境界
帰納と演繹
「さて、みんな。聞いてほしい」
全校集会。この学校にはこんなに人数がいたのかと再認識する良い機会である。
体育館に入口から見て右から一年、二年、三年となるようにクラスごとに並ぶ。担任が目印として並んでいるのできた順でそこにならう。僕は二年生なので真ん中に立っていた。
集会が始まり、生徒の注目の集まる壇から伸びたマイクを通して音声が響く。広い空間に響き渡っていた。
視線の集まる先、当然僕だって同じ方を向く。たぶんその時の顔はかなり珍しい顔をして居たんじゃないかなと思う。激写されて居たら黒歴史確定な程に。
「この前起きた事件の話だ」
だってそうだろう。なんで自分の友達が壇上でスピーチしてるんだよ。
体育館には、千堂の声が残響している。
「え、いやちょ……」
動揺する僕のことなんて知ったことではないと言う風に、堂々としている姿はかっこいいと言ってもいいかもしれない。
けれど、なんだって。
奇策にも程があるだろ。あんなヒントじゃ分かるわけない。というかなんでこんなことが許されているんだ。何故先生は止めない。
周りを見ると、教師勢は全員動くそぶりも見せず、顔を伏せて沈黙を決め込んでいた。なんだ? ということは既に話がついていると言うことか? まさか一人の生徒が自由気ままに勝手に集会を乗っ取っていいはずがない。
「お前たちは生徒会役員として知っていると思うが、今回の事件の被害者は国原だ。そいつは私の友人でもあったのだ。今回はこの場を借りて少し話したいことがある」
他の生徒も視線が釘づけになっていた。それはそうだろう。クラスであれだけの扱いを受けているのだ。学年が一つや二つ違った所で知らないと言うことはあるまい。悪いうわさの伝播は速い。居たとしても俺のような転校生とプラスアルファくらいで少数のはず。そんな奴が目の前で、本来出てくるはずのない状況で自分たちに話しかけ出したのだ。
「さて、本題の前に少し別の話をする。というよりお願いだ。私のことは殆どが知っていることと思う。噂は知っての通りだ。知らぬやつは聞きたければ後で聞くがいい。別に今更仲よくしてくれと言うつもりもない。むしろ正解だと思っているくらいだ。だから本来なら頼みごとなどできることではない。けれど、今回。今だけは聞いてほしい。二つだ。二つだけ頼みを聞いてくれるなら、一切私はお前たちと関与しないことを保証しよう」
辺りがざわざわと騒ぎ出す。その間千堂は口を閉じ、再び静寂が訪れると再び語り出した。
「さぁ、心の整理はできただろうか。なんて言いたいところだが、おそらく、いや間違いなくこう思っているだろう。何を頼まれるんだと。不安で不安で仕方がないだろう。だから先に言っておく。嫌な者は出て言ってもらって構わない。先生の許可は取ってある。さあ、ではよく聞いてくれ。まず一つ目は私の眼を見ること。二つ目は事件に関して質問に答えるというものだ。ただし一人一人に聞くことはしない。挙手ですませる。しかも質問は一つきり。どうだ? 今から一分だけ時間を取る。その間に出ていきたいものは出ていってくれ。もちろん相談しても構わない。では今から一分――」
そう言って、千堂は時計を眺め出した。タイムリミットの計測開始である。だが、まるで場が凍ったかのように誰も何も動かない。一分というのは存外短い。本来なら相談なんてできた時間ではないのだ。だが、それを指摘するものは居ない。
「十秒経過」
カウントの声を聞いてようやく全体の思考が切りかわったようだ。生徒の群れが一斉にざわめく。
だが誰一人として出口へ直行する者は居なかった。
混乱というわけではない。出て言ったら呪います、みたいな恐怖に陥れる発言でもないからな。ただ、動揺しているのは確かだ。わざわざ先生と話を付けてまで行ったこと。それが自分の眼を見て挙手で質問の答えを聞くだけ。しかも質問は一つきり。これではまるきり採算が合っていない。
「二十秒経過」
分かっていても言われると焦る。もう既に三分の一は過ぎたということだ。
僕について言えば焦る話じゃないけどな。事件の話なんか腐るほどしている。いや、大多数にとってはこの話、考えるまでもないことだ。
事件のことについて聞かれて困る奴なんて、事件の関係者に決まっている。まさか全校生徒が犯人なんてことは無いだろう。とすれば出ていくと言うことはある種自白することに近い。少なからず疑われる。例えば面倒という理由でそんなリスクを冒す奴が居るだろうか?
「三十秒経過」
まして目を見て困る奴なんて居るはずもない。居た所で、わざわざ出ていくほど拒絶する奴なんて一人や二人だろう。そいつだって出ていくと疑われることを考えてみれば我慢することもあるはずだ。
「四十秒経過」
だからこそ出ていくものなんて居ない。
周りももう静まり返ってきている。同じ結論に達したのだろう。こんなの論理なんてややこしい思考でもなく、足し算引き算のようなレベルだ。これが分からなければ昔懐かしの算数計算ドリルでもやった方が良い、とまで言うと万が一いたときにそいつに対する毒舌が過ぎるから冗談ということにしておこう。
「五十秒経過」
さて、思考終了。あと十秒もカウントすれば期限切れだ。と言っている間にも時間は刻々と過ぎていく。
ああ、いけないいけない。
くだらないことを頭の中でくっちゃべって時間オーバーとかシャレにならない。考えるまでもないことをここまで引っ張ったのだ。
僕は、右手をぴんと伸ばし発言する。
「あー、すいません。出ます」
さほど大きい声で言ったつもりはないが、やはり場所が場所。増幅し、その場の全員の耳に入ったようだった。
生徒だけでなく先生の注目までこちらに集まる。静まった空気がまた騒がしくなった。
なんだよ、恥ずかしいじゃないか。
全校集会。この学校にはこんなに人数がいたのかと再認識する良い機会である。
体育館に入口から見て右から一年、二年、三年となるようにクラスごとに並ぶ。担任が目印として並んでいるのできた順でそこにならう。僕は二年生なので真ん中に立っていた。
集会が始まり、生徒の注目の集まる壇から伸びたマイクを通して音声が響く。広い空間に響き渡っていた。
視線の集まる先、当然僕だって同じ方を向く。たぶんその時の顔はかなり珍しい顔をして居たんじゃないかなと思う。激写されて居たら黒歴史確定な程に。
「この前起きた事件の話だ」
だってそうだろう。なんで自分の友達が壇上でスピーチしてるんだよ。
体育館には、千堂の声が残響している。
「え、いやちょ……」
動揺する僕のことなんて知ったことではないと言う風に、堂々としている姿はかっこいいと言ってもいいかもしれない。
けれど、なんだって。
奇策にも程があるだろ。あんなヒントじゃ分かるわけない。というかなんでこんなことが許されているんだ。何故先生は止めない。
周りを見ると、教師勢は全員動くそぶりも見せず、顔を伏せて沈黙を決め込んでいた。なんだ? ということは既に話がついていると言うことか? まさか一人の生徒が自由気ままに勝手に集会を乗っ取っていいはずがない。
「お前たちは生徒会役員として知っていると思うが、今回の事件の被害者は国原だ。そいつは私の友人でもあったのだ。今回はこの場を借りて少し話したいことがある」
他の生徒も視線が釘づけになっていた。それはそうだろう。クラスであれだけの扱いを受けているのだ。学年が一つや二つ違った所で知らないと言うことはあるまい。悪いうわさの伝播は速い。居たとしても俺のような転校生とプラスアルファくらいで少数のはず。そんな奴が目の前で、本来出てくるはずのない状況で自分たちに話しかけ出したのだ。
「さて、本題の前に少し別の話をする。というよりお願いだ。私のことは殆どが知っていることと思う。噂は知っての通りだ。知らぬやつは聞きたければ後で聞くがいい。別に今更仲よくしてくれと言うつもりもない。むしろ正解だと思っているくらいだ。だから本来なら頼みごとなどできることではない。けれど、今回。今だけは聞いてほしい。二つだ。二つだけ頼みを聞いてくれるなら、一切私はお前たちと関与しないことを保証しよう」
辺りがざわざわと騒ぎ出す。その間千堂は口を閉じ、再び静寂が訪れると再び語り出した。
「さぁ、心の整理はできただろうか。なんて言いたいところだが、おそらく、いや間違いなくこう思っているだろう。何を頼まれるんだと。不安で不安で仕方がないだろう。だから先に言っておく。嫌な者は出て言ってもらって構わない。先生の許可は取ってある。さあ、ではよく聞いてくれ。まず一つ目は私の眼を見ること。二つ目は事件に関して質問に答えるというものだ。ただし一人一人に聞くことはしない。挙手ですませる。しかも質問は一つきり。どうだ? 今から一分だけ時間を取る。その間に出ていきたいものは出ていってくれ。もちろん相談しても構わない。では今から一分――」
そう言って、千堂は時計を眺め出した。タイムリミットの計測開始である。だが、まるで場が凍ったかのように誰も何も動かない。一分というのは存外短い。本来なら相談なんてできた時間ではないのだ。だが、それを指摘するものは居ない。
「十秒経過」
カウントの声を聞いてようやく全体の思考が切りかわったようだ。生徒の群れが一斉にざわめく。
だが誰一人として出口へ直行する者は居なかった。
混乱というわけではない。出て言ったら呪います、みたいな恐怖に陥れる発言でもないからな。ただ、動揺しているのは確かだ。わざわざ先生と話を付けてまで行ったこと。それが自分の眼を見て挙手で質問の答えを聞くだけ。しかも質問は一つきり。これではまるきり採算が合っていない。
「二十秒経過」
分かっていても言われると焦る。もう既に三分の一は過ぎたということだ。
僕について言えば焦る話じゃないけどな。事件の話なんか腐るほどしている。いや、大多数にとってはこの話、考えるまでもないことだ。
事件のことについて聞かれて困る奴なんて、事件の関係者に決まっている。まさか全校生徒が犯人なんてことは無いだろう。とすれば出ていくと言うことはある種自白することに近い。少なからず疑われる。例えば面倒という理由でそんなリスクを冒す奴が居るだろうか?
「三十秒経過」
まして目を見て困る奴なんて居るはずもない。居た所で、わざわざ出ていくほど拒絶する奴なんて一人や二人だろう。そいつだって出ていくと疑われることを考えてみれば我慢することもあるはずだ。
「四十秒経過」
だからこそ出ていくものなんて居ない。
周りももう静まり返ってきている。同じ結論に達したのだろう。こんなの論理なんてややこしい思考でもなく、足し算引き算のようなレベルだ。これが分からなければ昔懐かしの算数計算ドリルでもやった方が良い、とまで言うと万が一いたときにそいつに対する毒舌が過ぎるから冗談ということにしておこう。
「五十秒経過」
さて、思考終了。あと十秒もカウントすれば期限切れだ。と言っている間にも時間は刻々と過ぎていく。
ああ、いけないいけない。
くだらないことを頭の中でくっちゃべって時間オーバーとかシャレにならない。考えるまでもないことをここまで引っ張ったのだ。
僕は、右手をぴんと伸ばし発言する。
「あー、すいません。出ます」
さほど大きい声で言ったつもりはないが、やはり場所が場所。増幅し、その場の全員の耳に入ったようだった。
生徒だけでなく先生の注目までこちらに集まる。静まった空気がまた騒がしくなった。
なんだよ、恥ずかしいじゃないか。
「それで? どうだったんだ?」
集会後、その日の授業は終わりなので帰路につく。
場を借りて皆に直接的な趣旨の分からない質問をしようとした千堂と、犯人と疑われかねない状況下で出て行った僕。セットになっていれば、参加した群衆が多少注目するのは当然かもしれない。
ちなみに出た後何をしていたかというのは、オトコノコの秘密である……と気持ちの悪い冗談はやめておいて、実際は校内を適当にぶらついていただけだ。
ひそひそと認識できない複数の声を耳で感じつつもできるだけ気にしないようにして、朝きた道の逆順を辿る。学校の面する道にはほどほどに車が通っており、エンジン音が周囲の雑音をしばしば流してくれている。
「ああ、残念ながら該当者は無しだ」
といっても、隣に居る奴の声くらいは聞こえる。
「そっか」
「といっても私の見たてだがな。証拠は何もない」
「お前がそう言うならそうなんだろう。幾度となく心を読まれたこっちとしちゃあ信頼性はバッチリだ」
作戦と言うのは他でもない。単に全員に一斉に聞く場を設けてその場で全員分の表情を読めばいいという、ただそれだけのことだった。何百人と言う人数、後ろに並んでいる人は通常なら遠すぎて壇からは外形しか見えないだろう。だが、散々視力をアピールした千堂には見えたのだ。
できるならば至極単純な方法だ。だが、できないからこそ誰も思いつかない。視力的な問題はさておいて、それ以上に問題なのは――
「にしても、良く先生たちが黙って見てたよな」
通常、生徒会の連絡というならまだしも、一般の生徒が集会の場を借りて私用を行うなんてことは許されないはずだ。
現実的に考えて一番のハードルはそこにある。
「ああ、あれはだな、取引だよ」
「取引?」
「お前も聞いていたじゃないか。もう関わらない、と」
話を聞く条件というやつだったか。機能は高くないと言っても若い頭、鮮明には思い出せる。けれどやっぱり低スペックなので、分かりたい所までの算出はできないみたいだ。
集会後、その日の授業は終わりなので帰路につく。
場を借りて皆に直接的な趣旨の分からない質問をしようとした千堂と、犯人と疑われかねない状況下で出て行った僕。セットになっていれば、参加した群衆が多少注目するのは当然かもしれない。
ちなみに出た後何をしていたかというのは、オトコノコの秘密である……と気持ちの悪い冗談はやめておいて、実際は校内を適当にぶらついていただけだ。
ひそひそと認識できない複数の声を耳で感じつつもできるだけ気にしないようにして、朝きた道の逆順を辿る。学校の面する道にはほどほどに車が通っており、エンジン音が周囲の雑音をしばしば流してくれている。
「ああ、残念ながら該当者は無しだ」
といっても、隣に居る奴の声くらいは聞こえる。
「そっか」
「といっても私の見たてだがな。証拠は何もない」
「お前がそう言うならそうなんだろう。幾度となく心を読まれたこっちとしちゃあ信頼性はバッチリだ」
作戦と言うのは他でもない。単に全員に一斉に聞く場を設けてその場で全員分の表情を読めばいいという、ただそれだけのことだった。何百人と言う人数、後ろに並んでいる人は通常なら遠すぎて壇からは外形しか見えないだろう。だが、散々視力をアピールした千堂には見えたのだ。
できるならば至極単純な方法だ。だが、できないからこそ誰も思いつかない。視力的な問題はさておいて、それ以上に問題なのは――
「にしても、良く先生たちが黙って見てたよな」
通常、生徒会の連絡というならまだしも、一般の生徒が集会の場を借りて私用を行うなんてことは許されないはずだ。
現実的に考えて一番のハードルはそこにある。
「ああ、あれはだな、取引だよ」
「取引?」
「お前も聞いていたじゃないか。もう関わらない、と」
話を聞く条件というやつだったか。機能は高くないと言っても若い頭、鮮明には思い出せる。けれどやっぱり低スペックなので、分かりたい所までの算出はできないみたいだ。
「言ってたけどさ。あれを先生とも約束したってことか? ってなぁ、日ごろから大して関わって無いじゃないか。お前頭いいんだから質問しに行くこともないしさ。関わるっていっても担任くらいだろ? あいつだって大概スルーしてるっぽいけどな。大の大人が何をビビってるんだか、情けないと思うよ」
「主にPTAのせいだよ。先生が親に弱いのは今となっては常識だろう? ああいった奥様方は噂話が得意技だからな。多分話も大分大きくなっているだろうな」
そこで、綿貫と夕凪との話を思い出す。
「お前が姉ちゃんの首を切ったとかなんだとか聞いたな」
千堂は自嘲気味にせせら笑う。
「ああ、そんなことになっているのか私は。本人の前でおおっぴらに言う奴は居ないから知る術もなかった。なるほど、なら私の提案はますます渡りに船だったということか」
「で? 結局どういう交渉をしたんだよ?」
「だから、もう関わらないということだ」
「具体的には? 喋らないとか? って今も大して変わらないけど」
もう既に車の多い通りからは抜けている。閑静な住宅街のとある小道。同じ制服を着ている姿も他には見受けられない。代わりに隣町の高校の制服の生徒を見つけた。まだ会話の返事は返ってきそうにもないので、「他校の子も千堂のことを知ってるのだろうか」とどうでもいいことを考えていた。
するとタイミングを見計らったかのように声が聞こえた。音量はヒソヒソとしている。しかし妨害する車は現在地には殆どないので聞き取れる。
「転校、だ」
豊富なボキャブラリーを誇る彼女から選ばれた言葉は、存外単純な言葉だった。
「え」
「聞いてしまえば簡単だろう? これ以上の手段はない」
抜け殻が話しているように頼りない聞きづらい音声。望んでと言うよりは仕方ないことだったとわかる。
「なんでそこまでするんだよ」
「大したことじゃない。どうせ隣町だ。ほらあの女子が来ている制服。来年度からはあれにそでを通すことになるのだ」
「……今更言ってももう無駄なんだよな?」
「ああ。集会はもう終わってしまったからな」
ふいに、ある仮説が浮かぶ。なぜあれほどまでに聞き込み方法を教えてくれなかったのかだ。正誤関係なく、今となっては遅すぎる発想だ。
「あれほ勿体ぶって言わなかった止められる可能性を無くすためか」
「ああ」
「加えて俺を試そうとしたのか? 質問に答えれば今後関わらないということに反抗しろって?」
「ははははっ!」
二つ目の質問に対しては明るい笑い声が返ってきた。
「あれだけ事前に確認したんだ。流石に今更試すも何もないよ」
「僕を信用していると」
「ああ、この世で一番信頼している。掛け値なく」
「あら、照れる」
なんて言って両手を頬に添えて恥ずかしがる恰好をしてみたけれど、冗談っぽく上手く隠せただろうか。なんせ本当に顔が赤くなっているのだ。
だってなんか告白みたいじゃん。
「おやおや」
隠蔽工作なんてやはり無意味だ。嬉しそうににやついている女子一匹。
「主にPTAのせいだよ。先生が親に弱いのは今となっては常識だろう? ああいった奥様方は噂話が得意技だからな。多分話も大分大きくなっているだろうな」
そこで、綿貫と夕凪との話を思い出す。
「お前が姉ちゃんの首を切ったとかなんだとか聞いたな」
千堂は自嘲気味にせせら笑う。
「ああ、そんなことになっているのか私は。本人の前でおおっぴらに言う奴は居ないから知る術もなかった。なるほど、なら私の提案はますます渡りに船だったということか」
「で? 結局どういう交渉をしたんだよ?」
「だから、もう関わらないということだ」
「具体的には? 喋らないとか? って今も大して変わらないけど」
もう既に車の多い通りからは抜けている。閑静な住宅街のとある小道。同じ制服を着ている姿も他には見受けられない。代わりに隣町の高校の制服の生徒を見つけた。まだ会話の返事は返ってきそうにもないので、「他校の子も千堂のことを知ってるのだろうか」とどうでもいいことを考えていた。
するとタイミングを見計らったかのように声が聞こえた。音量はヒソヒソとしている。しかし妨害する車は現在地には殆どないので聞き取れる。
「転校、だ」
豊富なボキャブラリーを誇る彼女から選ばれた言葉は、存外単純な言葉だった。
「え」
「聞いてしまえば簡単だろう? これ以上の手段はない」
抜け殻が話しているように頼りない聞きづらい音声。望んでと言うよりは仕方ないことだったとわかる。
「なんでそこまでするんだよ」
「大したことじゃない。どうせ隣町だ。ほらあの女子が来ている制服。来年度からはあれにそでを通すことになるのだ」
「……今更言ってももう無駄なんだよな?」
「ああ。集会はもう終わってしまったからな」
ふいに、ある仮説が浮かぶ。なぜあれほどまでに聞き込み方法を教えてくれなかったのかだ。正誤関係なく、今となっては遅すぎる発想だ。
「あれほ勿体ぶって言わなかった止められる可能性を無くすためか」
「ああ」
「加えて俺を試そうとしたのか? 質問に答えれば今後関わらないということに反抗しろって?」
「ははははっ!」
二つ目の質問に対しては明るい笑い声が返ってきた。
「あれだけ事前に確認したんだ。流石に今更試すも何もないよ」
「僕を信用していると」
「ああ、この世で一番信頼している。掛け値なく」
「あら、照れる」
なんて言って両手を頬に添えて恥ずかしがる恰好をしてみたけれど、冗談っぽく上手く隠せただろうか。なんせ本当に顔が赤くなっているのだ。
だってなんか告白みたいじゃん。
「おやおや」
隠蔽工作なんてやはり無意味だ。嬉しそうににやついている女子一匹。
「さて、冗談はさておきだ」
閑話休題。
「なんでそこまでする必要があるんだ」
「それはお前も気付いているんじゃないのか」
考えてみれば当たり前と言いたいところだが、いくらなんでもパズルのピースが少なすぎるってものだ。けれど、僕は既にそれを入手していた。千堂もまた持っているはずだ。こちらが持っている欠片とは別のものを。それぞれ別々に得たものなのだから。
「ああ、気付くも何も分かっているよ。――千堂、お前が初めっから何もかも分かっていたこともな」
「済まなかった」
「今となってはどうでもいいさ」
「ありがとう」
「さって、んじゃあ話をした方がいいかな。いくら心を読めるって言っても記憶まで読めるわけじゃないだろう」
僕らは近くの公園のベンチに腰を落ち着かせることにした。住宅街にひっそりと小規模に存在する、家1軒たてればそれで一杯一杯な広さの一角に座る。
「といっても何時のことかは予想がついている」
「ほう」
「さっきの、集会の時だろう」
「ご名答。僕は僕で事件解決に向けて適切に、そう、適当に動いていたってことさ。って言っても、あれは殆どラッキーと言うかミラクルというかになるか」
「“あれ”と言うのを早く聞きたい」
「わかったわかった。自分はもったいぶる癖にな……。けど、御推察通り聞きたく無い話になる」
幾度となく千堂が僕の意志を確かめたように今度はこちらが確かめる。
「結末が分かってしまっているなら、一緒だ」
聞くまでも無いのは分かっている。
何処まで覚えてるかな我が脳みそよ。いつも馬鹿やらかして僕に迷惑かけてるんだからついさっきのことくらい思いだしてくださいな。え? 責任転嫁? いやいや失敬な、これは現実逃避というものだ。
冗長に話して、できうる限りを忘れたいこともあるんだよ。
体育館を抜けた後の話。「さて、時間切れだ。もう出るものは居ないか」という千堂の声が扉越しに響いてくるのを聞きつつ、教室へと向かうことにした。
「よぉ」
学年集会であるということは学校にかかわる人ならば全員知っていることだ。そして幸いかうちの学校は不良も少なく大概が出席している。
逆に言えばこの時間、侵入者が動きやすい時間帯でもある。僕はそいつに想定通り呼びかけられたのだった、というか侵入者が居たならばはち合わせると思っていた。
「元気か?」
「ああ、風邪をひくことも無く元気だ」
事件によって失われたもの。それがあった場所である僕らのクラス。教壇の上に行儀悪く座っている影がある。
「それは良かった。うん、そうだ。今度一緒に遊びに行かないか」
「三人でか」
「そうそう。千堂もそのために頑張ってくれてる」
「嬉しい提案だ……が、もう叶わないだろうな」
そいつは自分の手をぼおっと見た。かつて血液で染まった様を思い出しているのだろうか。
榊田は、溜息をつく。
「何故俺がこのタイミングで学校に来たか分かるか?」
僕は“さぁ?”というポーズをとる。
「全てを終わらせるため、だ」
がたん、と鉄製のものが強く衝撃を受けた音がする。それが教壇からだと気づくまでに時間は要しない。けれど近付くには十分な時間だったようだ。
「うお」
背にしていた扉のガラスは破られる。首すれすれに通過したのは榊田の右手だった。
おいおい、いくら人が来ないとは言え痕跡を残すのはまずいだろう。……なんて余裕をかませる状況ではとてもじゃ――いや、まるっきりない。
閑話休題。
「なんでそこまでする必要があるんだ」
「それはお前も気付いているんじゃないのか」
考えてみれば当たり前と言いたいところだが、いくらなんでもパズルのピースが少なすぎるってものだ。けれど、僕は既にそれを入手していた。千堂もまた持っているはずだ。こちらが持っている欠片とは別のものを。それぞれ別々に得たものなのだから。
「ああ、気付くも何も分かっているよ。――千堂、お前が初めっから何もかも分かっていたこともな」
「済まなかった」
「今となってはどうでもいいさ」
「ありがとう」
「さって、んじゃあ話をした方がいいかな。いくら心を読めるって言っても記憶まで読めるわけじゃないだろう」
僕らは近くの公園のベンチに腰を落ち着かせることにした。住宅街にひっそりと小規模に存在する、家1軒たてればそれで一杯一杯な広さの一角に座る。
「といっても何時のことかは予想がついている」
「ほう」
「さっきの、集会の時だろう」
「ご名答。僕は僕で事件解決に向けて適切に、そう、適当に動いていたってことさ。って言っても、あれは殆どラッキーと言うかミラクルというかになるか」
「“あれ”と言うのを早く聞きたい」
「わかったわかった。自分はもったいぶる癖にな……。けど、御推察通り聞きたく無い話になる」
幾度となく千堂が僕の意志を確かめたように今度はこちらが確かめる。
「結末が分かってしまっているなら、一緒だ」
聞くまでも無いのは分かっている。
何処まで覚えてるかな我が脳みそよ。いつも馬鹿やらかして僕に迷惑かけてるんだからついさっきのことくらい思いだしてくださいな。え? 責任転嫁? いやいや失敬な、これは現実逃避というものだ。
冗長に話して、できうる限りを忘れたいこともあるんだよ。
体育館を抜けた後の話。「さて、時間切れだ。もう出るものは居ないか」という千堂の声が扉越しに響いてくるのを聞きつつ、教室へと向かうことにした。
「よぉ」
学年集会であるということは学校にかかわる人ならば全員知っていることだ。そして幸いかうちの学校は不良も少なく大概が出席している。
逆に言えばこの時間、侵入者が動きやすい時間帯でもある。僕はそいつに想定通り呼びかけられたのだった、というか侵入者が居たならばはち合わせると思っていた。
「元気か?」
「ああ、風邪をひくことも無く元気だ」
事件によって失われたもの。それがあった場所である僕らのクラス。教壇の上に行儀悪く座っている影がある。
「それは良かった。うん、そうだ。今度一緒に遊びに行かないか」
「三人でか」
「そうそう。千堂もそのために頑張ってくれてる」
「嬉しい提案だ……が、もう叶わないだろうな」
そいつは自分の手をぼおっと見た。かつて血液で染まった様を思い出しているのだろうか。
榊田は、溜息をつく。
「何故俺がこのタイミングで学校に来たか分かるか?」
僕は“さぁ?”というポーズをとる。
「全てを終わらせるため、だ」
がたん、と鉄製のものが強く衝撃を受けた音がする。それが教壇からだと気づくまでに時間は要しない。けれど近付くには十分な時間だったようだ。
「うお」
背にしていた扉のガラスは破られる。首すれすれに通過したのは榊田の右手だった。
おいおい、いくら人が来ないとは言え痕跡を残すのはまずいだろう。……なんて余裕をかませる状況ではとてもじゃ――いや、まるっきりない。
「おい」
「なんだ」
人が折角回想している所を、千堂がまさかのインターセプトを図ってきた。
「なぜお前は無事なんだ」
「いや、そりゃ怪我してないからだよ」
「なぜ怪我してないかを聞いている」
「榊田が何もしなかったからさ」
「だろうな。で、何故何もしなかったかを聞いている」
「わからん。そんなの榊田に聞いてくれ」
そう答えると、気に食わないようで「ああ、もういい!」と語気を強めてそっぽを向いてしまった。拗ねているように見えるが、あからさまに怒っていた。
「本当に分からないんだよ」
「どうだか」
「なら僕の目を見てくれよ。これが嘘をついている奴の目に見えるか」
映画でこのセリフを言えば、大抵そいつは嘘をついている。だが今目の前に居る奴は歩くウソ発見気なので、この場合に限って言えば正直者だ。
「……わかった」
全く便利だよな、その能力。下手に火や電気操れるよりも欲しいよ。まぁ分かっていることを黙っていると言うのは存外大変なものだとも思うけどさ。
――最初から分かっていたはずだ、というのはあくまで僕の推理に過ぎなかった。彼女本人が否定しなかった以上、真実だと認められたものだが。
まずどういった経緯でその結論に至ったかという話になるだろうか。
「それこそ、この能力があるからってことだな」
口に出すよりも前に千堂は察した。なんだかなぁと嘆息を漏らさざるを得ない。だがややショートカットしようと話題は変わりようがない。
「ああ」
僕は単に肯定を示す。
「と言っても、確実じゃあないのは分かってるよな?」
「だろうね。でも違和感は覚えていた」
「そう、だな。少なくとも関与しているということは分かっていた」
「国原が死んだときの話だな」
「そうだ」
あのとき、僕は千堂に心を読まれるなんてつゆも考えては居なかった。みんなそうだろう。だからこそ人は自己の精神世界では無防備になる。
分かりやすく言うと、そこを覗けさえすれば白か黒かなんて簡単に分かると言うことだ。
「『国原……らしい』という言葉からかな。僕が思うに」
「まさにそこだ」
「『らしい』という言葉にお前は違和感を覚えた」
確定しているのを知っている人が「かもしれない」という可能性を謳えば、当然僅かながらも嘘である。
「だが犯人と言うわけではないだろう」
「けど、だからこそお前はあんなに冷静じゃ無かった」
やっとできた友達が死んだ。けどそれだけじゃない。加えて友達がそれに関与しているかも知れないと気付いてしまったらどうだろう。挟撃の威力はすさまじい。
「なんだか逆に読まれている気分だよ」
「相手の気持ちになることは大切だ」
「読みたくないからこそ度の合わない眼鏡をかけていたんだが」
「……の割に僕には手厳しかったけどな。それに、今日はかけてないじゃないか」
「理由が無くなったからな」
その言葉には安堵が感じ取れた。理由とやらはわからないが、聞く程の事でもないだろう。悪いことで無ければ乗る相談も解決する問題もないのだ。
もっとも、現在立ち向かうべき最優先事項は依然としてまだどこかを歩いているだろうけれど。
「結局、予感は的中してしまったわけだ」
一転、自虐するように千堂は呟く。
「知ってしまったことは知らないことにはできない。こんな私だからこそ、自分を騙して生きることは到底できなかったよ」
「なら現実を、ということか」
全て証拠の無い僕の想像。だが、言葉の違いこそあれ核心をついているという確信だけはあった。根拠を越えても、同じ人だから理解できるものがある。
「自分の感じた可能性を否定したかった。真犯人が見つかれば同義だがら、犯人探しが完全な建前だったというわけでもないがな」
分かってしまえば簡単。
例えば転校するという一大事をしてまで集会での質問を行った。冷静になってみればおかしい。犯人が確実に分かるならともかく、あの時点では無謀もいいところだろう。
ただし容疑者の目星がついて居れば別だ。
また、犯人で無いことの証明は犯人であることの証明より難しい。悪魔の証明にも似た難問だ。本来アリバイだってトリックに逆用されるように、信じられたものじゃない。
だから多少無理しなければならなかったということもあるだろう。
パズルというのは多少足りなくてもある程度当てはめてしまえば絵柄は分かる。だが千堂は最後の一欠片まで諦めなかったとそういうこと。
完成図はそんなじゃないはずだ、と信じたかっただけなのだ。
「全くの無駄だったけどな」
自己の無力を呪うような言葉が聞こえた。けれどもっと上回る感情があることを僕は気付いている。だって目は口ほどにものを言う。いや、越えるときだってある。繕うことなどできないのだから。
「どうかな。はい、これ」
千堂にハンカチを渡す。こういうときのためにも携帯するものは持っておかないと。
「ありがとう」
「お礼を言うのはまだ早いんじゃないか」
ベンチから立ち上がる。現在5時半、と公園に突っ立っている時計は示している。空は光を失い、闇の帳が下り始めていた。
「なんだ」
人が折角回想している所を、千堂がまさかのインターセプトを図ってきた。
「なぜお前は無事なんだ」
「いや、そりゃ怪我してないからだよ」
「なぜ怪我してないかを聞いている」
「榊田が何もしなかったからさ」
「だろうな。で、何故何もしなかったかを聞いている」
「わからん。そんなの榊田に聞いてくれ」
そう答えると、気に食わないようで「ああ、もういい!」と語気を強めてそっぽを向いてしまった。拗ねているように見えるが、あからさまに怒っていた。
「本当に分からないんだよ」
「どうだか」
「なら僕の目を見てくれよ。これが嘘をついている奴の目に見えるか」
映画でこのセリフを言えば、大抵そいつは嘘をついている。だが今目の前に居る奴は歩くウソ発見気なので、この場合に限って言えば正直者だ。
「……わかった」
全く便利だよな、その能力。下手に火や電気操れるよりも欲しいよ。まぁ分かっていることを黙っていると言うのは存外大変なものだとも思うけどさ。
――最初から分かっていたはずだ、というのはあくまで僕の推理に過ぎなかった。彼女本人が否定しなかった以上、真実だと認められたものだが。
まずどういった経緯でその結論に至ったかという話になるだろうか。
「それこそ、この能力があるからってことだな」
口に出すよりも前に千堂は察した。なんだかなぁと嘆息を漏らさざるを得ない。だがややショートカットしようと話題は変わりようがない。
「ああ」
僕は単に肯定を示す。
「と言っても、確実じゃあないのは分かってるよな?」
「だろうね。でも違和感は覚えていた」
「そう、だな。少なくとも関与しているということは分かっていた」
「国原が死んだときの話だな」
「そうだ」
あのとき、僕は千堂に心を読まれるなんてつゆも考えては居なかった。みんなそうだろう。だからこそ人は自己の精神世界では無防備になる。
分かりやすく言うと、そこを覗けさえすれば白か黒かなんて簡単に分かると言うことだ。
「『国原……らしい』という言葉からかな。僕が思うに」
「まさにそこだ」
「『らしい』という言葉にお前は違和感を覚えた」
確定しているのを知っている人が「かもしれない」という可能性を謳えば、当然僅かながらも嘘である。
「だが犯人と言うわけではないだろう」
「けど、だからこそお前はあんなに冷静じゃ無かった」
やっとできた友達が死んだ。けどそれだけじゃない。加えて友達がそれに関与しているかも知れないと気付いてしまったらどうだろう。挟撃の威力はすさまじい。
「なんだか逆に読まれている気分だよ」
「相手の気持ちになることは大切だ」
「読みたくないからこそ度の合わない眼鏡をかけていたんだが」
「……の割に僕には手厳しかったけどな。それに、今日はかけてないじゃないか」
「理由が無くなったからな」
その言葉には安堵が感じ取れた。理由とやらはわからないが、聞く程の事でもないだろう。悪いことで無ければ乗る相談も解決する問題もないのだ。
もっとも、現在立ち向かうべき最優先事項は依然としてまだどこかを歩いているだろうけれど。
「結局、予感は的中してしまったわけだ」
一転、自虐するように千堂は呟く。
「知ってしまったことは知らないことにはできない。こんな私だからこそ、自分を騙して生きることは到底できなかったよ」
「なら現実を、ということか」
全て証拠の無い僕の想像。だが、言葉の違いこそあれ核心をついているという確信だけはあった。根拠を越えても、同じ人だから理解できるものがある。
「自分の感じた可能性を否定したかった。真犯人が見つかれば同義だがら、犯人探しが完全な建前だったというわけでもないがな」
分かってしまえば簡単。
例えば転校するという一大事をしてまで集会での質問を行った。冷静になってみればおかしい。犯人が確実に分かるならともかく、あの時点では無謀もいいところだろう。
ただし容疑者の目星がついて居れば別だ。
また、犯人で無いことの証明は犯人であることの証明より難しい。悪魔の証明にも似た難問だ。本来アリバイだってトリックに逆用されるように、信じられたものじゃない。
だから多少無理しなければならなかったということもあるだろう。
パズルというのは多少足りなくてもある程度当てはめてしまえば絵柄は分かる。だが千堂は最後の一欠片まで諦めなかったとそういうこと。
完成図はそんなじゃないはずだ、と信じたかっただけなのだ。
「全くの無駄だったけどな」
自己の無力を呪うような言葉が聞こえた。けれどもっと上回る感情があることを僕は気付いている。だって目は口ほどにものを言う。いや、越えるときだってある。繕うことなどできないのだから。
「どうかな。はい、これ」
千堂にハンカチを渡す。こういうときのためにも携帯するものは持っておかないと。
「ありがとう」
「お礼を言うのはまだ早いんじゃないか」
ベンチから立ち上がる。現在5時半、と公園に突っ立っている時計は示している。空は光を失い、闇の帳が下り始めていた。