「ねずみ紳士」 作:猫人魚
「お嬢さん、となりよろしいですかな」
寂れたバス停でタバコをふかしながらぼーっと座る私に、誰かが声を掛ける。私は返事をしない。よろしいも何も、ベンチには私しか座っていないのだから、勝手に座ればいいんだ。それに、そんな些細な問いかけへの返答ですら、今の私には億劫だった。だから私は、その声の主を見ようともせず、むしろ顔を背けるようにしてため息をつく。
「ふむ。では失礼して」
ベンチに私以外の誰かが乗っかる気配を感じる。声の感じからすると、おっさんかな。このおっさんも、病院に通っているんだろうか?まあこの停留所を使う人なんて、患者か見舞い客のどっちかだろうけどね。あ、ちなみに私は患者。肺がんだってさ。あははは、でもタバコ吸っちゃう。もう助からないって言われてるし、今更やめてもしょうがない。
「ときにお嬢さん、随分若いみたいだけど…もしかしてそこの患者さん?」
「……」
「ああ、気に障ったのなら謝るよ。なに、この辺はあの療養所の他には何もないからね、もしかたらと思っただけで」
「……」
「ああ、それともお見舞いかな?そうだろうねえ、君はまだ若い。いや、若いからこそ、偉いねぇ。誰かを思いやって、その為に自分の時間を割く…簡単そうで、案外そうでもない」
実によく喋るおっさんだ。別に何も返事してないのに、勝手に納得して勝手に褒められた。まあこういう、ちょっと田舎っぽいところのおっさんってのはこういうものなんだろうか。療養の為にこっちに越してきたけど、今まであんまり外とか出歩いてなかったからなぁ…都会暮らしになれちゃうと、こういうのは煩わしいというか面倒なだけだし。
「いや~しかしいい天気じゃないか。入道雲がはっきり見えるし、太陽はギンギンだしね。こう、生きてる!って感じだよね」
「……」
「ああ、でも雨の日ってのもあれはあれで、中々風情があるものだよね。僕もアレだよ、あのサーっていう雨の音が好きなんだよね。心が落ち着くって言うかさ」
「……」
本当に良く喋るおっさんだ。っていうか、さっきから一回もリアクションしてないんだから、いい加減コミュニケーション取ろうとするのは無駄だと分からないんだろうか。それに、何が生きてる!って感じなんだか。私はもうすぐ死ぬ身なんだよ。というか、ゆるやかに死につつある状態なんだよ。空とか見たって、あと何日こうしていられるだろうかとか、そんな事しか考えない。まあ事情を知らないんだからしょうがないんだろうけど、でも場所柄そういう可能性もあるって思えば、なんともデリカシーのないおっさんだ。
「台風もいいよねえ。あのゴウゴウ鳴ってる感じがさ、テンション上がるよね~。思わず外に出て、叫んでみたくなるもんねえ。まあ本当にやったら飛んでっちゃうからできないけど」
「……」
「あとね、雪!この辺降るんだよ雪!いや~あれはいいよ、もう真っ白!寒いけどさ、子供達が大はしゃぎしているの見ると、なんか分かんないけど僕も童心に帰っちゃうんだよね」
「……」
いい加減、うっとうしいな…てか、別に聞いてなくてもいいんだろうな、おっさん的には。自分が喋りたいんだろう。家族とか…いないのかね。話し相手になる友達とかも…いや、居ても変わらない気がしないでもないけど、何となく。
でも、そういえば…私も友達なんていないんだよな。実家に居た時も、都会に出て行った時も、ただそこに居るだけで…何を残すでもなく移動してきただけ。学生時代の友人なんて誰一人として連絡先分からない。新しい友達も作らなかったから、ただ都会で誰でもできるような仕事して、そして病気になったからって引っ越しただけ。誰も私が何をしてきたかなんて知らないんだ。親だって、家を出てからの事は把握しきれてないだろう。私は、なんの意味もない人生を送ってきたわけだ。そして、まだ30にもならない内に病気で死んじゃう。ははは、我ながらなんと言っていいのか。
「お嬢さん、どうしたのかね?何か悲しいことでも?」
「っ……」
「ふむ、ようやく少し反応してくれたね。いやなに、今にも泣きそうな顔に見えたのでね…お節介だとは思うが、何か悩みがあるなら聞くよ?」
「……」
「僕に悩みの答えは出せないかもしれない。けれど、共有してあげる事はできる。君が悩み、答えを望み、そして僕はその答えを与えたいと考えて悩む。うむ、悩みが増えていくな。けれど僕が悩むという事こそが、君への答えになるかもしれない」
何を言い出してるんだこのおっさんは。わけがわからん。大体、他人になんか分かるわけがない。例え私と同じ病気で、同じくらいの命の期限しか残されていない人間がいたとしても、それでも私の気持ちなんて分かるはずがない。誰かに心のうちをぶちまけたところで、表向きの慰めを聞かされるとかが関の山。結局自分は助からないという事を再認識するだけだ。
「う~む、余程言いにくい事なのかな。恋愛関係?仕事関係?人間関係?」
なんかイライラしてきた…
「泣きそうになるくらいだから…ああ、もしかしてお見舞いの相手が実は彼氏で、不治の病とか?それは悲しいだろうな…」
色々間違ってるし、勝手な事を言うな…
「でもねえ、生きとし生けるもの、皆全ていつかは死ぬんだろう?僕はまだ死んでないから確証ないんだけどさ」
だからなんだ、受け入れろってか…?
「だとしたら、あとはどのようにして死ぬかって事だよね。彼氏が幸せな気持ちで死んでいけたらそれが一番だろうけど」
幸せな気持ちで死ぬってなんだ…?矛盾してるんじゃないの?
「…死ぬのって、どんな気持ちなんだろうね」
「………んじゃ…わよ」
「…ん?」
「…ふざけんじゃないわよ」
「…」
「さっきから黙って聞いていれば、勝手に決め付けて…ふざけんじゃないわよっ…あれ?」
余りにむかついたので、思わず怒鳴ってしまった…が、振り向いた先には誰もいなかった。いや、確かに気配はあったんだ、おっさんみたいな声で、おっさんみたいな体格の気配が。でも、誰もいない…と、視界の下の方に、何かふさふさしたものが丸まっている。これ、は…猫じゃないの?
「すまないねお嬢さん、しかしやっとこっちを向いてくれたね」
「ね…猫?猫がしゃべ…」
「いやいやいや、違うよ。僕はここだ」
よく見ると、猫の耳の所に更に小さな毛玉が…
「ね、ず、み?」
「そう、ねずみ」
「ね、ね、ねずみが喋ってんの!?」
「そう、ねずみが喋ってんの」
「……ないない!ないってそんなの!」
「しかし現に喋ってるからねえ」
「え、いや、仮に喋るにしてもよ。なんでそんなおっさんボイスなわけ!?なんかこう、ミッ○ーみたいな、甲高い声とかじゃないの!?」
「そんなこと言われてもねえ、そのミッ○ー君と僕は別鼠なわけで…」
「いやいやいや、っていうか仮に喋るにしてもって時点で、ないから!」
「ああ、安心してくれ。僕は喋るけど、こっちの猫は喋れない」
「…っていうかねずみが猫に乗ってるって何、どういう下克上なの!?」
「おおう、元気が出てきたねぇ、ちゃんと喋れるんじゃないか。君こそ人間のくせに全然喋らないなんて、勿体無い話だと思うよ」
「ごまかしてるんじゃないわよ!何なのよあんた!」
「ふうむ…随分と混乱しておられるようだが、こう考えてくれ。例えば人間も国が違えば言葉も違う。だが勉強すれば、二つの国の言葉を喋れるだろう?」
「だからなによ」
「僕は確かに君の知っている言葉で喋る。でも、英語は喋れないんだよ、あはははは」
「……いやいや、納得しないからね!?」
「むう…まあいいじゃないか、意思の疎通ができるってすばらしいと思わないかね?」
「…で、猫に乗ってるのはなぜよ」
「人間も好き嫌いがあるんじゃないかな?にんじんが食べれないとか、ピーマンが食べれないとか…そんな感じ?」
「ねずみが食べれない猫?」
「ベジタリアンなんだよ、彼。それにほら、僕は人間の知識が豊富だからね、彼にしたって僕と一緒に居る事はメリットがあるってわけだ」
「はあ…なんかもう、あんたが喋れるって事さえ目を瞑ったら何でも納得できそうだわ」
「よろしい。じゃあお互い顔をあわせたって事で、改めて悩みを聞かせてくれないか?」
「それとこれとは話が別じゃないの」
「僕は人間じゃない。君の悩みは、同じ人間と話をしても解決しない悩みか、もしくは同じ人間には相談したくない事か…どっちかじゃないかな?」
「……」
「僕だから言える答えがあるかもしれないよ?」
「……はあ…まあいいわ…でも勘違いしてるよアンタは」
「何かな?」
「まず私には彼氏なんていない。それにお見舞いの為にここにいるんじゃない。だから別に偉くもないし、悲しいわけでもない」
「だがさっき、泣きそうな顔をしていたのは確かだ」
「…それも勘違いよ。私は悩んでもいない。ただ、虚しいだけ」
「…ふむ。察するに君は…君こそが不治の病かね?」
「…そんなところよ」
私の事情を知ったねずみは器用に腕組し、何やらうんうんと悩みだした。しかし、話の流れで自分の事を話してしまったが、こいつねずみだよな…おっかしいなあ、とんでもなく異常事態のはずなのに、案外すんなり受け入れてしまっている自分がいる。普通に聞いたらトンでも理論なんだろうけど、妙に説得力があるというか…丸め込まれたというか。
5分ほどそうして、ねずみは悩み続けていた。いや、何をどう悩んでいるのかも分からないんだけど。しかし私が二本目のタバコに火を点けた時、ねずみは突然顔をあげた。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ。不治の病にかかっているというのに、そんなものを吸うのかね?」
「文句あんの?」
「だって体にいいものではないだろう?」
「むしろこれのせいで不治の病」
「尚更だめじゃないか!」
「あのねえ…不治の病なんだよ。もう治んないの。末期なの。今更止めたって余命なんか殆ど変わらないっての」
「し、しかし…むう…」
「あと数ヶ月の命なんだから、好きなようにさせてよ」
「…ふむ、そうだな」
「…何よ、案外物分りいいじゃないの」
「いやなに、考え方の違いじゃないかと思ってね」
「はあ?」
「君はもしかして、今まさに死につつあるって考えてないか?」
「…は?」
「毎日少しずつ、死んでいってる、って」
「…」
「図星だね。君は案外分かりやすいな」
「うるさいわね…だからなんなのよ」
「人間は大体、どれくらいまで生きるかな?健康なら」
「さあ?100歳くらい?」
「ねずみはどれくらいだと思う?」
「…知らない」
「僕も知らない。君達とは概念が違うからね。そんな知識が必要になった事はない。でも人間よりは短いんだろう?」
「多分」
「全ての生き物は、常に死につつある。生まれたからには死んでいく。当然のことだね」
「…」
「でもこうも考えられる。死という区切りが来るまでは、生きているんだと」
「は~安っぽいセリフ」
「まあね。でも、生きているからには自分が楽しいと思えることがしたいよね、なるべくなら」
「……そりゃそうでしょ」
「だから、君が限られた命の中でタバコが吸いたいんなら、それでいいんじゃないかと」
「…なんかそういう言い方されたら、命の期限を無駄遣いしてるみたいじゃないの」
「そう聞こえたかね?そんなつもりはないんだけどな。どんな死に方しようとその人次第だと思うよ。ましてや君は自分の死が迫っている事を知っている。それまでの間を、自分のやりたいように、自分の好きなように生きたらいいんじゃないかな?」
「…」
自分のやりたいこと…勿論、タバコは吸いたいから吸ってるけど、でもこんなのはその場しのぎだ。だけど他に遣り残した事なんて何も思い浮かばない。思うに私はこんな体になってしまう前から、人生を諦めていたのかもしれない。特に恋愛したいとも思わなかったし、まあそれ以上にモテなかったし、仕事も適当でよかったし、趣味も特にない。毎日タバコ吸って、バラエティー番組で適度に笑って、ゲームで時間潰して、食べて寝るだけ。何も残らないし、残そうとも思わない、そんな毎日だった。
「…生きるって、どうやるの?」
「ん?これまた難しい、哲学的な質問だね」
「…もうすぐ死ぬから、死ぬまでは生きていよう…でもどうやって生きるの?結局今までと同じ事しかできない…」
「君が今までしてきた事は、生きるって事とは違うのかい?」
「多分…というか、生きている意味がない、状態だったと思う」
「君がそう思うなら、そうなんだろうねえ」
「でも今更変わった事なんてできない。私は今までこうして生きてきてしまったから、これ以外のやり方がわからないよ。それに、時間も体力もないしね」
「…僕に言えるのは一つだけだよ」
「…何よ」
「考えを変えようって事。君は今そこに居る。もうそれだけで、生きているって事だよ。全ての事は、あるがまま。そして全ての事は、無限の可能性」
「難しい事言ってごまかそうとしてない?」
「うん、難しいだろうね。でもほら、君の目の前には何がいる?」
「しゃべるねずみ」
「君の考えうる世界に、僕みたいにしゃべるねずみがいるなんて可能性はあったかい?」
「…ない、けど」
「君が死ぬ前に、君の病気を治す薬ができるかもしれない。どんなに可能性は低くとも、ないとは言いきれない。いやもしかしたら君自身が開発するのかも」
「そんなの…」
「君がないと思った瞬間に、なくなるよ。でも、あるかもしれないと思ったら、本当に小さな可能性でも存在できるようになる。君が見ている世界は君だけのものだ。君が死んだ瞬間になくなる。だからその世界では、君の信じる可能性だけが全てだよ」
「私が信じたら、可能性があるって事?」
「そうさ。誰にもないなんて言わせない。どんなに荒唐無稽でも、可能性だけはある。後は君が、どう感じていくかだけだよ」
「私が…感じる?」
「君は生きているよ。それを感じればいい。そして君は生きているんだから、可能性も無限だ。勿論タバコを吸うだけで終わったっていいさ、タバコを味わえる自分を感じる事ができればそれでいいじゃないか」
「そんなので、いいの?」
「いいに決まってるじゃないか!」
「そ…そう、いいんだ、それで…そっか…」
「ほら、見てごらんよ。いい天気じゃないか。生きてる!って感じだろ?」
「…どうかな~?」
「え~?」
「あははははは」
ねずみに促されて、空を見上げる。確かに入道雲もはっきり見えるし、太陽はギンギンだ。ああ…なんだろう、なんとなくだけど…ねずみの言ってた事が分かる気がする。私が信じた可能性は全て、ないとは言いきれないもの、か。まあ今更肺がんが治る特効薬が出てきたりするとは思ってないけど、だからって全てを諦めてしまうには早すぎる。私はまだ生きている。私にはまだ、可能性があるんだ…
どれくらいそうして空を眺めていただろう、バスが近付いてくる音がして、我に帰る。なんとなく予感はしていたが、ふと横を見ると…もうそこにはあのねずみも、ねずみを乗せていた猫の姿もなかった。あれは、死の間際にいた私が作り出した幻想かなにかだったのだろうか?
バスが到着し、扉が開いて何人かが降りてくる。私もこれに乗らなければならない。でもその前に、私はそっと…あの猫が寝そべっていた部分に手を触れてみる。少し、暖かかった…それは、太陽に照らされていたからなのか、それとも…
おしまい
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