「何故ベストを尽くさないのか」
「金銭面から言えばこれがベストなんだよ黙って歩け」
日が沈みかけ、西空のわずかな明るみも街灯に取って代わられようか、という時間帯。似たような会話の応酬を繰り返しつつ、大封とりんごは舗装された林道の脇を歩いて行く。
「何故バスを使わないのか」
「もう着くから、そんなくたびれた声でわめくのはよしてくれ。こっちまで疲れちまうだろうが」
住宅街を抜けた町はずれは、既に山中と言っても差し支えがない。時折横を行く自動車を恨めしげに目で追っては、文句を垂れるりんごであった。
「何故バストを掴まないのか」
「さりげなく下ネタ化してんじゃねえ」
大封の後ろについて傾斜の厳しい坂道をとぼとぼと歩きつつ、彼女は泣きそうな声で唸る。
「つーかーれーたー」
「うーるーせーえー」
竹林が風に揺れて涼しい音を立てた。しばらく無言で歩いて、そういえばさ、とりんごが切り出す。
「幻界のゴミ埋め立て処分場って結構いろいろな噂があるよね」
「噂?」
「そう。都内で唯一の埋め立て処分場だし、結構都心に近いってこともあるから、案外とんでもないものが廃棄されてるんじゃないか、って噂」
「とんでもないもの、って何だ」
「とっぷしーくれっと、ってやつだね」
「はあん、とっぷしーくれっと、ねえ」
しばらく思案して、大封は口を開く。
「そういや俺も聞いたことがあるな。政府が裏で秘密裏に大量破壊兵器を作ってる、なんて馬鹿げた噂」
「そうそう、そういうの。そういうのが実はこっそりこの幻界に廃棄されてんじゃないの? っていう話さ」
「全くもって馬鹿馬鹿しいぜ。んなことあるわきゃねーだろ」
「む、夢がないなー」
「品がないテメエに言われたくはねえ」
りんごは一瞬むっとしたように押し黙った。大封からは自分の後ろをついてくる彼女の顔を見ることができないため、その沈黙に身を任せて歩き進む。
「でもさ、いろんな噂があるんだよ?」
「例えば?」
「人間の手を離れて完全に自立起動する近未来型コンピューターとか、クローン技術を発展させてオリジナルを越える個体を作りだす新技術とか、他にも細菌レベルで人を死に至らしめる超小型生物兵器とかさ」
「ほう」
「まだあるよ。どんなに身の守りの堅い要人でも速やかに抹殺するための暗殺専用ナノマシンとか、動物と人体を融合させるキメラ化の技術とか、身体を極限まで機械に変えた戦闘用サイボーグとかね」
「よくもまあそれだけのもんを妄想する暇人がいたもんだ」
「あとは勝手に性感を見つけ出して刺激してくれる全自動バ」
「黙れ」
仕切り直し。
「とにかく、そんなもんは断じて存在しない。至って平和な処分場だ」
「だったら鼠小僧は何を狙ってるわけ?」
「それを確かめに行くんだろうが、と」
大封は足を止める。
「ここだ」
彼の背中にぶつかりそうになりつつ、ワンテンポ遅れてりんごも停止する。その左手には、ほとんど形骸化した門のようなものが確認できた。
「ふぇー、こんな山中だったとは。カッコ疲れカッコ閉じ」
林道の主流から分岐した砂利道が、その先に延びている。
「何にもないね」
りんごの言うとおり、ほんの一分も進めばすぐに視界が開けた。見渡す限り広大無辺の更地である。不法侵入防止のフェンスを隔てて二人から少し離れたところでは、何台かの無人重機がゴミを埋め立てている最中であった。
「で、どうするのさ」
「そうだな。そこに一般人にも開放されてる管理センターがある。まずそのシステムから情報を引き出すか」
二人は入口で立ち止まったまま、右手の闇にぼんやりと浮かんで見える小さなビルを眺める。夜間用の照明が白く輝いて、そのビルから山の斜面沿いに延々と続くゴミ処理施設を照らし出していた。
「そのシステムってのも一般人に開放されてるわけ?」
「いや、開放されていない。ここの機材全般を制御するシステムだ、開放できるような代物じゃない。万が一鼠小僧が盗みにはいるようなものが保管されてるなら、なおさら開放してくれないだろうよ」
「……ふうん、なるほどね」
りんごは口もとに笑みを浮かべる。
「そのために私を連れて来たってこと」
「話がわかるじゃねえか」
大封が歩き出そうとしたその時。
「ストップ!」
りんごは突如声を張り、彼の制服の袖を掴む。
「どうした?」
「監視カメラに映るのは都合悪いからね、ここでいい」
「ここでいい、ってどうすんだ?」
「遠隔ハッキング」
さらりと言ってのける彼女に大封は面食らった。
「……自信満々の顔で言いやがるぜ」
「へっへっへ、任せておきなって。それより、もし警備員が来るようなことがあったら言ってよね」
暗闇の中周囲を確認して、大封は返す。
「この位置だとその心配はなさそうだがな。それにこの暗さだ、大丈夫だろう」
りんごはバッグから慣れた手つきでワインレッドのノートパソコンを取り出した。そして大封にはよくわからない周辺機器を、テキパキと取り付けていく。
「まさしく犯罪者だな、こりゃ」
「またそれ? ていうか、こんなの守護者がやれば立派な捜査じゃん。それを私たちが代わりにやってあげてるだけ。何か問題ある?」
「俺らが守護者じゃないっていうところが結構重要な問題だ、覚えとけ阿呆」
正義は果たして正義足り得るか。
同じ行動、同じ動機、同じ結果。たとえ原因、過程、結果、その全てが同じだったとして、大封とりんごのしていることが社会的に正義だと認められることはない。あり得ない。彼らの正義は、まだ熟していないのだ。
答えは否。
彼らの正義は、正義足り得ない。
大封の頭には、まだ迷いの二文字がちらついている。
「いいっていいって、気にしないのそんなこと」
だからこそ、彼はりんごが怖かった。そんな風に笑いとばす彼女を脅威に感じてしまうのだ。
りんごは完全に社会を振り切っている。それも、わけのわからない振り切り方をしているように、彼には見えた。人として、どこかが突き抜けているのだ。ただの固い信念や意思といったものとは本質的に違う何かを感じさせる。現時点において大封とは異質なのである。
普通に会話をし、歩き、時を共に過ごすだけでは見えてこない、彼女の本質。文字通り底が知れない。それでいて水面は静か、あまつさえ透き通って見えるから恐ろしい。
彼女は一体、何を見ているのか。
しゃがんでパソコンをいじる小柄なりんごを眼下に、大封は考える。
ただ、この栗毛のクワッドテールが自分の理解の範疇に収まる必要は毛ほどもない。強力な仲間であればいい、協力的でさえあればそれでいい。こいつと一緒なら、本当に鼠小僧を捕まえられるかもしれないんだ。
「それじゃ一つ、イッツ・ショウタイムと行きますか」
その彼女が、尋常でないスピードでキーを打鍵し始めた。小さな画面の中は吹き荒れる嵐のように目まぐるしく変化していく。まるで何が起こっているかわからない大封も、感嘆からため息をこぼす。
「……」
りんごは寡黙にキーを叩き続けた。離れたところで重機の立てる乱暴な音を除けばしんと静かな宵闇に、彼女の細い指がカタカタと軽妙なリズムを刻んでいく。しばらくの間、集中する彼女に気兼ねしてか、大封は小さな背中をただじっと見つめていた。
「ん、とりあえず第一関門突破かな」
一分もたたないうちに、りんごが口を開いた。声に余裕はなく、かといって焦燥があるわけでもない。まるで事務連絡でもするかのような声。大封は思わず聞き返す。
「第一関門ってなんだよ、まだあんのか? ゴミ処分場の管理システムごとき、テメエなら朝飯前だろ」
「そうでもないね」
一瞬の間を置いて彼女は続ける。
「というか結構厳しいよこれ」
「……そうなのか?」
「うん」
機械的な応答だが、状況は十二分に伝わった。
「相当手ごわいプロテクターが三重にかけられてる」
そう言う間も、手は止まらない。顔も目も、画面から逸らされることはない。そして数秒の後。
「ほい、第二関門突破」
手ごわい、という単語がほとんど嫌みに聞こえる速やかさで、彼女はキーを叩き上げる。
「……結局あっという間じゃねえか」
「いいや、これでも苦戦中さ」
顔色も声色も変えず、りんごは口を動かした。
「ていうか、ここからが本丸って感じ。ちょいと時間がかかるね」
大封は相槌すら打てないような疎外感をひしひしと感じる。スキルの次元が違うのだ、口をはさむなどもってのほかである。本当に俺という協力者が必要だったのだろうか? そんな気さえした。
「……」
そして、今まで滞りなく事を進めていたりんごの手が、ここにきてピタリと止まる。
「……ん」
「どうした?」
「ノイズが混じってる」
りんごは若干眉根を寄せて大封を振り返り、白く発光する画面を彼に向けた。
「いや、何にもわかんねえんだけど」
謎の文字列に謎のウィンドウ。彼の知っている世界は、そこにない。
「微妙に、なんだろう、クセっていうのかな。今まではずっと同じ人間がプログラムを組んでたんだけど、ここは少し違う気がするんだ。このまま解除すると何かよくないことが起こりそうな……」
右手を頬にあてて、りんごは唸った。
「テメエの好きにしろ、俺は知らん」
「んん、まあいっか。ええいままよ! カッコ自棄カッコ閉じ!」
台詞の終わりと同時に、彼女は迷いなくエンターキーをポンと押しこんだ。
画面が再び動き、表示が変わる。
「……ほ?」
りんごはそれを見て、調子外れの声をあげた。
位置的に画面の見えづらい大封は、腰をかがめて彼女の脇からそれを覗き込む。画面に表示されていたのは、なんてことはない、彼の知っているひらがな。先程の理解もできない数字や記号に比べれば、遥かに難易度の低い読解問題。
「な……」
だが、彼の額には玉汗が浮かぶ。一転して顔色は蒼く、目は見開かれた。
二人をからかうように、ポップで可愛らしいフォント。
ひらがなで、たったの十二文字。
ばくはつまであとごふん
「何ィッ!?」