vania
突き抜けるような青い空が真っ赤な夕焼けに変わる。夜になると、雲ひとつ無い空が星々1つ1つの輝きを強調させるだろう。
「今日は天体観測日和だな」
望遠鏡なんて持っていないし双眼鏡も携帯していない、天体観測などしたこともないが、それほどまでにこの空は、僕に夜を楽しみにさせた。
夜になってみるとやはり、予想通りの綺麗な、綺麗過ぎる空と何千何万と言う星々が僕の期待に答えてくれた。
やはり「世界」と言うものは珍妙だ。
普段は気にも留めないが、ふとした瞬間にその魅力に引き込まれる事がある。
この空は勿論のこと、アスファルトから咲く一輪のたんぽぽや、時にはドブ川の魚の集団遊泳まで。
その魅力にとりつかれると、しばらくの間我を忘れてずっと眺め続けている。
僕はその一瞬の「世界」が大好きだ。
この世には写真家という人達がいる。
僕には写真家に憧れてやまない時期があった。
写真家は「一瞬の景観」を、「一瞬の笑顔」を「世界の微笑」を
最高の「瞬間」を、「永久」の物にできる。
また、彼らは何でもない日常でもその目を凝らし、「何でもない日常」を「最高の瞬間」に変えることができるのだ。
それはとてもとても素晴らしい才能だと、僕は思う。
そうだな、一眼レフは持っていないが携帯の写真機能ならある。
この空を写真に収めておこう。この最高の瞬間を…
最高の……
瞬……
か……
星月の明かりは雲の無い夜空を明るく照らし、静かに、ただ静かに時を運ぶ。
……トラックが接近してくるのは、衝突の直前まで気付かなかった。
気がつくと僕は自室のベッドで横になっていた。
ああ、昨日のあの空は夢だったのか。そう思った。
夢でもおかしく無い程に綺麗な空だった。あの空はもう一生拝めないのだろうか。
そう思ったとき、部屋中にドアチャイムの音が響いた。
携帯を見てみる。12:40とのこと。
ああ、そういえば昨日約束したっけな。
僕は口を濯ぎ、ガムを口に入れ、口臭が消えたことを確認するとドアを開ける。
「てっちゃん!ひょっとしておはよう?」
そうです。おはようなんです。
「休みの日は昼まで寝る癖、直した方がいいよ」と、人の生活習慣を極端に心配する癖がある彼女は、僕の恋人である。
ちなに「てっちゃん」とは僕のことだ。
「昨日すごく良い夢をみたよ。僕は普通に家に帰ってたんだけど、空がものすごく綺麗だったんだ。でもトラック突っ込んできて死んじゃった」
「……それだけ?」
「それだけ」
人がとても感動した夢を「それだけ?」で返しやがって。常々思う。女は人の感動に対して感動することができないと。
これで相手が男なら「すっげーな」とか「どんなふうに綺麗だった」とか
そこから会話に発展するものなのだ。
女は人の感動を理解することができないから、人の話を簡潔に理解しようとする。
言葉は視覚を越えられない。だからこそ伝えるのは難しいが、相手の感動を理解しようとすれば会話はいつまでも続く。
イメージは無限大なのだ。
寝起きと言うこともあり多少ムカついたが、今日は二人が付き合って2年目の記念日だ。水に流そう。
ちなみに僕の彼女は連れてけ星人なのだがなぜこのようなアニバーサリーに家でのんびりしているのかというと、家でのんびり派の僕の気持ちを汲んでくれたのだろう。
ムカつくが、いい子である。
そして僕はそんな彼女を愛している。
誰よりも。
気がつくと、外は暗くなっていた。
「そろそろ帰るね」と意外な言葉を彼女が発す。
「え?帰るの?泊まっていかないの?」
先程からムラムラとしていた僕は、焦りを隠しきれなかった。え?ヤレないの?ヤラないの?僕の顔にはおそらくそう書いてあっただろう。
「ごめんっ!今日おばあちゃんの誕生日でさ、
あんまり長くないだろうから少しでも一緒にいてあげたいんだ。」
……そういえば一年前もこのパターンでヤレなかった記憶がある。僕と彼女の交際記念日は、彼女の祖母の誕生日と同日である。
「そっか……じゃあおばあちゃんによろしく」
「うん」
別れの挨拶はとても簡単だった。
ちなみに僕はデートの帰り、女の子を送ることはしない。面倒だから。どうせ車なのだし、襲われることも無いだろう。僕は交際する上で面倒くさいことはしないたちである。待ち合わせには決まって遅れていくし、迎えに行くことも送る事も無い。それをよしとする女性が少ないことは知っているが、どうしようもない。これは生理的なものだ。
玄関の鍵を閉めるとパソコンの電源を入れる。今日は寝れなかったので、とりあえず自分を慰めよう。座椅子に腰を掛けると後ろから声をかけられた。
「あ、どうもこんばんは」
そこには見知らぬ男が立っていた
なんだこいつは。どこからはいった。どこからはいれた。いつからいた。
聞きたいことは山ほどあるが、このとき僕は意外と冷静だった。いや、あまりのことに脳の電池が接触不良を起こしていて、何も考えれなかった。
「あの、青山哲也さんでよろしかったでしょうか」と、スーツ姿の三十路は行ってる男がお役所仕事風に淡々と口を開く。
「は…はい…そうですが…」
何答えてるんだ僕は。
「ありがとうございます。え~この度はですね、『vania期間』のご説明をするため参りました。あなたがお亡くなりになられた時の記憶はございますか?」
ばにあ…?ヴァニア?なんだそれ。
というか今この人なんて言ったっけ…
「お亡くなりになられた時の記憶」…?
「えー…青山さん?」
「はっ…はい!!」
「あの~大丈夫でしょうか?」
「あ…あの~…言っている意味がよくわからないのですが…」
「記憶は、無しと…」
男は淡々と何かに記入している。そのお役所作業風やめろ。こっちは意味が分からないんだ。
「それではご説明いたします。
青山さんは昨晩19時18分に亡くなりました」
全く予想通りの返答だ。頭が熱い。血の気が引く。
「青山さんは本来あの場所、あの時間にお亡くなりになられる予定ではなかったので、『vania期間』が適用されます。『vania期間』とは本来死ぬ予定では無かった方を一度生前の状態に戻し、死までの時間を有意義に過ごしていただくための期間となります。期間は一週間。人の死は取り消すことができないため、まあ運が悪かったと言うか…残念ですが青山さん、あなたは今日から一週間後お亡くなりになられるのですが、その時間を有意義に使っていただけるよう願っております。また、この期間中に殺人や強姦などされた場合、もしくはお亡くなりになられたことを他人に話してしまった場合は、真に残念ながら、そこで『vania期間』は中止とさせていただき、魂の方は地獄へ行くことになってしまいますのでご注意ください。ここまでで何か質問はございますか?」
淡々としゃべられた、こっちにはまだ心の準備が出来ていないにも関わらず……
これだから公務員は嫌いなんだ。公務員かはわからないけど。
「質問は無いようなのでこれで私は失礼させていただきます。
本日担当させていただきました山田と申します。」
名刺と、分厚い本を手渡された。
「vaniaを有意義に過ごすためのマニュアル」だと。
ふざけているのか?
「質問やその他御用がございましたら、この名刺をお手洗いや押し入れなど密室にでき、かつドアが自由に開閉できる空間にこの名刺を置いて、密室にしていただけたら
そこに私がお邪魔いたします。
それでは失礼いたします。」
と、軽く会釈すると「山田」はトイレに入った。直後トイレのドアを開けても誰もいなかった。
名刺には「天上界役所」と書かれていた。
「天上界役所って…なんなんだよ…」
僕はまだ事態を飲み込めずにいる。この状況で「現実を受け止めろ」なんて言えるやつは絶対いないであろうと断言できる。そもそもこれが現実なのか。それすらも曖昧なまま、僕は当初の目的も忘れてパソコンの前に突っ伏していた。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
1時間
2時間
いや、まだ30分も経っていなかった。なんとか冷静になり、いや、まだ脳の電池の接触不良が直っただけだ。自分の置かれている状況も理解できぬままであるが、人間とは不思議なものでこんな状況でもお腹がすいていることに気がついた。
「そういえば…昼から何も食ってないや」
しかしながらこんな状況では調理する気も起きないので、彼女が買ってきたマックのポテトのあまりを頬張る。
「冷たいし…もろもろしてる…
美味しくない…美味しくねえや…」
生きていなければ味わえない「食べる」という行動と、食べ残しのまずいポテトを味わいながら、彼は全てが夢では無かったのだと次第に悟り、1度目の涙を流す。