年末年始は何かと忙しく、実家にも帰った為、
次に草汰が駅前へ歌いに出たのは一月も三週目になってからの事だった。
来れなかった間、由香は自分に会いにやって来ただろうか?
最後に会った時の、あの寂しそうな笑顔が浮かぶ。
休みの間ずっと気がかりだった。
由香の笑顔を曇らせたものは何だろう?
草汰はにそれがわかるような、わからないような気がしていた。
「久しぶり。」
夕方になって、由香はやってきた。
今日はいつも通りの笑顔に見える。
首に巻いたマフラーが、ちょっと子供っぽい感じだった。
「お久しぶりです。」
「先週も来てた?」
「いえ…忙しくて。」
「あたしもよ。」
言いながら由香は草汰の前にしゃがんだ。
「ねえねえ、初詣、行った?」
「え?あ、はい。」
「おみくじひいた?」
「はい。」
「あたしね、生まれて始めて凶ひいちゃったのよ。」
「あ、ああ…」
返事に困り草汰は苦笑した。
ちなみに草汰は末吉だった。
「今年はきっと何かあるわね。」
「大丈夫、ですよ…またひいてみたらどうですか?」
「何回もひいて良いものなの?」
「他の神様に護ってもらいましょう。」
あははと笑って由香は手を叩いた。
そういえば今日の由香は手ぶらである。
「あ、ねえクリスマスは?」
「クリスマスですか?…普通に仕事でした。」
仕事とこたえたが、実際は同僚達と食事に行った。
恋人のいない者同士集まって、寂しさを紛らわそうというわけだ。
結局は酔った黒田が胡散臭い武勇伝を語り出し、微妙な雰囲気で会は終わったのだが――。
「彼女とかはいないの?」
「い、いませんよ。」
「嘘だぁ。」
「…本当ですよ。」
「えー、もったいない。」
どういう意味の『もったいない』なのか気になったが、草汰は追求しない事にした。
「ゆ、由香さんは、どうなんです?」
「あたしは…って、あれ?あたし、名前教えたっけ?」
話題を逸らそうとして、草汰は思わず由香の名を呼んでしまった。
何回も会っていたのでうっかりしてしまったが、そういえばまだ名前を聞いていなかったかも知れない。
「え?いや、聞きましたよ。言ってました。秋、だったかな?聞きましたよ。」
「そうだったっけ?」
「そうですよ。それより、クリスマス、どうしてたんですか?」
慌て過ぎたせいで声がうわずっている。
由香はちょっと腑に落ちない様子だった。
「あたしね、旦那と二人だったの。」
「ああ、それは、良いですね。」
「すっごい久しぶりに、二人っきりのクリスマス。何か変に照れくさかったわ。二人でケーキ食べたりして。」
笑いながら話す由香だったが、その笑い声は少し渇いているような気がした。
「…良かったじゃないですか。」
嫉妬か心配か、返事がそっけなくなっている。
草汰の頭には、楽しくクリスマスの夜を過ごす磐田夫妻の姿が浮かんでいた。
イメージの中の二人は、由香は現在の姿であったが、旦那さんの方は昔のままだったので、年の差が埋まってちょうど良い感じである。
けれどそのイメージは曖昧だ。
草汰には、夫婦が仲良く食卓についている記憶というものが無い。
そしてそんな光景に、どこかで憧れていた。
「娘がね…友達とパーティーやるからって。」
「ああ…それは、楽しそうで…」
「ね、楽しそう。」
突然会話が途切れる。
由香が寂しげにうつむく。
『こんな時こそ自分が』と草汰は思ったが、何も言葉が浮かばない。
「子供は、すぐに大人になっちゃうのね。大人の方が、おいてけぼり。」
顔をあげて由香は笑った。
日差しの具合かもしれないが、草汰には少し泣いているように見えた。
「あの子、小さい頃から手の掛からない子だったの。家事もよく手伝ってくれてね。料理もなかなか上手なのよ。」
「良い、娘さんですね。」
「ふふ、そうでしょ。」
ここでまた会話が途切れた。
「あ、あの。」
草汰は勇気を出して口を開いた。
「僕…歌いますね。」
そうしていつもの曲を歌う。
由香はそれを笑顔で見ている。
曲が終わると、由香は何も言わずに草汰の隣に腰掛けた。
「ありがと。」
「いえ…」
草汰はうつむき、手持ちぶさたにギターを撫でた。
「…最近ね、何か…あたしなんていらないんじゃないかなーって。」
「…えっ?」
由香が突然の言葉に、草汰は驚いて顔をあげる。
「あっ、ううん、深い意味は無いのよ?…って、その方が問題かな?」
ははと笑って由香は頭を掻いた。
「娘も、もう子供じゃないし、旦那はもとから手の掛からない人だし。あたしがいなくても大丈夫なんじゃないかなーって、ね。」
由香はまたははと笑った。
その声が草汰の胸を締め付ける。
何も言えないでいる事が、本当に悔しかった。
「別に生活に不満があるわけじゃないのよ?家族の仲だって良いいし、ケンカも無いわ。でも、ね。」
「わかり、ますよ。」
「ホントにぃ?」
意地悪そうな目で由香は草汰の顔を覗き込んだ。
思わず草汰は目をそらす。
「わかるんです、何となく。」
「そ。」
小さくこたえ、由香は小さくのびをした。
「家出でもしてみようかな。」
「家出?」
「やだ、冗談よ。もし家出したら、みんな困るかなって思っただけ。」
由香は笑って手を振る。
しかし草汰は真顔だった。
「…困らせ、たいですか?」
「そんな、違うわ。ちょっと言ってみただけよ。つまらない、馬鹿らしい冗談。」
由香は少し怒ったように言った。
しかし草汰は続ける。
自分でもわからないが、ひどく苛立っていた。
「してみましょうよ、家出。半日だけでも。」
「無理よ。無理。意味が無いわ。」
「意味が無いなんて事は無いです。」
「そうかしら?みんな怒るわ。」
「…た、たまには良いじゃないですか。」
「良いなんて事、無いわよ。」
言って由香が立ち上がる。
草汰はその手をつかみ、自分も立ち上がった。
「何?」
自然上目遣いになった由香の瞳は、まるで草汰を拒絶するような色だった。
「明日、朝5時、僕ここにいますから。」
「だから?」
「…待ってます。」
草汰が由香の手を離す。
由香は何も言わず、歩き始めた。
「僕、ここにいますから!」
背中に声をうけて、由香はゆっくり振り向いた。
「またね。」
小さく手を振ったその顔は、何だが複雑そうな――笑顔だった。
家に帰ってから、草汰はずっと時計を見つめていた。
そうしてさっきの自分を何度も思い返す。
(僕は…馬鹿だ)
由香を励まそうとしてから回ってしまった。
まるで駄々をこねる子供のようだったと思う。
(きっと、嫌われた)
ごろんと床に敷いた布団に寝転がる。
(嫌われたーっ!)
枕を抱いてぼすぼすと殴る。
夜明けは、まだまだ遠かった。
家に帰ってから、由香はずっと時計を見つめていた。
食事の用意は自分がしたが、片付けは綾子がやってくれた。
それを眺めながらお茶をすする由香の隣で、旦那は洗濯物を畳んでいる。
洗濯物を畳むのは、昔から彼の仕事だ。
他にもゴミ出しや風呂掃除は、誰が決めたわけではないが、彼の分担である。
(明日…5時)
さっきの草汰の言葉を思い出す。
(家出なんて…)
馬鹿らしいと思いながらも、何度も考えてしまう自分がいた。
(…こんなに、幸せなのに…意味がないわ)
気がつくとまた時計を見ている。
(こんなに…幸せなのに…)
夜明けは、まだまだ遠かった。