Neetel Inside ニートノベル
表紙

蟲籠 -deity world-
一章 「蟲おくり」

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…静かに。
ほら、もう鳴いている。
人の皮をかぶった、"蟲"が。









……………………
…………………………………










さあさあ、今日はある昔話をしよう。

むかしむかし、あるところに一人の少年がいました。
その少年は、虫を取るのがとても大好きでした。
今日も少年は、山へ虫取りに出かけました。
山には、たくさんの虫がいました。
そしてたくさんの虫とすごすうちに、あるねがいがうまれました。
「虫になってみたいなあ」
そう少年がねがうと、一匹の虫が飛んできました。
「それならねがいどおりにしてあげよう」
するとその虫は、少年の口から中に入っていきました。
少年は吐き出そうとしましたが、
しだいに自分のからだがかわっていくのををかんじました。
ごほんめ、ろっぽんめの足がはえて。
あたまからちょっとずつ、しょっかくみたいなものが出てきて。
そしてさいごに、はねがはえました。
少年は、とてもよろこびました。
「これで、ぼくも虫になれたんだ!」
はねがかわくと、少年はうれしそうに飛び去っていきました。

この話は、これでおしまい。
さあみんな、暗くならないうちにおうちへおかえり。
やさしいお母さんがまってる、おうちへ・・・











……………………
……………………………………













僕の周りでは、今、変な噂が立っている。
最近頻発している、変死体の事件だ。
世間ではあまり話題となっていないが、ここでは充分に有名だ。
それは、「まるで何者かに体内から喰いちぎられた様な死体」ということだった。
あくまで噂なので、僕も詳細は知らない。
というより、知りたいとは思わない。
僕、海部津静馬は、そのような噂は信じる意味がないと、断言している。
第一噂噂と騒がれているが、実際に見たものや、体験したものは存在しない。
ニュースで放送した変死体を、誰かがそのようにでっちあげたという説もある。
そういうことを考えると、噂を信じる人間が馬鹿らしくなる。
うわべだけのものを信じて、何が楽しいのか?
何が恐ろしいのか?
何を待ち望んでいるのか?
馬鹿らしい。
馬鹿らしくて、笑いすら出て来ない。









草木の緑が目立ってきた、五月。
地面にはまだ桜の花びらがおぼろげに散り、人に踏み潰される。
麗かとは言えない陽が、樹葉の隙間から射し、肌を焼く。
今日も自転車通学の生徒が若干の砂埃を立てて、窓の外を通り抜けていった。

「………………」

彼――海部津静馬(あまつしずま)は、典型的な「優等生タイプ」だった。
それも本当に、まるで漫画にでも出てきそうな。
テストは大抵、むしろいつも、一位を独占。
スポーツの面においても劣れた所は無し。
料理も出来れば、趣味が園芸という意外な一面も。
実は猫が大好きで、鞄には常にキャットフードが入っているというウワサ。
後半は少し逸れたが、彼は絵に描いたような「優等生」だった。
ただ一つ…「人柄」という面において以外は。
…だがそれも、漫画のキャラそのまま生き写しのようなものと言える。
そんな彼が考えることといえば、大抵勉強のこと。ましてや、高校二年生という、大事な時期。
彼は暇さえあれば復習を繰り返し、授業で習ったこと全てを理解できるまで復習し続けた。
そのせいで、一冊のノートは大体二、三週間で燃え尽きる。
それが、十教科分。一ヶ月で二十冊近くのノートがペン先で埋め尽くされる。
彩りは決して、ない。ただ黒の文字の集合体が、そこには記されている。
彼にとってノートとは、記憶するべきものを一時的に記しておくものに過ぎない。
そのため同じページを見ることというのは、例外を除き、まったくもって、ない。
それが、彼の性格を表しているのかどうかは、知る余地もない。

「海部津君、ちょっと辞書借りてもいい?」
「あぁ」
「海部津、物理のノート見せてくれねえ?」
「いいよ」

それこそ普通の受け答えのように見えるが、実際はそうでもない。
海部津はノートや辞書を借りられることなどどうでも良いし、気にもかけない。
辞書など引かずとも、英単語や古文単語は頭に入っている。
ノートが無くても、その授業中で覚えてしまえばいい。
彼は何とも思わず、ただ黙々と手元だけを動かしていった。
目線がノートと教科書以外を見ることは、ない。
そんな彼にクラスメイトが干渉することも、殆どない。
過去に何度か委員長キャラが説得したが、成功した例は一度もない。
彼は別に他人がいてもいなくても、どうでもよかった。


海部津はいつも一人だった。
休み時間は次の授業の予習のため、人と話すことなど煩わしい。
昼休みは誰もいない屋上で昼食をとり、教室に戻って勉強を再開した。
誰もが、もはや見慣れている景色でもあった。
帰り道はさようならなど声をかけられ、応答するものの、一緒に帰る人はいなかった。
彼もそれでよかった。
彼にとって、他人など自分の世界とは違う次元に生きるようなものだった。
そういう点も含め、きわめて彼は排他的だった。



今日も学校を終え、海部津は学校を出る。誰よりも足早に、彼は校門を抜けていった。
特に何か用事があるわけでもない。急いでいるわけでもない。
ただ、「学校」というものの居心地が悪くて仕方がないのだ。
幼稚な一部の同級生は、彼を罵り、嘲笑した。そして、嫌がらせなども絶えなかった。
彼は、耐えることもしなかった。
耐えるというよりは、こういうことにはもう慣れていた。






***







人の気が消えた、亥の刻。
風が窓を轟と打ちつけ、縁が小刻みに震え、カタカタと音を立てる。
壁にかけられた古時計が、ただ一人部屋の中で音をあげる。
シャーペンの芯が、ノートの上で削れる無機質な音を、海部津はじっと聞いていた。
その目線は、勿論手元にあった。

海部津は、家ではいつも勉強机の前に坐している。
帰宅して、申し訳程度の夕飯をつまみながら、TVのニュースを見る。
有名人の脅迫で逮捕された57歳の男性。
海岸に打ち上げられたクジラの救助。
小学校の合唱コンクールの優勝結果の模様。
世の中は今この時も、新しい話題を振りまくっている。
海部津はそれに哀しみを感じた。
リモコンでTVの電源を消すと、急に静寂に取り囲まれた。





しん、






とした空間の中で、海部津は食事を終えた。
所々付いた油汚れを新聞紙で丁寧に拭き取り、食洗機の中へいれた。
それが音を立て始めると、彼はそのまま風呂場へ向かった。
……………………
適当な行水を終えると、その足で自分の部屋へと戻り、作業を開始した。
彼にとっては、勉強というものの存在は何よりも尊く、それにして崇高なものだった。
この世から勉強というものを除くと、自分には何も残らない。
海部津の脳裏には、常時その言葉が焼き付けられていた。
海部津はまるで与えられた役目を全うするかのように、勉強をしている。
彼にとって、勉強は生まれながらにしての義務なのだ。
それでも、そこまでして勉強するからには、理由がある。
彼は、一頻方程式の羅列を書き終えると、一旦シャーペンを傍らに置いた。
その拍子で、芯の先の方がパキッと、折れた。
天気はようやく収まったのか、風の音はもう窓の外からはしなかった。
味気のない時計針の音だけが、部屋を埋め尽くした。


ゴツ、
ゴツ、
ゴツ。

その今にも時計の発条が解け、狂ってしまいそうな音は、海部津の心中を強く打った。
手元から時計に目を遣ると、相変わらずの旧めいたアンティーク風な時計が、視界に入った。

ゴツ、
ゴツ、
ゴツ。

明らかに時計の音というものとはかけ離れていたが、別にどうでもよかった。
時間があっているのかどうかも知らないが、気にすることはなかった。
彼は暫く時計を見つめたかと思うと、軽く目をつむり、息をついた。
その、時だった。





ゴツ。
ゴツ。
コトン。

「……………?」

針の音とは違う、別の何かが金属に接触するような音を上げた。
軽くて弱々しい小動物が鳴くような、小さな音だったが、聞き逃すことはなかった。
海部津は徐に立ち上がり、発信源と思われる方へ向かった。
そこは、玄関だった。
一人分の靴がきちんと整えられて、それ以外には何もない。人に言わせれば、物寂しい玄関だった。
彼はそんな事は思いもせずに、僅か二メートルほどの距離をわざわざ靴を履いていった。
扉にある備え付けの郵便受けに手を伸ばすと、中を弄った。
手ごたえはあった。
それは、かさ、と擦れた音で、海部津の手の中に収められた。
その紙らしきものを取り出して、海部津は初めて、それの意味に気付いた。


「…なんだ?これ」

文面は殆どが空白。
と、いっても少し茶のかかった紙切れには、ただ、こう書かれていた。





『蟲が来た』




「…蟲?なんだ、また何かの悪戯か?」
こういう悪戯は、以前にもよくあった。
近所の子どもが何かわけの分からないことを書き入れては、投函していった。
文面は「バーカ」「怪物さん」「きもい」等といった、低レベルなものばかりだった。
…しかし、今回ばかりは状況が違いすぎた。
まず、こんな時間に子どもは出歩かない。
そして、子どもはこんな難しい漢字は知らないだろう。
最後に、妙なことがあった。
先程投函されたばかりの、この紙切れだが。
薄い紙切れに関わらず、コトン、と、音を立てたのだ。
たとえ、もしそれほどの音を立てることがあったとしよう。

なぜ、「それを投函した者の足音」は、聞こえなかったのか?
いくら息を潜めたとしても、ここは古いアパートの一角だ。
少しぐらい、軋んだ音があってもおかしいことではない。
が…、なかったのだ。「それ」が。
そういうことを思いながらも、彼はそれを悪戯と踏み、くしゃくしゃにしてゴミ箱へ放り投げた。
その紙屑は、壁を一回跳ね返り、ゴミ箱の中へと収まった。
その光景を見届けると、海部津は再び元の作業へと身体を戻そうとした。
戻そうとした。
戻そうと…












がり。










刹那に、何かが床を引っかいたような、そんな音がした。
彼は奇妙に思い、その音が聞こえた方を頭だけ向き直した。
大したことではないだろうと一瞥したその視界には、予想通りの景色が望んでいた。
フローリング張りの床に、ゴミとも間違えそうなほどの、ちいさな「もの」が、蠢いていた。
よく目を凝らしてみると、「虫」だった。
…のわりには脚らしきものが見当たらないようだったが、気に留めなかった。
別に対して邪魔にはならなかったが、その蠢く様子が目障りだったので、彼はそれもゴミ箱へ捨てようと、手を伸ばした。



途端。







「おっと、それには触らない方がいいぜ?」

不意に後ろから、声が届いた。と同時に、背後に人の気配を察知した。
海部津がとっさに振り向くと、そこにはまさに変人と呼ぶべき風貌の男が立っていた。
寝癖だらけの黒髪にハットをかぶり、その下には若干の髭を蓄えた顎。
右手は黒い手袋をして、左手は包帯でぐるぐる巻きにされている。
男物の着物だったろう服は、古ぼけて痛みが進行している。
何よりも特筆すべきは、その背中だった。
背中になにやら包帯で乱雑に巻かれた、なんともいえない形状のものが背負い込まれていた。
海部津がその光景に言葉を告げられずにいると、急に男が真面目な表情になり、言い放った。



「いけねえな、もう、『始まりやがった』」
「…………あ?」
海部津は何のことだかさっぱり分からず、男が見つめる方向を向いた。
そして海部津は、後にこのときこの「光景」を見たことを後悔することになる。



「……………!!!」


かつては虫のようなものがいただろう、場所。
ただ一、二センチ程度のものが蠢いていた、床の上。


しかし、


そこはもう、海部津が生きる「現実」のものとは、大きく異なる眺めだった。




見据えた先には、蛍光灯に照らされた「よく分からない黒光りする生き物のような塊」が。
世にもおぞましい勢いで膨れ上がり、刹那にして膝元の高さほどにまで、押し寄せた。
海部津の中に、突如として恐怖とも怯みともつかない感情が、拡がった。
それはあっという間に脳裏を多い尽くし、海部津の心中は重い鎖で締められるように、沈んだ。
海部津を横目に黒の塊は勢いを増し、部屋の天井まで届こうかとするところだった。
男は、海部津の肩を掴み、近くにあったベッドへと突き飛ばした。

「うぁっ!?」
「そこで見てな」
男は振り向かずに言うと、その塊と対峙した。
塊は男の存在に気付いたかのように、その蠢きを止めた。
そして男は右手の手袋を外し、その手を塊の方へ、掲げた。

手は、「赤い塊」で、満ちていた。


「俺の道は闇で満ち、それで未知である。
俺の行く先を閉ざすものは、ここで消え去れ!」


男がそう言い放つと、男の手から舞い上がるようにして、「赤い塊」が、「黒い塊」に飛び掛った。
海部津には、何が何だか少しも理解できなかった。
その赤い塊は、黒い塊に覆いかぶさり、それを食い荒らすように動き回った。
黒い塊はのたうちまわり、そして、すぐにそのの姿を消した。
ほんの、数十秒の出来事だった。



「…こんなもんだな」


男はそう言うと、赤い塊――「虫」のような"生き物"を手中に収めたかと思うと、再び手袋を被せた。
海部津はただ、呆然とした。
目の前で起きたことに、現実味がまるで感じられなかった。
さっきまで何もなかった場所に、黒い塊が蠢いて。
そこに名前も何も知らない男が現れて。
その男が赤い「虫」を手から出したかと思うと、黒い塊はすぐに消えていって。
考えが、追いつかなかった。











そして、意識は途切れた。







今思えば、これが事の発端になっていたのかもしれない。
そしてこれが、海部津静馬が体験した、初めての『蟲』の姿だった。


       

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