Neetel Inside 文芸新都
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きみみしか
第十六話 文章

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 その文章の概要を書く。断っておくが、一字一句違わぬわけではない。何しろ記憶上の事だ。多少の誤りはあって当然だ。それに字は一部読めないところもあった。その部分は推測で書く。が、大筋は本文と同じである事を確信する。

 我が息子照へ

 この文章を読んでいるということはもう私はこの世にはいないという事だ。一体お前はどんな気持ちで読んでいるのだろうか。
 私はお前に死の直前にこの文章が書いてある場所を教えるはずだ。それから一体どのくらいしてからこの文章を読んでいるのだろうか。私はお前にこれはお前にとって重要な意味を持つ文章だと教えるはずだ。見た結果心に重い物を背負う事になるかもしれないと言うはずだ。
 最もこれらの考えは全部無駄になるかもしれない。私が急死すれば、お前にこんなことを言う余裕もない。それに、言う余裕があったとしてもお前は死ぬまでこの文章を見ないかもしれない。
 が、見ることを祈る。そうでないと書いた甲斐がない。
 私は告白の前にこんな形でしかお前に真実を告げられない事を謝る。なにしろ怖かったのだ。私にはとてもお前に直接言う勇気がなかったのだ。

 まず、私と妻の本当の名前を教えなければならない。私たちは源田という名の夫婦という事にお前の記憶上ではなってるね。それに戸籍上もそうだ。しかし、それは嘘っぱちだ。私は本当の名は山崎国吉。お前も知っているだろう。精神病院の医師だ。妻の本当の名は吉田松という。こちらは名前を言ってもピンと来ないだろう。お前が分かるように言うととんでもなく美人な(私が言うのもなんだが)精神病院の患者だ。
 お前は今驚いている事だろう。が、このぐらいで驚いていてもらっては困る。ここからもっと奇想天外な展開が綴られているんだから……。言っておくが、決してこの話は冗談ではない。歴然たる事実なのだ。

 この話をするには精神病院とその治療法について述べなくてはならない。あの病院で行われていた事は人の精神と記憶を支配し、改竄する事だった。簡単に表せる単語があればいいのだが、残念ながら今の日本語にはそんな言葉はない。我々医者はそれをきみみしかと呼んでいた。
 きみみしかという言葉の意味は何か。それは私には分からない。ただある患者がきみみしかと言っていたのだ。男性で華族の出、精神病院があそこに建つ前からの患者だった。初めて診察されたのは十五歳ぐらいの頃だったとか。訳の分からない妄想を信じていた。原因は小説の読み過ぎだとか言われた。彼は大の小説好きだったらしい。両親は小説など下らないと考えたので、読む事を禁じた。が、それが一層彼を小説にのめり込ませたらしい。
 ここら辺で気づいただろうか。お前も会った事がある人物だ。彼が言っていた言葉があまりにも印象的だったので新治療法の名前にした。それに改竄を解く言葉にもした。だが、意味は全然分からない。そもそも意味があるのか……。
 話がずれた。新治療法は効果的だった。その男性には効かなかったがね。意志が強すぎる人間には効かないのだ。
 
 この治療法の倫理性についてはいろいろと非難もされた。非人間的だとも言われた。が、私はこの治療法が良いものだという自信がある。
 そもそも誤った認識を正す事の何が悪いというのか。例えば殺人は正しいという考えを持った人間がいるとする。その人間にこの治療法を使えばそんな事は絶対に思わなくなる。素晴らしいじゃないか。
 また精神患者というのは治った後がまた大変なのだ。治ったら患者は自分が狂人であった事に悩み始める。そして下手をしたらまた病み始めるんだ。このようなひどい事はこの治療法では起こらない。何しろ自分が狂人であったという記憶はもう一切残っていないんだから。どうだい。ブラボーだろう。
 この治療法に全く違う観点から反論する人もいるだろう。例えば精神構造は人間自身が納得するもので他人によって強制される物ではないと言う考えだ。が、この考えを採用すれば精神患者への治療はしてはならない事になる。納得させると言えば体がいいが、その実は信じ込ませるのだ。
 そもそも常人が真実だと思っている事の大半も納得しているのではなく、無条件に信じている事なのだ。例えばお前は私が源田の父だと思っていたはずだ。が、実際は違った。このように信じていた事実が覆される事はよくある。
 だから精神患者というのはある意味、他人の言う事を信じずにただ自分の考えを貫き通している頑固者と呼べるかもしれない。
 が、世間はそんなまどろっこしくて面倒な考えを許さない。そして治療するのだ。このことが良いかどうかは別として、我々の治療法を否定するのなら、全部の治療も否定しなくてはならない。そんなことを認める人はおそらくほとんどいないだろう。
 またまた話がずれた。本筋に、入る前に少し注意しておこう。無条件に信じすぎることは一種危ういことだ。一度信じきっている事を疑うのも良い。まあそんな常識壊しがこれから始まるんだが……。

       

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