Neetel Inside ニートノベル
表紙

パラノイアテロリスト
あだなす好奇心はテロリズム

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パラノイアテロリスト

 /Aの内容
 いつも夢と現の狭間の中で、見る内容の虚像は緑を基調とされた森の中であった。起きると酷く気分の悪いことが多い。ナイフのように鋭い視線を感じて振り返ってみてみると、鷲の様な、鷲ではない様な、鳥のような鳥ではないような怪物に頭を貪られる。そんな緑の夢。自分の中をもう一度洗ってみると、それは罪による物だと言う事に気がついた。
 隣の肉塊を撫で回す。ぶるりと震えて、恐怖を与えた。
 白濁する欲望に身を浸し、その分だけ意識の領域を分け与える。素晴らしい、素晴らしい。この欲望、飢餓。いつまでも、いつまでも俺にこのビジョンを見せてくれ。
 さあ、今日も新しい獲物を探しに行こう。
 自らの欲望のために。







 私は体がすごく細い。
 その悩みは、女子の中では自慢のように聞こえる事でもある。あまりこの悩みを他人に言ったことはない。いつぞや、街中に出歩いていた日のことモデルに誘われたこともあった。ねえ、ねえお姉ちゃん、ちょっと僕こう言うところの人間なんだけど、君服のセンスいいねえ。え、ああ。そうですか? そうだよ、すごいかわいいよ。あはは、うふふ。
 体も細いしねえ。
 その一言で、私はそのモデルのスカウトを断った。
 まあ、正直、お金が入るとか、ある程度生きがいの出来そうな仕事とか、そういう保守的な考えがなかったわけではない。でも、それよりもモデルという仕事は体のラインを出す仕事だ。もしかしたら、水着になることだってあるだろう。いや、なる。たしかテレビとかでそういうのを見たことがある。オーディションなどでは基本的に水着になってスタイルを他人に見せての仕事なのだ。そんなことが出来るはずがない。
 私は私の体の細さが嫌いだ。いくら食べても太らない体。筋肉のつかない体。まあ、確かに運動は好きなほうではない。文化系だな、とも思う。だからって、いくらなんでもここまで骨ばったスタイルになりたかったわけではない。胸も必然的に小さくなるし。肋骨もみえちゃってるし。

 で、そんな自分を変えたくて、私は運動部に入ろうとしている。

 教室をでて、私は部活の案内を片手に、まだ入りたての、この高校。美咲野学園高等学校の床を歩く。
「運動部かー、なんでもいいけど、きついのは嫌だなぁ。」
 なんて、独り言をつぶやいてみるけれど、私の周りには友達も何もいない。まだ、この高校には入りたてなのだ。それなりにクラスメイトとは会話はしているものの、率先して友達を作ろうという気にはなれず、ひとりクラスにおいていかれているような気がする次第だ。
 高校に入って早一ヶ月、部活も決めず、だらだらと家と学校を行く毎日。そんな毎日を変えるのは部活しかないだろう。体も筋肉質になって、友達もできて、一石二鳥、一挙両得、一兎を追うものは二兎を得ずだ。最後のは違ったような気がするが、人生明るくあれば、間違いも何もが明るいのだ。
「意味わからない……。」
 自分の考えていることもままならない。とりあえず、片手に持っている部活案内を開く。運動部。女の子でも出来る、運動部、何があるだろう。
 バレー部、がとりあえず、目に飛び込んでくる。バレー部、私、そんなに背の高いほうではないし。大体、ボールが怖い。パス。 陸上部。走るのが嫌い。パス
 卓球部、……卓球部。卓球部! 響きからして、卓球部、いい感じだ。球技ではあるが、玉は軽いし痛くない。それに、選手の皆さん細そうだし。その中に紛れる事も出来るだろう。
 卓球かー…いいなあ、別に選手大会とか全然出る気もないし、そもそも、運動できれば良いだけだから、もしかしたら部員とはそりが合わない可能性があるけど、まあそれもありじゃない? と認めてくれる先輩だっているだろう。
 と、そんな甘い事を考えながら、職員室の前を通ると、歴代の先輩方が取った表彰状がずらり、眺めるとそこには、野球部県大会二位、サッカー部新人大会三位、卓球部全国三位。……三位? しかも、全国? 県大会とか新人戦とかではなく、全国?
 えっほえっほ、と、卓球部の部員と思える半袖半パンの生徒たちがラケットを片手に走っていく。まだ、この季節寒いのに大変である。うん、大変だ。大変大変。
「……ホント、どうしよう。」
 まさか、私には全国で活躍するような部活に入る勇気はない。ガッツもない。あるのは好奇心と行動力くらいのものだ。しかも、それが必ずいい方向に行くものではない。と、中学のころの友人に一喝されたことがある。余計なことばかりするなあ、なんていわれたものだ。
 賞状や、生徒新聞、学校新聞などが張り巡らされた職員室の前を横切り、角を曲がって無機質な階段に躍り出る。ここから、上に上がって二階の渡り廊下を渡り旧館の方に行くとそこに部活棟がある。とりあえず、部活棟にいって、仮入部の手続きをしてから、入部の運びとなるのだが。未だに入りたい部活の決まっていない私はそこに行く理由なんてあるのだろうか。なんて考えてしまう。
 でも、厄介なことに、実はこの高校、必ず部活に入らないといけないという、面倒くさい生徒規約があるのだ。どうやら、生徒の学校生活を充実させるために部活動は必要。ということらしい。なんともまあ生徒からしてみればはた迷惑な生徒規約を作ったものだ。
 階段を上がると、また、男子生徒とすれ違う、手にバトミントンのラケットを持っている。バトミントン! 隠れた刺客だ。好きだったなバトミントン、しかもよく見てみると、男子生徒の表情はゆるい。この感じなら楽そうだし。いいんじゃないだろうか


「君さー、運動苦手なんじゃない? そっちは運動部の部室棟だよ。」

 と、的を得た事をいう人間が、ここに一人。目の前を通り過ぎて、私の後ろから声をかけてきた。振り返ってみてみると、それはそれは背の高……くない。が、顔はそこそこいい男。というか、かなりいい。目は大きく、髪は少し長め、どこかの芸能人のような、そんな雰囲気まで感じる。ここまでのイケメン、なら普通は噂になるものだが、そんな噂などは回ってきていない。ということは……隠れた名品? なのか。
 私も生まれてこの方十六年、浮いた話の一つや二つあったっていいのだ。今の今まで、付き合う友達が悪かったのか、彼氏が出来ことがない。部活に入ったら、このくらいかっこいい彼氏とか出来たりするのかなあ……なんて、そんなことを普段では使わない頭の回転の速さで考えていたら、いつの間にかすぐ近くに立たれていてびっくり
「背、そんなに変わらないな。」
「え? あ。はわ!?」
 あわてて距離をとる。今、目の前に、そのまま目が目でめでた!?
「びっくりしないでよ、俺までびっくりするよ。」
「お、脅かしたほうが悪いでしょう!? 近い! 近い近い。」
「ああ、ごめんごめん。」
 絶対に悪いと思っていない薄笑いで答える、男子生徒。
「それで、君、運動部に入るつもりなんだろう。やめときなよ、ここの高校の運動部はあまり評判が良くないぜ。」
「そんなことを陰口するために、私に声をかけたの?」
「ため口か、嫌いじゃないけどね。一応先輩なんだぜ。」
 ああ、そうなのか。と思う。直すつもりはあまりないけど、言われたからには敬語にするべきだろう。
「それで、なにか御用ですか?」
「ふうん、律儀だね。まあ、いいか。いや、今どこの部活も新入生歓迎中だけど、君みたいなかわいい子が、汗臭い、下心丸出しの運動部連中の餌食になるのは見ていられなくてね。」
「キザな言い回しですね。」
「まあ、単純に君がかわいいってのが本当の理由だよ。ナンパともとっていいよ。」
 ナンパ、か。
 実は初めてのナンパだったりする。可愛いねー。とか、は割と言われるのだけど、ナンパをされるのは初めてだ。まあでもはじめてのナンパが学校ないってのは…聊かいやな感じがしないでもない。
「それで、あなたは何の部活に入ってるんですか。」
「お、引かないねえ。」
「どうせ、ナンパって言うよりは、部活の勧誘でしょう」
「あ、わかる?」
「わかりますよ。見たところ、運動部ではなさそうですけど。それと。」
「それと?」
 首をかしげる、目の前の男。なんだか、こういう仕草がいちいち可愛いと思える。それがむかつく。
「名前、教えてもらえませんか。なんか、話づらいので。」
「ああ、俺の名前か。それだったら、君の名前も教えてよ。」
 質問を質問で返される。
「私の名前は明智詩織です。はい、名前教えてくださいよ。」
「詩織ちゃんか、いい名前だ。」
 男は目を伏せて、吟味するようにうなずく。かっこいいから許されるけど、気持ちが悪いのは気持ちが悪い。そして、勝手にしたの名前をちゃん付けで呼んでいる、馴れ馴れしい。その上名前を教えてくれない。帰ってやろうかしら。
「詩織ちゃんは、ミステリーとかって興味ある?」
「ミステリー…ですか。」
「ミステリー研究部。所謂推理ものの小説を研究したり創作したりする部活だ。といっても、ほとんど活動のしていない、ただの時間つぶしの部活になっているけどね。この学校って必ず部活に入らなきゃいけないだろう? 汗臭い、運動部に入るよりはこちらの部活に入ったほうがまだ楽できると思うけどね。」
「まあ、そうですね。」
「だろう? 」
「だけれど、私、興味ありませんから。」
「へ?」
 はっきりという。
 ごめんなさい、先輩。私、いろいろはっきりいってしまう性格らしいんですよ。
 私は、そのまま、上がってきた階段を下りて、家に帰ろうとする。この先は、どうあっても、彼が前を通してくれないだろうと思ったからだ。
「ちょちょちょちょ! 待って待ってよ。」
 待てと言われて、待つ馬鹿は居ないだろう。正直、この先輩の顔とかから、運命の出会い? とか、感じたけども。でも、なんか話をしていてむかつくし。それに、ミステリーには興味はあるものの、ミステリー研究部に入るメリットはどこにあるのだろう。私は、運動部に入りにきたのだ。
 階段を下りて、そのまま一階の廊下を足早に歩くと、後ろからまだ声はついてくる。
「わかった、わかった。ミステリー研究部は確かに、薄暗くて、しかも文化祭とかでちゃんと発表しなくちゃいけないからそういうのはめんどくさいだろうけど、でも、今なら君が入るメリットもあるんだってば!」
 うるさいなあ。だから、どこにメリットがあるんだってんだ。
「先輩ついてこないでください、ミステリーだか、研究だかしらないけど。実際に事件が起こるわけではないでしょう。」
 吐き捨てるように言葉をはいて、そのまま走って逃げようとする。すると、その言葉を聴いてか、それとも私が走ろうとしたのを察知したのか。先輩は急いで私の前に立ちふさがった。
「起こる。」
「何が、ですか。」
 目の前の先輩は、にやりと、本当にいやらしいが格好のつく、薄笑いで私をまっすぐと向く。
「事件は、起こるよ。現実に、僕たちの前にね。」


     



 私の好きなミステリーは、ミステリーと呼んで良いのか分からない。たとえば、ライトノベルといわれたり、伝奇と呼ばれたりするところの小説だ。だから、ミステリーに興味がある。というのにも語弊があるのかもしれない。そもそも、単純な推理小説、というのは、あまり好まないのだ。電車のダイヤを調べたり、密室のトリックを考えたり、解いたりは、本当にあまり好きではない。それでも、やっぱりミステリーに興味がある。と自分の気持ちを決めてしまうのは、はやり、現実に起こりうる唯一の、不可解な、事象。だからではないだろうか。
 人の気持ち、とか、恋愛とか。そういうものも、区分すればミステリーなのだ。だったら、本当は、もっといろいろな小説とかに手を出したっていいのだろう。でも、興味が出てこない。読む前に、挫折してしまう。私は、何を求めているんだろう。本に、物語に、何があると思って、読もうとしているのだろうか。
「コーヒー嫌いなら、紅茶でも良かったのに。ここ、紅茶も十分にうまいんだぜ。」
 向かいの席に座っている、先輩は、へらへらと、ゆるい顔で、私の顔を見つめている。飲まないのなら、その片手にもっているコーヒーを置けば良いのに。さっきから、片肘をテーブルに付きながらでずっと、コーヒーを持ち上げている。
「いえ、紅茶はあまり好きではないんです。」
「へえ、珍しいね。女の子は大抵香りの良い物は好きだと思っていたのだけれど。」
「キツイ香水のにおいを嫌う女の子は結構居ると思いますよ。でも、多分。慣れなんだと思います。」
「慣れ?」
「炭酸が飲めないと思ったら、何回か飲んでいるうちに、嵌って行くのとおんなじですよ。」
 ふうん、と、先輩は持ち上げたコーヒーをやっと口につける。
「エロが嫌いとのたまってた女の子が、処女を通り抜けると、会話に下ネタをやたら織り交ぜてくるのと似てるのかな。」
「……それはまた違う話だと思いますけど。」
「あらら、そういう話はお嫌いかな。」
 本当に、よく笑顔を崩さない先輩だ。イラつく。
「まあ、別に、いいですけど。それより……」
 そろそろ本題に入りたいな。
「ああ、名前ね。俺の名前は榊原雅人ね。榊原先輩っていってよ。」
「いや、そういうことじゃなくて。まあ、それも知りたかった事なんですけど。」
「え、違うの? 名前知りたかったんじゃないの」
「いや、貴方がここに連れてきた理由は、名前じゃないでしょう。」
「ん、んー。かわいい子とお茶を飲むのが理由じゃだめ?」
 冗談とばかりに、満面の笑みを見せる、榊原先輩。こういう武器を持っている男って大抵ずるいんだよなあ。なんて、全くない恋愛経験を頼りに勝手に決め付ける私。もう、お茶おごってもらったし、別に帰ろうとかは思ってないけれど。なんかなあ。
「まあ、冗談はここまでにして、本題だけど。事件についてだよね。」
「そうです。学校で事件が起きるって話でしたけど。どういうことですか。」
「食いつきがいいね。そのくらい、僕に興味を持ってくれると嬉しいんだけどなあ。嘘だよ、嘘、そんな怖い顔しない。」
 あれ、そんなに私怖い顔していないですよ。まあ、イラっとはいましたけどね。ちょっとだけ。本当にちょびっとだけ。この人の胃袋の中にどうやったら爆弾って入るのかなって、そんなことくらいですよ。弾け飛べばいいなんて思ってないです。
「事件がおきるって、でも、それ自体はミステリー研究部とはあまり関係ないような気がするんですけど。」
「まあ、それに関しては僕の話を聞いてから決めれば良いんじゃないかな。」
「もったいぶらないでください。」
「もったいぶってはないよ、まあ、説明するのに難しい点もいくつかはあるんだ。まず、前提条件として、この学校ってのはあまりにもハプニングが少ない。そうは思わないかい?」
「まだ、私入って一ヶ月ですから、そうは思わないかといわれても、うなずけないですけど。」
「でも、中学のころに、なにか大きな事件とかあったりした? なかっただろう。火事があればいいとおもっても、火事は起こらないし、ヤンキーたちが騒ぎだててガラスが割れるような事件もない。ましてや、校門に首が飾られて、報道機関に手紙が届くような事件もね。」
 確かにそれはそうだ。だけど、それが起こって欲しいとかはおもったことなんて一度もない。それは本当だ。なによりも、自分の周りで人が不幸になったり、死んだりするのは嫌なのだ。
 でも、だったら。なぜ。
 私は、学校で事件が起こる、という一言にこうやって惹かれているのだろうか?
「僕たち、ミステリー研究部っていうのはね、そういうものを望んでいるんだよ。当然、そんなことをしようというわけではない。実行しようなんて思ってないよ。ただね、そういったものを望んで、このミステリー研究部に入った事だけは確かなんだ。」
「それで、その危ない告白がどう関係あるんですか。」
「たとえばの話だよ、君が事件を切望しているとしよう。そういった人間が、たくさんいて、その中の一人が困ったことに事件を起こしてしまう。たとえば、ほんの小さな事件でもいい。だけど、その事件は十分に君の知的欲求を満たすだろう。だけど、その事件は君の前に果たして現れてくれるのかな?」
 榊原先輩は、遠まわしに、非常に分かりにくい点から、私の考えを絡めとるようにして話しかけてくる。嫌らしい、本当に嫌らしい舌なめずりのような話し方。私は、先ほどとは違った、胸のイラつきを覚える。
「どういうことですか?」
「事件は、知的欲求を満たす、だけども、知的欲求を満たして、その後はどうなるんだろう。……答えは簡単、君の求めた正論のままに、事件は収束されていくのさ。ただ、君の前に事件は現れていないけどね。」
「だからなんだっていうんですか?」
 すこし、顔にもその兆候がでる。イライラする。だからなんだってんだ、私はそこまで頭のいい人間じゃないんだよ。
「本当に、君の中学時代に、そういった事件は起こらなかったのかな?」
「え?」
「君の中学時代、本当に、ただ、静かで憂鬱な、だけどもクラスメイトとは楽しい青春を送るだけの、そんな生活だったのか、って聞いてるんだ。そして、それを君は証明することが出来るのかい。」
「何を言ってるんです。あたりまえじゃないですか、だって、学校で騒ぎになるような事件なんて、ひとつもおきてないですよ。ましてや噂になったことだってない。ただ、単に先輩が知らないだけなんじゃないですか?」
「いや、知らないにしても、それでも僕は言い切ることが出来るよ。君の学校で、何かは起きて、誰かが収束させた。君の知らないところでね。」
 そんなの、なんで言い切ることが出来るのだ。私の学校生活は潤沢なものだった。それは、ただ流れる毎日だったのは確かだ、つまらないと思った事だってある。だけども、何かは起こっていたと、私の中学時代を知らない人間が勝手に決め付けるのは聊か無神経ではないだろうか。
 私は、コーヒーをとって、そのまま口に運ぶ。今、自分が思っていることをのど元から、丹田に下すためだ。落ち着け、なんで、私がこんな始めてあった先輩なんかに、揺さぶられているのだ。
 じゃあ、なぜ、私はここに居る?
 また、頭の片隅で何かがひっかかる音がする。私は望んでいるのか? 事件があればいいと、学校で何かが起こってしまえばいいと。
「なぜ、言い切ることが出来るんです。」
「だって…。」
 そういって、ゆったりとした動作で、先輩は自分の胸ポケットから、ある一枚の四角い紙を取り出す。四角い紙は、私の頭の中で、写真、という記号を残した。色とりどりの一枚絵、写真。
 そして、その中心に目を向けた。
「――!!!」
「事件は、僕たちの前には現れたんだから。」
 美術の時間を思い出す、ベクシンスキーの絵を見たことを思い出す。
 死の芸術と歌われたベクシンスキー、なぜ、人は死に美しさを求めるのだろう、なんて、そんなのはただ日本人が感じているだけなのかもしれない。外国では、日本人の自殺による美徳は異常だと思われているみたいだし。もちろん、普通の日本人なら自殺なんて美徳の欠片も感じられないだろう。だけど、どこか、のうのうと生きるよりも、華々しく死んだほうがいいという感性は捨て切れていない。
 だけど、ベクシンスキーの絵は、誰が見ても怖く、そして美しい。
 死は美しいものである必要があるのか、目の前の写真では感じることが出来ない。どくんどくんと、自分の体が段々脈打つ感じが分かる。
 猫の死骸だった。
 それも酷く、凄惨な猫の死骸、トラックに引かれてもこんな死体になりはしない。トラックにひかれたら、どこか体の一部がはみ出している、だけども、この死体はそうではない。体は綺麗だ、だが、凄惨。なぜ凄惨なのか、わからない、なんでなんでなんでなんでなんで!? 

 ああ、そうか。これは……人が、意図して殺したから………なんだ。

 猫の死体は喉が引き裂かれていた、そして、どこかの部室の机に、仰向けに寝かされていて、ちょうど、頭の部分だけが机の上をはみ出している。だから、喉の引き裂かれている部分がぱっくりと、押し広げられていて……。
「……うっ!!」
 吐き気がする、血の匂いがこちらに伝わってくるようだ。血の匂いなんて嗅いだ事はないけれども、獣の、原始の匂いが、私の記憶に、イメージに、ふつふつと沸きあがってくるのが分かる。
「あらら、こういった写真は駄目な性質かな。最近の子は、意外とこういうの大丈夫だと思ってたんだけど。」
 ひとつしか変わらないくせに、適当なことをいうな。なんて、そんなツッコミを入れられるくらいに、私の心の中は意外と落ち着いていた。だけど体は付いてこない。食道は痙攣を起こし、呼吸は必要以上に空気を取り込む。頭はどんどん冷静になっていき、最後にはどこまで行くのだろうと、氷点下に達しようとする思考でそんなことを思った。
「いきなり、こんな写真を見せてごめんね。まさかそこまで嫌がるとは思ってなかったんだ。」
 へらへらと、榊原先輩は私に謝る。だけれど、まだ写真は机の上に出しっぱなしのままだ。喫茶店の、テーブルの上に、コーヒー二つと猫の死骸をとった写真がひとつ。そして、周りにはさまざまな喫茶店の客が談笑している。後ろのカップルはいちゃついている、前の男子高校生二人組はそのさらに前に座っている、女子高生二人組の顔の選別をしている。そんな中にひとつ、猫の死骸に吐き気を催している私。
 私は、榊原先輩を睨み付ける。
「だから……事件は起こるんですか。」
「そう。ちなみに、僕たちがやったわけではない。それだけは信じて欲しい。」
「さっきの話からだと、先輩方がやった、というほうが納得できるんですけど。」
「そう思われるのは心外だよ、なにせ僕たちは被害者なんだから。この死体がおいてあった部室ってのが、何を隠そう我がミステリー研究部。その部室なんだからね。」
 ミステリー研究部の部室に、猫の死骸?
「話を戻そう。君の中学時代に事件はあったのかなかったのかの続きだ。もし仮に、その中学校に事件がなかったとしよう。君が、何をしようが、しまいが、事件はなかった。そして君は、そのまま卒業を迎えた。……そこで質問だ。事件とは、誰が作るんだい。」
 私は、吐き気をこらえながら、その質問に答える。
「……当事者ですよ。」
「僕は違うと思うね、事件とは目撃者が作るものだ。」
 段々と、冷めた頭の中が、熱を帯びて暖かくなっていく、そして、その暖かさとは違うところに、私は榊原先輩から言われた言葉を追いやって行った。どんどん、どんどん、それがまた温かみを帯びていって、最後に私は、推測を漏らす。
「……つまり、私の中学時代は、私が観測しなかったから、事件が起こらなかった。と、私が判断しているということですか。」
「おお、すごいね。よく分かった。そのとおりだよ。でも、あと、もう一つだな。」
 考える、こういった遊びは好きではないはずだ。でも、考えることは、嫌いじゃないのかもしれない。私も、ミステリーに頭を溶かされたのかもしれない
「だれかが、情報を、独占していたから……、それは学校の教師陣、または事件の当事者、または観測者が事件を外に漏らさないために独占していたから、事件が起こっても私は観測することが出来なかった……?」
「そうだ、その通り。最高だよ、君頭良いね。」
 褒められたって嬉しくはない。このくらい、頭のいい内に入ってたまるもんか。本当に頭のいい人間はこんなところで、こんな人の与太話に付き合っていたりはしないはずだ。
「まあ、本当に事件が起こっていない場合もあるとは思うけど、大抵は学校側にもみ消される。特に私立なんかはそうさ、学校のイメージを下げたくはないからね。ニュース見ていればよくそういう話を耳にするだろう。」
 確かにその通りだ。しかし。
「今までの話と、この写真の事件は何か関係があるですか?」
「関係はあるよ。だって、君はこの事件、知らなかったんだから。」
 ああ、そういうことか、実際に私はこの事件を知らなかったのだから、この事件は、学校側にもみ消されようとしているということなのか。でも、今ひとつ腑に落ちない。
「でも、それは学校に揉み消された事件を私には教えるからミステリー研究部に入れって事ですか?」
「そうとってくれても、かまわない。けど、僕の本心は君にこのことを教えたのは単なる好奇心ってやつからだよ。お近づきになりたかったといってもいい。本当のことをいうとね、君のことがずっと気になっていたんだよ。入学当初から目をつけていた。」
 なんだなんだ、いきなり、こんな写真の目の前で告白か? 頼むから止めてほしい。すごくドキドキしているのは本当だけども。
「な、なんですか。いきなり。」
「照れちゃって可愛いなあ。まあ、その話はまた後で。……それにね、これが、君にこのミステリー研究部に入ったら良いかもしれないと言っている理由なんだけども。君、意外と考えること好きだよね。知的好奇心を満たしたいよね。」
「………。」
 先輩は、先ほどからずっと、私から目を逸らさず会話をしている。そのことが、いままでの話がどれだけ真剣に話をしていたのかを考えてしまう。本当に、この人は、私をこの事件に誘っているんだ。その動機は……考えないことにしても、ここまで真剣に誘ってくれているなら、私も私の考えで、真剣にこの好奇心に向き合わないと駄目だろう。
 好奇心はどうやって消費されるんだろうか。
 私のこの胸の高鳴り、死体を見て、…といっても猫の死骸だが。この学校に、もしかしたら、自分の求める非日常があるのではないかと考えている。クリスマスのときに、必死におねだりしたプレゼントが、当日にベッドの横に置いてあったときのあの胸の高鳴りに似ている。もうそんなことはなくなった、いつだって求めているものは、自分の努力と、頭と、小賢しさでどうにかしてきた、しかし、手に入らないものもある。それがこの好奇心、他人の不幸によって埋められるミステリー的な、人の心の動きと行動。それをプライバシーの欠片もなく、紐解いていく探求役。
 私はそれになりたかったのか?
 殺された、猫のことをどこか、私は捨て置いて考えている。そんな猫の道徳を考えている暇はないのかもしれない。それが段々と人間にまで広がったとき。私は、どうなってしまっているのだろうか?
 ……細かいことを考えるのはやめよう。答えは、私の中で出ている。この会話についてきた時点で、私はこの好奇心というところから逃げはせることは出来なかったのだ。だから。
「……私、考えることは苦手なんですけどね。」
「そう、意外と好きだと思ったんだけど、違ったのかな。」
「私じゃないと駄目なんですか?」
「そんなことはないよ、実際、この問題はミステリー研究部が情報を持っている時点で僕たちが勝手に遊ぼうと思っていた案件だ。僕たちの頭のネジはどこか普通って言うのと違うらしい。いや、自分たちに正直なんだよ。自分の欲望に」
 だから、君も正直になってしまいなさいよ。
 そんな声が聞こえた気がした。
「話を……聞くくらいなら。」
「そうか、よかった。」
 先輩は、本当にいい笑顔を私に見せてくれた。
 そして、私の心の中に、不安にも似た、焦燥感が立ち上った。
「それで、話を聞いてくれるってことは、部活には入らないって事?」
「その代わり、先輩の言う、かわいい高校生と定期的にお茶を飲む権利を与えますってことですよ。私が話している相手はあくまでも先輩ですから。別に信用しているわけじゃないですけど。」
「そうか、僕と君の契約だね。いいねそういうの。」
 少し熱い頬を隠すように、私は目の前にある珈琲を手にとって恭しく飲み干す。関係ないけど、ここの珈琲は美味しいな。今度から通おうかしら。
「珈琲美味しい?」
「えっ、あああ、まあ。」
「ここね、割と頻繁に通ってるんだよ。」
 決定、通うのはやめておこう。この人に情報がない限りに、またばったりと出くわすのは余りよくない。
「そんなことはどうでもいいんですけど。他に学校側から漏れ出した情報とかはないんですか?」
「ああ、その話だけど。……誰にも言わないでね。」
 そういって、先輩は机に前かがみに乗り出す、乗り出した体のおかげで、机の上の写真は影に隠れる。血染めの肉塊になにか精神的トラウマを感じる必要なんてないはずだけど、ほっとする。
「実はこの事件、学校が情報を独占しているわけじゃないんだ。」
「え…? どういうことですか。」
「つまり、この事件、死体を学校が知らないって事だよ。」
「ミステリー研究部が、学校に対して、この事件を隠しているって事ですか?」

 そのとおり、と先輩はうなずいた。





     



 風呂に入り、色々時間を使って今はもう11時近くになっていた。
 自分の部屋に備え付けられた、父のお古のノートパソコンの打鍵をたたく。さまざまな、サイトを回り、自分の時間を消費する。そのサイトの内容に関しては秘密。酷く、偏った趣味だとは言っておこう。
 そろそろ、眠らなければいけない時間だ。明日は、色々と調べたいこともある。
 ……ふと、自分の回っていたサイトの履歴を調べる。その履歴にはズラリと歴代の怪奇事件を取り上げた、奇抜な題名が並んでいた。知らず、自分は探偵のような気分に浸っていたらしい。冷静になってみる。
 乾いた髪の毛のうなじ部分を掻き分ける。どうにも、無意識に髪の毛が肩に掛かるのを嫌がっているようにも思える。外から見れば、高飛車な女のイメージの付きまとう癖だ。なるべく、外ではこういった癖を出さないようにしている。
 それと同時に、ひとつため息をついてみた。
 何も、こみ上げてくるものなんてない。
 自分の空虚さ、高校生になっても、何も変わらない。だけども環境は変わっていっている。
 たとえば、怪奇事件とか。
 猫の惨殺死体が思い出される。駄目だ、今日は多分夢にみそうだ。
 榊原先輩の言葉を思い出す。
『そのとおり。ミステリー研究部はこの事件を部員のみで明かしたいと思っている』
 ミステリー研究部はその好奇心ゆえに、今回のこの事件(といっていいのか判らないが)を隠していた。
 多分、そのミステリー研究部には私よりも、何十倍も好奇心の強い人間がいて、日々、完全犯罪全集なんかを片手に、世界に起こる、日常から、狂気の非日常への境をガラスケースの外側から、考察しているのだろう。
 だから、多分こんなことを調べていたってしょうがない。
 だって、私が調べたところで、そんな日々の努力を続けている人間にかなうわけがないのだ。まあ、羨ましいとも思わないけども。彼らからしてみれば、この事件は思ってもいない、非日常への切符なのだ。先輩が言っていたように、学校や、世間はこういった事件をひたすらに隠していく、そして、メディアはその体制の穴をついて猟奇的事件の一つ一つを細かにし、部数を稼ぐ。
 合理的な世界に生まれた。
 世界の、ミクロン単位の芥子粒を、隅の隅まで知ることは非常に面白いことだと思う。
 空気中に舞っている、虫の死骸の生前の恋について考えてみる。それはそれは、多分、私が考えることの出来ないような、感動な出会いがあって、そして終結があったのだろう。時間は引き伸ばされていて、さらにすべてが満ち足りている世界。
 人間も元はそんな世界にいたのではないだろうか?
 死を怖がるだけの、生の課題をおろそかにしない世界。
 死ぬのは、だれだって嫌なのになあ。
「駄目だ……、変なことばっかり考えちゃう。」
 伏目に、出てくる言葉を反芻する。本当に、変な事ばかり考えている、やはり、昼間の猫の死体をみて、ショックが強かったのだろう。そして、その衝撃に対する、自分の好奇心の強さにも、辟易としているのだろう。
 ノートパソコンの電源を落とす、そろそろ眠ろう。と、机から立ち、脇にあるベッドに飛び乗ろうとするとガチャリと、しっかりとした私のドアの音が響き、開かれた。
「詩織、おきてんのか。」
 大学から今帰ってきたらしい姉が姿を現した。格好はきわめてラフ。ジーパンにパーカーという、なんとも女からしてみれば、目も当てられないような格好だ。そんな格好で大学に言って恥ずかしくはないのだろうかと思う。まあ、そんなことをいったこともあったかもしれない。確か答えは研究室いくのに派手な格好してもしょうがないだろう。とかだった。そんなことはないと思うのだけど。
「おきてるよ、何?」
「帰ってきた。」
 そういいつつ、ドカドカと、人の部屋に無作法に入ってくる姉。そして、そのまま私が飛び込もうとしたベッドを占拠する。私は何も言わない、もう、慣れたものなのだ。
「ん、お帰り。」
「タバコ買ってきて。」
「はあ? なんでよ、自分で行きなさいよ。私未成年。」
「しょっちゅういってんだから、関係ないだろ。お前が吸う物だと思ってるよ。小遣いやるからさ。」
 布団に包まった姉は、投げ捨てた自分の鞄を指差す。財布を取れということらしい。それにしても、私には拒否権というのはないのかな。 
 恭しく、私は姉の鞄から、財布を取り出す。そしてそのやたらぺったりとした財布から、千円札を一枚取り出す。
 財布もブランド品などではない。どこか、おばさんの使うような千円の財布だ。その前は家に送られてきた、怪しい幸運の財布というものを使っていた。まばゆいばかりの黄色の目立つ財布だった。
 こういって、身内自慢になるのは嫌なのだが、家の姉は美人だ。声を掛けられた事が半端ではなく多い。私だって、それなりに顔の造形は悪くないとは思っているのだが、姉の前ではすべてがかすむ。以前、私がモデルのスカウトを受けたのが高校で初めてだったのに対して、姉は中学のころからすでにモデルとしてのスカウトのは数多だったし、むしろしつこいスカウトなんかは、自宅を探り出して、訪問してきたりしたくらいだ。だが、勉学が好きだった姉はその誘いを悉く断った。戸惑い、半ば契約しかけていた母を叱り飛ばし、スカウトの人間をその容姿と辛らつな言葉で跳ね除け、日常生活を悠々とすごしている。
 そんな、まるで世間とは我冠せずの姉。おしゃれをすればいいのに。なんて、いまさら、何度も何度も思っていることを、考える。
「姉、おしゃれしないの?」
 そして、そんな言葉が口をついて出てきた。
 姉は、寝返りを打ってこちらを見つめている。毎回言わせるな、という、呆れの視線を感じる。
「しないよ、どうして。」
「だって、姉綺麗じゃん。」
「だったら、このままで十分だろ。」
 まあ、それはその通り。本当に美人だったら、化粧なんていうものは必要はないのかもしれない。
「でもさ、社会人になったりしたら、化粧しないと怒られるんじゃないの。」
「研究職だったら関係ないさ。」
「ふうん。まあ、別にいいけど。」
 なんで、こんな会話をしているのだろう。
 そんな、会話をするつもりなんてなかったのに。
 私は、部屋のクローゼットから、すこし厚めのコートを取り出して羽織る。五月といっても、まだ少し夜は肌寒いのだ。特に私みたいに、骨と皮しかないような人間は、この季節、油断していると本当になんでもないときに風を引くのだ。
「マルボロのアイスメンソールでいいんだよね。」
「ああ、二つ買ってきてくれ、後はお前の小遣いにしていい。なんならタバコデビューでもしてみるか?」
 姉は、先ほどの姿勢から体を少し起こして、意地の悪い笑顔を見せた。よくよく顔を眺めていると、すこし、赤みがかっているようにも見えた。どうやら、お酒を飲んでいるらしい。
「わたし、高校生だって言ってるでしょ。それに不良じゃないもん。」
「生徒会長でもタバコは吸えるんだぞ。」
「私は、タバコになんの依存もないの。」
「でも、多分詩織はタバコを吸うと思うけどなあ。そのうち。」
「適当に言わないでよ、……じゃあ、行って来るね。」
 部屋のドアを開けて、そのまま、玄関の扉に歩いている途中に、ふと、思う。
 400円でお使い行くのって、なんか小学生の気分だな。なんて。




 コンビニの店員の勤務態度はそこまでいいものではなかった。暇な時間を悠々と過ごしたかったと言う顔をしていた。だから、年齢確認なんて二の次になっていたのだろう。私でもやはりすんなりとタバコを買うことが出来た。
 あまりの400円は、そのまま残しておいた。明日、榊原先輩に喫茶店に誘われたときに、今度は自分で払うと勝手に決めたからだ。最初は、こんな男の人と付き合ってみたいなんて思っていたのに、どういった心境の変化なのか、今ではそんなことは思わなくなっていた。もしかすると、声を掛けられて、ナンパなことを言われるのが私自身そこまで得意ではないのかもしれない。まあ、普通でも嫌だとは思うけども。
 コンビニをでて、閑静な住宅街を歩く、情けのない感じに立っている電柱は、その先の星空をただの黒の壁にしてしまう。五月の空に輝いている星は、どんな星だったっけと、小学校から中学校に掛けての知識を引っ張り出そうとするが、理科の授業がそこまで得意ではなかった私には、五月の夜空の風景を思い出すことは出来なかった。
 帰り道を歩いていると、まだこのくらいの時間は終電で帰っている人が多いことに気がつく。
 坂の上にあるコンビニは意外と人は多くなかったのだが。なんでだろう、という疑問と同時に、こんな時間に公園に人なんているのだろうか、というくだらない考えが浮かぶ。いたとしても、試合に負けたサッカー少年ぐらいなのではないだろうか。生憎今日は水曜日なので、次の日が休みってな感じにテンションの上がった高校生が公園でたむろしてもいないだろう。
 ちょうど、公園に差し掛かる。
 その公園は、閑静な住宅街の間に、ひっそりとあった。周りを低い石畳と、その先の芝生を挟み、さらに一メートルと少しくらいの鉄格子に囲まれた公園。
 景色は、やはり暗い。しかし、幼いころに遊んでいた記憶は、奥に有る錆ばかりのブランコから、砂場に石で出来た象の滑り台、同じく砂場に有る石で出来たアスレチック、砂場を真ん中から斜めに切り込むように出来た石畳の道路、果てはキノコの形をした椅子までその景色を私の頭に認識させた。
 懐かしい気持ちになる。そして、なぜか、猫の死体のことを思い出した。
 猫も、この公園で、遊んでいたりしたのだろうか?
 色々な人々に、餌をもらいながら、または漁りながら。懸命に生きていたのだろうと思う。そんな、落ち込んだ気持ちを和ますために、だろうか。私は自然と楽しかった子供のころの記憶を思い出させるように、公園の入り口に入っていった。
 かさりかさりと、乾いたビニール袋の音が低い石垣に覆われた公園に響く、石畳の公園の床は砂利も上に乗せていて、私が歩くたびに、じゃりじゃりと音を立てる。日付を跨ぐ時間に、騒いでいる人間も、都合のいいことに車さえも周りを通ってはいなかったので、その場所は本当にすべての人間の意志とは遠ざけられていた。
「懐かしいなあ。……誰もいないのかな。」
 当たり前だ、誰もいるはずがない。でも、そのだれかれからも隔離された空間はあまりにも寂しすぎた。私の心は、懐かしさを通り過ぎて、段々と恐怖に満ちていく。
 薄暗い、公園の輪郭を思い出すことは出来たが、実際には、電灯も、ついていない公園だったため、まったく周囲を確認することは出来なかった。

 だから、後ろで、ギィという高い鉄錆の音を聞いたときに私は思わず体を飛び跳ねさせた。

「だれかいるのっ!?」
 声を出す、だが、その声に応えるものはない。でも、確かに人の気配はする。この鉄錆の音は多分ブランコだ、誰かがブランコに乗っている。
 私は、好奇心を抑えることが出来ず、怖いのに、恐怖を感じているのに、足はどんどんと鉄錆の音の方に近づいていく。
 先ほどの軽快な公園の砂利の音は打って変わって慎重さを佇ませていた。足が重い。つま先に地面の形を伝えていくようだ。
 近づいていくたびに、月明かりが、明瞭にブランコのぼんやりとした形とした影に変えていく、ブランコの上に、なにか闇の濃いものが置かれている。
 人影だ。
 やはり、この公園は私一人だけではなかった。影の大きさ、伝わってくる逞しさみたいなイメージ。影は多分男だろう。多分、若い。浮浪者ではなさそうだ。
「あなた、……ここで何してるの」
 近づきながら、そんな言葉をだす。人影は応えない、だが、その姿はどんどんと形を現していく。
「何か、答えてよ。」
 影は答えない、そして、影はついに目でしっかりと見えるほどに姿かたちを現した。
 顔もわかる、綺麗な形をしている。長い睫が月明かりに影を作り、明暗分かれたその切っ先がキラキラ光を出していた。伏目がちにどこか、地面を見ているようだ。格好は、学生服。よくよく見てみると、私と同じ学校の制服だった。
「あなた、高校生?」
「………。」
 やはり、目の前の男の子は一切私の問いに答えるつもりはないらしい。
 あまりにもリアクションがないためか、私は先ほどまで感じていた恐怖とは違い、苛立ちを見せていた。
 なんだこの人、こんな時間にここにいて、誰かに振られたのかしら。なんて。
「なにかあったの?」
「別に……。」
 初めての会話。
 答えてもらったことにすこし、興奮する。私はもうひとつのブランコの椅子に座る。
「じゃあ、なんでここにいるの。もう12時に近いよ。家に帰ったほうがいいんじゃない?」
「……ああ。」
 お、ちょっとずつ答えてきてるじゃない。でも、家に帰りたくないってことは本当に振られたりとか家族と喧嘩したりしたのだろうか。
「振られたりしたの? それとも家族と喧嘩したりした?」
「………いだな。」
「え?」
 ボソボソと喋るので、あまり最初のほうが聞こえなかった。今なんていった?
「今なんて、」
「お節介なやつだな、お前。」
 ビキッと音を立てて私の頭の血液が固まる。
「な、な、」
「お前こそこんな時間にそんな格好でうろついて。露出狂か何かか。」
「ろ、ろしゅろしゅ?」
 私が、ろしゅつきょう? 何を言ってるんだこの男は、馬鹿なんじゃないか、いや馬鹿だ。私が見ず知らずの高校生に心配をして、それは普通に別にそれはそれで、同じ学校だからこれから仲良くしていってとかそんなこと考えてはいないけど、だけど好って言うものもあるじゃないか。だったら好意的に受け取ってくれてもいいだろうにこの男はこの男は!!!
「まあ、脱ぐんなら勝手にやってくれ。俺は言われたとおり帰るよ。」
 そういって目の前の男は、気だるそうにブランコから立ち上がった。私はその光景を湧き上がりすぎて声の出ない頭で見つめる。口から罵倒の言葉の数々が空気を得ず、音の波に出すことが出来ない。そして、やっと、声が出るようになったのは、男がブランコから離れて五メートルくらいに達したときだった。
「名を名乗れ!!!」
 馬鹿でかい大声が、住宅街の壁に反射する。
 目の前の男は、立ち止まり、すこし驚いているような顔でこちらを見つめた。
「は?」
「だから、名を名乗れっていってるの! 人が心配してるのに、人をろ、ろしゅつ、ろしゅつきょうなんて!! 許せない。名を名乗れ! お前を敵と判断してやる!」
 うるさい女だな、と悪態づく目の前の男。さらに腹が煮え繰り返る。アンタだってただの卑屈なガキじゃない! いまさら小学生みたいな悪態付きやがって、精神年齢の低さと育ちが見て取れるわ! この痴れ物め!
「いいから名乗りなさい! アンタの名前は何なのよ、どこの学校の、どの中学のどの高校よ!」
「お前こそなんて名前だよ。」
「私は明智詩織よ! 詩織って呼ぶな!」
「呼んでねえよ。」
 そういって、振り返り、家路に着こうとする陰鬱なアンチキショウ。このやろう、逃がすか!
 石畳の地面を走り、煙草の入ったビニール袋を投げつける。軽い煙草の入ったビニール袋は、空気抵抗で緩慢に宙を舞い、そしてアンチキショウの肩にぶつかった。
 ゆるゆると、緩慢な動作でビニール袋を拾う馬鹿野郎。占めた!
 私は助走をつけて、地面を蹴る。体が宙を舞う。すべてがスローモーションになって時間が緩やかに進む。私の集中力は怒りを経て最大にまで高まった! 今ならいける。私ならやれる!
 私は自分の足を折り曲げ、両手をガードポジションに上げ、重心を少し前に移動させる。見ていてください、心の師匠。念じるように、足を垂直に上げる。大丈夫、目の前の馬鹿野郎は驚いたように固まっている。待っていろ、後0.5秒の間。次の瞬間にはその脳天にこの蹴りを、今は亡きアンディフグ師匠の上段かかと落としをこの男に……!
 私の体は慣性の法則にしたがって、放物線を描き、そして重力と体重を掛けるように男の折曲がった背中にかかとを振り落とす。

「名を名乗れってんだ馬鹿野郎ーーーーー!!!」

 私の足はやつの細い体に激しく突き刺さる。少し嫌な音を立てながら、奴は地面に倒れ私もそのまま、奴の上に着地する。といっても、着地とは名ばかりで、私もバランスを崩して地面に倒れこんだのだけど。いてて。
「…な、……なにをするんだよ!」
「上段かかと落とし。私格闘技は好きじゃないんだけど、アンディフグのかかと落としだけは大好きなのよ。」
「知るか。いてて……すげえ痛い。」
「素直にならないのが悪いのよ。」
 私は彼の上に乗っかっていた。今彼に逃げられると困るのだ。なぜ、名前を聞くのかは私も正直よくわかっていないのだけど。
 彼はやはり緩慢な動作で、しばらく体の痛みから目をつぶっていた、私の体と乗っかっている体もよくよく気が付いていなかったらしい。
 そして、そのことを認識したとき。彼は体を痙攣させ、突如。
「きゃっ!」
 私をものすごい力で突き飛ばした。
「う、うううう、おぇえええええ!」
 走っていく制服姿の人間に、私は体を突き飛ばされた鈍痛を感じながら体を起こし眺めていた。彼は石垣の前に居て、そのまま粘っこいものを口から吐き出している。びちゃびちゃ音が鳴る。さきほどまで高ぶっていた感情もどこかに飛んでいってしまう。まさか、いいところに蹴りが入っちゃった?
「え? ねえ、大丈夫なの? ねえ、……ねえ!」
 喋りながら近づく。背中を摩ろうとする。
「――やめろ!!」
 差し出した手を、振り払われる。じんとした痛みが手に広がった。
 吐瀉物のにおいが、つんと鼻腔をくすぐった。思わず私ももらいゲロしてしまいそうになる。でも、我慢をする。ここではくわけにはいかないのだ。だって女の子だし、プライドだってあるのだ。
 だから、謝らず、ただ、心配の念を、たまたまポケットに入っていたハンカチで補うことにする。
「これ。使いなさいよ。そのままじゃ家に帰れないでしょう」
「………。」
「謝らないからね、ひ、人を露出狂扱いしたのが悪いんだからね。」
「………。」
「病院に行く様なら、私に連絡しなさい、明智詩織、同じ学校の1-Aだから。」
「………。」
「何にも言わないのね。名乗らないし。」
 まあ、いまさら名乗ってもらっても困るのだけど。
「……水澄景夜。」
「え? ああん?」
「もう、帰れ。」
 そういって、目の前の男は、私の渡したハンカチを手にとって、口をぬぐいそしてよろめきながら公園を出て行った。
 私は情けもなくただ、眺めていた。なんか、本当に悪いことしたのかも。
 地面に落ちていたビニール袋を拾うと、二箱あった煙草の一つはぐちゃぐちゃになってしまっていた。
 この深夜の出会いは、私にとって、とっておいた400円の使い道を決める出会いだったのかもしれない。
 胸にたまったやるせなさを、そのままため息に吐き出す事は出来なかった。

       

表紙

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