雀奴―ゴミにもできる簡単な仕事―
04.まさかの一発!の巻
一発消しはチーならともかくポンはやめろと厳命して(安全牌二丁の損失は痛い)、ふと俺は三人に聞いてみた。
「おまえらがやってきてから何日だ。うちには時計もカレンダーもないからな……」
「一週間」クリヤがいった。
「で、おまえらは、いつ俺に金を支払うのかね? 日当てじゃないのか」
三人はこの話題になると決まって通夜モードになった。
もしかすると払いをすっぽかすつもりかもしれない。
それもそうだ、わざわざ働いて、麻雀を教えるだけのゴミに汗水たらした金を渡すのだ。馬鹿馬鹿しくてやってられないだろう。
だが、許してやるつもりはない。
「おまえらが支払わんようなら――」
俺はぎろっと小さくなった三人をねめつける。
「桐原にいって、貴様らを海に沈めてやる」
クリヤが泣いた。アサノが髪を逆立てた。
俺は何より、ロボットじみたナガセの冷たい視線が恐ろしかった。
この仕事を引き受けたのは失敗だったようだ。まァ、成功とはなんだったのか、思い出せないがな。
「月末までは待ってやろう。いいか、月末までだ。心しておけ」
三人に釘を刺し、部屋から追い出し俺は布団にくるまった。
自分のにおいがする。
翌日、太陽が高い位置から眠る俺の顔を照らしていた。
起き上がり、あくびをもらし、首をひねる。
ふと重みを感じて脇を見るとクリヤが丸くなって寝ていた。
俺はそれを蹴飛ばした。
壁にぶつかったクリヤがずり落ちるが、目覚める気配はない。恐るべき外国人の耐久力。
「てめえ何してやがる」
「う……む?」
「俺に触るな」
目をこすりながらきょろきょろとあたりを見回すクリヤから、俺は後ずさった。
クリヤは、蹴られたことを覚えていないらしく、とろんとした目で俺に近寄ってきた。四つんばいのその姿は猫そっくりだ。
俺がケツを動かして逃げると、面白がって追ってきた。
逃げる、追う、逃げる、追う。幼児のようにクリヤは喜んだ。俺
は激昂して立ち上がり、スウェットのまま家を飛び出した。
人に優しくされたり、信頼される、というのが、ひどく恐ろしく不自然でとても耐えられたものではない。
人格破綻、という言葉が浮かんだ。そうかもしれない。
とにかく、神経がひどく参ってしまうのだ。何もかも投げ出したくなる。
近所の売店でキャスターを買ったところで(麻雀をやめてから不思議と吸いたくなった)、うしろを向くと、クリヤがまだついてきていた。
「シマノ、どこにいくの? 私も、いく」
どうしてこう、無邪気に笑えるのだろう。
俺にはそれが、理解できない。
桐原が用意したのだろう、やつらは三着ほど服を持っていた。
どれも普通の私服だ。ただスカートのような動きづらいものはなかった。皆、無地のシャツとズボン。お古のような気配があり、もしかすると桐原のいらないものだったのかもしれない。
俺とクリヤは、ゲームセンターの前にいた。
スウェット姿の俺を気にかける通行人はいない。平日の昼間だし、そもそも人気がない。
「仕事は、今日休む。でも、大丈夫。明日は今日の分までがんばる」
といってクリヤは俺についてきた。
なぜ俺は遊びたくもないゲームセンターなんかに来てしまったんだろう。
格ゲーは苦手だし(あのコマンド入力が難解なのだ。やけどするほど練習したこともあったが、結局なにひとつ技を出せなかった)、ガンダムはわからんので戦場の絆の筐体の中ではしゃぐ(母さんっ……火がっ……)こともできない。
競馬ゲーム、メダルゲーム、シューティング、どれもできない。
わざわざここまできてMJもMFCもやりたくない。
俺はクリヤを見やった。そわそわしたクリヤは今にも中に入っていきそうだ。
きらきらした顔をあげ「ここに入るの?」という表情をする。
俺は財布を出した。何をやってるんだろう、途端に周囲の視線が気になる。誰もいない。
千円札を渡した。
「これを両替して、適当に遊んで来い」
びっくりしたように目をまんまるにしたクリヤは、おそるおそる千円札を受け取った。
初めて札を見た野蛮人のように、それをひっくり返したりすかして見たりしている。さすがに偽札ではない。
そして、煙草を吸おうと下げた俺の手を、やつは細い二本の指で摘んだ。
おそろしい。
「シマノ、よわい!」
近頃の外国人の自宅にはレースゲームがあるのだろうか。
俺はリアルなもの、漫画原作のもの、配管工が爆走するもの、三種でクリヤとレースをしたが、結果は暗澹たる様だった。
最後の意地でハンドルを殴りつけるような真似だけは避けた。
ご機嫌の様子のクリヤは大騒ぎして音の洪水の中を突っ走っていく。
俺に妹はいないが、いたらこんな感じだったろうか。
妹のいる知人は「バカじゃないの? 夢見てんなよ自分と同じ顔の女だぞ? バカじゃないの?」と言っていたが。
しかし俺はこうも思う。ひとりっ子でなかったら、俺もこうはならなかったんじゃないだろうか。
それはやはり、無いものねだりなんだろうか。
家族が三人では麻雀が打てない。そういうことなのかもしれなかった。
「シマノ、シマノ!」
「なんだ」
「次はあれをやろう!」
それだけ日本語が上手に使えるなら、こっちにいっそ住んでしまえばいいのに――
桐原の説明によると、やつらは一月後、帰国する手はずらしい。どこの国だか知らないが。
太鼓のニセモノをばこばこ叩いてクリヤは汗をかいている。
若いってのはいいな、元気で。
俺はもう、十分生きてしまった気がする。
お菓子とぬいぐるみで一杯になった袋を抱えて、俺とクリヤは家路についた。
あたりはもう夕暮れ時。どこからかカレーのにおいがする。いつもカレーのにおいだ。麻雀ブームに続いてカレーブームが到来したのだろうか。
「アリガトウ、シマノ! 面白かった!」
「よかったな」
どうしよう、なつかれてしまったかもしれない。これでは気楽に怒鳴れないではないか。
余計な気遣いをしてしまいそうだ。なんとか早いところ、この甘ったるい関係をぶち壊さなければ。
俺は、おまえの思ってるような人間ではないのだと、しらしめねば。
突き飛ばしてやろうか。猛烈な欲求が背骨を貫く。
こいつを不幸にしてやりたい。今のこいつは、俺よりも幸せそうだ。憎む理由には足りている。
家に帰ると、まだアサノとナガセは帰っていないようだった。
やつらはここ最近、九時から十一時の間に帰ってくることが多い。
「みんなには、秘密! これ、シマノが取ったことにしといて!」
クリヤに押しつけられた紙袋を、俺は空洞じみた眼球で見下ろした。今、こいつをばらばらに引き裂いてやったら、クリヤはどんな顔をするだろう。泣くだろうか、驚くだろうか。
「日本はいいところ――」
クリヤはぬいぐるみに顔を埋めて犬のような声をあげた。
「もとのほ――あっ、ナガセ!」
だあっと駆け出していって、クリヤはナガセの胸に飛び込んだ。
同い年のはずだが、やつらは生まれてきた順に精神熟練度が比例しているらしい。
俺の想像通り、ナガセは長女だった。
俺が取ったことになった景品をナガセに自慢げに披露しているクリヤの頭を撫でながら、外国一家の長女はずっと俺に懐疑の視線を送っていた。
それでいい、そっちの方が、慣れている。
俺は黙って、キャスターの甘い紫煙をくゆらせた。