Neetel Inside 文芸新都
表紙

雀奴―ゴミにもできる簡単な仕事―
01.ごはんに野菜が足りません

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「――そう、楽しくやってるの。だったらよかった」
「ああ、心配すんなよ。実はね、もう就職のアテもあるんだ。内定の決まった先輩がさ、人事部に配属されたら考慮してもいいって。好景気ってのは本当らしい」
 まぁ、まぁ、と電話口から嬉しそうな母の声が耳の中を転がった。
「あんたがW大学に受かったときから、なんだか何もかもが上手くってしまって、恐ろしいくらいね」
「僕もそう思う。何か悪いことがあるんじゃないかな」
「そうねぇ……ああ、そうだ、あんた、あの子とは仲良くやってるの? ほら、小学校の頃、あんたと仲が良かった」
「春香のこと? ああ、大学でこないだ会ったよ」
「うまくいきそう?」
「さぁ……まぁ、講義でたまに話すけど。でもそんな関係じゃないよ」
「頑張りなさいよ。あんた、巡ってきたチャンスはぜんぶ食いつくぐらいじゃないと彼女なんてできないんだから」
「わかってるよ、傷つくなァ。――また連絡するよ」
 通話を終え沈黙した携帯電話を、俺は壁に投げつけた。
 待ち構えていたかのように、隣人が壁を殴ってくる。いつか貫通して、俺たちはそこで初めてお互いの顔を知るのかもしれない。

 大学をやめてから、半年が経っていた。



 大学になぜ入った、と聞かれて、みんなが行くから、というのが俺の理由だった。
 それ以上に何がある。
 俺は世が世なら、黙してただ虐げられる小作人が似合いの男なのだ。
 自分で何かを決めていくのは得意じゃない。
 講義に出て、ノートを取り、帰る。
 それをひたすらに繰り返した末、掲示板に貼りついた一枚のビラを目に留めてしまった。
 それがすべての過ちの始まりだった。

 文芸創作サークル。小説か、と俺は思った。面白いかもしれない。
 空いた時間に、部室を訪れてみた。中にいた部員に、説明を受けた。
 よく覚えていないが、壁の時計を見上げながら、じゃあ入ります、といったことだけは覚えている。
 中学のときから、たまに小説もどきを書いていた。
 机に向かい、パソコンでニュースサイトを巡る合間にキャラを作り、設定を築き、本文を書いてはすぐ投げた。
 そんな腕だったが、俺は自分が小説を書けると信じていた。
 呼吸ができるように、泳げるように、蛇口から水が出るように。

 一週間かけて、テーマだった『超能力』モノの原稿八十枚をどん、とテーブルに置くと、部長が怪訝そうな顔をした。
 俺はその顔のゆがみも、俺の小説を読んでくれれば、シーツのしわみたいに伸ばされてなくなると思い込んでいた。
 七枚目の途中で、部長が俺の原稿をすっと置いた。
 超能力を持つ少年少女が、同じ能力者と闘っていく話は、文芸創作サークルではなく、総合娯楽研究会の方にいくべきだったらしかった。
 俺は、延々と俺の作品、そこから通じる俺の精神を否定する部長の分厚い眼鏡の縁を見つめながら、何が悪かったのか考えていた。
 才能で世の中は決まるが、どうも都合の悪いことに、俺は不才のまま生きてゆかねばならないらしい。
 これから死ぬまで、五十年ほど。

 俺の心の蛇口は、天恵をもたらさない。



 それきりやめてしまえばよかった。きっと元の生活に戻れたろう。
 だが俺は奇妙な使命感、あるいは自らの敗北を無視する気持ちからか、かたくなにサークルに顔を出し続けた。
 文芸創作サークルには、俺のような不才の落伍者が他にもいた。
 不才ながら続けているものもいたが、たいていは、PSPでモンハンをやっていた。
 俺はモンハンができなかった。スマブラもできない。もっと遡れば、ゴールデンアイも。
 モノを遊ぶ才能が、俺には無かった。みんなで遊ぶ、ということが。
「ねぇ、君、ええと、誰くんだっけ?」
 呼びかけられて振り返ると、パイプ椅子に座った、長身の先輩が笑っていた。碇シンジに似ていた。
「嶋野です」
「うん、そうか、そうだった。もしよければ、これから麻雀しない? だいたい俺らいつも、一欠けなんだ」
 どうやら碇シンジよりは、明るい性格らしかった。



 もし、高校時代、麻雀を覚えていなかったら、俺は碇シンジに愛想笑いして誰にも読まれない次回作を書き続けていたろう。
 俺が通っていた大学の周囲は学生街で、雀荘なんて掃いて捨てるほどあった。
 初めてくぐる雀荘の扉を、俺は心臓を高ぶらせながらくぐった。
 店内を埋め尽くすようなジャン卓。その店はセット専用で、煙草のにおいはあまりしなかった。学生ばかりだったのだ。インテリ麻雀、という単語が浮かんだ。
 飲まない吸わないただ賭ける。
 それまで、俺は賭けたことがなかった。
 だから、実家から離れてひとり暮らしを始めた時のように、気負いこんで打った。トップでなければ意味がない、と思った。
 バカバカしい限りだ。全勝なんて誰にもできやしないのだから、二位や、四位から這い上がった三位には、それなりの意味があるのだ。
 最初、調子よく飛ばしていた俺は、南二局、国士無双を八順で張った。
 八順なんて、中盤といってもいいころあい。でもその頃の俺は、序盤で、俺より先に張っているものがいるとは思わなかった。
 無造作に切ったイーピンを今でも覚えてる。
「ロン――ごめんね、なんか。二万四千点」
 親のチンイツチートイツ。
 どうして俺が、こんな目に。
 ああ、勝負ってのは、平等じゃない。運が、いつも、俺を敗北へと引きずりこみやがるのだ。
 俺は、俺が人よりもロン牌を引き寄せるタチだなんて、まだ知らなかったし、信じたくなかったのだ。


 まず、講義に出なくなった。出なくてもよさそうな、出席を取らないやつ。
 次に、徹マンの明けにテストに出て、零点を取った。意地になって打ちまくり、さらに単位を落とした。
 大学へいくのは、創作文芸サークルの面子を麻雀を打つため、あるいは、定期を使って交通費を浮かして大学近辺の雀荘へいくためだった。
 俺は働いていなかったが、何かと理由をつけて仕送りしてもらっていた。
 飯は一日、おにぎり二個。飲み水は水道水。スーパーの試食品コーナーを見つけては食い漁り、売人のおばちゃんを睨みつけた。
 学食で、ひとりで食っているやつの隣に座り、そいつが水を汲みにいった隙にハンバーグを二欠片ほど奪ってやったこともある。
 そいつは躊躇うような視線を俺に向け、やがて悲しげに味噌汁をすすり始めた。
 俺は奪ったハンバーグを咀嚼しながら、前日の負けの理由を思っていた。


 本当に、打つためだけに、生きていた。


 先輩から、もうよせ、といわれた。碇シンジに、哀れまれていた。
 その晩の負けは全部チャラにしてあげる、とまでいわれた。
 俺は薄笑いを浮かべて、空っぽの財布を先輩の胸に投げつけ、荒々しく扉を開けて出て行った。
 誰も追いかけてこなかった。
 点5で、俺は一度も浮かなかった。半年打って、一度もだ。
 誰よりも集中していたつもりだった。誰よりも麻雀が好きだと思っていた。
 そんなことはなかった。ただ、それだけの、つまらない事実。

 俺は泣いた。



 大学をやめ、麻雀もやめ、小説もやめ、俺は部屋にこもっている。
 この部屋だって――と俺は四畳半のアパートを見渡す。半年住んで、ちっとも、愛着が湧いてこない。ちっとも、心が安らがない。
 パソコンもテレビもない、冷蔵庫もない、エアコンもない。
 ふふふ、いい気味だ。このまま孤独死してしまえばよいのだ。
 俺のような、俺のような――
 涙が止まらない。身体が俺を生かそうとしている。そうに決まってる。
 俺は死にたいはずなのだ。もう、疲れたのだ。
 だって、生きていける力があるなら、三面張を引けるだろう。
 いや、そもそも総合成績で、一度も徹マンを浮いて終われなかったというのが、おかしいのだ。
 一度もだ、一度もだぞ! 一度も……。
 なぜ、アガれないのに、麻雀をやめられなかったのだろう。
 配牌即ベタオリで、河と手を合わせて、テンパイさえできなかったというのに。
 ゴールも救いも、俺にはハナからなかったというのに。


 そんな時だった。

 俺の部屋のチャイムが鳴ったのは。

       

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Neetsha