俺の目の前、ずっと高いところを、青く透き通った飛竜が舞っている。
飛竜は両の翼を優雅にはばたかせ、音のない叫びをあげて、透明な炎を吐く。
それは実体のない、しかし確かに見える姿だ。
「あれは高すぎて届かない」
独り言を呟いて、上半身を起こした。
常春(とこはる)のほのかな湿気と、大地を包み込むような温度が一帯に広がっている。
辺りには鮮やかな草花が生え、そこかしこに立派な樹木がある。ところどころに朽ちた瓦礫の跡。
庭の国。
それがこの場所につけられた名前だった。
国土がどれだけあるのか、詳しくは知らない。
国境がどこにあるのか、この国の小さな政府機関ですら正確には掌握していないと思う。
国と言いつつ、中核部分以外に文化を感じさせる建造物はほとんどない。民家のほとんどは古木や遺跡を利用して作られている。
すぐ横を陣風がかすめた。
目をすがめた俺は、それが風ではなく、実体のない生物の姿であることに気づく。色は水色。形は……麒麟のように見える。
『観念生物』というのが、単色に透き通る飛竜や麒麟をくくる呼び名だ。
それらは空想や伝記、あるいはかつて実際に存在していた生物の姿をとっている。
目の前の水色の麒麟は、伝説上の動物と同じ姿をしていた。首の長いほうじゃない。
四肢をつっぱり、頭頂部を下げて、いななく。
片足で土を蹴って、今、こちらへ向かってくる。
俺は「命の剣」を構え、刀身に神経を集中する。
念動波が光子を集め、密度が高まり、フォトンソードへ姿を変える。ねじ曲がった紫色の光がぐにゃぐにゃと伸びる。
「はぁあっ!」
大きく上段に構え、一閃で観念生物の胴体をとらえ――
られなかった。
《観念生物》は大きく跳躍して俺を飛び越えると、そのまま疾駆して去ってしまった。後にはそよ風が吹くのみ。
「またか。くそ」
俺は舌打ちして、刃の消えた剣の柄を放った。
「ああ、もう」
頭をかきむしった俺は、芳醇な香りの漂う草原に身を投げ出した。
俺がどれだけ苛々していようと、この国はただひたすらに牧歌的であった。今や風のそよぐ音しか聞こえない。
相変わらずだ。何もかも。
夕方、俺はまる三十分歩いて家へ帰った。
森林地帯のへり、石造りの壁をベースにしたボロ小屋がある。わが家だ。
(おかえり!)
立て付けの悪いドアを開けると、妹のナズナがひょっこり顔を覗かせた。一輪の花みたいな明るい笑みを浮かべて。
(ねえ、見て見て)
ナズナはとげとげした赤褐色の物体を俺に差し出した。
「ん。また作ったのか?」
俺の問いにナズナはこくこくと頷いた。変てこな物体の正体は「命の剣」の柄だ。
(今度のはきっといい出来栄えだよ)
ナズナは手話でそう言った。もうずいぶん前から、妹は声を出して話すことができない。
「そりゃあけっこう」
俺はそう言うと、新作の剣を受け取り、ほとんど何も入っていない荷物袋を壁にかけ、殺風景なリビングに入った。
俺とナズナはこの家で二人で暮らしている。
俺は「剣師」で、ナズナは「鍛冶」だ。この国では男が剣師に、女が鍛冶になる。
剣師が扱う命の剣を作るのが鍛冶の役目。同じ家族内の鍛冶が剣師の剣を作る。たとえば姉が弟の、娘が父親の剣を作るという具合。
この「庭の国」には、命の樹という樹齢八千年の大樹がある。
命の樹は星系遺産に指定されている。俺たち剣師は命の樹の保護をするのが唯一の責務だ。「庭の国」は命の樹を守るためだけにあるといっても過言ではない。
命の樹はたいへんな長寿だが、高齢ゆえ、放っておくとその生命力が大気中に流出してしまう。
流れ出た生命力は観念生物として具現化する。見た目はさっきのように、麒麟だったりエゾジカだったり大鷲だったり。
奔放に飛び回る観念生物に実害はない。暴れまわったところで、実体を持たないから何も傷つかない。
しかし、放っておくと命の樹の生命力がどんどんなくなって、しまいには枯れてしまう。
枯死を阻止するためには、命の剣を使って観念生物を消滅させ、生命力を樹に還元する必要がある。
それが俺たち剣師の仕事だ。庭にはびこる害虫を駆逐するように、ひたっすら観念生物を退治する。
くだらない仕事に見えるかもしれないが、本当にそれで報酬が出て、ほとんどそれだけで生活費を賄わねばならないから死活問題だ。
鍛冶の作る剣は、血縁関係にある剣師が扱わないと機能しないらしい。
俺の家族は妹のナズナただ一人だ。つまり、俺は彼女の作る剣以外扱えない。
観念生物を手際よく退治するには、洗練された鍛冶の剣と、鍛錬された剣師の技が肝要だ。どちらが欠けても、観念生物に一撃を加えることはできない。
そして、俺とナズナは見事に両方ともが欠けていた。
俺は今まで一体も観念生物を退治したことがない。生まれてこのかた一度もだ。ゆえに国から最低限支給される賃金しかもらえない。
認めたくないが、俺は自分でも信じられないほどに剣術がヘタだった。生まれたての赤子のほうがまだしも上手に剣を扱えるかもしれない。
さらに、ナズナもまた破滅的なほどに剣を作るセンスがなかった。まともな形をした命の剣をナズナが作れたことは今までに一度もない。
おまけにナズナはちょっとありえないほどに手先が不器用で、生活に関するあらゆる些事もこなすのが危ういほどだった。
例えば炊事、洗濯、掃除といった家事全般はあまねく俺の専門領域だ。ナズナは読み書きですらまともにできない。
鍛冶や剣師になるまでの数年、誰もが国に唯一ある学校で最低限の教育を受けるが、ナズナは手話以外何一つものにすることがないまま義務教育期間を終えてしまった。そして家に帰ってきた。
(何とかなるよ)
本人は楽観的にそう言っている。そして実際、暮らしぶりが質素なこと以外は何とかなってしまっている。
この国は大樹の保護がほとんどすべての存在意義なので、それさえ果たせていれば国がなくなることはない。
遥か遠くの、高度に文明の発達した国と盟約を結び、財政の一切を保護されているからだ。
鍛冶や剣師についても、ここまで無力なのは俺のところくらいで、他の家庭は必要十分な観念生物退治を達成できているようだ。
だから今のところ、八千歳の命の樹は健在だし、当分はこのまま平気そうでもある。
そうして、俺とナズナはかれこれ四年、二人で暮らしてきた。
「ほら、恒例の七草粥だ」
ほとんど米しか買えないので、必然的にこのようなメニューにしかならない。
七草といえど、実際は十五だったり三だったり、使っている草花も適当だ。何せこの国には植物が無限にあるのだ。
セリ、ガーベラ、ラムズイヤー、ヤグルマギク、オレガノ、チコリ…………。
ナズナは屈託ない笑みを浮かべて手を合わせる
(いただきます)
「はい、いただきます」
一品料理はサトイモの煮付け。これだってまだましなほうだ。
本当なら誰か知り合いから食料を横流ししてもらうとかすべきなのかもしれない。が、俺はそういった社交的な世渡りが不得手だ。
(ねえ、今度のは本当に自信作だから)
箸を握ったままのナズナが手話で言った。
「そうかい」
ナズナは頷いて、
(きっと観念生物を退治できるよ。うん)
これまでいくつの剣を使ってきただろうと俺は考えた。ナズナの剣は見た目だけなら芸術品と呼べないこともない。先鋭的というか、とにかく独特なのだ。
柄が完全な球形だったり(持つところがない)、棘だらけだったり(持つところがない)、柄だらけだったり(持つところしかない)。
今宵の夕食が終わった。
「ごちそうさま」
(ごちそうさま。おいしかったよ)
「お粗末様でした」
正直なところだ。こんな暮らしぶりにしかならないのは、俺が不甲斐ないせいか、ナズナのセンスが明後日の方を向いているからか。
食事を終え、ひとしきりの片付けをした俺は、ボロのマントを羽織って出かける準備をした。
(どこ行くの?)
「詰所(ギルド)だ。すっからかんの生活費を貰ってこなきゃいけない」
(頑張ってね)
俺は溜息をひとつついて、背中越しにナズナに手を振った。ただの金銭引き落としに頑張るも何もない。
「さてと」
柔らかな夜だった。発光性のホタルリンドウがあちこちで幻想的な青い光を放っている。おかげでこの国には常夜灯がない。
俺はマントを身体にぴたりと寄せて、道なき道を歩き出した。
この国に自慢できることがあるとすれば、植物の多彩さの他に、犯罪発生率の低さが挙げられる。ほとんどゼロだ。する意味がない、というよりそんな気にならない。
草花に囲まれた丘陵の風景は本当に素晴らしい。色とりどりの花に悪いような気がして、悪事に手を染める気にはならないのだ。のんびりした国民性もあるかもしれない。
俺は遠くの夜空に目を凝らした。燦然ときらめく無数の星の中に、超小型航空機(マイクロフライア)が飛んでいるのが見える。丘港(ターミナル)に向かっているのだろう。
この国では中枢部にしか着陸許可が下りない。詰所やら商店やら、あらゆるものが中枢機関に隣接している。
航空機を見るたび、外の国々について俺は思いを巡らせる。
そう、俺に目標があるとすれば、ナズナを連れて広い世界を周ることくらいだ。俺もあいつも、この国の外に出たことがないのだから。
「ようこそ詰所へ――」
立体映像による受付嬢が平板な口調でお辞儀した。俺はだいたい三日に一度ここにきて、自転車操業状態の家計にわずかな潤いをもたらすべく、国の最低保障金を受け取る。
心もとない額面に溜息を漏らしながら、俺は広々とした詰所の硬質なホールを引き返す。
「久しぶりだな」
「ん」
目の前に好青年が立っていた。首の周りに透き通ったグリーンのスカーフをしている。
「タカヤか」
「偶然だ、ヒロミ。会ったのはどのくらいぶりだったか」
ヒロミというのは俺の名前である。三日に一回呼ばれるかどうかだ。
「ええと。ひと月かそこらじゃないか? 湖畔のあたりであんたが白鳥をしとめたのを見せてもらった覚えがある」
「ふむ。そうだったな。その後どうだ? 調子のほうは」
俺は自分の眉が反射的に動くのを感じた。
「ケンカ売ってんのか」
タカヤは悪気の一切ない様子で、
「いや失礼。相変わらずか。ふむ。君と妹さんは私にとってなかなか興味深いペアだ。こう言っては失礼かもしれないが、普通、血縁であれば相応に剣師と鍛冶の関係が機能するはずだ。
ところが君のところはまったくと言っていいほど――」
「お兄ちゃん?」
タカヤの後ろから、ポニーテールの娘が顔を出した。タカヤの妹、ユーノだ。タカヤを見上げたユーノは、そのままこちらを向いて、
「げっ。ヘタレ剣師」
その言葉にかちんときた俺はすぐさま反応する。
「うるさい黙れ、凡庸鍛冶屋」
「凡庸? あなたより数倍マシなことやってる自負はあるんだけど」
ユーノは片目をつむって腕組みした。挑発合戦。
「俺はまだ鍛錬が足りないだけなんだ。時期が来れば爆発的才能が開花し、一気にこの国随一の剣師に」
「あのねヘタレさん。起きてる時に見る夢って二種類あるのよ。実現可能なものと、不可能なもの。あたしね、人には両方必要だと思うの。片方だけじゃ生きていかれないわ」
「むろん実現可能だとも。カミングスーン、乞うご期待だ」
俺の宣言を聞いたユーノは、何の演技でもなくごく普通に吹き出した。
「あはは、おっかし。あなた、それ他の人の前では死んでも言わないほうがいいわよ。笑いを取りたいんなら別だけど」
俺はこれ以上のやり取りに意義を見出せず、沈黙して仲裁を待った。
「ユーノ、人の矜持に傷をつけるような発言は慎みなさい。日頃言っていることだろう」
「あ、はいお兄ちゃん。ちょっとこの阿呆がね、色々とわきまえてなかったから」
兄妹揃って十分すぎるほど俺の誇りをボロボロにしてくれた。どっちもある種天然なので殺傷力が高い。
タカヤはユーノに、
「君は先に帰っていなさい。私は彼ともう少し話したい」
「はーい。それじゃね、夢見がちな剣師さん。ふふ」
皮肉めいた微笑でユーノは帰っていった。ひさびさに会ったと思ったらこれだ。いったい何なのだろう、あの女は。
ユーノの背中を朗らかに見送りながらタカヤは、
「すまない。妹は君と会うと妙に威勢がよくなる。いや、日頃からそうではあるものの、より活発になる。さて、何故だろう」
「知らん。で、用って何だ。早くしてくれ。気分的にさっさと帰りたい」
「私とパーティを組まないか?」
「は?」
咄嗟に言えたのはそれだけだった。パーティ。さて何を意味する言葉だったっけ。
「共に行動し、協力して観念生物をしとめよう」
タカヤは言った。パーティね。確か共に戦う仲間のことを指す言葉だ。ほとんど死語だと思ってたが。
「俺がいても足引っ張るだけだろう。呼ぶな」
「S級の観念生物を消滅させたものは未だにいない。知っているな?」
無視かい。
「どうだろう。ひとつ私に協力してみないか?」
タカヤは自信に満ちた笑みで言った。
S級。
観念生物は、内包するエネルギーの量によって姿が変わる。しとめるのが難しいものほどグレードが上がり、ランクはSからFまである。
階級が一段上がると途端に消滅させるのが困難になり、Sに至っては未だ誰もしとめたことがない。
昼間、上空を舞っていた飛竜などはSクラスだ。信じられないほど俊敏に動く上、炎は実際に草花を燃やしたという眉唾な噂まである。
「それこそ一人でやったらどうだ。俺の才能が皆無なことくらいお前だって知っているだろう」
「ふむ。だからこそ、他の者には持てぬ発想があると思ったのだ」
「詭弁だ」
「まあ一晩考えてみてくれ。承諾するならば、明日、午後三時にここへ来てくれ」
帰りの道すがら、まったくもって無為な提案だと俺は思っていた。
タカヤは国でも指折りの剣師である。認めたくないが、ユーノの鍛冶としての技量にも光るものがある。その相乗効果ゆえか、タカヤはある日A級の観念生物をしとめて名をあげた。
これは俺の考えだが、剣師も鍛冶も先天的な才能が大きくものを言う。
そう思うようになって久しいのは、俺とナズナが今までろくな成果を上げられなかったせいだ。
いや、別にナズナに責任を求める気はない。まったくない。
俺に適正がないのが悪いのだ。
仮に百点満点の剣があったとして、それを使う人間の力がゼロだったら、効果もゼロにしかならない。ゼロに何をかけたってゼロなんだから。
(おかえり。遅かったね?)
家に帰るとナズナはまだ起きていた。寝巻きに着替えている。
「ああ。ちょっと人に会ってな」
(ユーノちゃん?)
いい勘してる。というかそれくらいしか候補がないか。
「うん、そうだ。それと兄貴な」
(タカヤさんかあ。かっこいいよね、タカヤさん)
ナズナは夢見がちに宙を見上げた。俺は肩をすくめて、小さな買い物袋をテーブルに置き、椅子に身を沈めた。
「好きなのか? あいつのこと」
ぶしつけに問うと、ナズナは人差し指を顎に当てて、
(そういうのでもないけど。女の子はけっこう憧れてるみたいだよ)
A級剣師が一躍有名になることの端的な例だ。彼らにお熱の女子は多いらしい。
「あいつに誘われたんだよ。一緒にS級の生物退治に行かないかってな」
ナズナは驚いて、
(へえ! すごいね。でも何でお兄ちゃんが?)
「知らん。気まぐれだろ」
(ふうん。ねえ、もちろん行くんでしょ?)
「何でさ。俺が行く理由がどこにある。俺みたいなへっぽこと一緒に行動することであいつの技量がより輝いて見えるって、それくらいのもんだろ」
早口になったためか、ナズナは俺の唇を読むのに難儀していたが、
(大丈夫だよ。きっとお兄ちゃんならうまくやれるよ。あたしはそう信じてるもの)
信じているだけじゃ何も起こらない。
そう言いたかったがやめた。誰かに押しつけるような信念じゃない。
「風呂入る。お前も遅くならないうちに寝ろよ」
ナズナはこくこく頷いた。
次の日の朝。
俺は家からほど近い池のほとりで、ひとり双眸を閉じ、精神を集中させていた。
周囲にある林は閑寂としていてた。小鳥のさえずりが時折聞こえてくるくらいしか動物の気配がない。
しかし、実体を持たない〝あれ〟においては別である。
俺は一度両目を開けて、片手に握ったトゲトゲの物体へ意識を集中した。
音のない圧力が凝集して、光の刃が現れる。ひとつ、ふたつ。みっつよっついつつむっつななつ。
俺はたちまち絶句した。
「どうやって使うんだよ、これ」
武器と呼べるか怪しい名状しがたきオブジェクトを、とりあえず目の前に突きつけてみる。
黄緑色の光子が棘の先から四方八方に突き出し、さながらサボテンのような様相を呈している。
俺は水辺を眺めた。真っ青な光による、シルエットだけの魚がすいすい泳いでいる。
「とりゃ」
ばちゃばちゃと水辺に駆け出して、でたらめに命の剣を突き出した。
魚は同極の磁石よろしく、見事に俺の一撃を避けて遠くへ去っていく。
「おりゃ、こんの、てや、そらっ、とう、でやっ」
そのまま三十分ほど奮戦した。みるみる服が濡れていく。しかし、労力に反比例して成果はまったく上がらない。
「……いつものことだ」
さらに三十分後、俺は川原の茂みに仰向けになって、空を見上げていた。
平和であるものの、何の刺激もなく、進展もない。そんな日常をこうやって繰り返してきた。
ふと見ると、林の向こうで俺より若い剣師が、あっさりとウサギ型の観念生物を消滅させた。
天性、と俺は思った。
他の人にあるのではなく、俺にないのだ。
昼、家に戻ると、
(ねえ、どうだった? 新しい剣)
ナズナが俺の袖を引いて訊ねた。俺は渋々首を振った。
(そっか)
ナズナはつかの間うなだれて、またいつもの笑みを取り戻す。
(次はいいのができるように頑張るね)
やたら早口、ならぬ早指で意思伝達をした。
俺は「ああ」と生返事して、ヤカンを手に取った。
「水汲んでくる」
すぐ近くの小川まで歩いていって、俺は顔を洗った。そのまま頭ごと川に突っ込んだ。
生まれつき決まっている運命だ。ゼロに何をかけたってゼロだ。
だから努力したって意味がない。
「ごめんな。ナズナ」
呟きが漏れた。
やる気のない俺と対照的に、ナズナは毎日一生懸命に剣を作っている。
命の剣はその名の通り、鍛冶の生命力を剣の素たる結晶素材に吹き込んで、形ができあがる。
しかしやりすぎは禁物で、精錬しすぎると本人の身体に反動が来てしまう。だからナズナには週にひとつしか作らないように言ってある。
それだって多すぎるくらいだと俺は思っているが、毎日いくつも剣を作る者もいれば、年にひとつしか作らない者もいるという。世界は広い。
午後、俺は軒先で仰向けになって空を見ていた。思えばほとんどの時間を俺はこうして空虚に過ごしている。
今、国のあちこちで誰かが観念生物を退治していることだろう。
それは別に俺じゃなくともいいのだ。
そして国の外には、俺の想像もつかない広漠たる世界が広がっている。
俺はそこへ行くことはない。行けない。
とんとん。
額をつっつかれた。見上げると、ナズナがそこにいた。
(ねえ、次の剣作っちゃだめ?)
俺は半身を起こした。
「どうして」
(作りたいから)
それじゃ理由になってない。けどまあ、言いたいことは何となく解る。
「ダメだ。お前一回それで倒れたことあっただろ。兄として、お前をみすみす危険な目に遭わせるわけにはいかない」
ナズナは口を尖らせて不満そうな顔をしたが、
(わかった)
そう言うと林のほうへ散歩に出かけた。また草花を摘んでくるのだろう。ナズナの編んだ冠やら何やらで、わが家はちょっとした店のようになっている。
俺は再び寝転んだ。
いつもならこのまま眠るところだが、今日はどうしても落ち着かない。タカヤの提案が頭に残っている。
A級剣師と組めば、俺も何か得られるものがあるのではないか。そんな考えが頭の片隅にわだかまっている。
軒先の日時計が、約束の時間まであとわずかだと示していた。
「来てくれると思っていた」
閑散とした詰所にタカヤの声が響いた。俺は意味もなく床を見つめ、
「ただの気まぐれだ。退屈しのぎってやつだ、はは」
「それでは行くとしよう」
早速とばかりにタカヤは早足で出口へ向かう。
「おい、待てったら!」
駆け足で追いかけた。
詰所から出た俺たちは、タカヤ先導のもと南へ歩き出す。
「どこに行くんだ?」
俺の問いにタカヤは、
「滝の洞穴に向かう。B級、およびA級の生物が多く現れる場所だ」
「あのさ。正直一生かかっても俺には退治できないぞ、そんなの」
「かまわない」
言うなり、タカヤは早足で道を急ぐ。間もなく中継地点(ターミナル)に至り、そこから南十三エリアへ向かう。
ポートから降りて、草花の少ない道を歩きながら、なぜ来てしまったのだろうと俺は自問していた。
やがて道は岸壁にぶち当たる。岩肌にぽっかりとほの暗い穴が開いていた。
「やはり人が少ないな」
タカヤは周囲を見渡して言った。まばらな糸杉だけしか生えていない、殺風景な場所だった。
「こんな場所初めて来たぞ」
「先ほどのポートはB級以上のライセンスを持っていないと利用できないのだ。君は私とパーティを組んでいるからここに来られた」
俺は苦虫を噛んでいるような気分でタカヤを見ていた。
「つまり、剣のセンスがない奴はここに来るなってことか」
B級ライセンスを持っている剣師は五十人ほどしかいない。
タカヤは特に表情を変えることもなく、
「君がそう思うのならそうだろう。私はそうは思わない。剣術とは帰納と演繹による経験の産物だ。使うのは身体だけではない」
そう言うと、ベルトから柄の長い剣を取り出した。フォトンカラーは赤。
俺も溜息混じりに剣を構える。さっきのサボテンソードはあまりに形無しだったため、これまでにナズナが作った中で一番マシな形をしたものを持ってきた。
「何だそれは」
タカヤが平板な口調で言った。
「何って剣だよ。見りゃ解るだろ」
俺が手にしていたのは光の輪だった。
「喪失説話(ロストテイルズ)に登場する天使の輪みたいだな」
「俺もそう思う。けど何の関係もないぞ」
喪失説話とは、気の遠くなるような昔、この星にあった無数の物語や伝承、神話のうち、残ったものを記録している電子媒体のことだ。
今では中枢機関の一室で残り物のようなログが閲覧できるだけだ。俺は暇つぶしによく行くが、他に利用する人を見たことがない。
タカヤは近くに生えている糸杉を遠い目で見つめ、
「観念生物は、その多くが何らかの形で喪失説話にも登場している。国民の多くはそれを知らない」
「そうらしいな。廃れたおとぎ話ってとこだ」
「私はあれらの生物が、そうした失われし古典を憂い、嘆いているように見えることがある」
「だったら退治なんかせずに野放しにしてやったらどうだ」
「それとこれとは話が別だ。喪失説話はモチーフの残滓でしかないが、命の樹は今なお生きている」
「そうかい」
「ああ」と言ったタカヤは洞穴へ視線を転じ、
「長話は無用だ。向かうとしよう」
静かに歩き出した。俺は肩をすくめて後に続く。
洞窟の中は静謐に満たされていた。ところどころにヒカリゴケが生えていたものの、他に明かりといえば俺たち二人の剣以外にない。
途中、赤一色のコウモリの群れが、頭上すぐ近くを飛び去っていった。
「おりゃ」
俺はその一匹を何とかしとめられないものかと剣を振ってみたが、見事に避けられた。
「余計な真似をするな。奥にいるものに気づかれる」
「解ったよ」
洞窟は曲がりくねっていたもののほぼ一本道だった。
やがて途方もなく大きい、広間のような場所にたどり着いた。
「すごいな。こんなに広い場所があったのか」
「ここは己を研鑽するにはいい場所だ。私は三日に一度はここへ来ている。こっちだ」
タカヤは慣れた足取りで何もない暗闇へ向かって進んでいく。俺も慌てて後に続く。湿気を含んだ、生ぬるい空気が全身を覆う。
しばらく歩くとタカヤは無言で俺を制し、
「剣を納めるんだ」
小声でそう言った。タカヤはすでに刀身を消失させていた。
「ここでか?」
俺がこの輪っかを消したら、空間全体が頻闇となるだろう。それは生理的に拒否反応を起こす代物だ。
タカヤは無言で頷いた。俺は逡巡ののち、フォトンを消した。
まっくら闇。
盲目になるとはこういう状態を指すのか。そう思った。
それは根源的恐怖であるように思われた。視覚以外の五感がたちまち鋭敏になった。
むっとするようなコケの臭いだとか、湿った空気の感触だとか、微かな衣擦れの音だとか、苦いような口内の感じだとか。
静寂があった。宇宙空間に自分が存在していることを、不可思議な体感とともに悟った気がした。
瞬間、閃光のようなひらめきが目の前で弾けた。
比喩ではなく、実際に。
「何だ!?」
「一角獣だ。森からここに迷いこんだらしい」
タカヤが早口で言った。……観念生物。
「背中合わせになるのだ。刀身は衝突の瞬間以外消しておく。いいか」
俺は頷いて、タカヤと背中合わせに立った。相変わらず目の前には無限の闇があった。
「己の感覚に忠実であれ」
タカヤはそう言った。俺は首肯する代わりに、剣の柄をしっかりと握りしめた。
背中側でふたたび閃光があった。観念生物が、見たこともないような速度で去っていくのを目の端で捕らえた。
俺は生唾を飲んだ。日頃、こんな緊張感を持つことはない。そのせいか、手の平に汗がにじむ。
気配。
何かが向かってくる。
「うわっ!」
俺は思わずしゃがみこんでしまった。氷のような冷たさを持つ何かが頭上をかすめた。
「立ち向かえ。さもなくばやられる」
やられる?
「それはどういう意味だ?」
「一部の観念生物には、実際に物質へ干渉する力があるのだ。B級のごく一部、A級のおよそ半数、S級はおそらくすべてが」
よく解らない。心臓が変な具合に高鳴っている。頭が回らない。
また閃光がはじけた。あまりのまぶしさに目をすがめてしまうほど強烈な光だ。
「立て。万一やられてはかなわん」
俺は薄く目を開ける。ずっと遠くに青白い光の点が現れたと思いきや、見る見るそれは大きくなって、こっちに向かってくる――、
「うわっ!」
全身を冷凍されたような感触とともに、俺の意識は遠のいた。
目を開けると、金属質の天井が見えた。
室内には夕暮れの日が差し込んでいて、全体が朱色に光っていた。
「目が覚めたか」
タカヤの声がした。振り向こうと思ったが、うまく首がまわらない。
「一日安静にしている必要がある。直撃を受けたのだからな」
「ここはどこだ?」
思わず漏れた呟きにタカヤは、
「中枢の医療区だ。もしかしたら君は利用したことがないかもしれない」
「ああ、そうか」
確かに何年も来てなかったな。
全身が妙に冷たかった。熱を奪われたせいで思うように動けない。
「あれは本当に観念生物なのか?」
俺が言うと、
「そうだ。力を持った部類は、あのように実際的な攻撃をしてくる。知らなかったか」
「知らなかった」
「多くの者は知らない。B級の生物を退治した時に初めて告げられ、他言無用とされる事実だからな」
「俺に言っちまっていいのか、それ」
「パーティを組んだものには打ち明けて構わない。君も他の者に話してはいけない。さもなくば剣師の資格を剥奪される」
俺は失笑した。
「あってないようなもんだ、そんなの。見ただろ。俺はからっきしセンスがない」
タカヤは何も言わなかった。何か考えているようだった。
やがて、
「ふむ。私の考え違いだったのだろうか」
「何のことだよ」
しかしまたもタカヤは答えなかった。しばらくするとタカヤは立ち上がって、
「明日には家へ帰れるだろう。君の妹さんなら気にしなくていい、私の妹を向かわせたからな」
と、知りたくなかった事実を告げて去っていった。
翌日になると、体温と共に身体は元に戻っていた。
家に戻ると、ナズナが手を振って俺を出迎えた。
(おかえり)
「ただいま」
さんざんだった上に何の成果もなかった旅を苦々しく思いつつ、俺は椅子に座った。
(身体、大丈夫?)
ナズナが好奇心と心配が半々といった面持ちで訊ねた。俺は頷く。
(どうだった?)
「どうもなにも、見れば解るだろ。てんでダメさ。いつも通りだ」
俺は狭い室内を見渡して、
「あいつはもう帰ったのか」
(ユーノちゃんのこと? それなら)
「たっだいまー。ご馳走を作るべく材料買って来ましたよー」
ガタの来ている木製扉を威勢よく開けて、ユーノが入ってきた。
「何だよお前、まだいたのか」
「まだ? へえ。それが献身的なボランティアに言うお礼なわけ」
「昼食なら俺が作るからもういいぞ。食材はありがたく頂戴する」
「あんたね、そんなんだから進歩しないのよ。謙虚さが足りないわ」
「お前に言われたくない、つうか関係ないだろそれとこれとは」
(もう、二人ともダメだよケンカは)
ナズナが仲裁に入った。
結局、ナズナの説得により三人で仲良く(ナズナが言うところの)昼食を取ることになった。
俺が食材を切り、ユーノが調理した。ナズナも参加したそうにしていたが、確実に皿をひっくり返すので俺が全力で止めた。
庭で、遠くにある命の樹を眺めているナズナを横目に見つつ、ユーノが、
「あんた。この先ナズナちゃんと二人でずっと暮らしていくつもりなの?」
「急に何の話だよ。……まあ、そのつもりだ」
「でも、はっきり言ってあんた、剣師としての見込みがあまりにもないじゃない。このままじゃ何も変わらないわよ?」
俺は答えなかった。するとユーノは、
「たとえばだけど、航宙士のプログラムを今から受けるとか、観察系の資格を取るとか」
「大きなお世話だ。どれもする気はないね」
「あっそう。せっかく人が心配してあげてんのに。ふんっ」
ユーノはサラダを載せたボウルを持ってキッチンを出た。
とっさに否定してしまった自分に嫌気がさす。あいつの提案は至極まっとうだ。しかし俺はつい意固地になってしまう。
前にも一度「食材、よかったら分けてあげましょうか?」と言われて、断ってしまった。ナズナのためを思えば拒否する理由なんてないのに。
この国にいる以上、命の樹の保護が唯一の使命だ。それができる者ほど評価され、賃金をもらえる。
しかし俺はあらゆる意味で見込みがない。
それなら何か別の道を探せばいい、というのは妥当な提案だ。
解ってる、そんなことは。
「どうぞ召し上がれ」
調子よく言うユーノに、
(いただきます)
ナズナが両手を合わせた。
俺は憮然とするのをなんとか抑えて、
「よし、どれだけ不味いか知らないが食べてやるか」
「ほんとにいちいち毒を吐かないと気がすまないのねあんたは。あたしの味付けの秀逸さに瞠目するがいいわ」
(だからケンカはだめだよ二人とも)
無邪気に割って入るナズナを見ると、気が安らいだ。
味付けの秀逸さに瞠目してしまったのは不覚だった。
ユーノに負けたような気分になったのが顔に出たらしい。あいつは調子に乗り、ナズナまでがなぜか笑顔になった。
「もう一食分置いていくから、あとはあんたがやりなさい」
食後、帰り支度を整えたユーノが言った。
「はいはい解った解った」
適当に受け流していると、
「あ、それとあんたさ」
「何だ?」
「お兄ちゃんが『明日、同じ場所と同じ時間にもう一回来てくれ』だってさ」
「はあ? まだやるのか。俺みたいな腰抜けに何の価値があるってんだよ」
「そういう風に自分を卑下するのはよくないわ」
「それじゃお前が日頃俺に言ってる罵詈雑言はどうなる」
「何か言ったかしら。ちょっと聞こえなかったわ。ともかくそういうことだから」
ユーノはそう言うとナズナに笑顔で手を振り、帰っていった。
いつもより多い食器を洗っていると、ナズナが傍らに立っていることに気がついた。
「どした?」
(お兄ちゃん、元気ない?)
「そんなことはないぞ。まあユーノのバカにエネルギーを浪費させられたけどな」
ナズナは(そんな風に悪く言っちゃダメだよ)と言った後で、
(あのね、また剣を作ってみたの)
「おいおい。たくさん作っちゃダメだっていつも言ってるだろ」
するとナズナは首を振って、
(違うよ。ずっと前に作ったものなんだ。これ)
そう言って、何やら妙に渋い雰囲気の柄を差し出した。
俺は手を拭いてナズナから剣を受け取り、
「何だこりゃ。ずいぶん風変わりな感じだな」
(うん。よかったら使ってみて。失敗作かもしれないけど)
「解ったよ。ありがとう。本当に続けて作ったわけじゃないんだな?」
ナズナは深く頷いた。見たところいつも通り。貧血をおこしているわけでもなさそうだ。
俺は剣を道具袋にしまった。
その日は剣術については一切考えないことにして、近くを散歩したり、中枢で喪失説話を読んだりして過ごした。
ロビーの電子掲示板には、剣師の暫定級位が番付として羅列されていた。上位しか載っていないから、俺などは永遠にここに名を連ねることはない。
タカヤ・ナナセの名が上から八番目のところにあった。こんな上位にいるのに、俺に構う理由など微塵もないだろう。
それとも、俺のようなうだつの上がらない剣師に救いの手を差し伸べているとかそんなんだろうか? だったら、なおのこと無意味な行為だ。
「努力してもムダ。しなくてもムダ」
そう呟いていた。それは俺がこの数年間思い続けてきたことだ。
生まれつき、と俺は思う。
生まれつき、人にできることは決められているのだ。その範囲の中にしか自由はない。もしかしたら、その中にすら自由はない。
取捨選択できると思っているのは認識錯誤であって、本当は何もかも決定されているのかもしれない。喪失説話にあったラプラスの悪魔とかいうやつ。
だとすれば俺はどこへも行けない運命を決定付けられているのかもしれない。
たまに、対極の位置にいる自分というのを夢想する。そこにいる自分にできないことなどなく、行けない場所などない。そんな万能の存在になれたら。
それはまさしく夢にすぎない。願っても叶わない。
いい加減解りきったことだった。
そのはずだった。
翌日はずいぶん早い時間に目が覚めた。
「ん」
あくびをかみ殺しながら外へ出ると、朝日が丘陵に顔を出したところだった。朝靄が林間地帯に広がっている。
こんなに早く起きたのは久しぶりのことだった。朝のひやりとした空気を肌に感じ、深呼吸すると、意識が思いのほかクリアになった。
自室に戻った俺は、着替えをすませると、道具袋片手に川原へ行った。顔を洗うと完全に目が覚めた。
雌鹿やハト、ツバメのシルエットを伴った、単色の観念生物が、あるいはせわしく、あるいはのんびりと低空を飛んでいた。
俺は昨日ナズナからもらった剣を取り出してみた。
やはり妙な一品だった。
まず、通常の剣に比べてずいぶんと重い。両手で持ってようやくほどよい手応えになるくらいだ。
そして装飾。ナズナが作ったものにしてはずいぶんと精細で巧緻だった。植物のツタをあしらった有機的な曲線が、柄に美しい尾を引いている。
俺は光子を現出させるべく、意識を集中してみた。
すると、驚いたことに、剣がまるで身体の一部であるかのように馴染み、軽く感じられた。
さらに意識を集中すると、どこまでも透き通った、透明な刀身がまっすぐに伸びた。ちょうど俺の脚からへそぐらいの長さだ。
「何だよ、これ」
さらに剣が軽くなる。片手で持っても重くないどころか、羽のように軽やかに振ることができる。
透明な刃で朝の鮮烈な空気を薙ぐと、金属質の鋭く鈍い音がした。
その感触が楽しくて、俺はしばらくの間透明な剣を振って遊んでみた。
未知の感触だ。
剣を通してあらゆるものが体感できるようだった。例えば樹木の高さ、岩の重み、草花の生命力、空の広さ。土の湿り具合。
身体まで軽くなったように思えた。ためしに跳躍してみると、普段の何倍も跳ぶことができた。
「な」
小川をまるまる飛び越えたことに自分で驚愕していた。
「何だこれは。俺は鳥になったのか?」
<半分はわしの力じゃ>
ん?
何だ。どこかから声がしたような。
<ような、ではない。実際にわしがお主に語りかけておる>
錯覚か、じゃなきゃこれは夢か?
<ならばそこの石で自分を殴ってみるがよかろう。そっとな>
「そりゃいい提案だ」
身長がミリ単位で伸びた。頭のてっぺんにコブができた。
<夢じゃないことが解ったじゃろ。ほっほ>
「お前は何者だ? どこから俺に話しかけてるんだ」
<わしはお前の手元におる。ほれ、こっちじゃ、こっち>
俺は手元を見た。しかし俺が持っているものはナズナの作った剣だけだ。
<あほうが。だからその剣がわしじゃと言うておる>
俺は絶句して剣を見ていた。何言ってるんだ。いくらなんでも剣が喋るわけないだろ。人工知能を搭載したってんなら話は別だが。
<お主は想像力というものがないのう。じゃから、喋る剣があるということだろうて。ここに、こうして>
喋る剣の存在確率についてしばらく思いを巡らせてみた。首を振ったのち、川の水で頭を冷やした。
そして出た結論はただひとつだ。
「俺の頭はとうとう狂ってしまった」
<狂っとらんわい>
「そうか。それで、何なんだお前は」
<喋る剣じゃ。それ以外に名乗る名もないのう>
「それじゃ呼ぶときに困る。便宜上の名前とかないのか」
「んじゃティス。何でお前は喋ることができるんだ」
これまで二十年近く生きてるが、命の剣が話したなんて事例は聞いたことがない。
するとティスは、
<いきなりじゃがそれは話せないのう。ひとつ言うならば、必要とされる者のところに来た、ということかの>
「何だよそれ。さっぱり解らないぞ」
<まあよいではないか。もっか重要なのは、お前の致命的な剣の腕をどうにかすることじゃ>
「俺のすばらしい技量のことまで知ってんのか」
<さよう。わしはこの国の内外、新暦以前以後を問わず、あらゆることに知悉しておる>
「さっき俺がアホみたいに跳べたのもお前のせいか」
<おかげと言え。その通りじゃ>
俺は試しに、両脚に力を入れて垂直に跳んでみた。
近くの樹にやすやすと登ることができた。引力の弱い別の惑星に行ったみたいに身体が軽かった。
「むちゃくちゃだな」
<それだけわしの力が強大だということじゃ>
俺は剣にぶしつけな視線を送った。
「ナズナが作ったんだとしたら、突然変異の才気煥発もいいところだな」
<ある意味で、その呼称は正しいものじゃ>
「どういうことだよ」
<どういうことかのう>
しらばっくれる気か。
<まあよいではないか。今はほれ、そのへんを闊歩しとる観念生物の一体二体、ちょちょいっと退治してみせい>
見ると、水辺にはカササギ型のシルエットがいくつか水浴びをしている。
俺は命の剣・ティスを見て、握る手に力を込めた。
水辺に向けて、俺はゆっくりと駆けていった。
「よう、待たせたな」
午後三時、俺は詰所のロビーにいた。
「……来るとは思わなかった」
タカヤは抑揚のない口調で言った。
「あんなことくらいでへこたれる俺じゃねえよ」
我ながら調子のいいセリフだ。
「そうか。身体は大丈夫か?」
「ああ」
「それは結構」
「で? 今日もどこかへ連れてってくれるのか?」
俺がそう言うと、タカヤは値踏みするような、観察するような目で俺を見た。
「行く気があるか?」
「おう。珍しくやる気なんだよ」
それならば、とタカヤは俺を先導した。
いくつかのポートを経由して到着したのは、前回と違う場所だった。荒地のように寥々としていて、草木が一切ない。
「こんな場所があったのか」
俺の呟きに、
「稀有なる観念生物は、このような辺境の地に現れることが多いのだ。生命力の高さゆえ、命なき土地でも悠然としている」
タカヤはそう言って、命の剣からフォトンを出現させた。透き通った紺碧の光。
「あれ。今日は構えてていいのかよ」
タカヤは頷いて、
「ここに住まう者は好戦的なのだ」
と言って上空を眺め、
「来るぞ。グリフォンだ」
視線の先を追うと、大きな翼と四足を持つ中型の怪獣が、こちらへ滑空してくるところだった。
<剣を抜け>
ティスの声なき思念が頭に響く。俺は素早く剣を抜き放つ。
<大地の鳴動に耳を澄ませるのじゃ>
タカヤが先に剣げきを加える。剣の刃と、グリフォンの爪が交差する。つば競り合いから、離脱。そのままグリフォンがこちらへ向かってくる。
俺は跳躍すると、後ろに回りこむように宙返りして攻撃を回避。
グリフォンは旋回して、再び俺に向かってくる。俺はグリフォンの光る爪を見据え、一閃。音のない鳴き声を放ち、グリフォンは中空へ舞い戻る。
俺はティスをくるくると回してはずみをつけ、そのまま上空へ遠投した。
刃はグリフォンの核をとらえ、貫通する。消滅。
「おっ、と」
落下して地面に突き刺さった剣を抜くと、フォトンを消した。
「ほう」
タカヤが無味乾燥な眼差しでこちらを見ていた。
「何だよ、もうちょっとマシな反応できないのかお前。人類がかつて月に第一歩を踏み出した時ぐらいには偉大な進歩だぞ」
「いや、すまない。あまり急に上達したものだから、驚くに驚けなかった」
「へっへっへ。俺だってちょいとその気になればこのくらいできるのさ」
タカヤは確かに驚いているらしかった。解りづらいが、眉がいつもより上がっているのがその証拠だろう。
そう。
ティスは俺に、自分でも驚愕するほどの力を付与してくれた。
詰所に向かうまでに、俺は人生初の観念生物退治に成功していた。それもあの川原全体を掃蕩できるほどに。
「見慣れぬ剣だな」
タカヤがティスに目を留めた。俺は思わずどきりとし、
「ああ。ナズナがとうとう傑作を作ってくれた。俺の才能を引き出す逸品をな」
タカヤは口元に手を当てていたが、
「ふむ。君には潜在的な力が宿っていたと。なるほど」
「そういうこった。これまでがおかしかったんだ。こうでないとな」
「それではもう少し難度の高い場所へ赴いてみるが、いいか?」
「おうとも。どこへだって行ってやるぜ」
俺は胸を張った。
今なら何だってできる。そんな気がした。
「おーいナズナ! 今日はごちそうだ!」
夕方、両手いっぱいの食材を持って家へ戻ると、ナズナはテーブルに伏して昼寝の延長戦を続行していた。
俺は微笑ましさを感じつつ、片手に下げた食材の袋をキッチンに置いて、料理にとりかかった。
一時間ほどして目を覚ましたナズナは、テーブルに並ぶ品目の多さに驚いた。
(わあ。どうしたのこれ。すごく沢山)
「妹よ聞いてくれ。俺はついにやったんだ」
俺はそこから十分ほど武勇伝を語った。ナズナは無邪気に喜んで、俺を祝福してくれた。
輝かしい一日だった。
数年間胸につかえていたものが一気に解消されて、そのままどこまでも羽ばたいていけそうな、前途と希望が果てしなく広がっていくような、そんな気分だった。
何よりナズナが喜んでくれたのが嬉しかった。
妹は、自分が一気呵成のごとく傑作を作り上げたことより、俺が意気揚々としていることに歓喜しているようだった。
タカヤはあの後、俺を様々な場所へ連れて行った。
観念生物に物理的な攻撃をしてくる種類がいるというのは本当で、実際俺はいくつか生傷を作っていた。
ナズナがそれに目を留めて、
(傷、大丈夫? 痛そう)
「こんなの何でもないんだ。それよりもだ、ついにまともに稼げるようになったのが嬉しい。だから平気さ」
ナズナはそれでも心配そうに俺を見ていた。
「さ! 食べようぜ」
(うん。いただきます)
「いただきます」
それから数日のうちに、俺は剣師の番付表に名前が載り、みるみるうちに順位を上げていった。
タカヤのほうもふたつばかり順位を上げた。やがて俺たちは庭の国で知らぬものはいないほどのペアになった。
ある日のこと。沼地でキメラの群れを退治して一休みしていると、タカヤが、
「ずいぶん腕を上げたな」
「ああ。おかげさまでな」
タカヤは微かに吹いてくる風に髪をそよがせていた。例によって何かを考えている風だったが、
「君の妹さんだが」
「ナズナのことか?」
タカヤは頷き、
「彼女は生まれつき喋れないのか?」
俺は首を振った。
「いいや、あいつは学生時代まで普通に話すことができた。学校を卒業して、鍛冶として命の剣を作るようになってからだな。喋れなくなったのは」
その日のことはよく覚えている。
寝坊した俺が慌てて朝食を作り、ナズナを呼ぶと、反応がなかった。
ナズナの工房兼部屋に行くと、妹は起きていた。肩を叩くと、ナズナはようやく呼び声に気づいた。それから一時間のうちに、俺は人生で最大のショックを受けることになった。
ナズナは声を出そうとしても出せず、その上耳も聞こえないらしかった。中枢の医師に診てもらってもダメ。結局、ナズナはその日から声と聴覚を失うことになった。
俺はそれが、自分の剣師としての腕がまったく振るわないことによる、ナズナへの心的な作用だと思っている。まるで結果が出ないから、罰が当たったのだ。
それから俺はがむしゃらに観念生物を追うようになった。しかし結果は何も残らず。ナズナは俺をいつも励まし、俺は自分を責め続けた。
そんな日々が何年も続いた。相変わらず結果は出なかった。
俺はいつしか諦めるようになった。
結局、あらゆることは生まれつき決まってしまっていて、どれだけもがこうと、定められた範囲から脱出することはできないのだ。
そう思い込むことで、自分の道から逃げた。
本当に向いていないのなら、ユーノが言ったように、剣師以外の職に就けばいいのだ。そのために努力すべきなのだ。
しかし俺はそれさえもしなかった。
でも、今なら。突如舞い降りたこのチャンスをものにできれば。
俺がナーバスになっていると、タカヤが軽やかな声で、
「そうか。いつか回復するといいな」
「ああ」
俺が一流の剣師になれば、きっと。
「私からひとつ提案があるのだが」
「何だ?」
「Sクラスの観念生物に挑んでみないか?」
俺は目を瞬いた。
「どうやって?」
Sクラスの生物は今まで誰も遭遇したことがない。というより、誰も届かない場所にいる。
たとえば飛竜。人は空を飛べないし、庭の国じゃ移動用の機械は使えない。ティスの力を持ってしても、あんな高いところには到底届かないだろう。
タカヤは俺を一瞥して、
「我々が相応の力量に達すればあちらから戦いを挑んでくるはずだ。誰も手出しができないというのは、未だ誰もその領域に達していないということだ」
「なるほどね」
「我々ならばそこまで行ける。私はそう思っている」
「Sクラスか」
俺は考えた。もしもSクラスの剣師になるようなことがあれば、それはこの上もない栄誉だ。夢以上だ。
「考えておいてくれ」
タカヤは俺にそう言った。犀利な眼差しに向上心がうかがい知れた。
(…………)
その日の夕食中、ナズナが俺をぼんやりとした眼差しで見ていることに気がついた。
「ん、どした? 何か変な味付けのものでもあったか?」
ナズナは首を振り、
(ちがうよ)
箸を持った手で慌てて手話をする。箸の一本が手から落ちた。箸はカランと音をたて、コロコロ転がって、椅子の脚にぶつかった。
(あ)
「ああ。ちょっと待ってろ。今洗ってきてやるから」
俺は席を立ってナズナの箸を拾い、台所に向かう――と、ナズナに服の裾をつかまれた。
「ナズナ? どした」
(ねえ、お兄ちゃん)
「何だ」
(今度さ、どこかへお散歩しに行かない? ユーノちゃんとかタカヤさんも一緒に)
俺は眉をひそめた。
「どうしたんだ? 急に」
するとナズナは何か言おうとして、それからまた首を振った。
(ううん。何でもないよ。お兄ちゃん、この頃忙しそうだから、たまには息抜きしたほうがいいかなって思っただけ)
俺は肩の力を抜いた。
「何だ、そんなことか。それなら見ての通り、俺は元気溌剌、万事快調だ。むしろ今までで一番ノッてる。だから平気さ」
ナズナは何も言わずに、しばらくの間俺を見ていたが、
(そうだよね。はは、何言ってるんだろあたし。ごめんね)
「気にすんな」
台所で俺は箸を洗い、ナズナに返した。ナズナはそれきりこの話題には触れなかった。
俺は今、とにかく観念生物を退治して家を豊かにし、ナズナに幸福になってもらおうと必死だった。
だからいくつかのことが見えなくなっていたのかもしれない。
<どうじゃ、わしの力は絶大なもんじゃろ>
夕食を終えて片づけを済ませ、薄明かりのともる軒先でくつろいでいると、ティスが俺に語りかけてきた。
「そうだな。どっちかっつうとお前を作ったナズナがすごいんだけど」
<そうじゃな。お主の妹は心の澄んだよい子じゃ。おまけにお主のような腑抜けをうやまっておる>
「知ってるさ」
俺は自分の声が小さくなるのを感じた。そうさ、ナズナは俺のように屈折していない、素直な娘だ。
表情を持たないティスは、ひょうきんな抑揚をつけて俺に言う。
<お前にひとつ質問じゃ。今お前は幸福か?>
「どういう意味だよ」
<言葉通りじゃ。お前はこれまで、自分が地の底を行く落ちこぼれだと思っとった。しかし心のどこかでは一流の剣師になることを夢見ておった。
それが今やひょんなことから叶ってしまいそうじゃ。……さて、これでお前は幸福かのう?>
すぐに返答しかねた。が、これまで俺の精神状態がどんなだったかを思えば答えは自明だ。
「当たり前だろうが。最高だね。願いが突然叶ったんだ。これ以上の喜びがどこにあるってんだ」
<ほほう。興味深い答えじゃのう>
嘲弄するような調子なのが何だか癪だ。
俺をよそに、ティスはマイペースに話を続ける。
<『庭の国』か。たいそう素敵な場所じゃ。見ようによっては、あらゆる惑星でもっとも恵まれた場所かもしれん>
「単調な毎日を繰り返すだけの場所だぞ?」
<っほ。この国から出たことのないお主にはそう思えるじゃろう。しかしな、ほんの少し想像力を働かせれば、ここがどんなに恵まれた地であるかが解ってくるはずじゃ>
何が言いたいんだ、このじいさんは。
<何が言いたいかとな? ふむ。お主、この星がかつてどのようであったのか知っておるか?>
「今よりもっと人と人が近い場所にいたんだろ」
<ほう。自覚しての発言なのかは知らぬが、なかなかいい表現をしおるな。確かにそうであった。今の時勢のように、機械がまだ高度な発達をしていなかったからな。
むろん他の惑星に進出してもおらなんだ>
喪失説話の他に、中枢では歴史のデータを閲覧することができる。
もっとも、庭の国でそんなものを見たがる人間なんて皆無に等しい。物語のある喪失説話ならまだしも、気の遠くなるくらい昔にあった人の営みなんぞ、もはや誰も気に留めない。
<さよう。数多の惑星に人々が散った今、かつてこの星で人がどのように暮らしておったかなぞ些事にすぎぬ。しかしな、わしはそんな時代を知っておる。
お主、わしの見た目が風変わりだと思っただろう>
「ああ。なんつうかダサい」
<無礼と正直は違うぞ。まあいい。遠い昔、剣の柄はみなわしのようなつくりをしていたのじゃ。本当なら刃も金属でできていた。生きものを物理的に傷つけるためにな>
俺は思わず黙ってしまった。
<剣だけでなく、料理用のナイフや、髪を切るハサミなどもみな金属製だったのだ。今のように光学レーザーなど登場しない。すべては物質に依存していた。
生けるものはみな、何らかの形で他の生物を傷つけねばならなかった。解るか?>
「それは、つまり」
<今からは想像もつかぬほど、人と人は近かった。お主の表現は当を得たものじゃ。むろん、今この場所にも人の交流はある。じゃが、誰かとまったく関わらずとも生きていける。
それに、誰もが同じ星に住んでいるわけでもない。同じ時間を生きていても、価値観や思想が一切共有できない者のほうが多いくらいじゃ>
「だから俺たちが幸福だってことか?」
<さてな。それは解らん。いいか、幸福の価値基準は一人一人、その時その時で違うのじゃ。絶対不変の幸せなぞ存在せん。プラスがあればマイナスがあり、闇があれば光があるのじゃ>
ティスは動作なき呼吸をするような間を置いて、
<生きていながら、何も感じなくなってしまうということはありうる。すなわち作用も反作用もない状態じゃ。それは恐ろしいことじゃとわしは思う。
停滞がもたらすものは何もない。どんな状況であっても、自分から動いていかないことには何も変わらないのじゃ>
「結論は何だよ。さっきから似たようなことを繰り返してるけど、言いたいことがさっぱり解らないぞ」
<言いたいことなぞないわい。言葉だけで伝わることは本当に少ない。経験を通した実感にこそ真の意味がある。真理は言葉では伝わらないのじゃ>
それっきりティスは何も言わなくなってしまった。喋らない剣は本当にただの物質でしかないように見える。
俺はこの日ティスが言ったことをまるで気に留めなかった。
望んでいた幸運が最高の形で降ってきたことに、ただ酔いしれていた。酔いしれていたかった。
その後も、俺とタカヤは順調に成果を上げていった。
番付表はタカヤが一位、俺が二位になり、国中の注目が俺たち二人のパーティに集まっていた。
俺とタカヤには予感があった。
そろそろSクラスの観念生物が戦いを挑んでくる――。
近頃、命の樹上空の飛竜がいなかった。それは今までにないことだった。何らかの兆候なのだろう。
朝、出立の支度を整えるたびに、俺は精神を集中して、いつ戦いを挑まれてもいいように心の準備をしていた。
(いってらっしゃい)
ナズナの見送りを受けた俺は、朝の雑事を手際よく済ませて家を出た。ナズナがその時どんな様子であったか、俺は気に留めていなかった。
今日は中枢でタカヤと待ち合わせしている。
早足で目的地に向かう俺はその時、周囲の剣師たちのある変化に気づかなかった。
「ちょっと番付表を見てくれ」
タカヤが発した第一声だ。
「何だ? 何かあったのか」
「まずは見てくるんだ。話はそれからでいい」
俺は詰所に向かい、電光表示板に連なる数百の名前を眺めた。
一番と二番が俺たち二人なのは変わりない。
が、
「ん?」
Aクラスの剣師が増えていた。それもかなりの数に。
名前の横にあるランクは、タカヤと俺をはじめ、一番上から五十名ほどがAになっていた。
最後にこの表を見たのは数日前だったが、その時はAクラスの剣師は十人もいなかったはずだ。
さらに下のほうを見た俺は目を見張った。ランクが上がった剣師はAクラスだけではなく、B、Cについても同様だった。全体的に剣師のランクが上昇しているのだ。
「どうなってんだ、これは」
タカヤに問うと、何かを懸念するような眼差しで、
「見た通りだ。この一週間ほど、国中の剣師が急に調子を上げている。私もさっき気がついた」
「何故さ。何人かが急成長するってんならまだしも、こんなに多くの人が一度にランクアップするなんておかしいだろ」
タカヤは顎に手を当てて考えていたが、近くを通りかかった剣師に目を留めると、
「私について来てくれ」
それだけ言って詰所を出て行く。
「待てよ!」
俺は慌てて後を追いかけた。
タカヤが向かったのは特別な区域ではなく、庭の国中央部の平原だった。
「どうしたんだよ」
早足で歩くタカヤに並び、俺は問いかけた。
タカヤはしばらく何も言わずに歩いていたが、丘陵になっている地区まで来ると足を止め、
「見てみろ」
そういって前方を顎で指した。
見た途端に疑問が氷解した。
「な」
数名の剣師が、見事な剣技とともに観念生物を次々なぎ倒していた。
彼らは流麗な動作で敵の動きをとらえ、無駄な動作をすることなく一撃を加え、一帯に群生する観念生物をあっという間に消滅させていく。
その動きに俺は既視感のようなものを覚える。
「彼らの使っている剣を見るのだ」
タカヤが言った。俺は剣師たちの手元に注目する。
「!」
俺の持っているものとまったく同じ剣を彼らは使っていた。刃の色こそ違えど、柄の特徴的なデザインは紛うことなく同一のものだ。
「どうなってんだ!? 何であれをあいつらが」
目を見張る俺に、タカヤはいつもの冷静さで、
「解らん。私が訊きたいくらいだ」
そう言ってから、
「おそらく今、国中の者があの剣を手にしているのだ。だから急激に全体のランクが底上げされた。君がそうなったように」
俺は目の前の光景に釘付けとなったまま、動けずにいた。何故だ。いったいどうして?
俺のかたわら、タカヤが言葉を続ける。
「番付がどうなっていたか覚えているな? Aランクの剣師が増えていた。おそらく、Sクラスの観念生物は当分姿を現さないだろう。
奴らは聡い。数少ない実力者の前にのみやって来る。しかし現状はその逆だ。戦いを挑むべき相手はいない。こうも簡単に飛び級されてはな」
タカヤの台詞は俺の耳にも痛いものだった。
「このままでは国の剣師がみな同じ力量を得るだろう。するとどうなるか?」
タカヤは命の樹上空を見た。飛竜はどこにもいなかった。
「ある意味では平等な時代になるかもしれない。しかし、そこにもはや純粋な意味での研鑽はない。
……そして、この現象がもたらす弊害はそれだけではないかもしれない」
「どういうことだよ」
俺の問いにタカヤは答えなかった。一人沈思黙考したうえで、
「今日は解散だ。私は私でこの件を調査してみる。君も君の思う行動を取れ」
そう言うと足早に歩き去った。残った俺はぽつんと平原に取り残された。
タカヤにああ言われたものの、じゃあどうすべきか解るわけでもなく、とりあえず俺は家へ帰ることにした。
玄関の扉を開けると、居間にナズナが倒れていた。
「ナズナ!」
(…………)
ナズナは力なく横たわったまま動かなかった。俺は座り込んで、上体を抱き起こす。
「ナズナ、どうしたんだ、しっかりしろ! ナズナ!」
両目は閉じられたままだ。息はしているものの、見て取れるほど呼吸が浅い。
「ナズナ。目を覚ましてくれ。ナズナ!」
<その娘を医療区に運ぶのじゃ>
剣の鋭い声が頭に響いた。
「ティス。ナズナはいったい――」
<いいから早くせい!>
鞭打つようなティスの声に、俺は急いでナズナを背負うと、人生史上最速と思えるほどの駆け足で中枢医療区へ向かった。
「庭の国」が誇りとすることのひとつに、病気、疾患の少なさが挙げられる。
この国は果てしない平和に満たされている。
観念生物の退治という責務はあるにせよ、それは一分一秒を争うせわしさもなければ、精神をすり減らすストレスも……普通はない。そのためか、この国に療養や休息に来る人も少なくない。
それだけに、ナズナが伏したことに俺は衝撃を受けた。どうして急に倒れたんだ。
十分ほどで目的地に到着した俺は、がら空きの医療区に入ると、医師に事情を説明して、ナズナをベッドに寝かせた。
ナズナの顔からは血の気が引いていた。表情は悪い夢を見ているかのように曇り、息は弱い。
「ナズナ……」
「検査をします。一度退室願います」
近くにいた看護婦が俺に言った。俺は仕方なく席を立ち、ロビーへ向かった。
「何があったんだ。ナズナ」
椅子に座って呟くと、
<あの娘は己が生命力を消費しすぎておる>
ティスが思念を返した。
「生命力?」
<さよう。彼女はこの数日、信じられないほど多くの剣を作った。そしてそれが国中に行き渡るよう、あらゆる剣師に渡したのじゃ>
「どういうことだよ」
<解らぬのか? 要するにあれらの剣を作ったのもお主の妹だということじゃ>
「な」
俺は言葉を失った。
何だって?
<あの剣たちを作りだしたのは他ならぬ彼女自身じゃ。お主の妹は、あの特殊な剣を作る稀有な才覚を持っておる。今、この国で他にあれを作れるものはおらん>
「ちょっと待てよ。どうしてナズナが他の剣師に剣を作る必要があるんだ。第一、同じ家系の者にしか剣は扱えないはずじゃないのか」
<そうではない。同じ家系の者が作った剣がもっとも剣師の力を引き出せるというだけで、扱えないというわけではない。特にあの剣の場合はな>
一呼吸置いて、
<なぜ彼女がそのような行為に至ったか解るか?>
俺はゆっくりと首を振った。
<それではお主は、彼女が生まれて初めて作った剣がわしじゃということも知らんのだろうな>
「……は?」
<やはりな>
意味が解らない。ティスはナズナが最近作った剣のはずだろう。
<違うのじゃよ。彼女はもっとずっと昔にこの剣を作っていたのじゃ。万感の願いとともにな>
「いつの話だ、それ」
<四年前のことじゃ>
四年前……。
<四年前、学校を卒業したばかりの彼女は、これから先お主がうまくやっていけるよう、強く強く祈った。そしてひとつの剣を作ったのじゃ>
頭の中で、ピースがひとつはまる。
<彼女は己の《声》を封じ込めることで、剣に並々ならぬ力を与えたのじゃ>
声――。
ナズナが四年前に失くしたもの。
ティスは神妙に言葉を次ぐ。
<身体の機能を半永久的に失うというのは恐ろしいことじゃ。たとえそれが大きな見返りを生むとしても、普通は自らの身を犠牲になどできぬ。
たとえばじゃ、お主は自分の片腕がない生活を想像できるか? あるいは耳が、目が、鼻が、そして声が>
俺は首を振った。いかに医療が発達している現代であっても、失った身体を元に戻すことはできない。
<さよう。だからこの国でも、己の身体機能を失してまで剣を作る者はおらん。しかし彼女はそれをやったのじゃ。ただお主のことを思ってな>
そんな……。
<そして彼女はわしを生み出した。意思を持ち、《声》を発して持ち主に語りかける剣を>
両手が冷たくなっていた。力が入らない。
<彼女はわしがどれほど絶大な力を発揮するか、作り上げた時点でよく理解しておった。それは、ややもすれば短期間で国の頂点に登りつめることのできるような、強大な力じゃ>
俺はうなだれて、両手で顔を覆った。
「何てことだ」
<彼女は勉学が苦手じゃったが、人の本質というものを生来の感覚として体得しておった。だからして、この剣を持ったものがどのような変化を遂げるか、実に豊かに想像することができた>
自分で遮った視界の中で、心臓の鼓動が小さく音を立てているのが解った。とく、とく、とく。
<この剣を本当の意味で使いこなすものはいないだろうと彼女は思ったのじゃ。それは兄であるお主を含めて全員がな。この剣は思うがままの振る舞いを可能とする。
しかしそれは幻のようなものなのじゃ。人は神の概念をしばしば作り出すが、神になることはできぬ>
「ナズナは今までそんなことを考えていたのか」
<あの娘は今までの暮らしにたいへん満足しておった。彼女は自分が何一つできない存在であることをしばしば憂っていたが、それでもあの生活が好きだった。
それだけに彼女は葛藤したのじゃ。お主が彼女のために一流の剣師になりたいと思っておったことは、彼女はもちろん知っておる。
そしてもちろん、お主が鍛錬して技量を上げ、いずれ一緒に国を出て行くことになるなら、その時は一緒に行くつもりじゃった>
ティスはためらうような間を置いて、
<しかし、この剣をお主に渡すことにはためらいがあったのじゃ。この剣を使えば、お主は少なからず変化を遂げるじゃろうと彼女は考えた。
お主は知らんじゃろうが、彼女はこれまでに何度も何度もそのことで迷ってきた。しかし、いつも最終的には剣を渡さないことを選んだ。なぜだか解るか?>
俺は黙ったままだった。解らないからじゃない。
<それはあの娘がお主を信じていたからじゃ。いつか、自分の力で現状を打破するとな。迷いの霧を自分で晴らすと>
何も言えなかった。胸が苦しい。
<お主はもうずいぶんと前から、努力することを放棄しておったな。自分には何もできないとはなから決め付け、向き合うべきものから目を背けた。
彼女は意気消沈して久しいお主を気遣い、剣を渡す決心をしたのじゃ。しかし、やはりというべきか、お主はこの剣の力に振り回された。
実際、お主の妹が近頃寂しそうにしていることを、お主は気づかなかった>
その通りだ。
<彼女はやがて、以前の暮らしに戻りたいと思うようになった。そして、剣のレプリカを毎日のように作り、国中に行き渡らせた。
彼女はお主から直接剣を取り上げるようなことはできなかった。じゃから、お主の地位を無為なものへ変えてしまおうと考えたのじゃ>
遠く、詰所のほうから歓声が聞こえていた。
こうしている今も、誰かがナズナの剣でイージーに自分の地位を上げているのだろう。
俺がそうしたように。
そんなことして何になるんだろう。今さらながら俺は思った。
<確かにお主には剣師の素質が欠けておるかもしれん。人と比べて、あまりにお主は不器用じゃし、何よりひねくれておる。
が、わしに言わせればそんなものは些細なことじゃ。問題は、お主が本当に何もかもを投げ出し、どこへも行かなくなってしまったことじゃ。必要なだけの言い訳を用意してな>
ティスは決して上から物を言っているわけではなかった。人を叱責するような調子でもなかった。
<他人は他人じゃ。お主はそやつらにはなれない。が、そやつらもお主にはなれないのじゃ。お主は少なくとも、妹を大切に思っておるし、彼女を救うために動くことができる>
「ナズナ……」
<今何をすべきかを考えい。そして動くのじゃ。それが答えになる。他のものには使えぬ、お主だけの答えじゃ>
「ティス! ナズナを救うにはどうすればいいんだ」
俺は拳を固めて立ち上がった。ティスは思念の調子を変えて、
<彼女の作った剣が彼女自身の生命力を奪っておる。だからして、片っ端から剣を破壊すればよい。あの剣はレプリカじゃ。
オリジナルたるわしと比べれば、強度はずっと落ちる。むろん、このように素敵な会話をしたりもせんしな>
笑うような調子だ。
<走れヘタレ。考えるでない、ただ走るのじゃ>
胸が熱くなった。俺は、ナズナの笑顔を思い浮かべた。
そして、それを取り戻したいと強く願った。
「ティス。力を貸してくれるか」
<っほ。遅すぎるわい。最初に言うべき文言じゃぞ。とっくに貸しておるじゃろうが。行け、若造>
俺は全力で駆け出した。「命の剣」を握り締めて。
「ようお前ら、みんなしていい剣持ってるじゃないか。絶好調なところ悪いが、俺と勝負だ」
「あんた、ランク二位のヒロミじゃないか!? 勝負って何のことだよ」
「申し訳ないが、説明してる暇はないんだ。安心しろ、俺が壊すのはお前の剣だけだ。それじゃいくぞ!」
「うわっ!」
「来るぞ! あいつが剣壊しのヒロミだ。身構えろ!」
「どうして剣師どうしで戦わなくちゃならないんだ?」
「そんなこと知るか。とにかく奴は俺たちの剣を片っ端から壊して回ってるんだよ。狂気の沙汰だ」
「喋ってる場合かい? お二人さん」
「!」「!」
「……へえ、やるじゃないか。てっきりその剣とタカヤのおかげで二位にまで登りつめたと思ったのに」
「その通りだ。俺自身には何の力もない。んなこと解ってる」
「ずいぶんと潔いんだな」
「ああ。俺はもう迷わない」
「国中の剣師を襲ったとなれば、ヘタすれば国外追放だぞ。それでいいのか?」
「望むところさ」
「兄ちゃん、何でこんなことするんだよ!」
「何で? さあ何でだろうな。単調な生活に嫌気が差したから、とか?」
「お願いだからこの剣を取らないで! 僕、この剣で初めて観念生物を退治できたんだ」
「そうか。そりゃめでたいな。俺もこの剣で初めて退治できた。それで国内二位にまでなった。そして今、剣と地位の両方をまとめて捨てようとしてる」
「どうして? 兄ちゃんは幸せなんだろう?」
「幸せ? 確かに、俺も初めはそう思ってた。どんな手を使おうが、犠牲がつきまとおうが、名誉を得られれば幸福になれるってな。
でもそんなものはくそくらえだ。何の意味もない」
「僕はそうは思わない。立派な剣師にさえなれば、ずっと幸せでいられるんだ!」
「だからその剣の力に頼るってわけか。なあ少年、その剣がどういうものかは今や国中に知れ渡ってるんだぜ。
そんなもので手に入れた地位に何の価値がある? 何が君を幸福にする?」
「それは……」
「少年、俺と勝負だ。本当にその剣が君を幸福にするなら、その信念が確かなものなら、君は俺に勝てるはずだ。こう見えても俺はランク最下位だったんだからな」
「でも……」
「やらないってのならそれでもいい。俺は君の気持ちがよく解る。だから君の剣だけはそのままにしてやる」
「僕は…………。僕は、兄ちゃんに勝つ!」
携帯端末にタカヤからの着信があった。
『ヒロミ、ずいぶん派手に暴れているようだな』
「ああ。残念だがもうお前とのパーティも解散しなきゃならないだろう」
『そうか。……君はなかなか面白い奴だった。パーティを組んでみて思った』
「そりゃ光栄だね」
『ところで、君と話したいと言っている人物がいてな』
「誰だ?」
『もしもし、ヒロミ?』
「げ。もしかしてユーノか?」
『もしかしなくてもあたしよ。ヒロミ、あんた何やってんの? 正気? すでに国中で噂になってるみたいよ』
「そうだろうと思ってたさ。でも仕方ないんだ」
『そんな暴れ方しなくったって、ナズナちゃんを助ける方法は他にあったんじゃないの』
「あいつがなぜ倒れたか、ユーノ、お前知ってるのか?」
『ヒロミ、ごめん。わたし、ナズナちゃんに頼まれてあの剣を国に行き渡らせる手伝いをしたのよ。……兄さんにさえ言ってなかったけどね。だから事情は知ってる』
「……そっか」
『怒ってる?』
「いいや」
俺は首を振った。
「これでいいんだよ。初めからこんな力はいらなかったんだ」
ユーノはしばらく何も言わなかった。やがて、
『ねえ、ヒロミ?』
「何だ?」
『無茶しないで』
「そりゃ今さらってもんだ。すでに十分すぎるほど無茶してる」
『……無事に帰ってきなさい』
「ユーノ?」
俺の思い上がりでなければ、電話の向こうですすり泣いているような気配があった。
『バカ。あんた、妹の心配するのもいいけど、他にもあんたたちを気にしてる人がいるって事くらい知っておきなさい』
それっきり電話は切れた。
「何だよユーノのやつ。わっけ解らん」
<ほーう。これは粋な告白じゃのう!>
「はっはっは、何のことだくそじじい。それ以上何か言うと荒れ地の果てまでぶん投げるぞ」
<さ、もうひと息じゃ。頑張れ、若造>
「言われなくとも」
こんなにたくさん走ったのも、多くの人と話したのも、またここまで気違いじみた行動に出たのも初めてだ。
日が暮れる前には、俺は国中のほぼすべての剣師の剣を破壊した。
残っていたのは元々ランク上位だった剣師たちのものだったが、
「これが残りの剣だ」
タカヤが集めて持ってきてくれた。
「な!? これ、お前どうしたんだ」
「私はすべての剣師をライバルとも仲間とも認識している。日頃から交流があり、親睦もあるのだ。事情を話したら、彼らは素直に剣を拠出してくれた」
<平和的外交じゃのう。どっかのあほうと違って>
「うるせえ」
俺はティスにツッコミを入れた後で、
「タカヤ、何から何まで世話になるな。ありがとよ」
「なに、構わない」
俺はティスを一振りして、剣の柄をまとめて破壊した。
<……む?>
「どうした? ティス」
<あとひとつ残っておるな>
俺は辺りを見渡した。
「どこにもないぜ?」
「ここだ」
タカヤが命の剣をひとつ取り出した。確かにナズナの作ったものだった。
「おう、すまないタカヤ。さ、それをこっちに」
「ヒロミ、私とこの剣を賭けて勝負だ」
「はい?」
「君にひとつ言っていなかったことがある。他ならぬ、私が君とパーティを組んだ理由だ」
俺は眉をひそめた。タカヤは話を続ける。
「冷静に考えれば妙な話だっただろう。私のような力量のものが、君のように何の力も持たない剣師と組むというのは」
「そりゃお前が得難い性格の持ち主だから」
「そうではない。私にはひとつ目的があった。それがこの剣だ」
そう言ってタカヤは命の剣を振ってみせた。
「持ち主の身体能力を飛躍的に高め、あらゆる観念生物を容易に鎮圧できる剣の存在を私は知っていた。それを生む力が国のいずれかの家系に備わっている、ということもな」
タカヤは腕組みをして説明する。日の暮れた平原に冷たい風が吹いた。
「私は推理した。それはいったいどこの家系だろうか? と。そのような特殊な能力だ。普通の家系ではありえない。
何か決定的な特徴があるだろう。そしてそれは他人から見れば何の価値もない性質だろう。そう思った」
俺は瞬きせずにタカヤの話を聞いていた。
「やがてひとつの結論にたどり着いた。君の家系だ。君の妹さんの作る剣は、国中を見ても他に同じものが見当たらなかった。
私は様子を探るべく、君とパーティを組んだ。さいわいにして、もともと我々は妹同士が友人関係にあったし、接触はさほど難しくなかった」
「何だと?」
「私は狡猾な人間だ。何としてもSクラスの剣師になり、栄誉を勝ち取りたかったのだ。
しかし、己が技量をいくら高めようと、どれだけA級の観念生物を退治しようと、S級の生物はついぞ私の前に姿を現さなかった。考えあぐねた私が、最後に求めたのが伝説の剣だった」
と、タカヤは薄紫に光る痩身の刃を出現させ、
「だから、この剣を君が使っているのを見た時には、心底から欲しいと思った。私がこれを扱えば、国一の剣師になることができる。そう思ったのだ」
信じられない速度で剣を旋回させた。薄闇の中で、幻想的な紫色の光が花弁のように舞った。
「しかし、君とパーティを組み、観念生物を退治していくうち、そのような考えは無価値なのではないかとも思うようになった。
君はただ妹のためにだけ戦っていた。妹が喜ぶのなら、あっさりとその地位を放り出してしまいそうだった。そんな君を見ているうち、私の価値観はぐらつき始めた」
「お前、最初から俺と組みたかったわけじゃないのか」
「そうだ。今も私はこの剣を手放すのが惜しいと、どこかで感じている。だから」
タカヤは剣をまっすぐに構え、
「私と勝負し、勝て。そして妹を取り返せ」
俺は放心しかけた。
<ほれ、しゃきっとせんかい>
「ティス?」
<人にはな、誰にでも事情があるのじゃ。それは外から見ただけでは解らん。当たり前かもしれぬが、大事で、しかも忘れがちなことじゃ。お前にもあり、あやつにもあるのじゃよ>
俺はタカヤを見据えた。薄紫に染まる空を背にしたタカヤには、特有の威容があった。
俺は剣を構えた。
「……ティス、今までありがとよ」
<っほ、勝ってから言え>
俺は地面を蹴って、タカヤの懐に飛び込んだ。
数日後――。
「庭の国、A級剣師、ヒロミ。貴君、本日づけで剣師資格を剥奪する」
誰もいない小さな部屋に、硬質な機械音声が響く。
「ひいては庭の国を追放処分とする。今後の居住先については、追って通達する。ヒロミ、資格バッジの返却を」
俺は目の前の小箱にバッジをしまった。
「認証完了。報告が上がり、処遇が決定されるまで自宅で待機せよ」
俺は意味もなく会釈して、中枢管理部から退去した。
「お兄ちゃん!」
施設から出てすぐ、ナズナが駆け寄ってきた。
「お、ナズナ。待たせたな」
「お兄ちゃん、やっぱりもう剣師には戻れないの? ねえ……」
ナズナの瞳は一見して解るほどにうるんでいた。俺は若干の心苦しさを感じつつ、
「そうらしい。けどな、これでよかったんだよ」
「でも、でも……」
「お前と、お前の『声』を取り戻せたんだ、安いもんさ。さ、戻って飯にしようぜ。とびっきりのメニューをこしらえてやるからな」
俺が歩き出してもナズナはついて来なかった。振り向くと、ナズナはうつむいて、泣いているようだった。
俺は黙ってナズナの手を引くと、振り向かずに歩き出した。
「これでよかったんだ」
一言だけつぶやいて。
自宅へ帰ると、ほぼ予想通りの展開が俺たちを待っていた。
「おっそい! おそいおそい遅い! どれだけ待ってたと思ってるのよ。料理冷めちゃうわよバカ、バカヒロミ。ヘタレ剣師!」
「あいにくだがもう剣師じゃないんでね、最後のは抜きにしてくれ」
減らず口で返すと、ユーノは肩を怒らせて頬を膨らませた。
「やっぱり来てくれてたんだな。いや、本当にありがたい」
「何か含みを感じるのは気のせいかしら。っていうか本当に感謝してるのあんた」
「してますとも。ユーノが来てたら料理作る手間半分になるなぁとか思ってるわけないだろ」
ユーノは一瞬顔をしかめ、それを大いなる理性とともに作り笑いへ変えて、
「あらそう。実を言うとまだ材料切っただけなのよ。せっかくだからナズナちゃんと一緒に待ってるわ」
「ちょっ、そりゃないだろ!」
「うふふ。さ、ナズナちゃん、ハーブ摘みに行きましょう」
「はーい」
ナズナはにこりと笑って、ユーノと共に出て行く。
「ちょっと待て! 冗談じゃないのかよ、おい!」
「……騒々しいな」
ぼそりと声がしたので振り向くと、タカヤが俺の部屋から顔を出した。
「うお、いたのかお前」
タカヤは目をつむって顔をしかめ、
「ユーノがどうしても来いと言ってきかなかった。私にあそこまで主張するのは珍しいな」
そう言って近くの椅子に腰掛けた。どうやら寝ていたらしい。
タカヤは携帯端末に目を通しながら、
「やはり依然として最初のトピックになっているな、例の一件は」
俺は眉を上げて、
「だろうな。ずいぶん派手に暴れたし。あれでテロと間違えられなかったのが奇跡だ」
「ここの国民は元来温和な人種だからな。他の惑星ではまるでやっていけない者がほとんどではないだろうか」
と言った後でタカヤは俺を見て、
「すまない……。君はこの国から出て行くんだったな」
「俺のことなら気にすんな」
そう言って台所へ向かった。
あの日のタカヤとの勝負は驚くほど短時間で片がついた。
互いの剣がぶつかった瞬間、オリジナルもコピーも消滅したのだ。
それきり、偏屈な老人の思念は二度と聞こえてこなかった。
「あんなに簡単に剣が消えてしまうとは思わなかった」
タカヤが独り言のように漏らす声を、俺はしっかり聞きとめた。
「伝説の剣などというのは幻想なのかもしれないな。私は非論理的な現象には否定的だが、容易なる力が存在することへのアンチテーゼがあの剣の消滅だったのかもしれない」
「かもな」
俺にしてみれば、ナズナが回復してくれさえすればオールオッケーだ。一時は本当に危険な状態にまでなったらしい。それがすっかり元気になって、声まで取り戻せた。
「ねえねえ、二人とも! ちょっと出てきて!」
ナズナの朗らかな声が響いた。軒先で俺たちを呼んでいる。
「どした?」
「いいから来て! すっごいよ」
ナズナはにこにこして俺とタカヤに手招きした。俺たちは顔を見合わせ、首を傾げてナズナに続いた。
一面に広がる庭園国土を見渡した俺は、ある場所に目を留め、驚いた。
「こりゃすげえ……」
命の樹が桃色に染まっていた。
樹は国全体を祝福するように、淡い色の花をつけていたのだ。
「ね! お花が咲いてるの」
「しかし、こりゃ一体どういうことだ!?」
今まで命の樹が花を咲かせたなんて話は聞いたことがない。
「あの剣の一件で生命エネルギーがかつてないほどに還元された。結果、命の樹が花を咲かせたのだろう」
タカヤが変わらぬ口調で言った。
「すごいわねえ。こんなのが見られるなんて」
ユーノが片手を額にかざして言った。タカヤは淡々と、
「中枢の研究部は立腹しているだろうな。突然の変調は樹木の寿命を縮めかねない」
「でも」「きれいだねーっ」
妹コンビが合唱する。まったくもって同感だった。
地には緑、空には青、その中央に桜。
この風景を国民がみんな見ているのだと思うと、何だか嬉しくなった。
「ヒロミ」
「ん?」
ユーノがこちらを振り向いた。すたすた歩いてきたと思えば、ユーノは俺を
「わっ!」
抱きしめた。
「あんた、どこ行ってもめげるんじゃないわよ。苦しかったら誰かに言うのよ。わたしでもいいから……」
「ゆ、ユーノ!? 何だよ急に」
ユーノは俺から離れると、顔を見せずに家へ走っていった。
俺が当惑しきっていると、
「ほう」「へーえ」
ナズナとタカヤが訳知り顔でユーノを見ていた。
「おいおい、何なんだよ!?」
「お兄ちゃん。きっと大丈夫だよ、きっとね」
「ナズナ、説明してくれったら!」
ナズナはふふっと笑うと、やたら楽しげにユーノを追いかけた。
「さ、早く戻ろう。空腹だ。君が当番だろう」
タカヤは俺が何か訊くより早く歩き出した。
「ちょっと待てよお前ら!」
俺は何にも解らないまま、三人を追いかけた。
俺たちを見守るように、満開の桜は綺麗に咲き誇っていた。
その上を、水色の飛竜が舞った。
(了)