Neetel Inside ニートノベル
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銀色の魔王
八章 戦う銀狼

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八章 戦う銀狼



 夜になると、嫌な声が聞こえてくる。
 怖くて、嫌な声。僕は聞きたくなくて耳を塞いだ。でも、どれだけ耳を塞いでも、頭の中に響いていた。
 その声を聞くと、胸が苦しくなって、吐き気がする。僕は必死で布団を被って、その声が聞こえなくなるのを待っていた。


「ひゃははははっ!いいせぇ兄弟!あんた最高だよ!」
 俺は牙を剥こうとした狼森正貴の口を左手で抑えて無理矢理閉じさせ、その顎を右手でおもくそにぶん殴ってやった。がっと血反吐を吐いて浮き上がる狼森正貴に向け、更に右手の爪を振り上げる――。


 日がたつごとに、夜に聞こえる声は強くなっていった。その声を聞いていると、頭が割れそうに痛くなる。
 でも不思議な事に、その声は前ほど嫌に感じなくなっている気もした。


 俺の金の爪が、深く狼森正貴の胸に突き刺さり、派手に血を噴き出させる。しかし、どうやら奴は寸前で身を捻っていたようで、爪は心臓の位置をわずかに外れていた。ちぃっと舌打ちする俺の手を、狼森正貴が掴んだ。奴の目が銀色に輝く――。


 心臓の音が激しい。何故かはわからないけれど、その日はいつもと様子が違った。いつもなら、布団を被ってぎゅっと目を瞑っていればその声は聞こえなくなってくれるのに、その日はどれだけたっても声はやまない。僕は怖くて泣き出しそうだった。
 ちょうど雷がなって、その音に驚いた僕は少しだけ布団から顔を出して、窓の外を見た。
 空には、金色の丸い影が浮かんでいた。
 どくん。
 心臓の鼓動が激しくなった。
 駄目だ、と頭の中で告げていた。見るのを止めなければ、手遅れになると思った。
 どくん。
 だって、今あの声を聞いてしまったら、きっと自分は耐えられないだろうから。
 でも、体がいう事を聞いてくれなくて、僕は空に浮かぶ、金色の月から視線をそらす事ができなかった。だから、そのままで聞いてしまった。
〝目覚めよ〟
 僕の何かが、壊れた気がした。


 俺は口の血をぬぐって立ちあがる。今の狼森正貴の一撃で思いの他ダメージを受けたようで、足に力がうまく入らず、少しよろめいてしまう。これだ。これだよ。こういうのを持っていたんだ俺は。
「ひゃはははははははっ!最高だ!本当にあんたは最高だよ兄弟っ!」
 俺は思い切り吼えて全身に渇を入れると、狼森正貴に向けて飛びかかった。


 僕の体から、ぽたり、ぽたりと血が垂れる。
 何があったのかはわからない。月を見て、意識がなくなって、そのあと自分がどうしたか憶えていなかった。ただ、手に、人の肉を切り裂いた感覚が残っていた。口に、何かを食いちぎった感触が残っていた。誰かの悲鳴が、痛いくらい耳に残っていた。
 僕は何をしたんだろう?
 開けっぱなしになった窓から、冷たい風が流れていた。僕は訳がわからずに、何かの血にまみれたまま座り込んでいた。垂れた血が、絨毯に大きな染みをつくっていた。


「おしい、おしい。もう少しだったな」
 俺は笑ってやって狼森正貴に言う。また胸に穴を開けられて悶絶しているそいつに、聞く余裕があったかは疑問だが。
「残った力を全部込めてのカウンターとは恐れいったぜ。あとほんの少しあんたの手が早ければ、俺の方が――」
 言いかけて、そこでそいつの目を見て、ぞくりとする。俺は咄嗟にそいつの体から爪を引きぬこうとするが、物凄い力で締めつけられてびくともしない。
 ぎょっとして顔をあげた俺の目前に、極限まで広がった狼森正貴の牙が迫っていた。


 あれから、毎晩、僕は血まみれで部屋に帰ってくるようになった。夜になると、僕は人を殺すのが楽しくてたまらない化け物になるのだ。テレビのニュースで、毎日僕が殺した人達の事が流れた。兄さん達には言えなかった。きっと迷惑がかかる。迷惑がかかるから。
 僕は、死んだ方がいいんじゃないかと、思った。


「やるじゃねぇか! さすがは俺の兄貴だ! 見なおしたぜ!」
 奴の牙で裂けた右肩の痛みが小気味いい。俺は心底楽しくなって爪をふるう。狼森正貴も負けじと爪を出し、俺の爪と奴の爪がぶつかり合って、金と銀の火花を散らす――


『何考えてるのよ貴方はっ! まだ十二でしょ!? 死んだら親が泣くわよ!? 私も泣くし! クラスのみんなだって絶対泣くわ!』
 岸本さんは、真剣に怒っているようだった。僕が、親ならもう居ないから大丈夫だ、と言うと、『黙りなさい!』とぶってきた。痛かった。岸本さんはまだ納得がいかないようで、怖いぐらい僕を叱り飛ばした。
 死のうとした僕を止めた彼女は、そのまま学校の屋上で、日が暮れても、ずっと、ずっと、僕を説教した。口答えをしようとするとぶたれるので、僕は黙って聞いているしかなかった。


 狼森正貴はぎりぎりで体を後ろに反らして俺の爪を交わす。その体制じゃ今度は交わせねぇぜ――! 俺はそこに追い討ちをかけるように爪を突き出した。
 しかし、奴はそれを交わそうとはせずに、逆に大きく牙を広げ――


 岸本さんは帰る時まで一緒について来て、別れる時に『死んだら怒るわよ』と念を押して帰って言った。
『ああっ!? 大樹っ!? ち、違うんだよこれは! その、大樹が遅くて心配でご飯作ってあげてただけで! 決して僕らは「大樹が居ないから好きなモノ食べられる」って邪な考えを抱いていた訳じゃ』
『ええい! おまえはアホか明守! 何でそういう余計な事をぺらぺらとっ!』
 家に帰ると、兄さん達がいつも通り馬鹿な事をしていた。台所はくぢゃぐちゃで、鍋は焦げ付いていて。でも、机の上には、温かそうなほかほかのご飯があった。何故か、おかずは兄さん達の好きなものより、僕の好きなものの方が多い。とても、とても美味しかった。僕はそれを食べながら、どうすればいいかわからなくなった。
 きっと、僕が居なくなったら、兄さん達は今以上に馬鹿な事をしでかす気がした。
 きっと、岸本さんも今日以上に怒ると思った。
 そう思うと、怖くて、そして何だか胸が苦しくなって。
 もう少し、頑張らなければいけないと、思った。


 狼森正貴の牙は、虚しく宙で交差する。俺の爪は、その口が閉じられる前に奴の胸に届いていたからだ。俺はそのまま渾身の力を込めて、奴の胸を引き裂く。
 心地良い感触と、かぐわしい血の香り。これ程俺を楽しませてくれるものは他に無い――


 僕は、岸本さんに頑張ると約束した。兄さん達を見て、頑張ろうとも思った。
 だから、今日は化け物にならない。そう決めていた。
 夜になった。僕はぎゅっと手を握った。いつもの声が聞こえる。月が空に浮かんでいる。どんどん、心臓の音が高くなる。でも我慢すると決めていた。僕は目をつぶって頑張った。
 長い間、頑張って、頑張って。何とか耐えきれそうだと思った、その時だった。
〝目覚めたか、同胞よ〟
 いつも遠くからだったその声が、すぐ目の前から聞こえてきたのは。
〝ならば奏でろ〟
 それは、白い、白い男の人だった。その男の人は真っ白な目で僕を見た。
〝我らが王を称える歌を〟
 気がついた時には、僕の手はまた赤く染まっていた。


「ひゃははははは!どうした!動きが鈍くなってきたぜぇ!?」
 俺は突き出された狼森正貴の腕を握り、そのまま無造作に投げ捨てる。


『……貴方、また馬鹿な事考えているでしょ?』
 学校に行くと、岸本さんに引っ張っていかれて、ぎろりと睨まれた。何も答えられないでいる僕に、岸本さんは怒った声を出した。
『ああもう! じゃあこうするわ! 貴方が死んだら、私も死ぬ! いいわね!?』
 いいはずがない。でも、彼女の目は本気だった。
『うるさいわねっ! 貴方が死ななければいいだけの話でしょ!? 私は本気だからね! 貴方が死んだら、手首でも何でも掻っ切って後を追ってやるから! それが嫌なら絶対死んじゃ駄目よ! いいわね!?』
 岸本さんは、いつも人の話を聞いてくれなくて、勝手な事ばかり言う。兄さん達と一緒だ。詩織さん……はもうちょっと勝手さが酷いけれど。みんなは、ずるい。何でみんな、こんなに温かいんだろう。僕に冷たくしてくれないんだろう。
 駄目だとわかっているのに。
 僕は生きたくて、生きたくて、仕方がなくなってしまう。
 僕は、自分が卑怯で弱いと思った。


「あんたもしつこいなぁ。いい加減理解しろよ」
 俺はしつこく向かってくる狼森正貴を拳で叩き飛ばし、ぺろりと手についた血を舐める。
「あんたが俺に勝てる訳がねぇんだよ。当たり前だ。そうだろ?」
 まだ向かってくる狼森正貴の顔面を、ひょいと足で蹴り上げる。
「当たり前なのさ。金と銀。どちらがより強く輝くかなんて、十人に聞けば、十人ともが口をそろえて答えるだろうぜ」
 俺は笑って、動きの止まった狼森正貴の頭を掴む。
「金、てな」
 俺はそいつに向かって、おもくそに大きく牙をむいた。


 白い男の人が来た晩から、僕の中の化け物は更に歯止めがきかなくなった。昼間でさえ化け物が出てくる事もあった。僕の部屋の血の染みは、どんどん大きくなっていった。夜に血を流す為に浴びるシャワーは、僕の日課になった。


「うるせぇ」
 狼森正貴が、奴の頭を掴む俺の手をがしりと掴む。もう奴の意識がないと踏んでいた俺は、思わず驚いて動きを止める。


 僕は、もういつ兄さん達を殺すかわからない化け物になってしまっていた。だから、生きていちゃいけない。でも、岸本さんはいつも毎朝、僕にこう言って念を押す。
『貴方が死んだら、私も死ぬからね』
 それが、僕の、唯一の死ねない理由だった。


 奴に握られた俺の手が、みしみしと骨を軋ませて悲鳴をあげる。必死で引き剥がそうとするが、奴の手は俺の手を掴んだままびくともしない。こいつ、なんて力


 違う。
『ああもう! 本当に腹がたつわね! 貴方なんでいつもそう辛気臭い顔ばっかりしてるのよ!? 貴方に何があったのかは知らないけどさ! たまには笑わないと人間駄目になっちゃうわよ?』
 岸本さんは勝手な事ばかり言う人で。すぐに人を叩いて。
『だ・か・ら! 少しは笑いなさいっての!』
 そう言って、人のほっぺたを横に引っ張ったりする人で。
『貴方が死のうなんて馬鹿な考え捨てるまで、私は一生だって付きまとってやるんだからね!』
 でも、本当は優しくて。
『……私は、単に貴方の笑顔が見たいだけだってば』
 とっても、とっても優しい笑顔を見せてくれる人で。だから、違う。
『貴方が死んだら、私も死ぬからね』
 それは、死ねない理由じゃなくて、僕の、生きていた理由だ――。


「離しやがれっ!」
 俺はあせって狼森正貴を殴る。蹴る。切り裂く。しかしどうやっても、奴の手は離れない。


 なら、今僕はなんで生きているんだろう?
『てめぇの手で惚れた女の喉を掻っ切ったっていう事実に耐えられるんなら、残っててもいいけどな』
 あの時、僕は岸本さんを殺してしまったのに。
 僕は何もできずに、彼女を殺してしまったのに。もう、僕が死んでも彼女が死ぬ心配はしなくていいのに。
 何でまだ僕は、死んでいないの――?


 俺の手を掴む狼森正貴の目が、見惚れるぐらい純粋な銀色の光を浮かべる。


 でも、大丈夫だ。
 あの時、正貴兄さんは怒っていたから。


 俺は、生まれて初めて、恐怖に刈られて叫んだ。


 正貴兄さんが怒って、何とかしてくれなかった時はないから。
 正義感が強い正貴兄さんが、あんな事をした僕を、許すはずがないから。
 だから、きっと。


 銀の疾風が、俺の体を駆けぬける。

 
 きっと、兄さんが僕を殺してくれる―。


 地面に崩れ落ちた俺は、思わず納得して目をつぶる。
 こりゃ、当たり前だ。今日、俺があいつに勝てる訳はねぇ。勝てる訳がねぇ――。
 何せ今宵の満月は、あんなに曇り一つない銀の色を、して、い、る。

       

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