Neetel Inside ニートノベル
表紙

ねずねずねず=こんふゅーじょん
◇22.おわり

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「……」
「……」
 非常階段の踊り場、地上百階と九十九回の間の地点。外へ露出こそしていないものの、風通しのいい非常階段は六月に突入したとは到底思えない肌寒さだった。二人はエレベーターが動いていないおかげで、階段を使いそこまで降下してきたのだが、並んで腰かける二人に会話はない。電磁銃と携帯電話の光りが、空間に唯一の明るさをもたらしている。
 時刻はもう、午前五時。
 ただ沈黙があり、そして沈黙しかなかった。
 しかしそれは静寂ではない。都市の電気が復旧したという情報を得るために、大封の携帯電話からはラジオが流されていた。前代未聞の大停電に、ラジオからは興奮したアナウンサーの声が響いてきている。
 雑音と肉声の狭間で、時は刻まれていた。
「……」
「……」
 彼らの想いは一様だ。
 自分は一体、何をしていたのだろう。
 暗闇の中で、なお両者の顔には陰がさしていた。
「……そういえば胡桃、何でテメエこんなとこにいんだよ」
 隣に腰掛ける存在を今思い出したかのように、大封が述べる。
「ん、偶然、かな」
「偶然で深夜の十二時にバベルタワー三百階にいるのかよ」
「それは……うん」
 覇気のない会話は、それでも続けられる。
「鳥取君から資料をもらったのね。東条さんの出入国記録。大封君、東条さんと一緒に居たでしょ、土曜日。あれを見てなかったら多分、私は何にも不自然に思わなかっただろうし。それに私が昨日の内にその資料を見るっていう確証だってなかっただろうし」
 声のトーンを無理に上げ、常とは違いハキハキと喋る胡桃が、大封には痛々しく見えた。
 どうしてこんなところにいるのか、それは確かに重要な問題なのである。
「それだけじゃなくてね、その資料を読んで、大封君に電話をかけたんだけど、繋がらなくって。そしたらその直後、女子寮の前を君と東条さんが通りがかって。それで私、君たちの後をつけてたの」
「……なるほど」
 話を聞く限りでは、確かに偶然としか考えられないようにみえる。だがしかし、本当に偶然だったのだろうか? 仮に全てが仕組まれていたとしても、彼はそれを疑問には思わない。
「さっき使おうとしてた、あの銃は?」
「あれも、鳥取君がくれたの。組み上がった時はびっくりしちゃったけど」
 胡桃は苦々しく言葉を吐き捨てる。
「ねえ、大封君」
 そして。
「あの人たちって、鼠小僧だったんだよね」
「……多分な」
 消え入りそうな声が、湿り気を帯びた。
「……ごめんなさい」
「おいおい、なんでテメエが謝るんだ」
「私が止めるべきだった」
 大封も胡桃も、お互いの顔は見ず、しかし言葉は交わされ続ける。
「少なくとも止める手段を持ってた。状況がわからなかったなんて言い訳はしない――さすがに誰が味方で誰が敵くらいかはわかったもん。それなのに私……ダメだなあ」
「……ダメじゃねえよ」
「ダメだよッ!」
 空気を破裂させんかのごとく大声に、大封は驚いて顔を上げた。そして胡桃に目をやる。
 涙。
 暗くてよくわからないが、彼女の頬を伝う液体がそれ以外のものである可能性は低そうだった。
「わ、私――結局ダメなの。きっと鳥取君も、私をからかったんだよ。私に正義を語るだけの資格はないって……」
「胡桃……」
 正義を語る資格。そんなものが、果たして存在し得るのか、大封には分からない。
「私は持ってた、あの人たちを止めるだけの手段を。だけど……だけど怖くて使えなかった! 電磁銃とは訳が違うんだもん、怖かったんだもん! 引き金を引けば人が死ぬかもしれない……どうして正義の味方なのに人を傷つけなくちゃいけないのっ!?」
「……」
 人を傷つけないことが正義なのだろうか。
「けど、そうすべきだったんだよね、ああいう場合……結局、誰も傷つけないなんて無理なんだ。君や鳥取君や、あの女の人には、全然届かないよ。君たちが遠い。私は臆病すぎて、手も伸ばせないの。私は正義の味方、向いてないよ」
「それは違うな」
「……?」
 間髪いれず口をはさんだ大封を、赤くした眼で胡桃が見上げた。
「俺は今まで、結果を追ってきた。勝てさえすればそれでいい、そう思って生きてきた。過程がどうであれ、コールドになった野球のゲームでもない限り、勝者の決定は結果に依って下される。ま、こういう考え方もある意味正義っちゃ正義だろうよ。しかしまあ、結果として、誰も傷つかないのは確かにベストだろうが、しかしいささかアイディアルすぎる。そんなもんは理想にすぎねえ。だからこそ正義の味方ってやつは、傷つく奴を少しでも減らそうと頑張ってるわけだ。だがどう頑張ったところで、犠牲者の最小値は一にとどまらざるを得ない。言ってる意味はわかるか? まあつまり、その一人ってのは誰でもない、自分自身だよ。結局、正義の味方ってやつは犠牲を自分一人で背負っちまおうって魂胆なわけだ。そして他の助けられた奴らは、正義の味方っていう概念にどっかり座って、当たり前のような顔をして、全員で口裏合わせて、こう言うわけだ。ありがとう、ってな。それでチャラ、になるはずはねえんだが、チャラってことになっちまうんだよ。それは一つの正義のシステムなんだ。戦争の両側には正義があるなんて言うが、あれも要は似たようなもんだ。結局誰かが犠牲にならなきゃならねえって考えは変わってねえんだからよ。物事の顛末には必ず、被害者と、それを突っ立って見てる傍観者がいる。本質は同じことだ。その点テメエはその他外野にとどまらない辺り、正義の味方の素養がある。助けてもらってありがとう、お礼にお金を払いましょう。そんな味もそっけもないような取引で済ませちまう人間ばかりの世の中で、助けてもらったそのヒーローを逆に助けようってんだ。ソウルがある。十分テメエもヒーローになれるぜ、まあある程度理想は捨てなきゃなんねえと思うがな」
 多くを捲し立てて、つかの間の呼吸。
 胡桃が、目をパチクリさせた。
 何を思ったのか、大封はくすりと笑う。
「やっぱ、正義とは何か? なんてそんな哲学的で天文学的な問題、俺にわかるわけねーや。思考停止上等、やめだ、やめ。だから」
 ポン、と。
 軽く、そして猫か犬でも触るように、やさしく。
「泣くな、テメエが泣いてると俺が泣けねえだろ」
 史上最高に恰好悪い台詞と共に、大封は胡桃の黒髪を撫でた。
「ああ、それから胡桃」
「……うん」
「来てくれてありがとうよ」
「…………うん」
 彼女は、そっと身体を寄せて、大封の胸に頭を預ける。
 そして大封は上を向いて、ぽっと呟いた。
「あーあ、俺、恰好悪ぃー」
 その声のせいかどうかはわからないが、途端天上の電灯が点灯した。ドミノ倒しのごとく、上から下まで、連なって白い連鎖が起こる。
「おー、復旧したか」
 同時に、ラジオが六時を知らせ、ニュースが切り替わる。

『昨夜午前0時ごろ、黒界の宝石店にて、鼠小僧による犯行があった模様です』

「!?」
 昨夜0時だと?
「大封君、これって……」
「……どうなってやがる。その時間帯、奴は俺らと一緒にここにいたはずだが……」
 まさかあの後犯行に及んだというのか?
 そこまで常識はずれな存在だったのか、鼠小僧というのは。
 大封はこみ上げる眩暈をなんとか押さえて耳の意識をラジオからの音声へと集中させる。
『盗まれたのは、三点一組の宝石、『夏の大三角形』です。これらはその名の通り、夏の大三角形『ベガ』『デネブ』『アルタイル』からその名を取っており、それぞれが四角形、球、円形の宝石で、時価総額は五億円とも言われています』
 その瞬間、大封は銃でこめかみを撃たれたような衝撃を受けた。
 四角形、球、円形……?
 左手は胡桃の背に回しながら、空いた右手で制服ズボンのポケットを探る。
 普段使わないそのポケットには、確かな感触があった。
『透き通ったキャンディと甘ったるいクッキー、もしくはビターなチョコレート。どれがいい?』
 エコーのかかったその声は、若干色あせた映像と共に、鮮明な動きを伴って大封の脳内に再生された。
 ポケットに突っ込んだ手で、それらを一挙に掴み、引きずりだす。
『悪いけど、俺は甘いもんは食えねえんだ』
『まあ、知ってるんだけどね』
 その会話もまた、脳内でリピートされる。
「………………」
 水玉模様の包み紙を、それぞれ開く。
「ちょ、ちょっと、それって――」
「…………ふ、ふふふ」
 彼の掌の上には。

 三個の宝石が転がっている。

 大封は、笑う。
「ふははははははははははははははははは!」
「お、落ち着きなよ、大封君!」
 これが落ち着いていられるものか。
 結局、大封は目くらましに利用されただけだった、ということになるのだ。
 今夜鼠小僧と、鳥取登坂の逢瀬の間、守護者の目をそらすための、目くらまし。
 予め盗んでおき、そしてそれを事件とは何の関係もない一般市民へと預けておく。
 そして大封の利用価値は、『甘いものが嫌い』だというそれだけに集束されてしまう。
 勿論、不用意にこれを守護者に持っていったりすれば、大封は疑われる。
 今夜あったことを聞かれれば、言い逃れもでききない。それ故、そんなことはできない。
 結局、秘密裏に処分するか、大切に保管するか、二者択一。
 むしろこれは、鼠小僧による大封に対する施しだったのかもしれない。
 そう考えると、それはそれで腹が立つ。
 腸は、煮えくりかえりすぎて、むしろ一周してしまっており、大封は極端なテンションのまま叫んだ。
「いいぜこのクソ鼠女ぁ! テメエをとっ捕まえて、必ず問題の答え、吐かせてやるよ! 胡桃、この際テメエも付き合いやがれ! 正義? そんなもん、犬にでも食わせちまえよ! 俺は俺の道を行く! これで間違ってたって知るもんか! 一生かけてでも奴を捕まえるぞ! おい、胡桃、俺についてこいよ!」
「へ? え、え? え?」
「待ってろあの女――絶対に捕まえてやる!」


 それでは、一体、登坂と白髪の彼女は、昨晩一体何をしていたのか?


 鏡界でのコンビニ強盗犯が、無残にもロープで縛りあげられ守護所の前に放置されていたのが発見されたのは、その日の朝だったそうだ。

       

表紙

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Neetsha