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表紙

はまたん(電子書籍版)
ポーカーハート

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 (ガチガチだな)
 目の前の冴えない男の挙動を見て、広橋は鼻で笑った。
 脂汗は噴き出て、手は僅かに震え、瞳の動きは定まらない。
 『観察』をしないでもわかる。悪手だ。
 既に彼の癖はお見通しだった。焦る度に腕時計を見ているのだ。馬鹿でもわかる。
 これがギャンブル漫画か何かだったら、実は癖まで全て自分を騙すためのブラフで、実は最後の大勝負に逆転するための布石だった……。
 (……そうだったら褒めてやるよ。千両役者だ)
 などと、言うことは。勿論有り得なかった。
 「ショウダウン」
 手を開ける前から、結果は見えている。劇的な逆転劇は、起こりえない。
 「…………Kの、ツーペアです」
 広橋の顔が、本格的に歪む。それは勿論、ポジティブな意味……勝利を確認しての笑顔だった。
 「ツーペアに賭けちゃうかねー。ほい、フラッシュっと」
 ぱさりと場に落ちるカードは、確かにダイヤ一色だった。
 冴えない男の青かった顔が、みるみる白くなって震える。
 ゲームセット。冴えない男がかき集めた四十万円は、見事に鼻ピアスをした大学生のポケットに消えた。
 (ま、残金三万の崖っぷちで少しでもまともな手が来たらああもなるか。それにしても……なんちゅう雑魚だ、このオッサン)
 あ、あがががが……と崩れ落ちる冴えない男……村田に、オーナーが哀れみを込めながらウィスキーを差し出す。
 「飲むかい? ただにしといてやるぜ」
 「……まだ……まだです……」
 もはや死人に近いそのざまで、尚も村田は諦めない。
 左手薬指の指環をぐりぐりと捻じり、どうにかそれを抜き取った。
 「奮発して買った、プラチナ製です……質屋に持っていけば、十万……い、いえ、七万くらいにはなるかと……」
 「ふーん」
 本物かどうかはわからないが、確かにそこそこ金にはなりそうだ。そんな印象を持った広橋は、継続を快諾した。
 「十万ってことでいいよ」
 (別に二束三文でも構わない……折角だから貰えるもんは貰っておこうか)
 村田に逆転はあり得ない。この場にいる全員が、そう思っていた。
 当の村田とて、本心ではそんな事わかりきっていた。だが、それを認めようとはしない。
 彼には、絶対に負けられない理由が一つ、存在していた。
 「おいおいおいおいおい、もうやめとけっておっさん。今日はもう無理だよ。な? 今度勝てばいいじゃん」
 三人居たスタッフの内、一番若い茶髪の男がそれを制止した。
 本来はやりたいならやらせておけといったスタンスで営業しているが、死人や、それに近い状態で出られるのは勘弁だ。
 オーナーも年配のスタッフも、茶髪の説得を止めはしない。
 元々趣味で始めたマンションカジノだ。常連には多少の金こそ貸すが、ケツの毛まで毟り取るほどの事はしない。
 多少のスリルを持った娯楽になればいいと言うくらいの感覚で、違法性こそあるが摘発以外の危険性はほぼ無いのが裏カジノ『シルヴェスタ』である。
 「今勝たないと……娘の治療費が、払えないんです……」
 こぽこぽと口の端から泡を、目の端から涙を吹き出しつつも、村田は喋り続ける。
 「稼ぎの少ない私に……私を……妻も娘も、文句一つ言わずに、支えてくれました……。
 身体が弱い娘に、満足に治療させてやることもできずに、我慢させて……。
 大きい病院に入れるため、細々と貯金を続け……あと一息と言う所で、病状は悪化……すぐにでも入院させて手術を受けさせないといけない、そう言われたのです……。
 ですが、あと百万……親戚も知り合いも闇金融にだって頭を下げて、どうしても足りなかった……。
 今……今勝たなければ、私は親としての役目も果たせないただの愚図だ……。
 いや、私は愚図でも凡愚でもなんでもいい……いいんです……娘が助かるなら、私は……」
 (アホか)
 思わず口に出しそうになるのを、広橋はどうにか堪えた。
 低所得者がまともな人生設計もせずに子供など作るからそうなるのだ。
 おまけに、足りない治療費をギャンブルで稼ぐ? 自分で言うまでもなく愚の骨頂である。
 負けたら娘どころか自分と妻の生活すら危うくなるだろう。
 ギャンブル以前に、人として雑魚だ。凡人未満だ。
 ……と、一瞬でそんなツッコミが浮かぶほどに広橋は呆れ返った。
 (そもそも、そんな話信じられるか。今適当にでっち上げて安い同情を誘った……
 ……と思ったが、どうやら嘘は言ってないようだな)
 しかし。
 「うう……そんな事情があったなんて……」
 「こいつは何とも……泣かせてくれるじゃねぇかよ……」
 「何負けてるんだよおっさん! 今勝たなくていつ勝つんだよ!!」
 スタッフ一同は涙ぐみながら話に聞き入っていた。
 「アホか!!」
 広橋は思わず口に出してしまった。堪えられなかったから仕方がない。
 「なんでそんな話に同情できるんだアンタらは! ギャンブラーだろう!? 疑うのが仕事だろ……簡単に信じるなよ!!」
 涙を袖で拭って答えたのは男泣きするオーナーだった。
 「ギャンブラーだからだよ、兄ちゃん。俺達は単純で馬鹿なんだ。信じたいものを信じるだけ、騙されたら笑えばいいのさ」
 「……理解できね」
 馬鹿共が、と心中で毒づく。
 (お前等はギャンブラーでも何でもない。ただの社会不適合な敗北主義者だ。
 ……まあ、俺は金さえ稼げれば相手は誰でもいい。むしろ馬鹿の方が好都合だ)
 「で、娘が病気なのはいいんだけど、やるの? やらないの? はっきりしてよ」
 まるで自宅のように、遊技台に足を乗せる広橋。
 それを咎めることもせず、スタッフらは村田の様子を見守る。
 「やります……! 妻も娘も……私の帰りを、待ってるんだ……!」
 ぷるぷると震えながらも闘志を燃やす、冴えない中年男性。
 「…………アンタじゃ無理だ」
 「でしょうな」
 オーナーと年配スタッフの意見が一致した。
 「でも……!」
 若手のスタッフは、歯痒さに悶えた。
 ここで止めろと言うのは、あまりにも残酷だ。
 しかし続けろと言うのは、それをも上回る残酷だった。
 勝負は見えている。村田と広橋の差は歴然だ。万に一つも、彼に勝機は無い。
 だが。
 「……兄ちゃん。時間に余裕はあるかい?」
 オーナーが話を切り出した。
 「あるけど……どうすんの?」
 「二人にいい話がある。兄ちゃんは更なる大金を手に入れられるかもしれないし――

 ――村田さんは、ここから奇跡の大逆転を迎える可能性が生まれる」
 言いながら、オーナーは携帯電話をポケットから取り出した。
 スタッフ二人に、緊張が走る。
 「オーナー……」
 「呼ぶんですか、彼を……?」
 (……代打ちか?)
 広橋は思案する。
 (お抱えのギャンブラーか、腕利きのスタッフか……いずれにせよ、完全に向こうのホームだ。
 イカサマが上手な奴をスタッフがフォローする可能性もあり得るな。
 まあ、イカサマだろうがハッタリだろうが俺には通用しないが……グルになって知らぬ存ぜぬで通されれば面倒だ)
 「誰か呼ぶのは別にいいよ、審判が公平だって証明できるのならね」
 それを聞いたオーナーは、通話をしていない携帯電話に向かって大声で話し始めた。
 「ったく、イカサマだって事も気付かずによくもまあ頑張るよ! こっちは稼がせてもらってるから構わんけどな!! はっはっは!! ……と」
 よく聞こえるようにそう言った後、ボタンを押して広橋に携帯を手渡した。
 「録音完了だ。文句があるならこれを警察にでも持っていけばいい。こっちは詐欺罪であんたはノーリスクだ」
 「……暴力に訴えない証明は?」
 「俺達がやくざもんに見えるかい? まあ、どっちだろうと客に暴力振るったと知られりゃ商売上がったりよ」
 「ま……それもそうだね。いいさ、誰でも呼べばいい」
 (嘘は言ってないか……なら、いい。誰が来ようと、俺に勝てるはずがないんだからな)
 にぃと笑う広橋。彼は既に思考を、勝ち金の使い道に費やしていた。
 村田も、最初は知らない人に娘の命を預けられないと渋ったが。
 「必ず勝てるとは言わないが、アンタよりは絶対にマシだ。娘を助けたいんなら、少しでも可能性の高い方にかけるべきなんじゃあないのか?」
 その言葉がダメ押しとなり、結局提案を了承した。
 携帯を広橋に預けたオーナーは若手スタッフに命じ、家でだらけているであろう男を召喚する。
 彼を。
 穂村 心を。


 


 ポーカー・ハート






 「ちゃーっす」
 ボリボリと頭を掻きながら入ってきたのは、痩せ気味なロン毛の青年。
 彼は目やにを薬指で取る。明らかに寝起きだった。
 「おう、ご苦労。実はこの人がな、娘の治療費を稼ぐために…………」
 「マジで? 大変だ、そりゃ俺勝たないといけないじゃん…………」
 (……こいつが?)
 オーナーが説明してる間に、広橋は穂村の『観察』を開始する。
 前髪が伸びっぱなしでリアクションする度に見え隠れする顔は、手入れしていない無精髭も相まって、凡庸なプータローと言った風体である。
 おまけに、服装は上下灰色のスウェット。カジノと同じマンションに住んでいたので、サンダルを履いて鍵を閉めただけでここにやってきたのだ。
 「とても凄腕のギャンブラーには見えないけどなぁ」
 聞こえるように感想を呟く広橋。
 それに対しオーナーは、チッチッチと指を振る古臭いリアクションを返した。
 「甘いぜ兄ちゃん。兄ちゃんもギャンブラーなら、クリス=ジェルマンの名前くらい知ってるだろ?」
 「クリス=ジェルマン? あの伝説だの最強だのいろいろ言われまくってたアイツか……」
 耳にしたことくらいはあった。
 クリス=ジェルマン。年齢不明性別不明国籍不明本名不明と謎だらけのギャンブラー。
 その武勇伝は数知れず。でかいギャンブルにふらっと現れて場を征服し、全てをかっさらってどこかへ消える。
 見た目は十代半ばの少年とも少女ともつかない子供だが独特の色気を持っており、その姿は見るものを魅了すると言う。
 三十年以上前から目撃情報があるものの、彼の見た目は当時から全く変化していないらしい。
 その逸話と名前から、彼(彼女)はサン=ジェルマン伯爵の末裔であるとまで噂されていた。
 ついた仇名は『魔人』。
 魔人・クリス=ジェルマン。
 (うさんくさい話ではあるが……噂の半分が嘘だったとしても、十二分に最強を名乗れるレベルではある。
 が、正直な所……俺なら勝てるんじゃあないかね)
 「で? その魔人がどうかしたの?」
 「心はクリスとギャンブルをしたことがある」
 「は!? マジで? え、勝ったの!?」
 「いや、負けた」
 「負けたのかよ!!」
 「それも……えっとなんだっけ、いくら負けたんだっけお前。四億?」
 知っている癖にニヤニヤと尋ねるオーナー。彼はこの件について深ーい恨みがあった。
 「……その話やめてくんないオーナー? トラウマが蘇るんだけど」
 「超ボロ負けじゃねぇかよ!! なんでお前生きてるんだよ!!!」
 「それはまあ、色々と事情がありましてね……複雑な……凄惨な……」
 (ああ……)
 よよよと顔を隠して震えるその姿を『視』るに、どうやら真実である。そして命に関わらない程度に大事なものを失ったようだ。
 股間をキュッと締めているのを見れば、なんとなく検討はついた。
 「そりゃ、災難だったな」
 四億の負けに比べりゃそんなもん犬に噛まれたようなもんだろ、と適当に流し、広橋はオレンジジュースを頼む。
 「そんな自慢にもなりゃしねぇ武勇伝はどうでもいいからさ、とっととやろうぜ」
 「ああ……よろしく」
 心は何も頼まなかった。
 腹が減っているわけでもなく、満腹なわけでもなく、
 喉が乾いているわけでもなく、小便が近いわけでもなく、
 睡眠が足りていないわけでもなく、ギンギンに冴えているわけでもなく、
 緊張しているわけでもなく、リラックスしきっているわけでもなく、
 熱くもなく寒くもなく、かと言って適温と言うわけでもなく、
 体調が悪いわけでも特別に絶好調でもなかった。
 ノーマル。フラット。アベレージ。
 平常。それが心の、ギャンブラーとしてのやりやすい型だった。
 「先に言っておくが、金の貸し借りは当人同士が納得していないと成立しない。これは絶対のルールだ。破ったら今度こそ殺す。分かったな心」
 「はい」
 当たり前の事を言うオーナーに首を傾げつつ、広橋も頷く。
 「ディーラーは私、芥川が努めます。公平を期しますが、何か不満があればすぐにでもおっしゃって下さい」
 年配のスタッフが、新品のトランプを開封して言った。
 「それでは、開始致します」



 シルヴェスタのポーカールールは実にシンプルなものである。
 チェンジは一回、レイズも一回。
 最低ベットと最高ベットは客同士で決める。
 「最低ベットは一万。最高は……決める必要、ある?」
 広橋が提案したのは、青天井だった。
 過去に四億も負けた大馬鹿に、上限など必要あるまい。
 「いや、いいよそれで」
 案の定乗って来た間抜け極まりないカモに、広橋は嬉しさを隠そうともしなかった。
 (本日はいくら持ってきてくれるんだ? アホギャンブラーくん)
 だが、広橋はここで自分にしか気付けない異常に気付くべきだった。
 いや、気づいてはいた。が、それほど気にもとめなかった。
 ギャンブルを始めれば、すぐにボロを出すだろう。そう高を括っていたから。


 (ワンペアか)
 配られたカードを見てすぐ、広橋は二枚チェンジする。
 なんてこともない定石だ。彼にとって、自分の手札はそれほど重要ではない。
 序盤のゲームの勝敗に至っては、全く重要さを感じ得ない。適当に流していればいいのだ。
 (さて……)
 『観察』。
 ポーカーにおいて、いや全ての対人ギャンブルにおいて、相手の挙動を見る事は勝敗をダイレクトに左右する。
 敵の心理さえ掴めれば、最悪全部の手が負けていても勝負に勝てる。
 次に資金力だ。圧倒的に勝っていれば勿論有利だし、駆け引きをする以上数回の勝負で押し切られない程度は最低限だろう。
 運なんてのは、あくまで拮抗した時の最後の錘だ。
 広橋はそう考えていた。
 そして広橋は、心理戦において絶対に負けない自信と根拠を持っている。
 (『視』させてもらうか)
 カードを透視することは、彼にはできない。
 その代わりに、広橋は相手の心理を読み取る。
 呼吸、視線、瞬き、手の動き、口元の緩み、汗の量、果ては動脈の動きまで――
 ありとあらゆる精神状態を、身体状況から。
 広橋はその目で見抜く。
 (信じる奴はいなかった。全員、嘘だろうと心で思っていた。
 嘘だと思うんなら、そう思えばいい。そっちの方が、都合がいいしな)
 それはもはや超能力とすら呼べる、広橋の『超』観察力。
 集中に集中を重ねれば、相手の心臓の動きまで耳に聞こえてくる。冷や汗の臭いすら、ピアスで敏感になった鼻が感じ取る。
 それはもしかしたら広橋の妄想なのかもしれないが、少なくとも彼はギャンブルで負けた事はない。
 故に、広橋には嘘もハッタリもイカサマも通用しない。
 広橋は無敗にして、無敵だった。
 
 (……これと言って、動きのない奴だな。様子見だ)
 一枚アタリが来て手元のカードは9のスリーカード。これまで村田から徴収した金からすれば屁みたいな額を上乗せし、手札を卓に伏せる。
 「コール」
 呟いてさっと同額のチップを賭ける心。
 ショウダウン。心の手札は――
 「ツーペア」
 「スリーカード。俺の勝ちだ」
 卓のチップを回収しながらも、広橋は心の様子をずっと伺っていた。
 特に動揺した感触はなかった。まあ、これからだ。
 そう、思っていた。
 
 「おりるわ」
 (ふむ) 
 「ストレート」
 (おい)
 「ツーペア」
 (おいおい)
 「おりる」
 (待てよこら)
 「フォーカード」
 (ふざっ……)

 何度やっても同じだった。
 心理戦において最強を自負する広橋の頬を、汗が伝ってゆく。
 (なんでだ……なんで、何も癖を見せない……!?)
 全く動かない、なんて事は当然有り得なかった。
 欠伸もするし、背中だって堂々とかく。
 だが。それらの動きが手札に反映されることは、全くと言って無かった。
 『無くて七癖、有って四十八癖』と言うように、人には癖というものがある。
 そしてそれは、大部分が精神状態によって生まれるものであるのだ。
 チャンスだから、あるいはピンチだから、鼻を動かす。耳が震える。目を細める。息を飲み込む。髪を弄くる。目線がチラチラ動く。瞬きが多くなる。眉を顰める。頬を掻く。
 良いか悪いかは別として、それらは思考に同期して自然に、無意識に動くものである。
 が、この男は違った。
 そういや最近耳掃除してないな、と考えて、耳に小指を突っ込み。
 肩こってるんだよね、とほぐして回ったり。
 頭洗ってねーや、とボリボリ掻きむしったり。
 堂々と行うそれは、二度繰り返されることは無かったし、アクションを起こしたからと言って良手になるわけでも悪手になるわけでも無かった。
 (こいつの動きは、精神からきているものではない……この挙動は、勝負とは関係なく行っている……!)
 そう。
 仮に心がここに来てギャンブルをせずに酒を呑んで駄弁ってたとしても、彼は同じ行動をとっていた事だろう。
 (こいつには、感情が無いのか? 馬鹿な、そんな事あり得ない……ならば、この間抜けは……まさか、何も考えてないのか……!?)
 その思考を、自分でいやいやと否定する広橋。
 何も考えずにポーカーはできない。目の前の敵は、最低限手の良し悪しを練っているのだ。
 (上等じゃねぇか、じゃあ、無理矢理にでも癖を出させてやんよ――!!)
 「そろそろ本格的に勝負と行こうか」
 「本格的、とな」
 「ああ。最低ラインが十でいこうぜ」
 広橋は場にチップを十枚。そして自分のプライドも、一緒に賭けた。
 ギャンブラーのではなく、自分の『超能力』への絶対的な自信。
 (男の裸に興味はねぇが――こいつは、丸裸にしてやる。金を奪って、猫背になってみっともなく汗をかきながら手はガクガクと震えて泣きそうな面をしてクラスの目立たねー女子よりもか細い声で負けを宣言するまで、徹底的に暴いてやる……!!!)
 二重の意味で、広橋は心への勝利を決意する。
 長い夜が、始まった。





 
 ◯


 (つまらないなぁ)
 魔人は心と戦いながら、そう感じていた。

 誰も彼もが勝負から逃げるので変装して客船のギャンブルルームに乗り込んだものの、久しぶりすぎてつい全員丸裸にしてしまい敗北者の一人に正体がバレてしまう。
 そうしたら、後は同じだ。誰も相手になってくれない。確実に負けると決まっている相手に勝負を挑む馬鹿はいなかった。
 クリスは何でも得意だったが、唯一手加減だけは苦手だった。
 勝負とは、全力を出すから面白いのだ。お互いが後先考えずに勝負するから、ギャンブルはやめられないのだ。
 片方が手加減したギャンブルなど、ままごと遊びみたいなものだ。
 「負けるかもしれない、でも絶対に負けたくない」がクリスである。
 そんな絶対強者であるクリスには、ギャンブル仲間というものがいなかった。
 別に毎回命を賭けて来たわけでもない。それにも関わらず、リベンジを挑むものは皆無だった。
 ありとあらゆる強者を破ってきたクリスは、強すぎて孤独になってしまったのだ。
 お付きには常にボディガードのケビンがいたが、彼はギャンブラーではない。
 (周りは僕がイジメているみたいに見えるだろうけど……僕は、イジメられている気分だ)
 心底落胆したように、クリスは席を立った。
 だが、そこで――彼が現れた。
 「あいつだあいつ、クリス=ジェルマンだとよ」
 「ほへーマジっすか。折角だし記念に対戦してこよっかな。席空いてます?」
 噂を聞きつけてひょっこり現れた日本人。
 独身であるシルヴェスタのオーナーが懸賞で当たった旅行に勝手に付いてきた男。
 穂村 心と、クリス=ジェルマンが出会ったのは、ほんの僅かな偶然だった。
 


 「いやーまさか、クリスさんって日本語喋れるとは思わなかったよ。何人なの?」
 「……」
 「すごいよね、何その銀髪? 地毛? 俺最初見た時ローゼンメイデンか何かだと思ったし」
 「……」
 「ってかそもそもさ、あ、ってかこれ聞いていいのかどうかわからないんだけど、クリスさんって男? 女?」
 「……」
 「結構いい歳のはずなのに外見が子供だから魔女みたいだけど性別がわからないから魔人って凄いよね色々。中学生の妄想レベルだよね。で、実際のとこ何歳なん?」
 「……」
 「あの……クリスさん?」
 「……勝負の途中なのに、随分どうでもいい事を考えるんだね」
 「す、すんません」
 やべーやべー怒らせちった、と心は黙りこんでしまった。
 既に負けは十万円に達している。勿論、心の負け分だ。
 クリスは怒っているというよりも、退屈していた。
 クリスにもなると、相手の精神状態から癖を読み取るなんて初歩の初歩だ。嘘を見抜くなんて、半分寝ていてもできる。
 そんなクリスでさえ心の思考は読めなかった。
 心は、これといってギャンブルが強いわけでは無かった。運も特別良いわけでなく、イカサマもハッタリもしてこない。
 ただ、ギャンブルに集中していないかのように、その思考は読み取れなかった。
 していないかのように、と言うか――
 (全く、集中していない)
 のだ。
 有名人に出会ってギャンブルをしていると言うので頭が一杯になっていて、ギャンブルは片手間でこなしている。
 金を日本円にして六桁奪われて尚、心はクリスに興味深々だった。
 (つまらないなぁ)
 魔人は心と戦いながら、そう感じていた。
 所詮、目の前の男もそこらの自称ギャンブラーと大差無い。
 絶対に勝てないから、思い出作りに勝負しているだけ。勝つ気など、さらさらないのだ。
 そんな相手と戦っていても、何の意味もない。
 さっさと無一文にして、終わらそう。
 そう思った所だった。
 「おい心、そろそろやめた方がいいんじゃないのか?」
 「それなんですけど……オーナー、ごめん」
 「え、何だよ何で謝るんだよ」
 「クリスさん、ああもう面倒だからクリスでいいでしょ。年下に見えないし」
 「何?」
 「一億ほど貸してくれない?」






 「は?」




 クリスは耳を疑った。
 ギャンブルが終わった後に金を持って行くなとゴネた奴はいても、ギャンブルの途中で対戦相手に金を借りようとする馬鹿は未だかつて出会ったことは無かった。
 「言ってる意味がわからないんだけど」
 その言葉に対し心はスマホを操作し、ある画像を引っ張りだした。
 それはピカピカの新車を満面の笑みで頬ずりしながら撫で回す、オーナーの写真だった。
 「このおっさんが買ったばっかのカウンタック持ってる。これを担保に一億貸してちょ」
 「ウオアアアアアアアアアアアア!!!!」
 オーナーが絶叫し、心に飛びかかる。それをひらりと躱し、クリスの背に回った。
 「やめろ!!! 心!!!!! 殺すぞ!!!!」
 世界各地の阿修羅像を見ても類がないような壮絶な表情をしながら叫ぶオーナー。
 スタッフがわらわらとやってきて、暴れる彼を抑えた。
 「大丈夫だオーナー! 俺は勝つ!」
 「は?」
 クリスは再び耳を疑った。
 誰が? 誰に勝つって?
 「やめろォォォォォォォ!!!!!!」
 断末魔にも近い悲鳴を上げて抗議するオーナーをよそに、よいせっと心が席につく。
 「ほら早く、合意しちゃえばあのおっさんも何もできないから」
 「僕に勝つって、本気で言ってるの?」
 「うん」
 その「うん」は、友達に『そう言えばお前駅前のラーメン屋行った?』って聞かれた時と全く同じトーンだった。
 美味かったよ、の代わりに、心はさも当然のように言う。
 「勝つよ」
 と。
 クリスは、例え子供が相手でも、蟻が相手でも、ミジンコが相手でも、ミトコンドリアが相手でも。
 自分に勝てると宣言する相手は、徹底的に叩き潰したくて仕方がなかった。

 クリスが嗤った。
 心が微笑った。
 オーナーは泣いた。









 ◯





 (『視』えない……何も、映らない……!!)
 賭け金を一桁上げても、心の精神はなお揺らぐことは無かった。
 トータルでは、勝っているのは広橋だ。このまま続いていたら、近い内には広橋が総取りしているだろう。
 だが、傍から見て明らかに動揺しているのも、広橋の方だった。
 癖が出ている。鼻ピアスの感触を確かめるように、人差し指で弄り回して、鼻の感覚を鋭敏にする癖が。
 もしも心が煙草を吸い始めていたら、烈火の如く怒っていただろう。それほどに、彼の神経はささくれだっていた。
 「五十万だ」
 ギャラリーの緊張が、見なくても伝わってきた。
 勝負に出る。
 それは心の残り金額と村田の十万を足してギリギリの金額。
 負ければ終了。こいつが来た意味は、何もない。
 勝負を下りれば、後は金でゴリ押しして終わりだ。
 手札はフラッシュ。喉元に刃を当てて、それでも平静を保っていられるか。
 (俺に『視』せろ……! その殻で大事に大事に守っている、てめぇの、中に潜む焦燥を……ッ!)
 強い思念。岩をもぶち抜きそうなほどの集中した精神感応(テレパシー)は、心を焼き穿たんと音速を遥かに超えて貫く。 
 そこで、ようやく心の『中身』が動いた。
 (!!)
 広橋には感じ取れる。
 心の鼓動が、どんどん早く、そして大きくなっている事を。
 汗の匂いがする。呼吸が荒くなる。それはほんの僅かな反応だった。だが、広橋の五感には十分すぎる動きだ。
 巣から獲物が顔を出す。それを刈り取る、捕食者の表情へと、広橋が変わる。
 (できんじゃねぇか、ポーカーハートくん……! もっと……もっとだ……!! 俺の前で醜態を晒せッ!!)
 もう少し。
 あとひと押しで、獲物は完全に巣から出る。
 「どうする? ここで勝負に出なければ、もうお前に勝ちの目は無いぜ?」
 (さあ……もっと!)
 心の鼓動が、更に速くなる。
 坂道を転げ落ちる大岩のように、それはもう止まらないし止めることはできない。
 (そう! そうだ! 震えろ! 竦め! 怯えろ! 恐怖しろ! もっと! もっとだッ!!)
 荒くなる呼吸を整えるかのように、心はギャラリーにも聞こえるほど大きく深呼吸をする。
 (それで!? 落ち着けるってかァ!? 心機一転、冷静になりますってかッ!? 馬鹿が! もう無理だよ!! てめェはもう止まれねぇッ!!!)
 そう。心はもう止まらない。
 だが、広橋が勘違いしていることが二つあった。
 一つは、心が冷静になるつもりなどさらさらないこと。
 もう一つは、広橋が思ってるより、とても、遥かに、とんでもなく――





 ――心は、大馬鹿であると言う事。



 (…………おい)
 広橋が、異常にやっと気付く。
 あまりにも、あまりにも心の鼓動が大きすぎる。
 『観察』などしないでも、一目でわかるくらいの興奮。
 汗の量も臭いも凄い。まるで全力で1000Mを駆け抜けている最中のそれだ。
 先程深呼吸をして整えたとばかり思っていた肺は荒れに荒れて過呼吸じみた運動で酸素を燃やしていた。
 目は血走っている。先程の覇気の欠片も見えなかった心と同一人物とは思えない、ギラギラした猛獣の眼光を成している。
 長い髪をかき分け、オールバックにして後ろで縛る。
 心が笑った。




 ◯



 
 「へぇ」
 まるで別人だった。
 クリスの前にいた男は、一瞬にして周囲の体感温度を10度近く上げさせ、びりびりとした圧力を全方位に放った。
 「やろうぜ、やろう!! 一億の勝負だ、クリス!!!」
 心底楽しそうに、男は言う。ブレーキを邪魔だからとへし折ってぶち壊した狂人の顔で。
 それに怖じけるクリスではない。
 が。
 「いいね……いいよ……僕、君みたいなのを叩き潰したくて仕方なかったんだよ!!」」
 久しぶりの、あまりにも久しぶりの勝負だった。
 手は震えなかったが、心臓が狂喜に震えた。突発的な欲情にも似たそれが、目の前の生意気な相手を食いたいと叫んでいる。
 相手の手などわからない。探ろうとも思わない。ただ今は、勝負がしたかった。
 小手先の勝敗ではない。この魔人に勝てると本気で思っている大馬鹿を、真正面からぶちのめしたい。
 ショウダウン。
 プレイルーム内を、この船が氷山に激突したような轟音が支配した。
 二人が手を叩きつけた音だった。




 ◯


 
 防音対策はしっかりしている。
 振動で苦情が来るかは、五分と言った所だった。
 「ストレートォ!!! フラァァァァッシュ!!!!」 
 広橋のフラッシュを、心はその手で粉砕した。
 (わっ……ざめいか、と思った……! なんだ!? 何が起きた!?)
 猛獣が吠える声。部屋に響く爆音。
 混乱するのも無理はなかった。
 心の『観察』で集中していたところに、これだ。神経に直接打撃を食らった気分だった。
 ようやく落ち着いた広橋が目にしたのは、綺麗に並ぶハートの34567。
 50万の、敗北を意味していた。
 「負けた!? 俺が……!」
 思わず声に出ていた。
 予想だにしていなかった、カウンターの一閃。広橋の動揺など、誰が見ても明らかだった。
 (まだだ……まだ有利なのは俺の方だ……! おち、落ち着いて『観察』を……!)
 そこで気付き、広橋は絶望した。
 (何を……!? こいつの何を『視』ればいい……!?)
 癖なんてもんではなかった。
 心は今まさに爆発している。止むこと無く、爆ぜ続けている。
 駆け引きなど通用するはずがない。
 なにせ、心は引くことなどほんの僅かも考えていないのだから。
 そう――心はもう止まらない。


 
 ◯




 心は特別運が良い方ではなかった。
 ただ、暴走モードに入る条件を満たしていた。
 勝負どころで、とびっきり良い手を引くこと。これがエンジンに火を付ける。
 心のフォーカードは、クリスのフォーカードを数字で上回っていた。
 「……!」
 「よぉっしゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 場内が、沸いた。
 ぽっと出の日本人が、今までいいところ無しの雑魚が、伝説の魔人から一億をもぎ取ったのだ。
 ここで終われば、クリスの無敗伝説に唯一地を付けた男として一役有名になるだろう。
 誰もがここで心が中断すると思っていた。
 テーブルに座る二人を除いた、この場にいる全てが。
 「二億ッ!!!」
 何を言ったかすぐに理解できたのは、クリスを覗いて他にいなかった。
 クリスの全身がぷるぷると震え出すのを見て、相方のケビンさえ驚愕する。
 屈辱ではなく。恐怖でもなく。動揺などではもちろんなく。
 「大好きだよ、君………ッ!!!」
 ほとんど恋に近い感情だった。




 ◯




 「キングッッッ!!!!!」
 またしても、何を言ったのかわからなかった。
 (キング!? キングって何だよ!? どんな手だよ!?!?)
 様子見を貫いて勝負に降りた広橋が見た心の手は、何一つ揃って無かった。
 (キングって……ブタかよ!! ……ブタ!? こいつ、ブタに100万……全財産賭けたのか!?)
 広橋の身体がぷるぷると震えだす。
 屈辱ではなく、恋などでは当然なく。
 「ば……馬鹿じゃねぇのか、お前……!?」
 恐怖と、動揺によって、広橋は熱気の中に寒気を覚えた。
 (く……狂ってやがる……!! こいつは、負けることなんて一ミリも考えてねぇ……!!
 この男は自分が絶対に勝つって、当然のように信じてるんだ!!)
 「さあ!!」
 心の一声で、広橋は大きく身を捩らせる。
 「110万の勝負だ! やろうぜ!?」
 (勝つか負けるかも全く読めない勝負に、110万……だと……!?)
 目の前で楽しそうにギャンブルを続行しようとする狂人は、広橋の理の外に存在していた。
 広橋とて、自分が負けるなどとは考えてなかった。
 しかしそれは心とは全く違う。相手の癖を見抜き、常に勝てる勝負をしてきたのだ。
 自慢の『超能力』が通じないこの男に、勝てるとは到底思えなかった。
 (お、俺だって……こんな向こう見ずの大馬鹿なんざ……一回勝てばいいんだ、それだけで全てが終わる……)
 震える手で役を揃える。天は広橋を見捨ててはいない。ハートのストレートが右手に収まった。
 が。
 (ま、待て……まだ勝負に出るには早い、様子を……)
 広橋は降りた。
 勝負に出ることが、できなかったのだ。
 様子を見る、と言うのはただの言い訳であることに、広橋は気づかないフリをした。
 直後。
 「フゥルハゥスッ!!!!!」
 「あがっ……」
 一歩引いた所を、鼻先が刃を掠めた。
 広橋の判断は正しかった。
 正しかったが、それ故に怖ろしかった。
 怯える暇も無く、頭を鷲掴みにされる。 
 「よっしゃぁ!!! 次は、120万だ!!!!!」
 その言葉が、トドメだった。


 「もう……勘弁してくれ……俺の負けだ……」  
 




 ◯



 
 奇跡と言ってよかった。
 今日は心にとって、最高のラッキーデーに違いなかった。
 なにせ、フォーカードの後にフルハウスが二連で続いたのだ。億の金を賭けた勝負で、だ。
 これを奇跡と呼ばずに何と呼べよう。
 「四ッ!!!」
 「億ッ!!!!」
 子供のように笑う二人はもう止まらなかった。
 どちらかが沈むまでノーガードで殴り合う以外に、決着を付ける方法など無いだろう。
 既に周りは、興奮を通り越して二人の熱と狂気に怖じけている。
 何故、勝負を続ける?
 何故、全額を賭ける?
 何故、笑っている?
 常人にはわからなかった。
 「ストレートォォ……フラァァァァァァァァァァッシュッッッ!!!!!!!!」
 台を叩き壊さんと振り下ろされる、心の右腕。
 心の熱意がカードを呼び寄せたのか、そう思わせるほどの一撃だった。
 しかし。
 「ロイヤルッ!
 ストレートッ!!
 フゥラァァーーーーーーーーーーッシュ!!!!!!!!!!!!!!!」
 クリスの豪運が、その上を通り抜けていった。
 敗者が崩れ落ち、勝者が天を仰ぐ。
 「負けたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
 「勝っ………たーーーーーーーー!!!!! 勝った、勝ったよ!!!」
 ここに、勝敗が決した。
 「冷静な、クリスが……」
 まるで見た目と同じく、子供のように。大声で手を叫んで、跳ねまわって勝利を喜んでいる。
 長い付き合いになるケビンが初めて見る、クリスの満面の笑顔だった。
 「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」
 一方で、長年コツコツと金を貯めて買ったカウンタックを失ったオーナーが口から泡と吐瀉物を混ぜ合わせたような何かを吐き出して死んだ。
 「オーナー! 死んじゃ駄目だ! オーナーッ!!!」
 駆け寄った心がゆっさゆっさと揺らすが、どう見ても手遅れである。
 そんな二人に、てくてくとクリスが近づいてきた。
 「いやー、いい勝負だった。久しぶりの楽しいギャンブルだったよ。またやろうね」
 「ああ……だがオーナーが死んでしまった……」
 殺したのはお前だろう、とケビンは思ったが言わないでおいた。
 「あ、大丈夫。わざわざ徴収するのも面倒だし、車はいらないよ。楽しませてくれたお礼、かな」
 「本当か!!!」
 その言葉を聞き、オーナーが蘇る。
 「めでたしめでたし、だな。ほぐっ」
 あっけらかんと言う心の鼻にオーナーの右拳が深々と突き刺さった。





 ◯




 「まだまだやろうぜ!! どちらかが空になるまで!!!」と継続を熱望する心と、降りたい広橋。
 目的を忘れた心をぶん殴りオーナーが出した折衷案は、広橋から村田への無担保融資だった。
 「あ……ありがとうございます……これで手術どころか、闇金融の借金まで返せます……!!」
 ぺこぺこと何度も頭を下げる村田とげっそりとした広橋を見送り、『シルヴェスタ』の営業はお開きとなった。
 「いやー、上手く行ったな」
 上機嫌で笑うオーナーに、若手のスタッフが尋ねる。
 「でも、よく彼が降りるってわかりましたね?」
 何度も言うが、心は運が特別強くない。
 あのまま勝負を続けていたら、高い確率で心の方が負けていただろう。
 「敵の顔ばっかりジロジロ見ているような奴だったからな。心はそういう相手に限り、ものすごく強い」
 クリスは相手が悪かったけどな、と続ける。
 「オーナー今日俺オフっすよ。飯おごって下さい飯」
 「黙れ心。お前はもう一生タダ働きでも文句言えない身だ」
 「ちぇー」
 心はぶーたれながらも、外に出て夜の空気を吸い込んだ。
 冷たい風に晒されても、心の熱は冷めなかった。
 「空っぽになるまで、勝負してぇなぁ」
 燻ったままの闘争心を鎮められるのは、勝負以外に、無い。
 「またやろうね……か」
 クリスの言葉が脳裏にちらつく。
 いつかまた、あのギャンブル馬鹿と……。
 部屋に置き忘れたと思った煙草がポケットに一本だけ入っているのに気付き、心はゆっくりと火を灯した。



 

 













 ◯



 
 「そーのーかーわーりー……」
 鼻を押さえて悶絶する心の肩をがしりと掴んで、魔人は嗤う。
 「は、鼻がッ……何、どったの?」
 「僕ね、今の勝負すっごい楽しかったんだ」
 「はぁ」
 「それでね、とっても興奮しちゃって、まだ収まらないんだ」
 「えっと……?」
 「負けた分は、身体で払って貰うから♪」
 「えっ」
 子供の膂力ではなかった。
 ずーるずーると引きずられて、心はクリスの部屋へと連れ去られる。
 「あの」
 ケビンは心底気の毒そうな表情で心を見ていた。
 「ちょ、オーナー……」
 オーナーは満面の笑みで手を振っていた。
 「また勝負するんだから、壊れちゃ駄目だよ?」
 クリスに敗北した者がリベンジを挑まない原因の大半が『これ』だと言うことは、あまり知られていない。
 それから三日間、目的地に到着するまで心が帰ってくる事はなかった。




 ◯





 「……やっぱりあんまりやりたくないな……」


 

 完
 
  

       

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Neetsha