彼女の跡を追って約5分が経過しただろうか。
俺はさっきまでの活気のある通りとは正反対の静けさのある繁華街にたどり着いた。
こんなに走ったのは久しぶりで、運動不足の俺はすっかり息が上がってしまった。
彼女の姿はこの辺りで、完全に見失ってしまった。
半ば諦めていた頃、居酒屋の合間の狭い路地にまるで野良猫のように小さく座りこむ女性を見つけた。
彼女に近づいてシルエットを確認した。息が上がっているようで、背中が大きく上下していた。
…どうやら中年の男に絡まれていたのは、この女性に間違いないようだ。
さて、こういう場合は何と声をかければよいのだろうか、
「あの、大丈夫ですか?」
考えた末に口から出たのはシンプルな言葉だった。
俺の声を聞いて彼女は、背中を大きくびくつかせた。
「だ、だいじょうぶです。」
そしてゆっくりと立ち上がって顔を俺の方へ向けた。
その顔を見て、俺は驚愕した。
「あんた…、3組の中知 愛さん…か?」
そう尋ねると彼女も俺に驚いているようで目を反らしながら小さく頷いた。
中知 愛(なかとも あい)と言えば、同級生の間では、毎晩夜遊びに更けっているという悪い噂が流れていて俺は、女子の間で「淫乱」とあだ名をつけられイジメを受けている光景を目にした事があった。
あくまで噂半分でしか聞いていなかったが、あれはただ襲われていたわけでは無かったのか。
まさか噂は本当だったのか…。
その時、中知の背後から宮崎が現れた。
「…お手柄よ、岡山くん」
そう言って彼女は得意の笑顔を見せた。
「あら?もしかして中知さん?」
何故分かったのだろうか。
見事に的中され中知は再び背中をびくつかせまた悪いイメージを植え付けてしまった。とでも思っているのだろうか、彼女は俯いたまま何も喋れずにいた。
「大丈夫よ、誰にも言ったりしないわ。ねえ?」
宮崎は気を利かせて言った。俺も、ああと答えた。
「ホントに…?」
中知はやっと俯いていた顔を上げ、弱々しい声で言った。彼女の目は真っ赤に充血していた。
「ホントよ、でもこんな時間に何をしていたの?その格好と関係があるのかしら?」
俺は彼女の格好を見直した、何かの制服だろうか、白のシャツを黒のストレートパンツに入れ、シャツの胸元には「中知」と書かれたネームが付いている。
「…そう、アルバイトをしてるの駅前の中華料理屋さんで、ゴミ出しの途中にあの人には絡まれたんだけど」
彼女は震えた声で言った。
「いけないわね。私達の学校はアルバイト禁止の筈よ、それにこんな遅くまで。何か理由でもあるの?」
宮崎の言う通り何か理由でもあるのだろうか、彼女は校則を破るような人間には見えない。やはり何か理由があるように思えた。
言葉に詰まる彼女に、宮崎は私達はあなたの見方よ、などと諭した。
「…ありがとう。実は私、大学に行こうと思ってるの。だって大学に通ってるお兄ちゃんは毎日が楽しそうに生きてるから」
ようやく彼女が話し始めると、宮崎は口を閉じた。
「岡山くんも、転校生の宮崎さんだって分かるでしょ。最初はただの用事で夜中に街を歩いてただけなのに、今の私の生活はまるで地獄なの。みんなから阻害者にされて。だから大学でやり直そうと思ってるんだけど、
お兄ちゃんは国立大学に通ってるんだけどね。それで親は国立大学じゃないと学費は払わないって言ってるんだけど。
私お兄ちゃんみたいに成績良くなくてさ、国立大学には行けそうにないのだからこうやってバイトしてお金を貯めてるの。そしたら私を街で見たって人が増えて学校での状況はさらに悪くなっちゃったけど。」
なるほど、と思った。宮崎もコクコクと頷いていた。
しかし私立大学等の平均的な学費は518万というのを聞いたことがある。
そんな学費なんてバイトの給料では払えそうにないんだが。
「そうだ、中知さん」
宮崎が言った。
「バイトしてたら、あまり勉強できないでしょ、だからバイト辞めて私達と勉強しましょうよ。国立大学に向けて」
え?俺と中知が同時に言った。
「大丈夫よ、学年トップの成績を持つ岡山くんが付いてるから」
「は?」
俺に講師をしろというのか?
「でも、いいの?」
「全然構わないわよ。ねえ?」
そう言って宮崎は俺を見た。その顔はまたあの笑顔を造っていた。
「あ、ああ。もちろん」
またあの笑顔に流されてしまった。
「…ありがとう。岡山くん、宮崎さん」
そう言って中知は涙を流した。
「安心して、きっと大丈夫。そうよね。」
宮崎はそう言って、俺を睨んだ。何か言えということだろうか、
「そうだよ、俺達に任せろって」
自分で言って恥ずかしくなった。
「うん、ありがとう」
すると何故か中知が頬を紅く染めた。
それを見て俺は首を傾げた。
宮崎も同じく首を傾げていた。
・
翌日
学校では、やはり非日常的な出来事は何も起きなかった。
あったとすればジャイアンが俺の紹介した女子にフラれたという事くらいだった。
また俺に紹介しろとせがむのだろう、ウンザリする。
まあ、とにかく今日もあっという間に学校は終わった。
宮崎とは校門を抜ける直前に背後から声を掛けられるというのが
恒例のパターンとなっていたが今日は違って、宮崎は現れなかった。一応辺りを見回してみたが彼女の気配はない。
今日は一人でゆっくりと帰れそうだ。
そんな事を考えつつ校門を抜け右折すると、そこには2人の女子が立っていた。
「一緒に帰りましょう、岡山くん。中知さんも一緒にね」
宮崎は隣に立って頷いている中知の左肩に手をかけながら言った。
「…ああそうだな」
俺は額に手を当てて溜息をついた。
「さあ帰りましょうか」
こうして、また新たに奇妙な関係が生まれたのだった。