Neetel Inside ニートノベル
表紙

ヒロの旅
2日目

いざ鎌倉!
いざキャバクラ!!
…には行けないな。
そんな訳で起きると共に鎌倉を目指す俺。
バッチリ寝てるから昨日より断然元気!!
本日も天気晴朗!
さぁ行こう!!

基本は今まで通りひたすら真っ直ぐ!
今日は適当じゃないぞ、地図がそう言ってるんだ!!
朝の静かな気配は中々良い。
超寝坊体質の俺には滅多に経験出来ない朝を全身で感じて荷物を荷台に括りつける。
真っ暗闇の中という訳でも無く、日差しが降り注ぐのにも関わらず人気の無い静かな道を1人走るとチープな、陳腐な表現だとしても、それでもどうしても思わずにはいられない。
“今世界には自分1人しかいないんじゃあないか”
批判は甘んじて受けよう。
それでも、それでも確かに俺はあの日あの時、あの小さな世界を支配していた、今でもそう思う。
 
藤沢から鎌倉までの距離は地図上で見ても非常に近い。
ましてやぐっすり眠った後の俺、言うなればスーパーひろき君とも言うべき無敵な俺にかかれば割とあっさり辿り着くのは当然と言えよう。
否まぁ勿論いくら寝ようが実際は依然変わりなく全然ヘたれ系男子なんだけど…
うん、実際本当にあっという間に鎌倉には着いた。
そして俺は、ここで地図からでは読み取れない旅の厳しさを1つ知る事になる。
 
鎌倉には山道が多い。
前持ってそんな知識を持っていなかった俺は今正にその事を体で痛感している。
地図上からは読み取れない筆舌に尽くし難い過酷さがそこにはあった。
幾つものアップダウンが運動と無縁の生活を送っていた怠惰な体を嬲った。
1つ1つが険しく、そして長い。 
夏休み中当面の着替えや生活用品を積み込んだ荷物故か、はたまたシティサイクルの用途を完全に無視しきった使い方をしている所為か…
否、俺だ、俺が、非力だから。
認めよう、認めなくっちゃ先に進めない。
キツイ、足が攣りそうだ。
手首が痛い。
息が上がる。
顔を上げるのも辛い。
無鉄砲で飛び出して、初めてキツイって思う。
こんなに体を動かして、こんなに沢山汗を掻いたのは初めてかもしれない。
運動部に入った事もないし、スポーツ競技じゃ毎回添え物以下。
無理かな。
無理かも?
俺、何してんだろ… 
正直に白状します。
この時俺、全てを投げ出して逃げ帰ろうかと思った。
思っちゃったんだ。

アスファルトで舗装されているとは言え山の中を走っているから日差しは良い感じに押さえ気味。
吹き抜ける風は本当に心地が良い。
それなのに、俺は阿呆みたいに大量の汗を流しながら息を切らせて、ペダルに力を込めてはヨロヨロふらふらしている。
“ジジイのファックの方が気合いが入ってるぞ!”
不意に某軍曹を真似る友達の声が聞こえた気がした。
「うっ、せぇつーの…」
駄目だ、限界。
自転車を脇に止めて歩道に大の字になって寝転んだ。
呼吸が乱れて上手く息も出来やしない。
呼吸ってこんなに難しかったっけか?
あぁ、風が気持ち良いな。

5分か、10分か、ひょっとしたらもっとだったかもしれない。
そうして休む間、自分の非力さを呪った。
休むと、体は回復する。
体が回復すると萎えていた気力も立ち戻る。
当たり前の事かもしれないけど、それでも俺にとっては奇跡のような回復だった。
呼吸が落ち着いて、体に力は戻った。

でも、前に目を向ければ、それはもう絶望の2文字を落とし込んだような険しい道が待ち構えている。
大げさだって笑うかい?
体力に自信がある人なら難無く走れるのかもしれない。
或いは今見れば大した道じゃあないのかもしれない。
それでも、万年運動音痴でよわよわな俺にとってその時見たあの坂は心が折れそうなものだった。
クラスに1人は体育の時間に何の競技やらせても冴えない奴っていたろ?
俺はそのハイエンド、小学生から高校生まで常に最下位独走してたような奴なんだよ…

畜生、だっせえな俺…
言い訳ばっかりだ。
頭を掻いてしゃがみ込む俺の視界の端に入り込んできたのは、一筋の青。
爺さんに託された、青いバトン。
不意に、フラッシュバックするように道中出逢った人達の事が一気に頭に浮かんできた。
頭がパンクしそうだった、こんな事は初めてだ。
たった1日であんなに沢山の人に助けて貰って、1日でそれを投げ出すのかよ…
こんなんで良くもまぁ世界1周するとか言ってやがる。
世界は、こんなところで膝を折る奴が周れる程甘くねえ…
地元の連中に大言壮語を吐いておいて、逃げ帰って笑い者になる気かよ…
めちゃくちゃだっせえぞ俺…
お前本当に俺かよ?
ふざけんな、俺はもっとすげえ奴だろうが!
 
沢山の事を1度に思い出して、頭の中がぐちゃぐちゃになって、視界が滲んだ。
情けなくて、泣けてきた訳じゃあない。
嬉しくて、堪らなく嬉しくて高揚した俺の気持ちが視界を歪ませてるだけだ。
行ける、力が入る。
有難え…俺の体はっ!まだ動くっ!!
坂道の1つ2つがなんだ。
疲れたら休めば良い。
休んだらまた立ち上がれば良い。
何度でも何度でも立ち上がれば良い。
そうしていれば何時か必ず目的地に到達出来る。
ゴールすれば、俺の勝ちだ。
この時、俺の中に1つ大事な芯が1本通ったように思う。
この考え方はこの小さな冒険を終えた後も、今現在に至るまで俺の中で生きている。
今思うときっとこの先も自分の根幹になるような大きな軸を、俺はこの時に手に入れたんだ。
あ~なんか吹っ切れた。
心機一転突っ走るぞっと!
茹だる様な暑さだけど山間の道は影が多くて、坂の辛さを度外視すれば中々走り易いような気がしてきた。
でも暑さとは関係無く運動量の所為で汗だくだ。
だけれど吹き抜ける風が汗を冷やしていくのは凄く心地良い。
何もタイムアタックしようってんじゃない。
疲れたら休む。
疲れが取れたらまた走る。
気の向くまま行こう。
諦めなければ何時かはゴールに辿り着けるだろ。

のんびりと、でも着実に俺は前に進んだ。
ぽつぽつと仏閣や土産物屋が見えてきて、あぁ、すっげー鎌倉っぽいなここって気がしてきた。
そんな観光地的スポットに入っても尚坂道との縁が切れない点には閉口したくなったけどね。
何はともあれ鎌倉到着!
着いたからには早速観光!!
そんな訳で自転車を押して歩きで色々見て周った。

実は鎌倉には修学旅行の折に訪れた事があったりする。
あの頃とちっとも変わっていないように見える街並みが嬉しくて、浮き足立った。
難しいかもしれないけどこういう場所は何時までも変わらないでほしいと思う。
それにしても…
いやぁ懐かしいな、本当に。
人気の無い小さな仏閣の石段に寝転んで中学生だったあの頃の鎌倉見物を述懐した。
思えば修学旅行の時も禄な事しなかったな。
同じグループの真面目な女子集団と馬が合わなくて見物開始早々に男だけで抜け出したんだよな。
昼飯にせっかくだから料亭行こうぜ!って勇み足で入ったりもした。
ワクワクしながら入ったまでは良いものの、所詮中学生だから全員そんな所で飯が食える程の金なんか持ってなかった。
だから1番安い定食を3人で割り勘して分け合って食ったんだよなぁ。
高級嗜好というかお上品というか、はたまた最安値のメニューだったからかは分からないけど、とにかくビックリする程量が少なくて泣けたなぁ。
日本刀置いてある店入って初めて見るマジもんの刀に揃ってすっげー興奮した。
1人前になったら絶対刀買おうぜって盛り上がったけど未だに半人前以下の俺は当然その夢は果たせてない。
修学旅行っつったら木刀だべって木刀買ったはいいものの取り上げられては適わないと店に預かってもらって解散後に取りにも行った。
挙句道に迷って店に辿り着くのに偉い苦労する羽目になった。
そうまでしたのに駅に着いてみたら引率の教師が俺等の事待ってるのな。
マジ?全員駅降りるまで見張ってたのかよ!?ってすっげー慌てたわ。
遠目に確認して慌てて木刀ジーンズに隠してカクカク歩いてたら速攻でバレたしね。
事情を説明したら呆れられたけど思ったより怒られなかったし木刀も取り上げられずに済んで全員で胸を撫で下ろしたもんだ。
引率の先生も俺等みたいな糞ガキに振り回されて大変だったろうなぁ…
なんて、自分でやった事なのに人事みたいに回想してんの知ったら流石に怒るかな。

空を流れていく雲を眺めながら思い出に浸るのも普段無い良い機会だったけど、そろそろ移動しよう。
思い立ってまた自転車に跨る。
そうだな、やっぱり鎌倉っつったらアレでしょ!
大仏!!
かはは、でっけえええええええええええええ!!
いやぁ、修学旅行で見た事あるんだけど、今一度見直してみてもやっぱりでっかいなこのヤロー!
老若男女国籍問わずちらほら人が見に来てる辺り流石だぜ!!
仏像の静謐さとか佇まいとかって結構好きなんだけど大仏はなんか違う。
スケール感に圧倒される。
一般的なスケールの仏像と比較して良いか悪いかは兎も角として青空をバックに佇む巨大な仏の姿は非現実的で何処か滑稽だった。
石畳に座り込んで10分位眺めた。
すっげーなコイツ。
技術力が進んだらこの先コイツ位でかくて動かせるような大仏も出てくるんだろうか。
全自動カラクリ釈迦…
嫌過ぎるな。
不謹慎な空想を頭の隅に追いやって、さてとアレやりますか。
ダッシュで大仏から距離を取る。
携帯のカメラを起動して枠に収まるか確認。
駄目だ、まだ近い。
小走りに距離を取る。
…まだ近いな。
コイツどんだけでかいんだよっ!って笑いながら再び距離を調整。
ん、こんなもんでしょう!
右手でカメラを起動した携帯を構えて左手の指をCの字に。
所謂ちょっちねのポーズ。
一指し指と親指との間に大仏を挟みこんで、ぱしゃり。
イエーーーーーーーーーーッス!!
今この瞬間俺のスケールは大仏を超えたっ!!!!
天上天下唯我独尊!
グレートすぎるぜ俺!!
撮れた写真を確認して小さくガッツポーズ!

してたら…
「さっきから何してるんですか?」
後ろから不意打ちで声をかけられた。
振り向くと爽やかな兄ちゃん2人組みが立っていた。
見た感じ年は近い、若干年上かな?
取り敢えずかなり恥ずかしいぞこの状況…
まぁ諦めて撮った写真を見せて目論見を説明したら間髪入れずに大爆笑された。
ぐあ、かなり恥ずかしい…
これも1つの縁という事で大仏近くの椅子に座って話をしてみる事にした。
聞けば彼らは東京から来ているらしい、しかも自転車で!
なんと奇遇な!!
神奈川の本厚木からで昨日出発したばかりだけれど俺も自転車でここまで走ってきた事を話すと彼らの顔にも驚きと喜びの色が浮かんだ。
鎌倉の地形のチャリダー殺しっぷりやらこれまでの道中の話やら、互いの略歴やら、好みの女の子タイプやらそんな話題で結構な時間話し込んだ。
お互い沢山喋って時間はかなり使ったはずなのにあっという間に感じられた。
得難い貴重な時間程短く感じるもんなんだなぁ。
話を終えてお互い自転車まで向かって再びビックリ!
「「「すっげぇええええええええええ!!!!!」」」
お互いがお互いの自転車に驚愕した。
彼らの自転車は所謂ランドナー、スポルティーフと称されるタイプのもので本格的な旅特化型自転車だった。
前傾ポジションを前提にした高いサドルと低く落ちたドロップハンドル、無駄を省いた機能的なフレーム、頑強な荷台。
走っているのを見かけた事はあるけどこんなに近くで見るのは初めての経験だった。
一方俺の自転車は極々普通のシティサイクル、有り触れたそう珍しいものでも無いはずだけれど…
「ちょ!?え?マジ??マジで!?本当にこれでこの山道を、つーか本厚木からここまで走ってきたわけっ!?!?」
滅茶苦茶驚かれた。
照れるぜ。
おうよ!と勢い良く首を縦に振って肯定。
「いやいやいやいやいや、ガッツあるってレベルの話じゃないでしょ、すげーよ君!!」
褒められちった。
照れるぜ。
「いやいや、むしろこんな本格的な自転車初めて見たって!2台共すっげーかっくいーよ!!」
お互いがお互いに驚きで、何時の間にかうんこ座りで輪を囲み自転車談義が開始された。
そんな自転車談義もどちらからともなく終わり、さぁ出発という時、1つの提案をされた。
「ちょっとそれ気になりすぎるわ。坂1つ越えるまでお互いの自転車交換しない?」
願ってもない話だった。
触れた事も無いような本格的な自転車がどれ程凄いものなのか俺も物凄く興味があったからね。
迷わず快諾。
「あー待て待て俺も気になるから坂2つ付き合ってよ。2つ目の坂では俺のと交換して走ってみてくれ。」
「勿論オッケーだよっ!2台ともすっげー気になる!!」

かくして、お互いの自転車を交換した一時的なチームが結成された。
幸い3人共が似たような背格好だったから特に調整もせずに乗ることが出来た。
初めてランドナータイプの自転車に跨って思ったのは、景色が違う。
低い前傾の姿勢から見える景色というのはこうも違うものなのかと思った。
踏み出してまた驚く。
軽い。
いや、軽いなんてもんじゃあない!
超だ!
超軽い!!
積んでいる荷物の量に大差は無いはずなのに路面との抵抗を感じさせない程にスイスイ前に進める。
アホみたいにギアの数があって軽くすれば坂道でも全然普通に走れるじゃん!
すっげー、すっげーなコイツ!!
後ろからは…
呻き声が聞こえてきた。
「きっつー!重いって!!半端ないって!!ぐははははは、マジかよおい!!」
すっげー、自転車の差ってすげーな。
結構体力ありそうに見える兄ちゃんが俺の後ろでひーこら言ってるよおい。
下り坂に差し掛かってまたビックリ。
アホみたいにあるギアを上に上げれば上げるほどグングン加速していく。
やっばいなコレ!
坂を1つ越えてワクワクが抑えきれない様子の兄ちゃんと、グロッキー状態の兄ちゃんと、初めて乗るランドナーにはしゃぐ俺の3人は再びそれぞれの自転車を入れ替えた。
うっはー!
や~っぱコイツはっえ~~~~っ!!
シャカシャカ足回るよ本当に!
相変わらずはしゃぐ俺を尻目に先程グロッキー状態だった兄ちゃんは「俺にはやっぱりコイツが1番だぁ~!」とほっと一息。
後方に目を向けて見ると俺の自転車に乗ってる兄ちゃんはやっぱり大笑いしながらも悪戦苦闘していた。
そんな楽しい一時もあっという間に終わりを迎える。
肩で息をする兄ちゃん達と再度自転車を交換して別れの挨拶。
お互い、良い旅を!!
後ろを振り向くこと無く全力疾走、これが何時の間にか定着した別れのスタイルになっていた。

改めて乗ってみると確かに俺の自転車は重い。
とんでもなく重い。
踏み締める感覚が物凄い。
でも良い。
のんびりゆっくり走るにはこれで十分だと思う。
宜しく頼むぞ~い、と左手でハンドルをコツコツ叩いて再出発。

適当に走っていると鶴丘八幡宮が見えてきた。
懐かしの有名観光スポットという事でここでもまた寄り道。
日本的な建築物。
一言で言うとそんな感じだけど特に信仰心がある訳でも無い俺にしてみれば偶にしか訪れないこういう場所は異国情緒のようなものを感じられる気もする場所だった。
だってさ、そりゃあ年に1度お参りに行ったりはするけどそう頻繁に立ち寄るもんじゃあないだろ?
少なくとも下痢腹抱えてる時限定でクリスチャンになるようないい加減な宗教観を持つ俺には縁が薄い場所だったんだ。
土地は広いけど特に絢爛豪華という訳でもなく、どちらかと言うと侘しさを感じる気がした。
その分言葉にし難い、なんつーか静かな凄みのようなものが感じられた。
仏像や花なんかもそうだと思うけど、この国の文化には1つの特徴があると思う。
建物や仏像や花そのものだけでの表現じゃなくて周りの何も無い空間とか自然とか、とにかくそのもの以外の周りの空間を上手く取り込んで静謐な凄みを出してるような気がする。
好みは分かれるところだろうけど俺は結構好きだ。
そんな事を考えながらゆっくりと時間をかけて歩き回った。
今頃バイトとかしてる友達を思うと俺って本当にちゃらんぽらんだけど、でも幸せだなぁ~とか勝手な事をちょっと思ってみたりして…

その後も小さな仏閣や土産物屋をちょこちょこと見て周って歩いた。
コンビニが見当たらなくて土産物屋で水を補給してもらった際には流石に何か買わなくちゃ悪いかなぁ、とも思ったけどそもそも財布に金がそんなに入ってなかった。
現実は非情である。
困ったような顔で立ち尽くす俺に店におばちゃんは笑顔で飴玉をくれた。
忝い、俺ってば本当に色んな人に助けてもらってばっかだ。
おばちゃんに深く頭を下げて店を出た。

一通りは、楽しんだかな。
坂道ではひっでえ目に合わされたけど、それでもやっぱり良い所だった。
何時になるか分からないけど偶に立ち寄ってぼけ~っとしたいな…
よし、鎌倉を出発しよう。
実は次の目的地はもう決めてある。
これまた埼玉までの最短ルートとはずれ込んでるような気もするけど、ここまで来たらそんな事は関係無いね。
気の向くまま進もう。
へっへっへっ。
実は昨日の晩地図を見た時から鎌倉の先の進路は心に決めていたんだ。
次の目標地点は横浜の桜木町!!
なんつったってストリートアートの聖地だからなっ!!!!
高架下の壁一面を彩るストリートアート、1度は見てみたいと思ってたんだ。
名前だけ知ってたんだけど昨日地図上に同じ名前を見つけた時にはなんつーの?
思わず運命感じちゃったね!
こりゃあ行くしかないっしょ!みたいな感じ。

お天道様が天辺に居座る正午頃、鎌倉を抜けた俺は市街地を延々と走っていた。
坂道が無くなったと思ったら今度は日射攻めかい!
甚平で出てきて本当に良かった。
2着ある甚平の内1着を公園の水飲み場で適当にワシャワシャ洗って荷台に括った。
この分ならすぐ乾く…はず。
信号に引っ掛かる度に水を飲み、そして頭から水を被った。
これが堪らなく気持ち良い。
しかし直ぐに乾く。
どんだけ暑いんだよって話だ。
頭から水を被ってはしゃぐ俺を信号待ちのドライバー達は奇異の目で見てくる。
車に乗っていては分かるまい、この快感。

そんな事をしていれば当然すぐに水が尽きるのだけれど、水が尽きてくる絶妙のタイミングでコンビニが出現する。
コンビニが途絶えたら泣いちゃうな俺。
コンビニでボトルに水を入れてもらい序に道を確認。
ミネラルウォーターが販売されているのに無料で水をねだる行為は決して褒められたものじゃあないと思うけど、幸い未だかつて断られた事は無かった。
とあるコンビニでは綺麗なお姉さんが俺の風体と外の自転車に目をやり事情を尋ねてきた。
簡潔に説明したら「すっごぉ~い!頑張って下さい!!これあげちゃいます!!!!」とガリガリ君をくれた。
胸がキュンキュンした。
危うく求婚しそうになった。

そんな訳でうんざりするような暑さとどうにか折り合いとつけつつ、それなりに快適な旅路を楽しみつつ先に進む事が出来た。
あぁ、お姉さんマジに可愛かったなぁ…
あ、信号青だ、へへへ。
みたいな感じ。
暑さでお脳が良い具合に腐ったんだろうね。
時折お姉さんとうわ言のように呟き、頭から水を被りながらニヤニヤする教科書に載せたくなる程見事な不審者がそこには居た。
嫌過ぎる事にその不審者は俺だった。

幸いにも警察官に発見される事無く市街地を駆け抜けた俺は、何時か見てみたいと望んだストリートアートの聖地に遂に辿り着く事が出来た。
千差万別、様々な作風のグラフティアートがそこにはあった。
正に壁一面。
こんなに大きなキャンバスに向かった事なんて俺には無かった。
歩き、立ち止まり、眺め、歩き、立ち止まり、眺め、歩き…
すげえ…
すげえドキドキした。
スプレーってガンプラとかミニ四駆塗装するのと、後は精々文化祭の小さい看板作るのに使った事位しかないけど、アレってこんなに凄いもんなんだって改めて思い知らされた。
エアブラシ、スプレー、刷毛、ペンキ、etc…
自分の目の前に展開されている世界が如何なる技法によって構築されたのか想像を膨らませる。
すっげえ、すっげえなぁ。
今の俺じゃあとても適わない、そう思った。
何時か、何時の日か請われて壁一面に絵を描ける位支持される世界観を作り上げたい、そう思った。
腹の虫が鳴くのをシカトして何度も何度も往復しては気に入った数点の絵を食い入るように見詰め続けた。

カシャリ。
それはまるで携帯のカメラのシャッター音のような音で、振り向くとそこには信号待ちのバスから俺と荷物を積載したシティサイクルを撮影する女子高生の姿があった。
頬を掻きながらピースサインをしてみた。
恥ずかしいから目線は遠くに向けて。
これで俺じゃなくて俺の後ろの絵を撮っているって落ちだったら衝動的に道路に飛び込んでしまうかもしれないな。
そんな下らない事を考えていたら再度シャッター音が耳を打った。
恐る恐る視線を戻してみると、笑顔の女子高生と目が合う。
発車するバスの窓から彼女は俺に叫んだ。
「頑張れよ青春ヤロー!!」
別に応援した訳じゃないのかもしれない。
からかっていたのかもしれない。
でも、俺のテンションは跳ね上がった。
だって!
だって女子高生だもんっ!!

気が付けばこの体は勝手に自転車に跨りのろのろと走るバスを猛追していた。
すぐに追いついて叫び返した。
「本厚木から来たんだ!目指してるのは埼玉だ!!ありがtだああああああああああ!?!?!?えdrftgyふじ」
グシャ。
或いはグショ、ガシャーン、バキンのどれかだったような気もする。
どの擬音が適切なものなのか今となってはもう分からない。
狭い狭い線路沿いの歩道を前も見ずに走っていた俺は見事に転んだ…
何が起きたか分からぬまに強かに地面に体を打ち、起き上がった時には鼻血が噴出していた。
鈍い歩を進めるバスからは女子高生の笑い声が響いてきた。

恥ず…
うわ待ってめっちゃ恥ずかしいんですけど!!
しかも高架下と渋滞の道路の間に立ち尽くす俺には逃げ場が無い。
なんてこったい。
視線が痛いなんてもんじゃあない。
視線に僅かでも攻撃性能が備わっていたならばきっと俺の全身は瞬時に穴だらけになっていただろう。
陳腐でチープな言い回しだけど、本当にそんな感じだったんだ。
一刻も早くこの場から逃げたい!!
心からそう思った俺は今度は無言で、涙を堪えながら自転車に跨って全力疾走した。
今度はちゃんと前を向いてたさ。
あぁ、畜生、全身が痛え、心身が痛え、鼻血が熱い、阿呆か俺は…

息も切れ切れに高架下を抜け出した俺は一先ず空腹を満たす事にした。
いや、裏路地に入り込んで暫くの間激しく反省したりもしたけどその辺は割愛しとくって事で。
鼻血が止まったのを確認して表通りに出た俺は一軒のとんかつ屋の暖簾を潜った。
動いた後の飯はウマイ!!
まだメシウマと言う言葉が世に出る前の出来事だが今風に言うなら正にメシウマ状態というやつだろう。
キャベツとご飯をカチ盛りで5セット平らげて店を出た。
本当にこんなに食べたのは久しぶりな気がする。
余談になるけど中学生、成長期の盛りには禄な運動もしないのにご飯を10杯平らげるような胃袋の持ち主だった。
あの頃の食欲って一体なんだったんだろうって偶に思う。
あ、ちなみに体質なのか幾ら食べても体形に目立った変化は見られなかったな。

店を出た後惜しむ気持ちに従ってもう1度高架下を歩いた。
次に来る時にはまた違った世界観に浸る事が出来るかもしれない。
逆に言えば今目の前にある作品群の中を歩く事が出来るのはこれが最後かもしれない。
作品の入れ替わりは流動的に変化が宿命付けられたストリートアートの美点でもあり欠点でもあると思う。
ゆっくり、じっくり、心行くまで楽しんだ。
ここから先は東京まで国道をひたすら真っ直ぐ進むだけだ。
分かり易い、良い道だ。
…さて、行くか。


表紙

ツン・デレート 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha