Neetel Inside ニートノベル
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賭博天空録バカラス
40.夜が明けるまで

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 六人で肩を並べて、校門をくぐった時、白垣が星のない夜空に向かって叫んだ。
「打ち足りん! 僕はまだ打ち足りんぞ!」
「ええ?」と鼎は首をぐるぐる回しながら、苦笑を浮かべた。「もういいでしょ、何荘打ったと思ってんのよ」
「たかが四荘なぞ一呼吸にも満ちぬわ!」白垣はぐるぐるその場で回転し、ルーレットの玉のように逸喜の正面で止まった。
「そうは思わないか、紺野くん!」
「いいぞ、私は」逸喜はにこにこしている。「今度こそ勝つんだ。竜二もいいだろ?」
「俺はまァ、一人暮らしだから」と竜二も特に拒否しない。鼎がげんなりした顔で肩を落とした。
「どんだけ元気なのよ、あんたらは」
「これが若さだ」と天馬はしたり顔で言った。「カガミも来いよ」
「行きますよ、あなたが行くなら」
 そこで五人は驚いたようにカガミを一斉に見た。唐突な注目に彼女は面食らって一歩引いた。
「なんですか? なにかおかしなこと、言いましたか?」
「もう夏が近いなァ!」と白垣が叫んだ。
「暑くて適わん。皆で僕んちのクーラーを堪能しようではないか」
「明日の学校、だるいなァ……」と鼎はまだ愚痴っている。「バイトもあるし」
「サボってしまえ、そんなもの!」白垣は大またで歩いていく。
「麻雀より重要なものがこの世にあるかね? いや、ない!」
「自分が勝った時はさっさとお開きにしたがるのに、負けるとこれだもん」
「いざ行かん! 不毛の大地へ!」
「おまえんちだろ」
 夜の街を、六人の学生が歩いていく。




「おまえさ」
 四人はやや先を歩いている。カガミは隣を歩く天馬に顔を向けた。
「みんなに敬語、使うようになったな」
「そうですね」前方で、灯りのついた民家の浴室を塀越しに覗こうとしていた白垣を鼎が蹴り飛ばした。
「たぶん、私、思い込みたかったんです。学校では、仕事もなにも関係ない、ただの空奈でいたかった。普通の学生が同級生に敬語なんて、変でしょう?
 あなたにだけ、癖が抜けなかったのは、私の正体を知っている人だったからだと思います」
「それだけか?」天馬はにやにやしてカガミの脇を小突いた。「もっと言ってほしい言葉があるんだがな」
「それだけです」カガミはツンケンしている。「本当ですよ」
「わかってら」
 そう、天馬はカガミのそういう心理を早くから分かっていた。
 あの日以来、カガミの周りから普通の友達が減ったことも、それを彼女が辛く思っていることも、わかっていた。
 カガミはみんなの人気者ではなくなった。
 穢れた存在である馬場天馬と付き合っているからだ。手を繋いで登校するところを全校生徒へ見せたからだ。
 それは彼女の希望であり決意であることも、天馬にはよくわかっていた。
 それを認めてあげなくちゃいけない、ということも。
 自分で苦しもう、と思って腹をくくった人間の覚悟を、天馬は蔑ろにしたくなかった。
 それだけはしてはいけないことなのだ。たとえそこに正義がなく、幸福なんてなかったとしても。
 だから、天馬の言うべき言葉はいつもひとつだけだった。
「おまえは強いよ、カガミ」
 すっとカガミが天馬より少し前を歩いて、振り返った。
「もっと言ってほしい言葉、私にだってあるんですけど」




 白垣真の家は、繁華街の光さえ届かぬ高台の高級住宅街にあった。
 カガミのアパートからそう遠くはないが、そこに住む住民の色は異なっている。
 真っ白い洋風の館の鍵を白垣が開けて初めて、皆そこが本当に彼の自宅なのだと信じる気になった。
「さァ入ってくれ。久々だな、僕んちに人を上げるのは」
 しっかりした家具やら絵画やらを眺めながら案内された部屋には、驚くべきことに自動卓があった。
「すごい!」と逸喜がキラキラした目で卓を見回した。「これ、あれだろ。ガシャって入れるんだろ」
「子どもかおまえは」と竜二が呆れている。「大して珍しくもない」
 そこで皆、白垣が不敵に唇を吊り上げていることに気づき、どうやらまだ何か自慢したいらしいことを悟った。
「誰が一台だと言ったかね」と白垣は、もうひとつのかけ布を被った台から覆いを剥ぎ取った。
 まったく同じタイプの雀卓がもう一台出てきたが、皆なかば想像していたので白垣が求めるような大仰なリアクションはしなかった。
「二台あっても意味ねえだろ」と天馬が卓の足をスリッパの先で小突いた。「六人しかいねえのに」
「ふっふっふ。僕はエンターテイナーだぜ。準備に抜かりはない」
「頭のネジも抜けなければよかったのにな」
「うるさい。もう二人呼んである。八人でデスマッチだ! 勝つのは僕だ!」白垣が叫んだ。
 あまりの大声に家族から文句のひとつも飛んでくるかと皆、身構えたが、何もない。
「二人って誰だよ。門屋が来るなら帰るぜ」と天馬は顔をしかめた。あれ以来、野球部からは目の仇にされている。
「彼は親指の怪我がまだ治らんそうだ。練習ができないと嘆いていたよ」
「バットを握る人間が拳を振るったんだぜ。それぐらい覚悟しておけよ」
「君は厳しいな。自分のことは棚に上げて」
 入ってきた二人を見て、白垣はにっこり笑った。
「やあ、ラッキー、鴉羽くん。ようこそ、地獄の賭場へ!」
「だから、おまえの家だろう」と竜二。
 制服姿の因縁ある二人に、天馬は鋭い視線を送っていた。
「呼ばれたから、来てあげたよ」とミハネは笑って言った。「あまり慣れてないから、間違っても怒らないでね」
 面子をひとしきり眺めていたミハネの視線が、天馬を通り過ぎて、カガミで止まった。
「ちょうど男女で四人ずつじゃん。じゃあ、最初は男女別れて打とうよ」
 ええ? と白垣が脱水症状に陥ったような顔をしたがラッキーが頷いた。
「そうだね。じゃあ、僕らは卓を別室に持っていこう。男同士で話したいこともあるし」
 天馬はむすっとしたまま、何も言わなかった。





「父親を亡くした、というのは本当なのかね」と白垣が「明日がテストというのは本当なのかね」と聞くような軽い口調で尋ねた。
「ああ。今は親戚の人の仕送りとアルバイトで暮らしているってさ」ラッキーはリーチ、と牌を曲げた。
 隣室から女子たちのきゃあきゃあ言う声が遠く響いてくる。
「とてもさっきと今の様子では、彼女にダメージがあったようには見えないが」
「堪えてるんだろう……彼女は強いから」
 二人の会話を黙って聞いていた竜二が、ため息をついた。
 案の定すぐに天馬が食ってかかった。
「強いだと? ふん、現実を見ないようにしてるだけさ。直に重い一発が来る。重いのがな」
 リーチ、と天馬も勢い込んで牌を曲げた。打ち付けた衝撃で卓が震える。
 ラッキーがその牌をじっと見つめていた。
「どうしてそんなことが君に分かるんだ」
「どうしてそんなこともおまえは分からないんだ」
「誰のせいで……」と言いかけてラッキーは口を噤んだ。
「立ち直らせるのは、おまえの役目さ」と天馬はツモった牌を切り捨てた。
「オレにはできない。そうして初めて、親父さんも報われるだろうよ」
「僕の、役目」
「そう。早く結婚してあの世の親父さんを安心させてやれ」
 ぽかん、とラッキーが口を開けた後、かっと顔を赤くして顔を伏せた。
 その隙に天馬は自分のヤマを整えるフリをして両端から一トン(二牌ずつ重なった牌のこと)ずつぶっこ抜いて、座っている自分の股の間に四牌置いた。
 そして幸運にもその中にあった自分のアガリ牌を次のツモ番で元気よく卓に叩きつけた。
「そらきたツモッ! ふっふっふ、タンピン三色ツモってオールスター! 八千オールのチップ六枚づけ。計十八枚か。ごちそうさん!」
「点棒を払う前に」竜二が珍しくにやけていた。「身体検査をしてもいいかな」
「いいよ」と言いながら天馬は堂々と余った牌と手牌を卓に流し込んでしまった。
 あ、と竜二が何か言いかけたが、自動卓は新しいヤマを押し上げてしまう。
「さ! 新しいヤマができたところで、チェックしてもらおうか。
 ん? 特にエラーも発生してないし、牌を抜いた形跡はないようだな。あっはっは!
 とっとと手を掴まないからこうなるんだよ。おまえの兄貴だったら……言わなくても、わかるだろ?」
 ケロリとした顔で天馬は笑い、ラッキーは顔を赤くしたまま事態に気づかず、白垣は頭で帆を漕いでいた。いつの間にか夜が更けていた。
 数時間後、逸喜と鼎が睡眠欲に勝てずダウンしたとカガミが告げに来た頃には、ラッキーと白垣は床に引っくり返っており、赤い目をした竜二と満面の笑顔で籠から溢れるチップに手を泳がせている天馬が起きているだけだった。
「おうカガミ。何か喰いたいものはあるか。明日どっかメシいこうぜメシ。寿司がいいかな」
「どうせ明日は寝てるだけでしょう」とカガミは目を細めた。
「続けるなら来てください。こちらも二人寝てしまいました」
「続けるとも」竜二が勢い込んで立ち上がって隣室へ向かった。
 その後ろ姿を見送って、カガミが天馬を振り返った。
「天馬、彼女は――」
「おまえに話した通りだよ。あいつの親父はオレが世話してやった。死ぬ世話をな」
「――――」
「心配するな。復讐に来たんじゃないよ、ミハネは」
 天馬は白垣とラッキーの懐から負け分の札を抜き取ると、制服のポケットに無造作に突っ込んだ。それをカガミの目がつ――と追う。
「核が壊れたんだ。やつはもう闘えない。親父の願い通り、学友ラッキーと慎ましく過ごしてるただの天涯孤独の女子高生さ」
「核――」
「人が生きていく上で何を肝心要に置いているかってことさ。それがないやつは闘えない。
 なまじっか闘えたから、あいつは苦しむ羽目になったんじゃないかとあいつの親父は言っていたよ。
 もっとも、無力であることが幸福とはオレには思えんが、ま、望み通りにしてやったまでだ」
 二人をソファに寝かせて、背もたれにかけてあった毛布を被せた天馬がふっと笑った。
「オレのこと、嫌いになったか」
「あなたが私を許したように、私もあなたをエコヒイキするだけです」
「そうか――ありがとう。さて、じゃあ残った二人をカモりにいくとするか」
 卓の上にあった成績表を摘まんで翻しながら、天馬は出て行った。
 何気なくその場に残ったカガミは、卓の上に散らばった牌をざらざらとかき回した。
 麻雀は楽しいけれど、終わらない半荘はない。
 いったいいつまで、この夜は明けないと思い込んでいられるだろうか――。
 不意に、牌の尖った縁が、滲んで見えた。
 もう人形には、戻りたくない――。
 けれどそれは無理なこと。
 だからせめて二度と忘れることがないように、ただこのいまを覚えていよう。

 その夜、カガミは初めて天馬と麻雀を打った。
 手牌をじっと見下ろす天馬の顔は辛そうで、楽しそうで、そんな天馬の横顔はとても愛おしかった。
 カガミは目を細めて彼を眺め続けた。
 夜が明けるまで――。

       

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Neetsha