Neetel Inside 文芸新都
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Vania
ケース2「のび太」また今日も、死ねない。

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 ……ここから落ちてしまえば、もう終わるのか。あっけない。命はなんてあっけないんだ。
 ここから一歩踏み出すだけで、僕は解放される。さあ行くんだ。
 ……足が動かない。足だけではない、全身の筋肉が一気に固まり、この何もない空に飛び立とうとする僕の心を体が食い止める。
 次第に僕の体を支配していたものは、僕の心まで侵食してくる。これは、恐怖だ。
 死ぬのは嫌だ。怖い。恐ろしい。それは僕の心を喰らい尽くし、動かなかった体を動かし、なんとか金網を乗り越えるとそこには地があった。
 また僕は、死ねなかった。
 僕は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を学生服の袖でぬぐい、帰路についた。真っ黒な学生服の袖のシミは異常に目立ち、それが僕の心をより一層、暗くさせた。

 
 家に帰ると、カレーの匂いがした。生姜と骨付鳥の出汁が隠し味の、母のこだわりのカレーの匂い。僕は母のカレーが大好きだった。そう、大好きだった。
 しばらくすると、母が出迎えてくれた。
「お帰りなさい。今日は遅かったね。」と微笑みかける母の目には、なんの嘲笑もなく、なんの嫌悪もない。ただ純粋な笑顔。その笑顔が、痛かった。
「今日は塾の日だよ。」と、僕はその一言だけを残し部屋に向かった。
「そうだったかしら……あ、ご飯は?」
「すぐ戻るから。」
 そのありふれたやり取りが、僕はたまらなく好きだ。母は僕の言葉をちゃんと聞いて、返事をしてくれる。その当たり前のやりとりが素晴らしいと思えるほどに、僕の日常には普通の会話がない。
 部屋につくと僕は、乱暴に投げたカバンから東堂塾と書かれた封筒を取り出し、リビングに向かう。その短い道中僕の心は張り裂けそうで、気付かぬうちに封筒はくしゃくしゃになっていた。
「母さん、今月の月謝だって。」と、母にシワだらけの封筒を手渡す。母は「はいはい。」と言いながら僕にカレーを運んでくれた。大好きだった母のカレー。いつからだろう、食べ物にあまり関心を示さなくなったのは。いや、食べ物だけではない、何に対してもあまり関心を示さなくなってしまった。僕の心は確実に、少しづつ、壊れていっている。
 夕飯を完食すると、僕は塾の月謝を持って部屋へ。ベッドに座ると僕は何をすることもなく、何も聞くこともなく、ただ座っていた。気づけば3時間程経っていて、僕は目覚まし時計をセットし、朝を恐れながら眠った。


「じゃあ、行ってくる。」
 朝8:00。僕はいつも通り何も考えることなく、学校へ行く。同じクラスの奴がいても、僕に声をかけてくることは、無い。
 気づけば校門にたどり着いていた。何も考えていない時間というのは、とても早く進む。当番教員の「おはよう。」の声に、僕はいつも通りなんの返事もせず、教室へ向かった。今日も時間は、早く進む。
「はい。ここまでー。」
 教員が言う。その声と同時に多くの生徒は外へ、また他の生徒は一箇所に固まり、弁当箱などを取り出す。そしてそのまた一部の生徒は、僕のところにくる。
「おい、のび太。」
 この不名誉なあだ名はこの男につけられたもので、この男は僕が一番嫌いな奴。そして一番関わりのある奴で、この声を聞く度に僕の体は固まる。
「ちゃんと持ってきたか~?今月の月謝。」
「……もって……きてるよ。」
 僕は東堂塾と書かれた封筒を差し出す。母にもらったお金が入った封筒を。
「おっ?偉いね~。じゃあ講義始めるぞ。1+1=2だ。わかったか?言ってみろ。」と、東堂塾塾長の東堂が言う。
「1+1=2……」
「よし。理解できたな。今月はこれでおしまいだ。じゃあまた来月な。」
 そういうと東堂は、仲間と昼食に行った。この一回の講義が2万円だ。そしてクラスメイトはその後景を気にも留めず、食事を楽しんでいる。糞共め。お前らも同罪だ。
 そこからの時間は再び、とても早く進んだ。今日もまた僕は屋上へ行くだろう。そしていつも通り、今日も死ねない。

       

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