Neetel Inside ニートノベル
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蟲籠 -deity world-
四章 「最終楽章」

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 瀬川がタクシーを手配したころと同時刻。
 首都圏を離れたとある山の麓にある建造物の近くに、一人の女性が姿を現した。周囲に群れる樹の群生は苔むしたまま彼女を迎え入れ、音のない静かなざわめきがそこには広がっていた。
 建造物の正面までたどり着くと、女性は首をもたげる。
 ビルには属さない、しいて言うならば国立病院のような風貌で、周りの風景と重ね合わせてみても明らかに浮いており、言葉のない威厳が淡々と感じられる。窓ガラスは全てマジックミラーのような素材で出来ているらしく、窓には森林が映し出されて、一種のカモフラージュ効果を生んでいた。
「……………………」
 女性は黙りこくったまま視線を建物正面へと戻し、その玄関扉へと足を進める。
 と、その時。
『誰ですか? 何の用ですか? 場合によっては殺します』
 どこからともなく、慣れた口調の女性のオペレーターらしき声が聞こえてくる。
 それに対して、片腕に小さなバッグを持った来客者は怯える様子も見せず、
「雪村時枝。<創始者>に話があって参りました」
『はい、少々お待ち下さい』
 それから数秒ほどして、
『承認しました。周囲の異端者有無の確認を』
「……大丈夫、いないわ」
『それでは、中へどうぞ』
 その声と同時に玄関扉が消滅し、内部へと続く通路が現れた。
「………………」
 雪村は何も言わずに、足早に中へと歩いて行く。
 彼女が更に奥にある扉にたどり着いた時。
 消滅していた玄関扉は瞬く間に姿を取り戻し、侵入者を妨げるように再び聳え立った。


「あら、雪村さん。今日はまたどうしたんですか?」
「ええ。ちょっとね」
 さながら大病院の待合室のような場所で、雪村は清掃員の格好をした少女と軽く会話を交わす。
 その表情に笑顔こそは輝いていたが、静馬が始めて会った頃にはあった優しさのような雰囲気が、そこにはもう感じれらなかった。
 少女に別れを告げると、雪村は中央にある大きな柱の周りのイスに腰掛ける。
「ふう……」
 雪村は疲弊のこもった息を吐くと、膝の上に乗せた鞄から携帯電話を取り出す。その待ち受け画面を開いて、着信の確認をとる。

 【着信一件あり From:瀬川くん】

「………………」
 送り主の名前を見て、雪村は若干眉をひそめた。
 そしてしばし逡巡するように口元を動かしたが、やがて電源ボタンを長押しすると、画面は「See you...」という言葉が現れた後、真っ暗になった。

「……さようなら、みんな」

 震えた声で呟くと雪村は携帯を鞄の中へと仕舞い、タイミングを見計らったように立ち上がる。
 その正面に見えるは、車椅子で雪村のほうへと向かってきている一人の青年。

「こんにちは、時枝さん」
「葉月君も、久しぶり。さん付けなんてしなくていいのに」
「あはは、つい」
 二人は軽く挨拶を交わすと、雪村が車椅子の取っ手を持つ。
「ここじゃなんだから、部屋で話しましょう」
「うん。僕は自分で動けるから、時枝さん先に行ってて下さい。ね?」
 青年が駄々っ子のような表情を浮かべると、雪村は肩を竦める。
「……分かったわ。それじゃあ先に行ってるわね」
「はい、すぐに追いつきます。……あ、暗証番号は<2052>です」
 青年の言葉を背に受けながら、雪村は目先に見える「相談室」という名の部屋を目指して歩く。
 その顔には、失われていたはずの感情が、取り戻されたようにも見えた。


 程なくして青年も相談室へとたどり着き、刹那。
「それで、今日は何の御用ですか?」
 扉の消滅した後を通って青年が部屋の中へと車椅子をこぎ入れると、ホールと相談室を隔てる扉が再び現れた。
 青年は壁に近くまで寄り、カップの描かれたボタンを押す。すると、雪村が座ったソファの前にあるテーブルに、一つのコーヒーセットが現れた。
「いつもと変わらない、と言えば嘘になるわ」
 雪村はテーブルに肘を突き、やや前傾姿勢で手を組む。
「という事は、よっぽど深刻な事態のようですね。何があったんですか?」
「恐らくあなたの想像よりかは軽いはずよ」
 カップを手に取ると、雪村は飲み口を口元まで近づける。
「ここがばれそうよ」
 雪村は中身の紅茶を少しだけ飲むと、カップを元の場所へと戻す。
「ふふ、予想通りですね」
「でしょうね。あなたの予想はいつも必ず当たるから」
「それで? 今日はそのことだけを伝えにここへ来たわけではないでしょう?」
 青年が綻んだ表情を浮かべて楽しそうに話す。
「……全くあなたには敵わないわね」
 雪村は半ば呆れたように、小さく笑う。
「そう、今日ここへ来た目的は、もう一つあるの」
「そればっかりは予想できませんね。何ですか?」
 端整な顔に疑問符を浮かべる青年に、雪村は表情を和らげたまま言う。


「私、そろそろ死のうと思うの」


 その笑顔は少し、寂しげな呆れ笑いだった。

          †

 「死」という絶対存在は常に僕らの傍にいて、僕らの首元にその鋭利な大鎌をあてがっている。概念上で言えば生来定められている年齢に達するまでは、彼らは僕らの生き方から死に方まで邪魔をすることはなく、じっと息を潜めている。
 しかしそれはあくまで推測であって、実際のところ、そのような事実が存在することすらも完全証明できるものは一人としていない。一つとしてない。
 ただ、僕らの「生命の期限及び死の創始」を余すところなく定義しているものだけは、確かに存在する。

 人は何か勘違いをしているかもしれない。
 死と呼ばれるものには、分かるだけでも二つの「死」が在り得る。
 それは、肉体的な死と、精神的な死。
 口頭で言えば、別に何も大したことはないように思える。
 肉体的な死は、一般的な、寿命を全うして安らかに永眠することのできる死。肉体そのものが腐敗してゆき、自然に帰属する、きわめて合理的な死。
 精神的な死は、突発的な事故・病気・災害による、当事者の望むものではない死。肉体はそのまま残り、精神だけが現世を去る、非合理的な死。
 それで、死と言う人間世界の絶対存在は成立する。


 ――というわけではない。
 死にはまだ、無尽蔵に種族が存在する。
 その中でも、僕ら人間が最も恐れているのは――



 人間的な、死。
 人間として生きとし生ける意味をなくした、最も冷酷で残虐な死。
 その人間的に死んでしまったもはや人間でない生き物は、身の寄りどころを失い、狂乱したのち、この世から存在を消す。
 そうして死んでしまった人間だったものにも、当然虫は発生する。ちょうど、動物の腐肉や骸に数多の蝿が群がるように、虫は、それを喰らう。
 そうして人間だったものを喰らった虫は、世間的に認識される「虫」とは極めて異端な、虫にして虫に属さない、決して人の書物には記載されない生物として成り立つ。

 僕らはそれを、"蟲"と呼ぶ。


 蟲は誰にでも存在しえるものであり、誰もが常にその絶対的な起爆剤を胸に抱え、生きている。僕らはみな、「蟲籠」だ。
 あるとき、そう、例えば人間が"人間的に死んでしまったとき"。
 蟲はその死骸を喰らい、倍加的に増殖を始める。
 そして、個々が身を増大させて、幾何級数的に膨張して――

 蟲は死骸から溢れ、現実に姿を現す。

 そうして形を為した蟲は、往々にして人を喰らうことが少なくない。
 この段階を踏んで蟲に喰われ、虫に寄生されたモノを、人は<人蟲>と呼ぶ。
 人蟲は蟲に寄生された人と言うより、人の形をした蟲に近いものになる。
 さらにそれは特有の刺激臭某により、段階的に蟲を発生させ、決して止めることの出来ない半永久的な無限輪廻を創造する。
 故に、鼠算式に拡がるそれを誰も止めることは出来ないと信じられていた。


 あるとき、奇跡的に蟲からの脱出を試みることを成功した人が、行動を起こした。
 蟲に対抗できるだけの力を結集した、小さなサークルのような集団。僕ら含む一部の人間は、それを<ライオット>と呼んでいる。
 全国に数えるほどしかそれは存在しないが、彼らは確実に何かしらの蟲に対抗できる手段を持っている。
 彼らは"蟲"に遭遇した人々を助けるために、ある者は遊ぶように、ある者は自らの命までもを削り、ある者は大切な何かを守るように、蟲と真っ向から対立する。

 止めることの出来ない無限連鎖の中に、僕らは立ち尽くしている。
 終わりが分かりきった時間の合間で、足掻き続ける。



 こうして、物語は始まりを迎える。


       

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