Neetel Inside 文芸新都
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フロッピー・パーソナリティー
高瀬直太編 第1話「愛の告白」

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 火曜日

「ねぇ直太くん。あたしと恋人同士になる気、ない?」
 放課後。俺が忘れ物を捜しに学校へ戻って靴を履き替えた丁度そのタイミングで、通りすがりに挨拶をしてきた女子生徒が、二言目に放った台詞だ。
 これはいわゆる愛の告白だと解釈していいのか? 恋人っていう単語が変な意味じゃない限り、それ以外に無いよな? っていうか、この場合、告白されているのは俺でいいのか? いいんだよな?
 俺の名前は高瀬直太(たかせ なおた)だし、周りには他に誰もいない。
 でもこういうのって、何の前触れも無く、いきなり言うものなのか? 確かに俺とこの女子生徒・茅美月(かや みづき)は同じクラスということでちょくちょく話はするけど、そんな素振りは全然感じなかったぞ。俺がにぶいだけか? 鈍感なのか?
「ダメかなぁ? それともよく聞こえなかった? もう一回言おっか?」
 硬直していた俺に、茅は餌をねだる野良猫みたいな目つきと動きで近付いてきた。
「あ、いや、うん、聞こえてた。聞こえてたぜ」
「よかったぁ。言い直すのって、けっこう恥ずかしいんだ」
 心臓の鼓動が速くなって、声が上擦っているのが自分でもよく分かる。なにせ告白なんて、したこともなければされたことも初めてだからな。
「えっと、その、突然だからちょっと、何ていうか、どうすればいいのか……」
 もうしどろもどろだ。俺、かっこわるい。
「そういうときは素直に『うん』って答えればいいんだよ、直太くん。あたしときみで、校内一の美男美女カップルになろうよぉ」
 自分のことを校内一の美女だと言い切るとは、こいつの自信はいつも凄いな。……まあ、確かに、美人であるのは間違いないんだよ。男連中の評判でも、茅みたいなのがタイプだって言う奴はかなり多いし。俺だって茅に、ある種の魅力を感じないわけじゃない。
 しかしそれよりさっき、聞き捨てならない単語があったぞ。美男? 誰が? 俺が? これはからかわれているのか?
「一番っていうのは言い過ぎだったかもね。でも、半分本気。直太くんは気付いてないかもしんないけど、直太くんを密かに狙ってる女の子って、けっこう多いんだよぉ」
 茅は半分冗談めいた表情――半分本気ってことは、そういうことだ――でそう言うと、もう一歩俺に寄ってきた。どこまで本気かは別にして、とにかく近い、近い。
「そんなに照れなくてもいいのに。それで、どうかな? あたしと付き合わない? それともあたしじゃ不満かな? お客さん、今がチャンスですよぉ?」
 押してダメなら押し倒せと言わんばかりに、茅は積極的に答えを求めてくる。
 別に俺は茅が嫌いなわけではないが、特別に好きだというわけでもない。だがしかし、関心が無いのかというとそうでもなく。俺も男だからもちろん女に興味はあるのだが、特定の誰かと、まして同級生と恋人付き合いをするとかなんとかは、今まで考えたことがなかった。俺は異常なのか?
「……わるい、しばらく考えさせてくれ」
 だからこれだけ言うのが精一杯だった。すると茅は一瞬だけきょとんとしてから、すぐに笑顔に戻った。
「うん。真剣に考えてくれるなら、いいよぉ。でも、一晩だけね。あんまり女の子を待たせるのはマナー違反です。それじゃあたしは委員会に行かなきゃだから。いい返事、期待してるね」
 そして茅は俺の肩にぽんっと手を触れてから離れ、短いスカートをひるがえして去っていった。……危うく中が見えそうだったぞ。わざとやっているのか? それとも天然か? でもああやって男の目を引くことをよくやりながら、実はクラスの学級委員長でもある。普通は委員長と言えば真面目一徹のイメージだが、うちのは明朗活発なギャル風味だ。
 ……とにもかくにも、忘れ物を取りに行かねば。


 昇降口で茅と別れた後、俺は階段を上って、二年一組教室の戸を開けた。
「ひゃっ!」
 教室の真ん中辺りで一人残っていた人物は俺に驚いたのか、素っ頓狂な声を上げて、全身がバネのように跳ねた。その拍子に椅子を倒し、持っていた紙を落としている。
「た、高瀬くん! ど、ど、どうしたの急に? か、帰ったんじゃ、なかったの?」
 わたわたと取り乱しながら椅子を立て直し、床に落ちたメモ用紙をポケットにねじ込んでいるこの女子生徒の名前は、小向保世(こむかい やすよ)。後ろ髪を束ねる赤くて大きな髪留めと、縁の厚い丸メガネがトレードマーク。成績は優秀。
 個人的な意見としては、このメガネは全然似合っていないと思う。昔の漫画に出てくるような、レンズに渦巻きを書いても違和感が無いメガネだ。マニアはどう感じるか知らないが、俺はそういう属性を持っていない。
 それはさておき、俺は自分の机の中を覗きながら、
「いや、ちょっとな。ここに携帯を置き忘れてないか確かめに来たんだ。……お、あったあった。やっぱりここだったか」
 一度家に帰った俺がわざわざ学校に戻ってきた理由を説明した。俺の家は学校から歩いて十分くらいなので、往復してもそんなに時間は経っていない。
「逆に小向は何やってたんだ? 俺が入ってきたときには、なんか紙を見ながらニヤついてたような気が……」
「ひ、ひ、秘密!」
 よっぽど見られたくないものが書いてあったのか、見られたくない姿だったのか、小向は俺の言葉を遮って叫んだ。
「そ、それに、高瀬くん。わたし、ニヤついてなんか、ないよっ!」
 否定する態度が肯定を表す、そんな感じだ。
「まあ、小向が一人で何を妄想してても自由だけどな。ところでお前はまだ帰らないのか?」
「も、妄想って、そんな……。美月ちゃんの、服選びに、付き合う約束、してるから」
「か、茅だったら、さっき下で会ったけど、これから委員会に出るとか、言ってたぞ」
「うん、だから、待ってるの」
 さっきの今で急に茅の名前が出たから、内心動揺してしまった。茅の仕草と言葉をどうしても思い出してしまう。
 俺が茅と付き合う、なんてのは今日の今日まで考えてこなかった。茅相手に限らず、恋愛うんぬんは想像を巡らせる対象外だったからな。
 それに茅は、俺のことを狙っている女子は多いとかなんとか言っていたが、そうなると例えば、このおどおどわたわたしている地味系メガネ女子が俺のことを好きだなどということが万が一にもあり得るってことなのか? それ以前に、こいつが誰かに恋愛感情を抱くなんてことがあるのか? 全く想像が付かん。
 だから俺は、よせばいいのに、うっかり聞いてしまった。
「なあ、小向はさ、誰か好きな人とかいないのか?」
「え、ふぇ? ど、どど、どうして、そんなこと、聞く、の?」
 俺の質問がよほど予想外だったらしい。小向はまたぴくっと身体を跳ねさせた。若干引きつった笑顔になっている。
「あ、いや、深い意味は無いんだけどな。なんかふと、お前も誰かに恋をしてたり、彼氏が欲しいとか考えたりしてるのかなーなんて思い浮かんだもんだからさ」
 いくらなんでも「茅に告白されて、他の人はどうなのかと気になったから」などと言う必要は無いだろう。
「…………」
 ふと、小向の視線が宙を泳いだ。
「おい、小向?」
「え、な、なにっ?」
「何、じゃないだろ。大丈夫か?」
 どうもこいつは、時々ぼーっとして話を聞いていないふしがあるんだよな。
 気を取り直して、俺の質問に対する小向の答えは、
「わ、わたしが、男の子と付き合うとか、彼氏ができるとか、あ、あり得ないよ。た、高瀬くんなら、知ってる、でしょ? だって、わたしには、お兄ちゃんがいるもん」
 これである。そう言えばそうだった。小向のブラコン癖は中学時代から有名な話だ。好きな人はお兄ちゃん、それ以外は論外。……こいつにこんな話を聞いた俺がバカだった。
「お前は本当に兄貴のことが好きなんだな」
「う、うん。わたしね、たまに、お兄ちゃんとは血が繋がってなければ、いいのになって、お、思うの」
 こいつ、禁断の愛をさらっと言い切りやがった。見た目によらず、大胆さでは茅に並ぶな。
「と、ところで、そう言う、た、高瀬くんは、どう、なの?」
「俺か? 俺は、あんまり考えたことないんだよなあ」
 だから今、困っている。
 とりあえず、気を紛らわせるために意味も無く明後日の方向を眺めてみる。俺も小向のことをとやかく言えないな。
 すると、予期せぬ声が後ろから聞こえてきた。
「その点で私の意見を述べるならば、」
「ゆ、ゆ、由花ちゃん?」
「七後! お前、いつからそこにいた?」
 一切の気配を消して接近し、俺と小向の死角からぬいっと顔を出して会話に加わったこの女子生徒は、七後由花(ななしり ゆか)。いつでも目が半開きで、完全に閉じていることもよくある、眠たげな表情が特徴。
 ちなみに身長は大きい方から、俺、茅、小向、七後、の順となっている。俺は男子平均と大差ない程度で、七後は女子平均から見てもかなり小さめである。
「つい二分ほど前から。面白そうな話題が聞こえたので寄ってみた。ちなみに音を立てずに戸を開けることなど、私には造作もないこと」
 抑揚の少ない声で登場理由を語る七後。お前は忍者か?
「話を戻すと、私は特定異性と苦楽を共にし、時間を共有することが自分にとって非常に有益だと判断出来たときには、そうしたいと思っている」
 これまた見事に冷静なというか、まともな答えが飛んできた。確かに正論なんだが、利益うんぬんで決めるものか? 俺が考えすぎなのか?
「そ、そう言えば、由花ちゃん。これから、美月ちゃんと服を見に行くんだけど、一緒に、行かない? かわいい、春物が、そろそろ並ぶから、って」
 一方小向は、そろそろこの話題を変えたいのだろう。七後にショッピングの誘いをかけた。
「春物? これから冬真っ盛りだってのにか?」
「ファッションは、は、早めはやめが勝負、なんだって。美月ちゃん、そういうのに、敏感だから。そういうお店、知ってるんだって」
「そういうもんかねえ」
 俺が女子のバイタリティとアパレルの販売戦略に感心しているのを余所に、七後はゆっくり首を横に振る。
「せっかくだけど遠慮しておく。今日はおじいちゃんと先約がある。それに美月の買い物に付き合って、予定していた時間に帰れた試しが無い」
「そっか、残念……」
 小向は子犬みたいにうな垂れた。本当に残念そうだ。
「代わりと言っては何だけど、保世にはこれを上げる。ついでに高瀬にも」
 七後は鞄に手を突っ込み、二つの小さな紙包みを取り出した。それを一つずつ、俺と小向の掌に乗せていく。
 直径五百円玉大の丸い物を和紙で包み、両端で捻ったものだ。見た目からすれば飴玉か何かだと思うが、このズシッとくる重みは鉄球にしか感じられない。とりあえず確認しておこう。
「七後、これは何だ?」
「商標は『おもい飴』。私のおじいちゃんの開発。一個二百円。売り上げが今ひとつなので、宣伝用に配っている」
 ……高い。これ一粒買うくらいだったら、俺は百円ショップで菓子を二袋買うぞ。
「しかも重い飴だから『おもい飴』か。そのまんまだな」
「『おもい飴』には別の重要な意味がある」
「ひょっとして、あ、あれかな? 想いを込めて、っていう……」
 どうやら小向はその「意味」とやらを知っているらしい。七後はこくんと首を傾けてから、俺への解説を続ける。
「『おもい飴』を口に入れてから溶けて無くなるまで、強い『想い』と共に一つの願い事を頭に浮かべていれば、その願いが叶う。そういう触れ込みで売っている。噛み砕くのは反則。途中で他のことに気を取られても無効」
「それで『重い』と『想い』をかけたのか。ダジャレかよ」
「日本古来伝統のネーミングセンス」
 とりあえず貰ったものは頂こうと包み紙を開けた。大きなマーブル模様と一緒に甘い香りが広がる。ふと、言葉の揚げ足を取ってみたくなった。
「じゃあ例えば、俺が世界征服を願いながらこれを舐めきれば、それも叶うわけ?」
「可能」
 こいつ、言い切ったぞ。たった百円硬貨二枚で、世界征服が出来ると言い切ったぞ。
「よし、じゃあ試してみようぜ」
 俺は絶対的な権力を手中に収めている自分の姿を思い浮かべながら、おもい飴を口に放り込んだ。うん、味は申し分ない……?
  するするっ
「んぐ、むぐぶっ」
「きゃ、由花ちゃん! な、何、するのっ!」
 突然聞き慣れない音がしたかと思うと、俺はむせて飴を吹き出しそうになった。それと同時に小向が喚きたてる。
 それもそのはず。七後はこともあろうに、俺という男子がいる目の前で、親友のスカートの端をつまんでまくり上げようとしたのだ。小向は可哀相に、自分の下着が顕わにならないように押さえるので必死だ。
「どの道、雑念の多い高瀬には無理」
 淡々と言ってのける七後。汚い手を使う。
「い、いきなり、ひ、ひどいよ由花ちゃん」
「いきなりでなければ構わない?」
「そ、そうじゃ、なくて……」
 目を潤ませながら、七後の肩をぺちぺちと叩く小向。まあ、こういう姿は見ていて微笑ましいが、責められている七後は全然表情を変えてないんだよな。
 気の取り直しと言わんばかりに、小向もおもい飴を自分の口に含んだ。
「あ、おいしい。いろんな味が混ざってて。……あれ? ねえ由花ちゃん。これ、なに?」
 おもい飴の包み紙は内側に無地のセロハン加工がされている。小向が七後に見せているのには俺のものと少し違い、黒い楕円マークがあって、その中に白抜き文字で「あたり」と書いてある。
「『あたり』が出たら、もう一個」
 七後は鞄から追加分を取り出そうとまた手を突っ込む。しかし目的のものが見付からないのか、ふっと眉をひそめた。
「ごめん。鞄の中におもい飴が残っていない」
「う、ううん。気にしなくて、いいよ」
 小向はひらひらと手を振って遠慮するのだが、七後は予想外の行動をとった。
「だから、別のところから取り出す」
 そう言って七後は、耳に入った水を逃がすような動きで首を右に傾け、左のこめかみをとんとんと叩いた。
 何をしているのかと注目していると、七後は受け皿にしていた右手をぐっと握り、小向の眼前でゆっくり開いて見せた。そこには、五百円玉大の紙包み。
「すごい、すごいよ、由花ちゃん! どこから、出したのか、全然、分からなかったよ」
 小向からは拍手喝采。
「マジックか、大したもんだな。俺にも全く見えなかった。っていうか、お前は変な技ばっかり使えるよな。さっきの忍び足もそうだし」
「特殊な技能は身を助ける。これは私の、座右の銘」
 相変わらず細目のまま、七後は人生訓を述べる。
「七後はいつか、国家スパイにでもなるといい。それで日本の政治を陰から支えてやれ」
「……考えておく。そんな名前の職があればだけど。とりあえず、これを保世に渡したところで私は失礼しよう」
 七後はおそらく頭の中で将来なりたい職業欄に一つ追加してから、教室の戸に向かっててくてく歩いていった。その後ろ姿に小向が駆け寄る。
「あ、ゆ、由花ちゃん。あの、あの、ここで、わたしが、高瀬くんと、二人で、いたこと、お、お兄ちゃんには、言わないでねっ!」
 そんなに力一杯否定、口封じしようとしなくてもいいだろうに。小向、お前はどれだけお兄ちゃん好きなんだ?
「保世、心配しなくてもいい。誰もすき好んで、あなたのお兄さんに告げ口などしない」
「うん、ありがとう」
「感謝されるほどのことでもない。さらば」
 時代劇の侍みたいな台詞を残して七後は姿を消した。もう慣れたけど、つくづく不思議な奴だ。
「んじゃ小向、また明日な」
 俺も立ち去る。携帯も戻ったし、何より、ここに残って茅と顔を合わせるのもなんか気まずいからな。
「あ、た、高瀬、くん。ご……」
 教室の後ろ戸に手をかけたところで小向に呼び止められた。
「どうした?」
 振り向くと、コツンと小さな音がした。小向は身を屈めて、床に手を伸ばしている。どうやら、持っていたもう片方のおもい飴を落としたらしい。
「……あ、ううん。な、なんでもない。また、明日ね」
 飴を拾った小向は何かを言いよどんだ後、右手でそれを握り締めたまま俺に手を振った。
「おう、じゃあな」
 何を言いたかったのか分からんが、まあ、気にしないことにしよう。


 ちなみに、おもい飴が口の中で溶けきるまでに丸一時間を要した。こんな長い時間、一つのことだけを考え続けるのは無茶だろうよ。

       

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Neetsha