぶ
ん、みんなそう言うはずだろう。あたし自身も昔から好きだった。むかしむかし、でその
絵本は始まる。
 筋は〈旅人〉と〈4賢者〉の交流を描いたもの。それぞれに約束を交わしあい、そして
それを守る賢者の話。簡素化された文章で書かれたそれは、なぜか懐かしい。

 あの話、好きだったなぁ。

 そう、あの絵本は予言的でもあった。「終末記」を予想していたのかもしれない。

 ユウ、ヨウジ、ユキ、ハツはシンジによれば〈4賢者〉なんだろう。アリサワのように
転生があるのであれば、それも不思議じゃない。だが、彼らは自分たちがそれであること
を知らない。あたしもシンジもそれを彼らに教えはしなかった。たぶん、そういうのは関
係ないって思ってるから。過去からの物語であるからこそ、過去を引きずりすぎるきらい
がある。だけど、肝心なのは現在であり、その「今」から続く未来なのだ。
 彼らは彼らなりに役目を果たしてきた。知らず知らずのうちに。それを人は運命と呼ぶ
のかもしれない。
 だからこそ、〈運命〉というシステムはまやかしであると、あたしは結論付けた。

 4

 この物語は過去から続く因縁の物語。〈運命〉に縛られたものたちが「終末」で出会う。
そう、これは遥か過去に決定された事柄である……とはじめは考えていた。しかし今は違
う。
 なぜか神の沈黙。声を取り戻すために……という理由。これまでの体験が非日常的であ
るからこそ見落としがちな1つの疑問。

 神は実在するのか?

 『神話篇』どおりであればイヴァンやアリアは出会ったことがあるのかもしれない。だ
がそれは本当に神というべき存在なのだろうか?
 あたしの知る限り、神は何もしていない。ほとんど世界に干渉していない。世界がどう
いう状況にあっても――イヴァンの反抗の際にのみ神が干渉しているが、それも神そのも
のが干渉したかは甚だ疑問。神の名を掲げた集団が反抗すれば、それが神の命令だと考え
るものもいるだろう――だんまりを決め込んでいる。
 暇な神。〈大きな声の神〉はそれ。

 神はいない。それがあたしの結論。そして〈運命〉というシステムは幻想。あたしたち
はすべて自分が望んだ道を歩いてきた。あたしたちは運命に縛られてはいない。そう思い
込んでいただけ。

 神はいない。それがあたしが導いた最後の仮説。

 5

 あたしは『神話篇』を閉じて、ペンをポケットにしまう。代わりにタバコを1本引っ張
り出してくわえる。そして、今まで使うことのなかったマッチを取り出し、タバコに火を
つける。煙を吸い込むと、肺がびっくりして、咳き込んでしまった。
 禁煙のやめるにはよい頃合。終わりを迎えるのに、何もないのでは口が寂しい。

 キョウジとサヨリの物語が続けば、この世界も何らかの変化を迎えるだろう。元に戻る
のかもしれないし、新生するかもしれない。
 だが、どうなろうと、その世界をあたしは見ることはできない。

「キリコさん!」

 声の方を見るとヨウジが立っていた。硝煙の匂いがする。必死で戦ってきたんだろう。
ヨウジはあたしに傍に立ち、そして言う。

「俺、キリコさんと最後は一緒にいたいです」

 まったく、なんてことを言うんだ。これから死ぬって言う三十路の女に……それに……
「最後、じゃない。世界は終わらない。キョウジたちが何とかしてくれるよ。だから、あ
なたや、みんなは次の世界を生きなさい」
「キリコさんも一緒に……!」
 ヨウジは言葉に詰まって、俯く。あたしはヨウジの頭を撫でながら、タバコを吸う。煙
を胸いっぱいに吸い込んで、吐き出す。紫煙があたしとヨウジの間を舞う。
「大丈夫。たぶん、大丈夫なんだよ」
「でも!」
「ヨウジ、ありがとう」
 あたしはヨウジの頭から手を離す。タバコの最後のひと口を味わう。

 むかしむかしで始まる物語は、とあたしは思う。めでたしめでたしで終わらなければな
らない――けれど、めでたしめでたしで終わった物語の先でも、あたしや彼らの人生は続
いていくのだ。

 全身の力が抜け、あたしはタバコを落とす……意識が遠のき、ヨウジの声が消えていく
……

 めでたしめでたし――
 








 続く




     


  9 サヨリ


 1

 無数の星が真っ黒な背景の上に輝いている。ここは宇宙。真っ暗な中に浮かぶ青い星は
とても美しく、切なく、懐かしい。目を反対に向けると穴ぼこだらけの暗い星が見える。
これから行くところ。月。太陽からの光が当たっている側は明るい。その裏側は暗い。で
も、とわたしは思う。月は裏側だけが暗いんじゃなくて、本当はその全体が暗いんだ。

 キョウジくんが太陽だとしたらわたしは月だな。

 そんなことを考えて、ふふ、と笑うとキョウジくんがこっちを変な目で見てた。
「突然笑って気持ち悪いよ」
「ちょっとね」
 わたしはそう言って座席から立つ。舟は大気圏を抜けて以降安定している。優雅な旅に
なりそうなんだけど、月は目と鼻の先。世界が縮んでいるおかげで、あっという間の宇宙
旅行。窓の傍に立ち、暗黒の世界を見渡す。とても寂しい感じ。
「何考えてる? 今」
 いつの間にかキョウジくんが後ろに立ってた。窓ガラスにキョウジくんの顔が映ってる。
「これからどうなるんだろうなぁって」
「なるほど」
 顎に手を置いて考え込むキョウジくんの姿が窓に映る。あまりにも真剣そうだからわた
しは笑う。
「また笑った」
「真剣に考えてるもんだから」
 わたしはキョウジくんの方を向く。
「実際、こっから先は出たとこ勝負だな。まぁ、本当に神様ってのがいればだけどな」
「どうかしらね」
 舟は月に近づく。着陸態勢に入る際のアラームが響く。わたしたちは急いで座席に戻る。
「短い旅だね」
「まったく。ゆっくりしてる暇もないや」
 舟は月へ降りていく。

 2

 中を探しても宇宙服はない。駄目だこりゃ、ってキョウジくんは笑う。ここにきて片手
落ちだな。
 宇宙空間には空気はない。生身で外に出られるとは到底思えない。わたしたちは呆然と
して窓の外の月世界を眺める。灰色の砂漠。ここが地獄だと言っても信じてしまいそうな
くらい……過去にここにたどり着いた偉人が立てたと思われる旗が見える。旗は気持ち良
さそうに揺れている。

 ……揺れている?空気もないのに?

「キョウジくん、宇宙って風が吹くのかしら?」
「吹かねえだろ」
「じゃあ、なんであの旗は揺れてるのかしら?」
 わたしがそう言うとキョウジくんは、本当だな、と窓ガラスに顔を押し付けて旗を食い
入るように見る。
「外に出ても大丈夫ってことかな?」
「……行ってみるか」

 わたしたちは恐る恐る外への扉のロックを外す。ゆっくりとドアが開く。そして風が入
ってくる。息はできる。暑くも寒くもない。
「なんだか、馬鹿にされてるみたいだな」
 キョウジはそう言って灰色の大地の上に降りる。
「まぁ、ご都合主義と笑いたくば笑えってところか」

 3

 目的地もわからずにわたしたちは灰色の大地を彷徨ってる。わたしはipodを聴きな
がら、キョウジくんの後をついていく。曲は「パラノイド・アンドロイド」。ユウが別れ
際に言った言葉を思い出す。何かひっかかる。けれど、それが何なのか思い出せない……
「サヨリ、見えてきたぞ。たぶんあれだろ」
 わたしは考え事をやめてキョウジくんの指差す方を見る。灰色のピラミッドが見える。
綺麗な四角錐。傷一つなくつるりとした外観。入口と思わしきところだけが窪んでいる。
 ピラミッドに近づくとその大きさがわかる。見上げるとまるで山のよう。たぶんエジプ
トにあったそれもこれと同じように大きかったんだろう。
 わたしたちは入口を通り中に入っていく。通路は真っ暗。手探りで前へ進む。空気が冷
たくなってきた気がする。時折触れる壁は氷のように冷たい。

「離れるなよ」
 キョウジくんが言う。
「大丈夫」
 わたしは答える。
 わたしはキョウジくんの手を握る。キョウジくんの手は爪の先まで冷たい。震えている。
それはわたしも同じ。
「サヨリ、震えてるな。寒いか?」
「ちょっとね」
 そう言ってキョウジくんの手を強く握る。

 たぶん、わたしもキョウジくんも予感がある。これが最後なんだっていう予感。

 4

 アミへ。
 
 最後の映像観ました。とても幸せそうだったね。わたしも嬉しくなっちゃいました。そ
れと、舟ありがとう。あなたたち2人のおかげで、わたしたちは今、月にいます。月よ、
月!なんだか馬鹿みたいじゃいない?だって元は福神の高校生だったのに……
 あの頃の福神っていったら近くの工場地帯と狭っ苦しい繁華街。みんなつまんなそうに
してたね。わたしたちもなんとなく日々を食いつぶしてて、なんとなく高校を卒業するん
だろうな、なんて思ってたね。アミは将来東京に出て働きたいって言ってたね。わたしは
地元に残って事務職でもやろうかなって思ってた。つまんない夢だよね。

(――おい、サヨリ。扉を開けるぞ――お願い、もう少し待って!――)

 教室に監禁されて、それからわたしたちは全然別の世界に生きることになった。人がた
くさん死んだし、わたしもたくさん人を殺した。日常は遠くなって、非日常がすでにわた
しにとっての日常になってた。それでもね、それでも、わたしは、実は、ちょっと楽しか
ったんだ。みんなとの逃避行も、マルセイユでの戦いも……不謹慎だよね。でも、充実し
てた。それもこれもアミが支えててくれたから……キョウジくんがいなくなって半ば自棄
になってたわたしをずっと見守っていてくれたものね。本当に感謝してる。わたしは最高
の親友を持ったんだろうなって思う。

 たまに思い出す。アミと通った喫茶店とか、買い食いしたたこ焼きの味とか。憧れた先
輩とか、放課後の教室の感じとか。それは今でもわたしの心の中に大事にしまわれてる。
……そうね、あの日々もそれほど悪くはなかったかもね……でもそれも今は昔。
 わたしの現実は続いている。
 アミ、ありがとう。2人に祝福されて、わたしたちは幸せです。また会いましょう。絶
対に。そいれじゃ、行くね。

 ……

 暗闇の突き当たり。キョウジくんは扉を開ける。光が隙間から溢れる。

 5

 巨大なパイプオルガン。その前に事務机が1つ。1人の男が書き物をしている。入って
きたわたしたちに気付いて書く手を止める。
「やあ、遅かったじゃないか」
 そう言って男は立ち上がり、事務机の前にある真っ白のソファに腰掛ける。
 年の頃はわたしたちと同じくらいに見える。デニムに黒のジップアップパーカー。イン
ナーの白と紫のボーダーが見えてる。
「……お前が〈大きな声の神〉か」
 キョウジくんがそう尋ねると、男は笑った。
「たぶんあんたらで言うところの神ってのは俺の後ろにあるあのガラクタのことだよ」
 男は親指を立てて、後ろにあるパイプオルガンを指す。
「まぁ、音がでなくなってずいぶん立つけどな。俺には直せやしないし……ガラクタだよ。
それより、こっちきて座れよ。これまでずっと1人で退屈だったんだ」
 男は手招き。わたしたちは警戒しながらソファの前に進む。
「座れば?座布団あるよ」
 そう言って男はソファの後ろ側から座布団を2つ取り出してこちらに放る。わたしたち
はそれを敷いて座る。
「う~ん、だいぶ警戒してるね。顔が固いよ?緊張することないよ。別に何もしやしない
からさ。ああ、自己紹介しておこう。俺は……え~と、名前を忘れた。ずいぶん名乗って
ないからなぁ」
 そう言って男は笑った。
「まぁいいや。ナナシとでも呼んでよ。あんたらはキョウジとサヨリだろ。ずっと見てた
よ。大変だったな。よくここまで来れたもんだ。いやここ暇でさぁ、ずっと待ってたんだ
よね……」
 気持ち良さそうに喋るナナイを遮りキョウジくんが言う。
「世界はどうなる?」
 それを聞いてナナシはつまんなそうに、ため息をつく。
「さてね。俺にはわからないな。後ろのアレはもう壊れてるし、どうしようもないな。世
界は縮み続けてるしね。このまま全部消えてしまうだろうな」
「そんな無責任な!」
 つい、わたしは大声で叫んでしまう。ナナシはびっくりした顔になってへらへらと笑う。
「ムキになるなよ。仕方ないだろ。俺は神様じゃないんだから」
「でも……洪水とか起したのはあなたでしょ?」
「それはだから、あのパイプオルガンの力。俺はそれを使ってただけ。もらいものなだけ
に、壊れたら直せないんだな、これが」
「ふざけんなよ!」
 キョウジくんは立ち上がり、ソファに座ってるナナシの胸倉を掴む。ナナシはへらへら
笑ってる。
「まぁ、待てよ。俺にはできないってだけだよ。でも、あんたらならできる。その方法を
教えてやるよ」
 キョウジくんは手を離し、すごい形相でナナシを睨んでる。ナナシは相変わらずへらへ
ら笑ってる。
「俺の身の上話でも聞けよ、なぁ」
 そしてナナシは話し始めた。






 続く




     


  10 キョウジ


 1

 そいつは馬鹿話をするみたいに、へらへらと話した。自分が別の星から来た人間である
こと。パイプオルガンは創星装置であること。パイプオルガンは壊れて、システムエラー
は修復不可能な状況であること。
「そして、俺はここでずっと物語を綴ってる。ほら、君の友達のシンジくんや、その前の
フクロウが観てきたものを物語にしてるんだ。それだけでもう、何万年も過ぎてしまった。
自分の名前も忘れて、ね」
「ナナシはどうして星を創ろうと思ったんだ?」
 素朴な疑問。神にでもなりたかったのか?
「地球がね……いや、俺が住んでた星の名前なんだけどさ。壊れたんだ。理由は知らない
けどさ。で、科学者たちが地球を再生するために造ったのがこのパイプオルガン。俺は目
を開けたら舟に乗せられてた、こいつと一緒にね。どんな選考基準で俺が選ばれたのかは
知らない。たぶん、間違いで選ばれたんだろう。文字通りの地球最後の男として地球再生
を任されたわけだ。俺はどこか知らない次元で、こいつを使ってみた。そして出来たのが
この宇宙でありこの星さ。完璧だと思ったよ。星自体は地球そのもの。ただし、この機械
は調整不足だったせいか変なもんを色々創ってしまった。その中でも最たるものがお前ら
〈旅人〉だよ。いやぁ色々微調整してみたんだけど、弄りすぎて壊れちまうしな。万事お
手上げ。救いは洪水機能だけってところだけど、それもガタがきたしな。俺は諦めて、こ
の変な世界を物語にすることにした。誰が読むのかも分からない、ね……本当に長年観察
すればするほど、お前ら〈旅人〉は異常だってことがわかってきた。お前らはまるで神の
ような力を持ってる。事実上不死だしな。ただ、だからこそ、この世界を救えるんだな」
「俺にパイプオルガンなんて修理できないぜ」
「その通り。だけど、お前らお得意の逃げるってことはできるだろう?死んでも逃げてき
たんだ。わけないよな」
「話しが見えねえな」
「何度も言わせるなよ、逃げ続ければいいんだ」

 2

 ナナシが言ったことはこういうこと。舟を使って逃げ続ければ良いってこと。それが世
界を元に戻すこととどういう関係があるかはわからない。ナナシが言うには、〈旅人〉っ
てのは世界を拡げ続けることができるんだそうだ。そして世界は一周して元のところに収
まるらしい。今の状況を変えることはできないけれど、ずっと先で、世界はあるべき所に
戻ることができるらしい。
 理屈はさっぱりわからんが、とにかく遠くへ行けばいいってことだ。
「でも、それじゃみんなは……」
 サヨリが言う。たぶん、地上にいる連中のことだろう。
「大丈夫。あっという間さ。時間なんてクソみたいなもんなんだ。すべてがリセットの時
を目指して、眠るだろうさ」
「死ぬってこと?」
「それでも彼らの物語は続く。次の世界でね。そう、大規模な洪水って考えてもらえばい
い」
 なんだかうまく丸め込まれたみたいだ。詐欺にあってる気分。
「それで」と俺は尋ねる。「お前はどうするんだ?」
 ナナシはへらへらと笑う。
「ここで物語でも書いてるさ。お前らも知りたいだろう?この先を」
 そう言ってナナシは書きかけのページを開いて俺たちに向ける。
「この場所からお前らの舟に物語を送り続けてやるよ。長旅にはそういう暇つぶしも必要
だろう?」
「ああ、そうだな」
 なんだか俺もへらへらと笑ってしまう。やつにのせられてる感じ。
「あなたも不死なの?」
 サヨリが尋ねるとナナシは肯く。
「お前らのとはちょっと違うけどな。俺は体に機械を埋め込まれて強制的に生かされてる
んだからな」
 そう言ってナナシは自分の胸を叩いた。
「地球を再生するにはこれぐらいの体じゃないとできないって思われたんだろうな。まっ
く気が利いたことするよな。自殺もできやしない。セーフティ機能がついてんだろうよ。
まぁ、いつかは電池が切れてさようなら、だろうけどな」
 そう言ってへらへら笑うナナシ……たぶん、何度も死のうとしたんだろう、と俺は思う。
へらへら笑いは諦念の結晶か。

 3

 ナナシは旅立ちのはなむけとして、色々な装置をくれた。食料を生み出す機械。酸素を
無限に生み出す装置などなど……俺には必要ないんだ、機械みてーなもんだから、と笑う
ナナシ。こいつの人生は牢獄に等しい、と俺は思う。逃げることもできないし、死ぬこと
もできない。このピラミッドは檻なんだろう。
「月から先は〈旅人〉が未踏破の領域。ここを出発してすぐに星は眠りに入るだろう。そ
していつか、夢を見るように目を覚ますだろうさ」
 ナナシは本を開く。そして続きを書き始める。
「観察者の代わりはもういない。でも、シンジはその〈目〉は残していったみたいだ。前
よりは不鮮明だけど、下の様子が見える。行く前に見ていけよ。彼らの今を」

 ……

 ユウたち4人は舟があった場所で身を寄せ合っている。地下は静か。誰も何も話さない。
絶望が4人を包んでいた。じわじわと迫ってくる死の恐怖。世界の終わり。
「キョウジとサヨリ、ちゃんとやってるかな」
 ユウが呟く。
「大丈夫。大丈夫」
 呪文のように唱えるユキ。
「もし、うまくいって、世界が戻ったらさ、何したい?」
 ハツが言う。
「そうだなぁ、これまでできなかったことかな」
 ユウがそう言うとヨウジが笑う。
「貪欲だな」
「いいだろ、別に」
「そうねぇ、私は」とユキが言う。「キョウジとサヨリみたいなカップルになりたいかなぁ」
「うわぁ~なんかキモイ」
 ユウが茶化す。
「ま、半分冗談だけどね。でも、恋愛はしてみたいな」
「ユキが恋愛ねぇ。変われば変わるもんね」
 ハツが笑う。ユキは顔を真っ赤にしてすねる。
「別にいいでしょ」
「……俺は、もう1度キリコさんに会いたいなぁ」
 ヨウジがぽつりと言う。みんな黙る。

「会えるんじゃね?」

「うん会えるだろ」とユウは自分に強く言い聞かせるように言う。
 そしてみんな、笑う。

 4

 俺たちはナナシに見送られて月を出発した。なんだかんだで見送りをされると寂しくなる
のはなんでだろう?
 舟は快調に進んでく。俺とサヨリはだらだらとお喋り。これから長い時間を一緒に過ごす
ってのに、こんなに話してていいんだろうか?すぐに話のタネが尽きちゃうんじゃないかな?
でもサヨリは気にせずにバンバン喋る。思い出話をしたかと思えば、これから行く先がどん
なところかって期待に胸膨らませてる。
 まぁ、とにかく、俺たちは、逃げてる。

 ……だが何から?

 そう、何で俺たちは逃げてんだろう?そもそもこれを逃げてるって言うんだろうか?

 ……たぶん、逃げてるって言わないんだろう。これは旅、だ。いや旅でもないか。進んで
るだけだな。淡々と進んでる。サヨリと一緒に。進み続けてる。止まらずに。行きたいから。
俺が行きたいから!俺とサヨリがそうしたいから!自由に生きるために。何者にも縛られな
いために。俺やサヨリをつまんない世界に――だせえ世界に――押し込めようとするあれや
これやから逃げるように進んでる。

 そう思うことにした。そしてそれがきっと答えなんだろう。俺が決めた。

 サヨリが俺の手を握る。
「この世の果てまで行くのね」
「なんだよそれ」
「果てなんてあるのかな?」
「ないだろ」
「そ、だね」
 俺はサヨリの手を握り返す。
「逃げ続けて、一周して、また戻ってくるさ」

 5

 ――――

 本当にやけっぱちに良い天気なもんだから、遠回りして――知らないところを見て回るの
は楽しいもんだ――散歩してるって具合。猫が塀の上でにゃーごにゃーご鳴いてて、奥様方
が世間話に花を咲かせてて、でかいトラックの排気ガスに咳き込む老人や、汗をかきかき営
業してるリーマンや、つまんなそうな顔でレジ打ってるバイトくん……
 なんだか、色んなことを――期待という名の妄想――考えたりするんだけど、たぶん、そ
んなの叶いやしないってわかってる。だいぶ俺も世間ずれしてきてる。夢なんて語るにはち
ょっと歳を取りすぎた。つってもまだ高校生。花も恥らうってやつ。
 しょぼい公園の便所で放尿。すっきりしたとこで、ベンチに座って缶コーヒーをすする。
甘いのがお気に入り。
 
 さて、何て言ったもんかな……

 言い訳とか一発ギャグとか、その他もろもろをシミュレートしてみるけど、どれもしっく
りこない。

 まぁ、行き当たりばったりだろうな……

 飲み干した缶コーヒーをゴミ箱に放り込んで、また、俺は歩き出す。
 歩くのは好きだ。遠くへ旅行をするのも好きだ。結局、俺は移動してるのが好きってこと
なんだろう。将来さすらいのスケコマシになるのが俺の目標……なんてね、冗談だけどな。
阿呆もここまでくると、我ながら笑える。

 俺は阿呆だ。阿呆。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損~ってなもんで、俺
は目的地に辿りついた。

 そう、俺は阿呆だ。散歩癖のある遅刻好きの。 







 続く




       

表紙

スモーキィ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha