その晩から数日後の真昼間だった。白衣の連中が来たのは。ちょうど日曜だったから。わしは田んぼの手伝いをしとった。村のものはみなくると言うことを知らんかった。医者共は何の連絡もなしにきたんだ。
医者共は車でやってきた。車というのにまず皆驚いた。わしはそんなものを知らなかった。それに大人たちも知っているのはごくごく少数だろうね。
医者たちは二人だった。その後の所長と副所長だ。二人とも白衣を着ていてさ、村役場のほうに歩いていった。が、そのあとの事をしったのはその晩のことだった。
晩の父の話はようはこういう事だった。医者たちは熱弁をふるい役人たちを説得しようとした。さらに土地の買収額を上げても良いと言い出した。やがて、みんな丸め込まれてしまったのさ。あとから聞いたがその二人は帝国大学出らしかったからね。無学な山奥の田舎のオヤジどもが丸め込まれて当然だ。
その翌日には父はもう土地を売っぱらっちまった。その日の食事はすごいご馳走だったねえ。白米に味噌汁、それに干し魚がついてきた。父は酔っ払って上機嫌だったな。そういえば酒はキチガイ水ともいうんだぞ。みんな喜んでいたが、母と三歳上の正兄さんは不満そうだった。
工事もすぐに始まった。だんだんと建物が完成してくるにつれ村人たちの心情は変わってきた。やっぱりキチガイは怖いからね。それに実際キチガイがどういうものか分からなかった。特に不満が強かったのは小作人たちだった。あいつらは土地がないからなんにも特じゃないからな。だからあんな事件が起きたのも当然といえば当然だな。
完成直前の、ある日の夜。病院は放火された。何者かによってね。火事はぼや程度でおさまったが結局犯人は見つからんかった。大人たちは
「やれやれ。放火魔はキチガイ病院に入れられるのが怖かったか」
などと冗談を言っていたが本当のところは腹の中で犯人を探り合っていたのだ。当然小作人たちが疑われた。
村一番の地主は小作人たちにたいしてずいぶん酷く取調べした。真昼間から地主は自分の小作人を家の前に集めたのだ。他の一部の村人たちも見物のような気持ちで見に行った。わしもその一人じゃった。
「やい。貴様ら。ふざけるなよ。もしキチガイ病院が建たなかったらどうするんだ。この村の発展はどうなる。わしの儲けは。貧乏人が余計なことをするな」
小作人達は膝をついて謝った。
「すまねえだ。だけんど本当に何も知らんねえんだ」
イラついた地主は小作人をけった。
「役立たずめ。ここに来るキチガイどもはなみな金持ちの家に生まれた。当たり前だ。そうでなければキチガイなんぞ生きていけん。うまれた家で人間の価値なんてだいぶ決まるのよ。貴様らの価値はほぼない。帰れ」
地主はそう言って家に帰った。その時の地主の背中をみる小作人の目と言ったらなんというかまさしくキチガイのように恐ろしかった。今でもはっきりとうかんでくる。
そのうち一人の小作人の娘がわしのほうを見た。その娘は文子といってわしの同学年だった。家も近かった。いつもはおとなしい娘だったがその時のわしを見る目つきと言ったら……。わしはとてつもなく蔑まれるような気がした。わしはここの奥底の自分の意地汚い部分をつかまれて直視させられたような気がした。なので逃げ出すようにその場を離れた。
小作人の不満を和らげるために病院の連中はある方針を打ち出した。なるべく病院に村の人間をやとうというのだ。無論医療行為はできんが、雑用はできる。そんなこともあって不満は和らいでいった。
住民の不安もだんだんと落ち着いてきた。時間がたったからね。
建物はやがて完成した。立派な大病院だった。医者もたくさん来た。
みんな覚悟していたハズなのにキチガイどもが来る段になるとオロオロし始めた。そしてみんなでキチガイが来る様子を見ようとした。街から村への道は村人でいっぱいだった。
キチガイどもはバスでやってきた。キチガイどもは村の入口でバスを降りた。なにせ村の中の道は狭くてバスが通れんからね。
キチガイどもは様々だった。一発でああ、こいつは気が狂っとる。というものもいれば全く分からんようなやつもいた。ただ、みんな立派な服装をしていた。和服のやつも入れば西洋風のスーツのやつもいた。金持ちや貴族の連中だからまあとうぜんだろう。
その時たまたま近くに文子がいた。文子は小さくつぶやいた。
「わたし、キチガイでもいいから、いい家に生まれたかった」
