Neetel Inside ニートノベル
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賭博天空録バカラス
2.白歴史

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 04.

 ため息をつくと、窓ガラスの中の冴えない少年がますます憂鬱そうに見えてくる。あたかも葬式帰りのようなこの面持ちを通りすがりの人が見たら、まさかこれからデートを控えているのだとは思うまい。
 日曜午後九時、最寄から六つほど離れた駅の『天使の象』前。
 ガラスの向こうでウェーブがかった茶髪の女性が美容師と談笑しながら散髪されていた。よく平気で見知らぬ店員とおしゃべりなんてできるもんだな、と天馬は感心しながら、ハサミの軌道を眺める。
(あいつも髪下ろしたら、あんな感じなのかな……)
 美容院の中を覗き込みながら、前のめりになって前髪をいじって彼女を待っていると、背後から人の近づいてくる気配を感じた。
 振り向くと、ミハネが片手を挙げていた。結い上げた明るい茶髪が陽光を跳ね返している。
「おっす。時間通りに来るなんて偉いなァ」
 ミハネがどん、と小さな拳を肩に当ててきた。割と重い。天馬は憮然とした表情を崩さず口をへの字に曲げて見せた。
「十分遅刻だぜ」
「アハハ、細かいことは気にすんなって!」
 別にそれぐらい待つのはなんでもなかったが、天馬がやや気分を害していたのは、こういう時の決まり文句『イマキタトコ』を使うべきか否かで一瞬頭を悩ませたからだ。
 結局正直に遅刻を指摘してしまったが、ここは気を遣うべきところだったのかもしれない。
 もし誰かに相談したら笑われるのだろうか、注意されるのだろうか。それも分からず、理解と推理ができないことが不安を催してくる。
 こういった細かい気遣いというか注意深さというものが、幼少の頃から欠損している。
 一方ミハネは気にした様子もなく笑っている。来るのが楽しみで仕方なく不安でいるなんてとんでもない、と言わんばかりだ。
「昨日、夜中まで起きてたらさ、やっぱダメだった。六時間は寝ないと起きられない仕様みたい」
「寝不足にしちゃ元気そうだな」
「そういう馬場は憂鬱っぽいね。今日、来んの嫌だった?」
 別にそんなこと聞かなくてもいいだろ――と思いながら天馬は首を振った。
「緊張してるんだよ。その……まだあんま話したこともないし」
「だから仲良くなろうとするんじゃん? 最初はうまくいかなくて当然でしょ」
 お、と天馬はミハネを振り返った。
「結構いいこと言うじゃん」
「でしょ? じゃ、行こっか」
「おう。……おう!?」
 もたれかかるように腕を組まれて身を固くする天馬を見てミハネはコロコロと笑う。
「なっさけないなァ。男ならドシンと構えてなよ」
「そんなこと言われても……」
 当たってたら無理です。


 ***


 昨夜、風呂から上がって上半身裸のままネット麻雀を打っていたら電話がかかってきた。
「明日、九時に天使の象に集合だから! T駅んとこの、わかるっしょ?」
「え」
「じゃ!」
 ぶちっ。
 おかしいな、いつから電話は一方的な連絡手段になったんだろう。
(まァ、休みの日は家に引きこもってるって言ってあったから、どうせヒマだろうと思われたんだろうけどな……)
 果たしてダブルブッキングが起こらないことを喜ぶべきか悲しむべきか、天馬は顔をしかめて滅多に鳴らない携帯電話を眺めたのだった。
(これってやっぱ、デートってことだよなァ……)
 嬉しくないわけではない。けれどどんなに頭を捻っても自分が楽しんだり、相手を楽しませる状況が想像できなかった。
 便秘の時のような顔をしていると、階下から怒号が轟き何事かと思ったが、ちゃんと脱いだ服を洗濯籠に入れろと妹が喚いているだけだったので、天馬は素知らぬ顔でパソコンに向き直り、四順で対面の国士無双に振り込んだ。四万八千点だった。


 ***


 大抵、誰にでも『この角度の自分はイケる!』という思い込みがあるものだけれど、天馬の見る限り鴉羽ミハネにウィークアングルは存在しなかった。
 どこから見ても均衡の取れたバランスを維持していてケチのつけようがない。強いて言えばやや目元が鋭く可愛げがないかもしれないが、それもある種の人々にはたまらないパーツに映るだろう。
 こいつ鼻の穴の中まで綺麗なんじゃなかろうか、と天馬は思った後、自分の頭の悪さと将来を心配した。
 カップルや家族連れで賑わう街中を引きずられるようにして歩いた。街頭で旗を持ったバイトが特売セールの開始を告げ、ベビーカーの中で赤ん坊が寝息を立てている。いつもは鼻につくカップルも今日だけは見逃してやってもいい気がしてくる。
 ふと、同級生に会いやしないかと不安に思ったが、見渡す限りに知った顔はない。
「ねえねえ、どこ見てんの?」
「ん、べつに」と天馬はしれっと答えた。
 ミハネの足が長いのか天馬の座高が残念なのか、歩くスピードは彼女の方がやや速かった。
 気を遣ってくれているのか、ミハネは一定の間隔を置いてから適当な話のタネを投げかけてくれる。
「普段、映画とか見んの?」
「あー……いや」
「あたしもあんま見ないなァ。借りて見ようかって思うと、録画したビデオと一緒でいつでもいいやってなってさ、そのままズルズル見ないまま過ごしてる」
「ふうん」
 天馬の返事は除草剤のように素っ気無い。これでは広がる話題も潰れてしまうというものだが、彼も悪気があってむっつりしているわけではなかった。
 何か喋らなければ、楽しませなければ、と思うほど喉いっぱいに砂を詰め込まれたように息が苦しくなった。
 どんな話題を振ったらいいのか分からないし、うまくいくイメージがちっとも浮かんでこない。
 物凄く心細くて、デートを楽しむどころではない。貧血を起こすのが先かパニックに陥るのが先か。
(くそ……平常心を保てばいいだけなんだよな、わかってるんだよな……)
 ああ、いつの間にか建物の中に入ってしまった。最後の話題からどれくらい時間が――
「あのさァ」
「え?」
 苦笑を浮かべたミハネに何を言われるのか、想像して心臓が活発になった。
「どこ行くのか、聞かないん?」
 あ。




「というわけで!」
 ドスン、とミハネは座席に腰を落とすとチョイチョイっと天馬を手招きした。そんな指示を受けるまでもなく指定席なので天馬に選択の余地はない。
 ちょっと可愛い店員から買ったコーラとポップコーンを両手に携えて、ミハネは大きなスクリーンを見上げた。
「映画を見る」
「はい」
「返事は」
「しました」
「よし!」とミハネは鼻で息を吐くと、満足そうに頷いた。天馬はなんとなくミハネのことが分かってきた気がした。
「ようやっとデートっぽくなってきた。映画はいいね、見た後は話題に困らないし、相手が気に入らなくても映画が面白ければ来てよかったって思えるし。ん? なに死にそうな顔してんの」
「……映画、面白いといいね……オレいなくてもいいくらいに……」
「何言って……あ、もしかして怖いの?」
 天馬はミハネの膝上に置いてあるパンフレットに目を落とした。そこには女性か男性か分からないが巨大な見開かれた目が印刷されている。
 ある少女が、十数年ぶりに故郷へ帰ると、街には人気がなく霧が立ち込め……という始まり方のホラー映画だ。有名な監督が手がけているらしくシアターはそこそこ混んでいる。
「なっさけないなァ。やめてよ、女の子みたいにキャーキャー喚くの」
 ミハネは半笑いで言ったが、本心から心配している様子だった。
「まァ努力するよ。たぶん大丈夫だろう。たぶん。家で一人だったらアレだけど、こんだけ人がいりゃ怖くない」
「どうだか……」
 ミハネはまだ気がかりなのか天馬を横目で見ながら、ポップコーンを一掴み口に放り込んだ。物言いの割りに機嫌は良さそうだったのがせめてもの救いだ。
 照明が落とされ、上映が始められた。




 最近、天馬は予知ができる。しかし残念なことに超能力の類ではなかった。もし第六感から何かを悟る力を得たら今頃は株の勉強をしている。
 予め知る――文理解釈のままの意味だ。
 スクリーン上で、男がエレベーターに乗るシーンがあった。怪物がいなくてホッと一安心する男だったけれど、密室で何か起こらなかったらそれはホラーではない、とばかりに案の定、彼は上から蓋を開けて進入してきた怪物に殺されてしまった。
(で、次はエレベータが着いて、他の登場人物が悲鳴を上げる、と)
 その通りになった。
 物語には緩急があり、ここで山場を作らねばならない、というテンポがある。たとえばホラーだったら一端安心させた直後、観客が登場人物がホッとした瞬間こそが狙い目なのだ。
 何も考えていないと見落としがちだが、作者の側に立って考えながら見ていると先の展開が読める時がある。
 王道であろうと変則であろうと、一定のパターンに添って進む限り予測できる。
 混沌な抽象イメージが本編でない限り、作り手側の『面白くさせてやろう』という意識が介入するから読みが発生する。麻雀の捨て牌のように。
 なんとなく製作者側と勝負しているようで、面白い。
(こんなこと考えながら映画見てんの、オレだけかな)
 天馬が瞬きすると、容疑者と思われた人物が被害者の父によって撲殺されたところだった。
 ホラーであってサスペンスではないため、犯人はいないのだが、人為によるものと信じたい警察の手で容疑者が作られ父親のスパナによって容疑者は殺された。
 こうして疑心暗鬼がじわじわと広がっていくのがこの映画の見所なのだと、パンフレットには書いてあった。
(でもこの映画、なんつーか、上手く作りたいだけで、いいものを作ろうとする気概が感じられないんだよな)
 一時の話題にはなっても、人の心に残らなければ何の意味もないのに、と天馬が退屈の余りストローの入れ物で鶴を折っていると、隣から息を呑む声がした。
 見ると、ミハネは肘掛を両手が震えるほど握り締め、肩を強張らせている。ぎゅっと唇を引き結び、眉尻を下げてまでスクリーンを凝視している。
 そんなに怖いなら寝てればいいのに、と思いながら観察していたら、思い切り足を踏まれた。
 もうちょっとだけ、横顔を見ていたかった。




 うまくいったのかな、と天馬はボディシャンプーで頭を洗っていることにも気づかずに今日のことを反芻していた。
 人生で初めてのデートで、楽しいとかワクワクしたとかいうよりも緊張しっぱなしで、正直なところ家路に着いた時はホッとしてしまった。それでも思ったほど最悪な結果にはならなかったと思う。むしろ成功の部類だったのではなかろうか。
 映画を見た後、二人でジャンクフードを食べた時も話題に困った覚えはないし(本当は怖かったんだろうとしつこく聞いてくる天馬にミハネは顔を真っ赤にして怒っていたが)、夕飯の支度があるからといって二人でスーパーの食品売り場に行ったのも割りと楽しかった。
「メシ、自分で作ってんのか。一人暮らし?」
 と聞くとミハネはタイムサービス中の野菜のラベルを見比べながら
「お……父さんと二人暮らし。母さんは死んだ」
 と答えた。どうしようかと思った。
 ごめん変なこと聞いた、と主人公っぽく答えるのも何だか気まずさを冗長させるだけのような気がして、急にバナナに興味が湧いたフリをして誤魔化した。
 結局その場は何事もなく流され、駅前でミハネとは別れた。
「また明日、学校で!」
 とミハネは夕日を背にして手を振り、天馬も軽く振り返した。
 水に濡れた髪をかき上げ、鏡に向かって笑いかけてみる。
 ちゃんとうまく笑えただろうか。分からない。
 でも、せっかく自分に何か期待してくれた人の気持ちを裏切りたくないと思ったのは紛れも無く真実だった。
 自分にまだそんな純粋な感情が残っていたとは不思議だった。
 やり直せるのだろうか。ミハネとなら、普通の人生を送れるかもしれない。
 当たり前の、幸せな――
 鏡面上の笑いかけた顔が、ぴくりと引きつった。
(オレはカガミを巻き込みたくないとか言ったくせに、ミハネは巻き込むのか。
 オレなんかとツルでたら、ミハネだって迷惑を被るかもしれないのに。
 なァ、馬場天馬。どうなんだよ。
 ククク……。
 やっぱりオマエは卑怯者だな――)

 鏡の向こうに、幽鬼のような顔をした少年が映っている。

       

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Neetsha