君のすぐ近く
第一話
――ここから見える普通の世界。別にここからじゃなくてもいい。この世界はどこから見ても普通の世界――
――世界は薄っぺらい。少し視点を変えれば、少しいつもと違う場所に行けば、いつでもどこでも世界は変わる――
「「ああ、なんてつまらない世界だ」」
「世界はどうやれば変わるの?」
「そんなの簡単さ。いつもと違うことをすればいい」
世界はひとつじゃないよ。ただみんな境界線を知らないだけさ。境界線がわかれば、いつでもこことは違う世界を垣間見ることができる。それは些細なこと。”異世界”なんて言葉があるけど、それは別にファンタジーの世界だけのものだけじゃないんだ。
“異世界”とはつまり異なった世界。いつもと違う世界。みんな難しく考えすぎだよ。異世界なんて簡単に見える。それは小説を読んでいるときに次のページをめくるみたいなものさ。
異世界を見たければ、いつもと違うことをすればいい。いつもと違う視点から見ればいい。そうすればそこは『異なった世界』さ。
今日も楽しいことなんてひとつもなかった。誰も相手にしてくれないし、目もあわせようともしない。話しかけてもいないように扱われる。世間一般に言うイジメってやつだ。しまいには僕の机に花の入った花瓶まで置くのだ。
通っているのも特に有名な学校でもなく、どちらかといえば田舎だ。閑静な住宅街にこじんまりある感じだし、明るい未来が待っているわけでもない。つまらない。なんてつまらない世界だ。
欝だ、死のう。
放課後、普段は事故防止のためドアに鍵がかかっているので、屋上に出ることはできない。でも学校の不良グループの一人が鍵を壊したこと僕は知っている。入学して二年半がたつけど、屋上に出るのは初めてだ。今から死のうというのに、ちょっとわくわくしている。
教室を出てだらだらとしゃべりながら歩く生徒たちを、早足で追い抜く。早く死にたいからなのか、わくわくしているからなのか、どんどん歩く早さがあがっていく。屋上に続く階段を上がるときなんか、もう一気に駆け上がるくらいだ。
「はぁはぁ」
屋上についたころには息が上がっていた。十月の初めというのに、たそがれ時の日差しは元気で、まだ少し暑く汗ばむ。
しかし、あたりは黄金色(こがねいろ)とオレンジ色を混ぜたような秋特有の世界に塗り替えている。
「うぅ・・・心臓がバクバクいってる。死のうと思っているときに生きてるって実感しちゃったよ。とりあえずまた死にたくなるまで座るか」
屋上のドアを閉めて、ちょうど陰になっているところに座る。金網のむこうに広がる住宅街を、生暖かい風に前髪を揺らされながらボーっと見ている。
普通だな。そう思ったとき、目の端に人影をとらえた。
金網のむこうに人が立ってる。
「え、ちょっ、キミ何してんの!? 危ないよ!!」
金網のむこうの人影が、こちらを振り返る。
「ん?あぁ、心配しなくていいよ。別に死にたいわけじゃないから。ただ外の世界を見ていただけだよ」
振り返った人物は、男にも女にもみえる中性的な顔をしていた。声もどちらともとれる高さだ。そんな綺麗な顔立ちだけど、どこか希薄な印象を受ける。
「何を言ってるの!? そんなところにいたら落ちちゃうよ!」
ここは学校の屋上。周りは住宅街。学校より高い建物がないので割りと風が強いのだ。ちょっとしたひょうしで落ちてしまうとも限らない。
しかし、僕の忠告も聞かず、目の前の人物は涼しい顔でこっちを見ている。
「いいところにきた。キミもこっちに来こないか? 一緒に外の世界を見ようじゃないか。キミ、名前は?」
「え?え~と僕は間(はざま) 有馬(ゆうま)だけど・・・」
「そうか、ボクは、そうだな・・・境(さかい) 界人(かいと)だ。よろしく有馬。おたがい苗字に『間(あいだ)』の意味を持つ者同士仲良くしようじゃないか。ボクのことも界人と呼んでくれてかまわないよ」
といって境 界人と名乗った人物は金網越しに握手を求めてきた。
「よ、よろしく」
気がつけば境 界人と名乗る人物にペースを握られ(ついでに手も握られ)、金網越しに自己紹介をしていた。
界人というくらいなのだから、男なのだろうか。よくわからないが、そういうことにしておこう。
「それで、その界人君は何をしていたの?外の世界を見てるって言ってたけど、別にそっちに行かなくてもいいんじゃない?」
自殺をしにきた本人が自殺しようとしていない人に、危ないからやめろというのはなんだかおかしな気分だった。
僕が遠まわしに「こっちにこないと危ないよ?」ということをいっているのにもかかわらず、彼は動こうとしない。僕と同じように、風にその柔らかそうな前髪を揺らされながらこちらを見ている。
「ところでキミは屋上に何をしにきたんだい?」
「え?」
話がかみ合わない。僕の言っていることを真正面から無視をして、話をしてきた。
「キミは異世界というものを見たことがあるかい?」
言いよどんでいる僕から何か察したのかそうでないのかはわからないけれど、僕の返答を聞かずに話し出した。
「い、いや見たことないけど」
「見たいと思ったことは?」
「な、ないよ。てか異世界なんて空想上のものでしょ?そんなのあるはずないじゃん」
僕がそういうと、界人は「ふーん」といってちょっといたずらっぽく笑ってからこう言った。
「特別に見せてあげるよ。なんたって突然の来訪者がいるからね。さあ、善は急げだ」
界人はそういって、僕を手招きする。
こっちって、ようするに、今彼がいる場所だよね?つまり、金網の向こうだ。ということは、僕は当初の目的だったところの一番近い場所までいくのか。
そう考えると、急に体が動かなくなった。そうだ、あそこから落ちれば死ねるのか。でも、今はそんなに死にたくないかも。久しぶりに人と話して、人に触れて、人を心配して。
「どうしたんだい?さあ早くおいでよ」
界人に話しかけられ、ハッとする。
「う、うん・・・」
界人にうながされ、やっと金網に手をかけ、登り始める。細めの金網が指に食い込んで少し痛い。
ガシャンガシャと音を立て一番上までいってから、下を見ないようにして、ビデオの巻き戻しのように同じ動きで降りていく。
「ようこそ、こちらの世界へ」
僕は目をつむったまま、あけることができない。外に背をむけて、両手で金網をしっかり握っていた。
喉が渇いてきた。急に息苦しくなってきた。心臓がバクバクいっている。背中につめたい汗をかいて、それが風でさらに体を冷やす。
屋上にきたときと体の状態は似ているのに、全然生きた心地がしない。感じるのは頬に当たる風と、お腹の辺りに感じる気持ち悪い浮遊感だけ。
「大丈夫だよ。さあ、目を開けて。」
界人の声を聞いて、少し安心したのか、ゆっくりと目を開け、正面を見た。
「高っ!人があんなに小さい・・・」
「僕の友達を紹介しよう」
「え、友達?」
「もうすぐ来るから」
「くるって何が?」
僕の問に界人はすぐわかるよとニッコリ笑うだけで、教えてくれなかった。
ドンッ
「え?」