Neetel Inside ニートノベル
表紙

速筆百物語
011_カラクリカタリ

見開き   最大化      

カラクリカタリ

 美濃の国、須原の宿場から中山道を外れ、山あいを七里ほど北西に進むと小ぢんまりとした城下町に出る。町の中心に築かれた城は那古野城を模しており、天守の屋根には金色の像が鎮座していた。こちらは鯱ではなく竜の姿である。
 人の立ち寄らぬ未開の山々に囲まれたこの地では、獣を狩り、肉・皮の加工を生業とする者が殆どである。為に、加工に必要な技術への関心は高い。他国者である白瓜(しらうり)が、からくり技師として藩主の覚えがよいのも、そうした風土に一因があった。

  *  *  *

 ぶなの生い茂る山中に丸太小屋がある。この丸太小屋、皮なめしにかけては領内一とされる老人の作業場である。
 小屋の中では、白瓜を含む三人の男が板張りの床に胡坐をかき、眼前に置かれた木片に視線を向けていた。拍子木をぴたりと合わせたかの如き木片は、刃を簡易に研ぐためのからくりである。白瓜は手にした皮剥ぎ包丁を木桶の水に浸しては、その刃を木片の合わせ目に差し入れ、手前に引き抜くという所作を幾度か繰り返していた。

「これでよいと思いますよ」

 細い腕には釣り合わぬ重みの皮剥ぎ包丁を掲げ、白瓜は微笑んだ。年の頃なら二十を少々過ぎて見える白瓜は、男としては何とも頼りの無い体躯をしている。着物の合わせから覗く胸板は薄く、城仕えの女の如きに白い。細く垂れた目は常に微笑んでいるようであり、眺めているだけで毒気を抜かれてしまうかのような穏やかさがあった。
 白瓜の上座正面に腰を下ろしていた老人は、水の滴る皮剥ぎ包丁を受け取ると、鼻先が触れるほどに顔を刃に近づけ、切っ先から刃元までを丹念に指で撫でた。

「いやはや、これは大したものですな。些かの仕上げは要りそうですが、ここまで研げていれば手間も大分省けましょう」
「お眼鏡にかなって何より。どうだろう、これで考え直しては頂けぬかな」

 巨躯の侍――風間八五郎が、身を乗り出して老人に訊ねた。二本の刀を手挟んではいるものの、その姿は素浪人の如きに粗末なものである。
 老人は皮剥ぎ包丁を持つ腕を伸ばし、遠目に波紋を確かめた。その背後の壁には幾種もの刃物が所狭しとぶら下がっている。やがて、老人は手拭で刃の水滴を拭い、皮剥ぎ包丁を床に置いた。そして、白瓜と風間の顔を順に見遣り、口を開いた。

「斯様に便利なものを頂いた以上、隠居は諦めねばなりませんな」
「おお! そのお言葉、殿もお喜びになりましょうぞ! 御大にはまだまだ腕を振るってもらわねば困りますからなあ!」

 風間は豪快な笑い声を上げた。齢のせいで満足のいく道具の手入れが出来なくなったと、老人は隠居を申し出ていたが、老人のなめした皮は他国でも評判になる程であったために、風間は懇意にしている白瓜に話を持ち掛け、このからくりを作らせたのである。

「ところで白瓜殿、ひとつだけよろしいか?」

 老人が白瓜に視線を戻し語りかける。白瓜は膝を正した。

「このからくり、いま少し大きくはなりませぬか。この皮剥ぎ包丁でも、幾分か寸足らずに思えるのでな」
「考えが至りませず、申し訳ございません。一両日中には改修を施しお持ち致します」
「いやいや、急がずとも、できた時でよろしい。頼みましたぞ」

 頭を下げる白瓜を老人は手で制した。
 老人の隠居を思い留まらせた風間と白瓜は、しばしの後、丸太小屋を後にした。

  *  *  *

 小屋の前には珍妙な小舟がぽつりと置かれていた。西国で盛んな『渡し』の船ほどの大きさであり、表面には本朱の漆が塗られている。こうした船は底が平らになっておらず、陸に上げれば傾くのが当然である。しかし、漆の鈍い光沢に包まれたこの船は、目に見えぬ支えでも在るかの如きに平衡を保っている。回転を止めた独楽が、真っ直ぐ立つに等しき不可思議さであった。
 白瓜は小船の舳先に近い側へ乗り込み、腰を下ろした。やはり船は微動だにしない。風間も勝手知ったる様子で白瓜の後ろにどっかと座り込む。前後の長さに比べ横幅は狭く、窮屈そうに風間は膝を曲げ、船のへりにある手摺を掴んでいた。

「お主のからくりは何でも小そうていかん。わしだけならまだしも、貧弱なお主ですら窮屈そうではないか」

 不平を漏らす風間に曖昧な微笑みをひとつ返すと、白瓜は懐から皮袋を取り出し、酒でも酌むかのようにその口をそっと下に傾けた。皮袋からは赤黒い粉が流れ落ち、船底に小さな山を作る。からくりの動力となる『生命の粉』であった。
 山となった生命の粉は漆と混ざり合い、渦を描いて船底に溶け込み広がっていく。すると船は音もなく浮かび、地面から三寸ほどの位置でぴたりと静止したのであった。

「風間様、このままお宅までお送り致しましょうか?」
「いや、よい。『空水船(くうすいせん)』などで乗りつけたら隣近所が腰を抜かしてしまう。お主の家までやってくれ」

 かしこまりましたと答え、白瓜は両腕を前に伸ばし、船の左右内側にある持ち手を掴んだ。それを合図と数本の縄が船から生え出し、白瓜の腕や腰に巻き付いていく。縄からは〆の子と紙垂が下がっており、注連縄としてなわれたものであることが見て取れた。
 身体を縛り付けられた白瓜は上半身を幾らか前に倒す。すると『空水船』と呼ばれた船は宙を滑るように動き出し、瞬く間にどんな飛脚も追いつけぬ程の速度に至った。道の両側に並ぶ松の木が、白瓜たちの後方へ次々と流れ去っていく。老人の丸太小屋から白瓜の工房までは、徒歩であれば四半時はかかる道のりであったが、既に前方には白壁の建物が見えてきており、白瓜と風間は言葉を交わす暇もないほどであった。

  *  *  *

 工房の前には童女がしゃがみ込んでいた。つまらなそうに膝を抱えていた童女は、近づく空水船に気付くと勢いよく立ちあがり、満面の笑みを浮かべて白瓜に大きく両手を振った。白瓜は童女のそばに空水船を止め、船体を地面に下ろした。

「白瓜おかえりー。あれぇ? 八の字もいるのか」

 空水船を降りた二人に童女が駆け寄ってきた。風間は腰を屈め、からかうような顔を童女の前に突き出す。

「なんだぁ? わしが居てはいかんか?」
「八の字はうるさいから好かんのよー」

 童女は風間から逃げるように、白瓜の腰にしがみついて身を隠した。この童女、名を葛(かずら)という。年端に見合った幼き仕草が目立つものの、揺れる黒髪に匂う艶は、お河童にしていても尚、隠しきれぬ妖しさがあり、蕩けるような目元からは、ふとした拍子に女の気配が漂い出すことしきりであった。だが、そうしたものを全く解さぬ白瓜は、胸のあたりにある葛の頭を無造作に撫でて言った。

「葛、すまないが空水船を片付けておいてくれないか」
「あいあーい」

 葛はくるりと身を翻して駆け出し、空水船の正面に立った。小さな船とはいえ大人二人でも運ぶには難儀する大きさである。
 小さな両腕を広げ、葛は船首を抱え込んだ。子供の戯れに思えたが、見る間に葛の腕からは無数の白き弦が生え伸び、空水船の横腹へと貼り付いていく。その様は蚕の繭から絹糸が繰り出されるかの如きであった。
 葛は弦に包まれた空水船を軽々と持ち上げ、工房の外壁にある巨大な鉤爪に引っ掛けた。皮と肉を失くした両腕は、鉄製の軸棒とその周りを囲む無数の歯車で構成されている。それは人とは異なる、からくりの腕であった。

 葛もまた、白瓜の造り出したからくりの一つである。好き者の藩主に乞われ、夜伽を主たる目的としている。謂わば、葛はからくりの娼婦であった。

 役目を終えた弦は空水船から離れ、葛の腕に巻き戻っていく。軸棒が剥き出しであった腕は、忽ちのうちに、瑞々しい肌に包まれていった。

「風間様、よろしければ、茶でも飲んでいってください。先日、客人よりとらやの羊羹を頂いたのです」
「ほほう、では馳走になるとしようか」
「葛もおいで。お茶にするよ」

 白瓜に呼ばれた葛は、まっすぐに駆け寄ってくる。邪気のない無垢な瞳は、人の幼子そのもののようであった。

  *  *  *

 卓袱台には皿と湯呑が三つずつ。二枚の皿には何もなく、白瓜の皿にだけ羊羹が手付かずのまま残っていた。

「……今更、憐れと思うた所で致し方あるまい」

 風間は白瓜の皿に乗っていた羊羹を一口に食した。白瓜はただ俯くばかりである。葛の姿は既になかった。

『お殿様は楽しそうに葛を殴るよ。葛が泣くのが好きなんだって』

 葛の言葉が白瓜の胸に重く残る。葛は『主に背かぬ事』を第一の原則として造られている。これを破らぬ限り葛は人を傷つけず、人を傷つけぬ限り己を守るのだ。すなわち、主の命があれば、人を殺めることも、自らを壊すことさえも有り得る。

「……白瓜よ、今宵、葛は壊されるやもしれんぞ」

 鈍い動作で顔を上げた白瓜に対し、風間は苦々しげに語った。

 藩主と地元の有力者たちは、時折、夜半過ぎに会合を開くことがある。表向きは領内の様子を聞くためとしているが、実の所は、藩主の嗜好に則した色事が行われているらしい。それを裏付けるかのように、藩主たちの会合が開かれた翌日は、川に童女の死体が上がるという。そしてその何れもがお蔵入りとなってしまうのである。

「今夜、その会が開かれる。お主に伝えるべきではないのかもしれんが、黙っておるとわしの気分が悪いのでな」

 風間が腰を上げる。状況を飲み込めていないのか、白瓜の反応は鈍かった。

「からくりが幼子の代わりになればよいと思うていたが……けったくそ悪いものだ」

 吐き捨てるように呟き、風間は白瓜の工房を後にした。白瓜は風間の出ていった扉を呆けた目で見ていた。

  *  *  *

 空は満月であった。天守の竜が月に唸るかの如き姿である。城から離れた林に身を潜める白瓜は、遠眼鏡を使って空水船から城の様子を窺っている。
 城門は固く閉じられ、篝火の脇には門番が立っていた。奥にある詰所には更に数人の男が控えているであろう。白瓜は城の正面を離れ、高い壁に囲われた側面へと空水船を移動させた。
 遠眼鏡を左右に動かすが人の姿はない。白瓜は遠眼鏡から目を離し月を背にした天守を見上げた。狼藉を働くには明る過ぎる夜である。白瓜は胸元に忍ばせたからくりに手をやった。それは片手に収まるほどの竹筒であり、中には生命の粉が詰められていた。
 葛を動かす動力も空水船と同じく生命の粉である。そして葛は生命の粉を振りかけた者を主とみなす。白瓜は竹筒の底に取り付けられた突起物を指で撫でた。ここを押せば生命の粉が勢いよく噴き出す仕掛けとなっている。

「葛よ、私はおまえが愛しいようだ」

 白瓜は天守に向けて呟くと、懐の竹筒から手を離し、生命の粉がはち切れんばかりに詰め込まれた皮袋を取り出した。もはや生きて明日を迎えることはなかろうと、あるだけの全てを詰め込んでいたのである。
 袋の口が大きく開かれ、空水船に生命の粉が流れ落ちる。漆と混じり合い、赤黒い粉が禍々しい紋様を船底に描くと共に、注連縄が次々と空水船から湧き出し、常よりもきつく白瓜の身体を締め上げた。
 林の闇に紛れた空水船は音も無く宙に浮かび、次の瞬間には韋駄天の如き勢いで城に向かい、滑るように空を駆け抜けてゆく。
 城壁を越え、空に舞う空水船を詰所の男たちは頭上に仰ぎ見た。満月に浮かぶ黒い影は、妖怪変化の仕業であろうか。呆気に取られた門番たちがけたたましく呼子笛を鳴らし始めたのは、空水船が城内にその姿を消してからであった。

  *  *  *

 白瓜は葛の居場所を感じることができた。何故かは判らぬまま、得体の知れぬ感覚に従い、空水船は最上階へと向かっていく。白瓜は次第に、葛の見ているものが見え、聞いているものが聞こえる気がした。叫ぶ藩主の姿に、慌ただしく駆け回るお付きの者。藩主がこちらを振り返り何事かを告げようとする。

『葛よ! お主は……』

 しかし、その情景を打ち消すかのように、空水船の前に刀を構えた者達が立ち塞がる。白瓜は目の前の現実に引き戻され、空水船の持ち手を強く握り直した。この先に葛がいる。そう確信する白瓜に、邪魔をする者達を気遣う余裕などなかった。
 白瓜は腹這いとなるほどに上半身を前方に倒し、空水船をさらに加速させた。刀を避けつつ、壁となる者達を薙ぎ倒していく腹積りである。
 だが、男達に突っ込むすんでの所で、白瓜は突如として身体を起こした。驚いたのは白瓜自身である。浮き上がった船首を立て直そうとするが、空水船は横倒しとなり、居並ぶ障子戸を端から薙ぎ倒していく。
 死に物狂いで持ち手を掴む白瓜であったが、躍起になって刀を突き出してくる男達を超えたところで、大きく尻が浮いてしまった。絡み付いた注連縄が、びんと張り、白瓜を空水船に留めようとするが、それらも白瓜の身体から次々とほどけていく。最後の注連縄が宙に舞うと、支えを失くした白瓜は空水船から投げ出され、目の前の襖を突き破った。

「白瓜!」

 葛の声であった。
 白瓜は顔を上げ、怒りに身を震わせる藩主と、その背後にいる葛の姿を認めた。

「貴様、からくり商人の仲間か……。何のつもりか知らぬが、ここで叩き斬ってくれる!」

 藩主は抜いた大刀を上段に構え、白瓜に向けて駆け出した。壮年を越えた感のある藩主であったが、空水船を降りた白瓜など一太刀で葬ることができるであろう。しかし白瓜は藩主など眼中に無く、懐から取り出した竹筒を真っ直ぐ葛へと向けていた。

「葛よ! 今から私がおまえの主だ!」

 叫びと共に、白瓜が竹筒の突起を強く押し込むと、圧縮されていた生命の粉は激しく噴き出し、藩主の間は瞬く間に深く赤い靄で包まれた。

「自由になれ! そして生きよ! それが私のただ一つの命だ!」

 声を限りに叫ぶと、白瓜は力尽きたかのように膝から崩れ落ちた。噴き出す生命の粉の勢いは見る間に衰え、役目を終えた竹筒が手から滑り落ち、畳を転がった。

「ええい! 猪口才な! 猪口才な!!」

 腕を振り乱す藩主は、力無く跪いた白瓜の姿を薄れる靄の中に見出すと、刀を振り上げ、襲いかかろうとした。だが、その足はすぐに止まった。

「……か……かず……ら……? な……何故……?」

 靄が引いていく。

 白瓜の前に立った藩主の腹は、鋭い槍状のもので後ろから貫かれていた。思いも寄らぬといった顔で振り返る藩主の視線の先では、葛が冷たく微笑んでいる。藩主の腹を貫く槍は、葛の腕から伸びたものであった。藩主の眉が寄り、弱々しい表情が浮かぶ。まるで泣きだす前の童のように思えた。

 白瓜の脳裏に記憶が甦る。この場所に辿り着く直前、白瓜の見た、葛の見ていたであろう風景。叫ぶ藩主の姿に、慌ただしく駆け回るお付きの者。藩主がこちらを振り返り何事かを告げようとする。

『葛よ! お主は逃げよ!』

 藩主の広い背中は、葛を騒乱から遠ざける壁の如きに見えた。
 白瓜はもはや、その意味に考えを巡らせることができなくなっていた。

「お前との夜は悪くなかったよ」

 葛は冷たい微笑みを崩さぬまま、藩主を貫く槍を引き抜き、くるりと回った藩主を正面から袈裟懸けに斬り捨てた。藩主は断末魔の声さえ上げること無く、白瓜の膝に頭を掠めるようにして、どう、と仰向けに倒れた。命が消え、目と口が大きく開かれた藩主の顔を、白瓜は無心で見つめていた。

「賭けは私の勝ちのようだな、父上」

 葛は白瓜の背後に向かって凛とした声を張る。その口調には幼さの欠片すらなかった。

「ふん、随分と後押ししてやった気もするが、まあいいだろう。白瓜は自分でお前を助けると決め、見事にやり遂げた。合格だ」

 白瓜はその声の主をよく知っていた。思い通りに動かぬ身体で無理矢理に振り返る。そこに立っていたのは、風間八五郎、その人であった。

「……風間……様」
「おっと、こりゃいかん。動力が切れそうじゃないか。葛よ、さっさと白瓜に本物の粉をかけてやれ。でないと、わしのものにしてしまうぞ」
「冗談ではない。白瓜は私のものだ」

 葛は白瓜の正面に立ち、膝をついたままの白瓜をそっと抱きしめた。葛の胸に押し当てられた白瓜の耳には、葛の心音がはっきりと聞こえていた。

「白瓜、よく来てくれたね。ありがとう」
「葛……心の臓の音が聞こえる……」
「当たり前だろ、人間だもの。私がからくりなのは腕だけさ」

 葛は白瓜の髪を撫で、白瓜の細い目をじっと覗き込んだ。姿形は何も変わっていなかったが、葛はこれまでの葛ではないと白瓜にはわかった。葛は隠し持っていた白い粉を白瓜に振りかける。

「これが本物の『生命の粉』だよ。いろいろ騙していて悪かったね」

 ひとつまみほどの粉が染み込んでいくと、白瓜の身体はみるみるうちに力を取り戻した。白瓜の目に力が戻ったことを確かめると、葛は身体を離し、白瓜の腹に刺さっていた刀を抜き取った。

「こんなのが刺さっていたのに気付かなかったのかい? 丁度いい、触ってごらん。お前が何者なのか分かるから」

 白瓜は言われるがままに傷口に手をやる。傷口の奥では無数の歯車が回転していた。

「白瓜を造ったのは私。お前を造った時の記憶を弄って、お前が私を造ったように思い込ませたのさ。これは私が独り立ちするための試験だったんだよ。白瓜が私を助けに来てくれたら合格。白瓜はちゃんとやってくれた」

 葛は白瓜に微笑みかけた。白瓜は胸に鈍い痛みを覚えた。

「そら、のんびりしている暇も無いだろう。そこらの奴らは片付けておいたが、じき新手も来る。行くなら早く行け。空水船は大丈夫そうだ」
「随分と優しいな、父上」
「心外だな、わしはいつでも優しき父であり、師であったはずだ」

 軽口を叩き、葛と風間が笑い合う。白瓜はこれまでとは似ても似つかぬ葛をじっと見つめていた。

「どうした? 童女の振りをしている方が好みだったか?」

 葛はからかうように言う。白瓜はゆっくりと首を振り、重々しく口を開いた。

「葛よ……ひとつ聞かせてほしい。お前は、藩主に酷い目に会わされておったのか?」

 風間は表情を曇らせ白瓜を、次いで葛を窺う。葛の足元には物言わぬ藩主が横たわったままだ。

「いや、この男は私を心から慈しんでくれた。女をこれほど丁重に扱う男は初めてだった」
「そうか……」

 白瓜は寝転がる藩主に視線を落とし、やがて口を開いた。

「……ならば、よかった」

 静かに呟いた白瓜に、風間が大声を上げた。

「よかった? よかったとはどういうことだ? 白瓜よ、藩主は濡れ衣を着せられ、斬り捨てられたのだぞ。お主はそうしたことに、心が痛むよう造られている筈だ。何故そう思うのだ?」

 風間は白瓜に詰め寄るが、義憤に駆られてのことでは決してない。風間は白瓜の行動原則を見抜けなかったのだ。からくりの動きを決定づける原則とは、即ち、からくりの心である。それはからくり技師にとって、最も興味深い事柄であった。
 白瓜は常の穏やかな表情を浮かべ、風間に答えた。

「葛は酷い目に会うておりませんでした。それだけで私の心は晴れるのです。それに比べれば、他のことなど、すべて些事にございます」
「これはまた! 随分と都合のよいからくりを造ったものだな! 人に近づけるのではなく人形に近づけたか。葛よ、それも手かもしれんが、わしはどうにも気に食わんなぁ」

 風間は、工房前で葛をからかった時と同じ顔をしていた。だが、葛はその時と同じ葛ではない。せせら笑うようにして葛は言い返した。

「父上、さては、惚れられたことがないな。これではまだまだ足りぬと思うておるのに、いやはや、父上の仰る『人』とは何とも底の浅いものだな。そのようなことを言うておるから、母上にも愛想を尽かされたのではないか?」
「黙れ、小賢しい。知ったふうな口を聞きおって」

 風間は臍を曲げて横を向いた。
 時を同じくして、城を揺さぶるほどの足音が階下から迫って来ていた。

「ふむ、新手が来たか。ここまでだな。さっさと行くがいい、この淫売娘が」
「父上も達者でな。まだ耄碌するなよ。私はまだ父上を超えていないからな」

 葛と風間は刹那、心を込めた視線を交わす。それが別れの合図であった。
 葛は白瓜の手を取って駈け出した。藩主の間を出ると、風間の仕業であろう死屍が其処彼処に重なり合っている。それとは逆の方角、天守に向かう廊下の奥に、空水船は鎮座していた。
 空水船に駆け寄った白瓜は、当然のように後ろへ乗ろうとした。空水船の本当の乗り主が誰かを思い出したのである。しかし葛は、白瓜の服の裾を掴み引き止めた。白瓜は空水船に乗せかけていた身体を戻す。葛は白瓜を見上げ、緊張を孕んだ面持ちで尋ねた。

「白瓜よ。私が好きか?」
「好きだ。私は葛が愛しい」

 迷いなく白瓜が答える。しかし葛の表情は晴れない。葛は重ねて尋ねた。

「本当の私など、まだ何も知らぬのにか?」

 しばしの間が空く。やがて白瓜は、たどたどしく言葉を紡ぎ出した。

「……私は、今までの葛を愛しいと思うていた。けれど、何故だろうか。私は今の葛を狂おしいほどに愛しいと思うのだ。何も知らないはずなのに。葛よ、私はおかしいのだろうか?」

 白瓜の答えに、葛はようやく満足気に微笑んだ。

「おかしくなどない。そのままの私を好きになるようにお前を造ったのだからな」

 葛は手を伸ばし、白瓜の胸板に触れ、頬に触れた。

「そして私は……白瓜を私好みに造ったのだよ」

 艶の出た目つきで微笑むと、葛は両腕で白瓜の髪に触れようとする。それに気付いた白瓜が頭を下げると、葛はその頭を引き寄せ唇を重ねた。
 そっと唇を離した葛は、照れた笑みを浮かべて俯いていたが、やがて身を翻して空水船へと乗り込んだ。葛の身体は空水船の大きさにぴたりと合っていた。
 主の帰還を喜ぶかのように空水船は淡い光を放つ。船体から伸びる注連縄は、優しく葛の腕に巻きつき、その境目は溶け合っていった。空水船は葛の一部と化したのである。
 白瓜も空水船の後ろ側へと乗りこむ。舳先側よりも広く、こちらも白瓜のために誂えたかの如き広さであった。

 空水船は音もなく浮かび、天守から騒乱甚だしき城を後にする。
 満天の星の下、空水船は流星さながらに空を駆けた。

 葛は前を向いたまま、微かに幼さを覗かせて囁く。

「白瓜、今夜はお前に女を教えてあげるよ」

 葛と白瓜を乗せた空水船は、満月の浮かぶ夜空へと溶けてゆく。
 天守の竜は静かにその影が消えるのを見守っていた。

(了)

       

表紙

蝉丸 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha